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●嫉妬心● プレッシャー・意地悪・苛立ち・自己嫌悪の悪循環です。

私は21歳の女子大生です。躁鬱病治療の為に休学中です。
私は、恋愛・人生設計・人間関係など様々な場面において人よりもプライドと理想が高い性質を持っています。彼氏や友人も人柄よりも肩書きや価値を求めて付き合ってきました。
理想の場所へ君臨したいが為に、見栄を張った背伸びや自身の才能の大袈裟なアピールを続けてきました。その割には、口や行動力だけが達者で地道な努力が足らず、様々な事に挫折してきました。


医師には人格障害とまでは言えないが、自己愛パーソナリティの傾向があると言われています。
昔からナルシスト傾向が強く、自身を着替人形や飯事のように客観的に、美貌や才能で着飾ることが一種の趣味でもあります。病的ではありませんが、自身に性的な魅力も感じますし、自身のありのままの魅力や才能だけでなく整形など人工的な美貌や、有能な人や有名人に囲まれることで自身の価値を見出していることもあります。


一見、自信満々人間のようですが、それ以上に周囲への劣等感や嫉妬心が強く、人は人と思ってもプレッシャーに苛まれ鬱状態になるという悪循環です。嫉妬心から、競争心が燃える人もいますが、私の場合は自己嫌悪に陥ります。
また、自信欠乏状態である時に、普段は素直に祝えるようなめでたいニュースを聞くと、嫉妬心から意地悪や苛立ちが出ます。そんな嫉妬心で醜い自分自身を客観的に見ると、自己嫌悪に陥り鬱状態を繰り返るという悪循環です。


現在、躁鬱の薬やカウンセリングの治療を受けていますが、理想やプライドが高い自分の性格が変わってしまえば一般的な生活で満足ができ、高い身分の人間になる意思や意欲が無くなるのではないかと不安で、カウンセラーのアドバイスなどを見下したり聞き流したりと拒絶してしまいます。


私は、本心では周囲と自分を比べずに楽に自分の好きな人生を歩みたいというのに一方で、生理的に私を苦しめる嫉妬心やプレッシャーが離れていくのが許せないでいます。
自己愛性人格障害において、特に他人から性格について指図されるのが嫌いとありますが、友人やカウンセラーのアドバイスを素直に受け入れることができません。

私は人格障害程ではありませんが、自己愛性人格障害の人格や性格・性質はどうにもならないと聞いたことがありますが、まだ21歳なのに残りの人生を精神的に苦しみながら生きる自信がありません。
躁鬱に関しては良くはなりましたが、まだ鬱状態の時には自殺願望が強く、過去には生死をさまよった未遂事件があったので残りの私の人生や両親など周りの人のためにも、こんな性格を治したいと思っています。


なにか私にアドバイスできることがあればお願いします。

A 回答 (9件)

>回答者さんがお幾つなのかは存じることができませんでしたが、遭遇が似ていることに親近感


私は、これっきり他人と一歩置くという人間関係が難しくいます。昔からの友人と久々に再会し、彼氏ができたニュースを聞くと、必要以上に気になり、最終的には嫉妬から友人を罵倒・侮辱してしまいます。
そんなこんなで、嫉妬心を消したいとこの質問をしました。

>もしかしたら、嫉妬心がどうとかじゃなく他人と一歩距離を置いた付き合いができるようにならなくてはならないのかも。

わたしは20代半ばです。
答えが出ましたね、そうです。人と、一歩距離を置いた距離感がわたしや質問者様の
本来あったプライド高い気質を持ち合わせてる人には必要なことです。
時には許して受け入れることも必要でしょう。
わたしはそれが分かってから質問者様との同じ境遇(嫉妬心など)から脱出することができました。

わたしにも友人はいますが結婚してる人もいたり妹さえ17でできちゃった結婚しました。
「結婚したー(友人)」とか「子供3人目できた~(妹)」とか教えてくれるけど、
もちろんうらやましいですよ~。

わたしは結婚してない身だもの、自分にないものを持ってる人は羨ましい。
でも、そんな自分にもいつかそういう日が来ると信じてます。

自分は自分、他人は他人。
結婚したから彼氏ができたから幸せになってるか?といえばその人たちじゃないと分からない。
お互いに不満を持って今にも別れそうな人もいるだろうし。
そういう広い視野を持って世界を見たら今よりも世界観広がりますよ。

そして躁鬱の患者さん同士の場合、お互い考えてることを悟りあうので相性は良くありません。
わたしは入院のときに出会った躁鬱1型の子とは縁を切りました。
まぁ・・・1型なのでダウンがない分、躁状態で振り回されてしまうことを見越しての答えです。

>さておき、私は15kg太ってから毎日屈辱的な気分でいます。回答者さんは躁鬱病でありき、どのようなダイエット法をとりましたか?

