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 私は、四国の山間部出身です。東京に進学で出て行ったときにあまりの環境の激変で適応障害(後にうつ病になり、いまは完治)になりました。とくに辛かったのが、東京弁が話せなかったこと。人がみな、きれいに話せてるのになぜ自分は「よう話さんのやろう」・・・とおもい、無能感に苛まれました。アクセントは東京式なのですが、語彙にほかの人から見ると意味不明なものが含まれているのです。

 いまは別のところで生活しており、その問題で悩むことはありませんが、適応障害からうつ病に至る過程で苦しんだ原因の一つに、きれいな標準語が話せなかったことがあるので、とくに東京の人と仕事で話すときは、なにか緊張します。私の近辺では笑い話で、「都会に行く列車や飛行機に乗った瞬間に、東京弁/関西弁に豹変する人」が話題になりますが、そういう器用な人が、ものすごくうらやましいです。とくに、関西アクセントと東京アクセントをたくみに使い分けられる人をみると、すばらしいの一言です。私は、英語が日常会話程度、フランス語と韓国語は一人旅するにはOKなレベルなんですが、東京に行くたびに、話すときに方言が出てしまうので、ソウルで仁川からタクシー乗るときに韓国語を話すときみたいにぎこちなくなります。

 自分の方言と東京弁の乖離が大きい人で、うまく東京弁に適応できている人は、どういうことをされたのでしょうか?ちなみにぼくは、教科書の出てくる典型的な「過疎地」で生まれ育ち、テレビもなく、高齢者ばかりの地域で生まれ育ちました。

A 回答 (12件中1~10件)

 多少似た境遇かも知れません。


 ただし、過疎度が違いますし、東京へ来た年齢も違います。
 でも、内面的な体験が似ているような気がします。

 関西の山間部の村で生まれ、3歳のときに東京近郊に転居しました。
 転居しても、両親は同じ村の人間ですから、家庭では関西弁でした。

 関西にいた時の自分は、早口でしゃべる子供だったのですが、転居先の幼稚園では、早口の関西弁がほとんど通じなくて、無口な子供になりました。
 耳から入ってくる標準語は良くわかるので、それに反応して当時の自分がしゃべろうとすると、早口の関西弁でしか話せなかったので、みんなから浮いてしまい、孤立してしまったのです。
 幼稚園の先生たちには、僕のしゃべる関西弁がわかるようで、何かと面倒を見てくれたのですが、子供同士の間で、浮いてしまうと、中々居場所がありませんでした。
 だから、結局不登校にならざるをえませんでした。

 不登校になってから、半年ほどして、クラスメート全員で家に迎えにきてくれて、幼稚園に再び通い始めましたが、それ以後ほぼ完璧に無口な少年に変わりました。
 幼稚園で無口のまま在籍し、通園することは、針のむしろの上に正座しているようで、とても痛かったことを、つい昨日のことのように思い出します。

 無口と言っても、当たり障りの無い、ごく普通の会話はたどたどしい標準語で出来るようになり、外では標準語、家庭では関西弁で通しました。

 高校生のときの、論文試験でなかなか考えがまとまらないときに、するすると英文が浮かんできました。いつの間にか、英文と和文の両方で考えることができるようになっていたのです。
 もしかしたら、標準語と関西弁の両方で何時も考えていたからかもしれないと思います。

 だから、考えのまとまらないときには、英語で考える習慣が身につきました。それは多少の武器になりました。

 青森秋田など、コアな東北弁地域出身の人とも、心が通じやすいです。何となくですが、二重言語(?)の所為だと思っています。

 ある時、標準語でスピーチをする機会があり、それを聞いた関西の従兄弟たちから、「綺麗な標準語をしゃべれるんだ。」と、誉められました。彼らが、僕の標準語を聞いたのは、その時が初めてだったのです。

 現在の僕は、相手が関西弁なら関西弁、標準語なら標準語でしかしゃべれません。
 豹変はしませんが、そういう言葉遣いが身に付いてしまっているのです。

 だから現時点では、上手く東京弁に適応できているような、外見をしています。
 しかし、感情的なこと、情緒的な表現を伴うときには、いまでも関西弁が出てきます。押し殺す必要がないと分かったからです。

 幼稚園の時の、針のむしろに座っていた時のことは、忘れられない「痛い」思い出です。これも、無理に忘れる必要は無いと思っています。

 そう言う体験や経験、不器用さも含めて、今の自分自身。と割り切ると言うか、居直ることができたからです。
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>>ペットショップボーイズの"Go West"じゃないけど



