浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか?

親鸞は初めて「肉食妻帯」を行いました。こともあろうに流罪中に結婚したのです。
親鸞には2人の妻がいたという説まであります。
蓮如はなんと5人の妻と関係をもち、27人もの子がいたのです。
「源氏物語」の光源氏は創作でしたが、それ以上ともいえる人物が現実にいたのです。
作家・杉本苑子も蓮如に対し、性に溺れる僧侶の罪深さを痛烈に批判しています。
(これらの場合の妻とは籍を入れる入れないに関わらず、実質的な妻と言う意味)

また明治時代の暁烏敏(あけがらす はや)も、性的欲望に翻弄された僧侶でしょう。
「宗教の自殺」梅原猛 山折哲雄 共著 PHP
「真宗大谷派の宗務総長を務めた暁烏敏などは、歳をとって目が見えなくなっても、
まだ女好きがやめられなくて、あっちこっちに若い女がいた。
それで懺悔し阿弥陀様に、われらごとき煩悩多きものをお助けくださいと
熱い涙を流す。そういうのはやはり甘えです」梅原

現在の日本仏教界の僧侶は真宗だけに限らず、日蓮宗も真言宗も天台宗も、
ほとんどみんな僧侶は妻帯者となってしまった。

日本が中国などを侵略したときだけは、彼らの寺院の僧侶も妻帯者とした。
しかし、戦後は妻帯を認めていません。
日本以外の仏教界で肉食妻帯を認めている国はないのではないか?
(あるのなら具体的に、ご指摘ください)

本来の釈迦仏教は出家が前提で、妻帯などはもってのほか、女人禁制でした。
愛欲と非難され、異性は修行の妨げだった。
それが日本の親鸞になって肉食妻帯を肯定してしまった。
妻がいれば子が出来るのも自然である。そういった世間の煩雑さに僧侶が巻き込まれ、
煩悩の世界から抜け出せなくなる。まさに生臭坊主ではないか?
それを、日本の仏教界全体がほとんど承認し実行してしまった。
これでは修行など出来るものではない。涅槃の境地、悟りの境地など遥かに遠い。

この肉食妻帯は、今や仏教界にとどまらず宗教界全体、宗教団体の教祖にまで蔓延している。
宗教界の腐敗堕落は、肉食妻帯が原因だと思いますが、いかがでしょう?
その腐敗堕落の原因の発信源・発病元は、親鸞であると考えますが、いかに?

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A 回答 (34件中1~10件)

>親鸞聖人に対して、法然上人は『愚管抄』『玉葉』等々当時の代表的な史料には多く名前が現れていますから、当時すでに影響力を持っていたと考えるべきでしょう。



仰るとおり法然上人は同時代の有名人ですね。

もちろん、法然上人の影響力によって、僧侶の妻帯が始まったとは、baka-hageさんも書いておられませんし、私も知りません。

そう読むのは深読みのしすぎと言いますか、書いていないことを想像していることになりますね。

単純に、法然上人は同時代の有名人であるという事実。

親鸞聖人はまったく無名なので仏教界に影響があったとは思えないというのも普通の考えと思いますね。
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>「鎌倉時代において親鸞聖人一人が妻帯を宣言したところで、仏教界がひっくり返ってしまうような大きな影響力があったとは考えられない。

」というのが、otherwindさんの意見だと考えます。もしそうであるならば、私も同意権です。


上記、基本的に、仰る通りです。

誤解を招かないように、追記させてください。

もちろん、上記だからと言って、そのことは、maunder-maxさんの冒頭の疑問が、なにもかも無効であったり、ナンセンスであるという意味は一切ありません。

そういう非難ではまったくありません。

そう誤解されることになるのであれば、それは、書いていないこと、意図の深読みのしすぎと思います。存在しない悪意を想像されていると思います。

親鸞聖人が妻帯したというのが、仮にそのときに親鸞聖人が有名な人物であり、仏教界に大きな影響を与えるような人物であれば…

たとえば、親鸞聖人が当時、仏教界で知られていて、仏教界で尊敬されていたのであれば、妻帯第一号として、そうか、あの親鸞聖人ですら、公に妻帯されたかぁと、その瞬間に仏教界に波紋を投げかけたということはありえると思いますが、実際には、まったく無名、親鸞?だれそれ?しらんなぁ?ですので、とても、親鸞聖人から始まった、親鸞聖人の影響とは考えにくいです。

明治になって親鸞聖人が有名になってから…というのでは、遅すぎますよね。

まあ、maunder-maxさんのご意見によれば親鸞聖人は越後流罪中にご結婚されたのであって、京都におられるときではないようですから、であれば、親鸞聖人は非僧非俗ですから、僧ではないというのがmaunder-maxさんのご意見になるロジックにはなりますが…、そんな、日本のどこかで、僧侶ですらない名前も存在も知られていない誰かが、結婚したからといって、仏教界に大きな影響を与えた、僧侶の妻帯はそこから始まった…とは考えにくいです。

というだけです。

それ以上の意味はありません。

ですから、maunder-maxさんの冒頭の疑問が、なにもかも無効であったり、ナンセンスであるという意味は一切ありません。
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> * 申し訳ありません。

ここのスペースをお借りします。
> 私への批判めいた回答があったようですが、消えてしまったようです。


どなたに仰っておられるのか分かりませんので、頓珍漢であれば、すみません。

もしも、私に何か仰っておられるのであれば、私は、本スレッドにてどなたに対しても「批判めいた回答」をしておりませんので、何か攻撃された等、お気になさらないでくださいね。

大丈夫ですよ。
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 失礼します。

他の方の回答を読んでいて、私も同意権だったので史料的な部分を補足させていただきます。

>>>しかしながら、親鸞聖人は無名の人であったと思いますので、日本の仏教界に影響があったとはとても思えない…という意味です。
>>失礼ながら奇説というか新説ですね。
 この説は真宗史の立場から言えば今や「当たり前の常識」です。
 親鸞聖人は鎌倉時代の仏教界どころか、当時の法然上人の門下のなかでもそれほど重要な位置にいた人ではありません。例えば「七ヶ条起請文(七箇条制誡・七箇条教誡)」です。この「七ヶ条起請文」は比叡山天台宗徒の念仏禁止運動に対して、門下の非行を七ヶ条にわけて誡められたもので、1204年に成立したものです。この中で、お弟子の中では最長老の法蓮房信空上人を筆頭に、西山浄土宗の善慧房証空上人や、法然上人に最後まで御使えした勢観房源智上人等の、歴史的に名の知られる上足の弟子達は前半にまとまっているのに対して、親鸞聖人はやっと真ん中くらいに来てあまり知られていないお弟子達に混じって当時の名前で「釋綽空」と記されています。つまり、法然上人の教団内部ではさほど重要視されていた人物とはいえないわけです。
 それは、法然上人の亡き後の門下をまとめた史料からも読み取れます。1257年成立の七愚勧住信著『私聚百因集』、または1311年成立の凝念著『浄土法門源流章』によれば、法然上人亡き後の教団を「五流」としています。名前だけを挙げますと、幸西上人の一念義、証空上人の西山義(現在の西山浄土宗の流れ)、隆寛上人の多念義、聖光上人の鎮西義(現在の浄土宗の流れ)、長西上人の諸行本願義、の五つです。この中に親鸞聖人のことは一切記されていません。親鸞聖人の流れが存在することが、真宗史料以外の客観的史料で現れる最初は南北朝時代を経て室町時代まで待たなければなりません。それが、1416年成立の浄土宗八代目聖聡上人の『浄土三国仏祖伝集』のなかに初めて「一向義」という名前で紹介されています。つまり、史料的に見れば、法然上人の浄土教団内においても浄土真宗が一宗として広がりを見せるのは、1311年~1416年の間くらいなわけで、親鸞聖人の直接の影響力とはいえません。
 このように親鸞聖人ご自身をは鎌倉時代当時の客観的な史料からは見出すことができません。ですから、鎌倉時代当時の仏教界ならびに、法然上人の教団内においてもさほど大きな影響力をもっていたとは考えられないわけです。

>>法然はあるが、親鸞はないとでも、おっしゃるんですか?
 私は同意権です。親鸞聖人に対して、法然上人は『愚管抄』『玉葉』等々当時の代表的な史料には多く名前が現れていますから、当時すでに影響力を持っていたと考えるべきでしょう。

 私が推察するところ「鎌倉時代において親鸞聖人一人が妻帯を宣言したところで、仏教界がひっくり返ってしまうような大きな影響力があったとは考えられない。」というのが、otherwindさんの意見だと考えます。もしそうであるならば、私も同意権です。

