人が「死ぬ」とはどんなことか?
人は何を指して「死」と呼ぶか?
を問います。

(尚、安楽死からの続きですが安楽死の方の質問についても引き続き・・・)

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A 回答 (19件中11~19件)

 まず、No.7のご指摘につき。


 手っ取り早く言うと「経験というのは自らが体験することばかりではなくて、見たり聞いたりすることをも含めて、外界の事柄を意識の中に受け容れることを指す」ということです。「自分が死ぬ」ということは、経験する主体という意識自体の消滅ですから「経験」は成り立ちません。「臨死体験」、つまり、その消滅の瞬間の直前までは経験できても、その消滅の瞬間そのものは決して自分では経験できません。
 ですから、
>つまり「死に行く」ところまでは意識があるから経験できるが、
>「死ぬ」と意識がないから経験できないと。 
という、お示しの仮定は正しいですし、
>「死」とは経験しえない。「死に行く」己を経験することが関の山
という部分も、せいぜいいわゆる「臨死体験」までしか行けないという点で正しいご理解です。また、
>死とは経験しえないものであり、なおかつ誰にでも訪れるからこそ、
>想像し備える為の作業としての生命活動及び「死の練習」があると
>理解できるのですが。
というご指摘も、まさにNo.6で私が記した趣旨に合致するものです。

 さてしかし、No.6で示した回答は、あくまでも「他者の死を経験しうる生ける者にとっての死が持つ意味」でした。「死にゆく自分にとっての死とは?」という問題が残されます。No.6の「一つには」に続く、「もう一つには」に行きましょう。
 結論から言うと「意味なし」です。「耳なし芳一」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)ですが、「意味なし芳一」ってやつです。ああ、なんと意味のないオヤジギャグ…。さらに意味のない余談ですが、ほういちさん、アレはどうしたんでしょうか。アレにもちゃんとお経を書いてもらったんでしょうか。想像すると怖いです。本編の「怪談」よりもずっと怖いです。やはり書いてもらったのでしょう。「アレなし芳一」ではありませんから…。ああ、なんと恐ろしい…。
 ごほっ、ごほっ。ああ、すいません。ほんとに完全に意味のない余談でした。
 さて「意味なし」です。実はこれもエピクロス以来長い長い伝統を持つ考え方です。実は実は、「死は経験できない」と言ったのはハイデガーが最初ではなく、エピクロスが最初です。理屈は一緒ですが、ちがうところは、ハイデガーが「己の死をみつめ、死に至る未来へ向けて己を投企せよ」と言ったのに対し、情念(パトス)に突き動かされる受動性を排せんと欲したエピクロス派快楽主義の立場では、「死ぬことなんか、ちっとも怖くないんだよ」とのことが主張された点です。
 要するに、怖いのは死に至り死に伴う苦しみが怖いのです。「臨死」の過程で「経験」できる苦しみが怖いのです。それが過ぎればスッキリです。いや、このすっきりした快感自体も感じない。こうして「死」は「生」とはまったく無関係な、外的な出来事として切り離されます。生の意味は、死に至るまでの生の時間の中にしかない。「私」という自分にとっては、死は経験の外にあり、生の意味は生の可能性を広げ、実現していくことの中にしかない。と、そういうことです。こういう傾向の考え方がはっきり出ているのは、最近の人ではサルトルあたり。一歩間違えば独我論という危うさもありますが。
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「脳死」=「死」という風にしか思っていませんが遺族、友達などその人に関わっていた人がその人のことを思い出さなくなったり忘れ去ってしまったら本当に「死」だと思いますね。

「心の中で生きている」というのと同じで全ての人がその人のことを忘れてしまうことが真の「死」のような気がします。「死→存在しない」ですからどこかで生きていても忘れ去られてしまったら死んでいるのと同じなんじゃないかと思いました。
天国も地獄もないと思っていますが故人にはいつまでも見守っていてほしいと「あの世」の存在は信じていたいような気がします。(実際ないですがね)

この回答への補足

返信どうもありがとう。

>「脳死」=「死」という風にしか思っていません

これは他者の死についてですか?ご自分についてのお話でしょうか?
とても肝心なところです。

>。「死→存在しない」ですから
「死」=「存在しない」ということでしょうか?