この言葉に少しピクッときましたね

実は私もペットショップボーイズが好みでした
何故なのか、自問自答すると、結局、「都会」の雰囲気を感じさせるからなのですね
田舎の生まれだと自覚するからこそ、こういう感覚にどことなく憧れる
また、派手過ぎる事を好まず、没個性も好まず、シャイな部分と敏感な感受性を持つことが恐らく理由でしょう
端的に言えば、他人のちょっとした言葉や表情も気になるタイプ

だから.........でしょうね
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きれいな標準語って、テレビドラマのようなものを言っているのでしょうか。


そんな模範的な標準語を使える人は少ないと思いますが。

何でも他人のことは良く見えるってのは、誰にでもあると思います。
方言やなまりって言うのは、誰にでもあると思いますよ。
ないって言われる人のほうが珍しいと思います。

>ぼくの使用言語は、英語・フランス語・韓国語、そして高知県西部方言
すごいと思いますけど。私は日本語だけです。

>毎晩、世界中の人たちとチャットしています。
凄いじゃないですか。うらやましいです。外国語全然駄目です。

>人ができることを自分はなぜ、当たり前にできないのか?
外国語が3カ国も使えて、何故そう思うのでしょうか。
日本語のみ、しかも標準語は中途半端って人の方が圧倒的に多いと思います。

>自分に自信を持っていたいです。
充分自信を持てる能力を既に持っていると思います。
外国語の仕事を頼みたいくらいです。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 ぼくが苦手なのは、「東京弁」というよりも、「東京カルチャー」だとおもいます。きょうも東京の人と電話で話しましたが、いやぁ・・・・やっぱり苦手です。なんというか・・・「機械」としゃべてる感じかな。感情を交えると腹立つので、なるべく感情を交えず話すようにしています。とにかく、適応障害やうつ病のきっかけとなった東京での生活を思い出すと、それだけでトラウマです。ぼくの外国語は、その他大勢ができないことをしてやろうという、補償のようなものです。

 >外国語が3カ国も使えて、何故そう思うのでしょうか。

 一言、「人並みになりたい」ということです。

お礼日時:2010/11/29 20:19

四国や特に北海道がそうなんだけど、基本的に過疎地は人恋しくて、人懐っこい感覚の人が多い


三大都市圏だと、人が沢山居すぎて、もう沢山って感じ。

過密な空間の中で自分のエリアを確保したくて必要以上に他人が入ってこないよう防御、又、人の空間を邪魔したくないから知らん顔って感覚かな
人が多いから、いちいち他人の事にかまってられないって感じだよね

特に人懐っこくて好奇心ギラギラって言うのが高知
この違和感は慣れるしかないねぇ
彼女がいても感じる違和感かも。男言葉を使う関東の女性って多分ショックでしょ
関東の場合は特にその傾向で....
高知は、男言葉と女言葉がハッキリしてるからね

カルチャーショックですよ。ホームシックの時期なのかな?
多分方言の問題じゃないね。
言葉がどうでも(変な言い回しをしない限り)、意志は通じますから、仲間は気にしませんよ
冗談で方言をあれこれ言っても、本気にしないほうが良いでしょ。あくまでネタです

四国の人はすぐ地元に帰りたがるから....よく聴く言葉です
都市部のドライな感覚に多分寂しさを感じてるんでしょうね。
機会があれば、県人会とかに参加するのも良いかも
西の人とかだと、感覚が割りに近いと思いますよ

ドライじゃないけれど、東北、北海道訛りは逆に違和感を強く感じます。
なんだか....地元を離れて遠くにやってきたんだなって感覚が強くなります

貴方も割り切って考えるべきなんですよ。
いちいち気にしないって...ふうに
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

 いまは、別のところに住んでいるので悩みではないのですが、ただ東京弁を聞いたり電話の相手が話していたりすると、どうしても当時の辛いことを思い出し、ブルーになってしまうので、相談したんです。

 割り切って考える・・・そうですね。「東京弁は、韓国語とぼくの使ってる方言の中間にある、『準外国語』」だと思うようにしています。まぁ、人並みのことができず苦労したのは、山奥に住んでた幼いころからなので、その分、人ができないこと(外国語)を頑張ってみたいです。

お礼日時:2010/11/29 20:45

 ANo.6


 方言って、非常に語彙が多いのでそれを放送や新聞が使う所謂る標準語とやらに言い換えられないのがおおいですね。
 日本民族の伝統的心性やその土地心を所謂る標準語で言い換えることは限界があると存じます。
 人間はどんな個人も自分の言葉を持ち、生活し、思考し、感じることを概念化しているのでしょう。
 それはもう、人にそのまま伝わるのは難しい。
 どこかで言葉の法則なんていう表現を使って私の回答投稿を批判した質問者がいたが、言葉は生き物で法則はそれを拾い集めて、整理したってくらいですね。
 法則ってない、生きている生態がある。という認識と表現の方が適切だと思います。