わたしのダイエットは当時流行してた「脂肪燃焼ダイエットスープ」です。
http://www.hi-ho.ne.jp/kayoko-i/7supu.htm
本来これは、「7日間」なのですが体重が体重だったので1ヶ月に延長して行いました。
これだけだと、タンパクが取れないのでお粥もメニューに少しだけ入れていました。
オシャレのできない屈辱がストレスで、それでこのダイエットにも我慢できた原動力でした。
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>回答者さんがお幾つなのかは存じることができませんでしたが、遭遇が似ていることに親近感


私は、これっきり他人と一歩置くという人間関係が難しくいます。昔からの友人と久々に再会し、彼氏ができたニュースを聞くと、必要以上に気になり、最終的には嫉妬から友人を罵倒・侮辱してしまいます。
そんなこんなで、嫉妬心を消したいとこの質問をしました。

>もしかしたら、嫉妬心がどうとかじゃなく他人と一歩距離を置いた付き合いができるようにならなくてはならないのかも。

わたしは20代半ばです。
答えが出ましたね、そうです。人と、一歩距離を置いた距離感がわたしや質問者様の
本来あったプライド高い気質を持ち合わせてる人には必要なことです。
時には許して受け入れることも必要でしょう。
わたしはそれが分かってから質問者様との同じ境遇(嫉妬心など)から脱出することができました。

わたしにも友人はいますが結婚してる人もいたり妹さえ17でできちゃった結婚しました。
「結婚したー(友人)」とか「子供3人目できた~(妹)」とか教えてくれるけど、
もちろんうらやましいですよ~。

わたしは結婚してない身だもの、自分にないものを持ってる人は羨ましい。
でも、そんな自分にもいつかそういう日が来ると信じてます。

自分は自分、他人は他人。
結婚したから彼氏ができたから幸せになってるか?といえばその人たちじゃないと分からない。
お互いに不満を持って今にも別れそうな人もいるだろうし。
そういう広い視野を持って世界を見たら今よりも世界観広がりますよ。

そして躁鬱の患者さん同士の場合、お互い考えてることを悟りあうので相性は良くありません。
わたしは入院のときに出会った躁鬱1型の子とは縁を切りました。
まぁ・・・1型なのでダウンがない分、躁状態で振り回されてしまうことを見越しての答えです。

>さておき、私は15kg太ってから毎日屈辱的な気分でいます。回答者さんは躁鬱病でありき、どのようなダイエット法をとりましたか?

わたしのダイエットは当時流行してた「脂肪燃焼ダイエットスープ」です。
http://www.hi-ho.ne.jp/kayoko-i/7supu.htm
本来これは、「7日間」なのですが体重が体重だったので1ヶ月に延長して行いました。
これだけだと、タンパクが取れないのでお粥もメニューに少しだけ入れていました。
オシャレのできない屈辱がストレスで、それでこのダイエットにも我慢できた原動力でした。
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ありがとうございます。

気が少し楽になりました。

 貴女のおっしゃるとうり激しい躁の後には激しい鬱になります。
人の心の分る方でありがたっかたです。

 お返事がなければ暫く酒でも飲んで暮れていたと思います。
こういうブログは良い面と悪い面と激しいですね。

 躁の時には徹夜どころかお昼ぐらいまで倒れるまでのめり込むことがあります。
気を付けねばと思いました。

 自分にセーブをかけながら皆様のご意見聞かせて頂きたいと存じます。
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ごめんなさい。

素直な気持ちです謝らせてください。
相当な躁状態だったんだと思います。そんな時に貴女の言葉が飛び込んで来たので何の考えも無くコメントしてしまいました。
 貴女のお返事を読み恥ずかしいかぎりです。私が逆の立場ならもっと酷い返事をしていたでしょう。言い訳になりますが躁の怒りに達していて他人の心なんか知るかあというような感覚だったんだと思います。その日は妻とも喧嘩してました。
 よく思い出せないような状態でした。自分のコメントを読み返しつくづく自分が嫌になってしまいました。
 本当にごめんなさい。
 