>天国も地獄もないと思っていますが故人にはいつまでも見守っていてほしいと「あの世」の存在は信じていたいような気がします。(実際ないですがね)

うーん。天国も地獄もありゃしない、しかし無もまた考えられない・・・ってところでしょうか。

補足日時:2001/04/13 22:50
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serpent-owl様へ。


>「自分の死は経験できず、経験できるのは他者の死のみである」
>という趣旨のことはハイデガーが言ってますね
>(『存在と時間』→回答No.4に関連して)。
浅学な僕にはわかりかねるのですが、この部分。
つまり、それは自分が「死んでないから」なんでしょうか?
生きてる以上「死んでる」ことは想像も経験もできないってことでしょうか?
ええっと、つまり「死に行く」ところまでは意識があるから経験できるが、
「死ぬ」と意識がないから経験できないと。こういうことでしょうか?
(この論理には身体を含まぬ魂ってヤツは抜きってことですね)

はい、勝手にこう仮定した上で話を進めさせて頂きます。
そんで、もひとつ、魂とか前世とかいう話はここではあっちにおいといて話します。
ハイデッカーさんが何を言わんとして「経験」なる単語を持ち出したのか
わかりませんが(誤訳かもしれんな)他人の死は死として「経験」
したことになりうるのか?これに疑問を感じます。
「経験」つーのはこうだと思うんです。


キャッチボールをした→野球を「経験」した。

キャッチボールを見た→野球を「観戦(観測)」した。


この二つの間には大きな開きがあります。
『キャッチボールを見た→野球を「経験」した。』
とすると、誰しも「????」となると思うのですが。
じゃ、「他人の死」って経験なの?ってことになります。
となれば、生きている以上、

「死」とは経験しえない。「死に行く」己を経験することが関の山であり、
その先は想像の産物ではないかと思うのですが。

その仮定を置いて読むと、serpent-owlさんのそれ以降の論理は、

死とは経験しえないものであり、なおかつ誰にでも訪れるからこそ、
想像し備える為の作業としての生命活動及び「死の練習」があると
理解できるのですが。

さて、この僕の解釈及び論理は正しいのかしらん?

-----ここまでがserpent-owlさん宛-----------


で、上記の文を踏まえた上で、質問者にアドバイス。

いずれにしても死んだことのない人間が軽々しく、
簡単に「死」を定義しようなんて随分甘いと思いますが。
簡単に定義できるくらいなら、「臓器移植」も「安楽死」も
いまさら揉める訳がない。これも安直に語り得ないものであることの
ごくごく簡単な証明となっていると思いますが。

少なくとも、ここで哲学論議してる人達よりは優秀な人達が
この問題を一生懸命考えてるはずなのにね。
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 「自分の死は経験できず、経験できるのは他者の死のみである」という趣旨のことはハイデガーが言ってますね(『存在と時間』→回答No.4に関連して)。


 それでも生きている「私」の命の問題ですから、人間誰しも「死」については考えずにはおれません。ですから、さまざまな考え方があります。
 一つには、「死」を反省的な観念として持つことが否定的媒介となって人間の営みを生み出し規定する原動力として働いている、と考えられます。砕いて言うと、人は誰しも死ぬことを知っており、意識しているからこそ、それを理解しようと努め、できることなら乗り越えようとする。それが文化を生み出していくということです。
 例えば、人は遺体を放置しません。必ず何らかの仕方で、何らかの儀式を経て、「生きる者が日常生活を送る時空」から切り離します。そして「死者の世界」を想定し、死者をそこへ送ろうとします。お葬式です。中には死者が死者の世界にたどり着くまでの時間を見込んだ儀式もあります。「四十九日」なんかがそうです。あくまでもこれは一例ですが、かくして「死」は生きる者の中に宗教を生み出します。
 もっと広い意味での文化も、間接的にではあれ、「死」を根幹に持つと言ってよいでしょう。唐突ですが、「セックス」なんかはその最たるものです。むろん、セックス自体は文化ではありません。次世代に生命を繋いで個体の死を乗り越えて種を存続させようとする営みは生物全体で共通のことです。
 問題は、性に関わる事柄を禁止したり、限定的に許可したりする仕方が文化を生み出すということです。「衣服」がそうですし、「結婚」もそうです。「性」に関わり、間接的に「死」にも関わっています。この「性」と「死」との関わりから、バタイユは人間の経済活動を考察しています。ここから、「貨幣」もまた死の観念を反映したものと捉えられてきます(日本では岩井克人、今村仁司、中沢新一らが立論しています)。

