苦しい疲労感がいつまでも‥。
躁うつ病になって6年になる29歳の女です。
私は大学時代に卒業論文のテーマのことで指導教官と対立し、不満を抱きながら論文を書き、書き終えて提出してまもなく、激しい憂鬱感、消えない疲労感、死にたい発作に見舞われ、うつ病と診断されました。
4年半くらいうつ病と診断されて、5年目くらいから、2か月間突然躁状態が訪れたため、それ以後、躁うつ病(2型)と診断されています。
でも、私自身、うつ病なのか躁うつ病なのかよく分からず、ただ激しい沈み感(胸の付近全体が、奥底までズッドーンと沈んだまま)、耐えきれないほどの肩・背中の内側から来る疲労感、そして、それから来る、当然の何もできない状態、したいと思うことはたくさんあってもこんな心の状態ではとても不可能、集中力の低下、死にたいという感情が噴水のように湧き上がってくる、ときに爆発して発作を起こす、などウツに典型なそれもかなり苦しい症状で悩んでいます。
あまりの苦しさに、夜、毎日のように、とめどなく、涙があふれて「苦しい‥、苦しい‥、誰か‥」とうめいています。
この病気になったきっかけは、卒業論文のことだったと思うのですが、今はもうこれは終わったことだし、その卒業論文を通して学んだこともたくさんあるので、そのことを深く悔やみ続けたりとか、今も根に持って教授を恨んでいたりとか、そんなことはありません。
そして、この病気になったことで、「自由になることの大切さ」「強く信じる力」「胸の内に隠さないで、なんでも話すことの大切さ」を学ぶことができました。
私自身も、過去のダメな弱い私ではなく、自分でも変わったとおもうくらいに、変わったと感じています。
でも、ウツの症状はいっこうに消えません。
激しい憂鬱、地獄のような疲労感の持続、それに耐えられず死にたい感情が出てくる、そして、自分がどうして沈んでいるのか、なぜ普通の心の状態に戻ってくれないのか、なぜこんなにも疲労感は消えないのか、せめてこの疲労感だけでも消えてくれだら‥と切に願っています。
今は特に悩んでいることはなく、病気の症状があまりにも重いのはなぜかということに悩んでいます。なぜ治らないのかが、一番の悩みです。
私はこれからどうこの病気と向かい合ったらいいのでしょうか。
もし、私と同じように、疲労感が耐えられないほどの強さで苦しんでいる方がいたら、どのように過ごしているのか、アドヴァイスを下さい。
あまりにも異常な疲れやすさ・疲労なので、何年たっても、別の病気を疑ってしまいます。
でも、肝臓など調べても異常はありません。
甲状腺が低下しているときがありましたが、チラーヂンという薬を飲んで、今は数値は通常です。
過去に入院も5回くらいしましたが、今は、もう入院しようとは思いません。
入院して治るわけではないので、自分の力で、治そうと思い始めたからです。
心強いカウンセラーもいます。
でも、いっこうに、治りません。
私と同じように、苦しんでいるかたがいましたら、私に話を聞かせて下さい。

A 回答 (2件)

体に異常感を感じていますが、検査をしても何処にも異常がないという事ですので、心の持ち方でその症状が顕われると思い書いてみます。

体も心も一体で人間の心身は出来ていると感じている者です。

貴方の感じている、生き難い想いとは、貴方がよりよく生きたいと云う『強い願望の』裏返しとなって生じています。人間の心理は願うことにより、返って遠のいてゆく場合もあります。

例えば、楽をしたいと思って、一日休んだ場合です。楽が出来ていないと思うなら、もう一日休みます。もっと楽がしたいと思うなら、どんなに休んでも楽は出来ません。一日中寝て暮らしても、まだ楽にはなれなくなってしまいます。

もっと楽をしたいと云う気持ちが、あべこべに『楽』を遠ざけています。楽を求めない生き方をするなら、どんな事があっても、辛い労働の合間の、ちょっとした合間の休息でも『楽』を感じています。

