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なんで、世の中はお金なんだろうねえ。
愛とか正義とか言っても
お金が
無ければ、
生きる権利がない
(食うことは、おろか、住むのにもお金が必要)
なのは、
どうしてか?
愛とか正義
があってもお金がなければ生きることができなく、
この国の官僚とかは、あらゆる悪を働いてでも、
手段を選ばずとも、
お金をあつめようとしている。
哲学は、そもそもこの問題を解決するための学問ではなかろうか
生きる意味を問うことは、本当はどうでもいいはずだ。
だけど、人間の内面を無視して、
貨幣特権主義一辺倒で、
生きるのにものさしをつくるのは、やはり問題だ。
所詮哲学は、お金にならない、
お金に関係ない、
と言われればそこまでだが、
哲学はその難問を解決しなければならない。
お金の問題を放置して、死後の
世界がどうこういうのは間違っている。
(お坊さんが、世の中は汚い。お金が汚い。
とか言ってるクセに、自給自足の生活をせず、
お金で生活しているのことに
すごいおおきな矛盾を感じているのは
自分だけではないはず………)

そもそも、生きるのに、対価(お金)
が必要で、そのために、お金を集めよう
とたとえ悪いことでも謀ろうとする
のは間違っていると思う。

というか、
もう、世の中全体が、
命を削ってでもお金を集めようとする
風潮がある。

A 回答 (13件中1~10件)

お金は車でいえばガソリンのようなもの ガソリンが在るからスピードが出る



スピードを出しすぎるから事故が起こり交通事故死者が出る

怪我をする人も 車が壊れたり渋滞したり

中には酔っ払い運転 無免許運転する人まで出る

制限速度を破る人など幾らでもいる。

CO2が出る 排気ガスが出る ガソリンの値が上がったりする。


じゃあガソリンをなくしてしまえというと 今度は車が走らない

仕方ないから人間はまた物々交換 歩かなければならない

何処に何を持って行くかも分からなくなる

車をやめて自転車や電車にするか

電気自動車や燃料電池自動車に作り直さなければならない

それはすぐには無理だろう しかし何時かはなるだろう

誰かお金に代わる 市場を考え付かないといけない

30年前 ガソリン自動車は排気ガスも酷く 電気自動車など普及するとは思わなかった

哲学を志す人 我と思わん方はお金に代わる市場システムを考えられたし。
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この回答へのお礼

そうですよね。その、
なにか、が
重要でかつ、
難しい問題ですよね。
でも、自分は、
哲学が、お金に代わる
「何か」を発明してくれる
と思うんです。

お礼日時:2010/11/26 22:53

非現実的な現実に対する嘲笑でしょうか。


ご節一々ごもっともで御座います。
ご質問の趣旨とは異なるかもしれませんが、感じた所を書き込んでみます。

この問題に関しては、100年以上も前に、フランス辺りでも盛んだった『貨幣撤廃論』以来、綿々と伏流水の如く流れ続けているようですね。現在では、複数貨幣の並列説とか、地域通貨への期待とかが、細々とその流域を『専守防衛』頼りない流れを残しているようです。

さて、非現実の話をしても仕方がありませんから、現実の話をしましょう。

まず例え話ですが、お金の問題の難しさを、説明してみます。

『お金』と『武器』『麻薬』を取り上げてみましょう。
今回のご質問の文脈の上では、これらのものは全て否定的に取り上げているのですが、よく言われるように、お金がウイルスのように人の体内に入って、その人を守銭奴にするわけではないし、また、武器が勝手に人を殺すわけでもない、麻薬にしても同じことがいえるだろう。こうした議論で、麻薬はおくとしても、武器やお金の擁護をする考え方がありますね。
しかし、後者の二つは、ある人が、世界の平和のために、これらのものを廃絶する努力を惜しまなかったとします。その結果、後者の二つが確かに減ったとします。この場合、私は確信しますが、以前の状態よりは少なくとも平和の度合いは増加しているとおもいます。つまり、上記の擁護論は確かに理は通っていますが、それでもなくしたほうが、確実によい方向に向う、といいえると思うのです。しかし、『お金』は、後者の二つのように、単純になくすことは、ほとんど不可能だろうと、この点も、私は確信しています。要するに、それだけお金に関しては、一筋縄では捕まえきれないということでしょうね。