>>しかしながら、明治時代でも、親鸞という人は歴史上存在していなかった、単に、真宗の中だけでの伝説上の人物であろうという説があったわけですから…。
 これはいわゆる明治期にいわれた「親鸞抹殺説(親鸞聖人は実在の人物ではないとする説)」ですね。これは、辻善之助氏の『日本仏教史』によれば、当時を代表する官学者田中義成氏と八代国治氏が唱えた説ですが、研究をおこなって論文発表等の公式な発表ではなく、雑談の中で「親鸞聖人は客観的使用にほとんど出てこないからもしかしたら居なかったのかもね。」と一部の仲間に話しただけのようです。
 しかし、これが真宗側に火をつけます。真宗を学問的に研究する事業が始まり、その中心に居たのが清沢満之という人物です。この人物についてあの司馬遼太郎氏も『この国のかたち』のなかで「清沢の活動がなければ、親鸞は “お他力さん” などと呼ばれる北陸・東海の篤信者に取り囲まれただけの泥臭い存在に終っていたに違いない。この清沢の新解釈がなければ、親鸞の 『歎異抄』 が、昭和初年以後、知識人にとってつねに新鮮な書として印象付けられることもなかったはずである。くり返すが、今日親鸞といえば、ヘーゲルと並べさせても、印象的に違和感を感じさせないというようにしたのは、清沢の力によるものだった。」と評価しています。つまり、親鸞聖人が現在のような評価を獲得するのは、実は明治からになるわけです。

 otherwindさんへ
 私の解釈が間違っていたら、何なりとご指導下さい。

 急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛
 先は文字数の関係で「佛」が飛んでしまいました。申し訳ありませんでした。
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>>親鸞聖人が生きておられた時代に、もちろんいわゆる面授の弟子の方々、家族の方々は、そりゃあ、親鸞聖人という人がいることは、分かっていたとは思いますが、その他の人々、仏教界全体、世界の宗教界全体とか、さすがに、存在もしらない人ばかりではないでしょうか。



>2.何がおっしゃりたいのか、理解できません。

こちらも返信が大変に遅れてしまいました。すみません。

元々のご質問に「浄土真宗の親鸞は、日本の仏教界を腐敗堕落させた張本人ではないでしょうか?親鸞は初めて「肉食妻帯」を行いました。」とあります。

しかしながら、親鸞聖人は無名の人であったと思いますので、日本の仏教界に影響があったとはとても思えない…という意味です。

「日本の仏教界」に影響をあたえるには「日本の仏教界」に知られていないといけないというロジックになると思います。

「日本の仏教界」に知られていない人が「日本の仏教界」に影響をあたえるというロジックには無理があるんじゃないかなぁ~と思ったものです。

江戸時代になってからでも、親鸞という人は僧侶を集めた本などにまったく名前が登場しないわけですよね。

江戸時代と言ったら、ついこの間です。

もちろん本願寺(浄土真宗本願寺派、真宗大谷派)は、とっくの昔に大きいでしょう。

しかしながら、明治時代でも、親鸞という人は歴史上存在していなかった、単に、真宗の中だけでの伝説上の人物であろうという説があったわけですから…。

そうなると、親鸞が非僧非俗ではなくて、僧侶である、仏教界の中にいた人間である、しかも仏教界で有名人である、そしてなおかつ、そういう人間として、初めて妻帯した、それが大変に有名だったので、仏教界に大きな影響を与え、あの親鸞さんですら……となって、みんな、親鸞を仏教者は尊敬していたらから、妻帯するようになった……というようなことは、とても思えません。

非僧非俗というか、愚禿釈親鸞という、まあ、高野聖みたいな人ですかね、今となっては有名ですが、昔はまったく知られていないそういう人間ひとりが結婚していてもしていなくても、とにかく仏教界で存在も知られていない人ひとり、何をしようが、仏教界に影響を与えたとはとても思えません。

妻帯が始まった最初とは時間軸として、とてもとても信じられません。

親鸞が有名になったのは本当にごく最近だと思いますね。

門徒さんの間では御開山さまですから、そりゃあ、昔から有名でしょうという話と、仏教界では無名でしょうという話を、一緒くたに、最初のコメントはしてしまい、分かり難かったようです。

すみませんでした。

この回答への補足

>しかしながら、親鸞聖人は無名の人であったと思いますので、日本の仏教界に影響があったとはとても思えない…という意味です。

失礼ながら奇説というか新説ですね。

>「日本の仏教界」に影響をあたえるには「日本の仏教界」に知られていないといけないというロジックになると思います。

江戸時代ですか?一般庶民ですら親鸞は知っていたはずです。

>「日本の仏教界」に知られていない人が「日本の仏教界」に影響をあたえるというロジックには無理があるんじゃないかなぁ~と思ったものです。

なぜそんなことが言えるんですか?
何の根拠も示されていませんが。

>江戸時代になってからでも、親鸞という人は僧侶を集めた本などにまったく名前が登場しないわけですよね。

その本とは具体的になんですか?法然はあるが、親鸞はないとでも、おっしゃるんですか?
私は何度も具体的な著書の名前と引用をしてくださいと書いていますね。他人を納得させたいのなら、ぜひお願いいたします。

私は具体的著書を掲げられますよ。
江戸時代でしたら井原西鶴の著書にちゃんと載っています。
『世間胸算用』親鸞とその弟子・平太郎殿のことが(巻5-3)
大晦日、住職を尋ねてきた参詣人はわずか3人だった。その訳は~(落ちがあるのでぜひ読んでください)

また蓮如の時代は信長との一向一揆で、真宗は惨憺たるものだったようですが、秀吉の時代や家康の時代は、土地も与えられ寺院を建造しています。彼らが開祖が誰かも知らずに認めるわけがないでしょう。

Wikipedia 浄土真宗
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F% …
京都に再興
「秀吉の時代になると、天正19年(1591年)に、顕如は京都中央部(京都七条堀川)に土地を与えられ、本願寺を再興した。1602年、石山退去時の見解の相違等をめぐる教団内部の対立状況が主因となり、これに徳川家康の宗教政策が作用して、顕如の長男である教如(1558年-1614年)が、家康から本願寺のすぐ東の土地(京都七条烏丸)を与えられ本願寺(東)を分立した。」

つまり貴方のご説には、残念なことに全く信憑性がありません。

補足日時:2010/10/18 00:42
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この回答へのお礼

* 申し訳ありません。ここのスペースをお借りします。
私への批判めいた回答があったようですが、消えてしまったようです。
誤解があるようですので、返信しておきます。

1.すでに冒頭の私の質問でも、
>この肉食妻帯は、今や仏教界にとどまらず宗教界全体、宗教団体の教祖にまで蔓延している。
宗教界の腐敗堕落は、肉食妻帯が原因だと思いますが、いかがでしょう?<
と書きました。

つまり新興宗教、新新宗教などの教祖も、妻帯(複数の妻)が原因で腐敗堕落しているんではないか、と主張したいわけです。

2.創価学会のシンパなどでもありません。
私は過去に創価学会や日蓮、および法華経批判を、回答という形で書き込んでいます。
「日蓮大聖人の折伏について教えてください」
http://questionbox.jp.msn.com/qa6202231.html

3.ご僧侶の回答への返信が遅れているのは事実です。
回答中で、ご紹介いただいた著書・石田瑞麿氏『女犯―聖の性』を現在探しています。

お礼日時:2010/10/20 23:46

 私もすべて書ききれるかは定かではありませんが、できるだけコンパクトにまとめます。



>>『憲法十七条』(694)で仏教、儒教などを重要視していました。
>>当時仏教を真に理解していたのは、太子だけだったとも言われていますが。
 これもちょっと難しい問題なんですよね。確かに文献上仏教の「お説教」を初めて行なったのは聖徳太子です(『三経義疏』)。また、「十七条憲法」第一条の「和を以って尊し」は、『論語』からの引用でもあります。しかし、井沢元彦氏は『逆説の日本史』の中で、聖徳太子の「和」の思想は論語や仏教ではなく、日本がそもそももっていた古代集落を「環(わ)」と呼んでいたことに由来すると述べておられます。まだ仮説の域を出ていませんが、確かに一世紀から三世紀の中国の歴史書『漢書地理志』『後漢書東夷伝』『魏志倭人伝』などでは、日本を「倭」日本人を「倭人」と呼ばれ、後に「大和」になったという事は事実としてあるわけです。ですから、聖徳太子の「十七条憲法」の根底にあったのは、仏教や儒教よりも日本的な感覚だったかもだったかもしれません。

>>腐敗していたのは仏教ではなく、貴族階級だったのではないですか?
 これに関しては専門ではありませんが、そのような見方も出来ると思いますよ。

>>このころの仏教は国家レベルの寺院建立であり、天皇などの病気平癒が仏教に課せられていたのではないですか?
 『日本書紀』の中に、蘇我馬子の病気平癒のために千人の人が出家したという記述があるはずです。

>>一般庶民・平民には普及していなかったのでは?
 ここは仏教の伝来と関わってきます。こちらに書いちゃいますね。少なくとも先に挙げた中国の歴史書は日本のことを述べていますし、仏教公伝以前にまったく仏教徒が日本に来ていなかったとは考えずらい。ただ当時の庶民達仏教伝播の状態に関する史料は私の知識不足かもしれませんが見たことがありません。
 『続日本紀』によれれば「都鄙に周遊して衆生教化す。道俗、化を慕いて追従する者、動もすれば千を持って数う」とあり、奈良時代には行基菩薩の民衆への布教を記しています。