 自分を見つめ直してみます。何度もしているんですけれど。
 
 これからはその時の感情に任せたメールは絶対にしないように気をつけます。今は少し落ち着いているので悲しいです。

 私が人を見下す様な人間では無いのに悔しいです。少しでも御気をはらせられることを祈って終わりにさせて頂きます。

 許して頂けるか分りませんが穴があれば入りたい心境です。ごめんなさい。
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この回答へのお礼

いえいえ、私も不機嫌な時に心気の無い一言を周囲に漏らすことがしばしばありますのでお気持ち分かります。そこが躁鬱の困ったところですよね。
現在、shiori107は逆に鬱状態なのでしょうか。前回と違って文面が自己嫌悪でいっぱいです。
主治医にも言われてますが、ネット上は刺激と無駄な情報が多すぎるので特に、躁鬱患者は必要以上に見るべきではないと叱られています。
ネット上は、会話のように面と面を向かってではないので相手がどのような表現をしてるのかが察しにくいので、デリケートな私達にとって傷つきやすいし傷つけやすい場所なのです。

個々の自由でもありますが、通常の神経を保てない時にはあまりネット上で深くコミュニケーションを持たないほうが良いと私は思います。鬱の時はヘルプが欲しくとも書き込む意欲も出てこないと思いますが、特に躁の時はアクティブで何かとネット上でウロウロしたくなるものです。そこをぐっとこらえて、デリケートな気分の時に何かの発端で自分自身を傷つける原因にもなりますし、そんな時はテレビを見たり寝るのが一番です。

私はアップダウンがありますが、基本的に我が強く、このカテゴリでは強い方の人間だと思うので気になさらないでください。

お礼日時:2010/10/18 02:36

躁鬱になって1年ちょっとです。


本当はもうここには来ないつもりでしたが同じ病気、同じ気質なところが気になり
回答したくなりました。

わたしも自分と同じレベルかそれより上の頭脳に優れていてマイナスな関係にならない
友人や対人関係を望んでいました。
そのために自分にはマイナスでしかならない関係の友人とは縁を切ってきたし
自分も相手に同等でいられるように自分磨きは手を抜きませんでした。

数年前に入院で体重が42kgしかなかったのが65kgまで増え、
お洒落というものができない恥ずかしさとプレッシャーでダイエットをし、
65kgあった体重を1ヶ月で15kg落としました。

今では体重は「健康の目安」として”中間”を取るようにして50kgいくかいかないかです。
見た目も痩せてると言われたのでダイエットはやめました。
お洒落は年齢相応に着たい服しか着ません。派手に着飾ったりまでしないです。


今年の5月くらいに内科で検査入院したときに躁鬱1型の友人と出会いました。
自分よりもずば抜けて頭が良く学者脳で、なんだかお互い初対面という感じさえしない出会いでした。
同じ病気ということで共通点が同じで、会ってまもなく意気投合しました。

彼女は私のことを「年齢の割りに落ち着いて見える。妹みたい」と言い、
私は彼女のことを「お姉さんみたい」という感じでした。

ただ、この時に色々なことがあって、その後はその友人の病気の重さが見えてしまい、
自分はここまでなりたくない、と思ってしまい、彼女に悟られたかお互い話もしなくなりました。
(同じ病気だと分かりますよね、相手が何となく思ってる事とか感じてそうなこととか。)

「ここまでなりたくない」というのは人間関係のレベルが彼女の場合、上過ぎてしまい
入院中、振り回されてしまったんです。一緒にいてラクで楽しかったのに一変して相当きつかったです。
わたしは動揺してしまい涙が止まらなくて看護婦さんに泣きつきました。
その時に「○○ちゃんは、ここまで元気に回復できたんだから、ここ(病棟)では他の人と一歩置いて(ここでの影響受けないで)」と。

わたしは今の病院での通院歴と入院歴が他の患者さんより目立って多かったので
(荒れてた時期が多かったので)看護婦さんはほとんど知っている人ばかりです。

わたしはこの時に看護婦さんに言われた「一歩置いて接して」という言葉に影響もらいました。
自分と、他人とを比較しないということを、その内科検査のときに悟りました。
そもそも、内科検査で入院することさえ主治医とは入院するという話にもなく急な決まりでした。


同じ躁鬱だし、外見重視したり人間関係の高いレベルを求める?気質みたいなものが
なんとなく似てたので回答したかったんですが、本音を言うならこういうところで質問するのさえしんどいと思います。
躁鬱も自己愛も、表裏一体みたいなものだから不安定で焦りはあると思うけど、それが質問者様じゃないのかな?

