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地方に行くといまだに「○○家の家臣の末裔」とか「先祖は武士」とかいってる連中、いってるだけならいいのですが、でもなぜか威張り散らしてるやつらが結構いて、かなり不愉快だったり。
都会からイナカに移り住んでいた頃、その人たちは、先祖が小作の人たちについて「あいつらはなー」とみんなに言いふらし馬鹿にする、ろくでもない奴らばかりでした。しかも公務員が何故か多く、うわさでは全員縁故採用だとか…役所の職員の態度のでかさは、新住民から憤慨を誘っていました。公務員にならなかったひとは、なぜか全く働かないニート化、でも地域のみんなは「仕事なんてしなくても良いからね」と慰めてました。地域行事で公園掃除などをする際に、「掃除なんて俺らにできるわけねえだろ!!」といわんばかりの態度で、立場として弱い人にムリヤリ押し付け、そしてみんなには「俺たちは働き者だ」といかにもな態度をとってみたり。ちょっとでも挨拶が丁寧でなかったら、ネチネチとあげつらってみたり。
イジメの首謀者も概して連中。でも絶対に自分の非を認めず、学校の先生も似たようなもので「苛められる方に問題がある」
傲慢で、労働をいやしみ、自分たちは偉いと威張り散らし、うそつきで、儒教臭さをぷんぷんさせながら、でもどっかの国の人を馬鹿にして、あまり大差はなかったなあ、という実感を持っています。
仕事上の絡みで地方に行ったとき、やたら態度がでかい連中がいましたが、これまた「あの人たちはね、先祖が武士で、だからいってて」というので、それが常識となってる地域もありました。
「武士道」なんて言葉は、本当は全く優れていない、むしろ劣っている武士階級の気位を保つ程度のものだったのではないか?と。やくざが実際はうそつきで傲慢で実際は否定されるべき存在なのに、礼儀だけはうるさいというのと似てましたね。
武士によって書かれた武士にとって都合のいい、武士にとって都合の悪いことは削除された、そんな文献が信憑性のあるものだとして、以降「武士って立派だったんだなー」と延々と。そこには武士の残忍な振る舞い、当時としては書くほどのものではない、常識だった、という下の階級に対する残忍な振る舞いも合ったのではないか?と。
文献を見ると「武士=すべてにおいて優れた存在」って。そこまでいくと嘘くさい。
長々すいません。

「武士」というのは本当に尊敬に値する存在だったのでしょうか?日本人の誇りといえるほど立派な存在だったのでしょうか?

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A 回答 (11件中11~11件)

地方に行くと、そうゆうのが確かに顕著に見られます。

閉鎖的なんでしょうね。未だに「村八分」とか行われてます。

「武士の末裔」と聞けば、何故か誰もが「感心」し、何か特別な人に会った様な感覚に陥る。武士による統制は700年続いてたわけで、武士だけが「姓」を名乗る事を許された。特権階級ですね。江戸時代にはそれがますますエスカレートし、どこぞのアホが作った「士農工商」制度により武士が威張り散らす様になる。尊敬される存在ではなく、私は「畏怖の対象」と考えます。ただ、農民、庶民は怖れていただけなんじゃないか?幕藩体制による政治も無茶苦茶で、自分達の都合の良い様に法を作る。殆どがそれだもんだから、徳川吉宗の「何だかの改革」は高く評価されてますが、実際当たり前の事をしただけで、特別に良い事をしたわけではないとも思うし。

明治時代には「士族・華族」が誕生し、今度はその末裔が、それを盾にし始める。ただ西洋のマネをして遊び呆けてただけなのに。

テレビの時代劇の影響もあるでしょう。「大名行列」のシーンなんか見てると庶民は地べたに土下座して殿様を見送る。大岡越前守にしても、逸話はたくさんあるが、どれも脚色が強くなされており、実際は大した事はしなかったと聞くし。「遠山の金さん」「大岡越前」「暴れん坊将軍」「桃太郎侍」なんか見てても、なんか格好いいだけで、胡散臭いし。武士を美化してるとしか思えない。

私は「武士」のほぼ99%は尊敬に値しない者と考えます。「必殺仕事人」で藤田まことさん演ずる「中村主水」が江戸城下を見回りに行き、不正を働いている「卸問屋」「遊郭」等に行き、さり気なくそこの主人と世間話をしながら、そっとお金を受け取る。これが「武士・侍」の真実の姿だったんじゃないでしょうか。

