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クリスチャンではないのですが、個人的趣味で
聖書を読んでいます。

クリスマスが近づいてきてので、是非その日に
適したお祈りをしたいと思っています。

聖書のどこかに適した文章はあるのでしょうか?
教えていただければ幸いです。

よろしくお願い致します。

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A 回答 (9件)

>エジプトやインドが絡んでくるとは思いませんでした。



ですねぇ。


>kigurumiさんがこの知識を得られた参考書などあれば、改めて教えていただけると幸いです。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1726032

下のカーソルを4分51秒のところまで動かして見たほうがいいです。


とか、あとエジプト関係に詳しい吉村作治氏のネットに書いてあったエジプト文明の内容とかで、洪水が起こることを古代の人がどうして予兆できたのかってとこで、天体現象としてこういうことが起こっていたって書いてあったのを読んだりして。

グローリアという歌がありますが、まさしく女神マリア信仰ですね。
新年の始まりを祝う歌かな?
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ANo.5です。



結局のところ、自分の信じたいことを信じるという人にとっては、それが真実であるか虚偽であるかはどうでもいい事なのです。本来、それは宗教家としては酷い偽善なのですが、私自身が信仰の人ではないので他人様を非難するつもりは毛頭ありません。クリスマスを祝いたければそうするのはその人の自由だと思っています。

ただ、クリスマスを祝う人はクリスチャンではない、という点はハッキリ申し上げておきます。

クリスチャンという言葉には「キリストの忠実な追随者」という意味合いがあります。
つまり、キリストが行うように命じたことを行い、キリストが教えたとおりに生き、キリストが禁じたことから離れる、それがクリスチャンというものです。

聖書もキリストも、異教に関わることを固く禁じています。クリスチャンであるなら、これに従わなければなりませんが、現実には今の多くのキリスト教ではこの教えに従っていません。異教に端を発するクリスマスを吸収した時点で、既にその宗派はキリストの教えに違反しており、その宗派の信者はクリスチャンではありません。どんな屁理屈を言おうとも、あくまで「自称クリスチャン」でありハッキリ申し上げて偽者です。

12月がキリストの誕生日であると信じるべき・・・・など一体何を根拠にそんな出鱈目を言えるのか不思議です。
先にも述べましたが、キリストの誕生日は聖書には明言されていません。しかし大凡の誕生日については聖書の記述から推察する事ができ、それはユダヤ暦のエタニムの月(現代の暦で9月の後半から10月の前半)ころである事を示しています。少なくとも、キリストが12月に誕生したなど、絶対にあり得ないのです。これには明確な根拠があります。

多くの自称クリスチャンである人たちは、その程度の事すら知りません。キリストの教えも知らず、従ってもいないのに自分はクリスチャンであると公言するのはどう考えてもおかしな話です。

くどいようですが、クリスマスに祝うべき聖書の言葉などありません。
どんなに尤もらしい理屈をこねようとも、ないものはないのです。

が、クリスマスに好きな聖句を読むのはその人の自由です。
それをとめるつもりも非難するつもりもないです。
でも結局はただの自己満足でしかないと思うんですけどね。
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この回答へのお礼

歪曲された歴史観に基づいて
今があるんですね・・・。

知人にもdokadokagongonさんが書いてくださったことを
伝えてみましたが、軽くあしらわれちゃいました^^;

お礼日時:2011/01/12 22:52

あ、もうちょこっと カーソル動かした方がいいですね。



16分10秒あたりから観ると、3人の賢者がイエスの誕生を祝ったってストーリーになった意味がわかると思います。
天体観察の結果で、それを神話にしちゃったわけです。

夜明け前にシリウスが東の空に3人の星とともに現れる頃、ナイル川は大氾濫を起こしていたらしい。
現在はダム できちゃったので、ナイル川上流にある養分たっぷりな土砂が、下流の人々が住んでいる地域に洪水の時にあふれ出るってことは無くなり、作物は育たなくなったわけで、、、

それで人工的に不作になるようにした って問題にはなっているらしいです。
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この回答へのお礼

別のご回答のほうでベストアンサーにさせていただきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/01/12 22:52

No.2です。



先の回答者さんの仰るように、クリスマスが異教のお祭りを吸収したものであることはよく知られています。確かにそうなんですが、では私達はなぜ毎年クリスマスをお祝いするのでしょうか。