 プラトンは哲学を「死の練習」と呼んでいます。が、私から見ると、人間の営みすべてが間接的な「死の練習」であるように思えます。
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一般的には「死ぬ」の反対は「生まれる」ではありません。

「死なない」です。ああ故に、「生まれる」の反対は「生まれない」です。また、「生まれる」と「生きる」はちがいます。「生きる」の反対は「生きない」です。したがって、あとはもう分かりますよね。
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この回答へのお礼

返信感謝致します。


>「死ぬ」の反対は「生まれる」ではありません。「死なない」です。ああ故に、「生まれる」の反対は「生まれない」です。

そうですね。

>また、「生まれる」と「生きる」はちがいます。「生きる」の反対は「生きない」です。したがって、あとはもう分かりますよね。

ほう・・・
「生まれる」と「生きる」の違いをどう考えておられるかお聞きしたい。
また「生きない」とは如何なることでしょうか?

お礼日時:2001/04/13 22:11

「人が死ぬ」は『「自分以外」の人が死ぬ』ということだと思います。

自分が死ぬ時は、ありません。とおもいます。
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この回答へのお礼

>「人が死ぬ」は『「自分以外」の人が死ぬ』ということだと思います。自分が死ぬ時は、ありません。とおもいます。

ではご自分の「死」についてご自分の精神が語るところのそれはなんでしょうか?

>自分が死ぬ時は、ありません。

これはどういった意味でしょう?

お礼日時:2001/04/13 22:14

 狭義には、生物学的な死ですが、これは”ある一定の時間で完結し、生命が本来持っている、合目的的な生命活動が、機能低下をきたし、不可逆的に消失していく過程”と定義されると思います。

これに対して、心臓死とか脳死といった概念は、社会の規範や法律といったもので修飾された便宜的な”死”といえます。
 広義には、その人が、生前持っていた社会に対する影響力が消失していく過程を、社会的な死として、死の概念に含めてもいいかもしれません。

この回答への補足

返信感謝致します。

>生物学的な死ですが、これは”ある一定の時間で完結し、生命が本来持っている、合目的的な生命活動が、機能低下をきたし、不可逆的に消失していく過程”と定義されると思います。これに対して、心臓死とか脳死といった概念は、社会の規範や法律といったもので修飾された便宜的な”死”といえます。

だれが見ても他者の死とはそういったものですね。

>広義には、その人が、生前持っていた社会に対する影響力が消失していく過程を、社会的な死として、死の概念に含めてもいいかもしれません。

社会的な死ですか。
ところでお伺い致したい。
「社会」とはどのようなモノを指すので有りましょうか。
人が「死」と「社会」を絡めるためにはまず「社会」とは何かを知っていなければなりませんが。

補足日時:2001/04/13 22:19
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生物学・医学・法律でいう死とは、肉体的なものであり物理的消滅や消息不明をいっているようです。


宗教的な部分については、さまざまな観点で死を定義してます。
世界中の大多数の人は、前者の考え方を持って死とするようです。

少なくとも、pikittoさんが死に対して問いかけている以上あなたは、生きてます。

生と死は対極するものですから、死を考えるとき、同時に生を考える必要があるのではないでしょうか。
それぞれを独自に定義できるものではないと思います。

この回答への補足

返信どうもありがとう。

>生物学・医学・法律でいう死とは、肉体的なものであり物理的消滅や消息不明をいっているようです。
>世界中の大多数の人は、前者の考え方を持って死とするようです。

うん。それは見たままですな。

>宗教的な部分については、さまざまな観点で死を定義してます。

宗教的な部分で人々が「死」をさまざまに解釈するのは何故ですか?

