吉田茂の評価について・・・

昨日、仲間と飲んでいて、尖閣等の話題になり、その後戦後の日本の防衛体制の話になりました。
自分にとっては戦後、吉田茂という政治家の決断がある意味日本の復興に寄与した面が大きく、尊敬に値すると思っていましたが、仲間の一人は吉田茂の方向性が拙速であって、現況の日本の体制にある種足枷となったといいました。
自分としてはあの頃の状況では吉田茂の判断は理に適っていて、その後の日本の防衛体制は政権を受け継いだ政治家の問題だと思いはしますが、確かに友人の言うことも否定できないものがあり、ではどういうう決断があったのかが解からなくなりました。

質問ですが・・・
吉田茂をどう評価しますか? です。

宜しくお願いします。

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A 回答 (1件)

60年もたってから、その当時の政治的判断に関して、どうのこうのと言われたのでは吉田茂も草葉の陰で



【馬鹿野郎】

というしかないでしょうね。
主権回復という目的のために少々の妥協は当然です。その妥協を修正するのが後に続くものの仕事。
100%の回答が出るまで政治的行動を取れないのであれば、政治家はすべて脳死状態で、何も判断をしないことが正解になります。
80点であろうと、ベターであれば行うのが政治。

トルーマンドクトリンをいまさら文句を言う、あるいはトルーマンドクトリンに拘泥するアメリカの政治家がいるだろうか?いまさら。
冷戦は終わっているのに。


戦後の日本の首相で、100年後に日本史の教科書に残るのは、
吉田茂
岸信介
田中角栄
この三人くらいじゃないの。
良くも悪くも、戦後の日本の体制というのを判断し実行したのだから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ご指摘のように、吉田茂の判断は正しかったのでしょう。
吉田茂の残した課題を岸信介が実行しようとした・・・そんなふうに繋がっていったのですね。

失礼ですが田中角栄は功罪でいえば罪のほうが大きいのではないかと思います。
いまだに角栄の弟子? である小沢が政界を混乱させる原因に角栄の金権体質が影響していることを考えれば・・・

参考にします。

お礼日時:2010/10/21 08:20

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Q吉田茂の業績(政策)について

吉田茂の首相としての業績(政策)について書かれている新書を探しています。
ご存知の方がいらっしゃったら回答お願いします。

自分が今まで調べて見つけた新書は、
『戦後日本の宰相たち』渡辺昭夫(著)
『宰相吉田茂』高坂正堯(著)
『吉田茂とその時代』岡崎久彦(著)
『吉田茂―尊高の政治家』原彬久(著)
があります。
まだどの本も読んでいないので、特におすすめの新書がこの中にあるようでしたらそれも教えていただければうれしいです。

Aベストアンサー

「新書」のみではありませんが、幾つか上げてみます。

まずは、上げられている本についての私見ですが、、

『 戦後日本の宰相たち』 (中公文庫)
渡辺 昭夫 (著)

著者の渡辺氏は所謂「沖縄問題」についての研究をライフワークにしており、政府の日米安保の会議に参加して大きな影響を与えたとも言われています。
内容は、東久邇稔彦から竹下登までの17人の政治家の思想と行動を通し、「55年体制」の成立からその崩壊寸前までを描いています。
戦後の政局の基本を知るのに最適な書です。

『吉田茂とその時代―敗戦とは』 (PHP研究所)
岡崎 久彦 (著)

著者は、元外交官として西アジア方面の駐在大使を歴任した国際情勢分析のエキスパートの1人です。
思想的には、親米保守派の代表格と目されています。
他にも、「歴史修正主義」と批判されることが多い運動団体である「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者でもあります。
なので、ちょっと右に寄りすぎてる感はありますが、その辺りを気をつければ良書の一つです。

『 宰相吉田茂 』(中公クラシックス (J31)) (新書)
高坂 正堯 (著)

