クリスチャンは
本気で今、罪犯してもいいと思ってるんですか。

布教はお断り。
回答は4/14夜以後いたします。
あなたたちの大好きな日曜にもね。

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A 回答 (14件中1~10件)

こんばんは。

No7で回答させていただいたjmkeynseです。
このページ上でkierkeさんと少し対話をさせてもらいたいと思いまして、ここに再び書かせていただきます。また長くなってしまいそうですが、読むのが煩わしければすいません。
先ず、kierkeさんの真摯な"回答に対する補足"に感謝します。kierkeさんの意見を聞くことは、私にとって非常に有益な経験でした。ご承知のように、私はクリスチャンですから、その意味ではkierkeさんとは正反対の立場にいます。しかし、だからこそあなたのような人々の意見に耳を傾けることが必要だと思うのです。例え意見の相違から、口論になることがあっても、両者が"宗教"について真剣な態度でいるのなら、それは素晴らしいことだと思うのです(宗教を信じる、信じないを別にしても)。宗教の問題と言うのは、特に日本においては、軽んじられがちです。しかし、この宗教に関わる問題と言うのは、我々人間にとって非常に根源的な問題なのではないかと思います。だから、誰かに「何でそんなに真剣になれるの」とでも言われれば、私も腹が立ってしまうでしょう。
それから、私も、クリスチャンの常套手段のような「聖書を知らない」とか「読み込みが足りない」というようなやり方は好みではありません。さも、自分が聖書を知り、それ故聖人の如き人物であるかのような口ぶりをしていますが、それは真剣に議論し、考えようとしている人に対して、非常に失礼ですよね。
最後、これは前回の書き込みで言うべきことだったかもしれませんが、前回長くなりすぎてしまったので、追加としてここに書かせてもらいたいと思います。これは私がキリスト教のあり方そのもに非常な疑問を持ってしまう要因の一つなのですが、それというのも、クリスチャンの選民思想的な部分についてなのです。これは恐らくkierkeさんも非常に疑念を抱いておられる部分なのではないでしょうか。端的に言えば、「いわゆるクリスチャンであれば、それだけで救われる。逆にそうでなければ救われない」というような。その考え方には私も、大きな疑念を持ってしまいます。その考えにもし従うなら、クリスチャンを名乗る凶悪犯は救われ、心に汚れ一つ無い、立派な無宗教者は救われない、ということになります。そんな馬鹿らしいことが通るはずが無い。もしキリスト教のエッセンスがそこにあれば、私もキリスト教を捨てねばならなくなるでしょう。そこで私にとって非常に大きな問題となってくるのは、「ユダは救われたのか」ということです。ユダは言うなれば、キリスト教にとって最大の罪人でしょう。しかし、彼はイエスを売ったことを悔い、自ら死を選んだ。そのユダを神はどうしたのか。私は先ず、この問題を考える前段階の作業として、ユダは救われるべきか、否か、という判断を下さねばならないでしょう。キリスト教徒にとって、非常に大きな問題のはずですから。しかし、私はそれの作業すらも完了出来ていないのです。ですから、キリスト教を否定するのでもなく、部分的に疑念を抱いている、という状態なのです。

また長くなってしまいましたね。すいませんです。このように意見を交換できる機会があまりないものなので、つい嬉しくなって書いてしまいました。あと、「それが哲の道です」というkierkeさんのフレーズ、立場が異なっていても大いに共感できます。というのも、私は、哲学とはすなわち生き方であり、信念であると考えているものですから。信念であれば、例え自分が地獄に行こうとも、変えられるはずは無いですもんね!   