アメリカでお祝いしているクリスマスの”お話”の部分は、フィクションなのですが、この、感動的な物語は何処から来たのでしょうか。

聖書にちりばめられたあれこれをまとめて、”クリスマスのお話”に仕立てたのはアメリカの作家、Lew Wallaceで、彼の書いたのは、チャールストンヘストンの映画で有名な”Ben Hur”です。

質問者さんにお時間があるようでしたら、ベン・ハーの第一章から第五章まで読むと、ハハァ、なるほど、と思い当たることと思います。

以上、参考まで。
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この回答へのお礼

重ねてのご回答ありがとうございます。
早速ベン・ハー読んでみますね。

お礼日時:2010/12/20 09:54

クリスチャンではありませんが、古代史の研究者で聖書も研究対象です。



よく知られている事ですが、クリスマスは本来は聖書とは無関係な行事です。
もともと異教徒の祭を吸収したものであって、キリスト教の教えとは何ら関係ない不純物です。
聖書のどこを探しても、クリスチャンがクリスマスを祝うべき理由など見つかりません。
そもそもイエス・キリストの正確な誕生日は聖書には記されていません。
ただし、12月でないことだけはハッキリとしています。

上記の理由から、クリスマスに祈るべき聖書の言葉などはありません。
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この回答へのお礼

歴史的に考えると、そういう結果になるんですね・・・。

信仰心がないゆえによく分かりませんが
知人曰く25日が誕生日だというのは信じるべきだそうで・・・^^;

ちょっと葛藤というか悩みどころですね・・・。

お礼日時:2010/12/20 09:56

12月25日というのは、、、



昔、北半球のある地点で、太陽が12月21、22、23日に地平線で一番低く昇ってたんですね。
3日間止まったようになり、太陽がまるで死んだようになってたわけです。
北半球で一番日の出が短い日を冬至としたんです。
そして12月25日になると、止まっていたかのように見えた太陽が再度上昇したんです。
その上昇したポイントに南十字星 つまり 十字架があったわけです。
太陽が南十字星を重なり、まるで太陽が十字刑にあったかのようになった。

そしてその後、どんどん太陽は南半球から北半球を照らし出したので、太陽が復活したわけです。
しかしまだその時点では昼より夜の方が長いので、春分点 つまり 太陽が出ている時間と出ていない時間が等しくなる日以降に復活祭が行われていたわけです。
この北ヨーロッパの人々によって行われた宗教が後にギリシャ方面にも伝わり、その人たちがシンボルとしていて十字架をキリスト教もするようになり、その人たちの風習をそっくり真似たのがキリスト教のクリスマスとか復活祭なわけです。
オーディンが原型。

それと古代エジプトのホルス神話の概念も習合しているんですね。

で、古代エジプトでは時計なんてものは無かったので、天を観察して大洪水が来ることを知っていたわけです。
夜明け前に東の地平線上にシリウスが現れた後、必ずナイル川は氾濫し、上流にある肥えた体積がナイル川が氾濫し、あたりいったいを覆うわけです。
水が引けたあとは土地が肥えているので、種を撒くと食物がたわわに実り豊作となる。
だがら恵み深き女神ナイル として川はあがめられていたわけです。

で、シリウスが3つの星とともに現れていたので、3人の王がシリウスの出現を祝いやってくるとなったわけです。
これがイエスの誕生を祝う3賢者とキリスト教ではなったわけですね。

で、7月はおとめ座の月なので、おとめ座は誰からの干渉も受けず自らをも生み出した女神となり、マリアとかマリーナとかマーヤとか とにかく女神たちにはMAという名前がついたわけです。

で、誰からも干渉を受けず自らをも創造した女神なので処女 ということになり、マリアは処女だった となったわけです。

ということで、AVE MARIA。 ちょっとアナグラムっぽいですが、AVEを逆にするとEVE。EVEはギリシャ語読みでヘブライ語だとエウアみたな発音で 生命 って意味です。