もう一点の問題点(long storyの一部ですが)は、科学的に考察するための実験が不可能だという点です。
例えば、江戸時代の始めに、徳川幕府は、五街道の宿場を機能させると共に、寛永通宝の流通確保に苦心しています。詳しい話は出来ませんが、結果的には参勤交代する大名たちが、戦国時代のように兵糧を携えて行軍から開放され、宿場で、馬や食料の調達が可能になったわけです。
また、ヨーロッパのある都市では、お金から利子をとる、利子をつけ加えるのではなく、お金の価値を利息をとって減額させる政策が取られたことがあります。疲弊していた経済が奇跡的に復活した事例ですが、上部の行政機関により確か廃止されたようです。
このような事実は、歴史上の事実として、研究の対象と成るのですが、科学的実験に必要な条件として、他の要素に関する条件が一定として、その単一の要素の変化が、どのような結果をもたらすのか。と言う事が有りますから、上記の二つの事例は、研究されても研究者によって解釈が色々になってしまうということが、こうした分野での実験の不可能性ということでしょうか。

もう一言つけ加えれば、解釈が沢山有る事は、別に不幸なことではないのです。最も不幸なことは、経済学者のほとんどが、上記の問題にほとんど関心を示さず、社会科学が実験が出来ないのなら、数学的演繹で科学的という保証を確保しようとする風潮でしょうか。

結語

最も悲しいことは、
お金を廃棄すれば、全て問題は解決できるとする安易な精神であり、
また、悲しいことだが、最も『幸い』なことは、
無くした方が良いと決まっている、武器・麻薬等々を、
『まだ』無くすことの出来ない、社会の発展段階が、いま、此処に在ると。
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この回答へのお礼

お金の問題は難しいですが、
用は、お金の動きに
人間の感情が関係しないこと、
ですかね。
お金が、無くなれ、というかは、
お金が人間の感情を数値化できるものであってほしい、
という感じです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/27 11:53

別に買いたいものはないけど貯めておけば


何か将来に欲しいものを買えるし、何か安心できるから
ひとまずかき集めておこうというのが
一般的な人間の思いだと思います。

優先順位をつけれないし、将来の予測もたてれない・・・
だから、万能と思い込んでるお金に頼る。
(私も含めて)人間とは本質的に馬鹿だよね・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/06/02 23:58

>命を削ってでもお金を集めようとする風潮がある。



 何かの漫画の影響だろうか.

 生きるため、生活するためにお金を稼ぐのが普通だよね.

 あるいは もっと豊かに暮らすため、もっと豊かに生きるために金を稼ぐ、というところか.

 逆だとおもいますよ.

 賢い哲学カテの人たちならこんなことはすぐ気づくと思うんだけどなあ.

 ゴミの霊学をかじっているとこんなことも解らなくなるのだろうか.
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この回答へのお礼

かいじ、っていうやつですね。

経済学って、人間の感情は、100パーセント
無視する学問なんですよ。
つまり、ワレワレがお金
という経済体制のなかで
生きるのは、
人間でなくてもいいはずです。
極端な話、人工頭脳
のあるロボットでいいんです。
人間とロボットで競争
したら、24時間フルに働ける
ロボットの圧勝で人間は
経済的弱者で
淘汰されるのではないか、
ということです。

お礼日時:2010/11/27 11:46

#5です。

補足欄で質問者の現状認識を拝見しましたがユニークですね。

>生きるためには、労働が必要、っていう理論はそもそもお金が作った。
貨幣経済が成立する以前には生きる為に労働が必要ではなかったとの認識ですね。異常な現状認識ですよ。