著者は京都学派四天王の1人である高坂正顕氏の次男であり、戦後昭和期の代表するオピニオンリーダーの1人です。(正堯氏は国際政治学が専門です)
この本では、当時はとかく不人気だった吉田茂の政策について、「日米基調・経済重視の戦後外交路線」に光を当て、高く評価しました。
この本によって、吉田茂の評価が一変したと言われています。

最後の一冊は読んでいないので内容はわかりません。
ただ、著者の原彬久氏は安保騒動関係者へのインタビューを行い、安保闘争研究の先駆けとして知られています。


で、以下は個人的に良書と思っている本です。
まだ、全てを読んだわけではないですけど、吉田茂研究でよく使われているようなので、お勧めしても大丈夫かな~と思ってます。

『回想十年』 (全4巻)(新潮社)
吉田茂/著 

吉田茂自身が書いた回顧録です。
吉田茂研究の必読書の一つです。(本人の事はまず本人に聞くことが一番です・笑)(1巻だけ読了、後は未読)

『ダレスと吉田茂-プリンストン大学所蔵ダレス文書を中心として』
村川 一郎 (編集) 国書刊行会 (1991.3)

日米安保交渉を担当したダレスと吉田茂の交渉を、主にダレス側の文書資料を中心に纏められています。
安保交渉の事実をしるのに、最適な書の一つだと思います。(未読)

『 吉田田茂 』(講談社)
今 日出海 (著)
初代文化庁長官で小説家でもある今 日出海(こん ひでみ)氏の手による伝記です。
今氏は太平洋戦争により三木清・尾崎士郎・石坂洋次郎など昭和初期を代表する文化人と交流を持ち、戦後には吉田茂とも懇意な仲だったようです。
一番身近な人が見た吉田茂像を知るには、良い本です。(読了)

以上私見ですが、参考になれば幸いです。
上記の本には既に絶版になってるモノも含まれると思いますので、お近くの図書館なんかで探してみてください。
図書館には相互貸借制度というのがあり、近くの図書館になくても他の図書館から借りるために取り寄せてくれます。
大抵は無料だったかと思いますが、場所によっては郵送料がかかる場合もあります。

「新書」のみではありませんが、幾つか上げてみます。

まずは、上げられている本についての私見ですが、、

『 戦後日本の宰相たち』 (中公文庫)
渡辺 昭夫 (著)

著者の渡辺氏は所謂「沖縄問題」についての研究をライフワークにしており、政府の日米安保の会議に参加して大きな影響を与えたとも言われています。
内容は、東久邇稔彦から竹下登までの17人の政治家の思想と行動を通し、「55年体制」の成立からその崩壊寸前までを描いています。
戦後の政局の基本を知るのに最適な書です。

『吉田茂と...続きを読む

Q伊藤博文?吉田茂?

学校でいま大戦後の歴史を習っているのですが、この二人について問題があり、どちらが後の日本に影響を与えたかといった質問でした。自分的には伊藤博文の方で、大日本帝国憲法の作成、日清日露戦争の指導(世界大戦に流れ・・・。)、韓国統監に重点を置きました。しかし後で調べると吉田茂の方も役に?たった人物だと思いますが、この二人をどうまとめたら(学べば?)いいのでしょうか?

Aベストアンサー

こんばんわ。
ありがとうございます。

失礼ですが、中学生・高校生ではないですよね?
大学生か研究生ですよね。

「政治生命に支配的に影響していないが、2人の首相、伊藤博文、吉田茂は影響を与えた」
この文章の意味が分からないのですが、講義の中か先生の著作物の中で語られているのだと思います。

その上で、先生が伊藤博文が明治維新・文明開化・日本の近代化などに大きく貢献し、その功績は吉田茂の戦後復興などよりも大きいと述べている人であれば、伊藤博文でしょう。
また、吉田茂の戦後復興の功績は、伊藤博文の功績よりも大きいとしているのであれば、吉田茂でしょう。

