アレルギー対策、自宅でできる効果的な方法とは?

末期ガンを宣告されました。余命は長くて1年です。自分自身の覚悟はできましたが、子供の心が心配です。
高校一年生と中学二年生の男子です。病気については自分の口から伝えました。予想どおり大きなショックを受けた様子です。
時間が経てば事の意味を理解し乗り越えてくれると思いますが、どちらも繊細な性格なので、万が一にも落ち込みすぎて心を病んでしまったり、逆に人生に自暴自棄になったりしたら安心して往くことができません。
もちろん、これからも自分の言葉で死の意味、別れの必然、人生の意義などを語っていくつもりですが、なにぶんにも時間が限られています。
そこで、子供たちが自分の力で考え理解していくには読書が近道なのかとも思っています。
大切な人との別れから何を感じ、何を知るかが書かれた良書がありましたらご紹介下さい。
また、子供たちとの限られた時間のなかで有意義な過ごし方がありましたらご教授下さい。
残された時間は私自身の慰めや思い出作りのためではなく、残される妻と子供たちが生きていくための力と知恵を伝えることに注ぎたいと思います。
よろしくお願いします。

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A 回答 (28件中1~10件)

私は今年の8月に主人を病気で亡くしました。



書籍ではないですが、私は最後にくれた主人からのメールが今も心の支えです。
「また目を覚ますからね」と言いながら、もしも・・・と思い、短いわずかな文章でしたが、「『家族』『幸せ』『ありがとう』の本当の意味を教えてくれてありがとう」と残してくれました。
子供には「また目を覚ましたらトランプしようね」それが最後のメールでした。

主人の場合、「自分もまだまだ生きたい、死ぬわけにはいかないんだ」と思っていましたので、人工呼吸器をつける際も、自分に言い聞かせるためでしょうね、万が一の別れの言葉もなく、結局主人も私もお互いに不安を隠しつつ主人は眠りにつきました。
途中、麻酔が効きつつも目を開く事はありましたが、私との唯一の会話(実際は文字を指しての会話ですが)は「今日は何日?」「○日だよ」だけでした。

その後は、永遠の眠りに着く前に「パパありがとう」の呼びかけに、ちいさくうなずいてくれたのが、私達の最後の会話でした。


小学1年生と年中の息子たち。
質問者様のお子さん達より小さいからか、心の乱れ方も大変でしたが、でも逆に適応するのも早かったかもしれません。
間もなく亡くなって3ヶ月ですが、「パパは天国で何しているかな~」と、悲しむばかりでなく、少しづつ前向きになってくれています。

私は、主人が亡くなる前に、子供に「もしかしたらもうじきパパとお別れしなきゃいけなくなるかもしれない」というのは、正直に伝えました。
『死』だけを伝えると、悲しみや恐怖だけですから、パパとお母さんが願って生まれてきてくれた子供なんだってこと、二人が元気に生まれて、元気に育ってくれている事がとてもパパもお母さんも幸せなんだってこと。二人がパパとお母さんにとっての、一番の宝物なんだってこと、天国に行ってもパパはパパなんだってこと、子供に理解してもらえるように話しました。


なので、子供なりに「もうじきパパは天国に行ってしまうかもしれない」という覚悟はしていたようです。実際、頭ではそう理解?していても、現実は大変でしたけれど。。。。


一番息子に言われて辛かったのは「もっとたくさんの思い出を作っておけばよかった」と言われたときです。
もともと単身赴任の多かった主人で、やっと家に落ち着けるとなったのが2月。5月に体調が急変してしまったのです。
今年の夏はプールで泳ぎ方おしえてね。虫取り行こうね。海にも行こうね。花火しようね。お出かけもしようね。。。。。。
他にもたくさんの約束をしていたのに、何も叶えてあげられませんでした。
私と子供3人でした花火。長男は、「パパともしたかった」と涙していました。



どうか、たくさんの時間を皆さんと過ごして下さい。
そして、みなさんに言葉を残してあげて下さい。
手紙を書くのは大変かもしれませんが、直筆の心のこもった手紙ほど嬉しいものはありません。

あと、奥さんや息子さんたちと、何か約束もいいと思います。
長男は主人と学校の皆勤賞をもらうことを約束していました。心が乱れて手に負えない時期、「学校に行きたくない」と言っていましたが、「でも、パパに皆勤賞をもらう約束したから・・・・・」と、気持ちを奮い立たせていました。


息子さんたちに、「お父さんの代わりに、お母さんを頼むな」でも、それは生きていくための大きな力になってくれると思います。
きっと、そばで息子さんたちが支えてくれたら、奥さんにも前を向いて生きる大きな力になってくれるはずです。
もし、将来の目標があるなら、そうなる日を楽しみにしているよとか、きっと「父さんと約束したから・・・」と、もしくじけそうなった時、頑張る力を与えてくれるのではないでしょうか。

照れくさいかもしれませんが、奥さんはもちろん、息子さんにも「愛している」と。「幸せをありがとう」と。
姿は見えなくても、いつもそばにいると、見守っていると、ずっと家族だよと伝えてあげて下さい。



長くなってしまいましたが、どうぞ風邪など引きません様に、ご自愛ください。。。
心身ともにお辛いでしょうが、病気に負けない心で、一日も長く、ご家族との大切な時間をお過ごし下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなって申し訳ありません。病院暮らしでネット環境がままならずこんなに日数が空いてしまいました。
お話。身につまされて泣いてしまいました。
我が家はとりあえず思春期以上なのでどうなってもなるようになるでしょうが、小さなお子様を抱えた回答者様は私よりも、私の残される家族よりもさぞかし大変な事でしょう。
複数の方からご紹介いただいた「葉っぱのフレディ」を家族に読ませました。なんとなくでは有りますが死にゆくことの道理を考え始めることが出来るようになったのではと思います。
長男が率先してみんなで協力してお母さんを助けていくよと言ってくれました。私の死が決して悲惨な悲劇ではなく、また敗北でもないことを徐々に理解してきてくれています。
家族に直筆の手紙も書き始めました。
それと、妻のことを「お母さん」と呼んでいましたがこれからは子供が出来るまでのように互いの名前で呼び会うようにもし、子供達にも宣言しました。残りの時間、家族の役割としての呼び方ではなく、お互いの人格を尊重して呼び合うことにし、有意義に過ごしていきたいと思います。
いろいろな方からご親切に回答をいただきまして大変参考になりました。
回答に優劣は無いのですが、私が最も共感し感動したあなた様の回答をベストアンサーとさせていただきます。

お礼日時:2010/11/17 10:40

私も28の時に大好きなお父さんを癌で亡くしました。

28でしたらもう大人なのに、とても父親っ子でしたので、あまりの悲しさで1年位何も手に付かず、その後3年位は父親が亡くなったと言う話をするのも辛かったです。7年たった今でもたまに思い出して泣いてしまいますね。
お子様と奥様に1人1人に宛てた手紙を書いてあげて下さい。ノートでもいいと思います。何度も読み返し、側にいる様な元気付けられる様なそんな手紙を。私も父親と小1だった娘との交換ノートがあります。宝物です。たまにそれを読み返し、私と娘への愛情を感じ、見守ってくれてるからがんばろうって思います。それでも私への手紙も欲しかった。
心配な事やこれからの人生がんばって欲しい事、感じた色々な事を手紙に残してくれたらきっと宝物になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
おっしゃるとおり子供と妻に手紙を書いています。妻と次男とは交換日記も始めました。
長男はメールの方がいいようなのでメール交換しています。
残す手紙には私の全てを伝えたいと思っています。
私の子供達もお父さん子なので同じ思いを抱くかもしれません。
私は「しばらくは仕方ないけど、何年経っても泣き声ばかり聞こえてくるのは辛いよ」
「楽しいこと、嬉しいことがあったとき、ありがとうの気持ちとともに伝えてくれ」と言ってあります。
誠に差し出がましいですが、あなた様のお父様もいつまでも鳴き声が聞こえてきたら辛いのではないかと思います。
お気にさわったら申し訳ありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/17 11:00

