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No.14
- 回答日時:
>あらゆるすべての物が美しく 正しく 善の世界、
>例えば天国のような場所では価値判断はどうしますか?
そこに行く前に、悪の住む世界を通らないといけないと思います。
仏陀の悟りにせよキリストの言う天国にせよ、逆の存在の住む世界を一度通っているでしょ?
天国でも地獄を知っているから、地獄の記憶があるから天国として存在し得ると思いまね。
>対立する悪を失った時、善の姿は見えますか?
対立する悪を失っても、悪の記憶があれば善の姿は見えるでしょ。
善が見えるためには、悪の存在が必要です。悪との対比で善が存在するのだから。
だから、絶対善に至るには、絶対悪を乗り越えないといけない。
先に言った、悪の道を通らないといけないということです。
No.13
- 回答日時:
例えば手を切り落とさなければ手の働きに人は感謝できないでしょうか・・・そんなことはないでしょう。
手がある時に手の働きについて考えるならば、切り落とさなくても「あって」よかったなあと思えるのではないでしょうか。戦争が終わってから「やらなければよかった」なら遅くはないでしょうか・・。>あらゆるすべての物が美しく 正しく 善の世界・・そこでは善をおこないつづければよいのではないでしょうか・・。良い状態を何の障害も無き世界で維持しつづける、でもそれは自動的というより意識しつつ行わなければならない、ならば退屈ではないと思いますよ。
ここでは細かく書きませんが、善の世界に新たな価値基準が与える存在がいてそれを与えられたなら、さらなる善の姿が見えると思います。
No.12
- 回答日時:
善が光なら、悪は影です。
人間である私は、感覚的に理解するのが難しいのですが、恐らく善と悪は
ものの光と影のように一つのモノゴトの裏表なのだろうと予想はつきます。
恐怖や絶望、苦痛を与えて殺してしまうこと、それは人間世界では最たる
悪行のはずですが、戦争は言うに及ばず、死刑制度や法律というものなど
全ては「悪」を前提に存在するものです。 仰るような全ての物が美しく
云々、という世界では戦争も死刑も法律すら存在しえません。
更に、他の生物の生殺与奪を握り幼い肉を貪る為に生み育てる。
他の生命から見た人間の善悪など、彼らから見れば身勝手極まりない夢想に
過ぎないでしょう。彼らにとって、悪とは我々人間の別な呼び方に過ぎません。
設問が、誰かから暴力や嫌がらせを受けたことに起因するのか、果て又
ご自分の中に何らかの罪悪感があるのか、それは察するに至りませんが、
善悪、というのは我々人間が行動する際の方向のことを言うはずです。
自分の前側を善、後ろ側を悪、と呼びます。 従って、世間にあわせて
右往左往する優柔不断な人なら、その善悪も本人の向きに従ってくるくる
変わるでしょう。 風見鶏そのままに。
そんな人間が属している集団もまた、より大きな脅威や欲望に従って、
群として右往左往するでしょうから、絶対的な方角など人間にとっても
動物にとっても、生存のためにくるくる回っていることに過ぎないでしょう。
また、変人とされながら頑迷に自分の意思にこだわれば、必ず他人にぶつかりながら
いずれ荒野を目指さねばならない時も来るでしょう。
どのような生き方をするにせよ、頭で考えているだけの人間には無縁のことです。
何故なら、考えているだけの人間は前にも後ろにも進まないからです。
No.10
- 回答日時:
>この世界に悪は不必要ですか?
必要です
悪とは何か?
それは価値観の違うものです
価値観があれば必然的に悪も生まれます
価値観はあってもその価値観に反したものが存在しなければ悪は存在しないのでは?
という疑問が出てくるかもしれませんがそもそもの考え方が逆なんです
悪があるから価値観が生まれるんです
生理的に受け入れられないもの(悪)があるからその反対を善とする価値観が生まれます
何も知らない赤ん坊でさえ好き嫌いがあることから分かるように
人は必ず嫌なもの(悪)が存在します
そうすると必然的に価値観が生まれます
その繰り返しがとても多くの価値観を生み、それと同じだけの悪を生みます
悪がなければそれは価値観が存在しないということです
価値観がなければ人は生きていないも同然です(生物的にではなく、人として)
>あらゆるすべての物が美しく 正しく 善の世界、例えば天国のような場所では
>価値判断はどうしますか?
天国のような場所がある(そう感じる場所)ならばそれは外界で悪を知り、価値観を持っているから天国のような場所だと感じられるのです
悪を知っていなければ天国に行っても天国のような場所だと感じないでしょう
今の日本人が日本の平和を大して感じていなく、噛みしめてもいないように・・・。
>対立する悪を失った時、善の姿は見えますか?
見えません
善とは悪が生むものです
善は悪を生みません
まず悪があり、その対極を善としているんですね
なぜなら人は生まれながらに悪を知っているからです
死への恐怖
痛みへの恐怖
空腹の辛さ
生存本能が悪を作り、その対極を善と位置づけその価値観を生み出すんですね
No.9
- 回答日時:
この世界の悪は主観的な「なんかいやだな」です。
だけど経験によって「なんかいやだな」を
「いいじゃんいいじゃん(エントロピー増大)の受け入れ」に変えていく
ことがGDPを増やすことであり努力目標のはずでした。
だけど、グローバル化によるおびえにより、やっぱりなんかいやだなの気分
が大きくなってしまっている現状なのです。
戦略的互恵関係とは文化と政治は違うよというしたたかさなのです。
なんでもかんでもいいじゃんのふりのそうでもないかもねという
絶妙な距離感だと考えるとスッキリするんじゃないでしょうか。
No.8
- 回答日時:
こんにちは。
たぶん ゆづり合いの競争が始まるでしょうね。
ふつうのひとは ふつうに相手にゆづるのですが ちっとばかしふつうの度合いが少ない場合には そのふつうの人の《ゆづる》というおこないを見て 自分もまねしてみようと思います。次々にそのような《まね競争》が始まることでしょう。
そんな情況にも 悪――つまりふつうの心から逸れること――はまだ残っているようです。でも
★ 対立する悪を失った時、善の姿は見えますか?
☆ というような情況だと言ってもよいのではないでしょうか? 《ふつうをまねする競争》になっていれば そこではすでに《対立する悪を失っている》と言ってよいでしょう。
食事のときには 互いに――ちょうどかつて(今も?)中国人が丸い食卓を囲んで互いに料理を相手に どうぞと言って差し出すときのように―― いかがですか どうぞと差し出して遠きおもんぱかりをするようになるでしょう。
No.5
- 回答日時:
>あらゆるすべての物が美しく 正しく 善の世界、
>例えば天国のような場所では
>価値判断はどうしますか?
是は、「世界を根本的に善で構成されていると定義する」という命題です。
結論としては、価値判断が「ドグマ」で構成されることになります。
現にアウグスティヌスをはじめとしたキリスト教の偽善者たちは、
常にドグマを唱えて人を騙してきました。神の名において、他人を騙すのも、当然「善」です。
価値判断は「主よ、神を知らぬものは穢れ、わたくしたちがけが
巍然としてたたずんでおります。」となり、
狂った偽善のうそが蔓延する世の中となります。聖書によって全てを判断するという権威主義です。
哲学という観点から見て、ドグマ的教条主義の種類は
可能性として、ふた通り。
最善の起源が「自分の中にある」と考えるか、「外にある」と考えるかです。
天国を神が創ったと考えれば、「神への信仰」とナリ、
豚獄が我々の想像の産物であると思えば、「独善=自己チュー=オイラーは、マッハを超える哲学者」となります。
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