わたしはパニック障害が家庭機能不全で子どもの頃からあって、
去年からの躁鬱と2つ抱えて、躁鬱は生涯抱えるものだと気持ち括ったし
これらを抱えて自分らしい生活をしようって思ってからは生活の質も変わり始めてきたし
あるがままの自分を受け入れてみることも大事ですよ。

これしか出来ないのが自分の能力の限界かーと凄く失望もするけど
逆を言えばまだ他にも出来ることあるかもしれない、とか、考え様によっては結構変われます。
自己愛だって、自分を愛せるんだから愛せずに痛めつけるよりはまだ良いじゃないですか。
程度の度合いが強いだけで、コントロールが出来れば”中間”を維持できる。
わたしは、無理に治そうとするより、活かしながら変える方法もあると思うんですよね。
それはとても難しいことかもしれないけど、やらないで終わるよりやってみては。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
回答者さんがお幾つなのかは存じることができませんでしたが、遭遇が似ていることに親近感があります。
私も入院していた頃に、私より酷い患者さんを目の当たりにして「いつかこんなになってしまうのか」と恐怖心で一杯でした。看護婦さんは動揺しきった私を相手してくれず、最悪な妄想ばかりして孤独と憂鬱な日々でした。
私にも入院中に一泊だけ開放病棟へ移った時に出合った年上の友人がいます。一泊だけの出会いだったので院内ではそれ以上会うことはありませんでしたが、番号を交換して入院中も退院してからも連絡を取り合ってました。彼女は唯一、入院中に出合った若くて最近風の女の子でしたので、声をかけたのは私でした。

退院後に数ヶ月私は遠く離れた実家へ戻りましたが、社会復帰をして一人暮らしの生活が始まった時に家が近いこともあって数回食事に出かけたり、泊めてもらったりと仲の良い関係を保ってます。
彼女は私よりも7歳年上でしたがフリーターで、いわゆる私の望む「価値のある存在」ではありませんでしたが、一人暮らしが始まって独り身だった私にとっては失いたくない存在だったので、本能的にある程度の距離を保ちながら仲良くできたのが良かったのだと思います。
もし、彼女とこんな遭遇で出会っていなければ友人であってもフリーターだということを馬鹿にして、年上であっても傲慢な態度で付き合っていたのかもしれません。
また、私は他人(特に異性)に酷く依存するタイプですが、彼女には迷惑をかけるべきではないと察していたので鬱な時も電話などはできませんでした。(良かったのか悪かったのか、寂しい時用のセフレを作ってしまいましたが)

私は、これっきり他人と一歩置くという人間関係が難しくいます。昔からの友人と久々に再会し、彼氏ができたニュースを聞くと、必要以上に気になり、最終的には嫉妬から友人を罵倒・侮辱してしまいます。
そんなこんなで、嫉妬心を消したいとこの質問をしました。もしかしたら、嫉妬心がどうとかじゃなく他人と一歩距離を置いた付き合いができるようにならなくてはならないのかも。

さておき、私は15kg太ってから毎日屈辱的な気分でいます。回答者さんは躁鬱病でありき、どのようなダイエット法をとりましたか?

お礼日時:2010/10/18 03:20

poizon19です。



実は質問文を読んでいて、何か前に似た様な質問に回答したなぁという感覚があったんです。やっぱりそうでしたか。ならば、説教じみた回答をした私は宜しくありませんね。お詫び致します。

>回答についてですが、性格上なのか人と付き合うときにまず偏見から入ってしまう自分がいます。
根拠がなくとも占いや霊的な事、肩書きのある人(医師・専門家・有名人)、レビュー(多数の人の同一意見)などの言う事は鵜呑みにしてしまうのですが、友人や家族の場合は経験者でもないのにと意見の参考ができません。
カウンセラーに関しては何故か分かりませんが、この人に私の気持ちが分かるはず無いと思ってしまいます。
きっと、ここで質問しても自分とは違う経験をしてきた人に意見を言われると腹立ちます。けども、ネットということもあり同じ経験者の意見を聞けることで質問しました。

