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なぜドイツは第2次世界大戦において敗れたのか
ということを、金曜日に大学の授業で15分ぐらいで発表することになりました。
しかしなかなか文献(新書)が見つかりません><(私の探し方・検索の仕方)が悪いのか…)
どんなことでもよいのでアドバイスお願いします!

gooドクター

A 回答 (12件中1~10件)

ヒトラーはゲルマン民族の拡大を東ヨーロッパに拡大させたいと思いソ連を攻撃したのですが、さすがに極寒の世界においてソ連軍にはさすがに方なかったようです。

「ヒトラーの命令を無視してかってに降伏したフリードリヒパウルス元帥」そしてソ連の大反撃が始まり占領地を徐々に失っていったのだと思います。

1944年の6月に連合軍がフランスのノルマンディー海岸に上陸したため西からアイゼンハワ将軍に、東からジューコフ元帥にせめられて、負けたんだと思います。

最大の原因はヒトラー専属の医者に問題があると思います。なにしろ総統閣下をパーキンス病にした医者ですから。「ヒトラーが死んだら英雄になれたかも・・」ゲーリング国家元帥にも原因があるとおもいます。
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ヒトラーが厳し過ぎたので、ソビエトの理解が得られなかった




そんな感じがする
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連打すみません。

ナチスの油事情についてですが。

実は、意外なことですがナチス・ドイツ、燃料には1944年後半まで困っておりません。

I.G ファルベン以下、当時最高峰の化学技術(科学じゃないです)に基づく石炭液化の実用化に成功しており、実はドイツの燃料生産は1944年上四半期にピークとなります。最盛期には14基の液化プラントが稼働していました。それに加えてルーマニアの油田からも燃料を手に入れています。
アメリカ戦略空軍が損害を度外視して、ドイツの液化プラントとルーマニアの油田を爆撃したのですが、ルーマニアに対するタイダルウェーブ作戦では、1日で180機出撃し、53機が撃墜という異常な大損害を出しています。で、肝心の油田は損害が軽微、ソ連が占領するまで稼働していました。
ドイツ本国への昼間爆撃で死んだアメリカ人の数は、カミカゼで死んだ日本人より多いはずです。
ただ、結果としてアメリカはドイツの石油産業を崩壊させました。アメリカでなくてはできない、力業です。

あとは、ナチス党の性格も遠因にあるかもしれません。
ナチスはドイツ史上(いい方がヘンですが、あの辺の歴史上)初めて、バイエルン、つまりミュンヒェンを基盤にした政権なんです。
プロイセン(ベルリン)、オーストリア(ウィーン)とちがう基盤の権力者に、ドイツ人が本音はどう思っていたのか、興味があります。
ベルリンでは、選挙で20パーセント以上得票したことがありません。地方のユンカーを基盤にした、悪くいえば田舎の軍人貴族を基盤にしたナチスに対する、ベルリン市民の考えが浮き彫りになっていると思うのですが。
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漫談です。

視線をかえてみましょう。

外務大臣がリッベントロップだったのは大失敗でしょう。

共産主義ソ連がつぶれてほしい、というのは当時世界全ての国の願望だといえます。
ソ連とナチス・ドイツが戦ってくれるのは、みなウェルカムだったわけです。ポーランドかわいそうと言う人は多いですが、軍部独裁、ユダヤ人弾圧、ドイツがチェコ併合をしたときは、ちゃっかり領土を増やしているという国でした。
それでいながら、英仏に接近します。

ドイツはポーランドが英仏と外交を通じて接近することを阻止するべきですよね。で、このような素性のポーランド、実はソ連もふくめた回りの東欧諸国のうらみを買っているので、「あいつと仲良くしないほうがいいですよ」という、ネタには困りません。

ところが、ドイツがポーランド侵攻したら、英仏はポーランドの側にたってナチス・ドイツに宣戦布告してきました。
外務省、なにしていた、と言いたくもなります。
リッベントロップは、たしかにお金持ちの外国通ワイン商人でしたが、無能だったのです。養鶏場をやって倒産させたヒムラーが有能だったのと、対照的です。

方やソ連は、ポーランドの東に軍事侵攻し、バルト三国を占領。次いで独ソ不可侵条約で自分のテリトリーとドイツに認定してもらったフィンランドに侵攻しても、英仏からのお咎めはありません。

目の前のソ連、後ろには英仏。どうしろと。

このような外交無策と、もう一つ。

この時代のドイツの自動車生産能力と、英仏、ソ連のそれをくらべてみるといいとおもいます。フランスにいた英国大陸派遣軍は、自動車化率がドイツ軍より上です。ソ連の戦車保有数は、他の国全部あわせたより多いのです。

また、ナチスは軍拡と公共事業拡大で失業者をなくしましたが、みな給料がもらえるようになって、消費財の生産が追いつかなくなります。兵士・軍人は入隊するとき、ヒトラーに忠誠を誓う、と宣誓するヒトラーの兵士なので、軍縮は無理です。公共事業やるのにも、お金が要ります。経済成長を強いられている運命です。かといって、英仏のような植民地、ソ連のような領土はありません。
戦争で領土拡大するしかないのです。そのとき、外務大臣が無能、生産力は下だという。

