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戦争が昭和20年8月に終わらなかった場合、満州の戦闘はどのように推移していたでしょうか?

A 回答 (3件)

日本軍は東満山地(現在の北朝鮮と中国の国境付近の広大な山脈)に後退し持久作戦を行ったでしょう。



ソ連軍侵攻前の関東軍の最終計画では「関東軍は満州の広域を利用して敵の進攻を破砕するに努め、やむをえなくなっても、連京線(大連から新京を結ぶライン)・京ト線(新京からトモンを結ぶライン)以南の要域を確保して持久を策し・・」とあります。これは東満山地に防衛ラインを置くという意味です。

そして各軍にもそれに沿った命令を出していました。
満州東部を守る第一方面軍には敵の進攻を破砕できない場合は主力を後退させ山地を利用して敵の進攻を阻止するというものです。
満州西部の第三方面軍にも、一部の兵力をもって敵戦力の消耗をはかり、主力をもって連京線以東の山地で敵の進攻を破砕する。できない場合は長期持久というものです。
満州北部で一番遠い第四軍だけは別で、この部隊は敵の攻勢を破砕、チチハル、ハルピンを固守して持久、作戦が実行不能になった場合でも後退せず遊撃戦を行うというものです。この部隊は遠くにいるので、できるだけ敵を引き付け、それが無理になったらゲリラ戦で消耗させろという事なのでしょう。

8月に停戦がなかった場合、日本軍はかなりの抵抗をしたのではないかと思います。
そもそも関東軍は全力で戦う前に停戦となりました。
関東軍24個師団のうち、実に12個師団が戦闘していません。師団主力をもって交戦したのは6個師団に過ぎず、一部の兵力が交戦したのも6個師団です。師団の半数が戦闘していません。
これは交戦する前に停戦になったからです。
特に第3方面軍には9個師団ありましたが、8個師団を連京線沿線に後退させ、そこでの交戦準備をさせていたため、戦闘したのは前線にいた1個師団のみです。残りは戦う前に停戦となりました。
こうした部隊が事前に準備した山地での陣地で戦闘をおこなったなら、かなりの抵抗ができたかもしれません。

各軍単位で見ていくと、停戦時、満州東部の第一方面軍が一番危機にありました。
第一方面軍には第3軍と第5軍が所属していました。
第5軍はソ連軍に迅速に国境を突破され、軍主力の陣地も突破され多大な被害を受けました。停戦前はそれでも新たな陣地に後退し、ソ連軍を迎えうとうとしていました。
第3軍もソ連軍に突破され、かなりの進攻を許しました。しかし、兵力的にはまだ半数以上が戦闘に参加していない状況でした。
そして国境付近の守備隊にはまだ陣地を保持している部隊が存在しました。
満州北部の第4軍は健在で、各部隊が拠点をソ連軍から防衛、未だ保持していました。
満州西部の第三方面軍は先に述べたとうりです。
北朝鮮の第34軍の2個師団も主力が戦う前に停戦になっています。

まずは東部の第一方面軍が危機なので、いかに早く戦線を建て直し、敵に捕捉されずに山地に後退できるかが問題でしょう。
ソ連軍の満州進攻計画は、まずは東部と西部からの挟撃で満州中心部を押さえるというものなので、東満山地の攻略はその後になります。
第三方面軍主力が東満山地の連京線を守備する位置に着く事はまず可能なので、あとは第一方面軍がどれだけの兵力を京ト線に後退させ防衛する事ができるかで、どこまで持久できるかも変わってくるでしょう。

ただ、それでも関東軍の敗北は避けられないし、そう長い期間持ち堪える事も難しいと思います。
開戦時、関東軍70万人に対し、ソ連軍は170万人ですし、航空機も日本が200機に対しソ連軍は5000機です。いかに機甲部隊が十分に活躍できない山地での抵抗とはいえ、兵力差が大きすぎますし、日本からの補給・補充も無理でしょうから。
でも、ソ連軍にはそれなりの被害は与えると思います。
第一方面軍の第5軍は歩兵主力で貧弱な火力にも関わらず、戦車を300両も破壊する敢闘をしたそうです。
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それは、ロシアの日本侵攻がより激化して、泥仕合になる事を意味します。


日本が、今の南北朝鮮のような位置づけになり、戦後からの様々な戦争に
巻き込まれていたでしょう。そうなると、他国との戦争が皆無である
日本の存続は不可能で、東ヨーロッパのように国境線が日々更新されるような
事態になっていたかもしれません。

日本には今の北朝鮮のような、ある種の逞しさはないですからね。

ロシアと中国とアメリカによって、満州はずたずたにされます。
この3つの国の中で、補給線の確保がいちばん困難なのはアメリカです。
ベトナム戦争のような泥仕合を展開するか、早急に兵を退くか、
それこそ占領する価値があるかどうかによって戦況は変わるでしょう。

いずれにしても、ifで歴史を語るのは不毛な事ですね。
過去の結果としての現在より、未来の原因となる現在を大切にするべきでしょう。
歴史を学ぶ者は、そういう姿勢であるべきではないでしょうか。
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満州単独をシミュレーションしても意味ないでしょう。



日本本土が戦場になり満州への物資や人員の補給は全く行われなくなります。
それでも日本兵は戦い続けることになりますので、投降しない限り敗走しながらソ連兵や中国の義勇軍に皆殺しに近い目にあったでしょうね。
実際あった南方での敗走と同じです。
もちろん民間人も「引き上げ」など出来ないので同じ目にあいます。
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