ねずみ講あるいはマルチ商法って、悪、ということに成っています.一小市民としてその論にはまったく異論ありません.

それはそうとして、ねずみ講の原理を人からはじめて聞いたときに、ふと思ったことは、「そんなの珍しくもなんともない. なぜなら、(少なくとも日本の)現在の社会の裏も表もあわせた利害団体の階層構造を、スケールを小さくして実現したものだから」、と思った記憶があります.

つまり、巨大組織の構成に成功した先行者はほぼ確実に儲かる.後発者は甘言に乗せられ夢を追いかけるがほとんど利益はでない.組織がいつかは破綻する.先行者は破綻のタイミングを冷静に測っている.その破綻時にうまく逃れるのが利益確保の原則と先行者は考えている.この意味では、実社会ととても似てるんじゃないのかな、と思いました.

「ねずみ講は実社会のアナロジーだ」あるいは、「ねずみ講は実社会の縮図だ」、という視座の議論はありますか?ありましたら教えてください.

A 回答 (4件)

 おもしろそうな話ですね。


 実社会の場合は、うまくやればみんなが幸せになる道がある(実際は、自分の優先のために実行しないにしても)はずですが、ねずみ講の場合は、数学的に破綻することが解っているのですね。

 それを言えば、年金制度だって、若い人から集めた保険料を、高齢者に回す、という発想でいる限り、人口が増えつづけない限り(あるいは寿命が短くなるか)破綻するのですが。
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あまりに面白い話なので、1枚噛ませてもらいます。



ねずみ講と実社会の違いは、前のお二人の意見が全てです。
ねずみ講は、上しか儲からない。だからこそ裁判沙汰になり、法律で規制されているわけです。
おこぼれが少しでもあろうものなら、そんなことにはなりませんしね。

この視点で行くと、「ねずみ講は腐敗した社会主義社会の構図だ」なんて話もできそうですね。
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質問の回答になっていないかもしれませんが。


大変鋭い見方だと思いますが、肝心な部分を見落とされているかと思います。

資本主義経済は(社会主義もそうですが)単なるお金のやり取りではなく、社会全体の生産物をみんなで分け合うためのシステムです。
この生産物には製品だけではなく個人の満足や利便も含みます。
ここでは分配の不平等や獲り合いはありますが、敗者にも少しは分け前が来ます。みんながそれを元に生活していける訳です。(できない場合は暴動や革命になります)

ねずみ講は誰も何も生産しないし、仮に儲かっても金額以上の満足や利便は誰も得られません。要するにただお金が動いているだけで、社会全体で見れば何もしていないのと同じです。だから悪というより反社会的な行為とみなされる訳ですね。

だから私も儲けにならない事のために残業させられるのには不満です。反社会的ですよね(笑)。
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 大変面白い意見だと思います。

たしかにその通りですね(笑) しかも儲けにもならない残業させられてさ、挙げ句の果てに休日出勤だぜ! 馬鹿にすんなって感じですよ! ぶつぶつぶつ(^_^;
 とまあ、愚痴はともかく(笑)

 資本主義とねずみ講の違いですが、これは簡単です。
 日本の社会では、がんばってがんばってがんばれば、人生の成功者になれる可能性も充分にあります。
 しかしねずみ講は、どんなにがんばっても「ねずみ講の成功者」になれるのはトップだけです。
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