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日本人はもともとどこからか来たのですか?どこかの民族から分かれて現在の日本列島に住んだのですか?
日本語も韓国語もウラル・アルタイ語に属しているみたいで、つながりはあるんですかね。韓国と日本の祝祭の源流も知りたいです。素人ですが><よろしかったらわかっていることや推測でも良いのでおしえていただきたいです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (8件)

#4の者です。


ご参考までに、wikiの「日本人」の項にある、DNA系統樹の
図を下に挙げます。
これは複数の“違い”を平均化して遺伝距離にしたものですが、
ベースとしてポリネシアンの枝に日本人が位置することは
ご理解いただけるかと存じます。
ちなみに、広大な太平洋の島嶼部のポリネシアンのDNA系統樹は、
ずっと下った6千年前に分岐しており(日本人やマレー人は、
そのずっと前)、縄文海進によって東南アジアの大陸棚(スンダ
大陸など)が海没した頃に一致しています(島のように孤立した
遺伝子プールでは特定の遺伝子型が全体に広がりやすいので、
特定の遺伝子や染色体を指標にすると誤差が生じがちです)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …
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度々すみません。


 
>>>日本の祝祭の源流も知りたいです。<<<にも少し関わるホームページを下に紹介します。それに関連するポリネシアの衣類の原料繊維についても少し書きます。
 
 アジア圏で宗教行事に使われ、衣類に使われる繊維にも使われてきた『カジノキ』があります。ポリネシアの衣類に使われてきた『タパ』の原料はカジノキです。日本の広島県の山間部には『太布=タフ』というカジノキ原料の布がありますし、『春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)』と万葉集・百人一首に歌われる『白・タエ』も白いカジノキの布です。つまり、カジノキの布には“Ta”という共通性があるのですね。実は質問者が気にしておられた韓国語でも、カジノキには“Ta”の発音がありますので、かなり広範囲に使われているようですね。
 では、ポリネシアから直接日本にカジノキが伝わったのかといいますと、それはありません。下のURLにあるリンク先に紹介されている小林氏によると『「カジノキ」は雌雄異株であるが、ポリネシアには雌株しか無い。日本には雄株も雌株も揃ったカジノキがあるので、別ルートで日本に入ってきたのだろう』と類推されています。

参考URL:http://philias.exblog.jp/i13/
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この回答へのお礼

貴重なお話ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/18 17:13

No.3&No.5です。

 またまた、質問者様すみませんね。
 ポリネシアンはラピタ人を祖先にするとされていますが、そのラピタ人の遺跡はメラネシアにあり、今から3500年前のものとのことです。 ラピタ人がポリネシアに来てポリネシア人が来たのはその後ではありませんか?
 そのポリネシア人が1万年前の縄文人になるというのは、変ではありませんか? 

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%94% …
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No.3です。

追加説明します。

下で書くつもりが漏れている部分が有ります。縄文人は酒に強いらしいに対比する部分で、弥生人の一部に酒に弱い遺伝子を持つ集団があったことを書き損じていました。 ちなみに、人類のほとんどは酒に強いのですが、中国・江南の人集団は酒に弱い人が多く、この地域で酒に弱い突然変異が生まれたと考えられています。 実は日本人集団は、この『本家酒に弱い中国・江南』より酒に弱い遺伝子を持っています。 韓国人は日本人より酒に強い集団です。このことを考えると中国・江南のY染色体O2b1の遺伝子を持つ男性とともに日本に渡来した集団の中に『酒の弱い遺伝子』があったのでしょう。日本で酒に弱い人は関西に多いですね。

それから・・・・回答されたお方への回答のようなことはルール違反であることは承知していますが、失礼に当たるかも知れませんが、私の回答の補強になるということで、ご容赦願いたいと思います。

>>1万年近く前までは「まずポリネシア系の縄文人がいた」らしいことは、化石から明らかだし<<
私の手元に崎谷満著『DNAが解き明かす日本人の系譜』という書物があります。この書物の資料によると、ポリネシア(クック島)でのY染色体の遺伝子の型は圧倒的80%以上にC2系の遺伝子を持つとあります。
 
しかし、分析した多数の日本人には、このポリネシア特有の『Y染色体C2系の遺伝子は全く存在しません』ので、縄文人がポリネシアからの渡来民ということは無いと考えます。同じように、イスラエル等の中近東に多いY染色体E系も日本人には皆無です。

ついでにNo.3での訂正・・・・『日刊』×→『日韓』○・・・です。あわて者ですみません。
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10年ほど前、色んな生物のDNA系統樹をつくるのが流行った時、


国立遺伝研の宝来先生が、世界中の人の系統樹をつくって、
話題を呼びました。
さすがアフリカは、人類発祥の地だけあって、数十万年単系統の
枝があったのですが、日本人は、アフリカ系、ヨーロッパ系、中東系、
ポリネシア系、南アジア系など、先の「アフリカの単系統の枝」以外
のほぼ全ての系統に現われたのです。

別に、日本人が世界中をめぐって交配しまくった訳ではなく、
そうした多くの系統から流れついた、ユーラシア大陸の端っこの
“掃き溜め”が日本だという事を意味しています。
もちろん、1万年近く前までは「まずポリネシア系の縄文人がいた」
らしいことは、化石から明らかだし、中国南部の稲作農耕民が、
南北からの攻撃によって東(日本)西(雲南)に逃れ、日本に稲作を
中心とした文化を伝来させた事は、様々な史実(や、九州北部から
瀬戸内海~関西まで血液型A型(中国江南地方~雲南に多い)の
比率が高い)から推定されてますが、今の日本人についての話なら、
遺伝的には固有の民族ではなく「世界中から流れ着いた」というのが
正確です。