■「シルバーバーチの霊訓(一)」   近藤千雄訳


  http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83 …
 
■「天国への手紙」   江原啓之
  http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81 …


この2冊を強くお薦めします。
あなたの家族にも、そしてあなた自身にも。
今こそあなたやあなたの家族が読むべき時期、必要な本ではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
シルバーバーチや江原啓之氏は申し訳ありませんが子供には読ませたくありません。私は読んだことがあります。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/17 10:47

返事を書いてくれるかわかりませんが、交換日記などどうでしょうか?


学校での事、友達の事、恋愛の事、将来の夢、何でもいい。
お父さんが経験してきたことを文字で伝えていく。言葉では、忘れていくけど、文字はきえず、何度でもよみかえせ、いつでも父の気持ち、アドバイスに会える。
父しか教えられないこと。奥さんとだって交換日記いいですよ。

この時代やっている人は少ないかな。昔は、教師とやってました。一人一人に返事を書いて大変だったろうにとおもうし、面倒くさかったのも事実。でも、そのやりとりって忘れない。先生という他人のものは、捨てましたが、親子のものって大事ですね、私は、母からもらった手紙いつも持ち歩いてますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなって申し訳ないです。病院暮らしでネットがままならないのです。
おすすめ頂いたように中ニの息子とは交換日記を始めました。
高校生の長男はメールのほうがしっくりくるようなのでメール交換してます。
以前のような素っ気ない返事ではなく息子なりに気を遣った返事が来るようになりました。
妻とも交換日記を始めました。妻はまだショックと落ち込みが激しいですが、徐々に納得していってくれればと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/16 17:01

死は無限ともいえるの次の生への扉を開けるだけのことなのです。

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この回答へのお礼

ご高説ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/16 16:44

私も癌で父を亡くしています。



死とはどういうものかは、
貴方が亡くなれば、残されたものに必ず伝わります。
貴方を見送ったとき、その後の儀式や生活の中で実感していきます。
中学生は幼いですが、いつか受け入れ乗り越えるでしょう。
それを敢えて伝える必要は無いと思います。
これから起きる現実をもってしか、きっと、実感は伝わりませんから。

一方死の意味とは生きた意味のことだと思います。
2人のお子様がいて、今まで家庭を守ってこられた。
貴方が生きた意味は、そのことだけでも充分伝わると思いますが、
私の過去を思い起こせば、もっと父のことを知りたかったと思うことがあります。
父がどのように生きてきたのか。どのような気持ちで居たか。
自分が知らない働く父の姿は。父の子供時代は。
そんなことを考えます。

先ず、
お子様の学校の話を聞く中で、ご自身の学生のころの話などを、してみては如何でしょうか。
お子様の将来の話をする中で、ご自身の仕事のことを話してみては如何でしょうか。
何も説教じみた、改まったことをいう必要はありません。

「昔、お前らくらいの頃、こういうことをやっていた」
「部活で活躍したものだ」
とか。
「若い頃に、こういう仕事に関わった」
「仕事の中で、こういうことを学んだ」
「仕事の中で、自分は、こういうポジションで…」
など。

そこから学ぶことや知る事は、お子様にとって、きっと大きいと思います。
仕事の話など、今は理解できなくても、いずれ社会に出たとき、
所帯をもったときに、解る時がくるはずです。

何か本を読ませても、それは他人の経験と、他人の想いです。
感動を得たとしても
「なくなる前、父は、こういう気持ちだったのだろうか」
などと思うことは、単なる推測で、
他人の書いた物語に自分の気持ちを重ねるだけの行為です。
そういうものは亡くなった人を想い、自分の心を慰めるとき見れば良いのです。

幸い(と言う言葉は不適切かもしれませんが)まだお二人とも学生。
身近に居られるのです。
しかしそれは長い時間ではないのです。なら本を読む時間より、
共に過ごすことのほうが大切ですし、伝わるものは多いはずです。

もし今体が辛くないのであれば、
ご自身のルーツをお子様と巡ってみるのも良いと思います。
それはきっと、お子様にとって、貴方がどんな人だったかを、リアルに知る旅になるでしょう。
貴方が関わった仕事の場を巡ってみるのも良いでしょう。
父の戦いの中で自分たちの生活があったことを知るでしょう。

貴方の人生を知る事が、
子供もまた、自分の人生の中を生きていることを学ぶことになり、
それは自分の死や子孫の生に繋がることを知る事になるでしょう。
生きる意味や死ぬ意味を、貴方を通して学ぶことになると思います。

貴方のことを教えてあげてください。それで充分と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お礼が遅くなって申し訳ないです。病院暮らしでネットがままならないのです。
いつかは伝わる、それが本当だと思います。しかし、余命を宣告された時点で、あれもしなければ、これもしなければと焦っていたのかもしれません。
おっしゃるように自分の歩んだ道を書き残していきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/16 16:32

私の親が癌で天国に行った経験から書かせて頂きます。



私が今でも悔やむのは、親が幸せに暮らしていなかったことです。
まだまだ学生だった時、私達子供のために色々苦労もしたことでしょうが、何も恩返しができていません。
最後を見取った時のことは、今でも思い出さないようにしています。今でも耐えられないからです。

正直、親が子供にできるのは、残せるのは「生き方」というものです。
どのように人生を歩むか、どのように自分自身を確立させて生きていくのか。
そのためには親自身が自分自身の人生を子供のためではなく、自身のために生きる必要性があったと今でも感じます。
勿論子供のことを考えることも必要ですが、人間のできる限界をこしては苦しいだけです。

自分のしたいことをして下さい。
家族に手伝ってもらえるのであれば、家族に手伝ってもらうのもいいでしょう。
できれば笑顔、感謝の言葉、愛の言葉があればそれだけで家族は救われます。
あなたが笑っているのが、素敵な言葉を響かせられるのであれば、それが一番の贈り物です。
亡くなった後の思い出が、ずっと苦しんでいた思い出ばかりでは悲しすぎるからです。

悲しみの時に救ってくれたのは、人の愛だけでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
貴重な体験、本当に身に染みます。
私の1番の恐れは、もがき苦しむ最期を家族に見せてしまうのではないかと言うことです。
これについては最優先事項として主治医に伝えてあります。
そして、今、心掛けていることは日々笑顔であること。とにかく苦しさは見せないようにしています。
これがいつまで続くのかわかりませんが、なんとかやっていきます。
そして、愛の言葉もたくさんかけてあげたいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/12 17:51