この回答への補足

武士は「農工商」を劣ったものと見なしていたんじゃないか?また日本人の美徳「勤勉」かけ離れた存在なのに、それを鼓舞して「農工商」に押し付け、完全に寄生する形で貴族生活を送ってたんじゃないでしょうか?
あのイナカで威張ってた「先祖が武士」な連中は、じゃあどんな教育を受けていたのか?「わしらは先祖が立派、武士だ。だから武士らしく、それら以外を見下していればいい」とか「働くのは卑しい」とか言ってたんじゃないか?という気がするんですよね。実際に怠け者が多かったし、またちょっと頭の弱い人も多かった。
本当は優れていなければならないという自意識と、しかし実際は非常に劣っていて、公務員になるにしても周囲からは「縁故だろ」と陰で笑われている劣等感。この反動か、あの街の公務員は非常に態度がでかかったですね。
愛知県のクソイナカ!

補足日時:2010/11/07 08:52
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Q武家の出身

自分は武家の家柄だとか、
先祖が武士だったと言って
自慢気な人がたまに居ますよね。

でも武士って人殺しですよ。

武士道とか精神的に素晴らしい
ところは分かりますが、それでも
人殺しは人殺しですし。

「武家の出身」イコール「人殺しの
家系」と見ることも出来ると思い
ますが、そうならないのは何故
なのでしょうか?

教えて下さい。

Aベストアンサー

日本には沢山の武家の子孫がいるので、すべてはわかりませんが。

私は武家の子孫です。先祖が何をしたか、どれだけの罪を犯したか、目を背けても教科書で嫌でも教えられました。

あなたの仰るように、人殺し一族、と何度言われたかわかりません。
私は自分がその子孫であることを、今でも隠しています。
ですが、血に恥じないよう、家柄に恥じないよう一生をかけて立派に生き抜いた身内を沢山みてきました。

そんな生き方までは批判したくないのです。


私たちは、源氏と平氏の両家の血をひいたばかりに、苦しい思いもしてきました。

一部なのでしょうが、平家は今なお、源氏を許してはいないからです。

末代まで、先祖の罪を償って生きていくことが役目なのではないかと思います。
答えになっているでしょうか。私一個人の思いなので、お気に障ったらごめんなさい。

Q農民の家紋使用はいつから?

家紋が必要なのは主に紋付きを作るときかと思います。
ならば、紋付きなど着なかった江戸時代の農民には家紋がなかったのでしょうか?

それとも、苗字と同じように、使わなくても我が家の家紋はコレ!と決まったものがあったのでしょうか?

江戸時代に農民が家紋を使っていた証拠となる文献をおご存じでしたら教えてください。

建造物や墓石に家紋がある、というのでも結構です。

または、明治以降になってこうして家紋を決めた、という資料でも結構です。

Aベストアンサー

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を付け出したのは、足利時代以後のようです。その頃の紋は男性のもので、女性が紋を付けるようになったのは、江戸時代中頃になってからのことのようです。そのころから「女紋」が作られ、男性の紋と区別するようになりました。
身分に関係なく、どの家でも自家の紋を持つようになるのは明治になって、一般庶民にも苗字が許されるようになってからのことです。
ただ、それ以前でも苗字帯刀を許された一部の豪農は武家を真似て家紋を使用していたようです。また商人は、所謂「屋号」としての紋章は使用されていました。

日本における紋章は、苗字と共に受け継がれた「家」との関係を表わすもので、称して「家紋」と呼んでいます。
また衣服に紋章を付ける用い方は、日本独自のもので、他の国には見られないようです。
家紋には、自然物からの描写である雲・波・草花、扇面・亀甲や文字を意匠化したものまであり、現在では5000種類、一説によれば2万種類もあるといわれています。
家紋をつける風習は、平安時代の中頃、公家が自分の牛車や調度品に本人や家の好みの文様を付けたことから始まったといわれています。実際着物に家紋を...続きを読む

Q石高について

石高が具体的に想像できません。時代ごとで石盛がことなることは理解できるのですが、例えば加賀百万石や慶長年間の30万石とは、玄米にして何表にあたるのか、米にしたら何表になるのか、金額にしてどれくらいなのか、などの具体的なものを教えていただけませんか。時代ごと、地方ごとでその意味は異なるとは思うのですが、概略だけでも掴みたいと思います。