>>初めて、妻帯を肯定し宣言したのが親鸞ではありませんか?
>>親鸞以前に「妻帯肯定宣言」をした僧はいませんよね
 いますよ。
 まずは法然上人。『禅勝房伝説の詞』に「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろずをいといすてて、こえおをとどむべし。いわく、ひじりで申されずば、めをもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、聖にて申すべし。」と述べて、結婚しないと念仏できないなら結婚して念仏しなさいと述べておられます。ただし、法然上人は「念仏の助業と思わずして身を貪求するは、三悪道の業となる。」と説いて、自分勝手な解釈を持って悪行を追求することは、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちる原因になりかねないものと強く誡めておられます。
 もう一人挙げますと、真言立川流の東院阿闇梨仁寛です。仁寛阿闇利は生年は不明ですが、『中右記』によれば、承久二年(1114年)に亡くなっています。真言立川流派は邪宗と見られ史料はほとんどありませんが、批判的史料がいくつか残っています。その一つである『受法用心集』(1268年撰)には「この経の文には女犯は真言一宗の肝心、即身成仏の至極なり。(中略)肉食は諸仏菩薩の内証、利生方便の玄底なり」とあって、この立川流は『理趣経』を根拠に「不二冥合説(男女二根の冥合)」という性交渉による即身成仏を説きました。また、同書には「辺土田舎においては真言師と聞ゆる輩の中に十人が九人は皆是れを密教の肝心と信じあへり。」とあって、田舎の方の真言宗のお坊さんは九割立川流になってしまったそうです。ちなみに最澄さんが空海さんに「本を貸して」と手紙を送って、空海さんが「貸しませんよ」とお断りした『風信帖』という手紙は有名ですが、この時最澄さんが貸してほしかった本が『理趣経』の解説書なんですよ。
 立川流は女犯を即身成仏の至極としてプラスに取られていますが、法然上人や親鸞聖人は女犯をプラスに取えていたわけではありません。例えば、『教行信証』には「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることをよろこばず、真証の証に近づくことをたのし まず、恥ずべし、傷むべし」とあり、その方向性は末法の凡夫であることの自己反省に向かうという特徴があり、女犯は悪行というマイナスと取えています。

 私も半分しか書けませんでした。すいません。書けなかった部分については著作を紹介させていただきます。石田瑞麿氏『女犯―聖の性』には仏教伝来から鑑真和尚の来日までの日本仏教の戒律の変遷が詳しく載っております。
 合掌 南無阿弥陀
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宗教の自殺という題名に即して図式的に説明します。



わかりやすくするために、哲学的思想・倫理的行動・事実認識という3つの側面から見ていきます。

I)一般的仏教

思想
合理的哲学に基づいた宗教 思弁はしない。

行動
人道の実践 信仰の中心は「行」・倫理不幸を増幅しないこだわらない行動・高潔

事実
サンタさんはいない。いるとしたら想像の中であろう。事実とは関係がない。

II)親鸞

思想
俺がいいといったらいい。僧籍なんてくそ食らえ。仏陀なんてたいしたことない。俺が法。
「おすくいを」!と念(演・延)ずればよい。

行動
何でもあり。無戒。悪人であればあるほど成仏度が高いと嘘をつく。仏陀の教えにあやかるのは自由。
仏教の権威を利用し、自分を仏教の中に組み入れる。

事実
うそも方便。念ずればサンタさんもいるかもしれない。

III)キリスト教
思想
聖書に書いてあることは全てただしい。
何が何でも神は存在する。親鸞は低級な教えであり、仏教もそれからおしはかればダメなはず。

行動
他人は戒めを護るべき、俺は他人を監視する立場にある。
他人は厳格な戒律を護るべき・自分は無戒。神に恵まれたものは絶対間違いを起こさないと主張。

事実
サンタさんは存在する。
お前は信じろ。俺は信じるふりをするからだまってろ。

信仰のレベルから言うと
仏教・親鸞のおしえ・キリスト教

という順序ですが、
キリスト教にさえバカにされる根拠を作ったという意味で、
親鸞が直接の自殺を引き起こしたといえるでしょう。

西方浄土といった時点で、キリスト教への改宗の根拠も作っている。

いいかえれば
修行もしないバカと悪人が当然のごとく 何もしないで そのまま救われるといった時点で
愚かな子羊救済の専門家=
キリスト教にも笑われる基礎を創りあげてしまったということです。

現に私の身の回りでキリスト教に親近感があるという人間は、真宗の檀家であることが多いのです。
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>これでは修行など出来るものではない。

涅槃の境地、悟りの境地など遥かに遠い。

ご存じのとおり、親鸞は自らの修行による「涅槃の境地、悟りの境地」を求めているわけではないのですから上記のような批判は、すれ違いになってしまいますね。
また親鸞は僧籍を剥奪され、制度的には僧侶ではなくなっています。

聖職者を男性に限定し妻帯を禁じているのは仏教以外では、私の知識ではカトリックと東方正教会だけかと思います。プロテスタント各派の牧師は結婚しているのが普通ですし、イスラムでも宗教指導者は当然結婚しています。
ということで、肉食妻帯が当然のキリスト教、イスラム教は、maunder-maxさんの説によれば腐敗堕落した宗教という事になります。

これは「自らの行いにより宗教的な高みに至る」と信じるか、「救いは既に予定されている」と信じるかの差異ではないかと思われます。
前者であれば、修行し、独身で禁欲的な生活を行うことに意味を見いだせます。
後者であれば、普通の生活を感謝をもって生活し続けることが、「予定された救いへの道」です。とすれば結婚を禁ずる必用はないのです。
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 《ブッダのおしえが 完成されたものであって ほかに匹敵するものはなく これに随いこれを守るしかない》という考えを批判すれば ご質問の問い方を再検討していただけるのではないか。

こういう考えのもとに みたび投稿します。

 ○ 【Q:ブッダの性愛観は 間違っていませんか?】 
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5145751.html
 ☆ 妻帯するかどうかを問題にしているということは 要らぬことを説いていると見るべきでしょう。そういう趣旨で問うています。

 ○ 【Q:ブッダの美女マーガンディヤー事件】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5121424.html
 ☆ ここで《ブッダ あやまてり》という見方を出しています。求愛を受けたときのその断り方にもんだいがあること。またその後 求愛したマーガンディヤーも その報復を実行に移すというまでにまちがいを侵すのですが その事件に対処するブッダの考えについても もんだいがあると思われること。そのような主題で問うています。

 それらのやり取りを読んでくれといういささか横着な回答の仕方ですが ブッダを擁護する議論も寄せられていますから それとの問答としてもじっくりあたってみてください。


 親鸞は ふつうの存在論ないし人間観に立って ふつうの考え方をしたまでだと考えられませんか。
 つまり上のふたつの問いは・またそこでのうたがいは そのふつうの人間観に立った性愛論をブッダは持てなかったのではないかというもんだいです。
 親鸞は 仏教という枠から飛び出せばよかったかも知れません。ただし ブッダ――ないし 阿弥陀仏――のおしえという系譜の中に自分がいるという認識を変えようとは思わなかったようです。
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 ご招待いたただきましたので、思うところを少し書かせていただきます。



 この、問いの中心にあるのは「妻帯」という事のようなので、これを中心に考えていきたいと思います。
 まず、先に答えておられる方もいらっしゃいますが、仏教が日本に伝来した時(この年代について詳しくはもう一方の方でお書きします。遅くなったらすみません。)には「戒律」が伝わっていません。正確に言うと「戒律を授ける作法」が伝わっていなかったのです。まぁ、戒律が伝わってませんから当初の仏教者の中に妻帯するものがいてもおかしくなかったわけです。
 そして、日本に戒律を伝えたのが鑑真和尚です。仏教伝来は『日本書紀』には552年、『元興寺縁起』『上宮聖徳法王帝説』には538年とあり、文献上は500年代半なのですが、鑑真和尚が来日するのは754年ですから、正確に戒律が日本に伝わるまでに約200年の開きがあるわけです。もちろん、それまでにも仏教研究が進むに連れて戒律を守るまじめな僧達も存在しましたが、正式な戒師を要請せざるを得なくなった日本の状況について安藤更正氏は『人物叢書鑑真』のなかで、僧尼の堕落が指摘されています。律令制度の混乱により税金逃れのために僧侶になるものも相次いだようで、政府は禁令等を出したのですが歯止めがきかず、このような混乱状態を防ぐには正式な戒律を与えた僧侶を育成する方が早道と考えたようです。
 このように、正式な戒律の伝来が遅れたことが日本における仏教者の妻帯一要因といえます。

 しかし、仏教者の妻帯の要因は私はこれだけではないと考えています。これには仏教伝来以前の日本人がそもそも持っていた宗教観も大きく関わっていきます。日本の宗教者達は仏教が日本に伝わるとともに、「聖(ひじり)」と呼ばれるようになります。この「聖」という言葉について、江戸時代の本居宣長は『古事記伝』のなかで「日知り」として、天気予報をしたり日本は農耕が中心ですからどの季節に種をまけばいいかなどを人々に教えていたのではないか考えたようです。また、五来重氏は『高野聖』のなかで、聖なる火を管理する「火知り」に由来があり、起源は非常に古いとしています。『古事記』には「聖帝」、『日本書紀』には「聖皇」と、天皇のことを呼んでいることからも、いわば原始的な「宗教指導者」をあらわしたようです。五来重氏によれば、彼らは強い呪力を身につけるために一定の期間山林にこもり厳しい修行をおこなっていた。しかし、修行の期間は一定の時間的制限であり、それ以外の時間は肉食妻帯をすることや生産活動に従事することは至極当然のことと考えられていたようです。
 そして、特筆すべき点はこういった聖が仏教の伝播とともに、仏教徒となり仏教の布教に大きく貢献していたという事です。つまり、日本仏教は教団に所属した正規の僧侶はもちろんのこと、それ以外の聖の力も大きく関わっているわけです。
 こういった聖の史料として「三州俗聖起請十二箇条事」が挙げられます。この中には「(性交渉によって)道が妨げられること自体がいぶかしい」とあり、道心(求道心)さえ堅固であれば日常生活を営むこともかまわないと言う立場が記されています。
 浄土真宗の人間は「親鸞聖人こそが肉食妻帯した最初の僧侶だ」といいたがるのですが、これは間違いといわざるをえません。「三州俗聖起請十二箇条事」は「寛弘元年」とあり、西暦では1004年ですから、親鸞聖人から遡ること170年ほど前になります。
 また本願寺三代目覚如上人の『改邪鈔』には「教信沙弥のごとくなるべし」とあり、親鸞聖人は教信沙弥という聖に憧れを持っていたようです。この教信沙弥は『今昔物語』に記述があり、貧しい暮らしをしながら、家族をもって、小さな草庵に住み、みんなで念仏しながら暮らし、亡くなって犬や鳥の餌になったという方です。こんな方が親鸞聖人より前にいたわけです。