本ではありませんが、とても大事な人を亡くした後に聞いた歌でとても切ない気持になります。



風味堂さんのLastSong

歌詞は転載できませんが、載ってるサイトを乗せます。
http://lyric.kget.jp/lyric/gh/vw/

正直、なんとお声をかけていいのかわかりません。
お強い方なのだということは質問から感じました。
ご子息は貴方のような強い方の遺伝子をお持ちなのですから大丈夫です。
きっと強く生き抜いてくれると思います。
主様の希望をお手紙にされてはいかがでしょうか。
一人ずつにあてた手紙。
もちろん奥様にも。奥様がご子息よりもっとお辛いと思います。
病状の意味も、別離の意味もわかってらっしゃいますから。

私ならば家族みんなの時間、ご子息との時間、そして奥様との時間それぞれとって頂きたい。
大事なヒト(血のつながらない家族でした)との離別の時、
私は精神的に幼すぎて(中2でした)一緒にいることができませんでした。
それも、友人と遊びに行っていたのです。帰ってきてもきっとまだいてくれると信じてたのです。
この時間がずっと続いていると思っていたのです。
でも、そんなときを見計らったように別離は訪れてしまいました。
私がいないときを見計らったのでは?と両親は言いますが、とても後悔しました。
何も言わなくていいからそばにいる時間を大事にすればよかったというのが残された側のわがままです。
いつ何時別離が来ても後悔は必ず残るものだとも思います。
もっとこうすればよかったなど。
できるだけ後悔のないように主様もご子息も、奥様も時間を過ごされることが一番と感じました。

長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
体験に即したお話し心にしみました。
看護師さんからも強い人と言われましたが、実際にはそんな立派なものものではありません。
ただ家族に何か残さなければの思いが私を駆り立ててくれているのだと思います。そんな意味では、絶望や恐怖から救ってくれているのかもしれません。あらためて家族に感謝してます。
どんなにしても悔いは残るでしょうけど、なるべく少なくなるようにしたいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/12 16:51

「マイライフ」という映画が、


死を目前にした男性が、生まれる前の子供宛にビデオレターを作る、という内容でした。
一人の男が子供へ何を伝えたいと思っているか正面から描いてあり、
映像であるだけ理解していきやすい作品だと思います。
(それなりに有名なのですでにご存知かもしれませんが…)

私か父が余命一年、という事でしたら…
親子で質問コーナーですね。お互いに聞いておきたい事を答えが聞けるうちに、ということで。
(借金残ってないか、とか隠し子いないか、とか聞いてしまいそうですが)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
おっしゃる通り親子で質問コーナーをしたいと思うのですが、現在の子供の精神状況ではフランクに話ができません。そのためにも、早く子供が死を受容してくれることをいのってます。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/12 16:36

ご自分で本を書かれてはどうでしょう


あなたの言葉の方が、他人の言葉より彼ら達には深いのですよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
実は私も著書があります。原稿と言う形に仕上げるにはあまりにも時間が足りないです。
本と言う形にとらわれず、何らかのものは残してあげたいと思っています。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/12 16:26

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Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Q子供の死の乗り越え方

内容に不快感を持たれる方がいらっしゃいましたら、申しわけありません。予めお詫び致します。

私は今年の初めに娘を突然亡くしました。前日まで元気でした。
おっぱいをあげてから寝かしつけたのは私です。娘は寝かしつけた1,2時間後に亡くなったようです。深い眠りについてしまった私は、翌日起きるまで、娘の異変に気が付きませんでした。主人も良く眠っていると思ったようで、朝早く、起こさないようにそっと出勤したようです。

発見した時、助からないのは一目で分りました。
冷たく硬直した体を必死で温めて、人工呼吸や心臓マッサージをしたり、動かしたらいけないのは分ってるのに、救急車が来るまで、何かせずにはいられませんでした。目の前にあるのは絶望でした。

警察の現場検証と司法解剖の結果、「原因不詳の死」でした。私は半狂乱で警察の方に「娘は私が寝かしつけました。だから私が殺したのも一緒です。なぜ私は裁かれないのですか?」そんなことを言ったように思います。殺したのか?と聞かれれば決してそんな事していません。

警察関係者、家族、友人誰一人として私を非難する人はいませんでした。非難されれば、それは、とても辛いことなので、感謝しなくてはいけないと思いますし、周りの温かさに随分救われました。なぜ自分は自分を許せないのでしょうね。自分を責める事で自分を守っているのでしょうか。かわいそうと思ってもらいたい、同情して欲しい・・・心の中ではそんな気持ちもあるような気がします。情けないですね。

警察では「現代の医学では解明できない数十万人に一人の割合で起こる原因不詳の死。事故死でも窒息死でも無く、乳幼児突然死症候群とも分類しがたい。8ヶ月で亡くなってしまった事、それが娘さんの運命だったと思います。」そう言われました。

沢山笑ってくれるようになりました。とっても元気にバタバタ手足を動かして、お名前呼ぶと、にや~として。でも、もう何もしてあげられません・・・もう会えません。一緒に桜並木をお散歩するのが夢でした。温かくてふわふわしてたあの子はもういません。娘があまりにも大きな幸せをくれたので、失ったものの大きさに押しつぶされて、泣いてばかりです。小さな小さな体に全身メスを入れられ、本当に最後まで良く頑張ってくれました・・・・。そして最後にかわいそうな事をしてしまいました。

ちなみに、主人は決して、私の前では涙を見せません。一緒にいる時は一生懸命笑わせよう、楽しくしようとしてくれます。でも、私は泣いたり、時に酷い事を言ったり・・・悲しませてしまう。主人が泣いたのを見たのは2回だけです。

これから先、お迎えが来るまで私は悲しみを乗り越えて、生きて行かないといけません。私一人ではどうしても悪い方向に考えてしまいます。皆様の経験談や悲しみの乗り越え方のアドバイスをお待ちしております。どうぞ、宜しくお願いします。

次の子供を作ったらと母乳を止めるために行った病院でも、警察でも言われました。
本当に次に子供を授かる事が出来たら、乗り越えられますか?

私の願いは娘にただ会いたいということです。ママを事を許してくれる?パパとママの事好き?聞きたいことが、話したいことが沢山です。

長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

内容に不快感を持たれる方がいらっしゃいましたら、申しわけありません。予めお詫び致します。

私は今年の初めに娘を突然亡くしました。前日まで元気でした。
おっぱいをあげてから寝かしつけたのは私です。娘は寝かしつけた1,2時間後に亡くなったようです。深い眠りについてしまった私は、翌日起きるまで、娘の異変に気が付きませんでした。主人も良く眠っていると思ったようで、朝早く、起こさないようにそっと出勤したようです。

発見した時、助からないのは一目で分りました。
冷たく硬直した体を必死で温...続きを読む

Aベストアンサー

お嬢様の、18ヶ月の人生はとても輝かしいものだった事と思います。
素敵なお母さんお父さんに愛されて、幸せな一生だったと思いますよ。

私は初めての子(長女)を生後2日で亡くしています。
お腹の中で原因不明の難病にかかり、肺が育たず、しかし体はどんどん浮腫み続け。
医師から、これ以上お腹にいさせたら浮腫みで死んでしまうと宣告されました。30週で帝王切開しました。
けれど肺も育っていないため、呼吸(ガス交換)が出来ず、生後2日目の夜に亡くなりました。

