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可愛がっていたペットの死とその後について


私はヒメウズラという鳥を
20羽の成鳥(室外ベランダで飼育)と
6羽の雛(室内トイレで飼育)を飼っています。

先日、こんな出来事がありました。

私の落ち度以外何物でもないのですが、
ベランダが非常に汚れていて
ずず黒くなっていたので、
漂白剤を混ぜた水で洗浄しました。

この時室内にヒメウズラを避難させておけば
よかったのですが、面倒臭いのでそのまま
掃除をしてしまいました。

ケージもまっ平らでなくてお盆のように
なっていたので、気をつけて洗浄すれば
水はかからないから大丈夫だろうと。

翌日

前日はベランダ掃除だけで手一杯でしたので
小屋の掃除をしようと床材に手を触れたら
びしょびしょになっていました。

「しまった!!・・・」

時すでに遅しでした。
小屋掃除をした翌日から3日間のうちに
足からばい菌が入り敗血症で6羽を失くしました。
自分の愚かさをかみしめ後悔のほぞを噛みしめ
亡くなった子たちをせめて丁重に弔うしか
ありませんでした。
6羽すべて合葬しました。

その次の日

今回私のミスで殺した子の1羽が以前に
産んでいた卵を業者に依頼して孵化を
頼んでいたのが返ったとの連絡が入りました。

6羽孵化しました。

私が誤殺した子たちが甦ったような
錯覚にとらわれ大事に育てています。
(2羽は足に障害ありますけどね)


さて、質問です。

可愛がっていたペットが死に
思い出や後悔、悲しみだけでなく
偶然にせよ必然にせよ
何かそれに変わる感動や
後から思い返してみて
感じ行ったことなど
死の代償の代わりに得た何かを
教えてください。

「可愛がっていたペットの死とその後について」の質問画像
gooドクター

A 回答 (4件)

こんにちわ



6羽無くなって6羽生まれるなんて、本当にその子達が生まれ変わったようですね
元気に生きてほしいです


私は、春頃丸裸の雀の雛を保護しました インターネットで雛の育て方をすぐ検索し、
簡易巣箱を作って(年寄りが作る新聞紙のゴミ箱にちぎったティッシュを入れたもの)
その下にタオルで巻いたアンカとペットボトルの湯たんぽを作り、初日はそれこそつきっきりで
お世話しました

インターネットが普及して本当に便利な世のなかになりましたね エサや保温の仕方が成長段階別に
一から十まで過不足なく調べる事ができました

元気に12日が過ぎた頃、こんなに成長が早いものかと驚きましたが、産毛ではあるものの
ぱっと見は大人の雀のよう!
質問者様は鳥をたくさん飼われているのでおわかりでしょうが、初心者の私にとって
あの丸裸の雛ちゃんが、こんなに短期間でここまでぽわぽわの雀らしい姿になるなんて
驚きでした

そのぽわぽわさが油断の元だったのですが、その日は1日だけ、急に寒くなった日だったんです
週間予報を見ても、ぽっかりその日だけ気温が下がっていたんですね
でも、ぽあぽあの産毛に覆われたその姿に安心してしまい、あんかを外して寝てしまったんです


そのせいかどうかわかりませんが、朝になって冷たくなっている雛ちゃんに気づきました
身を寄せ合う兄弟もいず、寒さにふるえて一人その命を絶ったのかと思うと、
本当に自分の油断が悔やんでも悔やみきれず、ごめんねという思いでいっぱいでした


さて、この雛ちゃんの死で得たものですが、私は10月に資格試験を控えていました
合格率は20%を切っている難しいといわれる試験でしたが、仕事上どうしてもどうしても
欲しい資格でした

先週無事試験が終わり、結果はまだですが、自己採点では合格できたと思います

4月から勉強を始めましたが、10月まで仕事が終わったらすぐ机に向かい、
昼間も休日には机に向かっていました
あの雛ちゃんを育てながら、勉強をするのは正直大変だったと思います
ネットで読んだら長いもので5年10年生きる子もいるそうなので