ということで創造主である女神をおおっぴらに祝うとキリスト教会が起こるので、EVAを逆にしてAVEってしたのだそうです。

ということで、AVE MARIA。

wikiによると
《下記祈祷文の冒頭から4行はルカによる福音書からとられる。最初の2行は大天使ガブリエルのマリアへの受胎告知の挨拶の冒頭(ルカ1:28)であり、続く2行はエリザベツ(Elizabeth)がマリアに向かって述べた挨拶の冒頭(ルカ1:42)から取られる。残りの後半は中世においてフランシスコ会の修道士の付加と言われる。》

だそうです。

この概念はターラ(摩多羅神)も同じらしいです。

http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/1_J.html

滅ぼすことで新しく再生させるというか、そういう概念があり、インドではシヴァが滅びの相となっている。

創造の面がブラフマ、維持の面がビシュヌ、破壊の面がシヴァ、阿修羅像と同じく三位一体でマリアの概念も創造・維持・破壊の三位一体。

「創造し育ててくれた女神のもうひとつの恩恵である死をも受け入れてこそ」と信者は言っていたそうです。

というわけで、破壊と再生の場面が冬至なので、祈るとしたらマリアをたたえる歌詞じゃないかと。


こんな感じっすね。

ミク ヴァージョンもありますが、歌詞は聖書からじゃないですね。
http://www.youtube.com/watch?v=66h0KNl_0Dc

マリアの維持の面だけ感謝しても駄目。
破壊も受け入れてこそ ってねぇ・・・・
イエスは破壊すら受け入れた敬虔なマリア信仰の手本ってことですね。
ちなみにマリアはイエスの死の際にもいたって聖書には書いてあります。
弟子たちは破壊の面を受け入れられず逃げたってなってます。
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この回答へのお礼

ものすごく興味深いご回答ありがとうございます。

エジプトやインドが絡んでくるとは思いませんでした。
本当に興味深深です。

kigurumiさんがこの知識を得られた参考書などあれば
改めて教えていただけると幸いです。

お礼日時:2010/12/20 09:58

プロテスタントのクリスチャンです。

モルモン教、統一教会、エホバの証人とは関係ございません。

御使は言った。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、なたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神を賛美して言った。「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、心にかなう人々に平和があるように」  ルカによる福音書 第2章 10~14節

私どもクリスチャンにとりましてすべての始まりが、このイエスの誕生により始まったと言えるかもしれません。またそのような重大な意味をもつイエスの誕生はその目的を理解することによりより完結するのではないかと思います。つまりあなたの心の中にイエスキリストが生まれます。上の聖書の言葉は始まりですので、今後も聖書を読み続けられますようお祈りいたします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

まだ信仰心?は芽生えておりませんが
徐々に聖書の世界観に惹かれております。

クリスマス当日、是非ご指摘の箇所を
拝読させていただきます。

お礼日時:2010/12/20 09:59

カソリックの方からの回答があったようですから、新教徒の私からも一言。



ヨハネ書の3章をお読みになって、イエスキリストと、律法の先生であるニコデモスの質疑応答を深く味わった後、

ヨハネ3:16の文言を覚えて、祈って、そして感謝を捧げてみてください。

これはアメリカの小学生が、一番最初に暗記するところで、大学生になっても、大人になっても、パッと口をついて出てきます。

あとは、もうご存知でしょうが、マタイ書6:9-14です。

イエスが、私達にどう祈ったらよいか教えてくれたのですから。それを素直に繰り返して、あとは、私達の心からあふれてきた言葉を足して行けばよいのではないでしょうか。

基本に忠実な新教徒でした。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

今までは信仰心がないゆえに
聖書を「ただの本」として読んでいました。

今後は是非ご教授いただいたようなスタンスで
聖書に対して接していきたいと思います。

該当箇所、是非拝読させていただきますね。

お礼日時:2010/12/20 10:01

こんにちは。



クリスマスを待つ時期をアドヴェントシーズン(Advent season)と呼んでいますが、この時期のカトリックのミサで読む聖書の箇所を参考にしてはいかがでしょうか。

女子パウロ会という修道院のサイトに教会カレンダーがありますのでご参考になさってください。
12月の予定
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/inde …

上記サイトによると、今年のクリスマス(降誕祭)では、旧約聖書からイザヤ9章1~6節、新約聖書からテトスへの手紙2章11~14節、ルカ福音書2章1~14節、を読むことになるようです。第一朗読・第二朗読、福音朗読、というところをご覧ください。