>生と死は対極するものですから、死を考えるとき、同時に生を考える必要があるのではないでしょうか。
それぞれを独自に定義できるものではないと思います。

「生」と「死」は対極するものですか?

>それぞれを独自に定義できるものではないと思います。

「生」と「生」の比較は容易です。「死」と「生」の比較はどうしたって出来ない。定義するとは思いもよらぬことです。

補足日時:2001/04/13 22:20
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質問の意図がわからないので叩き台として。


専門的な事は分からないけど心停止とか脳波停止とか、医学的に死亡とみなす基準があって
その基準を満たした状態。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。

> 心停止とか脳波停止とか、医学的に死亡とみなす基準があって
その基準を満たした状態。

なるほど、大多数の人々にとっていまや「死」とは他者からの発信ということでしょうか。

お礼日時:2001/04/13 22:30

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今までは1日に何度かまとまった量のオシッコをしていました。

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教えてください。

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初めまして

死んだら、すべてが無になるのに、なぜ頑張るのか?・・・という事でしょうか?

だとしたら、それは、死んでもなにも無しには、ならないからだと思います

人は、近代において、科学を発達させ、科学の発達において、何も根拠のない、非科学的な事を排除してきました

しかし、ある意味で、その結果ともいえる現代の状況は、その科学的な見解が、人類に幸せをもたらしたといえるのでしょうか?

ただ言えることは、物理的な環境は、確かにめざましく発達しましたが、精神的なものは、不安だらけで、希望的な未来さえ、夢見る事も出来ないのが、現状ではないでしょうか・・・

だとしたら、その原因は、死んだら、すべて無になる・・・という考え方にあると思います

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初めまして

死んだら、すべてが無になるのに、なぜ頑張るのか?・・・という事でしょうか?

だとしたら、それは、死んでもなにも無しには、ならないからだと思います

人は、近代において、科学を発達させ、科学の発達において、何も根拠のない、非科学的な事を排除してきました

しかし、ある意味で、その結果ともいえる現代の状況は、その科学的な見解が、人類に幸せをもたらしたといえるのでしょうか?

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Q脳死を「人の死」とする範囲は?

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「脳死判定」の有無によって、死亡の時期が異なるとしたら面倒だと思ったので。

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Aベストアンサー

簡単に言うと、死亡とは3兆候がある場合に限っているけども、
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このような条件分岐になっていますから、
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Q安楽死に賛成するための論拠

安楽死の是非について、ディベートをしようと思っているのですが、
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リビング・ウィルについても教えていただけたらうれしいです。
どこかいいページの紹介なども大歓迎です。

Aベストアンサー

昔、安楽死反対派側としてディベートをやったことがあります。

その時、想定していなかった相手側の反論として「家族などの経済的負担の問題」を突っ込まれました。「臭いモノにふたするように『処分』するようなことは如何なものか」とその時は答えましたが、この視点は有効だと思います。つまり、残されつつある者の側の経済的・精神的負担です。精神的負担の方を強調した方がクリーンなイメージがあっていいでしょう(不謹慎な言い方ですいません。しかし、ディベートは思想・信条とは別物だと思っていますのでご容赦下さいませ)
「介護に疲れて不治の病にかかっている親や配偶者や子供を殺してしまう事件は今までに何度も聞いたことがあるかと思います」「もしあなたなら、現実的に快復の見込みのない人をどのくらい看病していられると思いますか?」といったフレーズが有効ではないかと思います。

あとは、ディベート開始すぐに(相手側から限定されないうちに)「安楽死」ということばに尊厳死に近い部分を取り込んで定義してしまうことで、安楽死=積極的安楽死=犯罪・悪者という潜在的な意識に対する予防線が張れると思います。

そして、おそらく相手は「生きつづける権利」を主張するでしょうが、賛成派としては「安楽死に反対するということは安楽死を希望する人の決定権を侵害しているが、安楽死に賛成することは必ずしも生きつづける権利を侵害するわけでなく(安楽死を希望しない人には安楽死はほどこされない→リビングウィルや東海大の安楽死事件裁判で提唱された4原則などの説明をする)患者さんの選択肢を増やすものである」と言えばよいのではないでしょうか?

