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世界、世の中には不幸な境遇な人が居るのに、自分が幸せになったり幸せな生活を送る権利があるのでしょうか。

コンビニに置いてある募金箱に募金した後で、
「あんな少額で、何の役に立てない自分は偽善者だ」と思いますし、
募金しなかったら、「自分は募金しなかったひどい人だ」と思ってしまいます。

自分には存在価値が無いような気がします。
これから先ずっと絶望しか無いと思います。
誰かの役に立ってゴミクズのように死んでいくのが、自分が生まれた目的なのでしょうか。
そのために頑張ればいいのでしょうか。

自分は将来子供をもつことに抵抗があります。
同じような絶望を背負わせることになるんじゃないかと思うからです。
こんな閉塞していて毎年自殺者が何万人も出ているイカれた、先の暗い先進国に、子供を送り出すことが、
罪な気がしてなりません。

「自分の子が欲しいから 老後の為に 育ててみたいから」
そんな個人の理由で、子供を持っていいのか、悩みます。
もし育てるなら、孤児にしようか、とも思います。
(自分みたいな人間に育てられるかとても心配ですけれど)

それとも、何もかもに目を伏せて、知らないふりをして生きなければならないのでしょうか・・・?

A 回答 (10件)

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」 と宮沢賢治は言いましたが、質問主様はやさしい方ですね。

否、多くの人は皆そのような心を持っているはずですが、社会を知るにつれ、「世界平和のためには自分は微力すぎる」、「身の回りの幸せで満足して生きよう」と半分諦めの中で生きてしまいます。

世の中を知れば知るほど残酷で不平等な世界です。ジブリの宮崎監督も「この世は生きるに値しない」でも、子供にそう言うわけにもいかないから、せめて「生きろ」と訴えるしかない、とおっしゃっていました。

この場でたくさんのことは書けませんが・・・
この矛盾した世界で幸せを求めても限界にぶつかります。人間は物質だけで満足するようには出来ていないからです。なら何のために生きるべきか?

一説ですが、人間は体(肉)-心(脳)-霊(愛)で出来ていると言います。飲食いスポーツして肉を満たし、良い知識や芸術で脳を満たしても、満足できずどこか虚無に襲われます。でも人間の根本の愛を知るなら、逆に言えば、体や脳が十分でなくても、幸せを感じ満たされて生きることも可能です。

人類の歴史の中で、数多くの戦争や不幸がありました。でも愛を知る人は人間の尊厳を失うことなく、そんな環境で人生を終える中でも「幸せ」でした。人間はまだ発展途上で不完全です、だから社会に幸不幸のムラがあり矛盾があるのは仕方ありません。でもその中であなたがどういう心で生きるかで・・・世界は平和にできないかも知れませんが、自分自身には納得してき
ることができるはずです。

私も質問主様と同じような考えで、虚無的な思いと不安がたくさんありました。でも人間の深さを知り、また歴史を見てまだ人間が道半ばなのだと知り・・・自分にできることは少なくても、生きてて良いのだと思えるようになりました。また子供を持って見て下さい。言葉や理屈でない、「存在」そのものの価値・・・もちろん、育てるのは物質的に大変だし、将来はこの子に何があるかわからない。でも肉体だけでない、命という尊い存在を生み出すことが、次世代への勤めでもあると思えます。

人間何の縁があるかわかりませんし。あなたができなくても、あなたの子供が政治家か学者になって、途上国を救う偉人になるかも知れません。また歴史を深くみれば、偉人一人で活躍したのでなく、偉人を支えた表に出てこない人もたくさんいますよ。つまり、小さな小さな善意の積み重ねと意志が、世の中を良くしていったりもするのです。

私からすれば、質問主様は、人間の深い価値を知ることもなく、ただ目に見える出来事に心を悩ませておられるように思います。確かに世界を見れば辛いことだらけです。でも人間はそんなに薄っぺらではありません。もっとたくさん学んで、ご自身の深いところを満たして下さい。捜せば見出せます。人間の根本を知り、まずはあなたが幸せになる・・・それが全ての人が幸せに生きられない現実の中で・・・少しでもマシな日本に生まれた者としての努めかと思っています
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>不幸な境遇な人が居るのに、自分が幸せになったり幸せな生活を送る権利があるのでしょうか



困っていたり苦しんでいたりする人がいるなら、助けてあげなければいけないという考えの持ち主
じゃないでしょうか?
あなた自身にそういう気持ちがあって、でもそれをしてあげられるだけの能力や気力がなく
結果的に苦しむ人を見捨てることになってしまい、その贖罪のために自らは幸せになっては
いけないという結論に至ったのではないですか?
募金じゃ何の解決にもならないのに、それでも募金するのはただ責任を逃れたいから。
だから偽善と表現してしまうのではないですか。

ちなみに僕は募金なんか一切しませんし、心も痛みません。
あなたと僕の違いは、つまるところ「俺とは関係がない」と思えるかどうかという点にあると思います。
きっとあなたはもともと優しくて、誠実な人なんだと思います。だからこそ関係がないと割り切れない。
自分の気持ちに嘘がつけない。小賢しい自己正当化なんてできない。

