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大鏡 花山天皇の出家 二方面への敬語について質問です。

「粟田殿の…(省略)…しか申させ給ひけるとぞ。」

とあるのですが、ここでは

・「申さ」は帝に対する敬語
・「せ/給ひ」は粟田殿に対する敬語

と考えていいのでしょうか。


もしそうなら、帝に対しては単純な敬語なのに
粟田殿に対して二重敬語を使っていることになります。

帝より粟田殿の方が偉いということにはならないのでしょうか。

また、どうしてこのような文になったのでしょうか。
それとも何か違う解釈の仕方があるのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

「申さ」は謙譲語で、動作の主体である粟田殿が天皇より身分が下であったので、天皇を敬うために「言ふ」の謙譲語の「申さ」を用いています。

これに対して「せ給ひ」は尊敬の助動詞「せ」に、尊敬の意味の補助動詞「給ひ」がついた二重敬語です。これは作者(ここでは語り手の大宅世継により代置)より摂関である粟田殿の方が極端に身分が高いので、二重敬語表現をとっています。
途中にも書きましたが、この部分は大宅世継が語っている部分なので、会話文中と考えられます。天皇等の最高身分に対するときには、地の文(会話文以外の文)では一段と高い敬意を表すために二重敬語を用い、それを最高敬語とも呼びますが、会話文では同じ身分のものに対しても二重敬語を用いることがあります。
ですから、「申さ」は帝に対する敬語、「せ/給ひ」は粟田殿に対する敬語であっていることになります。
特に大鏡は大宅世継と夏山繁樹の対話形式となっているために、二重敬語表現が多用される傾向にあります。
なお、二重敬語、最高敬語については、天皇だけでなく地の文でも摂関にも用いられるとする考え方もあります。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

会話だと、天皇じゃなくても二重敬語って使うんですね。
ありがとうございました

お礼日時:2010/11/20 17:47

これは古文ができる人のご質問だと思いました。

以下回答です

「申さ・せ給ひ」と考えれば質問者様のお考えの通りです。

しかし、助動詞「す」「さす」には、謙譲語に付いて謙譲の意味を強めるという働きがあります。したがって、ここでは「申させ・給ひ」とお考えになれば、「粟田殿に対して二重敬語を使っていることになります。帝より粟田殿の方が偉いということにはならないのでしょうか」という疑問は解消されるものと思われます。

古語辞典では「申さす(まうさす)」を見出しに立てているものもあります。助動詞「す」ともども古語辞典をご確認ください。

以上簡潔すぎる回答でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

すっきりしました。
「す」「さす」には謙譲の意味を強める働きもあったんですね!!
辞書にもちゃんと載ってました。
もう少し調べておけば良かったです。

お礼日時:2010/11/13 00:16

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