 法則の定義にもよりますが、私は法則とは概念定義体系(これがつまり法律という奴です)か、数学と物理の法則しかないと思います。
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答えになっていないかも知れませんが、東京近辺に住んでいる人(もちろん多くの地方出身者がいます)は、良くも悪くも「無関心」です。



たぶん、本人が気にしているほど周りは気にしていないと思います。(そういう問題ではないのかも知れませんが)
たとえ聞き返されても馬鹿にしているとかでなく悪気があってではないはずですから「ゴメンなさいね、訛りが抜けなくて」なんて笑顔で答えれば、逆に親しみが沸くと思います。
都会ではあまり自分が必要以上に被害者意識を持ってしまうと、自分がダメになってしまいます。
何も生き方に恥じることがなければ、堂々としていればいいだけです。

それにそれだけ外国語を話せるのならば、私からすれば「そんなのどうでもいいじゃない」って思ってしまいますけどね。
関西の人だって平気で関西弁を使っていますし、そんなに気にしなくてもいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 ぼくの場合、気になっていたのは「人ができることを自分はなぜ、当たり前にできないのか?」ということと、東京のカルチャーになじめなかったということです。外国語の勉強にはまったのは、東京になじめなかった分の補償みたいな感じですね。そのおかげもあって、毎晩、世界中の人たちとチャットしています。

 自分にできなくて人にできること、またその逆。両方を、劣等感や羨望を必要以上に感じずに生きていきたいです。ぼくは、人が難なくできることができなかったりするのでそういう劣等感を持ちやすいのですが、自分に自信を持っていたいです。

お礼日時:2010/11/28 16:28

 東京弁って東京方言、訛りってことですね。


 私は浅草生まれ(雪の二二六のこと)、浅草育ち。東京から一歩もでたことない、井の中の蛙。
 東京もあたしらの周りの子どもや大人達と、ちょいと中心とか、或いは河(大川ー隅田川)を越えた土地っ子じゃぁ話し方から、単語まで抑揚も違う。
 大学に46年居て、全国の人を知りあいましたがどんなに所謂る標準語とかいうのを喋ってくれてもいっぺんでどこの方って分る。
 ほとんど外れない。

 京都も大阪も他の関西など。福島、茨城、岩手、青森、秋田。それぞれ特徴があり、その抑揚や発音の仕方はとても真似できない。
 特徴或る話し方はうらやましい。
 その人を感じる。感性もいい。訛りは、方言は大事だ。東京の私らの方言もどんどんなくなって来た。
 人間もなんか居なくなってきた。空っぽになっている。透明人間みたいだ。
 訛りは一生もんです、どうか大事にしてください。財産です。
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この回答へのお礼

 こんにちわ、お返事感謝です。

 二・二六事件のころといえば昭和11年。ぼくの両親がうまれたころです。ぼくの両親は幼いころ、芋ばかり食べて家の炭焼きや家の百姓仕事で学校に満足にいけなかったといつも聞かされました。(文盲だったので、ぼくが幼いころ年金免除申請を書いて、いまその年金を、もらってます)

 たしかに、東京下町はホッとするところですね。八王子にいたので隅田川の向こうに行くことはまったくなかったのですが、社会人になって東京にいったときに下町にいくと、「ここを、あの苦しかったころに知ってたらなぁ・・」と思いました。劣等感を感じることなく、自信を持っていればよかったと、今となっては思います。大学時代の友人が、一番多くて、いまでも交流がありますしね。

お礼日時:2010/11/28 16:57

感性の違いはあるね



関西以西のようにウエットな感覚がなくて、パサパサした感じ
その為関東で会話していると、なんか突き話されたような、ぽつんと置いて行かれたような変な感覚
けど、そういう土地柄だから

関西のように白でもなく黒でもなく、相手の反応見てあわせてくる様な所はないし、
べたべた触ってこない(笑)
中四国特に瀬戸内海側みたいに、ズケズケ言って、良い過ぎるようなキツさもない
高知に近い感覚で、白黒はっきりくっきりなんだけど、3大都市圏と同じでズバッと言わない
3大都市圏は、全体として角が立たないように、過剰な表現をせず、当たり障りがないって感じ

その感覚に違和感を感じて、方言のせいかなと変に悩んでいるような気がするんだけどね
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この回答へのお礼