皆と同じように面の皮を厚くできないのなら、個人で対処できる範囲外の問題は
責任を負わなくてもいいと自分を許してあげたらどうでしょうか。
言い換えれば自分でできる範囲内のことだけ責任を負うべきだと。

個人個人ができることをやれば、やがて大きなことにも対処できるようになるでしょう。
そう考えたらどうですか。
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>自分が幸せになったり幸せな生活を送る権利があるのでしょうか。



幸せになる権利は誰にだってあります。
幸せになれるのにならないのは不幸な人達に失礼だと思います。

幸せになり、余裕があれば不幸な人、困ってる人を助ける。

これでいいのです。

どうしても納得いかず、いつまでも迷ってしまうようであれば
医師やカウンセラー・・・身近な人でもいいので相談しましょう。
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普通の生活をしていれば、君の事なんか誰も見てないんだから、思うように生きればいいのですよ。


存在価値がなければないでいいじゃないですか。人間は存在価値がなければいけないわけではありません。
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>コンビニに置いてある募金箱…


全部ではありませんが、関係者がありがたく懐に入れてますよ。

>自分には存在価値が…
過去・現在・未来にいる人間の存在価値はありません。
がん細胞の方が高貴な存在です。

>自分は将来子供をもつことに…
貴方の指摘通りです。
それをよく判ってなくて子供を作るクズの多い事多い事。

>それとも、何もかもに目を伏せて、知らないふりをして…
気にすると貴方が消耗するだけです。
この世(日本)はもう地獄と同義ですよ。
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今日食べたごはんだって何かしらの命を奪っています。



究極に、誰にも迷惑をかけずに生きるのは無理で、死ぬしかありません。

でも、生きたいから生きるのがこの世界です。だって死ぬの痛そうだし。
生まれたのに理由はありません。私たちは既に生まれてしまいました。


福祉は動物達にはありませんから、本来はあり得ないことです。
だけど、誰かの為に役立つということは自分の存在価値を認めることになり、その誰かよりむしろ自分が幸せになれる意味が大きいでしょう。
なんだか申し訳ないですが(←でも別になんとも思っていません。この表現はただの譲歩です)、私は募金はしたことがありません。
私は、募金しなくても今は幸せです。募金先の人間の不幸を知ったら、その人々がかわいそうになって募金せずにはいられなくなるかもしれませんが。



子供を持ちたかったら、持っていいんじゃないでしょうか。
ちゃんと親になる責任を…と言うのは外部で、彼らにとってはあなたが子供を持つことが特にメリットにはならないので、子供の事だけを指してそう言っていますが、あなた自身は子供を持ちたいと言っているのだからメリットになります。
実際のところ、そんな細かい事考えてたらとっくに人類滅亡してそうですが。笑

自分の幸せの為に生きてください。
よくわからなかったら、まず寝たいだけ寝て、奮発して大好物でも食べにいくといいですよ。
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>世界、世の中には不幸な境遇な人が居るのに、自分が幸せになったり幸せな生活を送る権利があるのでしょうか。


 そこまで慈悲深いお心をお持ちなのでしたら、コンビニの募金箱にちまちま金を入れる事に悩むよりも、NPOなどで「不幸な境遇」にある国へ行ってボランティア活動をされたらいかがでしょうか?
 質問者さまは今、少なくともPCを使える環境にある。権利を放棄する事も権利の1つと考えます。
ただ、それは「誰かの役に立つ」という事でもあります。それでも「ゴミクズ」ですか?
>誰かの役に立ってゴミクズのように死んでいく
 矛盾を感じます。

将来、子供を持つ事についてですが、
>こんな閉塞していて毎年自殺者が何万人も出ているイカれた、先の暗い先進国に、子供を送り出すことが、罪な気がしてなりません。
 確かにそうですが、募金箱の話は自己に向ける「偽善者」という悩みだったのに対し、子供の話は他者(或いは社会)に向ける恨み辛みの話になってはいませんか?
 わたしだったら、上記のように「イカれた先の暗い先進国」だと思っている親の子供には産まれて来たくありません。
>「自分の子が欲しいから 老後の為に 育ててみたいから」
 そんな些細な、親の自己満の理由で産まれてくる方が余程いい。所詮、この世は自己満の世界です。
>そんな個人の理由で、子供を持っていいのか、悩みます
 でしたら、孤児を育てる事も辞めた方が宜しいかと思います。
 こんなイカれた世の中に、自分の遺伝子は残したくは無くても、孤児は育てる事は出来るのですか?
>自分には存在価値が無いような気がします。
 これから先ずっと絶望しか無いと思います。
 そんな思考の人に引き取られる孤児が可哀相だと思いますよね?