思いつくのはこれぐらいでしょうか。
リビングウィルを発行している尊厳死協会のアドレスを貼っておきますので、問い合わせをすればリビングウィルのホンモノを使わせてもらうことができるかもしれません(本物を見せることはすごく効果的だと思います)。

では、長々と書いてしまいましたがディベート頑張って下さいね。

参考URL:http://www.songenshi-kyokai.com/index.htm

昔、安楽死反対派側としてディベートをやったことがあります。

その時、想定していなかった相手側の反論として「家族などの経済的負担の問題」を突っ込まれました。「臭いモノにふたするように『処分』するようなことは如何なものか」とその時は答えましたが、この視点は有効だと思います。つまり、残されつつある者の側の経済的・精神的負担です。精神的負担の方を強調した方がクリーンなイメージがあっていいでしょう(不謹慎な言い方ですいません。しかし、ディベートは思想・信条とは別物だと思っていますの...続きを読む

Q生理予定日より前の妊娠の兆候について

妊娠の兆候について質問です。
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生理予定日より前に妊娠の兆候(例えば、下腹部に生理痛のような痛みがあるとか・・・)があった方いませんでしょうか?
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妊娠待ちしてる時って、すごく気になりますよね~!!
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Q中世キリスト教と安楽死

「中世キリスト教思想のもとでは生命の神聖さを徹底的に重視していたので安楽死を議論することさえ禁止されていた」とレポートを書いたら、(1)「中世のキリスト教思想」の出典を明記し、「生命の神聖さ」と「安楽死を議論すること」の両者の関係をもう少し説明して下さいという講評で不合格になりました。

(1)「中世のキリスト教思想」はトマス・アクィナスだと思うんですが、それは『神学大全』に自殺を具体的に非難する文が載っているのでしょうか?
また(2)ですが、中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが、具体的に引用できる本が見つかりません。トマス・アクィナスも自殺を厳しく批判したのは分かったのですが、これも「具体的にこの本のこの部分から分かる」という明確な記述が見つからず途方に暮れています。「神学大全」も図書館で見ましたが、膨大すぎてどこがその記述にあたるかを見つけられませんでした。

どうか皆さんのお力を貸して下さい。宜しくお願い致しますm(_ _)m

Aベストアンサー

調べてみました。


>(2)ですが、中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが、具体的に引用できる本が見つかりません。


不合格になったのは、『生命の神聖さ」と「安楽死を議論すること」の両者の関係をもう少し説明して下さいという』と指摘があったとおり、レポート内に、両者の関係をきちんと説明していなかったからではないかと。

例えば、起承転結の<起>で、<中世キリスト教思想のもとでは生命の神聖さを徹底的に重視していたので、安楽死を議論することさえ禁止されていた>と書いた場合、その下に<承>として、<起>で述べたことを、具体的に書かなければならない。

<起>を補うわけです。

で、その時 文献をもってきて、「○○神学者は △△において こう述べた」 とか、ずらずら例をあげていく。


転は略してもかまわない。

で、最後に<結>で、「ゆえに中世において、安楽死を議論することさえ 禁じられていたのである」と結ぶ。


ただし、安楽死という言葉は、他の方も言うように、その当時無かったようです。


しかも、トマス・アクナイは、自殺を悪とした理由は、生命が神聖だからとしたのではないようです。

『 ・永遠のいのちに移るために自殺は禁止

  ・悲惨を避けるために自らの命を殺すことはより多くの悪を引き受けることになる

  ・自殺は回心の機会を奪う

  ・強姦されることを回避の自殺はより大きな悪を引き受けることとなる

  ・罪に陥ることからの回避の自殺もまた大きな悪

  ・迫害の時の自殺も禁止  』


人間の死も、神の計画のひとつであり、神が計画を実行する前に、人間が勝手に自殺してしまうと、神の計画が実行できなくなり、神に対して大変失礼である(自殺は神への冒涜)という考えだったからではないでしょうか。


