『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

日本の戦争の歴史を教えて下さい

最初の戦争から〇〇年 〇〇戦争 どっちが勝ったか

って感じでお願いします

それかサイトでもいいですo(^-^)o

でもできれば書いて頂いたら嬉しいですね(^^)v

宜しくお願いします。

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A 回答 (7件)

1274年 文永の役 = 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87(蒙古襲来)


1281年 弘安の役 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87(蒙古襲来)
NHK大河ドラマ「北条時宗」は日本とクビライ・カァン率いる大モンゴル帝国との対峙を描いている


1863年 薩英戦争 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E8%8B%B1% …


1868年 戊辰戦争 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%8A%E8%BE%B0% …


1877年 西南戦争 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%97% …(官軍勝利)


1894年 日清戦争 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85% …(これより朝鮮半島の占領政策が始まる)


1904年 日露戦争 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2% …(日本の勝利。映画 「二○三高地」は乃木稀助の旅順陥落、「海ゆかば」は東郷平八郎の日本海海戦を描いている。特に東郷の作戦「敵前大回頭」は有名。また「八甲田山」は、日露戦争の開戦準備に備え、訓練を兼ねた青森・弘前連隊の雪中行軍における遭難事件を題材にした映画。


1914年 第一次世界大戦 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80% …


1937年 日中戦争 = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD% …(事実上の日本の中国侵略戦争)


1941年 太平洋戦争(第二次世界大戦) = http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3% …(日本軍大敗。この戦争に関する映画やドラマは数多い)
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この回答へのお礼

ありがとうごさいますm(_ _)m

詳しく分かりやすく書いて頂いて嬉しいです(^_^)v

本当ありがとうごさいました!!

お礼日時:2010/10/20 23:08

内戦は沢山ありました。



一番古いといっていいものは『神武東征』でしょう。
日向を発った天孫族が大和に入って初代天皇として即位する物語です。
浪速で戦って敗れ紀伊半島を回って熊野から入り山越えをして大和に入り勝利する物語です。
詳しくは古事記、日本書紀を読んでください。

次は日本武尊(やまとたけるのみこと)の戦争でしょう。
熊襲征伐と東征。
これも古事記、日本書紀を読んでください。

次は神功皇后(じんぐうこうごう)の戦争でしょう。
三韓征伐と皇位継承戦争。
これも古事記、日本書紀を読んでください。

ここまでは、史実としては証明されていないです。
史実なのか、何らかの戦争が形を変えて語り継がれたものなのか、創作の物語なのか、答えは出ていません。

史実として確かなのは白村江の戦いからでしょうか。
続いて壬申の乱。
戦争や内戦の定義にもよりますが、
藤原広嗣の乱
藤原仲麻呂の乱
と続きます。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうごさいます(^_^)v

お礼日時:2010/10/23 12:59

NHK高校講座 日本史


http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/
世界史
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/
その時歴史が動いた
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/main.html
角川書店「ドキュメント昭和」全9巻、NHKスペシャル番組「ドキュメント昭和」の書籍版。
1918年?ベルサイユ条約から、太平洋戦争開戦までの1941年までを、くわしく写真入りで説明しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございますm(_ _)m

お礼日時:2010/10/23 12:58

これはどうですか?↓


http://timeline.nifty.com/portal/show/1499

たくさんあるみたいですが…
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この回答へのお礼

ありがとうごさいます見てみます(^_^)v

お礼日時:2010/10/23 12:57

国内の内戦なら最初が分からないくらい古くからあるでしょうから、日本以外の国家同士の戦争ということでいいですね。


日本での記録に残っている戦争で古いのは、白村江の戦いだと思います。
日本での記録に残っていない戦争なら、高句麗と戦った記録があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます(^_^)v

白村江とか調べてみます!

