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昭和17年の中ごろ西部第十八部隊に入隊した兵隊さんは中国へ いつ移動したの?
西部第十八部隊は歴史の本を読んでも出てきません。
何処かの連隊へ編入されたのですか?

A 回答 (3件)

 西部第18部隊というのは、鹿児島を衛戍地(えいじゅち)とする歩兵第45聯隊(連隊)および歩兵第45聯隊補充隊を指します。

同聯隊は、第6師団隷下部隊として1937年(昭和12年)7月盧溝橋事件勃発後に動員され中国へ出征し、その留守を預かる部隊として鹿児島に同聯隊補充隊が編成され、爾後もっぱら徴集及び同聯隊への補充(召集)つまり留守補充業務に従事しました。

 やがて支那事変が拡大するにともない、同補充隊は歩兵第45聯隊への補充業務のほか、新設部隊の編成業務にも従事することになります。

 たとえば、1938年(昭和13年)5月に歩兵第145聯隊を編成し、翌39年(昭和14年)11月には、中国現地において歩兵第145聯隊が内地帰還する際の残置人員および補充隊の人員をもって、独立歩兵第94大隊、独立歩兵第96大隊の編成を担任しました。この二つの独立大隊は独立混成第18旅団の隷下部隊として華中方面にて治安粛正作戦に従事しましたが、同旅団は1942年(昭和17年)2月華中応城(漢口西方地区)において第58師団へ改編されることとなります。

 第58師団というのは、治安警備を任務とする丁編制師団で、歩兵連隊と野砲部隊を有さず八個独立歩兵大隊を主力とするものでした。編成以来、師団は応城に師団司令部を置き、94大隊は天門、96大隊は応城、52旅団司令部は漢川、108大隊は仙桃鎮に約二年間駐屯したのち44年5月から湘桂作戦作戦に参加することとなります。

 西部第18部隊は、第58師団改編に際して、さきの二個大隊のほか、歩兵第52旅団司令部、独立歩兵第108大隊の編成及び補充を担任しました。

 
 いっぽう、原隊の歩兵第45聯隊は、支那事変以来長く中国湖南省を中心に作戦に従事していましたが、42年9月武漢地区に集結し次いで11月上海に移動しました。このとき長期勤務者は鹿児島からの補充要員と交替しております。12月上海を出発し台湾を経て中部ソロモン方面へ向かいました。

 さて、戦死の時期と場所から推測すると、たしかに第58師団の西部第18部隊が担任した部隊のいずれかに所属していた可能性があります。師団は苦戦の末、衡陽を攻略した後44年8月から桂林へ向け進撃を開始し、白地市、東安、全県、興安、霊川をへて桂林に迫り同年10月桂林城北部にとりついたのは独立歩兵第108大隊でした。

 零稜は米軍飛行場があった地で、第13師団の進撃路に当たります。位置から見ると相桂作戦初期に戦傷して入院しその後戦没されたのではないかと思われます。当時第58師団野戦病院付軍医だった今西義則氏の回想録『軍医の手記』(私家版)には零稜の地名は出てきませんが、作戦の困難さが伝わってきます。よくもあんなところまで赴いたものだと感心させられました。
  
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この回答へのお礼

御親切な情報大変有難う御座いました。
私に知識では分からなかった部分がかなり判明しました。
 今西義則氏の回想録『軍医の手記』(私家版)を入手してさらに勉強したいと思っています。
有難う御座いました。

お礼日時:2010/11/10 11:07

第六師団歩兵第45連隊の事だと思います。



>中国へ いつ移動したの?
この頃(昭和12年7月)ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC6%E5%B8%AB …

昭和17年にはソロモン諸島へ送られています。

http://ww1.m78.com/topix-2/tani.html
揚子江付近ですね。

この回答への補足

早速の情報有難う御座います。
説明が不足した部分がありました。
私の父のことなんですが、第六師団歩兵第45連隊の補充兵として西部第十八部隊に召集されたそうです。そして、湖南省零陵県の兵站病院で昭和19年10月に戦死。
歴史の本を読みましたら、推測ですが第58師団の歩兵○○連隊に編入されたか?と思われますが
どうもうよく分かりません。
中国へは、早くても18年初以降と思っています。

何か、新しい情報がありましたら教えてください。
有難う御座いました。

補足日時:2010/11/09 19:49
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この回答へのお礼

貴重な情報有難う御座います。
私のせつめいが不足して申し訳ありません。
 
補足説明を書き込みました。何か、新しい情報がありましたら教えてください。
よろしくお願い致します。
有難う御座いました。

お礼日時:2010/11/10 11:43

昭和17年入隊した、西部第十八部隊は


鹿児島歩兵第四十五連隊の補充兵ですね。
そちらをお調べ下さい。
四十五連隊は既に中国大陸で歴戦を重ね、
損害も大きい筈で、その補充ですから、すぐ
中国中部へむかったでしょう。

四十五連隊は南方戦線に派遣され、昭和18年
初めにはブーゲンビル島に上陸したので、
補充兵達もそこへ行った可能性が大きいでしょう。
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この回答へのお礼

早速の情報有難う御座います。
説明が不足した部分がありました。
私の父のことなんですが、第六師団歩兵第45連隊の補充兵として西部第十八部隊に召集されたそうです。そして、湖南省零陵県の兵站病院で昭和19年10月に戦死。
歴史の本を読みましたら、推測ですが第58師団の歩兵○○連隊に編入されたか?と思われますが
どうもうよく分かりません。
中国へは、早くても18年初以降と思っています。

何か、新しい情報がありましたら教えてください。
有難う御座いました。

お礼日時:2010/11/09 19:52

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