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 私はカリキュラムのあり方について関心を持っている数学の教師です。学力低下や学校の事業時間および学習内容の削減が大きな社会の話題となっている今日この頃です。
 さて,戦後の我が国の教育政策は,昭和22年の試案,26年の第1回学習指導要領改訂,33年の第1回学習指導要領改訂以降,およそ10年ごとに改訂を繰り返してきました。しかし,施行された学習指導要領の評価については明らかにされないまま,改訂結果が告示されています。平成14年度から施行される新学習指導要領についても同様です。有識者と呼ばれる方の以降が大きく反映されているのかどうなのかはわかりませんが,新学習指導要領では,「2次方程式なんか,生活していて使ったことがないから不要」という有名な方のご意見が,反映されたと見ることができます。
 ところで,かつて企業(大企業のうち数社)の人事担当者や社内教育担当者から,中等段階における数学教育では何が求められますかという調査をしたことがありますが,会社ごとにバラバラであってことと,大手企業では大学・大学院の卒業者がほとんどで,大学できちんと学んできてくれればよいというのが大勢でした。ですから,中等数学教育では何を学んできて欲しいかという問いについての積極的な回答は得られなかったといえると思います。
 しかし,国民教育としての要望としては,それこそ国民全員が抱いているはずです。学校を卒業して社会の一員として社会を担っていくときに,職業によって異なるかもしれませんが,これは学校で学び修得しておくべきだということがあるはずです。
 そこで,中等学校における数学教育に対して,どのような職業あるいは立場の人はどのような要望をお持ちであるのかご意見を伺いたいと思います。

A 回答 (2件)

私は修士は数学関係を出ましたが、その後数学とは関係なく中年になったビジネスマンです。



いまの中学でどの程度までの数学を教えているか知りませんが、子供の高校の数学教科書を見て、私の頃よりは2年進んでいることを知り、「ここまでやらなくてはいけないのか?」と素朴な疑問を持ちました。そこでお尋ねのことにつき、私の考え方を述べます。

1)まず数学は、社会へ出たとき使う「道具」の面と、ものごとの「(論理的な)思考力」の2面から考えるべきと思います。

2)中学は義務教育ですから、社会人になったとき、中卒でもこのくらいの「道具」と「思考力」が必要だと考えるべきかも知れませんが、いまはほとんどが高校へ行くので、高卒でも社会人になって必要な、道具と思考力を、まず考えるべきだと思います。

3)しかる後、その道具と思考力に到達するステップ、階段をカリキュラムとして考えるというように、まず目的を決め、次にそれに到達する道程を考える方法論を採るべきだと思います。

4)このときは、中学、高校を(小学校も?)一緒にして考え、ロジカルなステップと同時に、人間としての発育度を加味します。

5)こうしておおまかに中学の数学学習道程が分かったら、さらに細部のカリキュラムや教え方を考える。

6)ただし、できる子できない子、あるいは受験というような差が出てきますから、5)をあくまで幹とし、あとは例外として+-を考える。例えば、数学上級クラスを作って選択制にする、教科書の中にも「上級」のページを作るというようにです。(ーの方も然りです)