ですから、あそこで亡くなったのも、天の思し召しかな。。。と思う自分もいます

この回答への補足

実はヒメウズラを飼い始めてこういうお礼の話に近い事をよくめにします。

偶然かもしれませんが、お互いくちばしに就いた食べかすをたべあってたり、かたいっぽうを病気やけがで隔離するともう一方がピィピィ良く鳴いて探していました。

十姉妹も夜寝る時などは互いに密着し合って寝たりするのでしょうか。

ヒメウズラはみんなでお尻をくっつけあって綺麗な円形陣を作って寝ています。
いつもきれいな陣形を組み立てるなと感心しています。

補足日時:2010/10/31 21:37
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

保護した雛もあなたに保護されなければそんな長生き出来てませんから、あなたへ12日も延命させてくれたことのお礼に人身御供になってその大事な試験のためにしんでくれたのでしょう。

それにしてもよくネットの情報だけで12日も余命を保たせましたよね。私も保護した事がありますが、4日しか持ちませんでした。

今日、この質問を出させて頂いてすぐに悲しい事がありました。
泣かせる話なのでぜひご一読ください。

この質問に書かせて頂いていた6羽のうちの足の悪い2羽が全く突然に相次いで亡くなりました。

足の悪い子の片方は写真の仔のように成長がみられず孵化したままの体型をしていたので、遠からぬうちに駄目かもしれないと覚悟はしていました。しかし今日の夕方にまた病院で診てもらえるし大丈夫だろうと思っていたら、11時位に亡くなっているのを確認しました。この子の遺体を回収し獣医に今日の診察まで命が持ちませんでしたと連絡し、残った元気な子を診てもらうつもりでいました。すると遺体を回収し、自分の隣に死んだ子がいないことに気付いた雛がヒィヨヒィヨと大声で鳴いて隣人を探していました。ずっと一緒にいたから一人ぼっちになってさみしいんだろうと思い、足の矯正に悪影響を出さない範囲で元気な子と一緒にいさせた方がいいなと思い、元気な4羽の子の中に入れましたが、それでもずっと鳴いていました。この雛の情愛の深さが胸を締め付けるので、声を聞いてるのがつらくベランダ掃除に集中してこの子をほっぽらかしにしていました。ベランダ掃除が終わるとまだ鳴き声はしていましたが、最初の頃と比べると明らかにか細く鳴いていました。そのうち鳴き声が止んだので、泣き疲れてないてくれたのかなと雛たちの様子を見に行ったら、いっつも2羽で仲良くくっついて寝ていたまさにその場所で口から大量のよだれをはきだして死んでいました。

死ぬまで鳴いて兄弟を探していたのでしょう。一寸の虫にも五分の魂ってことばがありますが、ヒメウズラの雛には人間の情愛をはるかに超えた情愛があると感じました。さみしくて死ぬ。鳴き疲れて死ぬ。そんな人、人間にはいませんからね。死体を見たときは愕然としましたが、兄弟愛の深さに感じ入りました。

お礼日時:2010/10/31 20:44

犬を長年飼ってまして、最初に飼ったのは、中学の時でした。

それまでは、父の仕事の関係で、官舎住まいだったので、ペットが飼えず、せいぜい金魚を飼う程度でした。

中学の時、親が持ち家に戻った事を期に、コリーの雌犬をもらってきて飼い始めました。
可愛くて可愛くて、私が学校に行く時は、後追いして泣くような子でした。

散歩、犬小屋の掃除、躾と大変だったけど、何とも言えない充実した日々でした。

近所にシェパードの雄がいて、それと仲良しだったのですが、そのシェパードの子を妊娠したのです。最初は、驚きもあったし、心配でもあったけど、無事出産し、真っ白が1匹、まっ黒が1匹、茶が1匹と、母親の毛色を分割したように産まれました。白と茶はもらわれて行ったけど、黒だけどうしても里親が見つからず、親子で飼う事にしました。