 このように見てまいりますと、
>>腐敗堕落の原因の発信源・発病元は、親鸞であると考えますが、いかに?
ということは、私にはいえません。親鸞聖人以前にはもうすでに肉食妻帯をよしとする風潮は存在していました。こういった問題に関して、単に仏教の戒律に違反しているという視点だけでは語りつくせない問題をはらんでいると考えています。

>>日本以外の仏教界で肉食妻帯を認めている国はないのではないか?
 まずは韓国。ただ、こちらは日本仏教の影響ですから、純粋に韓国の思想とは呼べないですかね。あとは詳しくありませんが、チベット仏教のニンマ派サキャ派などは妻帯は良いそうですし、それに付属してネパールの仏教も妻帯が許されているそうです。
 肉食はタイやスリランカの上座部では問題ありませんよ。

 急ごしらえのため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀佛

この回答への補足

無理にお願いしたようで恐縮です。
真宗のご僧侶から直々にご回答いただき、たいへん嬉しく思っております。
具体的な著書の数々の紹介、大変参考になります。

>正確に言うと「戒律を授ける作法」が伝わっていなかったのです。まぁ、戒律が伝わってませんから当初の仏教者の中に妻帯するものがいてもおかしくなかったわけです。そして、日本に戒律を伝えたのが鑑真和尚です。
 
1.鑑真和尚は非常にまじめで誠実なご僧侶だったようですね。
 それまで戒律が無かったとは驚きです。
 
 >仏教伝来は『日本書紀』には552年、『元興寺縁起』『上宮聖徳法王帝説』には538年とあり、文献上は500年代半なのですが、

2.はい、それは別の質問者さんへの回答で、『日本書紀』の552説は作為的ではないかと指摘させていただきました。その返信はまた別にお待ちしています。

>鑑真和尚が来日するのは754年ですから、正確に戒律が日本に伝わるまでに約200年の開きがあるわけです。もちろん、それまでにも仏教研究が進むに連れて戒律を守るまじめな僧達も存在しましたが、

3.聖徳太子はどうなのでしょうか?
『憲法十七条』(694)で仏教、儒教などを重要視していました。
当時仏教を真に理解していたのは、太子だけだったとも言われていますが。
552年仏教伝来作為(説)に引用した『新編 日本仏教思想史』によると、
『憲法十七条』には「浄土思想は全く見られない。太子には如何なる種類の浄土であれ、浄土信仰はなかったと推断せざるを得ない」p55
「この憲法の目的は、中央集権の政治制度を整えようとするのではなく、
腐敗した貴族官僚を教え戒めて、政治を実質的に改革しようとすることにあった」p56

腐敗していたのは仏教ではなく、貴族階級だったのではないですか?
このころの仏教は国家レベルの寺院建立であり、天皇などの病気平癒が仏教に課せられていたのではないですか?
一般庶民・平民には普及していなかったのでは?

>正式な戒師を要請せざるを得なくなった日本の状況について安藤更正氏は『人物叢書鑑真』のなかで、僧尼の堕落が指摘されています。

4.私はいままで、そういった僧侶の堕落の記述は読んだことがなかったのですが、
指摘されて探してみたところ、いくつかの著書にもありました。
ただ、具体的僧侶の名前や、僧侶の妻帯について肯定的に主張している人物はいないようです。本来は修行の妨げになるので公では否定し、裏では妻帯している。本音と建前がある。
それを初めて、妻帯を肯定し宣言したのが親鸞ではありませんか?
親鸞以前に「妻帯肯定宣言」をした僧はいませんよね。

>律令制度の混乱により税金逃れのために僧侶になるものも相次いだようで、政府は禁令等を出したのですが歯止めがきかず、

5.私度僧ですね。農民・百姓なども多く、私度僧になったようです。
当時の農民への税金・課役の過剰な搾取、重労働が原因ではないでしょうか?
貴族階級の横暴さ、腐敗の方が問題だと思います。

>このような混乱状態を防ぐには正式な戒律を与えた僧侶を育成する方が早道と考えたようです。

6.農民の浮浪と勝手な出家の禁止ですね。717年です。
この頃は私度僧が氾濫していたのでしょう。
ところが鑑真が来日したのは754年ですね。私度僧の取り締まりがされた後です。
またそれよりずっと以前に律令国家として日本は成立していました。673年ころより。
律は唐の「五刑」を採用し、日本では「五罰」としました。大宝律令は701年制定。
最悪は死刑、次が流罪(近流・中流・遠流)親鸞の流罪は越後でしたから中流でしょうか?また「八虐」もあり、最悪が「謀反」で天皇殺害、国家転覆罪ですが、下から3番目に「大不敬」があり、神社仏閣の破壊、祭具盗賊などとなっています。
 以上、『新詳日本史』浜島書店 p60~63
 
「僧尼令」も、やはり大宝律令と同じ年のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%A7%E5%B0%BC% …
「飛鳥浄御原令に僧尼令の名称が存在した形跡は無く、大宝令が初出であるとされる。『続日本紀』には施行前の大宝元年6月1日(701年)に道首名が大安寺で僧尼令の講説を開いたことが記述されている。」
 上記著書にも「僧尼令が定める刑罰」の一つに、「還俗」がすでにあります。
 「酔乱した場合などは僧尼という特権的身分を剥奪」と書かれています。p71
 妻帯にはふれていないようです。私は私度僧でなく正式な僧は妻帯をしていなかったと見ています。法然の浄土教の僧侶でさえ、妻帯は特異なことでした。それついては後で著書からの引用をします。

*文字制限になってしまいました。まだ1/3にもなっていませんがUPします。

補足日時:2010/10/12 12:10
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この回答へのお礼

続きです。

鑑真が来日以前にも律令制、僧尼令や私度僧禁止など、貴族だけでなく僧侶に対しても厳しい制約を設けていたのが、事実だったのではないですか?

また鑑真が戒律を日本に初めて伝えたようですが、
「聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇に戒律を授けた」と書かれています。
 上記著書 p64
授けたとはどういう意味でしょう?この戒律の意味は「権威付け」と考えるのが自然ではないでしょうか?

>このように、正式な戒律の伝来が遅れたことが日本における仏教者の妻帯一要因といえます。

7.戒律と言うか、本来僧侶でない私度僧が氾濫し、「税金逃れの僧もどき」が横行した結果ではないでしょうか?いわゆる「偽坊主」でしょう。偽坊主ですから妻帯していても不自然ではなく、罪の意識もなかったのでしょう。
私度僧の中にも、まじめに仏教に取り組んでいた人もいるでしょうが。
「僧兵」も実は僧侶ではなく、地方武士出身者や山法師だそうですね。
繰り返しますが鑑真が来日以前にも「僧尼令」「私度僧禁止」があったのですから、
戒律がなかったとは言えないと思います。また鑑真の戒律は中国仏教の認定であり、
日本側からすれば「権威付け」であったということではないでしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%91%91%E7%9C%9F 鑑真
「仏教では、新たに僧尼となる者は、戒律を遵守することを誓う必要がある。戒律のうち自分で自分に誓うものを「戒」といい、サンガ内での集団の規則を「律」という。戒を誓うには、10人以上の正式の僧尼の前で儀式(これが授戒である)を行う必要がある。これら戒律は仏教の中でも最も重要な事項の一つとされているが、日本では仏教が伝来した当初は自分で自分に授戒する自誓授戒が行われるなど、授戒の重要性が長らく認識されていなかった」
これも私度僧禁止と、正式な僧であるという認定と権威付けでしょう。
妻帯云々についてはふれていないようですが。

>しかし、仏教者の妻帯の要因は私はこれだけではないと考えています。これには仏教伝来以前の日本人がそもそも持っていた宗教観も大きく関わっていきます。

8.日本古来の神は、非常に性に対して大らかで、罪の意識はありませんね。
いざなぎのみこと、いざなみのみことが交わって、日本の島々が誕生したという
「国生み神話」もありますね。ただこれは中国などに元々あった神話の借り物というのが定説ですよね。中国も性に対して大らかではないんですか?『金瓶梅』はいつの時代だったでしょうか。インド古来の神話・ヒンズー教もシヴァ神は、破壊神であり性の神ですよね。

>日本の宗教者達は仏教が日本に伝わるとともに、「聖(ひじり)」と呼ばれるようになります。

9.それはいつの時代からですか?初めからではないと思いますが。
ひじり、という言葉を聴くと、修験道のイメージが沸くのですが。

>この「聖」という言葉について、江戸時代の本居宣長は『古事記伝』のなかで「日知り」として、天気予報をしたり日本は農耕が中心ですからどの季節に種をまけばいいかなどを人々に教えていたのではないか考えたようです。