ちなみにわたしが持っている英語版のお祈りの言葉が書いてある小冊子に、アドベントのお祈りの文章はありましたが、日本語版では持っていないので紹介は控えますが、もしこちらも知りたいということでしたら書き込みますね。

参考URL:http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/inde …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

リンク先のサイトが非常に分かりやすく
助かりました。

是非該当箇所を当日拝読させていただきます。

あとアドベントのお祈りの文章ももしお手数でなければ
改めて書き込んでいただければ幸いです。

お礼日時:2010/12/20 10:03

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Qクリスマスのお祈り。

クリスマスの時のお祈りについて調べています。
キリスト教では一般的にどんなお祈りがされているのですか?
日本語でも英語でもかまわないのでわかりましたら教えて下さい。
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

おはようございます。

カトリック(コングレガシオン・ド・ノートルダム)修道会の付属の学校の生徒でした。

降誕節(クリスマス)ミサには、生徒はロザリオの祈り(主の祈りと天使祝詞)をロザリオの数珠の数だけ捧げて、小(?)・中・高の全生徒でグロリアをラテン語でコーラスしました。そして、式を司る神父さまがミサの時に祝詞をしていましたが、その年毎に言い回し等が違うので、決まった言い方は無いのでしょうね。大体は「天なる父よ、我々は御子イエズスの降誕を、静かな喜びのうちに迎えました・・・」と言う感じでした。フランス人の神父さんでしたので、若しかしたらそれも関係あるかもしれません。

ご質問の「教えてください」ですが、英語は分からないのですが、ラテン語で一応覚えている限りで・・・

Gloria
(グローリア)

Gloria in excelsis deo. Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
(グローリア インエクシェルシス デオ エット イン テラ パックス ホミニブス ボーネイ ボールンターティス)

Laudamus te. Benedicimus te. Adoramus te. Glorificamus te.
(ラウダムス ベネディチムス アドラムス グローリーフィーカムス)

Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
(グラーティアス アジムス ティビィ プロープテル マーニャム グローリアム テゥアム)

Domine deus, rex caelestis, deus pater omnipotens.
(ドミニ デウス レックス シェレスティ 

Domine fili unigenite, Jesu Christe
(ドミニ フィリ ウニジェニテ イエス クリステ)

・・・・すみません、ここまでですが、後3行ほどありました。発音は自分流なので、正統な発音ではないと思います。

主の祈りは
「天にまします我らの父よ 願わくば御名の尊ばれん事を 御国の来たらん事を 御胸の天に行われる如く 地にも行われん事を 我らの日常の糧を 今日我らに与えたまえ 我らが人に許す如く 我らの罪を許したまえ 我らを試みにひきたまわざれ 我らを悪より救いたまえ アーメン」

天使祝詞は
「めでたし 聖寵充ち満てるマリア 主御身とともにまします 御身は女のうちにて祝せられ 御胎内の御子イエズスも祝せられたもう 天主の御母 聖マリア 罪人なる我らの為に 今も臨終のときも祈り給え アーメン」

です。一応降誕節はこう言った感じでしょうか・・・でも、クリスマスは12月の初め待降節から始まっているので、待降節の祈り(これも先の降誕節の祈りと同じでアバウトなのですが)があって、大体「旧約の民の如く、神の遣わされるイエス・キリストの名の下に世の救いのしるしとなって行くことができますように」の意味をこめた祝詞をされます。

一般が分からないのですが、一応私の知っているクリスマスの祈りと言う事で・・・
ご参考になれば幸いです。

おはようございます。

カトリック(コングレガシオン・ド・ノートルダム)修道会の付属の学校の生徒でした。

降誕節(クリスマス)ミサには、生徒はロザリオの祈り(主の祈りと天使祝詞)をロザリオの数珠の数だけ捧げて、小(?)・中・高の全生徒でグロリアをラテン語でコーラスしました。そして、式を司る神父さまがミサの時に祝詞をしていましたが、その年毎に言い回し等が違うので、決まった言い方は無いのでしょうね。大体は「天なる父よ、我々は御子イエズスの降誕を、静かな喜びのうちに迎えました...続きを読む