 まずは自分の置かれている現状を認めるところからはじめてはいかがでしょうか。
 
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とても深く本質的で鋭い質問だと思いました。


自分の置かれている世界の問題を常に考えながら生きていく、
それは苦しくもあり、また人前でそのようなことを言葉で語るには少し勇気のいることかも知れません。

人のことを思えば思うほど、自分と他人との境界を引く事はむずかしい。
ハンセン病患者の治療に生涯をかけた神谷美恵子さんは『生きがいについて』という本のなかで、
「なぜ 私たちでなくてあなたが?」という言葉を残しています。

そのような「差」にどうして人は人生の重さを感じてしまうのでしょうか…
それは私にもわかりません。
しかし、差はあれど人生の「質」とはまた別の問題とみてはいかがでしょうか?

あなたは困っている人の人生を考えられる、
そんな人生としての「質」を持っている人であると、私は感じます。

だから周りの人の不幸を考え、あなた自信が幸せになる権利を持っていないと考えるのは、
あまりにも不合理であるし、それは人生にとって "本質" 的ではないと考えます。
個人が個人のために幸せを求める、そのことはそれ自体として認められるべきものなのです。
それは理屈ではありません。
そうでないと社会は進まないからです。

もちろん自分の幸せのために他人を困らせることはいけません。
でもあなたは少なくとも他人に対して困らせることはしていないではありませんか。

湯浅誠さんはご存知でしょうか?
NPO団体「もやい」で日本のホームレス支援などをしている人です。
頼る人が誰もいない、そんな "溜め"がないような人達のために彼は活動しています。
もちろん彼は多くの時間を彼らのために割いている。
でもこれは湯浅さんの犠牲によるものでしょうか?

違うと思います。これは彼の人生の「質」というか「本質」、
使命感によるものだと思います。
『反貧困』という本の中でも、
貧困には自己責任だけでは片付けられない多様な要因があり、
そのような認識を共有することの大切さを説いています。

実際にもやいのHPを見てください。
あなたのように考えている人達が活動できるような場も
たくさんこの世には用意されているのです。
けれどもここで人の手助けをしろと私は言っているのではありません。

私が今まで述べたこと、思想は全て過去に考えてきた人達の意見を参考にしたものです。
ただ幸せを求めて生きる事、それはとても素晴らしい人生の命題であることを
もっと過去と現代から学んでみませんか?
それはきっと未来へ伝えていきたくなるものです。
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失礼いたします。




物が溢れていることが「幸福」ではありません。


あなたのように
「不幸」と自覚してしまった人もまた「不幸な人」です。



国の環境の違いなど関係なくして
人はみな平等に「不幸」と「幸福」をもっています。


それと同じように
「生きる」と「死ぬ」もまた、国の違い関係なくして平等に存在しています。


餓死で死ぬ人数が多い国も
自殺で死ぬ人数が多い国も
病気で死ぬ人数が多い国も

割合的に見れば、ほぼ同じです。


地球における生命は
人間の観点の超越した部分で「機能」しています。


人間が全ての生命の寿命を把握しているように思えますが
人間以上の存在によって作られた寿命ですので

人間だけが特別に何か「出来ている」ことはありません。


あなたが「子供を必要としない」あるいは「子供をこの国に送り出すことが不安」と感じるのは


実は、地球に溢れてしまった人類の数を調整するために

「数を減らす」べくして人間の意識に働きかけている、当然の思考と言えます。



10個あるリンゴを、10人の人間に分ける場合は
1人1個ずつになりますが

10個を、100人で分けるには
1人がもらえる数(量)はとても少なくなります。


人が増えれば増えるほど
1人の人間が必要とする食料は減り

あまり人口が超過しすぎると、人は生きれなくなります。



現代は、その状態になっていますので

人口を減らすべくして、「人口調整」が地球上で行われています。


その後、未来で必要な人間だけが残り
不必要な人間は死に絶えます。


生命の進化の、ごく当たり前の現象ですので

あなた個人がどう悩まれようと、どうすることもできません。



それよりも、もしこの先も生きようと思うのであれば

これから先の未来の地球環境において、「環境に必要な人間」になる必要があるでしょう。



それも人間以上の存在によって、選抜が行われておりますので

今の人にできることは、「未来で必要とされる人間になる努力」をする事しかできません。



必要な数以上の動物を殺すのと同じで
必要な数以上の人間も殺されます。


人間だけがこの世に存在しているのではないので、あまり自分たちだけを特別視せず
「生命の大きな流れ」なのだと受け止めて生きる方が
より大きな「命のありがたみ」を得られると思いました。
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あまり深く考えなくても良いのではないのでしょうか?


所詮「人間」と言う生き物は目的もなく生かされ生きて死んで行く。そんな些細な事ですよ。

何を求めようが目的を見つけようがただ単に生きる目的を見つけようとしているだけだと思いますよ。
私も何度も貴方のような事を考えました。ですが答えなんて見つかりません。その結果死にたいと何度も思いもしました。

「人生に意味なんてない。人生にもともと意味なんてないんだから君が人生に意味をプレゼントすればいいじゃないか」

バカみたいな言葉ですよね。ですがこれに何度も助けられましたよ。

全てを決めるのは貴方次第です。まずは好きな事でもしてみたらどうですか?

幸運を祈ってます。
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