10.現在の「気象予報士」的人物を指していたと?
だとすると、逆に僧からは遠くなってしまうようですが、
僧は一般的にそのようなことをしますか?
雨が降らないときは、雨乞いをしたようですが、予報まではしなかったんではないでしょうか?具体的そのような予報をしていた、僧侶のお名前を挙げていただけませんか?
>また、五来重氏は『高野聖』のなかで、聖なる火を管理する「火知り」に由来があり、起源は非常に古いとしています。『古事記』には「聖帝」、『日本書紀』には「聖皇」と、天皇のことを呼んでいることからも、いわば原始的な「宗教指導者」をあらわしたようです。

11.たいへん興味深いですね。
卑弥呼は巫女でしたよね。そして政治的統治者でもあった。
政治的決断を占いで行った。亀甲占いですか?そのとき火も使いますね。
「火知り」と関連がありそうです。
また卑弥呼は日食を事前に予測できなかったので、シャーマンの資格はないとして殺害されたという説もありますね。(248頃)それが「天の岩屋戸隠れ」の神話に転化されたと。
これが事実なら「日知り」と関係がありそうです。

* 後半部分は入りそうもありません。

お礼日時:2010/10/12 12:56

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>>浄土真宗ではなぜ僧侶に肉食妻帯が許しているのですか。
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現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろずをいといすてて、こえおをとどむべし。いわく、ひじりで申されずば、めをもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、聖にて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家にいて申すべし。自力衣食にて申されずば、他人に助けられて申すべし。他人に助けられて申されずば、自力衣食にて申すべし。一人にて申されずば、同朋とともに申すべし。共行して申されずば、一人籠居してもうすべし。衣食住の三は念仏の助業なり。これすなわち、自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業なり。

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 それに対して親鸞聖人は、「もし仏道を行ずる者が、前世からの定めによって女とちぎらねばならぬ宿命ならば、私自身が 女の身となってめとられよう。そうして一生涯汝を荘厳して、臨終には導いて極楽に生れさせよう」という観世音菩薩からの夢告を受け結婚に踏み切ります。この夢告はまさに、妻帯を念仏を称えるたの行為として捉えたものであって、『禅勝房伝説の詞』でいえば「ひじりで申されずば、めをもうけて申すべし。」にあたる部分であるといえます。
 このように考えた時、法然の持戒も、親鸞の妻帯も、念仏を助けんが為のものであって、まったく同じ意味を持った行為と位置づけられます。
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 つまり、浄土教の姿としては、結婚しようがしまいが、戒律を守ろうが守るまいが、どちらにしても、ただただお念仏を称えることを重視するものといえます。

 次はそれぞれの質問に対して個別に見て生きましょう。

>>浄土真宗ではなぜ僧侶に肉食妻帯が許しているのですか
 また、『親鸞聖人正明伝』等の伝記によれば、法然上人の熱心な信者である九条兼実(月輪殿下)に「阿弥陀様の本願が差別なく全てのものを救うというのであれば、御弟子の中より一人、一生不犯の僧を一人選び出して結婚させて末代の在家の者が、男も女も差別なく往生できることを姿で証明いしていただけませんか?」と問われ、観音菩薩より夢告を受けていた親鸞聖人に白羽の矢が立ったというお話があります。
 この物語は全て創作であるとする意見が強いのですが、それだけで切り捨ててしまえば身も蓋もありません。別に科学をやってるわけじゃないんですからねぇ。この物語はどのような思いで創作されたか、どのような教えを伝えようとしたかを、考えることをやめてしまうのも「つまんないなぁ」と私は思いますがね。
 話を戻しまして、この物語によれば親鸞聖人の肉食妻帯は「全てのものが救われることを証明するため」と言えます。
 諸説あるものの六世紀半ばに仏教が日本に伝来した当初は、戒律が整備されておらず鑑真和上が来日するまで日本仏教界は正式な戒律をもたない状態にあって、妻帯する仏教者も数多く存在したようです。その後も、公然ではないものの他宗の中にあっても妻帯するという伝統はありました。他宗で寺の奥さんを「寺庭婦人」「大黒様」と呼ばれるのはその名残です。また、住職の息子を「真弟子」と呼んだりしていました。しかし、江戸時代に入っても真宗僧侶の肉食妻帯に対する批判をするものは多く存在していました。
 さて、妻帯ということに関してですが、これは宗教的な非常に特殊な戒律です。五戒を見ても不邪淫戒 はある意味特殊な戒律です。他の不殺生戒(殺しちゃ駄目)・不偸盗戒(盗んじゃ駄目)・不妄語戒(嘘ついちゃ駄目)・不飲酒戒(お酒飲んじゃ駄目)は、一般的な常識にも通じる所があります。 しかし、不邪淫戒はそうではありません。確かに現在は「夫婦以外の人とエッチちゃ駄目」という意味で解釈されたりしますが、本来は「エッチ禁止」ですし、僧侶になるということはこちらの意味で捉えるべきでしょう。つまり、人間が動物としてもつ繁殖するという本能を否定しています。この「不邪淫戒」のような戒律は他宗教にも見出すことが出来、どうやら聖(宗教者)と俗(一般人)を分ける大きな要素といえるでしょう。つまり、妻帯しない(またはバレない)ということが宗教者としての権威を守ることになっていたわけです。
 どうしても、「宗教者は偉いから救われるけど、一般人は偉くないから救われない。」もしくは「自分達のできないことをするから聖職者なんだ。」という風潮は今の日本にも消えません。そんな中、真宗の僧は妻帯し続けた。それが、親鸞聖人の伝記の中に現れる九条兼実の願いとなるのです。「どんな者でも救われる」それを言葉ではなく、自分自身をもって示していくことに意味を見出していったわけです。

>>また無戒であるのはなぜでしょうか
 これは、「非本願だから」という事がいえるでしょう。中国浄土教の大成者善導大師の『観経疏』には
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と説かれ、「南無阿弥陀仏」を称えることが阿弥陀仏の本願に順ずると説かれます。では、なぜ阿弥陀仏はお念仏を本願に定めたかといえば、法然上人は『選択集』第三章の中で「聖意測り難し(仏の御心は、我々には到底測ることはできない)」としながらも、法然自身の試みとして念仏が選ばれた要因を説かれています。その中に、難易の義というのがあり、難易とは、どちらが修し難くどちらが修し易いかということです。ここでは念仏が易行であり、諸行は難行ということになります。
 法然上人は『選択集』第三章において「念仏は易き故に一切に通ず。諸行は難き故に諸機に通ぜず。」と説いておられます。念仏は簡単ですからいつでも・何処でも・誰でもできます。諸行は難しいことですからそれなりの才能やその人の置かれた環境、財力とうの特定の条件を満たした人しか修することはできません。もし本願の行が像造起塔(仏像を作ったり、仏塔・寺院を建立する)だったとしたら、貧乏な人たちは往生できないことになってします。金持ちの人は少ないけれど、貧乏な人はとても多くいます。もし、智慧高才(才能にも優れて智慧もすばらしい)ということが往生の行であったらば、愚鈍下智のものは絶対往生できなくなってしまいます。他に多聞他見(仏本人から教えを多く聞き、仏を近くで見ていた人)と少聞少見、持戒持律と無戒破戒の比較の例を挙げて、他の諸行も同じであるとして、阿弥陀仏は一切の衆生を平等に救済するために念仏という易行をもって本願に選択されたのです。ここで言う易行とは安易な行という意味ではなく「一切の人々ができる行」という意味で念仏行の普遍性を説くのです。
 阿弥陀仏は「造像起等」「智慧高才」「多聞多見」「持戒」ではなく「念仏」のみを本願に選ばれた。だから、「戒律を守らなければ、往生できない」などとは説けないのです。阿弥陀仏は全ての人を救うための本願だからこそ「念仏」をお選びになったのですから、その言葉を信じるほか我々にはないわけです。
 先ほど妻帯についての部分でも申したとおり、「どんな人でも救われる」ことを旨とする真宗僧は「無戒」でいることで、「私などでも救われるのですから、あなたが救われないわけがない」ということを体を持って表わしているわけです。

 まぁ、偉そうに長々述べましたが、私は好きな女性が出来たので結婚しましたし、また戒律は「守らない」のではなく「守れない」のです。けれども、こんなどうしようもない私を思ってくださる阿弥陀さんがいてくれる。なんかそれだけで嬉しいんですよ。
 読み返してみますとまとまりのない乱文どうぞお許しください。こんな文章でも参考にしていただければ幸いです。
 合掌 南無阿弥陀佛

 少しばかりお話をさせていただきます。
>>浄土真宗ではなぜ僧侶に肉食妻帯が許しているのですか。
>>また無戒であるのはなぜでしょうか。
 これは日本浄土教に通じる質問であると考えます。親鸞聖人のお師匠様である法然上人は、『禅勝房伝説の詞』のなかで

現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろずをいといすてて、こえおをとどむべし。いわく、ひじりで申されずば、めをもうけて申すべし。妻をもうけて申されずば、聖にて申すべし。住...続きを読む

Q愚禿釋親鸞

[1] なぜ「愚禿」といふ名を選んだのですか。

[2] 「愚禿釋親鸞」は、「愚禿釋・親鸞」ですか、「愚禿・釋親鸞」ですか。
「ここに愚禿釋の親鸞、よろこばしきかな西蕃月氏の聖典、東夏日域の師釋、あひがたくしていまあふことをえたり、ききがたくしてすでにきくことをえたり。」
(親鸞『教行信証』金子大栄校訂 岩波文庫 24ページ 序)
と書いてあるので、「愚禿釋・親鸞」だとずつと思つてゐたのですが、ネット上では「愚禿・釋親鸞」もあるやうです。
http://ryoukakuji.net/04butuji/okamisori_index.html

