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第二次世界大戦中パラオ諸島のペリリュー島で玉砕した日本軍の記事が、ネット上であちこちで引用されていて有名ですが、この出典を御存知の方教えて下さい。
この記事は、「遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。あそこでみんな死んでいったんだ・・・沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。」で始まる感動的なお話ですが、この記事は誰が書いたのか、第一この話は本当なのかということに関心を持っています。
唯一出典を書いていたネット上の人がいたのですが、この人は2006年12月8日の東京毎日新聞夕刊のコラムと言ってました。そこで国会図書館のマイクロフィルムまで調べたのですがありませんでした。
ただし、パラオの話は載っていた事は載っていましたが、遺骨収集の日本人遺族が事前申告がなされていなかったので、せっかくペリリュー島まで行ったのに現地に入ることを拒否されて帰国した、というショボイ話が載っていただけです。

「遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた」という文章を検索にかけるだけで、あちこちに全文を載せているサイトに行き着くことが出来るネット上では大変有名です。それもほとんどの記事が一字一句同じ、ブランクのあけ方まで同じとくれば、みなさん同じ文をコピペしたものであろうことが分かります。
となると、その元となった記事は一体誰が書いたのか、そしてこの話はそもそも本当のことなのか、
大変気になっています。
どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (1件)

この人です。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%A9%E5%9D%82% …

サクラサクラですね。(新聞社刊です。)

創作っぽいです。(戦後ですし。)
しかし、経歴からすると証言扱いです。(経歴的には問題が無い。)

「史実」(文献に近い資料)と見なすしか手段は無いと思います。


新聞社刊でも7割だと思います。(正しいのが。)

航空隊はB-29を迎撃せずに退避して爆撃が終わると戻って来た。

本土決戦準備の為、積極的な攻撃は行わなくなったのは正しいが、

この指摘を受けていた千葉の部隊は沖縄に移転。
特攻部隊も編成して果敢に攻撃中だった。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
紹介して頂いたこの方はまさに不死身、すごい人ですね。
なるほど、戦後色んな本をお書きになっているから、
あの文はその中の一節なのかもしれませんね。
特に新聞社刊が怪しいと思うので
なんとか調べてみようと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/11/11 02:26

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