>生産効率をあげるため、人件費を削減、に至った結果、「派遣切り」をはじめとして、多くの失業者があふれている。
そんなの、富岡製糸場の女工哀史時代からのことじゃないですか。現状認識が異常ですよ。

>今の世の中は労働するしないの問題ではなく、株や土地の運用で、金儲けする時代。
この20年ほど、土地の運用で金儲けした人なんか見たことないですよ。異常な現状認識ですね。

>供給過剰で、失業者がいる時代(デフレスパイラル)。
失業者がいない時代ってのは人類史上あったんですか?歴史認識が狂ってますよ。

>それは、働かないことが悪い、でいいのか?
働かないことは悪くないのですよ、この日本では。だれも逮捕されていないでしょう。現状認識がおかしい。

>今の日本にワークシェアリングするほど、(今仕事を持っている人の)余裕がない、アクセク働いて、少しでも多く老後の資金を貯めようとしている。
そういう人が居るかもしれませんけどね、ワークシェアリングもしている企業もあるし、アクセク働くこともせず、ローンを組んでまで、今の生活を楽しんじゃう人も多いですよ。ちょっと現状認識から改めません?

>命を削ってでもお金、というのは、手段を選ばない、という意味。
手段を選ばずに金を手にしたら犯罪者として捕まります。みなさん慎重に手段を選んで金を手に入れているのです。ちゃんと現状認識ましょうよ。

>生きる意味が無いほど、お金にこだわっている。
それも個人の自由だけど、、、。無償のボランティアに時間を割く人が激増してますよ。 ちゃんと現状認識しませんか?

>デフレスパイラルが進行し、小数の富豪、多くの大貧民に分かれる。
富豪も大貧民もいるでしょうけど、一番多いのはどちらでもない人ですよ。現状認識がおかしいです。

>人々がお金を集めようと努力すればするほど、お金を使わなくなり、経済が縮小し、結果、多くの貧乏人(失業者)ができる。
経済が縮小するのは人口減少社会では当然のことです。変なこじつけの現状認識はやめましょう。

>貧乏になるということは、それだけ命が削られる。
質問には、お金を集めることが命を削られると言っていましたね。なにしても「命が削られる」って表現が好きなんですね。

質問者さんは質問したいのではなくて、間違った現状認識の上に自説を主張したいだけなんじゃないかぁ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/06/02 23:58

>>もう、世の中全体が、命を削ってでもお金を集めようとする風潮がある。



 結論は、お金が怖いのは、命よりも大事になるから。
 これが結論。

 この貨幣社会が行き過ぎてるのが恐ろしく、そして心を無視して鬱が多くなってるのは、納得できます。

脳科学の分野からいえば、お金とは、「脳の中の電気信号のやり取り」に似てます。といわれてます。
つまり、社会の中でぐるぐる回ってるインパルスと同じ。

 もっといえば、脳のインパルスの働きを外に作ったといえます。

 結局、そのことを、つまり、お金を理解する」必要があります。

 お金は手段で、それ自体では満足はないということ。

 また自己矛盾からいえば、お金を持ってると、何の働きもないが、、、使ったとき価値が出ます。しかし支払って、手元には消えてなくなります。

 では、お金を何のために使うか、何を得たいのかという目的が大事になってくる。

 もっとこの先の議論を飛躍すれば、、

 手に職を持てば、それでお金をもうけられる。という結論に至ります。

 つまり、手段を、自分の体で覚えれば、誰もそれを奪えないどころか、一生使えます。

 ですから、イチローなど、体で技術を覚えた人が、お金持ちより確実という核心に至ります。

 ですから、最後は、自己成長へと、この貨幣社会を超える考えにいたりました。

 そこから今度は逆に見れば、、お金を集めるということが、目先のことで、結局動物的近視眼でお金を見てる恥ずかしい状態だと見えてきます。目先のおろかな見方だと思います。考えればそういうことになります。