二人の功績を並べて比較して論じた後に、先生の御説にそった回答が大学生らしいというか、先生に好印象をもたれる回答例ですね。少なくとも、私が大学生だったときは。

あるいは、「どちらの方が大きな影響を与えたか」と聞いておいて、「生きた時代がことなる人の功績は一概には比較できません」なーんて言うのが答えだったりして・・・。

Q吉田茂の評価について・・・

吉田茂の評価について・・・

昨日、仲間と飲んでいて、尖閣等の話題になり、その後戦後の日本の防衛体制の話になりました。
自分にとっては戦後、吉田茂という政治家の決断がある意味日本の復興に寄与した面が大きく、尊敬に値すると思っていましたが、仲間の一人は吉田茂の方向性が拙速であって、現況の日本の体制にある種足枷となったといいました。
自分としてはあの頃の状況では吉田茂の判断は理に適っていて、その後の日本の防衛体制は政権を受け継いだ政治家の問題だと思いはしますが、確かに友人の言うことも否定できないものがあり、ではどういうう決断があったのかが解からなくなりました。

質問ですが・・・
吉田茂をどう評価しますか? です。

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

60年もたってから、その当時の政治的判断に関して、どうのこうのと言われたのでは吉田茂も草葉の陰で

【馬鹿野郎】

というしかないでしょうね。
主権回復という目的のために少々の妥協は当然です。その妥協を修正するのが後に続くものの仕事。
100%の回答が出るまで政治的行動を取れないのであれば、政治家はすべて脳死状態で、何も判断をしないことが正解になります。
80点であろうと、ベターであれば行うのが政治。

トルーマンドクトリンをいまさら文句を言う、あるいはトルーマンドクトリンに拘泥するアメリカの政治家がいるだろうか?いまさら。
冷戦は終わっているのに。


戦後の日本の首相で、100年後に日本史の教科書に残るのは、
吉田茂
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田中角栄
この三人くらいじゃないの。
良くも悪くも、戦後の日本の体制というのを判断し実行したのだから。

Qもし吉田茂が・・・

もし吉田茂が、対米従属的な安保条約を締結せずに、アメリカ政府特使ダレス国務省顧問の求めに応じ、憲法再改正と本格的な再軍備を行なっていたら、その後の戦後日本はどのように変わったと予想されるでしょうか。
日米関係は対等でしょうか。日本の国際的地位は?

Aベストアンサー

もし、吉田茂が安保条約を締結せずに、憲法改正と再軍備を行っていたら、今の日本は無いでしょう。
第一次日米安保条約は、米国に対し、一方的な負担を求める条約でした。
吉田茂は、日本の国力をよく理解しており、再軍備による経済負担よりも、その資金で復興と経済発展を図ったのです。
そして、その方策として、憲法を利用したのです。
もし、憲法改正等を実施していたら、日本は今以上のアメリカの手下として、朝鮮戦争、ベトナム戦争等々に参戦し、今尚戦争の後遺症に苦しんでいることでしょう。

Q吉田茂首相と鳩山一郎首相

 2009年8月の文藝春秋の「鳩山邦夫 大いに吼える」に、
「総理の椅子を鳩山に返すと言って返さなかった吉田茂」というくだりがあります。
吉田茂首相の次は鳩山一郎首相ですし、
「返す」という表現もよくわかりません。

 事情をご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

戦後行われた総選挙で日本自由党が勝利し総理指名において鳩山一郎が指名される見込みでしたが、GHQから鳩山一郎へ公職追放令が出され、急遽吉田茂が総理大臣となりました。
思わぬ事態で総理となった吉田茂は鳩山一郎にいずれ総理の椅子を鳩山一郎さんに返すという約束をしたのかも知れません(そんな約束事があったかはよくわかりませんが)
結局のところ、サンフランシスコ講和条約により日本が自治独立を取り戻した後も吉田茂は総理を続け、1954年に支持率低下で退任、その後鳩山一郎が総理となりました。

1951年の講和条約成立後、吉田茂は即座に鳩山一郎に総理の椅子を譲る事もできたと思いますので、それを指しての発言だとは思います。

Q吉田茂のアジア版マーシャルプランについて

吉田茂が政権末期に「アジア版マーシャルプラン」構想を打ち出したのは何故でしょうか?また、打ち出した結果どうなったのでしょうか?