Aベストアンサー

こないだはどうも。真宗のボーズと呼ばれているものです。

>>[1] なぜ「愚禿」といふ名を選んだのですか。
 この愚禿の「禿」の字ですが、今は髪の毛がない事ですが、ここでは禿は「かむろ・かぶろ」という事で、剃髪したあと伸びてきたから剃るでもなく、伸ばして髷を結うわけでもない、ぼさぼさ頭を指します。この「禿」という言葉の根拠を経典から調べますと、『涅槃経』(いわゆる大乗の『涅槃経』です)の中に、

戒を破り法を護らざる者を禿居士と名づく。
爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是の如き之人を名づけて禿人と為す。

とあり、禿とはいわば「偽物の坊さん」という意味で説かれます。また、日本仏教においても伝教大師最澄は「入山発願文」の中で、自身の事を

愚中の極愚、狂中の極狂、塵秃の有情、低下の最澄

と述べ、この文中から「愚」「禿」双方の文字を読み取ることができます。こういった、自己反省は浄土教の流れの中には強く受け継がれ、 恵心僧都源信は『往生要集』序に自身の事を「予がごとき頑魯のもの」と述べていますし、法然聖人も自身の事を「愚痴の法然房」と述べています。
 特に愚禿という言葉は、親鸞聖人を法然聖人のもとへ導いた兄弟子聖覚法印が『十六門記』の中で

愚禿。此篇を記するに身毛爲竪て雙眼に涙を浮ぶ。

とあって、自身の事を愚禿と呼び、法然聖人の事を思い起こしながらその時のことを書いている最中に涙が浮かんでいると記しています。この聖覚法印は『唯心鈔』の著者であり親鸞聖人に大きな影響を受けた人物としても知られます。
 また、親鸞聖人は『教行信証』化身土巻に

僧にあらず俗にあらず。このゆえに「禿」の字をもって姓とす。

として、愚禿とは「非僧非俗」の名乗りとしておられますが、この非僧非俗の語は『徒然草』に影響を与えたといわれる『一言芳談抄』の中で

賀古の教信は、西には垣もせず、極楽との間をあけあはせて、本尊をも安ぜず、聖教も持せず、僧にもあらず俗にもあらぬ形にて、つねに西に向かいて念仏して、其餘は忘れたるが如し

とあります。この書物は1297年から1350年ごろ成立と考えられますので、1263年に亡くなっている親鸞聖人が御生前『一言芳談抄』自体を見たとは考えられませんが、『一言芳談抄』の中に登場している教信沙弥に親鸞聖人はあこがれていたようです。それは、三代目覚如上人は『改邪抄』の中で親鸞聖人が「我は是加古教信沙弥の定なり(私は加古の教信沙弥みたいになりたい)」と常におっしゃっていたとあります。きっと、この『一言芳談抄』に収録されている言葉をどこかで目にしておられたと考えられます。
 このように親鸞聖人の「愚禿」という名乗りは数多くの方から影響を受けて成立したお考えであることが分かります。そして、この愚禿という言葉を流罪より亡くなる直前まで使い続けたの親鸞聖人のお考えの根幹に通底てしているのは、浄土教的な自分自身への反省であると考えます。親鸞聖人の師法然聖人は『往生大要抄』の中で

初めには我が身のほどを信じ 後には仏の願を信ずるなり

と御示しになり、お念仏の教えの始まりはまず自分自身の愚かさを知ることとしています。そして愚かさを知るからこそ、そんな愚かな自分を仏にしてやりたいという阿弥陀仏の本願のありがたさを本当の意味でいただけるとしています。この深い自己反省こそがお念仏の教えにおいては大変重要になります。
 しかしながら、親鸞聖人のひひ孫存覚上人は『六要鈔』の中で

「 愚禿」というは、「愚」はこれ憃なり。智に対し、賢に対す。聖人の徳は智なり、賢なり。実には愚憃にあらず。今「愚」というは、これ卑謙の詞なり。「禿」は称して姓と為す。

として、いわば謙遜の詞としておっしゃったとし、また『歎徳文』のなかでは親鸞聖人自らが末法の世に住まう凡夫の状態を示して阿弥陀仏がそんな凡夫を救いたいという心を示すために「愚禿」と名乗られたのだともしています。しかし、この存覚上人の説には私は賛同しかねます。
 私は愚禿の名乗りはそういった謙遜や教化のための言葉ではなく、やはり親鸞聖人自身の深い自己反省からなる語であると思います。この愚禿が表す非僧非俗と似た言葉に半僧半俗という言葉がありますが親鸞聖人はお使いになりません。そう考えるとき非僧非俗という言葉の中には、現実の自己への否定と、他者への肯定が内在しているように感じます。
 まず「僧」とはどのような人々を指すかといえば、「親鸞聖人御消息」の中において

聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真 言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。

と説いて、親鸞聖人は他宗の自力の修行者たちの事を否定していません。他宗の修行者たちは人々に仏教とはこれほど厳しいものであると教えてくださる仏たちであると考えておいでです。そして、心の底から人々のため修行に励む人たちを尊敬し、「僧」としていると考えられます。
 そして、「俗」に関しては直接あらわした言葉を見出すことはできませんが、親鸞聖人は『一念多念文意』の中で

「恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前」といふは、「恒」は、つねにといふ、「願」はねがふといふなり。いまつねにといふは、たえぬこころなり、をりにしたがうて、ときどきもねがへといふなり。いまつねにといふは、常の義にはあらず。

として、お念仏の教えにおいて「つね」という時は、「常」ではなく「恒」という意味で、「恒」とは俗事に追われながらも、朝晩のお勤めや法要等の何かのおりに思い出して、お念仏を称えて極楽往生をねがう事とされています。まさにこれは俗人の姿です。このように世俗にまみれながらもお念仏に励む姿を「俗」していると考えられます。
 しかし、自分に目を向けてみれば、人々のために修行に励む僧にもなりきれず、俗事に追われながらもお念仏を称え素朴に生活を送る人にもなりきれない。そんな僧にも俗にもなりきれない自分を非僧非俗とし、「愚禿」と称しておられると考えます。


>>[2] 「愚禿釋親鸞」は、「愚禿釋・親鸞」ですか、「愚禿・釋親鸞」ですか。
 これはですね、いろいろ分類の仕方もあると思いますが、細かく分けるとしたら「愚禿・釋・親鸞」となるかと思います。愚禿に関しては上述の通りです。
 では、「釋」はどのようなものかといえば、これは中国の訳経家釋道安に由来する釈号と呼ばれるものです。釋道安には多くの功績がありますが、この方は四世紀頃の人なのですがこの当時の僧侶は安とか支とか竺とか康という姓を名乗っている人が多いのですが、釋道安は「すべての僧侶はお釈迦様の弟子(釋子)なのであるから、釋を姓とすべきである」として自らも釋道安と名乗っています。これは、釋道安独自の見解ではなく、経典によるもので『増一阿含経』の中に

四河は海に入りて、本の名字なく、同一鹹味の海水となる。四姓亦如来所において出家学道せば本姓なく、沙門釋子と称すべし

とあって、当時のインドはカースト制という身分制度に区切られておりましたが、名前を聞くだけでその身分が分かってしまったようです。ですが、お釈迦様は『スッタニパータ』第三章の中で

650 生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。

とあって、人は生まれによってバラモン(ここでは聖者というぐらいにとらえてください。)になるのではなく、行いによってバラモンになるとおっしゃっているように、真理を求めるのに身分は関係ないという立場でした。ですので、出家者となったならば、身分制度の名前を捨てて、仏弟子(釋子)であると名乗りなさいとしたようです。しかし、この経典が中国に輸入された際、仏弟子という意味であった釋子という言葉が釋道安によって姓として解釈されできたのが釋号という事になります。
 親鸞聖人が「親鸞」と名乗る前のお名前に関しては「綽空」「善信」という名前であったことが知られますが、元久元年(1204年)親鸞聖人が法然聖人から『選択本願念仏集』の書写を許された際、その書写を終えて法然聖人に提出すると、法然聖人がの冒頭に

「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と「釋綽空」

と直々に内題を書いてくださったと『教行信証』化身土巻の後序に記しておいでです。またここには、次の年法然聖人の真影(姿を描いたもの)を制作し法然聖人に提出するときに名前を善信と改めたとあります。また、そのことについて親鸞聖人の門下である性真上人の『親鸞聖人血脈文集』の中で、その真影に法然聖人が

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現 在成仏 当知本誓 重願不虚 衆生称念 必得往生 南無阿弥陀仏 釈善信

と書いてくださったとありますので、綽空の時代も善信(こちらの名前は晩年も使っています)の時代も親鸞と御名乗りになっても釋号は変わらず使っておられます。
 上述のように、「釋」の字は釋号というもので、わたくし個人的には「愚禿・釋・親鸞」と分解した方がわかりやすいように思います。