7)こういう方法だと、大学のレベルや日本人のレベルまで関係してきますね。ですから総合的な検討が必要になってきます。

8)また広中平祐のような、天才を生む仕掛けも用意しておく必要もあるでしょう。

これらは、ビジネス社会における考え方の方法論を基にしていますが、私は正しいと思います。

いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。orimotoさんがどの時代に中等教育を学ばれたかわかりませんが,高等学校入学が,
 1.昭和29年以前
 2.昭和29年から昭和37年
 3.昭和38年から昭和49年
 4.昭和50年以降
によって内容がかなり異なります(それ以降も変遷していますが,orimotoさんが高校生のお子さんをお持ちというので,私とそう変わらないと考え以上の区分だけ紹介させていただきます。因みに私は3に位置します。)。時代によって単元の入れ替えがかなりあります。たとえば,区分3までは,中学校で三角比を学習しましたが4以降現在に至るまで,高等学校で学習します(現在はそれも選択科目です)。また,4の時代からしばらくは,高等学校で行列とベクトルの一次変換を学習しています(現行の学習指導要領ではまた削除されています)。また,現行では複素平面を学習しますが,内容は3の時代と比較するとかなり削減された内容となっています。例を挙げればまだあるのですが,orimotoさんが,「子供の高校の数学教科書を見て、私の頃よりは2年進んでいることを知り」とお書きになっているのは,
「部分的には」という話だと思います。中等数学教育(ご承知のように中学校および高等学校の意味です,念のため。)の総体としては,昭和58年頃から現在に至るまで,削減の連続ですので,学習の総体としては,進んでいるというのは当てはまらないと思います。
 ただ,orimotoさんがお書きになっている「ビジネス社会における考え方の方法論」は,これまでも一部主張されてきましたが,結局取り上げられなかった考え方だと思います。「個性を伸ばす」というスローガンのもと,今後いろいろなところで述べられると考えられます。それが現実をどの様に打開する方策を打ち出せるのか,興味のあるところです。ただ,すでに教育されしかるべき成果を修めて社会に貢献されている方と,同じ教育を受けても自分はそうでないと考えている方とが現実にいます(たぶんorimotoさんは前者ではないでしょうか)。公教育(義務教育を中心に指す言葉ですが,ここでは97%を越える高校進学を考えたとき,中等教育そのものを指す言葉として使いたいと思います)が,国民教育として,あるいは国民教養の保証を行うものだという視点で考えたとき,教育水準あるいは内容のスタンダードレベルをどの点におく必要があるのかということがもっと語られなくてはならないと考えています。そのときに,「ビジネス社会における考え方の方法論」がどの様な処方箋を書いてくれるのかに大変興味があります。
 最後に,私がこの覧には質問させていただいたのも,どのような立場の人がどの様にお考えなのかということを知りたいからです。
 ご回答ありがとうございました。もしよろしければ,総論とは別に,中等教育における具体的な数学の単元を通して,上記のテーマでご回答いただけると更にありがたいと思います。「○○を△△のように学習した結果,◇◇をする上で◎◎のように役に立った。」あるいは,「○○を△△のように学習したが,◇◇をする上で剰り役に立たなかった。△△を◎◎のように学習させるならば,◇◇をする上で役に立てられると思う。」というようなことをたくさん知りたいと考えています。私は大学,大学院で数学や数学教育を学び(orimotoさんも数学の修士をお出になられているのでしたよね),高校,中学校で数学教師として生徒の指導に当たっています。ですから,自分の体験して実社会で数学がどの様に生かされているのかについて,伝聞でしか知りません。是非,お教え願えればと考えています。

お礼日時:2001/04/12 21:01

 そもそも数学は否定の論理(証明)が起源となっています。

従って修士の方も書かれていましたが、論理的な考えを養う教科でしょう。しかし、大学の工学部に進学する生徒にとってはこのような悠長なことは言っていられません。履修する70%は
数学が必要なのです。
 文系の生徒にとっては、単に論理的感覚を養い社会人になったときに、相手に対し自分の考えを理解させるために必要な学問ではないでしょうか。
 理系(特に工学部)の学生にとっては、文系の領域は当たり前でそれ以上の能力を
要求されます。一般の高校で文系・理系と分かれて行きますが、理系を選んだ生徒の1/2は本当の理系ではありません。(程度の問題もあるでしょうが)

 今の数学教育に欠けているものはなんでしょうか。
答案用紙に答えだけを記入させるテストをする。これは先生を楽にさせ、生徒を本来の数学の目的からはずしている要因です。大学の二次試験様式にすべきです。
そして、途中までの部分点を与えるべきです。私が学習塾をしていたときに、生徒たちは答えが合っていた場合、ほとんどの生徒が「当たった」と言うのです。これは大変だ! と思い、生徒を疑ってはいけないのでしょうが、その生徒を個別に呼んで解き方をその場で説明させます。論理が成り立たなければ×です。また、別紙(白紙)を配布して、表裏を使い計算の途中をきちんと書かせました。このような方法を
とった成果は、今まで中間テストが6/100だった生徒が一ヶ月で受験模擬テストで32/60になりました。他の生徒も同様に成績は向上しています。
 時代によって問題の難易度が変化することはどうしようもないことです。いかに
生徒が数学に興味を持つような授業をするべきでしょう。PTAの授業参観の時、私は自分の子どもの授業は5分間、他の教室の授業を見て行きます。予習をしている先生は2/10でしょうか。先生に望むことは、切れ味のある授業をし、生徒各人の努力を
認めてやることでしょう。これは中等教育には不可欠なものでしょう。

 私とある高校生との会話を紹介します。
生徒:先生ここの塾に来ない日に分からないことがあったらどうしたら良いでしょう   か。
私 :学校では質問タイムが設定されているでしょう。学校の先生に質問しなさい。
   その一週間後
生徒:この前、質問したんですが、「これは、この公式に代入すればすぐに出るでし   ょう。」と言われパタパタと職員室に帰ったそうです。

 このような授業をしていると日本の数学の将来はないでしょう。私の地域だけであることを祈る次第です。
 私は、昭和24年1月生まれです。
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