 そうそう、その感覚!!!です。「きみがさぁ、ここで倒れて死んだって、おれ/あたしには、関係ないんだよね。ちょっとあっちにいっててくれる?」といわれてる感じがするんです。寒々とした感覚が、けっこう堪えるんですね、これが。そのせいか、関東はいつ行っても「半分外国やぁ・・・」と思うし、逆に松山から1時間でいけるソウルのほうが、神経使わずホッとするという変な感覚を味わったりもします。

 たしかに、「方言」というよりむしろ、「カルチャー」の違いだとおもうと、なにかしっくりします。それが証拠に、友人のいる欧米やアジアなどの外国にいくと帰ってホッとすることがあるんです。不思議やなぁ・・・とわれながら不思議なんですが、それを思うと納得です。

 ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/28 15:53

>>教科書の出てくる典型的な「過疎地」で生まれ育ち、テレビもなく、高齢者ばかりの地域で生まれ育ちました。



そんな場所あったっけ?
とてつもない山の中でも、過疎地でもTVは写るよ

普通にやれば、半年もしないうちに違和感なく話せるはずだがねぇ
特殊な東京風言い回しをしなければ
更に言えば、東京なんて地方人の寄せ集め見たいなところがあって、そう、バリバリの東京弁ばかりって事もないはずだが....

普通に話せば、四国の東側の言葉は、関西弁と区別が付きづらく、ああこの人は関西人なんだ....
で終わり。
よほど古語か死語に近い方言で話さない限りまずない

土佐弁の場合、ちと矯正が必要だが....時間と慣れの問題だよな
愛媛東中部の場合、関西とは違う独特の言い回しがあるが、極端に方言を使わない限り、東京弁とは行かないまでも、西の言葉だろう
愛媛南部の場合、土佐弁に近いが、極端にちゅーちゅー言うわけでもなく、穏やかな話し方。
大きな違和感はないと思うが

ずばり言ってしまうと、関西人を見習えだよね
関西人はどこへ行っても関西弁丸出し。関西弁にプライド持ってるかも(笑)
人にもよるけど、西のアクセントは抜け難いと思う。でも開き直れば良いでしょ
関西系だと思われると、関東では脅威感を持たれるようで、相手が少し引く....
コバカにされると言うよりは、少し警戒される(脅威感から)か、妙な期待をされるかだよね
関西系だからここはきっと笑いを取って来るだろうと..........

めげずに言えば?「高いでぇ、高こうつくでぇ...へへへへへっ」って

冗談はさておき、極端な方言使わなきゃ、何も問題はないはずだけど...
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この回答へのお礼

 それが、テレビが映らないところがあるんですよ・・・ぼくは高知県西部(四万十川のある、あの辺)ですが、谷底に家があり、屏風を立てたような山の稜線上にアンテナを立てないといけないんです。で、そのアンテナを立てると、こんどは高知県じゃなくて、豊後水道の向こうの大分県・宮崎県のテレビが映るありさま>< なので、小さいときは学校の話題について行けず、苦労しましたね。

 さっきの書きましたが、「言葉」というより、「カルチャー」の問題ですね。いまは、「別に東京に行かなくても、関西もあるし、なんとなれば、ソウルも北京も上海もある。ペットショップボーイズの"Go West"じゃないけど、西を見るのもいいかなぁ~」とおもってて、北京語を独学しています。なので、ぼくの使用言語は、英語・フランス語・韓国語、そして高知県西部方言(幡多弁)・・・です☆

お礼日時:2010/11/28 16:03

私は青森県出身、俳優の松山ケンイチさんが同郷です。



マツケンさんは、普段は訛りがあるそうですが、
役者さんですから、セリフは訛りませんよね。

質問者様も、日常的な会話はお国訛りでよいでしょうし、
ここぞというときの言葉使いは、俳優になったつもりでセリフとしてしゃべってみる心得をしてみるというのはいかがでしょう。

私は接客の仕事で新入社員研修などをしたことがありますが、
接客用語には、訛りが入り込むスキが無いので、
地方出身の新人さんも、お客様の前では訛らなくなります。
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この回答へのお礼

 なるほど・・・なまりはないのでOKなんです。たしかに、アクセントが強いと、発音の矯正がでてくるから大変ですね。あえて言うと、鼻濁音を発音しないところでしょうか。まぁ全体的に、ガタガタときつい発音ではあります。

 ただ、上にも書いたとおり、語彙のなかに???なものがあって、それがふと出てくるので、土地以外の人が???となることがあります。頭の中で変換しないといけないですね。

 俳優のように話してみるのは、いいかもしれませんね。ありがとうございます。

お礼日時:2010/11/28 16:16

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