今だけ人気マンガ100円レンタル特集♪

精神的な観点についてこうあるべきだと社会を語る人いませんか?それはどうなんでしょう。
*以下で例として挙げた意見は実際の会話をもとにした例です。その意見が正しいかどうか、私の考えがどうであるかは全く別であるとします。

例えば、日本の問題や今後の課題という議論があるとします。
「最近ではニートなど甘ったれた人が増えた。人が働かなくなるとこのままでは日本の国力が・・・」というのは労働と国力という目に見えるものを語っていて政治的な話だと思います。
しかし、「額に汗を流してお金を稼ぐという美徳意識が失われてきた。これは問題だ」と精神面から語るのは政治の話でしょうか?個人的な感覚であり、多くの人が持っていたとしてもこうあるべきだと言う事は出来ないのでは無いでしょうか。


もう一つ別の例を挙げます。
若者達(私もですが)の努力観の調査(どの程度報われるかと考えているかというもの)について「駄目になったな」という感想を言ったとします。
これも考え方が逆で、若者の努力観がどうであるかより、若者が実際に何を目標にしてどのような努力をし、何を得ているかを語らなければならないのでは無いでしょうか。
駄目になったなというのはそれから言って欲しいものです。


精神の話というのは別に否定はしません。
ただ宗教のようなものでそれは一般化できないと思います。だからその観点でこうあるべきだと社会を論じる、または問題視するというのはどうでしょうか?
ただ私は若干合理性を求めすぎる傾向があるかもしれない為、実際のところこの質問にどう感想を持たれるか良く分かりません。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

やー、思うんですがー。

世の中のことって、全部、突き詰めれば「感情論」なんじゃないかなー。

>日本の問題や今後の課題という議論があるとします。
>「額に汗を流してお金を稼ぐという美徳意識が失われてきた。これは問題だ」
>と精神面から語るのは政治の話でしょうか?

あなたは、日本の問題や今後の課題は、「政治」で解決されるもので、精神論では解決できない、という暗黙の前提があるものとみなしてますよねー。でもでも、それって本当にそうなんでしょーか。実は、政治で「も」解決できるということであって、政治でなくても解決できる道はあるのかも知れませんよー。

例えばですがー。昭和30~40年ごろの高度成長期ってのがありますねー。池田首相が所得倍増計画とかいって、日本がどんどん上向いていた時代。あれは、「政治の力」で実現できたものでしょーかねー。私は思うんですがー、あの頃、誰が首相になってどういう政策をしていても、たいして変わらなかったんじゃないかなー。つまり、「政治なんて、別に大失敗さえしなければどうでもよかった」んじゃないか、とねー。

あの急激な成長を支えたのは、政治じゃなくて、日本中の人々の「精神」であり「感情」であったと思うんですよー。終戦で廃墟となった日本を、なんとかして立ち直らせるんだ、死ぬ気で働け!とゆー精神論で、日本は立ち直ったんじゃないかなー。もちろん、さまざまな技術力などが背景にあったのは確かですけどー、でもでもその技術も、実はそれを生み出した人たちの「精神的な力」による部分が実は大きかったんじゃないかなー。

あるいは、学生運動とかありましたねー。日本中が揺れましたー。あれ、一見すると政治活動に見えますけど、実は一人ひとりの「感情のはけ口」としての動きが大きな波になったとゆーことじゃないのかなー。つまり、あれは政治じゃなくて「感情の産物」じゃないか、とねー。

今の若者うんぬんとゆーのも、ねー。確かに今の若い世代は大変ですけどー、でもでもそんな中で成功を勝ち取っている人もいますねー。その違いは何かなー。同じよーに努力していても、最後のあと一歩のところで諦めてダメな人と、頑張り抜いて成功する人の違い、それはなんでしょーねー。

どんなものも、表層的には「論理的な考え」とか「政治力」とか「国際的ななんたらかんたら」とか「才能」とか「能力」とか、いろんなものの力で実現されるのですけどねー、実はそれらの力が発揮できるのは、「感情」の力じゃないのかなー。例えば、同じ才能、同じ能力、同じ環境の人間が2人いたとしても、一人はそれを発揮して大きなことができたけれど、もう一人はただ才能があるだけの無力な人で終わってしまう、とゆーことありますねー。その違いはなんでしょーか。それは、やっぱり「精神的な力」じゃないのかなー。

政治、大切です。今も中国とごちゃごちゃなってますねー。日本は弱腰ですねー。中国、強いですねー。それは、日本と中国の政治家の能力の差でしょーか。いえいえ、実は「精神力」の差じゃないかなー。中国の「たとえどんな悪影響が国際的に巻き起ころうがやるときゃやるぞ」とゆーケツをまくった強烈な態度に、軟弱な日本の政治家の腰が砕けたのかもー。その違いは、政治的外交的テクニックの差ではなく、実は両者の精神力の違いだったと思いませんかー?