原因不明。お母さんのせいではない。周りからそう言ってもらえて、頭で理解出来ていても、何かに責任を見出そうとせずにはいられないんですよね。だから、自分が悪いのだ、周りもむしろ私を責めてくれた方が私自身も気持ちのやり場が出来るのに、と思ってしまう。
どうかご自分を情けないなんて思わないでください。
私も自分の妊娠中の生活のあらゆる些細なことを責めました。あの時食べたあれがまずかったんじゃないか、あの時自分がしたあの行動のせいだったんじゃないかと…
だけど、私が自分を責める事を亡くなった娘が望むのか?と考えるようになりました。
娘はあらゆる検査で異常を出しませんでした。医師は特発性と言っていました。私にはそれが、娘の優しさのように思えてきました。「誰のせいでもないんだよ、だからお母さん、自分を責めないで。」と言ってくれている気がしたんです。
医師から「手術室から(生きて)出られないかも知れない」と言われていた娘、生まれた姿は全身浮腫みでパンパンでした。でも3日間も生きてくれたんです。
おかげで出生届も出せた。生前の写真も撮れた。ありがとう。呼吸が苦しい中よく頑張ってくれたねと娘を誇りに思っています。

今はそうとは思えないかも知れませんが、質問主さまも、亡くなられたお嬢様に対し、心穏やかに感謝の気持ちを心に満たす事が出来る日が来ると思います。長い年月をかけるかも知れませんが、きっと訪れると思っています。

長女を亡くし2年経ち、次女が生まれ3ヶ月になる今、思い返してみると私は周りに恵まれたと思います。
私も、家族友人みな温かい言葉をかけてくれ、責める人は誰もいませんでした。
長女の死を受け入れられず、お骨箱を抱っこしたり、はだけたおっぱいをあてたり、外出に一緒に連れていった事もありました。そんな私を、周囲は温かく見守ってくれ、気の済むようにさせてくれました。
納骨しろと言う人もおらず、住職さんも「幼くして亡くなった子はまだまだ両親のそばにいさせてあげて良いのですよ」と言ってくれました。
とことん向き合ったおかげで、私は気持ちを押し込める事無く、整理をつける事が出来たと思っています。
質問者さまも、周りのかたの温かさに救われておられるとの事。
同じ立場の者として、本当に良かったと思いました。
どうかたくさん、たくさん泣いて下さい。
そしてどうか、ご主人も気持ちのままに、泣きたい時は泣いて欲しいと願っています。
私の夫は「男は妻を支えなければならないのだ」と過剰に思い込んでしまっており、自分もお骨箱を抱き締めて泣きたいのを押さえ込んでいた為ほとんど泣かず、最近になって堰を切ったように号泣していました。私は夫の状態に気付けなかった事を悔やみ、以後「子供の親である立場として、夫婦は対等な立場なんだよ」と言葉をかけています。夫婦で肩を抱き合って泣くという事が大事だと気付かされました。質問者さまのご主人が、「自分が妻を支える為にも泣いてはいけない」と思わないよう願っています。

亡くなった我が子に会いたいですよね。
ほんとに会いたいです。そして娘と話がしたい。たまにテレビで、第六感にすぐれている外国の方が出ていますが、もしあのように、亡くなった家族と話せる人がいたら、ぜひ我が家に来て欲しい。…なんてありもしない想像をしてしまいます。


>本当に次に子供を授かる事が出来たら、乗り越えられますか?

私自身、いまだに自分が「乗り越えた」状態であるとは思えません(どういう状態になれば「乗り越えた」になるのか定義も曖昧ですし)。
ただ、確かに次女を授かってからは、より自分の今の生活を思いやれるようになりました。
長女が亡くなって間もなくは、頭の中は長女の事ばかり。家の事は何も手につかず、起こった出来事すべてを長女に結びつけ涙してばかり。
だけど日々暮らしていくうちに、やらなければいけない事(買い物、振込み、冠婚葬祭)に少しずつ目を向けられるようになり、涙の量が減っていき、生活に支障はなくなり。
そうしていくうちに、今後の生活に目を向けられるようになり、感情をコントロールできるようになり(小さい子を見ても激しく落ち込んだりしなくなる)。
そして次女を妊娠すると、今まで長女一色だった頭は長女:次女=50:50になり、妊娠生活を健康に過ごすことに頭を使えるようになり。
次女が生まれ、初めての子育てで頭がいっぱいになっている今、長女の事は大切な大切な思い出となって私の心の中にあります。

この過程を経た今、私は確かに今の生活にしっかり目を向けて過ごす事が出来ている。という事だけははっきり申し上げられます。

子供を亡くしたとき、次の子を作る時期は早すぎないほうが良いと聞きます。
次の子に亡くなった我が子を重ねず次の子として捉えられる自信がついた時が、次の子を作る時期なのだとおもいます。


長くなってしまい申し訳ありません。

最後に、参考になるかは分かりませんが、風呂敷に包んだお骨箱を子供だと見抜いた方(お骨を抱えて行った沖縄旅行で出会った、初対面の方)から、後日に頂いた言葉を貼りますね。


「娘さんはとっても笑顔が素敵でした!
本当は産まれる前に寿命でしたが、
あなたの笑顔が見たくて、がんばって産まれてきたってよ。
でも、すぐ亡くなって、お母さんが毎日悲しんでるのを見て辛かったみたいです。

だから、その日はあなたに笑って欲しくて沖縄へ!
念願の誰からも「愛される娘を夢見たあなた」に娘からのプレゼントです!

願いを叶えたのは娘さん。
そしてママの笑顔をありがとう!
最高のプレゼントをありがとう!と
私に笑いかけてくれました。

わかりますか?娘さんはあなたの笑顔が望みなんです。
「産まれて愛される娘」が彼女の望みではないのです。
優しいあなたの笑顔が好きと言ってましたよ。

で、伝えて欲しいと言っていたのはもうひとつ。
「もうすぐ新しい命がやってくるから、心配しないで!その子の為に笑ってて、もう少し待っててね」ってさ。」

お嬢様の、18ヶ月の人生はとても輝かしいものだった事と思います。
素敵なお母さんお父さんに愛されて、幸せな一生だったと思いますよ。

私は初めての子(長女)を生後2日で亡くしています。
お腹の中で原因不明の難病にかかり、肺が育たず、しかし体はどんどん浮腫み続け。
医師から、これ以上お腹にいさせたら浮腫みで死んでしまうと宣告されました。30週で帝王切開しました。
けれど肺も育っていないため、呼吸(ガス交換)が出来ず、生後2日目の夜に亡くなりました。

原因不明。お母さんのせいではない。周り...続きを読む

Q乳がんで、ステージ4。 何でもいいので情報ください

45歳、乳がんで、見つかった時にはもうリンパと肝臓に転移していて、ステージ4と言われました。

転移があるため手術はできない。
そのため、根治はなくて、治療の目的は延命だといわれました。
ここ数か月のいきなりの出来事でパニックです。



去年の乳腺専門病院での乳がん検診では異常なしと言われたのですが、
1年でステージ4まで行くものなのでしょうか?