生産力が下、なのはヒトラーもわかっていたとおもいますが、自分が抜擢した外務大臣が仕事しないヤツ、だったことまでは見抜けませんでした。

ソ連よりナチスのほうがマシだと、みなおもっていたのに、嗚呼、大失敗。
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欧州における当初の戦闘において相手を圧倒しましたが、海を渡って英国を占領する事は出来ず、北アフリカ戦線で勝利を収められなかったため、中東地区の油田までは辿りつけませんでした。


ソ連とは不可侵条約を結んで両者の間の国を分割占領しましたが、ドイツの一方的勝利は自国に得策ではないと判断したスターリンは約束した量の石油をドイツに供給せず、ヒットラーはソ連進行に因り油田奪取を目論みました。
広大なソ連領の中で供給線を確保するため、ドイツ軍は背後から襲われないようソ連軍の主力を叩こうとしましたが、冬の到来までは主力による決戦を避けると言う伝統的ソ連の戦術によりその意図は果せませんでした。
後の結果はご存知の通りですが、結局は石油の供給の確保に失敗したと言う事で、インドネシアの油田は押さえたものの、ろくに本土まで運べなかった日本と事情は似ています。

日本の場合は制海権があっても潜水艦等で沈められる艦船の補充能力が無いと言う点で、勝ち続けたとしても3年後には石油枯渇で負けていたのですが、ドイツの場合は豊富な石炭からの人造石油製造もある程度出来ており、北アフリカで勝つかソ連侵攻に早く踏み切っていたら、違う結果になっていたかも知れません。
結局20世紀は石油の世紀であったと言う事ですね。
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よくいわれるのはソ連侵攻による二正面作戦を強いられたことですよね。

確かにそれはそのとおりですが、しかし元々ナチスドイツにおいてはソ連こそが「倒さねばならぬ敵」だったのです。ヒトラーからすると本来イギリスは同じアーリア系民族ということで、ヒトラーはできる限りイギリスとは敵対しないようにしていましたし第二次大戦勃発後もイギリスと和平が実現できないか模索していました。

ダンケルクで英軍が撤退したとき、当時の英軍には実はもうまともな陸軍はほとんど残っていませんでした。だから、ナチスが誇る戦車軍団がイギリスに上陸したらもうそれを止めることは不可能だったでしょう。
しかし、一方の独軍は最も近い場所で向こう岸が見えるほどの距離であるドーバー海峡を越えて陸軍を送れるほどの実力もありませんでした。1940年に独軍は北欧のノルウェーに侵攻しているのですが、このとき独海軍が投入した駆逐艦10隻は栄光あるロイヤルネイビーによってなんと全滅させられてしまいます。当時独海軍が保有する駆逐艦は全部で17隻だったので半分以上がやられちゃったわけです。戦艦に至っては独海軍は合わせても7隻、英海軍は17隻です。しかも、独海軍で本当に戦艦と呼べるのは7隻のうち2隻だけでした。これでは戦争になりません。

一方、近年の研究で「スターリン・ソビエトはナチスドイツへの先制攻撃を考えていた」という説が急速に注目を集めるようになりました。スターリンの本心は、本人以外は誰にも分かりえないのですが、この一説には国民を1000万人以上も粛清したといわれる独裁者が、同じ独裁者であるとはいえヒトラーに親愛の情を持っていたなんて考えられるはずもありません。ナチスは反共産主義なのです。
その説の主力のひとつが、1941年6月に独軍が突如ソ連に侵攻したとき、対するソ連軍が異様なまでに国境付近に展開していたということです。
広大な領土を持つソ連にとっては国土そのものが大変なアドバンテージとなっています。国土を利用して縦深陣地のように軍隊が展開すればかのドイツ戦車軍団といえどそう簡単に進撃できません。しかし当時のソ連軍はべったりと国境付近に展開し、後方にはほとんど予備部隊がありませんでした。これは「防御」のための姿勢というより「攻撃するため」の展開と考えた方が理にかないます。
スターリンの考えはある意味質実剛健なロシア気質を象徴するようにシンプルです。それは、イギリスとの戦いに夢中になってがら空きになっている背後を襲うというものです。そのため、スターリンはとにかくドイツを挑発することに慎重になっていました。
この説の最大の欠点は、実は開戦前から日本にいたスパイ、ゾルゲがドイツ軍侵攻近しということを再三に渡って報告していたことをなぜスターリンが無視したのか説明がつかないことです。なんとゾルゲはその兵力から日にちに至るまで恐ろしいほどほぼ正確に知りえて報告していたのです。それ以前にもゾルゲはすさまじいまでに正確な報告をしており、スターリンがソ連侵攻についてのみその報告を無視したことのつじつまがどうしても合いません。