この回答への補足

ありがとうございます。長いなんて気にしないで下さい。私のレスも結構他の質問者の方に比べると長いと思いますので回答者の方は大変と思いますので。

>端的に言えば、「いわゆるクリスチャンであれば、そ>れだけで救われる。逆にそうでなければ救われない」>というような。その考え方には私も、大きな疑念を>持ってしまいます。その考えにもし従うなら、クリス
>チャンを名乗る凶悪犯は救われ、心に汚れ一つ無い、>立派な無宗教者は救われない、ということになりま
>す。そんな馬鹿らしいことが通るはずが無い。もしキ>リスト教のエッセンスがそこにあれば、私もキリスト>教を捨てねばならなくなるでしょう。

私も疑問です。その為に今回は上の質問者の方の補足
を先に書きました。生後2ヶ月の云々。というものです。
聖書にはこれに関して明記はありません。外典などを
持ち出す宗派の方もありますが(外典を全体を否定しているのではありません。なぜならユダの手紙に外典の引用がありますから)”聖書”を考えれば無い。
それ故苦肉の策として幼児~をある宗派は考え出さなければならなかったのかなとも思います。(異端か否かは別として)
イスカリオテのユダについてもこれは私も文学の学問か何かで再度きいてみたいところですね。ユダは悔い
る間がありました。しかし悔いる間も無く新約の久々
の残虐シーン、アナニヤとサッピラ。聖書には罪を犯
した事が無い人は3人だけです。一人はイエス、あとは
ダニエルとヨセフ。ではローマ以降登場の人物も皆罪にあたることをしているということです。何故に彼等
夫婦のみが見せしめのように殺されたのか。また悔い
改めにおいてダビデの記述は通ったとしてバテシェバは?悔い改めてもいないのになど疑問は溢れ出ます。
少しそれましたが、以前バルセロナへ行った時、ガウディーの聖家族教会を見ました。現地のガイドがユダが堂々彫刻されている事を声を大に叫んでいました。
何ぶん外国語なので不十分な理解だったかも知れませ
んが、きっとガウディー的には救われている人に数えられているのでしょう。
ここからはまずお決まりの答えですが、ユダとペテロ(ペトロ?)は良く比べられます。1人はイエスを売り
1人は知らないと言った。ではなぜペテロはOKなのか。
御存知のとうりです。クリスチャンは、復活の主に会
うまではまだ心よりペテロは(12使途はとか誰もとか)信じていなかったとか言います。(宗派による違いなどあるでしょうが)
ではユダはあらかじめ、裏切る事を知っていながらイエスがそばにおいた者。(イザヤ書、エレミヤ書の預言の成就のため)と言われます。心から信じて無いからダメ。地獄ってことでしょうか。ペテロはその後
ばん回のチャンスがあった。ユダは悔いて死んだ。
それでもクリスチャンからすればだめなんでしょうね。
ここからが私の考えですが、ここに至までに福音書で
は”イエスをあがめた”という記述は多くあります。
当然そこにユダもペテロもいた。ペテロが心から信じ
ていないなら(「あなたは神の子キリストです」とま
でいっておきながら)ユダと同じ。ユダは悔いた。
ペテロは泣いた。2人の違いは預言と自殺したか否か。
自殺はダメ。それは未信者でも言う事です。罪とは言わない。そしてこの自殺という行為ゆえに天へいけな
いなら万引きも殺人も罪は罪とするキリスト教では天
国へは行けない。人は救われても罪を犯すから。それでもとりなして下さっているから感謝!などと言う人
はユダが天へと行く事を認めなければならない。主は
きっとユダのこともとりなしておられるはずだから。
では次に預言の故か?エレミヤ書には胎にいるときか
ら神の計画がエレミヤにあったことが記されていま
す。また、黙示録には救われる人何人救われない人何人と記されています。
これらを合わせ考えると胎の中にいる内から天国地獄は決まっている事になります。そうであれば、生後2ヶ月の子の例えもユダにもそれを適応すれば納得です。彼等はキリスト教で言う地獄行きです。
私は理解できない。そんな酷い思想は。

このように決められているなら、キリスト教が否定する運命論となんら変わりはないのです。運命論では生
きている意味や努力など必要無い。ユダはまさに決め
られていたなら預言という運命論の犠牲者です。