お礼日時:2010/10/20 23:55

それは国内の戦争でしょうか。

いわゆる国内の戦争なら幕末の時代からありますが、そこら辺りの戦は詳しくはありません。
大日本帝国として軍国主義に位置づけた時代には他国を巻き込んだ戦争は日中、日清、日露、第一次世界大戦、第二次世界大戦とありますが、その間にも国内で一部の軍属によるクーデター(2.26事件や5.15事件)も怒っています。
これらの戦争で日本が負けた戦争は第二次世界大戦、いわゆる太平洋戦争で日本は連合軍に無条件降伏しています。全アジア征服を目論んだ軍国主義の終わりとなります。
この無条件降伏が今なおアメリカとの関係や、他国との微妙なバランスに大きく影響しているのは言うまでもありませんが、この戦争の終結により日本は武器を放棄し、軍隊の解散を宣言し、(ポツダム宣言)
今後どんなことがあっても一切戦争はしませんという憲法第9条の設立を含め、GHQ(連合軍最高司令部)による民主化や教育改革などたくさんの憲法条文を設立しました。
太平洋戦争では多くの若者が無駄な死を遂げ、天皇を神と崇めさせ軍の命令は天皇陛下の命令とし、絶対主義を上層部は軍人を始め、国民にも教育してきました。いわゆる洗脳ですね。
この戦争の発端であるかつての首相東條秀樹や大本営司令部の側近などはA級戦犯として「極東裁判」で絞首刑になっています。
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この回答へのお礼

はい国内です(^_^)v

ほー日本も色々あったんですね!!

ありがとうごさいますm(_ _)m

お礼日時:2010/10/20 23:53

ひょっとしてあなたは学校の宿題のようなものを


安易に達成しようとしていませんか。
まず自分である程度調べた結果を「これで大事な
ものが抜けていないか等質問される事を期待します。

この回答への補足

自分学生じゃないんで宿題じゃないですよ

歴史に興味持ったから知りたいと思っただけです

補足日時:2010/10/20 22:43
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Q戦争が起きた原因

1・一番始めに戦争が起こった原因は何なのでしょうか

2・なぜ日本が戦争をしなければならなくなったのか
  またその引きがねとなった理由は

3・日本はどこと戦争していたのか

4・戦争中の日本を誰が指揮していたのか

5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Q日本が戦争をした国を教えてください

日本が今までに戦争をした国を教えてください。
中国、アメリカ、ロシア、はわかるのですが、第一次世界大戦、第二次世界大戦の相手国ともすべて直接戦争していますか?ドイツとも戦っていますか?

第二次世界大戦終結は日本の降伏が最後となり、他の国はすでに降伏していたのですよね?最後は日本とアメリカのみが戦っていたのですか?
降伏日がちがっても世界的に第二次世界大戦終戦記念日は1945年8月15日と統一されているのですか?

また、世界大戦中は味方同士の国が一緒になって戦う事はあったのですか?別々に戦っていたのですか?
教えてください。

Aベストアンサー

明治維新以後の日本の戦争の名称と”戦闘相手国”を古い順に書きます。

(1)台湾出兵(1874年):清 ←ただし、台湾の民兵(ゲリラ)との戦闘のみ
(2)日清戦争(1894-95):清
(3)日露戦争(1904-05):帝政ロシア
(4)北清事変(1900):清
(5)第一次世界大戦(1914-18):ドイツ帝国
(6)シベリア出兵(1918-22):ソ連(ボルシェビキ、赤軍)
(7)山東出兵(1927-28):中華民国(国民政府)
(8)満州事変(1931-32):中華民国(国民政府)、ソ連
(9)第一次上海事変(1932):中華民国(国民政府)
(10)支那事変(1937-45):中華民国(国民政府)
(11)ノモンハン事件(1939):ソ連
(12)大東亜戦争(1941-45):アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、ソ連

第一次世界大戦について:
日本は、日英同盟の関係で、ドイツとオーストリアの敵国となったが、戦闘した相手はドイツだけだった。

大東亜戦争について:
・インドなどアジアの諸地域は欧米の植民地であって独立国ではなかったため”戦闘相手国”としなかった。例えば、イギリスの植民地だったインドの人は宗主国イギリスの兵隊として日本兵と戦ったのでインドを”戦闘相手国”としなかった。同様にインドシアはオランダの植民地だった。フィリピンはアメリカの植民地だった。
・前記の5カ国のほかにも大東亜戦争で日本に宣戦布告した国は多数に上るが、日本側は宣戦布告しておらず、また、戦闘も行わなかったため”戦闘相手国”としなかった。

支那事変について:
支那事変は、1937年に日本と中華民国国民政府との間で行われた戦闘だが、初め、両国共に宣戦布告しなかった。1941年に至って相手は日本に宣戦布告したが日本は最後まで相手に宣戦しなかった。