さて、軍事面から見ればこういった部分が指摘できますが、しかし実はナチスドイツ帝国にはもっと根本的かつ致命的な欠陥があったのです。それは、経済面です。
ナチスドイツは国家予算の多くを軍事費に充てました。軍事費という「公共事業」を発注することで国内産業に仕事を与えていたのです。あの有名なアウトバーンも元々は軍事道路としての整備であり、幅広い意味での軍事費に当たるわけです。
しかし、軍隊はそれそのもので「儲け」は生みませんから、元手となる資金が必要です。それをどこから手に入れるかです。
その方法は、その軍事力をバックに周辺諸国や地域を割譲したり戦争で占領することによって他国(地域)を手に入れ、それによって得た資金を充てるというものでした。軍事費を増やす⇒強い軍隊で周辺を脅す⇒時に戦争で地域を手に入れる⇒資金や資源が手に入る⇒軍事費に充てる、の繰り返しです。

この方法の致命的な欠点は、「永遠に領土を拡大しなければならない」ということです。鮫が泳ぐのを止めると死んでしまうように、ヒトラーもずっと泳ぎ続けて領土を拡大しなければならないのです。ですから、実は1940年の時点でナチスは経済的には破たん寸前であったと指摘する学者もいるほどです。
つまり私の結論としては、なぜ敗れた、ではなく、最初からいつか敗れる運命にあったというものになります。ドイツはボニー&クライドみたいなものでした。強盗を続けて州をまたいで逃亡しても、それはいつか捕まるか殺されるのは逃れられないのです。
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ドイツが敗れたのは二つ原因があります。



1.ソ連はドイツと戦争をしたくなかった。そのため独ソ不可侵条約まであったのにそれを破ってドイツは突如ソ連に攻め込んだ。そのため本格的なイギリス攻撃ができなくなった。もしソ連との条約を守ってイギリス攻撃に集中していれば勝てた。

2.日本がアメリカを攻撃し、日独伊三国同盟があったため、自動的にドイツはアメリカと戦うことになってしまった。右にはソ連、左にはイギリス、アメリカの連合軍ということになって負けた。
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結局は、物量の差なのですが、アメリカとイタリアが出てこなければ、もう少しましな結果になったとは思います。


電撃戦は当時は画期的な戦術でしたが、充分な物量を必要とする上に、守りや撤退戦には不向きでした。

ソ戦については、独ソどちらもいずれやるつもりでした。
ドイツから仕掛けたのは、スターリンの大粛清により、軍の幹部が処刑された隙を狙おうとしたもので、時期的にまずかったとは思いません。同盟というものは、利益で結びついているに関係に過ぎません。破った方が利益になるなら破られます。欧州史そのものが、その繰り返しの歴史です。

ドイツの敗戦にはイタリアが関係しています。
イタリアは頼みもしないのに、アフリカやバルカン半島に手を出したあげくに、返り討ちに会い同盟国であるドイツに助けを求めました。それにより以下の事が起こります。
1:戦う気のない中立国まで敵に回ってしまい、無駄に戦線が広がった。
2:イタリアの救援に軍を出した為にソ連侵攻作戦が遅れた
3:2の結果、作戦中に冬が来てしまい、モスクワまであと数キロというところで進軍が止まってしまった。
4:2の結果、シベリアから新型戦車が輸送され、反撃された。
5:1の挙句に、イタリアだけさっさと降伏してしまい、南からの侵攻を許した。

いろんな国が倒せない(動画)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2354590

当時のイタリアは物凄く弱く、あらゆる戦場でドイツのお荷物になりました。
(しかし、イタリア人は11人以下なら世界最強)
イタリアの降伏はクーデターによる政権交代によるものですが、その後ちゃっかり連合軍として参戦し、賠償を請求しています。
4に関しては、日本が不可侵条約を守りソ連を攻めなかったことも理由です。
後になってソ連は破って、日本に攻めてきましたが。

日本とドイツのお約束の合言葉
「次は、半島抜きでやろう」

それ以外では
6:ヒットラーは優秀な政治家かもしれないが、戦争は下手だった。
  参謀の意見を無視した作戦でいろいろ失敗している。
7:ダンケルクでの撤退を許し、連合軍の資源を取りそこなった。
8:世界一の科学力を無駄使いしすぎた。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても詳しい回答で驚いてしまいました。
よろしければ、どのような本を読めばこれほど深く理解できるのか教えてもらえませんか?

お礼日時:2010/10/10 23:51

対ソ戦がネックでした。


スターリングラードで膠着状態になり、
ドイツの軍隊が消耗しきったのです。

その後、イギリス、ソ連、フランス等の連合軍から四方攻められれば
負けて当たり前です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
スターリングラードが崩壊の序曲でしたか…

お礼日時:2010/10/10 23:42

ヒトラーの文献を探してみては?


たしか学研のムックが、政治と軍事に別れていて、簡単に面白く書いてあったように思います。
ドイツで探すからみつけにくいのでは?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
学研のムック、ただいま探しておりますがなかなか見つかりません><
いろんなキーワードで探してみます!

お礼日時:2010/10/10 23:40

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