Aベストアンサー

 
江戸時代と現代では、ものの価値がまったく違うのだということを理解しなければなりません。現代は物品・商品が驚くほど豊富で、食品にしても種類などは無数にあり、その料理法も多数あります。

江戸時代は、初期の頃から後期へと、段段と商品・物品の種類は増え、食品やその調理形態も,時代と共に豊富になって行きましたが、とても現代の比ではありません。

間接的に呼んだ話では、例えば、うなぎの蒲焼などは江戸時代にはなかったと考えてよいのです。江戸後期には出てきますが、中期に、丸焼きのうなぎを食べていたというのが実情で、しかも、精力がつくというので、人足などの肉体労働従事者が食べていたもので、一般的ではありません。

食品としては、海から取れるものは、各種の魚、貝、たこやいか、海草などで、池や川や田などでは、魚や貝が取れました。これらを調理して料理にしたのです。また陸では、米、麦、豆、粟・稗などの雑穀、大根、芋などを含む各種野菜、そして兎やかもの肉などがあり、例外的に、猪の肉などもありました。

しかし副食はそんなに多くなく、庶民だと、米に雑穀、豆から作った味噌や豆腐、それに野菜、魚、貝などが食物でした。やはり、米と雑穀、麦が多く、それに味噌、野菜を少し加えて、これで大体食事です。宮沢賢治の「雨にも負けず」にあるようなのが、江戸時代の食事です。

生活費は大体、食べるのに使ったのだと考えるのがよいでしょう。衣類や調度、その他、多少の道具も必要だったでしょうが、やはり食べることが主で、食べられることが、生活の条件だということになります。

だから、食べるための米の量で計算するのが、江戸時代の価値観では合理性があるのです。

一日に米五合というのは、そんなに食べないと思えますが、昔は、副食がないので結構食べたのです。米だけ食べたのでないので、雑穀も米に勘定して、副食もこれに入れます。すると、大まかに、1石は、200日分の米だと出てきます。

1石=10斗=100升=1000合 でした。それゆえ、1石半で、一人の食料一年はまかなえたことになります。5人家族で7石か8石です。もう少し多く必要だとして、庶民は、一年間に一家で10石あればよかったということになります。

最下級の武士で、禄高30石とかがありますが、30石でも、食べるだけなら、十分余裕があったということになります。

米10石が庶民の年間の収入だったと考えると、現代の庶民の年間収入を仮に300万円とすると、1石は30万円になります。米1升は、1.5kgほどで、1石は150kgだとすると、現代の安い米だと、1kgは500円かそれ以下です。1石は7万5千円になり、10石は75万円になって、先の300万円と合いませんが、江戸時代の方が米の価値は高かったのだと云えます。

中級武士は、禄高100石ぐらいありました。これは3000万円になり、非常に高給のように思えます。しかし、江戸時代は、人件費が無茶苦茶に安かったという事情があります。商家の手代や丁稚が一年、働きに働いても、大した給金はなかったのです。食べさせてもらうことが、給金の主たる部分だったとも云えます。

また武士は、人口の一割にも満たない、エリート階層だったのだということも重要です。中級武士だと、少なくとも4,5人の下男・下女などを専属で使っていたのであり、現代の日本で、4,5人の成人を丸抱えで雇うとなると、年間1000万円の収入では無理でしょう。一人300万円出すとしても、1200万円とか1500万円必要になり、これを考えると、100石の中級武士が年収3000万円というのは、それほど多い金額ではなくなります。

1000石の旗本というと、殿様であって、裕福ということになりますが、これは年収3億円ということになります。

1万石の大名は、石高30億円です。しかし、1万石の大名になると、相応の数の武士の家来を持たねばならず、小者や使用人など、抱える家来や使用人は100人は軽く超えたはずです(また収入は、以下の前田家と同様、15億円と半分になります)。

加賀100万石の前田家は、石高3000億円ということになりますが、これは大土地所有者でもあるのであり、日本の面積の50分1ぐらいを所有する大金持ちだとも云えます。(また、これは、加賀の総生産高で、課税がその半分とすると、1500億円が収入です。領地を持つ大名などは、領地からの税収が収入であったのです)。