それから2年後、また母犬が妊娠したのです。前の時、安産だったので油断したのです。子供は4匹無事出産したのですが、出血が多かった事もあって、母犬は亡くなりました。産まれた子犬は、保険所に問い合わせて、ミルク飲ませたりして、なんとか育って、みんな里子にだしたのですが、以前からいた子供の黒い犬が、ご飯は半分残すし、おやつも半分しか食べない。散歩に行っても振り返り、振り返り歩くのです。

私自身もその母犬が亡くなったショックでがっくりきてたのですが、私まで落ち込んでたらこの子が余計可哀相、元気ださなきゃって思ってみてもなかなか回復できませんでした。

私の落ち込み方がひどいのと、その黒犬の落ち込み方が尋常じゃないと判断した父が、黒犬のお嫁さんを探し始めたのですが、また死なれたらと思うと私は賛成できませんでした。それでも父はお友達のようなお嫁さんでもと言って探してきたのが、同じ町内で独り暮らしのお婆さんが飼ってる雌犬でした。いうなれば、通い婚のような形で愛犬の生活が始まったら、犬は何とか元気を取り戻しました。

そこでまた子犬が生まれたりして、里親探しなどして、その雌犬が妊娠した時は、また亡くなられても怖かったので、最初から獣医さんに診せて病院で出産させたりしたのです。

それから何年も過ぎて私が大学の休みで帰省した時、うちの犬の相手の犬が高齢で亡くなったんです。するとうちの犬はそれから七日間、犬小屋から出ても来ないし、全く吠えもしない、ご飯も少ししか食べない、また・・・と思ってたら、七日目の夜、遠吠えしたんです。ちょうど人間で言うと初七日の夜でした。犬にも儀礼というものがあるのだとその時は思いました。

その後、その犬は、17歳で天寿を全うしたのですが、その亡くなる2ヶ月ほど前からほとんどご飯も食べず、散歩にも行こうとせずの状態だったそうです。その頃、私は、実家離れて就職してまして、お正月休みで帰省した日の夜、静かに永遠の眠りにつきました。待っててくれたんだね。そう思いました。

しかし、この犬が亡くなった後、今度は父がショックで寝込んでしまって、それまで病気一つしない父だったのに、その黒犬が亡くなった夜は、生き物飼うのやめようね、死んだ時が悲しすぎるよっ話してた父が、今日は仕事を休むと言って起きてこない。父は結局3日寝こんでくれて、また飼おうかという話になって。

それで現在15歳になる紀州犬がいるのですが、これが2年ぐらい前からいっきに老けこんで、病院に連れて行ったら、年相応の老化と言われたのです。しかし昨年、母のリハビリ散歩の相手になるように少し小さめの犬をもう一匹飼おうということになって、ビーグルの雌の子犬をもらってきたら、突然元気になっちゃって、孫の世話する爺さんそのもの。小さいうちは自分が抱くようにして寝るし、避妊手術で病院に預けた間は心配でたまらないという状態。今も仲良く寝てます。

犬を飼い始めて一時期実家を離れた時期もありますが、通算30年以上になります。人間の世界では親が子供を虐待するというような事件もありますけど、親と子の繋がりというものは犬であってもすごいものがあると思いますし、亡くなったという事実に対し心から思っているのだなと思わされました。

7年ぐらい前からほとんど歩けなかった母も少しずつですが歩けるようになってきたし、隠居生活に入ってた父も元気になって、ペットを飼うという事は、どうしても死に直面するという事を避けては通れませんが、人が忘れかけてた何か大事なものを日常の生活の中で知らず知らずに教えてくれてるものだと思います。