Qキリスト教の食事の前の祈り

キリスト教の食事の前の祈り…(十字架を書いて)なんですが、どういう意味を込めてなんでしょうか?
同時に祈りの文章を一緒に戴けたら幸いです☆

Aベストアンサー

カトリック信者です。

十字の意味は、イエスが十字架に貼り付けられ処刑されたのはクリスチャンでなくとも大抵の人が知っていますね。
よって、信者はイエスと同様に自分も十字架を背負って生きていく覚悟で洗礼を受けるのです。
ですから十字架を誇りに思っております。
また「十字を書く」ではなく「十字を切る」と言います。

●十字の切り方
まず自分の心を沈め、神を賛美し神への感謝を込める気持ちに満ちて、
(1)まず、ほぼ額の中央位置で右手中指で軽く触れ「父と」と言葉に出し、
(2)その手中指を胸の辺りに移動して止め「子と」と言葉に出し、(3)次にその手中指を左腕の付け根辺りに移動させて止め、「聖霊のみ名に」と言いながら
(4)右手中指を右腕付け根あたりにて止めた時には「よって」と言い、
(5)最後に両手を合わせ「アーメン」と言います。

続けて言いますと、
「父と、子と、聖霊のみ名によって、アーメン。」
また、声に出さなくてもよいのですが出せばベストですね。

「父と子と聖霊」は三位一体といって
神様=「父と子と聖霊」
ということを意味します。

●私の場合の食事のお祈り
(1)食事を頂くとき
両手を合わせた状態(いわゆる合掌)を保ち、
「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。
ここに用意された物(食物)を祝福し、私達の心と身体を支える糧としてください。」
ここで十字をきりながら、
「父と、子と、聖霊のみ名によって、アーメン。」

(2)食事を終えるとき
両手を合わせた状態(いわゆる合掌)を保ち、
「父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。
あなたの慈しみを忘れず、全ての人の幸せを祈りながら。」
ここで十字をきりながら、
「父と、子と、聖霊のみ名によって、アーメン。」
私の場合ここで再び両手を合わせ「ご馳走さまでした。」と言います。

以上参考になりましたでしょうか

カトリック信者です。

十字の意味は、イエスが十字架に貼り付けられ処刑されたのはクリスチャンでなくとも大抵の人が知っていますね。
よって、信者はイエスと同様に自分も十字架を背負って生きていく覚悟で洗礼を受けるのです。
ですから十字架を誇りに思っております。
また「十字を書く」ではなく「十字を切る」と言います。

●十字の切り方
まず自分の心を沈め、神を賛美し神への感謝を込める気持ちに満ちて、
(1)まず、ほぼ額の中央位置で右手中指で軽く触れ「父と」と言葉に出し、
(2)その手...続きを読む

Qキリスト教の年賀状。

私はキリスト教徒です。
初めての正月を迎えます。
たのキリスト教のかたに年賀状を送ろうと思うのですが。。。
しかし、ネットで調べたところキリスト教にそのような習慣がないとの内容を見ました。
どうするべきでしょうか??
また、書くとすると絵はどのようなものがいいのでしょうか??

Aベストアンサー

カトリック信者ですが、キリスト教信者だからといって、日本の伝統的行事について制約されるようなことは特に何もありません。
ですから、年賀状だって普通に交換します。文章やイラストも別に何でもいいです。相手が同じキリスト教信者なら、十字架マークの下に「主の平安」という文句を添える人もありますが、別に自由です。

カトリックでは、古くから、各国社会への浸透を図るために、教義に反しない限り、進んでその国の伝統文化を取り入れてきました。成人式、七五三、敬老の日などがその例です。

「キリスト教にそのような習慣がない」とは、一般で行われている通りにすればいい、キリスト教だからといって独特のやり方があるわけではない、という意味だと思います。

尚、欧米では、12月に入ったら、クリスマスと新年を祝うカードを交換しますが、日本では日本の習慣に従えば問題ありません。

Q礼拝の司会者の祈り方

わたしは、キリスト教徒(プロテスタント)です。

礼拝の司会をすることになり、前でお祈りをします。
「牧師と教会のための祈りを」とのアドバイスを受けました。

私は「牧師先生の上に主の油注ぎがあり」という言葉を使いたいのですが、この表現のしかたはあっているのでしょうか?