今言った事の違いは、意識の使い方にあります。人間は「意識してする自分」と「無意識的に生きている自分」と二通りの自分が存在しています。

誰もいない野原で、何も意識して無くて「歩く場合」を考えてください。自分の心は「歩くこと」には使われていません。心は鳥達の鳴き声や、花の美しさに見とれているかもしれません。或いは心は他の事に使われているかもしれません。

歩くことに、意識(心)が使われていない時、歩くと云う行為によっては、体も心も疲れにくくなっています。

その逆に、歩くことに、意識(心)を使う場合、例えば人前で歩く時や、注目されて歩く場合などでは、意識(心)が体に歩く事を命じています。この場合には「体も心も}疲れやすくなります。

畳を地面に引いてその上を歩く場合は、90センチの幅を「意識する事は無く」無意識的に歩く事が出来ます、つまり歩くことに、意識(心)は使われていません。歩くことを忘れています。その場合には「体も心も」疲れ難くなっています。

その逆の場合、例えば大勢の注目する中で歩く場合や、空高く畳がセットされていた場合では、どうしても90センチの幅では歩くことが出来ないと思います。

大勢の人達が注目する中で歩く場合には、心が、歩く自分と、見られている自分とに別れています。二人の自分に分かれてしまって、自分の心が「歩く事」に使われています。歩くことを忘れられなくなっています。

空高く畳がセットされた場合にも言えます。落ちたらどうしようと言う自分と、歩こうとする自分と二つの意識に分かれています。つまり歩く事に「意識が集中」されています。歩くことを忘れられなくなっています。この場合に「体も心も」疲れやすくなっています。

心を病むと云う場合が、今言ったったことに相当します。「生きることに対する不安が心のどこかに作用して」意識して生きている事になっています。疲れやすくなっている原因は、意識して歩く事に通じています。

歩くことを忘れてて歩く時「人間の心も体も」疲れ難くなっています。「意識=心」の使い方を学ぶ事で完治します。それは、意識しないで歩く事を学ぶ事です。歩く事を忘れて歩く時、「心も体も」無病息災とと判ります。

意識する自分と、無意識でする自分との違いを学ぶ事です。無意識の自分に任せる事で「疲れ難くなります」今の貴方は自分の意識(心)が体と心を支配しようとしているだけだからです。

他の言い方をするなら、苦しみを避けて楽になりたいと云う意識を捨てる事が大事となります。楽を望む貴方の心が「頭の中で」勝手に作り上げた妄想が、貴方を苦しめているからです。

楽になりたいと思わなくなるか、或いは地獄に落ちても良いと思うかで、貴方は楽に生きる事になります。楽をしたいと思う貴方の心が、返って貴方に「楽」を遠ざけています。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまってごめんなさい。
貴重なお話、ありがとうございました。
こういう考え方は今までにしたことがなく、大変ためになりました。
理解はでき、心がけていますが、実行に移すのはなかなかうまくいきませんね。
でも、最近、体調が少し良くなり、楽になってきて、医師に「回復の前段階」だと言われました。
絶望の果ての長い暗いトンネルを、やっと出た感じがします。
でも、出たら、また長いトンネルがあり、今はそこをさまよいながら通っている最中です。
一番最悪の地獄のトンネルから抜けて、次のトンネルに入った、ということです。
とりあえず、医師は、「今のトンネルからまた前のトンネルにもぐらない対策を考えましょう」ということでした。
まだ、健康な人のように、普通に人生を歩める状態ではないですが、少しずつ、明るいところに進めたらと思います。
無意識であるということは、大切なことですね。
無意識であるときは、苦痛もなくなっています。
あ、今とても楽な状態だ、嬉しい、と思うと、だんだん鬱が強まり始めまた苦痛になってくるんです。
おっしゃる通りです。
私は、治そう、治そうと、必死になりすぎました。
もっと気楽に生きようと思います。