 では、現実的にどうお金と向き合うかという具体性でいえば、

 食費などの把握、つまりやりくり上手になっていくことが個人では賢明だと思います。

 また、一生使うものだけ買うようにという考えもいいと思いますね。

 「SICKO」というドキュメンタリー映画がありますが、そこでは保険会社が儲けを出すために、理由をつけて、保険金を払わないという実態が衝撃的に取材されてますね。

 がんでもお金が出ないというとんでもない事が取材されてます。ぜひ映画「シッコ」というDVDを借りてみてください。
 命よりもお金が大事という現実は、すでにあります。

 しかし、多くの紛争はここが根っこにあると見ることもできます。
 動物てき無意識反応だと、いっぱい集めようと思うのでしょうね。
 しかし、仏教ではむさぼりは餓鬼といって、生命力からいえば、弱くて低いものです。
 やはり、生命を鍛えて、オーラのある人は福も備わって、そういう低い考え方から抜け出すようですね。

 まぁ、お金を集めようという意地汚い人ほど、その方法は手に入らず、部外者のように見てるだけかもしれませんね。
 しかし、今の官僚の悪知恵はとんでもないですね。

 一方、この国は、世界的に裕福で、国民全体が裕福だと思います。
 大事な核心は、このようないい国を作った根底の精神があったからという根幹の日本人の精神を見落とすのは誤りでしょう。

 その根幹があり、国が成長したわけで、今の贅沢があるわけですから。

 ですから、この卑しいお金というものと、しっかり考えて、動物的にならずうまく付き合っていける知恵や考え方を持つという「人間成長」の時代に入ったということが自覚されますね。

 命か金かという分かれ道に、繁栄か、破滅かが分かれるでしょう。
 まぁ、15万ぐらいあれば余裕で生きていけますよ。
 それ以上は、余分な部分ですね。貯蓄したほうがいいでしょう。という考えにはいたってます。
 現実の話で言えば、貯金で1億を作ったサラリーマンの話があります。
 つまり、人はそれほど違いがないという見方で言えば、それも誰にでもできる可能性があるということでしょうか。
 浪費しなければ、お金持ちになれるという当たり前を思い起こす必要はありますね。
 そう考えると、そんなにいっぱい持ってもしかたないという冷静さが大事だと思いますよ。

 外国のように、多額のお金を持つことの卑しさという哲学が広まるといいですね。

 みんなの力を使って集めたお金を独り占めするというのは、生命、とりわけ、生きるための必要を考えれば、卑しい人はバチがあたって、なくなると思いますし、これを利益とバチという解説を聞いたことがあります。そういう生きるための法則はあるようですね。
 いろんな国を見れば、一目瞭然だとおもいます。やはり、精神的なものが起因して鎖国のように貧しい国がありますね。心と繁栄は、つながりあっていると見るほうが繁栄するでしょう。
 つぶれていく会社もいっぱいありますから、いいときは一時かもしれませんね。舞い上がって転ぶことのほうが多いと思いますよ。今の不況も長すぎますし。
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この回答へのお礼

長い回答ありがとうございます。
人間として、悪とはなにか、理解する必要がありますね。

お礼日時:2010/12/27 20:30

お金ってそもそも社会が作った幻想見たいなものじゃないのでしょうか?



かりにも、お金がなくても皆同じように生きていけます。楽できますとなったら、誰もがんばって仕事しようとしないはずです。資本主義がうまいところは、お金を個人に持たせて、がんばってそれを増やした人は頑張っただけ豊かにできますよ。といういわばゲームを考えたから。結果、必至になって個人ががんばり、お金を集めた人は成功しなかった人よりもより裕福になれる。誰が勝とうが負けようがいずれにせよ、お金をめぐるゲームによって国は成長する方向へ向かう。結果的に全体が成長すれば、負けた人たちが明日飢える心配をしなくていい程度に生活は出来るのかもしれません。嘘か本当か、結局日本の税金の大半は上位数パーセントのお金持ち層が大半を賄っているという話もある。