徳川の直轄領を仮に1000万石とすると、徳川宗家は年収1.5兆円だとなりますが、これはむしろ、少ないのではないかという気がします。

1石30万円というのは、江戸初期の米の価値で、米の価値は段段落ちてきます。江戸末期には、1石10万円に、もしなっていたとすると、幕府収入は3750億円になります。

これでも多いように見えますが、幕府が何人の人間を養っていたのか、行政手順など、どれぐらい費用をかけていたか、こういうことを考えると、3750億円などでは、とても足りないということになります。

幕府1000万石1.5兆円は、純利益ではなく、粗利益で、ここから人件費その他諸費用を出さねばならないのです。それは大名家も同様で、武士の家も似たようなことになります。

なお、1石は2.5俵です。40石が100俵です。また玄米と白米は、昔は食用の米はほとんど精米していません。だから、そんなに差はないことになります。清酒用の米はかなり精米したようですが、分量的には、それほどではないでしょう(ただ、糠が出る程度には精米したはずです。糠も貴重な食料原料だったのです)。

(農家の次男・三男などが商家に丁稚などで働きに出ると、食事に、たくあん一切れ二切れとか、梅干が出たそうですが、これが何とも美味しく、魅力的であったという話があります)。

なお、参考2では、1石=5万円としていますが、これは話がおかしいのです。現代の米の価格をそのまま戦国時代や江戸時代に当てはめるというのが無理があるのです。一日5合が、一人の庶民の生活費で、1石=5万円だと、1合=50円で、一日5合は、一日250円となりますが、そんなはずはないのです。

1日250円なら、1年で9万円ですが、5人家族で45万円とは、現代日本では生活できません。米の価値が、江戸時代では、現代よりも遥かに高かったということを失念しているのです。

>参考1:石高とは
>http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm
 
>参考2:関ヶ原
>http://www.ryusaku-kuroya.net/sekigahara.htm
 
>参考3:上田藩の支配組織
>http://www.odc.ueda.nagano.jp/hansei.htm
 

参考URL:http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm,http://www.odc.ueda.nagano.jp/hansei.htm

 
江戸時代と現代では、ものの価値がまったく違うのだということを理解しなければなりません。現代は物品・商品が驚くほど豊富で、食品にしても種類などは無数にあり、その料理法も多数あります。

江戸時代は、初期の頃から後期へと、段段と商品・物品の種類は増え、食品やその調理形態も,時代と共に豊富になって行きましたが、とても現代の比ではありません。

間接的に呼んだ話では、例えば、うなぎの蒲焼などは江戸時代にはなかったと考えてよいのです。江戸後期には出てきますが、中期に、丸焼きのう...続きを読む

Q地主の家系のルーツ?

明治時代に地主、又は町内会長などをしていた家柄の人は、
江戸時代は武士だったのでしょうか?
だとするとやはり徳川なんかの大名が、
当時土地を管理していたからでしょうか?
他の職種の人が地主になるようなことは、この時代には考えられませんか?

今、家系のルーツを調べています。
でも当方、歴史に疎いもので。
以上よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>当時先祖がいたエリアは、「小杉御殿」があり、城下町もあったそうです。

水を差すようで申し訳ありませんが、私の申しました城下町は江戸時代に城があった町ということで、一般的には県庁所在地です。

中世には各地に城郭がありましたが、江戸時代に入ると一国一城となり、第二、第三都市の城は廃城となりました。当然、そこに詰めていた武士も引っ越していますので、資料はほとんど残っていないことが多いのです。

一般に家系を江戸初期前後まで遡れるのは、公家、武家、僧家、社家(神主)、豪農、豪商などに限られ、それ以外の百姓・町人は寺の過去帳などで江戸末期まで遡ることができる程度です。

とはいえ、可能性が皆無とは言えないので、あきらめずに調べてみてください。

それと、除籍謄本は取りましたか?
これも古い方から順に閉鎖されてしまいますので、この機会に是非申請してみてください。

Q結婚する際、家柄に違いがあると大変ですか?

