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子供に「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたとき、
どう答えるのが最良でしょうか。

なおその子供は義務教育(中学校卒業)程度の知識は持っているとします。

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A 回答 (59件中11~20件)

「なぜ人を殺してはいけないか?」への答え。



一言でいうなら「皆が安心して暮らせないでしょ」でいいと思います。
そのために法律があり、その法律を共同体の構成員が守ることで「自分が守られている」関係があるからです。

本来なら回答はこれで終わりですが少々蛇足を。

人間が地上に登場したときには、「人を殺してはいけない」という倫理は、自分の身内や自分の所属する部族内で守るべき掟として機能したでしょう。その倫理規範はあくまで身内での規範でした。自分や自分の所属する共同体が他の集団からの存続の脅威にさらされたときは、戦闘(殺し合い)による決着が求められ、敵を「殺す」ことが「良きこと」となります。そして各地に有力者を中心とする大きな集団が形成され、乏しい食料や快適な土地の占有をめぐっての他部族との戦では敵を数多く倒した者が英雄として敬われる、という時代が続きます。

やがて大集団が「国」を形成し、国家の仕組みが複雑になり、統治機構が封建制の最後の段階である絶対主義から市民革命によって民主共和制へと転換し、戦闘や殺戮の疲弊が国力を低下させる愚を繰り返さないことを目的とした国際機関ができ、国家間の紛争を主に外交手段によって解決する時代になると、いわゆる「平時」が常態となる世の中となります。

平時の統治は民主制では「法治」となります。法律は起こりうる可能性のある行為・事態へ罰則を含む規範を成文化したものです。その最大の目的は「国家機能の安泰」と「構成員(=国民)の安全」です。

殺人が法律で禁止されているのは、長い間の人間の暮らしの中から守られてきた「習慣法」でもあり、共同体の安定を維持するという目的に適うものだからです。

だから、「なぜ」殺してはいけないか、への回答は「皆が安心して生活できないから」となるのです。

その条件を外れれば、「なぜ…いけないか」の問いは「有効性」を失ってしまうでしょう。
あまりよい例ではありませんが、例えば殺人犯を動けなくして被害者家族と密室に入れ第三者の介入がない状況をつくったとすると(もちろん殺人者を殺したりすれば罪科に問われる)、「なぜ…いけないか」と己に問い報復(殺人)を思いとどまる率は100%にはならないでしょうね。

法律によって箍を締めないと怖くて外も歩けない、ということです。
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No24 です



>私が子供の立場だったら自分の母親を殺したあなたを殺すかもしれません。
>そしてそのことに後悔することはないと思います。

 そうです。これが人を殺しても致し方ない場合の答えです。

 人を殺してもいけないことを如何に説いても個人の自由、人権、平等との境界線を明確に示すことにはなりません。
 人を殺しても致し方ない場合を説いてこそ、それ以外は殺してはならないことが明確になります。

 この例の場合の他に、死刑、安楽死、戦争、自殺など熟考すべき 殺し が沢山あります。
 そして、こういうことは、知識の問題ではなく、生き、死に、殺し、殺されるという人間そのものに密接な問題だとおもいます。
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 No.23です。

ご返答をいただきました。

 ★(No.23お礼欄) ・・・私がその子供だったら、なぜその掟を守らなくてはならないのか、掟を破る必要がある場合もあるんじゃないのか、といった疑問がわいてきますが、そういった疑問についてはどうご解答されますか?
 ☆ そうですね
 ★ なぜその掟を守らなくてはならないのか
 ☆ は マチガイによってひとをころすことが有り得るからと答えることができると思います。 
 ★ 掟を破る必要がある場合もあるんじゃないのか、といった疑問がわいてきますが
 ☆ とのご指摘について これについても 簡単にはその必要があると見るところにマチガイが起きていると説明しうるかとも思います。
 ですが 全般的に言ってまだ部分的な回答であることを承知していました。それで《・・・このように話し始めます》と書きましたが 要はまだ部分的な回答であったと思っています。

 あるいはつまり 昔は――そして今も――国が戦争をする場合などにおいては 殺すことが誉れに成るといった事態もあった(ある)のですから そのような事情にも答えてやらなければなりません。
 これについては 社会が国の家として 二階建ての構造になった。そのような情況においては 一定の集団のために・つまりその集団の存続のために それにとっての敵を 殺すことさえマチガイなのではないという考えが現われたという事態を説明する必要があります。

 そういった問題の広がりを思って そのための問い求めとしてあらたにわたし自身が質問を立てました。 
 【Q:マ(間・間合い)の理論】
 です。変則的な回答の仕方になりますが ことの性質にかんがみて そういう仕儀になったことを受けとめていただければと思います。

 でも手間暇をおかけしますので この質問へのわたしの回答はここまで(つまり 行き詰まり)ということでおさめていただければと考えます。よろしくどうぞ。
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[例えば先に記した身寄りのないホームレスの方々の場合などは、社会において孤立しているとも言えます。

このような方々も「社会生命」に含まれるのでしょうか。]