免疫療法や温熱療法など、いろいろなものがあるようで、詳しいことが知りたいです。

治療された方、詳しいことを知って見える方、その他どんな情報でもいいので教えてください。
よろしくお願いします。



抗がん剤の治療は今月から始めたばかりで、
今は、エンドキサンとファルモルビシンを投与しています。

Aベストアンサー

4月に乳がんの告知を受け、5月に全摘出手術、現在ホルモン治療中です。
質問者さまのさぞお辛い気持ち、本当によくわかります。私も最近になってようやく、普通の精神状態になりましたが、しこりを見つけた3月から治療が始まる7月くらいまでは、何を見ても悲しく、テレビもを見ることも本も読むこともできずに泣いてばかりで、精神科にも通いました。

同じ病気にかかり、転移再発したという人にも出会い、ネットのブログでもよく見かけますが、私は転移再発しても、乳がんは10年以上延命できる時代になっているように感じています。
ですので、再発の不安と恐怖に悩まされながも、「うまく治療すれば大丈夫・・・」なんて、考え方を変えるようにしています。先生も「乳がんにはいい薬がたくさんある」とおっしゃっていました。

>去年の乳腺専門病院での乳がん検診では異常なしと言われたのですが、
1年でステージ4まで行くものなのでしょうか?

トリプルネガティブとか、特殊な悪性度の強いがんなのでしょうか?
専門家なのでわかりませんが、私も2年に一度、マンモの検診を受けていましたが、結局自分で見つけるまでわかりませんでした。(ステージは違いますが・・・)
最後までマンモグラフィーに私のがんは写らず、結果的には
「検診=無効=自分にとってかえってマイナスだった」(ただの被ばくにすぎなかった)ことになりました。
ピンクリボン運動とか、「乳がんは早期発見が大事です。検診を受けましょう。」とかきくと、腹立ちさえ感じます。
啓蒙の言葉を変えない限り、私はそのような運動にはこれからも参加しないつもりです。
検診を受けたために結果が不正確で発見が遅れた人を無視していますよね・・・。少数派だから・・・というのは悲しい考え方です。

治療は、検診を受けた病院ではないと推測していますが、経済的に可能なら、他病院でのセカンドオピニオンを受けることをお勧めします。
私は手術後の病理診断結果に不安をいだき、セカンドオピニオンを求めたところ、大きく診断結果が変わり、それによって治療方法まで変わってしまいました。
命にかかわることですし、遠慮せずにセカンドオピニオンを求めた方がいいと思います。
世間で言われる症例数の多い有名な病院、イコール絶対ではない、という教訓も得ました。

また、心配や不安、疑問は、無料のネット相談を利用しました。
例えば「神奈川乳がん相談室」や「ティームオンコロジ―」などの掲示板などです。ここでは専門的なことが質問できます。
ちょっとした乳がん以外の相談なら「アスクドクターズ」(月ごとに安価だったと思います)などでも相談できます。他にもいろいろ出てくると思いますから、情報化社会を存分に利用していただきたいです。

抗がん剤の副作用など、これから辛い治療が続くと思いますが、乳がんは治療法も豊富で、長く生き延びることのできるがんですから、あきらめない、粘り強い精神力と、自分にとって最善の治療方法を見つけることが大切だと思います。
精神的に辛い時は、精神腫瘍科なども利用すると心が楽になると思います。

どうかあきらめずに、前向きな気持ちでがんばっていきましょう。
私たちの死亡率は、がんでない人も等しく、100%ですからね。

4月に乳がんの告知を受け、5月に全摘出手術、現在ホルモン治療中です。
質問者さまのさぞお辛い気持ち、本当によくわかります。私も最近になってようやく、普通の精神状態になりましたが、しこりを見つけた3月から治療が始まる7月くらいまでは、何を見ても悲しく、テレビもを見ることも本も読むこともできずに泣いてばかりで、精神科にも通いました。

同じ病気にかかり、転移再発したという人にも出会い、ネットのブログでもよく見かけますが、私は転移再発しても、乳がんは10年以上延命できる時代になって...続きを読む

Q兄(42歳)が末期の肺がんで入院しております。緩和ケア病棟に入っており

兄(42歳)が末期の肺がんで入院しております。緩和ケア病棟に入っておりここ2週間の間に食事が殆ど摂れなくなり点滴だけで命をつないでおります。ところが最近になり主治医の先生からその点滴は水分に電解質が少し混じっただけのものであるとゆう事を聞きそれではどんどん痩せ細っていくばかりではないかと今でも望みを捨てていない本人と家族は危惧しております。先生曰く兄の体は摂取した栄養分が癌に行ってしまう癌悪液(益?)質になっているとの事で栄養分がある点滴をうつ事は逆に癌を進行させてしまうので今の状態が一番良いと言っています。ですが少し以前は少量ですが食事を摂っていましたしそれが許されていたのに栄養分のある点滴がうてないとゆうのはどうも矛盾している様な気がしてなりません。ちなみに病院側からは兄に残された時間は残り少ないと何度も言われており最後まで望みを捨てていない私達からするともっと出来る事がある筈なのにそれをしていないのではないかと感じられる事があり点滴の件はその一つなのですが末期の癌患者にあえて栄養分を与えないとゆうのは癌の進行を抑える為に妥当な方法なのでしょか?またそれはもしかしたら回復するかもしれないとゆう事も視野に入れても有効な手段と言えるでしょうか?専門分野の方、もしくは同じ様な経験をお持ちの方からのアドバイス又は御意見を伺えると大変に助かります。どうぞ宜しくお願い致します。

兄(42歳)が末期の肺がんで入院しております。緩和ケア病棟に入っておりここ2週間の間に食事が殆ど摂れなくなり点滴だけで命をつないでおります。ところが最近になり主治医の先生からその点滴は水分に電解質が少し混じっただけのものであるとゆう事を聞きそれではどんどん痩せ細っていくばかりではないかと今でも望みを捨てていない本人と家族は危惧しております。先生曰く兄の体は摂取した栄養分が癌に行ってしまう癌悪液(益?)質になっているとの事で栄養分がある点滴をうつ事は逆に癌を進行させてしまう...続きを読む

Aベストアンサー

栄養が少なくて痩せるのではなく、体が栄養を受け付けなくなって、栄養をとることがかえって体の負担になるため、食欲が減るのです。からだは栄養を受け付けないため、これまで蓄えた栄養を取り崩すことを行います。
この状態をがん悪液質といいます。

栄養が不足=飢餓状態とことなり、食欲がわかずに、筋肉が痩せてくることが特徴です。

がんが体の細胞一つ一つの栄養代謝を乱すため、細胞が摂取した栄養を使用できなくなります。
栄養はいったん胃腸でエネルギーを消費して消化吸収され、肝臓でエネルギーを消費して体で利用できるように組み立てられます。ここまではエネルギーになりません。しかし、その後利用できなければ、再びエネルギーを消費して肝臓で分解され、腎臓から排出しなければなりません。

つまり、体が利用できないのに栄養を口から又は点滴で投与しても、かえって体のエネルギーを浪費するだけに終わります。また、肝臓や腎臓の機能が落ちていることが多く、余った栄養を処理できずに肝性脳症や尿毒症になり、栄養点滴が原因で昏睡になることもあります。そこまで行かなくても、栄養点滴はむくみの原因となり、肺浮腫などで呼吸状態が悪化したり、腹水の増加につながるなど、いいことが全く亡いために、現在では行われなくなっているのです。

「癌が成長してしまう」は、上記のようなことを患者さんやご家族が理解しにくいために昔から使われているロジックですが、実際には栄養点滴が百害あって延命の効果は全く見られないことが研究でおおよそ分かっています。