ただ、神は一人として滅びる事を望んでおられないと
クリスチャンは言います。黙示録の人数は?と疑問を
いだきますがその2つはみこころと御旨と言う言葉でかたずけてしまうのがクリスチャン。

まあ、大分話がそれましたがユダだけで無くアナニヤ、サッピラなど疑問は山済み。アナニヤ、サッピラはきっとみんな地獄とクリスチャンは言うでしょう。
こちらの命題の方がまず簡単にこたえが出るのではと思います。

>信念であれば、例え自分が地獄に行こうとも、変えられるはずは無いですもんね!
そのとうりです!永遠の地獄苦しかろうとかまわない。(あったとしてですが)私は信じる所を生きたいです。
今回の「罪を犯してもいいと思ってるの?」
は、そんな彼等の甘い理論について疑問を持ったから
この場にOsieteをだしました。

ながなが狂人の言葉につき合って下さり感謝します。
議論や討論は必要と私も思います。それゆえ、学者さんで無くクリスチャンの登場を待っていたので、私も
感謝です。

補足日時:2001/04/16 23:54
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1.chikaminさんはクリスチャン?


いいえ違います。無所属です。
2.私がこれらを書いていたならどこか指定してください。
どこにも書いていません。そのような印象をもったのです。
3.これらを考えたうえで、「納得できません。」でしょうか。
殺人と不倫は同意してるかしてないかで明白な違いがあると思います。
>殺人をも肯定する集団と言う事になるのでしょうか?
個人的には肯定します。
以上が回答です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>いいえ違います。無所属です。
そうだと確信してました。
>どこにも書いていません。そのような印象をもったのです。
それはchikaminさんの”印象”です。実際ではありません。
>殺人と不倫は同意してるかしてないかで明白な違いがあると思います。
一般的にはね。しかし彼等の内では違いはないのです。私が説明するより、暇なら近所のクリスチャンに聞いてみて下さい。
>個人的には肯定します。 以上が回答です。
申し訳ないです。クリスチャンに聞いていますので(しかも実践型の)お答えいただきましたが、解決にはなりません。
これ以上いてもchikaminさんどっちかというとヒンドゥーっぽい考え&興味がお有りの様ですのでポイントも加算されませんよ。
だから、解決はなしということで有難うございました。

お礼日時:2001/04/20 00:29

そうです。

本気で思っています!
私は罪無き命をたらふく喰らい、野原を駆け回って芽吹いてきた芽を踏みにじり、うまい空気が吸いたいと大気を汚染しながらドライブもします。数え上げたらきりが無いほど罪を犯します。罪のとらえ方によって答えはおのずと違ってきますが、
あなたがクリスチャンだったらどう答えますか?罪と犯罪を同軸に考えることには納得できません。

この回答への補足

回答有難う御座います。

>私は罪無き命をたらふく喰らい、野原を駆け回って芽吹い
>てきた芽を踏みにじり、うまい空気が吸いたいと大気を汚>染しながらドライブもします。

これは罪と言わないのはchikaminさんがクリスチャンなら知ってますよね。
私がこれらを書いていたならどこか指定してください。

>罪と犯罪を同軸に考えることには納得できません。
殺人は犯罪であり、罪。姦淫は現在において「不倫は文化だ」とまで言う人がいるように定着しており犯罪では
ないが罪。
これらを考えたうえで、「納得できません。」でしょうか。
そこで
1.chikaminさんはクリスチャン?
2.私がこれらを書いていたならどこか指定してください。
3.これらを考えたうえで、「納得できません。」でしょうか。
の点について答えていただきたく思います。

補足日時:2001/04/18 16:48
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この回答へのお礼