表面的には、さまざまな能力や考えの差に見えるものも、実はそれを支えているのはその人の精神力であったりすること、ありませんかー。人間は、論理では動かないのです-。どんな人も、つまるところ感情で動いているのです-。

どのような考えであれ、ただ考えるだけ、机上の空論で終わりなのと、それを実行すること、その差はその人の「精神力」の違いかも知れない。そー思いませんかー? だとすると、この世のさまざまなことは、つまるところ「人の内面的な力」によって動いているといっていいんじゃないのかなー。

あ、私ゃ別に「精神力でなんでも解決できる」とかゆーわけじゃないですよー。政治、経済、さまざまなものは大切ですよー。ただ、どんなに立派な考えも、「ただ考えただけで終わり」じゃ、無意味ですよねー。それを実現できるかどうかは、その人の精神力の差かも知れない。とすると、世の中のさまざまなことは精神力に支えられているのかも知れない。ならば、合理性うんぬんだけでなく、そこに人間の内面的な力も交えて考えることは意味あることじゃないか、とゆーことでしたー。ではでは~。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おお。なるほど。やはりここが私のズレだったわけですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/28 18:15

社会問題や政治の話題というのは、実はすごく敷居が低いのだと思います。

政策論として、あるいは学問として語ることができる一方で、特に知識が無い人でも、思ったこと感じたことをそのまま言うことが正当化される雰囲気があります。これは、恐らく一人一票の投票権に代表されるように政治を語る資格として国民は平等であるという考え方が背景にあるのだと思います。経済の話になるともう少し敷居が上がって、知識がないと発言しにくい雰囲気がある気がします。

こうした敷居の低さというのは、もちろん誰もが発言できて民主的であるという点ですばらしいのですが、一方で、知識がないことや、問題に対する意識が低いことを正当化しやすくしている恐れがあります。この質問はこういった問題意識に基づくのかなと思いました。


たとえばこのサイトでは、がっつりと政策論を語りたい人や感情論・印象論だけ言いたい人、その中間の人が混在しているので、いかにして話の方向性を自分の興味の範疇に持っていくかというのは質問者の力量次第ではないかと思います。

ちなみに、酒の席などで政治の話題になり感情論や印象論に流れていったようなときはコミュニケーションと割り切ってしまった方がいいでしょうね。要はTPOに応じてということで。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほどハードルが下がったわけですか。身近になったというのは良いことですね。
私も知識が多いわけではないのですが、根拠は挙げます、挙げられないものはあくまでも私の感情です。
その根拠というものが私が「具体的な影響かデータだ」というモノの事なので、私に対して否定的な見方をすれば
「頭でっかちな人(私)が情報に凝り固まって口うるさい事を言っている」と言えるのかもしれません。
質問者次第というのもそうかもしれませんね。
具体的な影響についてお願いしますと言えば良いのかもしれません。

コミュニケーション・・もそうですね。
そういう場で根拠は何ですかと一々やることもありませんね。野球チームはドコが一番だよなあ位の意味でしょうね。

お礼日時:2010/09/29 17:46

それはネットで精神論について述べていたわけですね。



そこに合理性を求めるのは小学校の道徳の時間に「お父さんお母さんを大切にしましょう」と言っている教師に対し「少子高齢化社会で親を大切にして得るメリットを具体的に出せ」と言っているようなものではないでしょうか。

ネット内で見るべきURLを見失ったのではないですか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ネット内でのお話であり、私はその方のそこでの発言は全て見ました。

つまり、人間生活は感情抜きで語れるものではないため、質問文の様な議論は当然だという事ですね。
分かりやすくしてくださりありがとうございます。

お礼日時:2010/09/27 20:22

>精神的な観点についてこうあるべきだと社会を語る人いませんか?それはどうなんでしょう。



とてもいいことだと思います。
存分に語って欲しいです。
それに対しての違った見方、意見、反論等あれば、それをお互いが言い合えれば、
よりよい状況が生まれる可能性がある。

日本人ってディベートが苦手だとか言われる。
いろんな考え方、思想を持った人たちが意見を言い合い、受け入れあう。
それが下手だとか言われている。
それを、「若造だから。」とか、「年長者の意見は反論せずに聞け。」とか
考える人たちがいるから、質問者様のような意見が出るのだと思う。

因みに、私の意見ならば、
>「額に汗を流してお金を稼ぐという美徳意識が失われてきた。これは問題だ」

これは精神論とは思えません。どちらかと言えば道徳論。だと思います。
額に汗をかかずにお金を稼ごうとした投資家達が起こしたのが、あのリーマンショックだからだと思います。世界中が酷い目にあいましたし。