分かる方いらっしゃいましたら教えてください。

Aベストアンサー

この論文を見て下さい。
立川京一「日本とアジアにおける初期の冷戦」
http://www.nids.go.jp/dissemination/senshi/200503.html
http://www.nids.go.jp/dissemination/senshi/pdf/200503/13.pdf

鄭敬娥「一九五〇年代初頭における「日米経済協力」と東南アジア開発」
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/handle/2324/3883

Q吉田ドクトリンを特徴づける吉田茂の発言

戦後、吉田茂内閣は経済発展を最優先にして、アメリカの要求をすべてのまずに軽装備の警察予備隊(規模も小さめに)をつくり、日本の防衛の肩代わりや継続的な基地使用を認めた日米安保条約を結んだと思うのですが、吉田茂の、経済優先で国づくりをしていくという主旨の、発言(国会答弁でも回顧話でもかまいません)で、何か残っているものがあるのでしょうか。著名なものがベストですが、ご存じの方がいらっしゃったら、是非教えて下さい。

Aベストアンサー

「私ハ斯クノ如キコトヲ認ムルコトガ有害デアルト思フノデアリマス(拍手)近年ノ戦争ハ多ク国家防衛権ノ名ニ於テ行ハレタルコトハ顕著ナル事実デアリマス、故ニ正当防衛権ヲ認ムルコトガ偶々戦争ヲ誘発スル所以デアルト思フノデアリマス」

 
 

1946年6月29日、帝國議会衆議院議事速記録にある、総理大臣吉田茂の言葉である(古関彰一 『新憲法の誕生』 中公文庫 1995 による)。この第90回帝國議会では、米軍占領下の敗戦後日本における憲法改正という課題、すなわち大日本帝國憲法から日本国憲法への転換が議論されていた。

吉田茂首相が提示した新憲法草案が審議されていた中での発言だ。

もちろん、ここでの議論の対象は第9条の戦争放棄の規定の是非である。

 

この吉田の言葉を引き出したのは、共産党の野坂参三であった。

野坂は、戦争には侵略戦争と防衛的な戦争があり、
「コノ憲法草案ニ戦争一般放棄ト云フ形デナシニ、我々ハ之ヲ侵略戦争ノ放棄、斯ウスルノガモツト的確デハナイカ」
と主張していたのである。

吉田の言う「斯クノ如キコト」とは、共産党の野坂の表明した、侵略戦争と防衛的な戦争を区別すべきではないか、との主張なのである。

 

 

これは、かなり有名なやり取りである。

後藤致人著『内奏-天皇と政治の近現代』(中公新書 2010)に、
、吉田内閣の提示した帝国憲法改正案・新憲法草案(現在の日本国憲法である)に対する記名投票による採決では、


 投票総数 429票

       賛成(白票) 421票

       反対(青票) 8票


という結果が示されたのだという。ここで興味深いのは、反対者8人の顔ぶれであろう。


 共産党  柄沢とし子 志賀義雄 高倉輝 徳田球一 中西伊之助 野坂参三

 無所属クラブ  細迫兼光

 新政会  穂積七郎


現行の日本国憲法について、制定議会の審議時点では、反対者8人中の6人は共産党員であったわけだ。議会に議席を持っていた共産党の全議員が、現行の日本国憲法の草案に対し、反対を表明していたということなのである。

 

しかも、当時の共産党は、戦争には侵略戦争と自衛戦争の別があり、


憲法草案ニ戦争一般放棄ト云フ形デナシニ、我々ハ之ヲ侵略戦争ノ放棄、斯ウスルノガモツト的確


という主張を展開していたのである。賛成421票に対する反対票全8票中の6票を、その共産党議員が投じていたことが、『内奏』を読むことで、あらためて(私には)明らかになったわけだ。