あまり回答になってませんが、先日から何かちょっと気になってて、回答しかけては旨くかけいないなと繰り返してたので。長文失礼しました。

この回答への補足

母と父の動物に対する愛情の違いが極端に出た事件が岡山に住んでいるときにありました。

父は自分の勤め先で戯れにヤギと鶏を飼っていました。私もよく足繁く父の会社を訪れこの子たちを可愛がっていました。それが野犬に襲われて全滅しました。父と私はヤギと鶏の敵打ちのためにヤギをさばいてその内臓を取り出し、虎バサミの周辺に撒いてわなを仕掛けました。母や兄ではこのような思考は働かなかったでしょう。念願かなって野犬どもを罠にはめて壊滅させ一網打尽にしました。野犬は保健所が引き取りに来るまで彼らが全滅させた鶏舎で預かったのち保健所に引き渡しました。一方で殺されたヤギは解体され食べられるところ以外は全部焼却して彼らがいた牧舎に遺灰を散骨し、鶏については家に持ち帰って羽をむしるところから父と調理して全部食べました。ヤギは独特の臭気がありましたがその香りもまた肉と相まってとてもおいしいものでした。鶏の解体した不要部分も全部焼却して鶏舎周辺に埋めてやりました。

私や父は殺されて悲しい思いもしましたが、全部丁重に食べもしないで埋めるのでなく、折角の命をこれ以上無駄にしないためにも利用できるところはトコトン利用し、食べられるのであればそれを食して自分の血肉とした方が彼らの為でもあり、何より私たちのためにもなると思いました。食べられない部位は焼いて遺灰をその跡地に撒く事で跡地に植えた芝生たちの肥やしにもなるし、何よりもすべてつかいきってやることこそが最高の供養だと思いました。

母も父同様に農家の出身であり幼少時に鶏を飼ったりしていましたが、父は自分の家でしめてたべていましたが、母の家でもたまにしていたらしいですが、大半は「鳥買い」という行商人が卵を産まない用済みの鶏を引き取りに来て代わりに卵を産み始めた鶏を置いていきました。母は鶏達をたいそう可愛がっていて野菜くずや屑米などを手塚ら与えていたために、母に抱っこしてもらいたくて鶏がしゃがんだ母のまたに入ってきたり、まるく座って抱いてくれと催促したりかなり懐かせていたようです。そんな鶏を鳥買いに引き渡す時がとても心苦しくてやるせない気持ちだったし、夜になると一番に小屋に戻って行き、朝になると必ず決まった時間に鳴いていた鶏が死んでそれが夕食に出された時はさすがに残したといってました。男女の差もあるかもしれませんが、同じ農家のででもこんなに考え方に違いがあるものなんだなと思いました。

ちなみに父と母の年の差は2つしかありません。同じ戦前生まれであるのに、長男と末娘の差もあったのでしょうか?興味を引きました。

補足日時:2010/11/01 09:11
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
わたしも実家で6代30年以上ですが犬を飼っています。母が動物好きであったので私が乳幼児の頃から何かしらペットを飼っていました。我が家ではペットが絶えることは本当にありませんでした。
当然そこには出会いがあれば別れもあるわけですが、それぞれやはり違った出会い方をして違った別れ方をしました。そのたびごとの子供のころに受けた影響は大きく、大人になってまた今年からですが、ペットを飼い始めて思ったのはsumiwakaさんのおっしゃるとおり、
「人が忘れかけてた何か大事なものを日常の生活の中で知らず知らずに教えてくれてるものだ」と私も思います。それと同時に飼主のペットへの関わり方にも少なからず影響を与え、飼主の考え自体が変わって行くことも往々にしてあるようです。

これに対して父は動物を家畜としては可愛がる事を知っていましたが、愛玩用として動物を飼うのは母と結婚するまで1度の経験もありませんでした。同じ百姓の家に生まれながらもここまで対照的に考え方が違うのは実に興味を湧きました。家では子煩悩のいい父親でしたがペットに関しては役に立てば可愛がりますが役に立たないものは全く可愛がりません。そのため文鳥をはじめとする鳥、犬、その他色々な動物を飼いましたが父はこれらを可愛がろうとはしませんでした。

