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10月24日に続いて11月5日にも東京で「検察とマスコミを糾弾するデモ」がありました。前回は1000人、今回は1200人がデモ行進したそうです。
11月21日には、全国10都市で同時多発デモを計画しているそうです。
最初は小さくてもやがて燎原の火のように広がって行くと主催者などは述べています。

私は、デモ後のビールの味は格別とかのたまってる主催者に、違和感を感じます。デモを楽しむとかの表現も使っています。
デモをされたからといって検察が「はい、分かりました」と態度を改めることは考えられませんから、結果が全然出ないのと、
楽しみでやるデモですから、2回か3回やれば飽きてしまうのではないかと思います。

沖縄で県民の1割もが参集した9万人の県民集会が開かれたにもかかわらず、政府の方針を微塵も変えることが出来ませんでした。
過去に成功した独立運動とかを見ると、私の知る限りではインドのガンディーの非暴力主義を運動の根幹においていますね。

権力側にとって、この「非暴力主義」はなかなか手ごわいものです。「この悪法を撤回するまでは死に至る断食を続ける」と言うんですからね。
ガンディーは生涯に18回の断食をやって、総日数は160日でした。最長の断食が確か40数日だったと記憶しています。

南アのマンデラ、キング牧師、カリフォルニアの貧農労働者を救ったセシール・チャベスもガンディー主義を取り入れました。彼らは成功しています。
権力に刃向かうには、運動の土台に哲学思想がいるように思うのですがどうでしょうか?

これがなかったら、絶対に途中で腰砕けになると思います。
まして「デモ後のビールは格別おいしい」とか言ってる連中が、事を成就できるとは思えません。
彼等の思想は何でしょう?

この運動の今後を占っていただけませんか?
宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

権力に刃向かうには、運動の土台に哲学思想がいるように思うのですがどうでしょうか?



○ その通りです。哲学なきものはうたかたのように消えていくものです。
では哲学とは何かといえば、簡単にいうと「大義」なのですね。
原因結果の連鎖で判断した時に未来はこうあるべきというビジョンといってもいいですね。
あなたがこうあるべきと考えるビジョンと政府や権力の方針や方向が同じであれば権力にはむかうことはありませんね。そうでないから反対デモするわけでしょ。
大義とは多くの国民が未来に渡って幸福であることと捉えれば間違いないでしょう。これは簡単なことではないのですね。日本のおかれた立場や状況、国際情勢など含めて判断する必要があるからですね。
つまり、掲げた大義が未来に多くの人々を幸福にするということを担保すると信じるにたることなのです。自らの大義の正当性を自問自答し、神に祈り、信じるに足ると信じることが出来れば敵が100万人といえども我いかんなのです。
かって全学連は共産理想国家を夢見て闘争しましたが、歴史はソ連崩壊などの皮肉しか残りませんでした。これは明らかに多くの人を幸福にする思想ではなかったということですね。ただ中国は経済原理を導入して共産独裁資本主義の様相を呈してきていますから、未だ一部には信奉者がいますね。
日米安保にしてもそこにあるソ連の脅威を脅威と受け取れなかった学生の未熟さがありました。当時は中国共産党は脅威ではなかったのですね。
さて、マスコミ検察への批判は何を持って批判しているかなのです。
中国共産党の反民主的帝国覇権主義への対抗をその大義としているのか、領土保全という国益を大義とするのか、いやもっと大きく中国を含めた国々の民主化を大義とするのか、つまりあたなが持つ未来ビジョンが大義になるのですね。欲徳であればだめですね。
もし、あなたのビジョンが正しければ決して徒労には終わらないと思いますが、もしそうでなければそうはならないということですね。
あなたが指摘した、南アのマンデラ、キング牧師、カリフォルニアの貧農労働者を救ったセシール・チャベスも、そこには誰しもわかる差別が今そこに存在したから続けられたのですね。
日本はどうですか。今そこに脅威がありますか、間違いなくあることは確かです。でもだれしもの目に見えるようなものではありませんね。誰しもの目に見えるときはすでに遅いということであなたがたがデモしているのであれば、黙々と続けるしかないように思います。
正義・大義はどのような苦難の道があろうが必ず実現されるものです。それが哲学ですからね。
私は自由と国土保全のために中国共産党弾劾デモは中国共産党が崩壊するまで参加しますよ。
それは自由と日本をこよなく愛する私の哲学だからですね。
参考までに
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>日本はどうですか。今そこに脅威がありますか、間違いなくあることは確かです。でもだれしもの目に見えるようなものではありませんね