私は、彼氏と結婚の約束をしています。
正式なプロポーズなどは、これからです。
不安な点が2つあります。

まず、私に貯金が無いことです。やはり、貯金が無いのは厳しいですか?
結婚するに当たり聞かれるものなのでしょうか。

そして、2点目。私の母親が反対をしています。
というのも、彼の家柄と私の家柄に大きな差があるからです。彼や彼の家族の
職業や肩書きが立派で、彼も本当に大事に育てられてきたという感じです。
それに比べ、私の家は生活水準が低く、母は悲観している感じです。
「あんたが、うまくやれるはずがない。相手のご両親に受けいれられる訳がない」と
真っ向から、私自身を否定するのです。
「あんたが勝手に一人で盛り上がっているだけ・相手のご両親だって理想の
お嫁さん像があるんだから」とも言います。
そんなに、私は恥ずべき娘なのかと思うと、悲しいです。

私と彼の仲はまったく問題はなく、生涯を共にしたい気持ち
や相手を思う気持ち・誠実さはお互いに確かに感じています。
彼は実家住まいで、家に招待したいと言ってくれますが、何だか恐れ多くて
二の足を踏んでしまっています。
私は介護福祉士(勤続5年)で、趣味はアルトサックス・ピアノ・ガーデニング・
家庭菜園などです。
家族は、退職の父、母はパート・兄は居酒屋店長・弟は無職です。

あまり、家柄が違うと、うまくいかないものでしょうか。結婚は当人同士だけの
事ではないと言いますし。少し、不安に感じています。

本人同士が本当に愛し合っていたら、どんなことでも乗り越えて行けるものでしょうか。
また、家柄が違うことで今後考えられる障壁とは何でしょうか。
よろしくお願いいたします。

私は、彼氏と結婚の約束をしています。
正式なプロポーズなどは、これからです。
不安な点が2つあります。

まず、私に貯金が無いことです。やはり、貯金が無いのは厳しいですか?
結婚するに当たり聞かれるものなのでしょうか。

そして、2点目。私の母親が反対をしています。
というのも、彼の家柄と私の家柄に大きな差があるからです。彼や彼の家族の
職業や肩書きが立派で、彼も本当に大事に育てられてきたという感じです。
それに比べ、私の家は生活水準が低く、母は悲観している感じです。
「あ...続きを読む

Aベストアンサー

私も家柄全く違いました。

障壁は家柄が違うことで彼の両親をはじめ
周りの人からいらぬことを言われたり、見下されたり
することもあるかもしれません。
私の場合には見下す人はいませんでしたが、
自分に自信をなくしてしまって、すごく鬱になりました。そして今まで育った環境を振り返ったときに
いろいろな面で親の育て方をうらみました。

でも、前向きに考えると、彼とであった事で
確実に自分の生活水準はあがりました。
子供にとっても良い環境をつくってあげることが
出来ました。
自分が味わった後悔を絶対に子供にはさせたくないし、逆に今の生活を楽しませてもらおうって気持ちに
なっています。

結婚生活は彼次第だと思います。
どんなに周りに言われたり、わだかまりが
出来たとしても、彼が助けてくれれば問題ないこと
だと思います。
結婚すると、確かに家柄、学歴は一番最初のとっかかりで言われることだと思いますが、
それ以上にいろいろな問題が出てきます。
その時に彼があなたの支えになって守ってくれるかが
一番大切なのではないかと思います。

貯金がないのは厳しいというよりも、
社会人として5年も勤めているのに
貯金がないことが問題なのではないかと思います。
使用用途が理解できるものであるのなら別ですが、
ゼロというのはどうして?と不思議に思う人も
いるのではないでしょうか。
聞かれる聞かれないは別にして
結婚に関しては自分のお金があったほうが絶対に
いいと思います。
少しでもためるように今からがんばって下さい。

私も家柄全く違いました。

障壁は家柄が違うことで彼の両親をはじめ
周りの人からいらぬことを言われたり、見下されたり
することもあるかもしれません。
私の場合には見下す人はいませんでしたが、
自分に自信をなくしてしまって、すごく鬱になりました。そして今まで育った環境を振り返ったときに
いろいろな面で親の育て方をうらみました。

でも、前向きに考えると、彼とであった事で
確実に自分の生活水準はあがりました。
子供にとっても良い環境をつくってあげることが
出来ました。
自分が...続きを読む

Q蔵から錆びた刀が出てきた時の対応

父が亡くなり、蔵から錆びた刀が2本出てきました。1本は長い日本刀で、1本は脇差です。刃はあるものの、非常に錆びており使いモノにはなりません。銘は無いようです。相続財産としての価値はあるのでしょうか?また警察に届ける必要があるのでしょうか?