私は過去に、1日200mlの電解質の点滴だけで2ヶ月間頑張られた方を担当したことがあります。

残念ながら、現在の医学ではいったん減った進行癌の体重や体力を元に戻す方法は見つかっておらず、そのような時期には無駄に体力を減らさない(含む抗がん剤)がとても重要となります。

栄養が少なくて痩せるのではなく、体が栄養を受け付けなくなって、栄養をとることがかえって体の負担になるため、食欲が減るのです。からだは栄養を受け付けないため、これまで蓄えた栄養を取り崩すことを行います。
この状態をがん悪液質といいます。

栄養が不足=飢餓状態とことなり、食欲がわかずに、筋肉が痩せてくることが特徴です。

がんが体の細胞一つ一つの栄養代謝を乱すため、細胞が摂取した栄養を使用できなくなります。
栄養はいったん胃腸でエネルギーを消費して消化吸収され、肝臓でエネルギーを...続きを読む

Q末期がんでイタイイタイと泣いている人にどうしてモルヒネを打ってあげないのか?

どうしても理解できない。
末期がんでただ死んでいくだけの患者がイタイイタイと泣いている。
どうしてモルヒネを打ちまくって安らかに死なせてあげないのだろうか? ただ痛いだけで生きている価値があるのか? たとえ寿命が半分になって半年生きるところが三ヶ月になったところで痛いだけの六ヶ月と安らかな三ヶ月とどちらが良いか。モルヒネなんて病院の畑でケシの花かなんか知らないけど栽培したらただで作れるじゃないか。値段の問題は栽培すれば解決する。どうして末期がんの患者を苦しませるのだろうか? モルヒネ投与を禁じている医者が末期がんになったら自分で打ちまくるのではないだろうか? もしそうだとしたら矛盾していないだろうか?

Aベストアンサー

質問拝見しました!!
質問者様の身内の方が、その患者さん・・という事で良いのですよね?
それとも・・別の患者さんを、質問者様が見ていらして感じたこと?では無いですよね?
(ちょっと判らなかったので・・すいません!)

私の父は・・ガンで亡くなりました。
一番ビックリしたのは・・1ヶ月に1回外来で行く状況(慢性膵炎で)のある時・・。

突然として
「胃ガンです!余命1年です」と言われて帰ってきたのです。
その様な言葉は・・冗談でも出る内容とは違ったので、本当にビックリし、又、とてもショックでした。

そして検査入院で「スキルス胃がん、リンパ節転移」とわかり・・。
父の希望を真剣に聞きました。
◎抗がん剤治療はしてもよいが・・入院は避けたい!!
(父は良く判らなかったけど・・私は延命治療・・と感じました)
◎手術は絶対したくない!!・・体を開けてしまったらもっと不自由になるに違いない。
◎とにかく・・とにかく「痛い」「苦しい」「辛い」の状態を一番少なくして欲しい。
(告知された時は痛みや苦しみはまだなかったです)
この3つが「父」が私にゆっくりと、真剣に話してくれた希望でした。
医師に私が伝えました。

そして・・運良く内服の抗がん剤で時を過ごしました。
少し気持ち悪いけど・・その気持ち悪さもだんだん取れて、元気になってきました。食欲はあるし、車を運転して好きな場所に行くし、買い物も行くし・・普通の人と変わらない?・・それ以上かも・・と思われるくらい!

(でも私は・・この元気さが、いつか突然ひっくり返る瞬間が来ると思っていました)
11ヶ月弱経った、ある日の朝・・父は「痛いんだ・・」とぽっつり言いました。
私は「とうとう来たか!!」と深呼吸をして・・明日から色々な事が変わっていくのだろう・・と思いました。

痛みがでて・・毎日通院で「処置室」で点滴を8時間して帰る日々が続き・・。
ついに「外科部長」に・・
「入院してはどうかな?お父様にもおっしゃってみて!」と言われました。
・・・そうだよなぁ!その日が来たんだな~・・と思い、父に話しました。
父は「そうだなぁ・・入院するかぁ~・・・」と答えました
入院して主治医は同じですが・・いつも来てくれるのは研修医です!
「痛い」「苦しい」「辛い」・・この3つをとにかく・・
とにかく避けて進めて!・・と言いました。
研修医は優しく、真面目ですよね!一生懸命だし・・。
そして・・「そろそろモルヒネ打ちませんか?・・その分色々あると思いますがどうでしょう?」・・と。
「有難う!・・そうだよね!痛そうだモンね・・お願いするよ!」と告げました。
研修医は「こちらの点滴がモルヒネです!(モ)と書いておきますね!わかるように!」・・と。
すこしずつ、言葉の「ろれつ」が回らない感じ、色々な事がわからない様子が見えてきましたが・・それと同時に・・。
「お父さん!!痛い?」と聞くと「ううん!痛くないよ・・!」と
良かった・・と思いました。
更に命が短くなる事は覚悟していましたし・・でも「痛く、辛く、苦しくない!!!!!!」
これです!!重要なのは・・。
5日後に亡くなりました・・眠るように気分良さそうに!
良い亡くなり方だったと思いました・・悲しさは逆に半減しました。
ですから・・医師に、とにかくお願いしてみてはいかがでしょうか?
長々と・・しかも体験談だけのくだらないお答えかもしれませんが書かせて頂きました!!
お願いして・・早く辛さを取ってあげて下さい!!
そうすれば・・自分達の辛さも同時に取れます!!
くれぐれもお大事になさってください!!

質問拝見しました!!
質問者様の身内の方が、その患者さん・・という事で良いのですよね?
それとも・・別の患者さんを、質問者様が見ていらして感じたこと?では無いですよね?
(ちょっと判らなかったので・・すいません!)

私の父は・・ガンで亡くなりました。
一番ビックリしたのは・・1ヶ月に1回外来で行く状況(慢性膵炎で)のある時・・。

突然として
「胃ガンです!余命1年です」と言われて帰ってきたのです。
その様な言葉は・・冗談でも出る内容とは違ったので、本当にビックリし、又...続きを読む

Qがん末期の非常に危険な状態とは

がんの末期において危険な状態の血圧の低下というのはいくつぐらいまで下がっていくと危険なのでしょう。また呼吸の浅さはどうやってわかるのですか。酸素吸入の目盛りを上げると血圧が上がるのはなぜですか?脈拍数の低下の非常に危険なボーダーラインというのはいくつなのでしょうか。他に油断を許さない危険な状態というのは何で判断するのか教えて下さい。

Aベストアンサー

 兄が脳腫瘍で亡くなりましたが、そのときの状況でも。

 病院で血圧を測定する機械に触れましたが、上が60を切ると機械が電子音を出して緊急性を表していました。
 また、血中の酸素濃度が95%を下回ると危険な状態と言えるようです。逆に言うと、95%を上回るように酸素を送り込む必要があります。
 こういった状態のとき、脈拍数は180と非常に高い数値を示していました。血圧や血中酸素濃度が低いにもかかわらず脈拍数が落ちてきたら非常に危険だと言えるでしょう。

 本当に死の直前では、呼吸が見るからに弱弱しくなり、呼吸が止まることがどんどんと多くなりました。呼びかけると思い出したかのように呼吸を始める感じでしたが、まさに「息を引き取る」という表現そのままに死へ至りました。