○ 追伸まで
ホームレスの方々の場合などは社会に関与してないとお考えのようですね。
「余白の効用」を考えてみれば良いのではないでしょうかね。文章には本文のほかに句読点や●や余白がありますね。余白などいらないというのであれば文字びっしり羅列すれば良いのですが、それではむしろ煩雑にかんじませんかね?つまり、余白も文章のうちの役割を十分に果たしているといいたいのですね。
文章にさえ余白があるのだから、人生にも余白があってしかるべきということなのですね。
つまり、あなたのおっしゃる社会生命には全てが含まれ、無駄なものなど一つもないのですね。
柿木に多数の柿のみが群がってなっている光景のなかで気がつくと一つだけ端のほうに離れてぽつんと実を付けている光景、柿木には変わりが無いけど、どこを観るかは人それぞれであるが柿木には違いない。ということなんでしょうね。柿のみに変わりはないのですね。
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 子供に「なぜ人を殺してはいけないの?」と聞かれたら・・・・・


 私なら、こう答えます。

 人を殺す、というような残酷な心を持ってはいけないから、と。

 人間の心には
 他者を思いやる優しい心があるかと思えば、他者を恨みねたむ意地悪な心もあります。

 人を殺すという行為は“優しい心”がするのではありません。
 “意地悪な心”が他者を殺めるのです。

 人を殺してはいけない=悪い心を使ってはいけない
 このように受け止めてみたいと思います。
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不殺生  意味なく生き物を殺してはいけない


不偸盗  他人のものを盗んではいけない
不妄語  みだりに嘘をついてはいけない

人として守らなければならない事だからです。
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しろくじらさん。

こんにちわ。

十分に概念を操ることができる年齢、
という条件でということですね。

>なぜ人を殺してはいけないの?
:まず「分かりません。」と答えます。
それぢゃ困る、他に何か言いたまえと言われたら、
「掟だからです。」と答えます。
それでは理由にならぬし分からん、
もっと他に何か言いたまえと言われたら、

「分からんことは分からんままにして、
他のことをしなさい。」と答えます。
考えるのをやめなさい、
というわけではないのです。

【保留】にして、
他の体験や思索を始めるということです。
それがまるで無関係なことであってもです。
メモ用紙を画鋲で壁に留めるように
【保留】にしておくということです。

こうしてさまざまな体験や思索が
バラバラに記憶の倉庫に積もってくるころ、
もしかしてもしかすると、
いつか、いつか、いろいろがつながって、
数億ピースのジグソーパズルが完成するように、
スパッ!と「分かる」かもしれない、かもしれません。


当方が阿呆すぎるのかもしれませんが、
これは10年や20年そこらで「分かる」問題ではなく、
もし、数十行や数百ページの説明で
「分かった!」としたら、その「分かった!」が、
本物である確率は、とても低いと思います。

3日や4日や1ヶ月で「分かる」ような説明など、
してはいけないと思います。
中卒以上の思考力を持った子どもだからこそ、
「分かりません。」「掟だから。」「保留。」
でよいのではないでしょうか。


当方は「おっさん」と呼ばれる歳ですが、
未だに「分からない」ので保留のままです。
一生「分からない」かもしれません。

_______________________________


以下、「堕胎」が禁止されている宗派の話を少し。

肺病の妻は出産によって死ぬ危険があることを知り、
医師である夫は悩み苦しみ、事態をそのままを妻に伝え、
堕胎を勧めましたが、妻は聞き入れませんでした。
彼女は何度もの危機を脱して出産にこぎつけました。
しかし死産でした。それを妻に知らせずにいる間に、
妻は危篤状態に陥り、息をひきとりました。

この後、堕胎をめぐって夫は牧師と対話をしますが、
夫はこのように言っています。
「そうすると、つまり教会はちっぽけな不恰好な胎児より
むしろ一人前の人間、一人の妻、一人の母を
犠牲にするわけですか?」

このとき夫は妻の命を守るために(胎児ですが)
人を殺すことを「正しい」と思いたかったでしょう。
しかし何が「正しい」のか決めようがなく、
彼はずいぶん苦しみぬいて堕胎をあきらめたようです。

本のタイトルは「何故と問うなかれ」です。
(F・W・カヴィーツェル)
 
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殺されない為である。

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人間は命を無くすと その人の可能性までなくしてしまいます



脳死の人の延命治療が打ち切られるように 人間は生きる事によって心を持ち精神を持つから尊いのです。

どんな人であっても仲間になる可能性は持っています。

人類はみな兄弟姉妹なのです。人を殺して言いという事になれば あなたも殺されても仕方ないのです。

分かるでしょう?人間は存在を目指しているのです。だから今も生きていられる。

人間とはそう言うものです。あなたが人を殺せば、あなたが殺されますよ。
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人に限らず、命あるものから命を奪ってはいけません


これは誰にでも理解できる単純な事柄です。
命を奪われる側に自分の身を置いて
もし自分の命が奪われたら…と考えてみれば
「人を殺してはいけない」
と思い当たるはずです。

自分以外の痛みを理解することが
人として生きるための道筋です。
これは宗教ではありません(笑)


命を奪うという言葉において
注意すべき事は次の内容です。

人は毎日、命を選択しています。
自分の命と自分以外の命のどちらを選ぶかという選択です。
そのひとつが日々の食事です。
植物や動物の命を奪わなければ、人は生きていけないのです。
人は自分以外の命を奪わなければ生きていきません。

人は誰もがその矛盾の中で生きています。

食事をする前に何故
「いただきます!」と言うのか…

あとは考えればわかるよね?
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