また、「油を注ぐ」の意味もあまりわかっていません。

ほかに祈り方の文言などあれば、是非アドバイスください。

Aベストアンサー

msmfさん、礼拝の司会をはじめてなさるのですね。

緊張もされるでしょうが、礼拝の司会は主役ではありませんので、
少し気を楽にして、みなさんが礼拝するのをお手伝いしてください。

祈りの中味ですが、必ずしも、まわりの方々が使っているような
たいそうな表現をする必要もないかもしれません。

油注ぎというのは、かんたんにいうと神さまの選びと聖別を
意味しています。キリスト教会ではそれ以上の意味はありませんので、
表現としてはまちがっていません。

msmfさんが思っていることをいちばんぴったり表現できる言葉があると
いいですね。

「きよめて用いてください」
「牧師を祝福してください」
「力づけてください」
「支えてください」

どんなことばでもよいと思います。
ぜひ、ご自分にとってしっくりくることばを探してみてください。


では、参考まで。

Qクリスチャンの喪中はがきの文面について

伯母と祖母が今年亡くなりました。
私はクリスチャンなのでクリスチャン用の年賀欠礼
の文をネットで探したのですが見つかりません。
本来は出す必要が無いのでしょうが、
親や上司から「けじめだし、日本のしきたりだから出せ」と
言われています。
なので自分で考えたのですが
「祖母と伯母が天に召されましたので新年のご挨拶は
遠慮させていただきます。」
という文です。
コレだけでいいのでしょうか?
はがきを出す相手は小中高大学時代の恩師です。

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#3の方がおっしゃるように、普通喪中はがきを出すのは、
故人が配偶者、親、兄弟、子供、祖父母の場合ですね。
一般的には、おじ・おばの場合は出しません。

私も今年クリスチャンだった母を見送りましたが、
単に「喪中につき年末年始のご挨拶、ご遠慮申し上げます」という文面で出しました。
ただ、年に一度の年賀状のやりとりだけでご縁がつながっている方には、
クリスマスカードを出してご機嫌伺いをすることにしました。

Qクリスチャンになった私 お墓参りは? 仏壇は拝む?

イースターに受洗しクリスチャンになりました。

家にも実家にも仏壇やお墓はないので、何の不都合もなく過ごして
きましたが、お盆時期に夫の実家へ帰省するにあたりどうしようか
悩んでいます。

夫の実家は東北地方の閉鎖的な環境にあり、親族でクリスチャンは
誰もおりません。親族が町内にまとまっているので帰省した時は
顔見せ挨拶がてら仏壇に手を合わせて拝んでいました。
クリスチャンとしては手を合わせて拝むことはしないでしょうし
田舎の親類の手前拝むべきなのか...。
今年からはどうしたものかなぁと思っています。

夫の実家にあるお墓も掃除をしてお寺の位牌堂で拝み墓前で果物や
お菓子を食べる風習があります。

掃除は良いとして、位牌堂で拝んだりお墓で手を合わせることが
どうなのか悩んでいます。

元々、仏壇もお墓も馴染みのないものなのでクリスチャンになった
今、余計に悩んでいます。

黙って手を合わせて今で通りしていれば良いのかも知れませんが
一大決心をしてクリスチャンになった私の信仰心や誇りを自分の
中で無視することは出来ません。

クリスチャンのみなさんはどうされていますか?
教会の牧師や伝道師に尋ねようと思っていたのですが、それが
出来ないうちに出発となりそうです。教会員の方に電話をかけ
て教えてもらえるような知り合いもなく困っています。

帰省も目前にせまっているのでこちらで尋ねようと思いました。
アドバイスお願い出来ますか?
よろしくお願いします。

イースターに受洗しクリスチャンになりました。

家にも実家にも仏壇やお墓はないので、何の不都合もなく過ごして
きましたが、お盆時期に夫の実家へ帰省するにあたりどうしようか
悩んでいます。

夫の実家は東北地方の閉鎖的な環境にあり、親族でクリスチャンは
誰もおりません。親族が町内にまとまっているので帰省した時は
顔見せ挨拶がてら仏壇に手を合わせて拝んでいました。
クリスチャンとしては手を合わせて拝むことはしないでしょうし
田舎の親類の手前拝むべきなのか...。
今年からはどうし...続きを読む