大東亜戦争の名称について:
日本政府の正式名称である「大東亜戦争」には、1937年に始まった支那事変も含まれる。「支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」(1941年12月12日、日本政府閣議決定)

明治維新以後の日本の戦争の名称と”戦闘相手国”を古い順に書きます。

(1)台湾出兵(1874年):清 ←ただし、台湾の民兵(ゲリラ)との戦闘のみ
(2)日清戦争(1894-95):清
(3)日露戦争(1904-05):帝政ロシア
(4)北清事変(1900):清
(5)第一次世界大戦(1914-18):ドイツ帝国
(6)シベリア出兵(1918-22):ソ連(ボルシェビキ、赤軍)
(7)山東出兵(1927-28):中華民国(国民政府)
(8)満州事変(1931-32):中華民国(国民政府)、ソ連
(9)第一次上海事変(1932):中華民国(国民政府)
(10)支那事変(1937...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Q2016年5月現在戦争をしてる国内乱が起きてる国は何処ですか?

2016年5月現在戦争をしてる国内乱が起きてる国は何処ですか?

Aベストアンサー

朝鮮南北では戦争中ですね
中国は内モンゴル、チベット、ウイグル、台湾を支配下にあるとしてしてますが
紛争の火種になっています
ロシアとウクライナのクリミア問題は解決しておらず
北アイルランドやスコットランドも紛争がたえず
スペインのカタルーニャも独立に向け紛争になるかもしれません
ヨーロッパ全体では100年単位でアラブ系住民と衝突をくりかえし
アメリカも移民対立が深まってきており場合によっては内戦になるかしれません

日本だって沖縄が本気で独立云々いいだしたら、内戦になってもおかしくありません。

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Q70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

お世話になります。

戦争は、外交手段の一つの方法でしかも最後の方法です。それでも、70年前に日本は世界大戦を決断しました。

(この世界大戦に至る序章として中国東北部の植民地化があったと考えます。この植民地化は、日本の勝手な解釈で「欧米列強のマネであることが権利」で錯覚していた様子です。この意味では、日本を含め中国を占領した国家は中国に謝罪は必要です。)

その延長で、連合国との全面戦争は開始されましたが、

●技術的
●生産力
●資源力
●人員力

から見ても、圧倒的に不利であったはずです。合理的に考えれば、国力の差は戦力に比例するはずですよね。

でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。

Aベストアンサー

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)、質問者様が仰る通り近代戦は国家としての総力戦でありまさに大人と子供の喧嘩、そう形容するしかない戦争でした。

>70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

以上述べた前提はいかに当時の軍部主導下にあっても、大国アメリカとの戦争を想定した場合当然客観的判断材料として顧みられたはずであるが、では何故当時の大日本帝国首脳が対米開戦を決意したのか、その原因はそれこそ無数にあると思われますが、私なりの結論としては以下の2点。

1.本来日本の意図は対中権益の確保、本命である日中戦争を継続する為の石油・粗鋼の多くをアメリカに頼っており、その供給をストップされ且つ日本の対米資産凍結、更にはイギリス・オランダがそれに同調して所謂ABCD包囲網が構築された事で追い詰められていた事。

2.日露戦争の悪しき前例、即ち交戦期間2年程度を互角の戦いに持ち込み、ナチスドイツの欧州での勝利を希望的観測で織り込み、総力戦・消耗戦になる以前に仲介国を待つという戦略が可能であると甘く判断していた事。

但しドイツがソ連との不毛な戦争に突入した事で日本の思惑は大きく外れ、しかもアメリカの戦時経済が本格的に稼働しはじめた為、太平洋戦争開戦1年を過ぎた頃から国力相応の差が出始め、皆様御承知の通りの結果に終わってしまいましたが。

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。
冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)...続きを読む

Q日本とアメリカが戦争したきっかけは?

日本とアメリカが第二次世界大戦時戦争したきっかけはなんだったのでしょう?