>若者達(私もですが)の努力観の調査(どの程度報われるかと考えているかというもの)について「駄目になったな」という感想を言ったとします。

これは精神論とかいうよりも、日本の現代社会の副産物だと思っています。
今の日本や社会、政治が努力をすれば報われるところを見せなくてはいけないと思います。
頑張っても報われない現実ばかりをみせられてしまっては。。
ですから、「駄目になったな。」ではなく、「駄目にしてしまったな。」だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
つまり私が口うるさい事を言わずに、皆で自由に語るべきだという事ですね。
道徳論と精神論が違う・・私はうっかりしていました。
そういえば先日海外の番組のドキュメンタリーを見ました。先進国の若者が貧しい国での食糧生産の現場で労働をする内容ですが、出ていた人がそれでものの見方が変わったというような内容を言っていました。
私は非感情的な部分ばかりを強調する面があるのかもしれませんが、そういう部分が無いと人間は誤るのかも知れません。

「駄目にしてしまったな。」という観点についても気づきませんでした。
そうであるなら実際に目に見える問題を語っていたのでしょうかね。

お礼日時:2010/09/27 20:45

正直な感想



なにかのきっかけで年長者から説教された若者が、その場で上手く言い返せなかった屁理屈を公開して「みんな、僕は間違ってないよね」と同意を求めているよう。

「」に至る経過が分からなければ、本当のところは分かりません。

誰かの発言の一部だけを切り取って「これは誤っている」と同意を求めようとする手法はマスコミが情報操作目的によく行いますが、それと近いものを感じました。

>これも考え方が逆で、若者の努力観がどうであるかより、若者が実際に何を目標にしてどのような努力をし、何を得ているかを語らなければならないのでは無いでしょうか。

100万人の『若者達』がいれば目標も努力も得たものも100万通りありますが、何年かけて論じるのでしょう。

合理的とは感じません。

この回答への補足

ネットでの出来事でしたが、切り取っているのではなく本当に精神面しか語られなかったのです。
国力、安全、健康問題、本人の人生、金銭問題、本当に書かれていませんでした。
実際には精神について語っていたのではなく私が分からなかっただけなのでしょうか。

補足日時:2010/09/27 19:15
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
抽象的で分かりにくいのでもう少し具体的にお願いできますか?

一番の疑問は人間の精神性を語るのに善悪があるのか、社会的意味があるのかという事です。
政治や社会なら目に見える利益で語らないと意味が無いと思うのですが、cucumber-yさんは精神を語る発言にどのような意味があるとお考えですか。

>100万人の『若者達』がいれば目標も努力も得たものも100万通りありますが、何年かけて論じるのでしょう。
勿論数字という社会的に一番重視されるモノで語るでしょう。それはアンケートなどですが、
努力観のアンケートよりは十分役に立つと思いますがどうでしょう。

「」に至る経過については、後者に関してはなんとなく覚えています。
大学生が日本は努力が報われないと考えているというアンケートについての発言です。
社会的利益ではなく精神面について論じていました。これが私にとって奇妙に感じられます。

私は精神面については人それぞれとしか答えが出せません。
だからこうあるべきだという論は不思議に感じるのです。

お礼日時:2010/09/27 19:11

私は、つい先日45歳に為りましたが、22~23年前、某大手の飲食系で働いていました。

どうにも売り上げが出来ずに四苦八苦していたら、当時「地区長」との役職の人の台詞、今でも忘れません。『お前ら、気合がたんねぇんだよ!!気合が!!』です。気合で売り上げ上がるなら、【WSW】敗戦国にはなりません・・・。時の流れ移り変わりに、ついていけない(私も含め)役立たずです。『武士は喰わねど高楊枝』『苦労は買ってでも・・』『貧乏は美徳』・・・。人其々、皆、同じでは無いです。まして『無駄』は、有りません!!!その人は無駄と考え、思ってもそれに感化されなくていいんです。










【『コギトエルゴスム』】(すいません、スペルが解らないもので・・・。)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/27 18:56

第3次産業に携わる人間の方が所得が多くなるような社会だったら


「額に汗を流してお金を稼ぐ」ことは馬鹿馬鹿しく思えるでしょう。
また教育によっても、人の考え方は変化すると思います。

したがって精神論と思えるようなことも長い目で見れば、
政治によってコントロール可能なのかもしれません。
ですから、政治と無関係と言えなくもないように思います。

しかし、一般的にそのような発言をするのは
私には、あまり深く物事を考えていない人のようにも見えます。
(私も精神論ばかりで方法論を語らない人間がきらいだからかも)
「国民をその精神構造にするためにどういう政治にしたら良いか」を
その人に語らせるべきでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/27 17:51

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


人気Q&Aランキング