東京で私は生まれ小学校の入学前に大阪への転校が父の転勤で決まりました。社宅住まいになるため、東京は分譲マンションだったので犬猫を除くほぼすべての小動物は飼育出来たのですが、社宅には細かい規定があって飼えるものと飼えないものがあり、亀などの爬虫類は駄目という事で連れて行くことができませんでした。母と私は貰い手を探して奔走しましたが見つかりません。母は神社池に放して神様に飼って貰うしかないと言ってましたが父は逃がしてこいとは言わず、自分で飼いたいと言って飼ったんだ。最期まで責任を持って飼うのが飼主の務めだ。無責任にペットを捨てる権利があるのはペットを飼っていない同居人がすることで飼主はペットの主人としてけじめを取らねばならないといってました。私はそれは父が自分で飼ったからには飼えなくなったペットの始末。つまり殺処理しろと捉え転居の前日に泣きながら亀を抱いてゴミ捨て場の陰で亀の甲羅を金属バットで殴打し亀を殺処理しました。殺した亀はマンションの公園の薔薇苑に土中深く穴を掘って埋めてやり、薔薇は挿し木で増えるという誤った知識を信じていた私は薔薇苑の薔薇を折って墓標のように突き刺したっぷりと水をかけて亀の死と引き換えに綺麗なバラを毎年咲かせて亀を毎年弔ってくれと涙を流しながら頼んで別れ、母と兄には亀を撲殺したとはいえず、天神様に逃がしてきたと嘘をつき、父には亀を殺して薔薇園に埋めた事を正直に話しました。父は何も言わず鳴きながら話す私を微笑んで話をじっと聞いていました。その後大阪に引っ越してすぐに刑事犬カールが放送されると父を除く家族全員が社宅生活を嫌って環境の良い北摂地区へ引っ越して庭つきのマンションを買おう。そこで犬を飼おうという話が沸き起こりました。3対1では勝負ありで父は箕面に庭付きマンションを飼い、私は今でもしつこくシェパードがほしいのですが、親戚で産まれた子犬をもらいました。父は全く犬に関心が無く母と兄弟2人で面倒をみていました。この犬が父の転勤で大阪から岡山へ連れて行くと環境の変化から1カ月ほどでフィラリアが悪化し死にました。父の勤め先の研究所でよく放してやっていたので父に頼んで研究所で埋めてもいいか聞きました。父は私と一緒に犬のために研究所の日当たりのいい斜面に穴を掘り犬を埋めてくれました。その次に飼った犬は障害があるため母が元の飼主に戻し、その次に飼った犬は知恵があって賢い犬でしたが脱走してあちこちに種付けして回ったために父に棄てられました。しかし名犬ラッシーのように1週間かけて帰ってきたのでまた家で飼いましたが脱走癖は直らず午前様で犬が帰ってきたのを仕事帰りの父が運悪く目撃し、今度は海を隔てた四国山脈に捨てに行きさすがに戻ってきませんでした。父の転勤で東京に引っ越すと東京の社宅は戸建ての社宅が当たったのでまた犬を飼いました。岡山で飼っていた犬よりは飼主に従順だったため、私ははじめて犬におやつをやる父の姿をみました。この犬は長命を保ち父が定年退職して東京から実家の香川県に戻り長年住み慣れた東京を目指して犬は逃亡し出発したものの家の近所の大きな交差点で何台もの車にはねられて死にました。遺体を持って帰り母は半狂乱、祖父は溺愛した犬の死が堪えたか2カ月後に亡くなりました。今実家にいる犬はとても賢い犬なので父が散歩に連れて行くようになりました。犬の素質が大きいのでしょうが母が父に与えた影響も大きく犬を可愛がる様に変わっていきました

お礼日時:2010/11/01 05:39

こんにちは!