ちなみに朝鮮半島においては、北部ほどモンゴル・チベットの遊牧系
のB型の比率が高くなっており、日本では山陰~北陸~東北地方で高い
ことから、中国南部から後から入ってきた中国系の渡来人に滅ぼされた
出雲系の文化(ヤマトタケルは、イヅモ、アズミを攻めて大和朝廷に
従えた>最後まで粘った東北が蝦夷)が、朝鮮系の系統だったと推定
されます(剣vs銅鐸)。
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このお話は詳しく述べれば大変多くのことを書かないとならなくなりますし、まだ学術的に『確定していない』項目もあるようです。


とりあえず (大和民族wiki) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C% …
や(日本人wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
をご覧になれば、理解が進むと思いますが、それでは身も蓋もないことになりますので、私なりに書いてみます。
 日本人が日本列島に来たのは旧石器時代の約2万年前頃からのようです。この渡来は極少数のようです。この頃は氷河期の真っ最中で、日本海は閉ざされた海でした。
次のグループは約13000年前頃の新石器時代に渡来してきました。この人達は大陸のバイカル湖周辺と共通の石器を持ってきています。この新石器時代の人集団は縄文人と呼ばれます。最古の縄文遺跡は九州にありますので、オホーツクルートと朝鮮半島ルートと二つの渡来ルートがあると考えられています。縄文時代人をルーツに持つ人は日本人の人口の40%程度のようですが、この人々と同じ遺伝子は世界で日本だけ(近い遺伝子はチベット人に多い)に残っている。なお、縄文土器や麻繊維(縄)は世界最古のものが発掘されています。この人達はお酒に強く二重瞼で手足が長い形質でした。
 次のグループは、今から2800年前~3000年前に始まり3世紀まで続く金属器時代に、水田稲作・青銅器・鉄器等の技術を持って、西九州、北九州、山陰地方等に渡来しました。この渡来は、各地に少数ずつ渡来し原住民と混血しながら、優れた農業生産力もあり人口は爆発的に増加しました。この期間に原住民と渡来人との間に大きな戦争はありませんでした。
 この弥生系渡来人も単一の人グループではありません。一番多いのは、中国の江南地域から渡来してきたグループ(Y染色体ハプロタイプO2b1=日本人に多く韓国人に少ない)です。次に中国漢民族に多いグループ(O3,O3e)が続き、次いで最後になりますが韓国人に最多で日本人に少ないグループ(Y染色体ハプロタイプO2b*)が渡来しています。
 その後に時代にも少数の渡来民が、大陸や朝鮮半島に戦乱や動乱が発生する度に、又交易民や出稼ぎ民も渡来して定住しています。 古くは百済の滅亡時、現代では韓国の李承晩大統領による済州島民の大量密入国ですが、百済滅亡時でも多くて8000人程度でしょうか?
このことを纏めると、日本人の人口の一位と二位を占める人々は、日本独自か日本に最多数居住する人々で、少数派としては中国系のグループ、最小派で韓国系のグループがあるということですね。

言語はウラルアルタイ語であるという説は否定されているようです。日本語は謎の言語ですね。朝鮮語との差は4000年から1万年前に分かれたとされています。つまり、ほとんど関係ない言語ということですね。

 『祝祭の源流』と言われましても・・・上に述べたように、朝鮮系の渡来人口比率も少ないですし、日刊の基礎となる民俗・土着風俗や土着宗教も異なりますので、まあ、ほとんど関係ないでしょう。鳥のシンボルの飾り方は、アイヌ民族と朝鮮民族は似ていますので、Y染色体C3遺伝子の共通性かな??と思います。
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一番はっきりしているのは、ユーラシア大陸の中央部(キルギス周辺)からマンモスハンターとして氷河期に日本にやって来たということです。

これはNHKのスペシャル番組でもやったし、遺伝子上間違えはないようです。

その後は、朝鮮半島から百済が滅んだ時に多くの百済人が日本にやって来たということです。

また、中国が春秋・戦国時代の戦乱期に難民として中国から日本に大挙してやって来たようです。そして、まだ文明があまり進んでいなかった日本人と大きな戦いが何度かあったようです。このこともNHKのスペシャル番組でやっていました。そんな遺跡や遺骨が出土されているようです。

それ以外は、南方の島々からやっって来た民族がいるのではないかということが遺跡から発見されているようです。このことについては「世界ふしぎ発見」(TBS系 毎週土曜日 午後9時~午後9時54分)で一度やったことがあります。

また、イスラエルの失われた十支族が来ているのではないかと言われていて、イスラエルの方から遺伝子調査に来た一団がありましたが結果については、私は知りません。ただ、そういう古代イスラエルと同じような風習や言葉が日本にあるのは確かです。

イスラエルについて一言加えれば、最後の審判の前にはイスラエル民族は大変な苦しみを味わうらしいのですが、現在中東でイスラエルが自業自得ではあるけど各国から非難されて、日本も各国から円高攻撃をされ中国に怯えております。このことは偶然だろうかと思いますね~。
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いろんなところから来た人が混合して今日本に住んでいる人になった。


どこかに 原日本人がいてそのまま移ってきたわけではない。

ウラル・アルタイ語族というのははっきり分かっていない。
インドヨーロッパ語族が明確になった手法でやってみたが、わからんというのが実情。
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