ここまで考えると「お金」が悪の根源なのか?それとも、「お金」に乗っかる人々の考え方が悪の原因なのか少しわからなくなる。キリスト教の良い教えだって、悪用すればあやしい宗教のお布施につながる可能性だってある。老人に席を譲ることがかりに「正義」だからといって、死にそうに疲れていてたってもいられない人に席を譲らない事実のみで避難することが「正義」になるかはわからない。ただ、自分を愛せない人が他人を愛するのは難しいように、自分が「お金」で満足していないのに、他人に「お金」で説くのは無理かもしれない。

、、、結局、「お金」で満足しているお金持ちをのぞき、多くの人が「お金」から避けるようにそれでも愛や正義を語りたがるのはそういうことなのかもしれない。だから、極力「お金」に触れないところでボランティアとかいう概念が生まれる。たぶんそれが今の社会のあり方なんでしょう。
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お金など、手アカで汚れた紙切れであり、ティッシュ1枚の価値もない。


それでできるのは、尻を拭く事ぐらいである。
唯一、お金でできるのは、『お金があれば何でもできる』と思い込んで
いる輩に、「何でも」させる事ぐらいである。
ただ、その阿呆どもが「何でも」するので、「お金があれば何でもできる」
という共同幻想は持続するのである。

その実、真に価値があるのは、その「お金」の向うで働く=助けてくれる
人々の存在であるのに(他の人を殺して全てのお金を手にしたところで、
やっと「手アカで汚れた紙切れ」である事に気づくのだろう)。
社会生命として、生きる事は働くことであり、それが根源的充足である
はずなのに、その“助け合いとしての労働”を、お金をもらうために嫌々
働くものにした結果、社会は弱肉強食のジャングルとなる。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/06/02 23:57

哲学としての本質的な問題は労働の価値なんじゃ。



自分の事ばかり考えているのではなく、額に汗して他者の為に働く、、、それが労働。

日々労働すれば生活に必要な物資・資金にはことかかない事になっちょる。
だから労働している人間はみな、程度の差こそあれ生活が可能なんじゃ。

問題は、労働しない人間にどういう生活をさせるかじゃ。
障がいなどで労働できない人間に対しては相互扶助で助けるべきじゃが、哲学など自分の事ばかり関心をもって他者の為に額を汗して労働することもしない人間は、それなりの人生を送ればよいのじゃ。

蛇足じゃが、命を削ってでもお金を集めようとする人なぞ見たことないぞ。
みな、命を削らない範囲でお金を集めようとしているのじゃないのか。
質問者さんは現状認識が異常じゃな。

この回答への補足

生きるためには、労働が必要、っていう理論はそもそもお金が作った。
生産効率をあげるため、人件費を削減、に至った結果、
「派遣切り」
をはじめとして、
多くの失業者が
あふれている。
今の世の中は労働するしないの問題ではなく、
株や土地の運用で、金儲けする時代。
供給過剰で、失業者がいる時代(デフレスパイラル)。
それは、働かないことが悪い、でいいのか?
今の日本にワークシェアリングするほど、
(今仕事を持っている人の)余裕がない、
アクセク働いて、少しでも多く老後の資金を貯めようとしている。


命を削ってでもお金、というのは、
手段を選ばない、という意味。
というより、
生きる意味が無いほど、
お金にこだわっている。
デフレスパイラルが進行し、
小数の富豪、多くの大貧民に
分かれる。
人々がお金を集めようと努力
すればするほど、
お金を使わなくなり、
経済が縮小し、
結果、多くの貧乏人(失業者)
ができる。
貧乏になるということは、
それだけ命が削られる。
お金持ちになる
幻想のために………


哲学というか、経済における
哲学……かな?

補足日時:2010/11/24 22:56
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この回答へのお礼

長々と回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/11/26 22:54

人類は、いまだ未成熟なので、間違いによる弊害からしか、自分たちの間違いを認識できないのです。

極めつけの失敗をやらかして、その痛みによって目覚めるという。

 なかなか、迷惑な話です(笑)。
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この回答へのお礼

やっぱり、人間には、どうしても悪は存在しますね。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/12/27 20:29

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