急ごしらえの為、誤字脱字乱文ご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛

こないだはどうも。真宗のボーズと呼ばれているものです。

>>[1] なぜ「愚禿」といふ名を選んだのですか。
 この愚禿の「禿」の字ですが、今は髪の毛がない事ですが、ここでは禿は「かむろ・かぶろ」という事で、剃髪したあと伸びてきたから剃るでもなく、伸ばして髷を結うわけでもない、ぼさぼさ頭を指します。この「禿」という言葉の根拠を経典から調べますと、『涅槃経』(いわゆる大乗の『涅槃経』です)の中に、

戒を破り法を護らざる者を禿居士と名づく。
爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家す...続きを読む

Q正信偈 浄土真宗と真宗

私の家は浄土真宗なので浄土真宗の正信偈のCDを買おうと
思いましたが視聴をしましたら、真宗の正信偈のCDの方が
昔聞いていたものに近い感じでした。浄土真宗と真宗の正信偈は
全然違うものですか?それとも正信偈というお経は同じで、
読んでいる方が違うので、違うように聞こえるだけですか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ごく一般的に言いまして、「真宗」というのは、「浄土真宗」のことです。
「浄土真宗」には、
本願寺派・大谷派・仏光寺派・高田派・木辺派・興正派・出雲路派・山元派・誠照寺派・三門徒派
の10派があります。
「本願寺派」が「浄土真宗本願寺派」と名乗る以外は、「真宗大谷派」「真宗仏光寺派」……というように名乗っておられるようなので、質問者さまのお宅は「本願寺派」ということなのでしょうか。

具体的にどう違うかなどは専門家ではないので分かりませんが、派によって経典の読み方(節回しなど)は微妙に違うようです。
『正信偈』という書物は一つしかありませんので、派による読み方の違いがあるだけだと思います。
派によって異本(書写しているうちに多少の写し違い)があったりするかもしれませんが、大きく変わることはないと思います(このあたりも専門家ではないので断定はできませんが)。

Q親鸞の「横に超える」とは?

親鸞について読んでいたら、「横超」という考え方を目にしました。

仏教で悟りを求めて、修行をして、戒律を守って自分を高めて
縦に超えて行くのはイメージとしてよくわかるのですが、
親鸞の横に超えるというのは、正直よくわかりませんでした。

どなたか親鸞に詳しい方の解説をお願いします。

Aベストアンサー

 どうも、真宗のボーズと呼ばれているものです。今報恩講シーズンで忙しいもんで、手短に書かせていただきます。
 この横超の語の説明として親鸞聖人の文章でわかりやすいのは『愚禿抄』の冒頭の文章かと思います。とりあえず引用しますと

聖道・浄土の教について、二教あり。
 一には大乗の教、二には小乗の教なり。

大乗教について、二教あり。
 一には頓教、二には漸教なり。

頓教について、また二教・二超あり。
二教とは、
 一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。
 二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
二超とは、
 一には「竪超」即身是仏・即身成仏等の証果なり。
 二には「横超」選択本願・真実報土・即得往生なり。

漸教について、また二教・二出あり。
二教とは、
 一には難行道聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。
 二には易行道浄土の要門、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教なり。
二出とは、
 一には「竪出」聖道、歴劫修行の証なり。
 二には「横出」浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。

とあります。親鸞聖人は大乗仏教を「竪超」「横超」「竪出」「横出」で分類をしています。
 まず、竪横の違いですが、「竪」というのは、自力によって悟りを開くという考え方を表します。「横」とは極楽に往生して悟りを開くという事を表します。
 次に、超出の違いは、「超」は突然悟り、または悟りの世界が開かれるということです。「出」は徐々に悟りを開く、徐々に悟りの世界へ近づいていうことです。
 これを組み合わせますと上述のの四通りの悟り方があるという事になります。
 「竪超」は、何かのきっかけにハッと気が付いて突然悟りを開くこと。
 「竪出」は、長い時間をかけて段階を踏んで煩悩を消し去って、悟りに近づくということ。
 この二つを、自力の教えであるとしています。質問者のいう、

>>仏教で悟りを求めて、修行をして、戒律を守って自分を高めて
>>縦に超えて行くのはイメージとしてよくわかるのですが

というのは「竪出」のイメージかと思います。
 「横出」は、長い時間をかけて段階を踏んで煩悩を消し去って極楽浄土に近づくということ。
 このことを、他力の中の自力という書かれ方をしています。

 最後に本題の「横超」は順番に見てきたとおりの考えでいうと、煩悩にまみれているはずの人間に突然極楽往生というものがあたえられるという事になります。これは「正信偈」の中では、

煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり

とあって、煩悩を持つものが突如として仏の悟りへと導かれると説かれている部分がそれでしょう。
 このことがどのようなプロセスによって起こるかについては、『教行信証』信巻において

横超とは、本願を憶念して自力の心を離る、これを横超他力と名づくるなり。これすなはち専のなかの専、頓のなかの頓、真のなかの真、乗のなかの一乗なり。これすなはち真宗なり。すでに真実行のなかに顕しをはんぬ。

と説かれ、横超はすべて真実の行つまり南無阿弥陀仏を称えることに集約をされているとしています。そして、親鸞聖人は私たちの称える南無阿弥陀仏を聞けといいます。

しかるに『経』(『無量寿経』の下巻「聞其名号信心歓喜乃至一念」の中)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。「一念」といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。


私たちの称える南無阿弥陀仏は、そのまま阿弥陀仏が浄土に往生させようと働いてくださっている姿そのままであったと聞こえた時、それが信心であり、この信心が極楽往生の正因であるとしています。

 つまり横超とは、煩悩にまみれた凡夫が、南無阿弥陀仏と称える中で、自分で称えていたはずの南無阿弥陀仏が自分の声ではなく阿弥陀仏の声と聞こえたその瞬間(『教行信証』等では「信楽開発の時剋の極促」とあります)に、煩悩を持ったままで極楽往生の正因を得た姿を言うようです。


 あと、余談ですが法然聖人が菩提心を否定したという回答がございますが、これは正確ではありません。『選択本願念仏集』の中で法然聖人は、

「発菩提心」、その言一なりといへども、おのおのその宗に随ひてその義不同なり。 しかればすなはち「菩提心」の一句、広く諸経に亘り、あまねく顕密を該ねたり。意気博遠にして詮測沖邈なり。願はくはもろもろの行者、一を執して万を遮することなかれ。もろもろの往生を求むる人、おのおのすべからく自宗の菩提心を発すべし。

と、菩提心の言葉は同じでも宗派によって使われ方が違うとしています。また、『逆修説法』の中でも法然聖人は浄土宗の菩提心について

次に発菩提心とは諸宗の意不同なり、今浄土宗の菩提心とは先ず浄土に往生して、一切衆生を度し、一切の煩悩を断じ、一切の法門悟り、無上菩提を証せんと欲する心なり。

と説いて、浄土宗には浄土宗の菩提心の考え方があることを示しています。つまり、法然聖人が否定する菩提心は「自力の菩提心」であって、浄土に往生し悟りを開こうという「他力の菩提心」は否定していません。しかも、否定というのも「往生には必要がない」という事ですのでご注意を。

 また、法然聖人の菩提心の考え方が、上述した親鸞聖人の横超の菩提心の原型であると考えられます。

 ちょっと時間がなかったので、かなりかいつまんでしまいましたがこんなところです。誤字脱字乱文はご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀仏

 どうも、真宗のボーズと呼ばれているものです。今報恩講シーズンで忙しいもんで、手短に書かせていただきます。
 この横超の語の説明として親鸞聖人の文章でわかりやすいのは『愚禿抄』の冒頭の文章かと思います。とりあえず引用しますと

聖道・浄土の教について、二教あり。
 一には大乗の教、二には小乗の教なり。

大乗教について、二教あり。
 一には頓教、二には漸教なり。

頓教について、また二教・二超あり。
二教とは、
 一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教な...続きを読む

Q浄土真宗の方、私達の何がお浄土に行くの?

霊魂がお浄土に往くわけではないですよね?
もちろん肉体がそのまま往くわけでもない。
となると私達の何がお浄土に往くのか気になります。

宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

 なかなか難しい質問ですねぇ。私は浄土真宗の人間ですが、ずいぶん悩まされました。少しばかりお話させていただきます。
>>霊魂がお浄土に往くわけではないですよね?
 そうですね。仏教では霊魂や魂または自我や本体は「アートマン」と呼ばれ否定的な立場にいます。ですから、たとえ浄土教であってもその考えを否定するものではありませんから、霊魂が往生するということにはなりません。
 ではまず仏教で言う「私」とは何か??分かりやすくいえば「因縁によって成り立つたくさんの要素の集合体」ということになるでしょう。因縁の「因」とは直接原因をあらわし「縁」は間接原因(条件)をあらわすといわれますが、仏教では「魂」という本体があるわけではなく、因と縁とが絡み合って私達はたくさんの要素を持って構成されていることになります。これが通仏教的には「空」なんて呼ばれたり「縁起」と呼ばれたりしています。
 ですから、往生するさいには、
>>もちろん肉体がそのまま往くわけでもない。
 確かに娑婆世における肉体という要素はなくなるでしょう。
 では、そういったことを踏まえたうえで、
>>浄土真宗の方、私達の何がお浄土に行くの?
 ということを考えて思い出すのは、浄土宗さんの偉いお方(なんて人だったかは忘れてしまいました。申し訳ない。)が、「私の魂が往生するのではない、私が往生するのだ」おっしゃっていました。この言葉の中の「私の魂」というのはアートマンであり、「私」と呼んでいるのは因縁によって成り立つたくさんの要素の集合体としての私ということではないかと思います。
 浄土宗にしても浄土宗にしても、極楽浄土は聖人のみがいける世界ではなく、なかなか悟りを開くことができない悪人であるからこそ阿弥陀様は極楽浄土を建立してくださったと説かれます。普通であれば浄土という仏様の世界には煩悩という要素をなくしたものだけ往生することが許される世界です。しかし、浄土の中でも極楽浄土はそうではありません。煩悩という要素をもっていながらも往生が許される世界です。これは「凡入報土(ぼんにゅうほうど)」といわれます。「凡夫」が「凡夫」のまま往生できると説かれているわけです。
 確かに人はその命尽きるとき肉体という要素は失われます。また、極楽浄土に往生しますと『無量寿経』に説かれる四十八願の中には悉皆金色の願(金色の肌)・天眼智通の願(仏教を聞くための超人的な聴覚)・神足智通の願(人々を救うためや仏教を聞くために好きなところにおもむくことができる力)等々多くの要素が与えられることになります。つまり、往生する主体は「私」であるけれども、その「私」も変化し続ける「私」ということになるのではないでしょうか。