 全体としては、「血中酸素濃度の低下」「急激な血圧の低下」「呼吸の力強さの低下」の順で危険度が増す感じでした。
 あくまで脳腫瘍の例ですが、参考になればと思います。

Q乳癌が5箇所ほど骨転移しています〈30代)

5年前に左乳房全摘後ホルモン療法を中心に治療し、1年程前に骨転移し始めてからは放射線治療、最近抗癌剤もしています。でも、かなり元気なんです〈普通に歩いて家事もすべてやっています。)自分ではまだまだ大丈夫だと思っているのですが、親戚や友人の夫など、あまり親しくない人にかぎって、「残り少ない人生なんだから、子どもと沢山過ごすべきだ」とか、「骨にまでいってるんだからいずれ、歩けなくなる。風呂にも一人じゃ入れなくる。」と、もうすぐ寝たきりになるような、あと1~2年以内には死んでしまうようなことをいいます。気にしない!と思っても、若いから進行が早いのかな・・ある日突然ガクッとくるものなのかな・・と不安にもなります。癌が骨転移している30代の方の色々な状況を聞かせていただければ幸いです。

Aベストアンサー

こんにちは、お元気に過ごしているとのこと、なによりです。私自身ではありませんが、妻が31才で同じように左乳房全摘し、3年半前から再発治療を受けています。最初は骨転移でしたが、1年ほど前に肝転移と肺転移が見つかっています。
ですが、元気にしてますよ。自分ひとりで全ての家事ができるほどの状態ではありませんが、週に2回ほど親に家事を手伝ってもらいながらも、元気に毎日過ごしてます。ぜんぜん寝たきりなどではありません。
骨転移は比較的進行が遅いですし、何よりもポジティブな気持ちでいると進行も遅くなるそうですよ。乳がんの進行は、非常に個人差のあるもののようですから生存率何パーセントだとか、一般論は妻も全く気にしてません。
ちょっと痛みがあるので激しく体を動かしたり、掃除機のような重いものを運べないだけで、お出かけもしますし、海外旅行にも行きます。
先のことは分かりませんが、できるだけのことはしていますし、何より毎日を二人(と一匹)で楽しく過ごしています。今の医学では根治は難しいのかもしれませんが、このまま癌と共存しながら、あともう少し長く頑張っていれば、医学も発達して根治できる技術が生まれる日が来るかもしれない、と期待してます。
一般論や周りの人の意見は、気にしなくて良いのではないでしょうか。自分の気持ちが一番大事です。毎日の生活が楽しいのであれば、それがなにより一番大事な事だと思います。がんばってくださいね。私と妻もがんばります。

こんにちは、お元気に過ごしているとのこと、なによりです。私自身ではありませんが、妻が31才で同じように左乳房全摘し、3年半前から再発治療を受けています。最初は骨転移でしたが、1年ほど前に肝転移と肺転移が見つかっています。
ですが、元気にしてますよ。自分ひとりで全ての家事ができるほどの状態ではありませんが、週に2回ほど親に家事を手伝ってもらいながらも、元気に毎日過ごしてます。ぜんぜん寝たきりなどではありません。
骨転移は比較的進行が遅いですし、何よりもポジティブな気持ちでいると進...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q癌の末期症状を教えてください。

義母が末期癌です。大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。

自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。
入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。
2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。食事はほとんど取れていません。薬を飲むために数口食べるのがやっとです。
いびきをかいて眠る時間が多くなり(昼夜逆転している感じです)せん妄らしき意識障害もしばしばみられます。微熱も続いています。
数日前からは痰がよくからむようになってきました。息苦しい時もあるようです。目も見えにくくなっているようです。

このような病状なのですが、どういう状況にあると考えればいいのでしょうか。主治医の先生に聞いても的を得た答えを得られずにいます。
また今後はどういう状態に気をつければいいのでしょうか。
少しでも楽になるように、私たち家族は何をしてあげればよいのでしょうか。
どんな小さなことでもいいです。ご存知のことがあれば教えていただけないでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

義母が末期癌です。大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。

自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。
入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。
2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。食事はほとんど取れていません。薬を飲むために数口食べるのがやっとです。
いびきをかいて眠る時間が多くなり(昼夜逆転している...続きを読む

Aベストアンサー

各症状について、可能性のあることを書きます。
足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。
足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。
下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最も考えられますが他の場所への転移、浸潤、潰瘍形成などによる出血の可能性もあります。 
せん妄、抑うつ、不安等などの精神症状は癌の末期にはしばしば出現します。疼痛コントロールがうまくいっていないときは出現の頻度も当然高くなります。
熱については、一般的に感染に伴うものと癌による腫瘍熱の二つが最も考えられます。
痰や呼吸困難は、呼吸器感染症の合併もしくは心不全徴候などの可能性があります。

この状態であれば御本人の苦痛をいかに取り除くかは、ご家族ばかりでなく医療側の比重が大きくなると思います。
まずは、御本人の意識を保った状態で苦痛を取り除くことが目標ですが、それが困難になればある程度鎮静させ意識レベルを落とすことも必要になります。肺に転移しているようですが、呼吸不全が進行してくると酸素投与だけでは呼吸困難が改善されないこともあり、そのような場合は体力の消耗がはげしく悪循環に陥りますから、積極的に鎮静させます。結果的に、ご家族との直接の会話はなくなることも多いですが、話すことができなくても完全に意識をなくしているとは限りませんから、気持ちの平安のためにも御本人に話しかけてあげることが大切だと思います。
最終的な症状は、血圧が下がる、尿の出が悪くなる、呼吸が浅くなるなどです。自分で痰を出すことができなくなると、常に痰が詰まることによる窒息が心配になります。喘鳴が強くなったときは、すぐに痰の吸引をしてもらうようにして下さい。

各症状について、可能性のあることを書きます。
足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。
足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。
下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最...続きを読む

Q末期がんの父が退院を迫られています。

何度もこちらで質問をさせていただいております。
今まで質問させていただいておりました状況から180度変わってしまい、家族で困惑している状態で質問をさせてください。

私の実父は5年前に末期の前立腺がんが発覚し、その時点で余命1年と言われました。
そして担当医から言われるがままに放射線、抗がん剤、ホルモン剤などのがん治療を行い、なんとか4年命を長らえることができました。しかしある時からまったく効果がなくなり、1年前の7月「あと1ヶ月程度の命ですからご自宅で看とられてはいかがですか?」と病院から匙を投げられ、自宅近くの総合病院に転院、あと1ヶ月なら自宅で過ごさせてあげたいという家族の思いから自宅介護が始まりました。

退院後は病院にいるときよりも体調は良さそうでしたが、痛みを取るための麻薬が多いため、常に意味の分からないことを話し、幻覚もみていましたが、訪問介護の方がとても良くしてくださって、時々とんでもない大騒ぎを起こすことはありましたが、とりわけ穏やかに過ごすことができました。

そして余命一ヶ月と言われ、あれから1年が過ぎようとしていた今年7月。呼吸困難、血圧低下、意識不明となり救急搬送、そのまま入院となりました。
そのときの内科の担当医から重度の肺炎を起こしており、あと1週間もてば…と言われました。
いつも側で見てきた私たちも「今回は本当にヤバい」と思い、家族4人交代で常に父の側にいました。