Aベストアンサー

まず所轄の警察署に発見届を出してください。
手続きが終わると登録審査の場所と日時を教えてくれると思いますので、持参の上審査を受け登録証(教育委員会・教育庁発行)を取得することによって合法的に所持・売買することができます。
なお、必ず発見した状態で警察にもっていってください。
(くれぐれも錆びを落としたりしないで下さい、へたをするとその時点でアウトになる可能性もあります)
審査の段階では、和鉄を使い折返し鍛錬によって鍛えられた「日本刀」であることが条件で登録証が発行されますので、戦時中に大量生産されたスプリング刀など一部審査を通らない可能性もありその場合は処分しなければなりません。(大抵は大丈夫です)
財産的価値ですが、刀に関してはピンキリで数万円程度のものから一般的な線で数百万円(国宝級ならうん億円なんてのもありますが・・・)ですが、
無銘ということですので、さほどの価値は望めないかもしれません。
もし余裕があれば登録後砥ぎに出してみるのも良いかも知れませんが、美術刀としての研ぎの場合寸あたり1~3万円かかるので結構高くつくかもしれません。
但し、研ぎあがればある程度の価値は分かります。
(銘がないので、肌目や刃紋等の特徴が分からないと判断できませんので・・・)

まず所轄の警察署に発見届を出してください。
手続きが終わると登録審査の場所と日時を教えてくれると思いますので、持参の上審査を受け登録証(教育委員会・教育庁発行)を取得することによって合法的に所持・売買することができます。
なお、必ず発見した状態で警察にもっていってください。
(くれぐれも錆びを落としたりしないで下さい、へたをするとその時点でアウトになる可能性もあります)
審査の段階では、和鉄を使い折返し鍛錬によって鍛えられた「日本刀」であることが条件で登録証が発行されます...続きを読む

Q庶民が学習院大学に入学するとつらい?

娘の大学進学ことで相談です。私自身が大学についての知識が乏しいため娘任せで大学受験を終えました。なんとか私立大学3校合格しました。合格した3校の中では学習院が一番ランクは高いです。娘も(私と同じで知識不足のため?深く考えず?に)学習院(英文学科)に行きたいと行っています。情けないことに、この場になって初めて気がついたのですが、田舎(静岡県)の庶民サラリーマン(年収800万程度)の娘が学習院に進学して、肩身の狭い思いをするのではないか?と非常に心配になってきました。他校の入学手続き期限が2/23なのでもうすぐに決心しないといけません。実際、学習院大学には、一般庶民の学生は少ないのでしょうか?一般庶民の学生は肩身の狭い思いをするのでしょうか?どうか助けて教えて(助けて)ください。

Aベストアンサー

私の従姉妹(叔父の娘2人)が学習院に通っています。
1人はすでに卒業しましたが、1人は在学中です。

最近ではお金持ちだけ、という様子ではないようですが、
やはりお嬢様が多い事は多いようです。

寄付金などを求められることもあるようですが、そういったものには
無理なく応じれる分だけ応じれば良いでしょう。強制ではありません。

部活やサークル活動などでは、他の大学よりも親御さんの負担が
大きいようです。が、これは部活にもよるでしょう。
合宿などがある部活だと、お金よりも応援に行ったりご飯を作ったり、
そういうことに熱心な親御さんが多いようです。


叔父は零細企業とはいえ役員を務めており、また奥さんも
成金のお嬢様(帝国ホテルで結婚式を挙げられないなら
結婚させない、と言われたそうな・・・)ですが、まぁ
学習院ともなると「うちみたいな中途半端な金持ちでは
相手にならないほどすごいところのお嬢様がゴロゴロ
してるから、張り合う気も失せた」というのが当の従姉妹達の
言葉です。

彼女らに感想を聞いて見ると、「親が金を持っているかどうか」
よりも「しつけがちゃんとされているか」「物怖じしない性格か」
のほうが重要なようです。

つまり、「どうせ私なんか・・・」と萎縮してしまうタイプの
人にはつまらない大学だけれど、「人は人、自分は自分」と
思えて、「へー、そんな世界あるんだー」と素直に感心できる
人には、面白い人脈が広がる楽しい大学だそうです。
言い方を変えれば、見栄っ張りな人にはしんどい大学なんでしょうね。

思うに、本当のお嬢様は、お父さんがサラリーマンだからといって
馬鹿にしたりしません。むしろ中途半端なお嬢様ほど自分を高く
見せようとして他人を蔑みます。

そういう人たちを相手にせず、自分に敬意を払ってくれる人にだけ
こちらも敬意を払うようにしていれば、自然と居心地よい友人関係が
作れるのではないでしょうか。

あとは、娘さんがそういうことができる性格かどうかですね・・・。
苦労もあるでしょうが、就職してからでは得られない人脈が
広がると思います。納得行く結論が出るといいですね!