忘れていました。
>あなたがクリスチャンだったらどう答えますか?
でしたね。
「私の名を命の書から消して下さい」と祈るでしょう。
マタイ5:17以降7章までを話しだすと(ある方はこれは生あるうちのことと言われます。それに従うなら)その度に上記の事を祈るのは(クリスチャンは毎日悔い改めますが)行き過ぎかと思いますが、しかしそうしないといけないと思うでしょう。何故なら実際に殺しても、殺したいと思っても同じ事だから。
また別の方(これは天に行ってからそのようにする者はという解釈をする人)に従って考えても、やはり実際に行ってしまえば「私の名を命の書から消して下さい」と祈るでしょう。また、その方にあって謝りたいと思います。
しかし、神は自分の正しさの故救われた者を地獄へ行かせる事はなさらないでしょう。それをすれば嘘つきになるからです。ただそう求めたいですね。
ここで私の疑問ですが、実行と思い留まった時、(同じで無ければクリスチャンはもっと仲間同士で裁きあっていたことでしょう)の心情の差は?どちらも同じ”感謝!”とかなら、実行を、被害者を軽く見てはいないかと不信に思います。
chikaminさんはクリスチャンですか?と尋ねましたが
もしそうであれば、と言うかクリスチャンに質問してるわけだから私はchikaminさんがクリスチャンである事を信じなければならないのですが、その場合殺人をも肯定する集団と言う事になるのでしょうか?
再三再四殺人について書いてあるのを読んでおられますよね。
にわかには、正直(ごめんなさい。)chikaminさんがクリスチャンである事を信じられませんが(罪無き命をたらふく喰らい、野原を駆け回って芽吹いてきた芽を踏み・・・のくだりの時点ですでに)
回答を求めていたので参考にいたします。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/04/19 00:50

まず初めに、HPを見ていただきありがとうございます!



>証はyukio-nさんのものですか?
はい。そうです。

証の誤字、脱字に関しての指摘ありがとうございます!
早めに書き直しておかねば。。。

>yukio-nさんは(笑)などと文字を使われていますので
>御希望に答えて言っておきましょう。「仕方がないから見てやった。」
>で?満足した?
>「(笑)」俗悪ですね。なにが面白いんですか?
>行動をしってたら面白いんでしょうか?
>個人的には非難します。
”(笑)”は『気軽な気持ちで言っているよ~』という意味で書いたつもりでした。
すみません。。。悪気で書いたのではないのだけはわかってください。

>哀れな人だ
>と思って以後回答下さらないならそれでも良いですが。
哀れな人だなんてとんでもない!
きっちりした考えの持ち主だと思いましたよ。(ほんとに)

>yukio-nさんが殺人を犯したとします。もちろん救われてから。手に掛けた人は未信者。
>感謝できますか?天国にいけること。
本当に悔いていたのなら、自分を地獄に入れて欲しいと思うかもしれません。
感謝できるかといったら、自信ないです。
本当に愚かだと、裁かれて当然だと。きっとそう思うでしょう。
しかも、未信者であれば、なおさらですね。。。
その人は救われるかもしれない魂が裁かれるわけですから・・・。
これが私の答えです。

クリスチャンを名乗る凶悪犯は救われ、心に汚れ一つ無い、立派な無宗教者は救われない。
そんなことは絶対おかしい!そう思うかもしれません。かつて自分も思いました。自分が
キリスト信仰を受け入れるのに時間がかかった一要因です。

しかし、神様から見てこの世の中に心に汚れ一つ無い、立派な無宗教者なんているでしょうか?
神さまは性質的に見ても、人間は・す・べ・て 罪人だと言っています。
『すべての人は、罪を犯した(ローマ3:22)』

これは特に言っておきます。これは私を含むキリスト者すべての者が忘れてはならない事です。
それは、神様からみた、私たちの立場です。
ローマ書3章を是非、読んで下さい。その中に書いてある「彼ら」とは人間一人ひとりを指しています。

そして、神さまは人間にこう言っています。
『ましてうじである人間、虫けらの人の子はなおさらである(ヨブ記25:6)』
人間は、うじで虫けらだと言っているのです。
しかし、そんな汚い愚かな人間だと知っているのにも関わらず、愛しているのです。
わたしもそうですし、kierkeさんも愛しておられるのです。
この完全な神の愛から引き離す事はできません。
だからすばらしい!