=ぶっちゃけ他の方の回答見ましたが、とんでもない回答もありましたね。腹立つのも解かります。私の意見に腹を立てるのも解かります。でもカウンセラーの意見が受けいれられないというのは、どうにも不思議です。医師・専門家の意見は鵜呑みにできるけど、カウンセラーの意見は鵜呑みにできない。性質が違うからですかね?医師はどちらかと言えば、現在のme123さんの状態を聞いて簡単なやり取りをし、薬を処方してくれる、カウンセラーは同じく状態は聞くけども、かなり心理の深い部分にまで入り込んできて、かなり突っ込んだ話をする、その違いが拒絶反応を起こしているんでしょうか。私はカウンセラーの方と話をしたのは1回こっきりです。後は12年間、全部医師とのやり取りです。ですからme123さんの気持ちが解からない部分もあると思います。友人・家族・未経験者に話をするだけ無駄というのは私も嫌と言うほど味わってきて辛酸をなめています。何を言っても、ただ前向きに考えろ、マイナス思考だからダメなんだ、自分をダメと思うな、酒呑んで忘れろ、、、そんな意見・忠告ばかりです。やっぱり鬱病って他人にも家族にも解かってもらえないんだなぁと思います。だから最近は家族に対しては元気を装っている自分がいます。「会話障害」にしてもそう。「家族と会話出来るのに何で他の人とは出来ないの?」と言われ腹が立つのを通り越して悲しくなる自分がいます。

性格を治すのは容易な事ではありません。でもme123さんは自分で何とかしようと努力している。自分の性格も良く解かってるし、自己分析もきちんと出来ている。あとはカウンセラーの意見をどの程度まで受けいれられるかですね。無理をしなければ、きっと治ると思います。時間はかかるかも知れませんが。

補足:医師にもう一生治る見込みは無いと言われたのは、私が先生に詰め寄り、かなり激しく問い糾したからです。自分をコントロール出来ず、治る見込みはあるのか無いのか、YESかNO、ハッキリ言ってくれともう喧嘩腰でした。そうゆう状態で得た回答です。無いと言われた時に逆にスッキリしました。それなら一生「鬱」と友達でいようと「変な開き直り」が出来ました。もし治る見込みはある、と言われたら、猛烈にどうにかしなきゃと思う自分が出来ていたと思います。私自身、すごく激しやすいのと、何でもかんでも興味のある物は、一気にやってしまうところがあるので、そうなったらもう収拾がつきません。だから私自身、これで良かったのかな、と思います。
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 すっごく解かる気もするけれど、読み方変えたらすっげーうざいよね。



あっさり死んだら?って感覚になっちゃうね。

 俺もあんたみたいな感覚になった事ある。でもそれって他人の意見なんて全く役にたたないの知ってて話してるんだよね。

 あんまり普通な話しても興味ないだろうからさ、詩でも読んでみませんか?
 
みつおさんの言葉なんだけど

 自信はなくて うぬぼればかり はずかしい はずかしい


 人間はねえ 自分よりも人のほうがよくなると
 おもしろろくねんだなあ      人間の私

 セトモノとセトモノと ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
 どっちかやわらかければだいじょうぶ
 やわらかい心をもちましょう

 アノネひとのことじゃないんだよ
 自分のことだよ

 なんにも欲しがらぬときが一番強い

 やりなおしがきかねんだなあ 人生というものは


 うそは言わない人にこびないひとのかげぐちいわぬ
                   わたしにできないことばかり

   
  ある日の自分へ

 おまえさんな いま一体何が一番欲しい
 あれもこれもじゃ駄目だよ
 命がけでほしいものをただ一つ的をしぼって言ってみな



 きっとこんな詩読んでもあんまり心に  なーんものこらんやろ。
多分なに言われてもアホクサーっておもうんちゃうかな?
 忌しくも俺は今日会社辞めてきた。俺と嫁と重度の躁鬱です。だからちょっと興味を抱いたんだけどね。娘が同い年なのもあってね。21歳で悩むな!って言われてもしょうがないわなあ。
 まあこんなメール読んだらさあ心痛める奴もいるって事でバイチャ。