実は、昨夜にも上がっていたこの内容とは少し違う内容の質問に回答しようとしました。
・・・が回答が削除と入れ違いになったようでエラーが出てしまって残念に思っていました。

まずは、ヒメウズラちゃん達のご冥福をお祈りします。
以前の質問回答の中で、ヒメウズラちゃんを可愛がっておられるのが伝わる文面から無事に
育つと良いですねと書かせて頂いただけに私もびっくりしたし悲しいです。

私にもペットを亡くした経験があります。
マルチーズの男の子を2年と少しで亡くしてしまいました。
いつものようにお散歩に出て帰宅したらぐったりしてて抱き上げても体に力が入らずぐにゃぐにゃ。
慌ててかかりつけの獣医さんの所へ走りましたが結局はダメでした。
原因もわからずで突然死と片付けられてしまいました。

その子は血統書もついていないごくごく普通のマルチーズで、以前住んでいたご近所の方から
譲り受けた子でした。
犬を飼った事もない私達家族はもう大騒ぎでした。
朝起きると真っ先に朝食の支度をする私のあとをついて回ったり、もうそれはそれは可愛くて。

亡くなった時は私がちゃんとした食事を与えてなくて栄養が悪かったんじゃないかとか、あの日
お散歩に行かなければ良かったとか、いろんな後悔が頭の中をぐるぐる回って何も食べれなくなって
一気に5キロも体重が減ってしまい、元々の持病の貧血が悪化して入院もしました。

犬や猫、鳥など動物が嫌いな人にはたかが犬くらいでとか思われる方もおられるんでしょうが
私にとってあの子は3人いる子供の弟、4人目の子供と同じくらい可愛かったんです。

でも、私が暗くしていたので、周りのみんながすごい気を使ってくれているのがわかってそれもまた
つらかったです。

虹の橋ってご存知ですか?
動物達は亡くなったらこの虹の橋で飼い主さんを待ってるんだそうです。
私がいつか虹の橋に行ったらホイップ(犬の名前です)がいなくなったあとあんなことがあったよ
こんなこともあったよとたくさん楽しい話がしたいので元気を出してがんばってます。

内容はちょっと書けないんですが、この子がいなくなってから私の生活が大きく変わったんですよ。
もしかしたらホイップが道を広げてくれたのかな?と思っています。

ありきたりですがペットの死からはやっぱり『命の重み』『思い出は消えない』『ありがとう』
この3つを得たように思います。

osuwariha さん、亡くなった子の卵が孵化したんですね!
昨日の質問にはこの内容が記されてなかったので大丈夫かな?と心配しましたが・・
画像、すごく可愛いです。 
天国のウズラちゃん達も見守ってくれてると思いますよ。

どれくらいまで大きくなるのか私もあまり詳しくないのですが、成長がすごく楽しみです。

長文の上に回答らしくない回答で大変失礼致しました。

この回答への補足

いつも回答に参加して頂いてありがとうございます。

動物を飼うのはその成長の速さが人間の何倍も速い分、別れも早いですけど、いつまでも思い出というお土産が残るからどうしてもやめられないんですよね。

犬の毛アレルギーの件はどうなりましたか?

もしクリアーできればまたmarucheeseさんも犬との生活が楽しめそうですよね。

補足日時:2010/10/31 21:15
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

投稿されていたところ削除してしまい申し訳ありません。
もうちょっとうまく端的に質問を書きなおし、良い写真がなかったかなと探し回っているうちに間違えて削除してしまいました。

わたしもこないだ動物病院に具合の悪い子を連れて行って●●くんのお父さんと受付の女の子に呼ばれた時は、そうだよな私はこの雛にとっちゃお父さんやお母さんみたいなもんだなあと感じました。ああいう呼ばれ方もなんだかてれくさいですけどいいですよね。
虹の橋ですか。そうですね。あるかもしれないですね。
似たような話が私の体験でもあります。といってもゆめのせかいのはなしですが。