Aベストアンサー

フィリピンなどから出稼ぎに来ている人たちが
仕事場で悩むことの1つに
「朝礼で神棚に手をあわせることを強制される」
というのがあります

彼らは敬虔なカトリック信者で
「わたしたちは神棚の信仰はない」
と悩んでいました

そこで神父さんが言った一言
「その神棚の向こうにキリストを見るなら
あなたは立派なクリスチャンでしょう」
祈る対象は神棚そのものではなく
キリストであるということ

そしてキリスト教の信仰の大事なものは
他者を区別するのではなく
仲間として共有すること

信仰・希望・愛
このうち最も大切なのは
愛である

ってパウロも言ってますから

Qカトリック嫌いだ

教会には三十年近く行っていません。洗礼受けた数ヶ月はよかったけどある犯罪に巻き込まれてそれが引きがねになり教会に行かなくなりました。本音は破門になっても構わない。その覚悟でいます。もしくは知人に頼んで死亡したことに頼んで一切関わり持たない事にするか、移転届を貰い黙って破棄するのがいいのかで悩んでいます。トラブルに巻き込まれなければ毎週教会に行っていたでしょう。洗礼を受けた以上改宗も破門もできないのですか?洗礼を受けた以上もう無理なんでしょうか。精神的に凄く辛いです。

Aベストアンサー

No.2です。

>私は洗礼を受けてから回りに対して我慢することだけの人生になりました。言いたい事も言えず相手の事を考えてしまうようになってしまいました。勿論親兄弟親戚に対してもです。小学校の時に土曜学校に行くようになり自然に教会に通うようになりました。中学三年生の五月に洗礼を受け性犯罪に巻き込まれたのは夏休みでした。それまではカトリックに対して偏見で見ることもありませんでした。それから少しずつ嫌な面ばかり見るようになり代母さんに何も言えない苦しみを代母さんに当たり散らすようになりました。回りは綺麗事と矛盾と差別しか無い。じゃあ洗礼受ける前なら犯罪を犯しても構わないのか。司祭も外見から入るのかとわかり余計に不信感を抱くようになりました。私は相手に対して気を使い過ぎてとうとうメンタル面の病と別の病を抱える事になり医者からはつい最近命に差し障りあると言われました。言いたい事も言えずただ我慢するだけの人生になったんです。自分の死後の事も考えるようになり旦那と同じ墓にも入る事も出来ないと聞いています。教会に戻る機会も会ったのですがダメになりました。レイプで身ごもった子供も産めと平気で言われます。司祭やシスターは聖職の中で生活してるから全く理解無いのです。親切にしても裏切られました。本当に受洗するのではなかったと後悔の日々です。凄くカトリックが重いです。愚痴ぽくなりましたが補足として付け加えさしていだだきました。


とても辛い経験をされたのですね。ご同情申し上げます。

イエスの教えは素晴らしいと思いますが、キリスト教会のお偉いさん達のいうことは、必ずしも、イエスの言葉と同じとはいえません。
その証拠に、イエスは『汝の敵を愛せよ』と言ったのに、キリスト教会は十字軍の遠征をはじめ、「自分だけが絶対に正しいのだ」と思い込んで、あちこちで、異教徒を迫害してきた歴史があります。
だから、教会関係者の言うことを真に受けて悩むのはやめましょう。全く馬鹿げているからです。

「小学生」というと大人は全て正しく見えるし、ましてや教会の神父ともなれば、なおさら立派に見えるので、その言葉を信じ切ってしまいます。
でも、もう大人になった貴女には、物事を冷静に見る力が備わってきていると思いますので、彼等の言う根拠のない言葉を、無批判に信じる事はやめて、自分の頭で真実を冷静に見極めるようにしてほしいと思います。

>私は相手に対して気を使い過ぎてとうとうメンタル面の病と別の病を抱える事になり医者からはつい最近命に差し障りあると言われました。言いたい事も言えずただ我慢するだけの人生になったんです。

もし、彼らが貴女をこういう状態に導いたのだとしたら、彼らはとんでもない人達です。
イエスは病に苦しむ人達を癒したのに、教会関係者は健康な人を病にまで追い込んだのです。
宗教は本来人々を幸せにするものなのに、不幸にしてしまうのは、その人達が本当のキリスト教を理解していない証拠ですね。
そういう人達とは、こちらから、縁を切りましょう。