確かに、誰にでも見えているわけではなく、大部分の人にとっては痛くも痒くもありません。だからこの運動自体が余り広がらない可能性があります。岩上氏などは「新しい戦前の始まり」と捉えていて、今気が付いて立ち上がらなければ、時既に遅しということになりかねないのですけどね。

お礼日時:2010/11/15 16:48

デモと反権力闘争は違うような気がします。



デモは主張。
反権力闘争は抵抗。

というのはどうでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2010/11/20 17:45

国民の大多数が大したことじゃないとか、賛同


出来ないと思っている限り、デモは消え去る運命。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
国民の大多数がどう思っているかですね。

お礼日時:2010/11/15 16:53

思想や哲学による「反権力闘争」は危険です。


反権力闘争に必要なのは、生活者としての視点であり、
その「生活」にこそ、「哲学」は必要なのです。
日本に欠けているのは、哲学よりもまず、生活者の参政
意識です。
たかが千人のデモで世の中の変革を云々できるなら、
そこら中の新興宗教が国を左右できることになる。
(誰かが(カリスマが)声高に叫ぶ“哲学”は宗教同然)

この回答への補足

思想哲学といっても、生活から浮き上がったものではなく、ガンディーの場合は生活者の視点がはっきりとありますね。
>思想や哲学による「反権力闘争」は危険です。
上のように言われるのは、例えばオウム真理教のような団体を想定されているのではありませんか?
セシールチャベスの場合は、彼自身が貧農の労働者ですから、生活者を忘れて哲学思想だけに走ったということはないと思います。

>日本に欠けているのは、哲学よりもまず、生活者の参政意識です。
確かに日本人の参政意識はかなり低いですね。
この意識の向上が先決だと言われるわけですね。
どういう運動をすれば、参政意識が上がると思われますか?

>たかが千人のデモで世の中の変革を云々できるなら、
そこら中の新興宗教が国を左右できることになる

創価学会公明党が日本を左右しています。でも信者は日本国内だけで、数百万いるんじゃないでしょうか?でも1000人のデモではまだまだですね。

>誰かが(カリスマが)声高に叫ぶ“哲学”は宗教同然
やはり何かを成就できる団体と言うのはリーダーにカリスマ性があるようです。それが宗教団体でなくともです。ガンディーにもそれはあったし、麻原彰光にもそれはあったのでしょう。

補足日時:2010/11/15 13:51
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哲学と言うより、戦略性を伴う論理でしょう。


第一、思想・哲学・宗教においては、日本は後進国です。

戦後日本のデモは、大学闘争も含めて見た目はパクリで、国民性は付和雷同です。
論外ですね。だから、誰も重要視しないのです。

まあ、明治以後の帝国主義も欧米の猿真似です。進歩していないんでしょうね。

マンデラ、ガンジー、キング牧師と比較するなんて、彼らに対する冒涜です。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
>哲学と言うより、戦略性を伴う論理でしょう。
ガンジーに戦略性はありますが、運動が挫折しかかって窮地に陥った時、それを打開する彼の言葉には
哲学を感じますね。その言葉には人間を引き付けるものがあります。戦略と論理だけならあれほどの大きな運動に発展しなかったと思います。

全然何の思想もないより、猿真似でもしたほうがマシではないのでしょうか?

補足日時:2010/11/15 14:06
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