私の従姉妹(叔父の娘2人)が学習院に通っています。
1人はすでに卒業しましたが、1人は在学中です。

最近ではお金持ちだけ、という様子ではないようですが、
やはりお嬢様が多い事は多いようです。

寄付金などを求められることもあるようですが、そういったものには
無理なく応じれる分だけ応じれば良いでしょう。強制ではありません。

部活やサークル活動などでは、他の大学よりも親御さんの負担が
大きいようです。が、これは部活にもよるでしょう。
合宿などがある部活だと、お金よりも応援...続きを読む

Q8石2人扶持の身分は足軽ですか?

江戸期に徳川親藩17万石の大名の家来で8石2人扶持の身分は足軽でしょうか?
飛地にある陣屋で勘定奉行を務めたらしいのですが仮に足軽でも勘定奉行に成れるのですか?
飛地の規模は約6万石、藩士は200人程で250石の支配役が2名で残りは全て10石前後です。

Aベストアンサー

17万石の藩で8石2人扶持なら,「士」か「卒」(足軽)かはよく分からない辺りです。6万石ですとおそらく,「士」だろうとは思うのですが。

例えば,黒田52万石で最下級の「士」の扶持では,6石2人扶持などという例がある一方で,「卒」身分でも陸士などは13石3人扶持をもらっています。また,逆に1万2千石の益田家では,「上士」でも12石程度の家があります。つまり,この辺りになってくると,扶持と身分の相関関係が曖昧になっているのです。現に旗本よりも家禄の多い,御家人だっていましたから。

江戸時代でも,算用方は,かなり能力人事の部分があったそうですから,仮に「卒」の身分でも取り立てられる事はあったはずです。ただ,勘定奉行というのは,「卒」のままでは難しいでしょう。その場合,「卒」から加増されて「士」として,勘定方の役職を歴任し,最終的に奉行になるというルートです。もともとが「士」の身分なら,そのまま出世をしていったという話です。

奉行をやっている間は,役料という形で扶持が増えているはずです。ただし,これは家禄ではありませんから,役を辞めればもらえません。ここで,認められれば加増という形で,家禄自体が増えるわけです。

17万石の藩で8石2人扶持なら,「士」か「卒」(足軽)かはよく分からない辺りです。6万石ですとおそらく,「士」だろうとは思うのですが。

例えば,黒田52万石で最下級の「士」の扶持では,6石2人扶持などという例がある一方で,「卒」身分でも陸士などは13石3人扶持をもらっています。また,逆に1万2千石の益田家では,「上士」でも12石程度の家があります。つまり,この辺りになってくると,扶持と身分の相関関係が曖昧になっているのです。現に旗本よりも家禄の多い,御家人だっていましたから。

江戸...続きを読む

Q被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?

被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?


明治期の戸籍には、旧身分が記載されていたことは知っているのですが……

【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)
よろしくお願いします。

(注:私は差別撤廃推進論者です。ただ単に詳しく知りたいと思って質問しております)

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行。では、ご存知の通り、「非人」「えた」などの人たちを「新平民」と記載されたことは、すでにご存知かと思います。
この通称「壬申戸籍」は、村役場などでも、「新平民」の欄に「付箋」を貼ったり、折込をしたりした時代がありました。
そして、昭和45年まで、誰でもが自由に「閲覧」できました。
また、部落の所在地を一覧表にしたような本も出版されており、銀行や大企業などは、それを購入して、部落民かを判断し、戸籍を提出させて就職の際の合否などを決めていました。

しかし、「平等」という言葉が浸透するようになり、昭和45年に「壬申戸籍」は、各地の法務局の金庫に「永久封印」されました。

それでも、昭和45年までに、銀行や大企業などでは、「部落一覧表」のようなものを購入しており、壬申戸籍の封印と一覧表などの発行停止はされましたが、多分に、銀行や大企業などの本棚には残っている、と思われます。つまり、そうした書籍の「廃棄」までは、法律は定めていないからです。