>旦那と同じ墓にも入る事も出来ないと聞いています。

「旦那と同じ墓にも入る事も出来ない」理由・根拠は何ですか?
合理的な説明はあったのですか?
貴女自身、彼等の説明に納得できるのでしょうか?
貴女も、理性的になって、冷静に考えてくださいね。
お墓に関しては、いろんな宗教がいろんな事を言いますが、すべて、何の根拠もありません。
人々が、何となく、霊界のことについて、無知で不安であることに付け込んで、何の根拠もない事を彼らは平気で言うのです。また、その方が、一般の人達が信じやすいという点も困ったものです。
もっと、理性的になりましょう。

>レイプで身ごもった子供も産めと平気で言われます。司祭やシスターは聖職の中で生活してるから全く理解無いのです。

酷いですね!!!
でも、彼らは弱い人間ですから、神から「お前は堕胎を認めたのか!」と言って叱られて、地獄に落とされるのが怖くて、貴女のことよりも、自分の身の安全を優先して、そういう発言になったのです。
以前、ある神父が好きになった女性を妊娠させてしまう映画をみたことがありましたが、その神父は妊娠した女性を気遣ったり心配したりせずに、自分が神から邪淫の罪で怒られることだけを心配する場面がありました。ひどいものです!!!神父といえども、弱い、愚かな人間なのです。カトリック教会内部での、性的な不祥事は、事実として沢山あるようです。
だから、神を信じるのはいいとしても、神父などの人間の言葉は、あまり鵜呑みに信じない方が良いと思います。

>教会に戻る機会も会ったのですがダメになりました。・・・。本当に受洗するのではなかったと後悔の日々です。凄くカトリックが重いです。

カトリックをやめればいいではないですか。
私は、カトリックをやめて、何の後ろめたさも不安もありません。
私は、この美しい大宇宙を創った絶対者は居るような気がしますが、それは、キリスト教などという特定の宗教の枠内に留まるものではなく、もっと大きくて地球上の全ての生き物を優しく抱きかかえてくれる、キリスト教で言う罪びとでさえも、抱きかかえてくれる、大きな存在だという気がしています。
これが「本当の神」だろうと思っています。

むしろ、教会に戻れなくて良かったと思います。
今や、教会は、神の組織ではなく、単なる人間の組織に成り下がっているからです。

ですから、受洗したことも、教会に戻れなかった事も、全く、後悔する必要はありません。
そして、貴女が神を信じて洗礼を受けたと言う事は、貴女は、「狭いキリスト教の枠内の神」ではなく、それを越えた、もっと大きな「本当の神」を信じたのですから、人間の組織に過ぎない「教会」から脱会しても、神を裏切ったことにはなりません。
カトリックなどという、一宗教に囚われる必要はないのです。
人間の組織に過ぎないカトリック教会など捨てて、楽になりましょう。
神を信じたければ、その上で、神を信じれば良いのです。
カトリック教会を捨てた私を見てください。
もっといろんな観点からいろんな勉強が出来て、とても自由で、サバサバしていますよ。
これは、73歳の、人生経験と、いろいろな勉強を通じて到達した私の信念です。

貴女も、視野を広げて、いろんなことを勉強する事をお勧め致します。
そうすれば、今の悩みも、いつか、笑い飛ばす日が必ず来ます。

(参考文献)
『日本人のための宗教原論』(小室直樹著、徳間書店刊)
『歴史の中の「新約聖書」』(加藤隆著、ちくま新書)
『一神教の誕生・ユダヤ教からキリスト教へ』(加藤隆著、講談社現代新書)
『旧約聖書の誕生』(加藤隆著、ちくま学芸文庫)
『キリスト教は邪教です』(ニーチェ著、適菜収訳、講談社+α新書)

No.2です。

>私は洗礼を受けてから回りに対して我慢することだけの人生になりました。言いたい事も言えず相手の事を考えてしまうようになってしまいました。勿論親兄弟親戚に対してもです。小学校の時に土曜学校に行くようになり自然に教会に通うようになりました。中学三年生の五月に洗礼を受け性犯罪に巻き込まれたのは夏休みでした。それまではカトリックに対して偏見で見ることもありませんでした。それから少しずつ嫌な面ばかり見るようになり代母さんに何も言えない苦しみを代母さんに当たり散らすようにな...続きを読む


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