躁鬱患った人しかわからんしな。俺も嫁も毎日死ぬこと考えながら何とか生きちょうよ。
 
 死にたかったら死ね、俺たちは死ねんのだわ、家族があるから      
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この回答へのお礼

もし同じ躁鬱を患っている患者さんであれば、こういう文面でのアドバイスはしてほしくないです。
同じ病名をもってようとも、それぞれ症状や原因は違うでしょう。でも周囲の刺激に敏感なのは存じていると思うので、たとえ心のこもったコメントなのかも知れませんが、私のような人間は「うざい・死んだら?」の言葉に敏感でただの助動詞であっても使ってほしくないです。

みつをさんの詩、現在の自分の状況をズバリと言われたものを読んだとたん拒絶心というは苛立ちを感じます。もしかすると、友人やカウンセラーの言う言葉も見下しているからという自惚れな理由をつけているけども、本当は図星だから拒絶しちゃうのかもしれませんね。

私は、2週間ほど精神病棟で出会った躁鬱患者の男性と関係を持った経験があります。
互いに同じ状況だから理解ができると思ったのですが、サポートどころが互いに自分で一杯一杯で相手のことなんて考えてられませんでした。
回答者さんは、夫婦共に躁鬱を患っていてどれだけ大変か想像を超えると思います。


私は、薬の助けがあるからなのか、たまたま気分が良い日が続いてるのか、最近では心の病も良くなっています。去年のように死と隣り合わせというような恐怖心はありません。
不思議なことに、リセット(死が遠のいた)された日が自殺未遂を起こした日からだと思います。というのも、私は3月に首を吊って奇跡的にも助かった経験があります。この日から入院中の数週間は生きてることが現実と信じることができず、死んでいたはずの命がここにあるというのを不思議に思っていました。
このときに、見たこともない両親の一面を感じ、死ななくて良かったのかなと感じました。

それでも、今も答えのない生きる意味を模索して毎日を送ってるし、死にたいとは思わないけど生きたいとも思わない微妙な境目にいます。

でも、「死にたかったら死ね」なんて言葉、経験者なのですから軽薄に言うべきではありません。と私は思います。

お礼日時:2010/10/17 04:43

21歳で、そこまで自己分析出来ているなんて凄いですね。

私なんか間もなく還暦ですが、未だに自分が何者で、何が出来て、何のために生きているのか見つけられずに居ます。過去を思うと駅のホームで消えたくなることもあるし、抱えている借金のことを考えると今死んだら生命保険でチャラになるなんて考えることもあります。
この前、同窓会があって、そんな話をしたら、みんなそんな経験があると言っていました。

人間の心は、身体と同じように、加齢と共に成長します。これをある医師は“心の成長生理”と言っていました。無理なく成長する人もいれば、年齢の割に早く成長すると心にギクシャクするようなこともあるようです。人はみんな同じではありませんから、他人と性質や性格が異なることは当たり前です。

貴方の心の動きが、例え自分の為にならなくても、他人に迷惑でなければ良いのではないでしょうか。時間が一刻一刻進んでいくように、この世のものは皆平等に少しずつ未来に向けて進んでいます。決して後戻りすることはありません。貴方が例え病気になっても、それで医者が役に立ち、貴方がこのように悩むと、私のような無関係な人間が、少しは役に立とうと心を動かします。そうしてみんな成長していくのです。

今は、何か一つのことに集中しては如何でしょうか。
趣味でも、仕事でも、勉強でも。後になって、“これが出来る”ということが自信になり、少しは悩むことが少なくなるかも知れません。
私事ですが、私は音痴で人前で歌うなんて恥ずかしくて出来なかったのですが、数年前に単身赴任中に仕事で悩むと、憂さ晴らしに一人で車に乗るたびにサザンオールスターズの唄を歌詞を見ながらCDに合わせて唄っていました。今では、大勢の前でサザンを唄わせたら誰にも負けないし、唄うたびにみんなに感動されます。

参考になったでしょうか?
長文ですいません。いつも話が長いと他人に注意を受け、落ち込むこともありますが、これが“私”と開き直っています。では。
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この回答へのお礼