私が産まれたときに孵化した文鳥をペアで母の長兄が母に私の誕生日祝いとして送ってくれました。
片一方の子は事故でしにましたが、もう一方の子は随分長生きしてくれました。
私が小学校5年生の2学期の半ばまで生きてくれたので、11年生きました。
飼主を見る目があるのか、私の頭の上だけでいつもうんこをしていました。母や父、兄の上ではうんこすることはないのですが、私と犬の頭の上ではうんこをよくしていました。それだけ下にみていたのか、安心していたのかはわかりません。この文鳥はとても賢くて、自分で扉を勝手に上げて勝手に散歩に行きます。
5分か10分して満足したら戻ってくるのですが、扉の前で待っています。あまりに飼い主が気付いてくれないと、窓ガラスを鳥籠に足を上手に引っ掛けてコツコツくちばしでつついて催促してくるようなほぼ犬に近い知能をもつ鳥でした。そのため私と同い年で同じ日に生まれて事も影響してか私がことのほか溺愛して可愛がっていました。1番最初に飼っていた犬が死に、ひよこやにわとり、セキセイインコなどが相次いで犬がいなくなった事を知った野良猫に襲われて死んだ時も、すでに11歳になっていたこの文鳥は自分だけ要領よく脱出して、私がどうしてこの部屋にいる事を知ったのかはわかりませんが、開いていた天窓から私がねていた枕元きていました。翌朝目の前に文鳥がいるのを見てびっくりしましたがよほど怖い思いをしたのでしょう。その日は私にずっと付いて回っていました。それから2カ月くらい経ったある日の夜。夢の中で文鳥がわたしのすぐそばにいるのに呼んでも来ません。もじもじと建物外からこちらをみて電線にとまっています。いつもなら名前を呼べば頭の上にてんととまって時折余計なものを落とした後で鳥小屋にはいりますが、夢の中の文鳥はそれ以上近寄りません。気味の悪い夢でしたがまあ夢を見ていることは夢の中でなぜかわかっていました。

翌朝気になって文鳥をみるとぐったりして糞切り網の上で横倒しになっているのをみました。
慌てて室内に連れて行き、体を触るとかなり冷たく、それでもかすかに息をしていたのでこたつのなかで一生懸命温めました。懐炉を祖父から借りてずっと温めていました。うっすらと気がついたのか目を開けてうつろな表情で私を見てぴおぴぴおぴとか細い声で何かを私に伝えたいかのように鳴きまた目をつむって寝てしまいました。これが文鳥が生きているうちに目を開けてくれた最期、鳴き声をきいた最期となりました。

わたしにとっては自分の分身に思っていた鳥だったので良く母も許してくれたなと思うのですが、学校を休んでまで看病し、手の中で様子を逐一みながら温めていたために、懐炉で手が低温やけどしていることにも気づきませんでした。いつの間にか看病につかれてうとうとしてしまいまた夢を見ました。すると文鳥が家の外で3回くるくるまわってはばたいて1回だけ後ろを振り向きお日様の方へ向って飛んで行きました。夢を見ているのは分かっていたので慌てて目覚めると目を開けたまま呼吸が止まり心音もない、文鳥が私の手の中にいました。

私は半狂乱になって心臓マッサージや人工呼吸などしてなんとか生き返ってくれとむきになって両親の説得も祖父の説得も聞き入れないで気違いのように蘇生していました。力を入れ過ぎたためにお尻から腸がはみ出していることにも気付かず、くちを無理矢理あけたためにくちばしが折れてぶら下がってしまっていることにも気付かず、取りつかれたように蘇生をしていました。母が思い切り竹刀で私の頭をひっぱたき「もうやめて、ゴンはしんでいるでしょ。あなたのせいでゴンはボロボロよ」っていわれるまで完全に我を忘れてました。自分の片腕がもがれたようなショックでその日から一週間はどもりが治らなくなりました。