>「みことばには力がある」とクリスチャンは言いますが
>”それでは、どういうことになりますか。
>恵みが増し加わるために、わたしたちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
>絶対にそんなことはありません。”これに限り力が無いのでしょうか?
>こうあっても人は変わらないんでしょ?
「みことばには力がある」からこそ、善悪の判断基準ができるのです。
今救われているクリスチャンは何によって罪を知ったのでしょうか?
今救われているクリスチャンは何によって裁きを知ったのでしょうか?
今救われているクリスチャンは何によって愛を知ったのでしょうか?
今救われているクリスチャンは何によって救いを知ったのでしょうか?
今救われているクリスチャンは何によって信仰を高められるのですか?

それは、牧師や神父、権威者の考えでもなく、また教派(宗派)による教えでもなく、
(牧師や神父、権威者の考えや教派(宗派)による教えを否定している訳では決してありません)
それはすべて、神のみことばである聖書です。
(聖書に基づかずに考えるのは、主のみこころではありません。クリスチャンは注意しましょう。)

>恵みが増し加わるために、わたしたちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
>絶対にそんなことはありません。”これに限り力が無いのでしょうか?
神さまからいわれているにも関わらず罪を犯すのが人間なのです。
それを無視する。それほど人間は罪人なのです。
旧約に書いているイスラエルを見ればわかると思います。

神の存在の証明。それは、ローマ書1:20に書いてあります。
そして、私は神がいると信じ込んでいるのではなく、信じているのです。
それは、学校教育で行われている”進化論”を100%間違いのない真実だと、
確信している者が大多数この日本にいるように、

聖書に書かれている創造の事実が科学で絶対否定できない、
むしろ創造(聖書)の事実を科学は支持しているのを私は知っています。
そしてそれを間違いのない真実だと確信しています。
(クリスチャンでもこの事を否定される方はいますが。)


>「今も生きている」については?
キリスト復活に関していっておられるのでしょうか??
もしそうであれば、内的証拠(聖書)でお話します。(外的証拠は、説明しきれません。)
第一コリント15:1から19をお読みください。(ちなみに私の使っている聖書は新改訳です)
この書簡のこの章は復活を信じないクリスチャンに書いてあリます。

また、ヨハネ伝20・21章にも書かれています。

迫害の真っ只中に生きた、パウロの確信を持った行動を認める者であればどなたでも、
「今も生きている」といえる事に関して理解できると思います。

ここに書き込みしているクリスチャンはみんな、
kierkeさんが救われて欲しいと願っているのは間違いないとおもいます。
祈っておきます。

なお、無責任ながら、色々事情があり、これ以上レスはしないかもしれません。
申し訳ないです。


p.s.
>創造はされたでしょう。然し今は死んだ。いない。
>それ故造られたシステムは残っているかも知れない。
とは、どういう意味なのでしょう??わかりませんでした。すみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>しかも、未信者であれば、なおさらですね。。
未信者なら?殺人をナメていませんか?
それとも相手がクリスチャンなら「僕は祈って赦された。だから君も赦してね」などと言うのですか?
また立場がどうであれ天にて讃美し、冠返却してまた讃美してってするんですよね。聖書にそう書いてありますから。
>今救われているクリスチャンは何によって・・・
でも罪を犯すんでしょ。
知っているけど犯す。と言うことを知っていることが
クリスチャンが学者より優れている点だと言った人が
いました。しかし言葉だけで行動が伴わないなら何に
なりますか?行いや教育においても尊敬される者となりなさい。とありますね。再三再四。
何によって罪や裁きを知ったのか、知っている者が実践しないというのは、本当に罪や裁きを知らない事の
証になりませんか?実践したカント、知っていたソクラテスがクリスチャンならもっと現在(今)より説得力があったでしょう。
前回「それでも人は変わらないんでしょ?」と質問しました。回答はいかがですか?変わらないんならみことばに力はなく、クリスチャンは甘えの構造の中にいると追い詰めるつもりですから、答えにくいでしょうから回答は結構です。考え直しました。
>しかし、神様から見てこの世の中に心に汚れ一つ無
>い、立派な無宗教者なんているでしょうか?
>神さまは性質的に見ても、人間は・す・べ・て 罪人
>だと言っています。
>『すべての人は、罪を犯した(ローマ3:22)』
こういうことは止めて下さい。あまり好ましくない事
と思います。
ただ、じゃあ立派でもなんともない生後2ヶ月の子は?
>人間は・す・べ・て 罪人=地獄
人間は神を知らぬという罪を持っている。その罪の身替わりに神の御子キリストが十字架にかかり死んで、葬られたが3日後に蘇りその後多くの人の前にあらわれ、天に昇られいまも生きているまことの神である事を信じる。=クリスチャン=天国。
こんなことが生後2ヶ月の子の子にできますか?

