龍馬伝

龍馬伝の中で、龍馬がたびたび、
『このままでは日本がなくなってしまうがじゃ!』
と言ってますが、
日本がなくなるとはどういう意味で言ってるのですか?
異国に侵略されるという意味ですか?
『だから幕府を倒して新しい国をつくる』
というのも、意味がわかりません。
幕府と日本国の存続につながりがあるのでしょうか?

A 回答 (2件)

龍馬さん自身は幕府を倒そうなんて思っていなかったと思います。

龍馬さんが考えていたのは、徳川家も一つの藩とし、薩長土肥などの日本中の藩が共和制を敷き、アメリカみたいに民衆から、大統領を選べる国にしたかったと思います。但し、関が原以来の恨みつらみがある薩摩の西郷や長州の桂と意見が反り合わなかったみたいですね。来週の『龍馬伝』の中で亡くなる高杉晋作さんとは考えが同じ様だったみたいですね。志士と呼ばれる人は多かったですが、龍馬さんと高杉さん別格な存在だと思います。
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>日本がなくなるとはどういう意味で言ってるのですか?



当時の歴史背景を見てみてると、
清国が欧米列強の植民地のようになり果てていました。

つまり、腐りきった政治体制が
欧米列強との弱腰な交渉の果てにそうなったと
信じていたため、このまま幕府にまかせておいては

日本もこのままでは同じ轍を踏むと
危惧していたとするのが、当時の志士たちです。
龍馬もその一人。

実際、ペリ―来航の折には、幕府は不甲斐ない対応を見せ、
不平等条約の締結を強要されています。
で、そんな幕府なら倒してしまえ。というわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
中国の二の前になる事を恐れていたのですね。

お礼日時:2010/10/03 06:48

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Aベストアンサー

 今年6月に出た本で、
大野敏明著 『歴史ドラマの大ウソ』 産経新聞出版
 という本を読み始めたところです。

 第三章 ホームドラマになった「江戸」  の所にちょうど、
< 「さん」「君」は幕末から >  という項目がありました。
 一般藩士らが同格の相手を呼ぶ時は、名字に「氏(うじ)」を付けて呼んで、現代のように同僚同士が苗字をそのまま呼び捨てにして呼び合うことは考えられなかった。
 「さん」や「君」は幕末にはやり出した。

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竜馬が大政奉還の案を出したときに、政府閣僚名簿に「お前の名前が載っていない」っていわれたそうですが、竜馬は時代を先駆ける商社を作るのが目的ですから、政治家なんかにはなるつもりは全くありません。(政治をやったために、暗殺されたり、切腹させられたりしているお友達をたくさん知っているからね)

竜馬は、亀山社中とか海援隊とかいう商社を作って活動していましたから、かなり成功しています。この商社を竜馬の死後上手に発展させたのが、岩崎弥太郎の三菱商事です。

当時の貿易は海軍を自前で用意するのが当然。大砲持ってないと、価値ある商品はみな海賊や他国の海軍に奪われてしまうので、竜馬は勝海舟の元で海軍も学びます。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%88%E5%8D%81%E5%85%AB%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%94%BF%E5%A4%89

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