入院中は飲食は全くできず、意識は朦朧しており、せん妄がかなり強く出ており、1日1日弱っていく父をみんなで手を握りながら穏やかに過ごせるように努力をしてきました。

そして本日、早朝から担当医から急遽呼び出しを受け、入院のきっかけになった肺炎(肺に膿が溜まりそれに膜が張っている状態)でしたが、継続的に抗生物質を投与したことにより、肺炎がおさまって来たので、今日明日中に退院してくださいと言われました。

しかし父は2ヶ月近く一切の飲食を行っていないため身体は骨と皮のみ。自力で立ち上がることも自分で歯を磨くことも顔を洗うこともできません。
意識は朦朧としていることはありますが、1週間ほど前から母や子供である私達に涙を流しながら「今まで面倒を見てくれてありがとう」「夕べ親父と兄貴がきて(どちらも昨年亡くなっています)俺たちと一緒に暮らそうって言ってくれたんだ」と言ったりして、顔は今までの苦しみから解放されたかのような穏やかな表情をしておりました。

しかし本日は一転。今まで見たことないような鬼のような形相をしており、血圧計や心電図などを外していました。言葉は怒鳴って話しますが何を言っているか意味が分かりません。
飲食は本日よりリハビリの一環で口内洗浄用のスポンジに水を湿らせて口の中に水分を与えるということは始まりましたが、リハビリ師に「嚥下ができないため固形物を飲み食いできる状態ではない」と言われました。
鼻から酸素投与をしておりますが、本日より外す方向で投与量を少なくしているとのことでしたが、とても呼吸が苦しそうで、時々肩で呼吸をしています。
また尿について、尿道に管を通し直接尿を出していますが、ここ1週間ほどは尿パックには血液のみというくらい真っ赤な尿がたまっています。(麻薬投与により本人は痛みなどはありません)また尿量も入院時の半分以下になっています。
血圧は高い日もありますが平均60/40前後です。(あがっても70くらい)

また本日内科の担当医から聞いた話ですが、「泌尿器科の〇〇先生のお話では父の前立腺がんの進行はあと1年は大丈夫であろうという見立てです」と言われました。(〇〇先生は父の担当医ではありません)

根本的な話ですが入院時一切の延命措置はしない、命を長らえるための治療は行わない。
ただ痛みだけは取ってあげてください。という話をしたため、それ以降血液検査やレントゲンなどの検査を1ヶ月以上全くしていません。
本日の担当医も「レントゲンや血液検査などはしていませんが、熱が下がっているので肺炎は収まっている」と言っていました。泌尿器科の先生は1年前の転院時に行った検査資料でお話をされていると思います。

父と話がしたいし、生きていてくれることはとてもうれしく思います。
でもこんな状態で父はまだ生きていけるのでしょうか?
私たち家族はどのような選択をしていけば良いのでしょうか?
退院/転院させることで、父を苦しめることになるのではないか?と思えて仕方がないのです。

頭の中が混乱しており、状況説明がうまくできていないと思いますが、どなたか教えてください。宜しくお願い致します。

何度もこちらで質問をさせていただいております。
今まで質問させていただいておりました状況から180度変わってしまい、家族で困惑している状態で質問をさせてください。

私の実父は5年前に末期の前立腺がんが発覚し、その時点で余命1年と言われました。
そして担当医から言われるがままに放射線、抗がん剤、ホルモン剤などのがん治療を行い、なんとか4年命を長らえることができました。しかしある時からまったく効果がなくなり、1年前の7月「あと1ヶ月程度の命ですからご自宅で看とられてはいかがです...続きを読む

Aベストアンサー

初めて記入させていただきます。
お父さまのことさぞ心を痛めてらっしゃるでしょうね
お察しします。
質問がパッと目に入り、少し迷いましたが、
母を肝臓がんで亡くし、現在私も乳がんの再発で治療しており
何かお役に立てるかと思い、投稿しました。

医療関係者ではないので、専門的なことはわかりませんが
お父さまは厳しい状態のようですね。

今後のこととなれば、母の場合は、厳しい状態ではありましたが
亡くなる前日、いえ当日の午前まで普通に話もし食事も取りました。
ただ、父に呼ばれ嫁ぎ先から帰って一晩泊まった次の朝、
1日のほどんどを眠り続ける母に、モルヒネを少し少なくしてもらったらどうか?
つらければすぐ追加が可能だそうだからと、提案すると母は聞いてくれました。
ですが、その後苦しみ始め、すぐモルヒネを頼みましたが、その前に呼吸が停止したのです。
すぐ、送還して呼吸は取り戻しましたが、まもなく亡くなりました。

私は乳がんの手術後4年で再発し、抗がん剤治療が始まりました。
胸のリンパ節への再発で、手術もできない場所です。
いろいろ自分で調べたところ97%の確率で死に至ることを理解しました。

それから4年が過ぎました。放射線と抗がん剤治療の後、私のがんは消滅し(寛解 
ないとは言えないが、見えない状態)お医者さんも首をひねっています。
もちろん、治療は続きます。今後また姿を現す可能性は高いでしょう。
実際近所のママ友は2000年初発2008年再発で、先頃亡くなりました。
私はというと、今は元気に生活し、仕事もしています。

長々書きましたが、何が言いたいかというと、がん患者の場合どのような早さで病状が進むのか、
人によってものすごく差があるということです。

お父さまにしても、いつ頃まで生きられそうだという、たとえ医者の言葉でも
当てにはならないと思います。私の周辺で、医者の予測が当たった人など、少ないくらいです。
確かに厳しい状態ですが、今できる、いいと思うことをやられたらいいのでは と思います。
他の回答者の答えにもありましたが、あなた自身もよい選択をしておられるように思います。

ただ気になるのは、そんなに弱ったお父さまを『今日明日にも』退院させようとすることが
理解できません。病状が静かに安定しているならまだしも、怒鳴ったり、呼吸が苦しそうなど
目が離せない状態で、今動かすことがいいとは思えません。
同じ病院にホスピスなどがあり。速やかに動かせるならいいかもしれませんが。
こんな状態で動かすのはおかしいということを、主治医に話してみてはどうでしょうか。
移転先を探すのもなかなか大変なことですし。
なぜ、急に退院させようとするのか真意を聞けるといいかもしれません。
難しいかもしれませんが...。
認知症による徘徊など、病気ではないものに対して退院を迫るということは聞きますが
お父さまは、医学的な治療(痛みをとるだけでも)が必要な患者ですから
退院を強制することはできないはずだと思います。

お役に立てたかどうかわかりません
看護もたいへんでしょうが、合間には体を休めて下さいね。
ご自分の健康も大切ですから。
お父さまが少しでも楽になられるよう祈っています。

初めて記入させていただきます。
お父さまのことさぞ心を痛めてらっしゃるでしょうね
お察しします。
質問がパッと目に入り、少し迷いましたが、
母を肝臓がんで亡くし、現在私も乳がんの再発で治療しており
何かお役に立てるかと思い、投稿しました。

医療関係者ではないので、専門的なことはわかりませんが
お父さまは厳しい状態のようですね。

今後のこととなれば、母の場合は、厳しい状態ではありましたが
亡くなる前日、いえ当日の午前まで普通に話もし食事も取りました。
ただ、父に呼ばれ嫁ぎ先から帰っ...続きを読む


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