文鳥が死んで1週間後、夢の中に文鳥がでてきてすぐ去って行きました。
あの夢はおれは大丈夫だときっと伝えに来てくれたんだと思いました。
夢から覚めるとどもりも治っていました。

ゴンおれももう40になったよ。
きょうはお前の29回目の命日だな。神様の頭の上にうんこ落とすなよ。

お礼日時:2010/10/31 17:10

幼いころは十姉妹を飼ってました。

初めはオスメスのつがいで、一番増えた時は14羽ですね。
寿命で死んだのもあれば、ベランダで飼ってたので野良猫にやられたのもいます。
中には懐いて手に載るようになったのもいて、それが死んだ時は落ち込みました。
自分が実家を出た後で、両親が犬を飼いましたが寿命(12年)で死にました。
両親は世話は大変だったけど、いなくなるとさみしいと言ってました。
自分も実家を訪れた時は、尻尾を振って歓迎してくれましたのを、同じ犬を見かけると思い出します。

現在放送中のドラマ「獣医ドリトル」でも、出てきますが
「忘れてしまえ」「新しいのを買えばいいだろう」という人もいますが、それは間違いだと思いますし
かといって悲しみにふさぎこんでしまえば、周りに心配や迷惑をかけます。
ペットにしろ、親兄弟や友達にしろ、出会いと別れがあるのが人生です。
悲しみを忘れる必要はないですが、思い出は自分の中にあることを糧として
新しく得たものを大切にすることですかね。

この回答への補足

悲しみにふさぎこんでしまえば周りに迷惑をかけます。

全くその通りですよね。

私もお礼のところで書かせて頂いた文鳥の話ですが、事故で死んだこの子と長命を保って天寿を全うした仔がいるのですが、長命を保った子が死んだ時がまさにそうでした。死んだ鳥を捕まえて力いっぱい人工呼吸して、腹がパンパンに膨れ上がり、おまけに強く握り過ぎてお尻から腸がでちゃったり、人工呼吸をするため力いっぱいくちばしをこじあけたために付け根から折れて宙ぶらりんにぶら下がってしまい、死んだ時は綺麗だった文鳥の姿は私が悲しみにふさぎこんで狂ったように蘇生したためにまず、文鳥の遺体がボロボロになり、両親や祖父が本当に私が狂ったと思ったそうです。ペットが死んでしまうとどうしても思い入れがあるから自分の世界に入り込んでしまうんですよね。

補足日時:2010/10/31 21:25
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

たしかに出会いと別れの経験を積んでいくと悲しみと同じ分だけ思い出という新しい糧が積み重なって行き。感情が豊かな情愛の深い人間になりますよね。私は情愛に行かずからかいに行ってしまいましたが、兄や兄の影響を強く受けて育っている甥を見ると情愛の深い子たちに育っています。

随分沢山十姉妹増やされたのですね。
私も幼少時に文鳥を飼っていました。
その文鳥はつがいでしかも私と同じ日に孵化した子を母の長兄が母のために私の誕生祝いとしてくれました。
このこたちのうち片方の子は母が室内で洗濯物を干していた時に足元にペッタリひっついていたのを母が知らずに踏ん付けてしまい、亡くなりました。しかしこの時慌てた物干しざおに手が当たり物干しが落下してきたのですが、この文鳥を助けようとしゃがんだために、顔面に物干しざおを受けなくて助かったと言ってました。

事実、この事故が起きる少し前に、同じように室内で洗濯物を干していてその物干し竿が母の顔面を直撃し、このときは鼻の骨を骨折し私が救急車を手配して、分かりにくい住宅街を救急車の前を全力疾走で家まで誘導しました。7歳の時の話です。

きっと室内でそんなに沢山洗濯物干すと危ないよとあの子が命がけで教えてくれたのかもしれません。
私はそういう風に思い込んでいるために未だに室内で洗濯物を干すことをしたことがありません。

お礼日時:2010/10/31 16:20

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