私が自己分析をしてしまう理由の一つとして、回答者さんと同じく「自分が何者で、何が出来て、何のために生きているのか」が分からないので模索するために自身を客観的に見ています。
でも、自分自身が一番自分の事を知っていても、いざ他人に伝えるとなると医師にもカウンセラーにも上手に自分のモヤモヤを伝えることができません。

最近の私は薬の助けもあって、情緒も安定していて病的な鬱状態はありません。本当に誰でもあるような憂鬱な感情だけでも私は病気だからと逃げ道を作っています。

>年齢の割に早く成長すると心にギクシャクするようなこともあるようです。
私が6年前に自傷を始めたきっかけもそうでした。自分の年齢と人間としての経験値にギャップがありすぎて心に余裕がなくなりました。
この頃は、自分は病気なんかじゃないと思ってたし、自傷しながらも表では強く生きていました。
今の私は、すべてを病気のせいにして、外社会でのちょっとの刺激を恐れて学校を休学し、家で過ごす毎日。非常に弱いです。

>他人に迷惑でなければ良いのではないでしょうか。
自己愛性人格障害の患者に比べ、私が周りに影響する迷惑は小さなものです。
しかし、この私の性格上、友人であっても付き合う価値のないと思う人は見下した傲慢な態度をとってしまいます。先日、その内の1人に恋愛相談をされたのですが、私の人生が上手くいかない中、彼女の相談に苛立ちから彼女の存在を罵倒してしまいました。彼女がその後、酷く落ち込んだそうで、そこの親から電話がありました。
このことから、この性格は治すべきだと感じたのです。


私の今の大きなコンプレックスは、退院してから15kg太った体系です。
今まで容姿に自信があったぶん一番劣等感や意地の悪さが出るのがこの体系に関してです。
痩せれば、少しは劣等感は無くなるのではないかと思っているので、今没頭できることといえばダイエットでしょうか…

お礼日時:2010/10/17 04:14

私も「抑鬱・躁鬱」と向き合い12年になります。

医師からは一生治る見込みは無いとの診断を受け、惰性で毎日「抗鬱薬」や「眠剤」の服用してる状態です。現在は2週間に1度のスパンで通院、自殺未遂も3回起こしました。「鬱病の苦しみ」は誰よりも解かっているつもりです。でもme123さんの質問文で気になった部分があります。それは

友人やカウンセラーのアドバイスを素直に受け入れることができません。

という部分です。そんな考えというか症状では、ここでどんなアドバイスを受けても、me123さんには効果が無いんじゃないか?と思ってしまいます。友人はともかく専門のカウンセラーのアドバイスを素直に聞けないというのは問題ありと思いますし、何でそれじゃあ、ここにアドバイスを求めてきたんだろうかという疑問が沸いてきます。


>なにか私にアドバイスできることがあればお願いします。

=説教じみた言い方になりますが、素直にカウンセラーのアドバイスを聞く事。専門カウンセラーのアドバイスが聞けない人がこのサイトに救いを求める心理が解かりません。まず、素直にカウンセラーのアドバイスに真剣に耳を傾ける事。そこから始めて、それでも尚、疑問があればこのサイトで質問するのが筋なんじゃないでしょうか。私の意見は間違ってますか?
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この回答へのお礼

前回の質問でも回答してくださいましたね。
私は6年程鬱病と暮らしてきましたが、本当に何も出来なくて死と常に隣り合わせだったのは去年6月~今年3月までの1年にも満たない期間のうちだけでした。
いっそ休学して実家で落ち着いて過ごしたり、入院や良い先生との出会いで、最近はアップダウンも落ち着き、鬱状態も滅多に訪れなくなりました。躁や鬱というより普通の状態が8割なので完治!?と錯覚することがありますが、主治医はまだ薬のサポートが不可欠といいます。

回答についてですが、性格上なのか人と付き合うときにまず偏見から入ってしまう自分がいます。
根拠がなくとも占いや霊的な事、肩書きのある人(医師・専門家・有名人)、レビュー(多数の人の同一意見)などの言う事は鵜呑みにしてしまうのですが、友人や家族の場合は経験者でもないのにと意見の参考ができません。
カウンセラーに関しては何故か分かりませんが、この人に私の気持ちが分かるはず無いと思ってしまいます。
きっと、ここで質問しても自分とは違う経験をしてきた人に意見を言われると腹立ちます。けども、ネットということもあり同じ経験者の意見を聞けることで質問しました。

お礼日時:2010/10/17 03:54

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