 急ごしらえの文章ですのでなかなかまとまらないものになってしまいました申し訳ありません。参考にしていただければ幸いです。
 合掌 南無阿弥陀佛

 なかなか難しい質問ですねぇ。私は浄土真宗の人間ですが、ずいぶん悩まされました。少しばかりお話させていただきます。
>>霊魂がお浄土に往くわけではないですよね?
 そうですね。仏教では霊魂や魂または自我や本体は「アートマン」と呼ばれ否定的な立場にいます。ですから、たとえ浄土教であってもその考えを否定するものではありませんから、霊魂が往生するということにはなりません。
 ではまず仏教で言う「私」とは何か??分かりやすくいえば「因縁によって成り立つたくさんの要素の集合体」とい...続きを読む

Q法然と親鸞

法然と親鸞
法然は浄土での往生の方法として、出家や修行ではなく専修念仏のみでよいと説かれました。それを継いだのが親鸞だと思います。
今、法然の浄土宗より、親鸞の浄土真宗の方がよく広まっているのはなぜでしょうか?また、二派の考え方の大きな違いは何でしょうか?

Aベストアンサー

> 大乗仏教、小乗仏教。一つの説は、大乗は国家や、社会を救い、小乗は個人を救う。
> もう一つは、大乗は、出家者、在家者すべてを救い、小乗は、出家者だけを救う。


竹村牧男 『大乗仏教入門』

 十地の道程を進めば、やがて仏になるはずです。そして、そこに菩薩の究極の目標があるはずです。しかし、菩薩のなかには、仏となることを拒否する者もいます。あえて仏にはならずに、菩薩のままでいたいというのです。それは、いつまでも衆生とともにいて、そして衆生救済に励みたいからなのです。[...]

 一般に、仏になりえない者を「一闡提」といいます。大乗仏教では、本来、仏になりえない者はいないのですが、あまりにも煩悩が深重で善を修める能力のないものや、正しい教えと真理を誹謗する人などは、仏にはなりえない、一闡提と呼ばれるのだとあえていうのです。その一闡提のなかに、菩薩の一闡提もいるのです。それは、仏になる能力を欠くからではなくて、大悲によって自ら仏にならないからです。そうした菩薩の一闡提を、大悲闡提といいます。

 大悲闡提の菩薩は、自分から進んでわざわざ苦しみ悩む人のそばに赴きます、むしろ自ら願って苦悩の深い世界、悪趣に生まれようとするのです。十地を上ってさらに仏となるよりも、あえて人間界やさらには地獄界に往って生まれようとします。自ら求めて困難の多い、重苦ののしかかる世界に生まれ、働こうとするのです。こうした菩薩を、願生の菩薩といいます。 [...]
仏になったからといって衆生救済の活動ができなくなるはずはありません。しかし大乗仏教徒たちは、あえて涅槃に入らない菩薩、仏にならない菩薩という考え方を提示したのです。ここにともかく、自ら悪趣に生じてまで、一切衆生を救済するのだという菩薩の理想が示されています。『法華経』の法師品第十には、「大願を成就せるも、衆生を愍むが故に、この人間に生れたるなり。」「清浄の土を捨てて、衆を愍れむが故に、ここにうまれたるなり」ちにあります。この切なる願いに、菩薩道の本義があると考えられます。

 十地の菩薩道は、菩薩がいかに向上していくか、ということを描くだけが本意ではありません。むしろ、どのように一切衆生救済の主体となっていくかが主題であるともいえます。そして、その究極は、仏となることを自ら拒否し、あえて願って悪趣に生まれる菩薩となることにあります。ここに大乗仏教の核心があるのです。

> 大乗仏教、小乗仏教。一つの説は、大乗は国家や、社会を救い、小乗は個人を救う。
> もう一つは、大乗は、出家者、在家者すべてを救い、小乗は、出家者だけを救う。


竹村牧男 『大乗仏教入門』

 十地の道程を進めば、やがて仏になるはずです。そして、そこに菩薩の究極の目標があるはずです。しかし、菩薩のなかには、仏となることを拒否する者もいます。あえて仏にはならずに、菩薩のままでいたいというのです。それは、いつまでも衆生とともにいて、そして衆生救済に励みたいからなのです。[...]

 一般...続きを読む

Q浄土宗、浄土真宗に詳しい方!

我々は死んだら極楽に行って悟るまで修業をずっとするんでしょうか?
それとも悟る途中で輪廻転生しなければならないのでしょうか?

Aベストアンサー

 浄土真宗の僧侶で、専門は法然上人の教学です。少しお話をさせていただきます。

>>我々は死んだら極楽に行って悟るまで修業をずっとするんでしょうか?
>>それとも悟る途中で輪廻転生しなければならないのでしょうか?

このご質問の答えは浄土宗・浄土真宗などの日本浄土教のメインテキストである「浄土三部経」なかでも、『無量寿経』から読み解くことが出来ます。
 『無量寿経』の中で、若かりし頃の阿弥陀如来は法蔵菩薩と名乗っておられました。この法蔵菩薩は「全ての生きとし生ける者を救う力がつかなければ仏にはならない」と四十八の誓いを立てられます。これが四十八願であり、最も有名なのが第十八願です。ここに念仏往生のお誓いが成されているわけですが、今回の質問に関しては別のいくつかのお誓いを見て行きたいと思います。
 まず、第十五願「眷属長寿の願」ですが、

(本文)
設我得仏国中人天寿命無能限量除其本願修短自在若不爾者不取正覚
(私訳)
もし私が仏になったとして、私の国(極楽)に住んでいる人々の寿命には限りはありません。ただし本人が仏になるための誓願を立てて、寿命の長さを自由にしたい場合は別にします。こうならなければ、私は決して仏になりません。

と説かれておりますから、基本的には本人がどうしてもと望まない限り、寿命が尽きることはありません。ですから、本人が望まない限り修行の途中に輪廻してしまうことはありません。
 また輪廻したとしても、地獄・餓鬼・畜生の三悪道には落ちません。第二願「不更悪趣の願」には

(本文)
設我得仏国中人天寿終之後復更三悪道者不取正覚
(私訳)
もし私が仏になったとして、私の国の人々が命終後に再び地獄・餓鬼・畜生の三悪道に陥るならば、私は決して仏になりません。

とあり、輪廻を望んで娑婆世界に修行に出ても、三悪道には落ちないとのことです。また、第十一願「必至滅度の願」には、

(本文)
設我得仏国中人天不住定聚必至滅度者不取正覚
(私訳)
もし私が仏になったとしても、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り必ずさとりを得ることができないならば、私は決して仏になりません。

と誓われ、第四十七願「聞名不退の願」には、

(本文)
設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字不即得至不退転者不取正覚
(私訳)
もし私が仏になったとして、他の国の菩薩たちが、六字の名号聞いて不退転の位に至ることができないならば、私は決して仏になりません。

と誓われております。ここで言う「正定聚」「不退転」は同じことを二つの側面から誓われたもので、「正定聚」は進み続けると言うこと、「不退転」は後退することがないということです。つまり、極楽浄土において「正定聚」「不退転」の位に定まった人は、たとえ修行、または人々を救うために娑婆に輪廻したとしても、悟りを求め続けて(正定聚)迷いの世界に囚われてしまうことはない(不退転)ということです。

 さて、ここまで見てまいりまして、先に質問に関する答えですが、 
>>我々は死んだら極楽に行って悟るまで修業をずっとするんでしょうか?
 答えはイエス。
>>それとも悟る途中で輪廻転生しなければならないのでしょうか?
 答えは、ノー。ただし、「輪廻転生しなければいけない」と言うのは間違いですが、本人が望む場合のみ輪廻することが可能であると言うことになります。

 こんなところでしょうか。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀佛

 浄土真宗の僧侶で、専門は法然上人の教学です。少しお話をさせていただきます。

>>我々は死んだら極楽に行って悟るまで修業をずっとするんでしょうか?
>>それとも悟る途中で輪廻転生しなければならないのでしょうか?

このご質問の答えは浄土宗・浄土真宗などの日本浄土教のメインテキストである「浄土三部経」なかでも、『無量寿経』から読み解くことが出来ます。
 『無量寿経』の中で、若かりし頃の阿弥陀如来は法蔵菩薩と名乗っておられました。この法蔵菩薩は「全ての生きとし生ける者を救う...続きを読む


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