Aベストアンサー

日本の中にもアメリカとは戦争したくないと言う声は少なくなかったのです。しかし、石油などの資源をアメリカに押さえられてしまい、これを打開しなければいけませんでした。

 当時、日本は「日独伊防共協定」を結んでおり、さらにドイツはソ連と「独ソ不可侵条約」を結びました。そこで、日本は日独伊の関係をさらに強化し、同時に、そこにソ連も加えて4カ国の同盟関係を作れば、アメリカも容易には攻撃できず、経済制裁の解除もしやすいと考え、「日独伊三国(軍事)同盟」を結成しました。だが、この軍事同盟に参加したことでアメリカは日本をヒットラー政権と同列に位置づけ、さらに日本への警戒心を強くしました。
 その後、日本は早期の4カ国同盟の結成を目指し、ドイツ側と調整を行っていました。ドイツは当初はこの同盟に(少なくとも表面上は)積極的でしたが、この頃になるとドイツはソ連侵攻の準備を始めていたので、(当然ですが)調整は上手くいきませんでした。なかなか動かないドイツに対してしびれを切らした日本は、ソ連と「日ソ中立条約」を締結し、残るイタリアとソ連との軍事同盟、そして新たなる4カ国での軍事同盟の再結成の準備に入りました。しかし、そんな思いも虚しく、中立条約締結の2ヶ月後には独ソ戦が開始されました。この時になって、初めて日本はドイツの真意を知りました。
 この結果、日本は大した後ろ盾もなくアメリカとの経済制裁の解除の交渉に臨まなければいけませんでした。その後、紆余曲折を経て、最終的に真珠湾攻撃となりました。

簡単に言えば、アメリカが日本に対して経済制裁を行い、これを解除しようと日本側はさらなる軍事同盟の強化・拡大という道を取ったものの、外交能力の甘さから自分の首を絞める結果になりました。

 余談になりますが、ドイツから見れば日本はドイツのじゃまばかりしたことになります。ドイツにとって「独ソ不可侵条約」は東側のフランスなどとの戦争を有利にするために、一時的に結んだ条約です(最初から、いつかは破ることを考えていました)。一方、ソ連側もいつかはドイツが破って攻めてくると考えていましたが、対日戦略のことを考えて条約を結び、戦力を東側に集めました。それを、ドイツが対ソ戦の準備を始めた頃に、日本が「日ソ中立条約」を締結してソ連の東側の脅威を消したために、東側に集中していたソ連の軍隊の大部分を西側に持ってくることができ、ドイツは当初の計画よりも、苦戦することになりました。
 さらに、当時アメリカは対独戦の大義名分もなく、国内の世論もヨーロッパの戦乱にアメリカが参戦すべきではないという声が多く、参戦できないでいました。そこに、ドイツとの軍事同盟を結んでる日本がアメリカに参戦してきたことで、アメリカは対独戦の大義名分を得ることになりました。

ついでに、ときどきヒットラーは軍事的なもので政権を取ったと勘違いをしている人がいますが、ヒットラーは選挙で徐々に自分達の議席を増やし、国会でヒットラー独裁政権のための法案を可決させ、独裁化しました。何でもかんでも多数決をしたがる人がいますが、それは危険なことだと教えてくれることです。また、日本は経済制裁を受けたことで、最終的に戦争に突入しました。北朝鮮への経済制裁も、行った結果(破れかぶれで)日本や韓国へ戦争して来るとも限りません。不用意に経済制裁をすべきではないのです。

最後に、戦後の「東京裁判(極東国際軍事裁判)」において、日本側の弁護についたアメリカの弁護士は、日本がアメリカに対して戦争を行ったことに関する弁護で「日本の(宣戦布告なしの奇襲である)真珠湾での攻撃をしたことを罪とするならば、広島・長崎において行われた新兵器による一般人も含めた大量虐殺も罰せられなければならない」という内容で弁明しましたが、無視されてしまいました。(アメリカはもちろんのこと、日本でも原爆による攻撃でポツダム宣言を受諾したと思っている方が多いのですが、実際は、ソ連の参戦により、連合国側との仲介役をソ連に頼もうとする考えができなくなり、ポツダム宣言を受諾したのです。ここでもいろいろあるのですが、余談が長くなるので、止めます。)

日本の中にもアメリカとは戦争したくないと言う声は少なくなかったのです。しかし、石油などの資源をアメリカに押さえられてしまい、これを打開しなければいけませんでした。

 当時、日本は「日独伊防共協定」を結んでおり、さらにドイツはソ連と「独ソ不可侵条約」を結びました。そこで、日本は日独伊の関係をさらに強化し、同時に、そこにソ連も加えて4カ国の同盟関係を作れば、アメリカも容易には攻撃できず、経済制裁の解除もしやすいと考え、「日独伊三国(軍事)同盟」を結成しました。だが、この軍事...続きを読む


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