「漏れる」とすれば、そうした企業や、極端に言えば、歴史学者なども考えられます。

私も、職業柄?全国とまではいきませんが、今、居住している県内の資料は持っています。
もちろん、私は「口が裂けても」公表したりはしませんが・・・。

東京の都会あたりでは、人口の流出入があり、どこの地域かは多くの人はしりませんが、農村部などでは、依然として、口伝えで「ああ、あそこの部落は・・・」などと、代々伝えられたりしています。

また、自ら名乗る人もいるくらいですから、中々難しい問題ですね。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治...続きを読む

Q30歳を超えても独身の女性ってワケありが多い?

【結婚まで行く女性の選び方】
結婚したい30代40代の男性の皆さん、
本当に結婚したいなら女性の性格を良くみて選んで下さい。
25歳以上の独身女性の半分は生涯独身になります。
女性の場合の結婚出来る率は
25歳 50%
30歳 25%
36歳 10%
38歳 5%
40歳 3%
となります。
生涯独身女性を選んだ所で、結婚までたどり着けないし、着けてもすぐに離婚します。統計的に見た結果です。
基本的に下の項目に一つでも、当てはまる女性は生涯独身女性の可能性が大きいので、選ばないようにして下さい。

1我が強い(相手の意見を聞き入れない)
2自分の時間が欲しいと言う
3会いたがらない
4慎重派(30歳頃から慎重派になります。自分の価値を知らずに慎重派になり、40近くまで独身の女性はかなりいます。そして生涯独身です。恋人=結婚と思うのが難点です。)
5恋人より趣味に走る
6自分を大事にしすぎる(エゴが強い)
7相手の気持ちになろうとしない
8いつまでも親元暮らし
9理想が高い
10自分の性格に合う相手を選び続ける

以上が判断基準です。

簡単な選び方は30代以上を切り捨てて20代を選ぶ方法もあります。
30代女性と出会いがあっても上手く行かない人は多いです。
とりあえず、20代を狙って下さい。
事実、上記にあげた性格で何十回も婚活をして上手くいけてない女性は沢山います。むしろ、過半数かもしれません。 美人で人として出来ていても、上記の性格の女性は避けて下さい。


↑は結婚雑誌(MEN、S)の文ですが、私の周囲(女です)でも女性職場で30超えても独身の人って正確に癖があったりする人が多いです。逆に既婚者ってやわらかい性格の人が多い気がします。古い習慣かもしれませんが、既婚者の方が認められるケースが多い気もします。

30超えて独身の女性達も仕事はできるし、几帳面だし、字もきれいなんですが
やっぱり性格的に角が立つ人が多い気がするんです。

30歳を超えても独身の女性というのは、性格的に難があるから独身というパターンが多いのでしょうか?あるいは、性格が問題なくても理想が高すぎるとか・・・

男女問わずご意見が欲しいです。

【結婚まで行く女性の選び方】
結婚したい30代40代の男性の皆さん、
本当に結婚したいなら女性の性格を良くみて選んで下さい。
25歳以上の独身女性の半分は生涯独身になります。
女性の場合の結婚出来る率は
25歳 50%
30歳 25%
36歳 10%
38歳 5%
40歳 3%
となります。
生涯独身女性を選んだ所で、結婚までたどり着けないし、着けてもすぐに離婚します。統計的に見た結果です。
基本的に下の項目に一つでも、当てはまる女性は生涯独身女性の可能性が大きいので、選ばないようにして下さい。

1我が強...続きを読む

Aベストアンサー

私の職場や友人でも30代で独身の女性が僅かにいます。

別に見た目は悪くないと思います。
仕事も結構できる方です。


でも、私の周囲の女性の場合は「高望み」が一番の理由でしょうか。


どう考えても非現実的な理想を掲げる女性が多い気がします。
おまけに贅沢思考。お嬢様気質な方が多いような気がします。


でも、さすがに30歳を超えると妥協も必要となってきて
今更妥協するなら最初からすればよかった・・・と葛藤することになるので


結局、高望みのまま孤独な人生を歩むのでしょうね。
子供も残せず、女性ながらの低賃金職で何を求めて生きるのか・・・


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