なぜ田中派と福田派はケンカしたのですか?
当時の政治状況を踏まえて教えてください。

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A 回答 (3件)

共に佐藤派の2大跡目候補でした。

佐藤栄作首相が総理総裁引退後、露骨な跡目争いになった訳です。佐藤派は田中派と福田派に分裂しました。

佐藤栄作氏は福田たけ夫氏を跡目にしたかったようですが、独自の金脈を持ち、叩き上げで、成り上がった田中角栄が自民党総裁選に勝ち、総理・総裁になった訳です。

金だけでなく、「当時コンピュータ付きブルドーザ」と称された決断力・実行力、義理人情に厚い人柄も勝利の一因だったのでしょう。マスコミに対する操作・懐柔術も福田氏より長けていました。福田氏は大蔵省主計局出身の超エリートで、角栄氏とはまさに正反対のタイプでした。

全くの偶然ですが、この自民党総裁選の時、福田派の選挙事務所になったのが、赤坂にある日商岩井ビルの1Fで、旗揚げの時に今をときめく石原慎太郎東京都知事が駆けつけて、「このオヤジは躯こそ小さいがやることはデカイ」などと、盛んにヨイショしている現場に出くわしました。当時このビルの2Fでシステム関係の仕事をしていたのです。

田中角栄氏は後にロッキード事件でパクられ、丸紅も叩かれました。方や、日商岩井も汚職で問題になりました。福田氏と日商岩井の関係は知りません。しかし、彼も何らかの金脈がなければあれだけの「実弾戦」は戦えなかったでしょう。「実弾」とは勿論、カネです。

今も昔も自民党、そして日本の政治の体質は変わりません。選挙制度をいじろうが政党助成制度を作ろうが焼け石に水です。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただきありがとうございます。

お礼日時:2001/04/13 19:19

当時の自民党(今もあるかもしれませんが)には、大きく分けて2つの流れがありました。

1つは吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫と続く官僚派(外務省、大蔵省などの官僚出身者)
もう一つは田中角栄など生粋の政党政治家の党人派。
そんな出身世界の違いも仲が悪くなった一因となったという話もあります。
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訂正します。



日商岩井での話は、角栄氏が辞任後、三木下ろし後、の大平氏との一騎打ちの際の出来事です。失礼しました。
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