だから、トマス・アクナイをもってきて、主題を論じるなら、生命の神聖さ じゃ 説得力が無いように思えるんですね。


>中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが

古代ローマでは、変な習慣があり、自殺がはやったそうです。
それを阻止するため、キリスト教は自殺を禁止したのだそうです。

えっと

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA

『キリスト教で自殺に対する否定的道徳評価が始まったのは、聖書に基づくものではなく4世紀の聖アウグスティヌスの時代とされる。当時は殉教者が多数にのぼり、信者の死を止めるために何らかの手を打たねばならなくなっていた。また10人に1人死ぬ者を定めるという「デシメーション」と呼ばれる習慣のあったことをアウグスティヌスは問題にした。693年にはトレド会議において自殺者を破門するという宣言がなされ、のちに聖トマス・アクィナスが自殺を生と死を司る神の権限を侵す罪であると述べるに至って、すでに広まっていた罪の観念はほぼ動かし難いものになった』

トマス・アクナイのこの言葉の出展元。。。。


>「神学大全」も図書館で見ましたが、膨大すぎてどこがその記述にあたるかを見つけられませんでした。

ですね。
普通に検索してもでてきませんでした。

再度 ググってみます。

ふーー あった。

http://www.nanzan-u.ac.jp/JINBUN/Christ/NJTS/011-Hamaguchi.pdf

『このようなことを 前提しながら , トマスは「自分自身を 殺すこと」 (seip.sumoccidere) が許されるか (11 一 1I, q.64 a. 5) を問い,7,) ア ウグスチヌス の 仁 神の国』とアリストテレスの『ニコマコス 倫理学』を根拠にし・・・』

ということで、彼がどうして自殺が罪だとしたかが、ここに書かれているようです。


というわけで、主題が正しくないようです。
あなたのあげた主題を説得力を持って説明するためには、トマス・アクナイじゃ駄目ですね。

調べてみました。


>(2)ですが、中世キリスト教社会では、キリスト教支配が広まり、自殺を厳しく非難するようになったのは分かったのですが、具体的に引用できる本が見つかりません。


不合格になったのは、『生命の神聖さ」と「安楽死を議論すること」の両者の関係をもう少し説明して下さいという』と指摘があったとおり、レポート内に、両者の関係をきちんと説明していなかったからではないかと。

例えば、起承転結の<起>で、<中世キリスト教思想のもとでは生命の神聖さを徹底的に重視していたの...続きを読む

Q妊娠の兆候

妊娠の兆候と整理前の兆候って似てる気がするんですが・・・
おりものが増えるというのは、どちらに当てはまるんでしょうか??

Aベストアンサー

検査薬を使って調べるのが一番早いと思うのですが、
たしかに初期の妊娠の兆候と生理前の兆候って似てるなと私も思います。

私は3回の妊娠経験がありますが、三度とも初期のおりものの状態がちがいました。
一度目は生理前のようなおりものが続きました。
二度目は(ちょっと汚いんですけど)黄色の鼻水のようなおりものがたくさんでて、一時間おきにシートを替えないと気持ち悪いくらいでした。
三度目はほとんどおりものがなくたまにしろっぽい鼻水のようなおりものが出る感じでした。
私は専門家でないので確かなことはいえませんが、受精すると雑菌から守るためにおりものがたくさん分泌されるとどこかでよんだ記憶があります。

Q逆の立場から≫(下の)安楽死に賛成するための論拠

下の「安楽死に賛成するための論拠」の質問とは逆に、
安楽死に対しては否定の側からの、
厳しい質問、反対する論拠、また、
賛成側から質問したこと
→(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=175232 参照)
がどのように返される可能性があるか
ぜひとも教えてください!!

やっぱり、私たちだけで考えていると
どうしても考えが偏ってしまうようなので…
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

[http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=175232]の回答に挑戦的に反論する形になりますが、これはあくまでディベートの素材です。
回答者の方々の意見を否定しているわけではなく、このような意見に対してこのような反論が存在するという情報提供です。
そもそも、私自身は安楽死賛成派です。

<No.1>
>安楽死の根拠に挙げられるのは、『個人の幸福の追求権』だと思っています。
そもそも、なぜ個人に幸福追求権が認められるかは、問題が深すぎるので敢えて問わない。しかし、近代的権利概念を前提としたとしても、個人の権利というものは他者の権利を侵害しない限りでは無制限に許容されるが、他者の権利を衝突する場合には多かれ少なかれ制限を受けるはずである。
それでは果たして、「死の自己決定権」は、他者の権利を全く侵害しないか。ひとつだけ例を挙げれば、残されるものの悲しみ、すなわち家族の幸福追求権、を無視しているではないか。
この点の利益衡量を示せない限り「死の自己決定権」を直ちに認めることはできない。