 

野坂参三、志賀義雄等は、侵略戦争を否定するが、
自衛戦争や、そのために必要な軍備(日本人民軍\(^^;)の保有は
当然と、まったく現在の自民党と同じことをいっていたのである。
対して、憲法制定帝国議会の時点では、
吉田茂は自衛戦争すら否定し、後の保安隊自衛隊的な物すら否定している。

「私ハ斯クノ如キコトヲ認ムルコトガ有害デアルト思フノデアリマス(拍手)近年ノ戦争ハ多ク国家防衛権ノ名ニ於テ行ハレタルコトハ顕著ナル事実デアリマス、故ニ正当防衛権ヲ認ムルコトガ偶々戦争ヲ誘発スル所以デアルト思フノデアリマス」

 
 

1946年6月29日、帝國議会衆議院議事速記録にある、総理大臣吉田茂の言葉である(古関彰一 『新憲法の誕生』 中公文庫 1995 による)。この第90回帝國議会では、米軍占領下の敗戦後日本における憲法改正という課題、すなわち大日本帝國憲法から日本...続きを読む

Q世界史上、現体制下のトップで自らその政治体制に幕を下ろした人物は?

私が知っている人物は、徳川第15代将軍慶喜と、旧ソ連大統領ミハエル・ゴルバチョフの2人だけです。他に誰かいますでしょうか?

Aベストアンサー

体制を変革し、その後の方向性を決定づけた人としては、ローマ共和制末期、帝政ローマの始祖、オクタヴィアヌスでしょう。その前のカエサルは終身独裁官の地位につきますが、暗殺されています。

オクタヴィアヌスは自ら共和制の最高官である正執政官を勤めながら、「尊厳者(アウグストゥス)」「第一の市民(プリンケプス)」などの称号を獲得し、共和制の制度を残しながらも実質的な帝政を敷いていきます。

ご希望に添えたでしょうか?

Q吉田茂って要するに日本が経済力を持てば後から軍事力も勝手に着いてくるからしばらくは軽武装でいいって考

吉田茂って要するに日本が経済力を持てば後から軍事力も勝手に着いてくるからしばらくは軽武装でいいって考え方だったんですか?

Aベストアンサー

吉田茂に関わらず誰が首相になっても、経済力の回復優先でしょうね。
軍備については占領下の日本ではGHQの意向には誰であっても逆らえません。
1950年に朝鮮戦争が勃発して、後の自衛隊となる警察予備隊もGHQの意向により発足でした。

国防に対しての自由度が少し広がるのは1951年のサンフランシスコ条約後ですが、
即急に装備を揃えようとしてもやはり連合国(米国)側の意向があったようです。
海上自衛隊で考えるとWW2で大量建造した第一線の艦艇は供与されずに、初期の供与艦艇は少し古い駆逐艦や護衛艦艇でしたので、
強武装化は米国は時期尚早と考えていたように思います。

Q【日本史と日本文学】日本には吉田松陰という君子がいると聞いて吉田松陰の書を読んだが彼が書き残した書の

【日本史と日本文学】日本には吉田松陰という君子がいると聞いて吉田松陰の書を読んだが彼が書き残した書の殆どが愚痴であった。彼から何を学び取るのでしょうか?

孟子を尊敬しているようだが孟子から彼は何も学んで得ていない。

吉田松陰は愚痴しか書き残していないが吉田松陰のどこに尊敬する部分があるのでしょう?

中国の君子の方が100倍役に立つ人生のアドバイスをしてくれる。

これが日本の君子だとすると日本の君子はタカが知れていると思った。

Aベストアンサー

結果として吉田松陰が松下村塾で指導した短い時期(ほんの1,2年)の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したわけで、もしも吉田松陰の教え子の中に高杉晋作、伊藤博文、山県有朋などがいなかったら今ほどの評価はされていないでしょうね。


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