お礼日時:2010/10/23 19:18

ゆっくりで良いんだと思うよ。


貴方は貴方だよ。貴方の価値は何も変わって無い。
ただバランスを崩しやすい。
自分自身の安定した抱え方、受け止め方が中々難しい状態にある。
それ故に。どうしても疲労感や苦しい気持ちに悩まされる時もあると。
何故治らないのかがわかるなら。
その原因に対して向き合えば良いだけ。
でも、それは簡単な事ではないんだよね。
心の問題でもある。個人差がある。薬で全て解決できない問題でもある。
一つの悩みだけをしっかり取り上げれば。
後は何も悩まなくて済むほど日々は単調では無い。
生きていけば行くだけ悩みは色々な形で現れてくる。
その時その時で自分のバランスって変わってくるんだよね。
だから自分と折り合っていくのが難しい。
貴方が目指すべきは。
治る、という目に見えた完治ではなくて。
今の自分の状態と前向きに付き合っていく中で。
その付き合い方がどんどん見えてきて。
段々負担なく付き合っていけるようになって。
いつの間にか付き合っていくという気構えさえ無くなっている様な。
そういう自然な受容なんじゃない?
無理に自分の力で治す、とかね。
力まなくても良いんだよ。
しんどい時は遠慮なく他者の力を借りる。薬の力も使う。
その時その時の自分に合わせて柔軟に対応していけば良い。
治そう治そう、治したい治したい。
それは凄く前向きである反面、思うように変化や改善が見られないと。
そのエネルギーがそのまま後ろ向きに作用しやすいんだよね。
何故?何故?と。
それでは苦しくなる。
貴方は焦らない。確かに今まだ通院したり、カウンセリングの渦中にある貴方。
治ってない。
でも治ってきているプロセスの渦中でもあるんだよね、実は。
治った、という最後の点から眺めればまだまだかもしれないけど。
既に6年の付き合いの中で。
貴方は色々な経験をして、付き合い方を見つけていって、貴方なりに
自分の病を受け止めてきてるんだよ。それは既に治るプロセスを確実に進めている貴方の姿
なんだよね。
慌てなくて良いんだと思う。
心強いカウンセラーも居る。貴方は一人じゃない。
焦らない事。
貴方が病気になったならないに関係なく。
貴方には不安定の波が内在していたんだと思う。
そういう自分との付き合い方、向き合い方。
それは何処かで向き合っていく必要があった事。
それを今貴方は貴方なりに模索していて。
既に続行中なんだから。
必ず付き合いやすい状態にはなる。受け止めやすい状態にはなる。
貴方はそれを焦らない。早く早くを焦らない。
気がついたら。貴方のプロセスの中でそういう状態にたどり着いてる。
それが貴方の回復への道なんだと思うからね。
一向に~と決め付けない。
小さな変化は実は沢山起こってるんだよ。今までの貴方の道のりの中でね。
何より貴方は自分自身が変われた手ごたえも得られてる。
失ったものばかりではないんだから。
ゆっくり向き合っていけば良いんだと思うよ☆
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この回答へのお礼

読んでいて、涙がにじみ出てきました。
こんな私に、優しい声をかけて下さって、ありがとうございます。

>「小さな変化は実は沢山起こっている」

この言葉を大切にしたいです。
治そうと頑張っているのに、空回りばかりして、何も進んでいないと思っていたので、励みになりました。

また、私は、治すことに、頑張りすぎているのかもしれません。

>「治そう、治そう、治したい、治したい、と思えば思うほど、そうならなかったときのマイナスの反動も大きい」

本当に、そうだったと思います。

もっと、落ち着いて、リラックスして、ゆっくり構えて、今できることをやりながら、生きていこうと思います。

治らないことに不安と焦りを感じていました。
それが大きな心の負担になっていたのだと思います。

様々なアドヴァイスを下さって、嬉しかったです。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/10/06 11:56

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