>「現在の医療で治療法がなく、合理的に考えて、患者が死を迎えるまでの時間までに、苦痛を取り除く治療法が新たに開発されえない時」、この患者に救われることのない苦痛の時間をあえて継続させる理由を示せるかどうか。
不治の病に安易に安楽死を認めることは、医学の発展を妨げる。「何とか助けたい」という家族の思いが、新しい治療法を発見する努力の推進力となってきたのである。
なるほど、確かに安楽死を認めても最後まで治療を続けるという選択肢もある。しかし、安楽死が容認されてしまうと、「さっと殺せ」という暗黙の社会的圧力に家族と患者は晒されることになるであろう。特に「他人に過ぎない」医者は病院経営の事情から治療に消極的になる可能性も否定できない。
とすると、安楽死を認めることは医学の発展を妨げるばかりか、「とにかく治療する」というヒポクラテス以来の医学の基本テーゼを否定し、医学そのものの基礎を危うくする。
患者にとっての苦痛の時間は、「絶対避けられない死」に対して人間が無駄な抵抗を試みる人間の歴史・存在意義そのものである。

<No.2>
この方は反対派なんですよね。

<No.3>
>残されつつある者の側の経済的・精神的負担
すると、他人に迷惑をかける人間は死んでもよいということになる、。
なるほど、今のところ家族は「大変だ」と苦しんでいるかもしれない。しかし、実際に死なれた後、どのような感慨を持つか。
人間が社会関係的存在である以上、他人の死とは自己の一部の死といえる。老いていくに従い、ぽつりぽつりと家族・友人を失い最後には自分も消える。この一連の過程が死である。
生老病死が個人にとって不可避の苦行であるなら、他者の死に付き合うことも全く同じ意味で不可避の「苦行」です。そこで無駄な努力をすることに生の存在意義があるはずだ。

>安楽死に反対するということは安楽死を希望する人の決定権を侵害しているが、安楽死に賛成することは必ずしも生きつづける権利を侵害するわけでなく患者さんの選択肢を増やすものである
理論上そうかもしれない。しかし、社会的圧力というものがある。
それは明示のもでなかったとしても、患者を、なんか死ななきゃいけないような気にさせてしまわないか。
確かに、選択肢が増えるだけなら何の問題もないかもしれない。しかし、それが一人でも死ななくてもいい人間を殺す可能性があるとしたら、やはり問題があるのである。

<No.4>
>そもそも私達は望んでもいないのに無理矢理(存在)を被ったのですからその押し付けられた迷惑な(存在)を返上するのは至極当然のことです[原状回復請求権]。
>原状回復はさせない、できないと言うのであれば私達に許可なく私達を産み落とさないでもらいたい[発生拒否権]。
>発生は拒否できず原状回復はならずというのならこのオトシマエはどうつけてくれるのか?[損害賠償請求権]。
これに対する回答は既に<No.1>の方に対する第一の回答で示したので、ここではもう少し根本的な問いを立てます。
人間が生きていることは所与の前提であり、これが厳然たる事実である。生きている前の「原状」というのは存在するのだろうか。
なぜ、我々は発生を拒否できるのか。むしろ我々の発生は独り父母の行為にのみかかるのであるから、我々の存在は父母の所有に服するのではないのか。それなのに、我々は父母から自由で有り得る。それだけで不思議なことである。

[http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=175232]の回答に挑戦的に反論する形になりますが、これはあくまでディベートの素材です。
回答者の方々の意見を否定しているわけではなく、このような意見に対してこのような反論が存在するという情報提供です。
そもそも、私自身は安楽死賛成派です。

<No.1>
>安楽死の根拠に挙げられるのは、『個人の幸福の追求権』だと思っています。
そもそも、なぜ個人に幸福追求権が認められるかは、問題が深すぎるので敢えて問わない。しかし、近代的権利概念を前提とし...続きを読む


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