パウロの時代。今から1940~1960年も前の話でしょ。
第一コリントやローマなど何度も読んでます。他の項目から判断して下さい。
私は伝道のための言葉を聞きたいのではありません。
私自身結構本来の疑問からそれてしまって福音など書いてますが、みなさんごめんなさい。
ただ、yukio-nさんにはそのきらいが見られます。若いですねまだまだ。もしくは牧師を目指す人か。いってても25才?違っていたらごめんなさい。

レスなしかもしれないと言う事ですのでお礼に書きました。互いに伝道に関する事より罪を犯していいかについて論点を合わせましょう。こんどこられるなら。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/04/16 23:53

こんばんは。


 前回の回答は、ひやかしのつもりではありませんでしたが、不快な思いをさせてしまったようで、申し訳ありませんでした。
 
 これだよの文(表面的にはのところ)・・・確かにクリスチャンのいけない部分ですね。
 
 ごめんなさい。
 
 それから、望んでいる答えがわかったように書いてしまったこともお詫びいたします。


 確かに私のようなものが答える低レベルの問題ではなさそうです。
 役不足でした。
 
 私が答えられるレベルではないので、
 参考になるかどうかわかりませんが、下記のような講座のホームページをみつけましたので、書いておきます。
 
 

 

 



 

 

参考URL:http://www.hoshien.or.jp/class/h-christ.html
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この回答へのお礼

ページを拝見いたしました。ありがとうございます。
現代のキリスト教ですか。
進化論を認めたり(カソリック)仏教徒とともに宗教
会議や2000年末の京都でのどんちゃん騒ぎ。(カソリック、プロテスタントともに)
キリスト教も妥協しだしたんだなと少し残念です。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/04/17 01:39

それなりにごもっともな事情のようですが、少しだけ、あなたに同情しました。

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この回答へのお礼

え~別に同情や哀れみ(憐み)など求めていません。
回答です。
ありがとうございました~。

お礼日時:2001/04/16 00:10

先日、お答えしたものですが、気になったのでまたきてみました。


 うーん、きっとそれぞれの考え方を持っている人がクリスチャンの中にもそうでない人の中にもいるので、あなたの望むような答えを見つけ出すまでには相当な時間がかかりそうですね。
 補足を読んでいてそう思いました。

 答えをどうしても見つけたいですか?
 聖書も表面的にずいぶんお読みになっているようですが・・。
 
 なぜ、そこまでこの事にこだわるのですか?
 この事のために、必要にエネルギーを使っているように思いますが・・・。
  
 
 
 

 
 
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この回答へのお礼

予めこれから書く非礼をお詫び申し上げます。
まず、warabimanaさんは私の疑問には一切答えておられない。補足に記入いたしましたがいかがか?
>あなたの望むような答えを見つけ出すまでには相当な時間がかかりそうですね。
私の望む答えを知ったような口調ですね。では、次回投稿される時答えを携えて来て下さい。そのためのOsieteではないのですか。
>答えをどうしても見つけたいですか?
上記に同じ。
>聖書も表面的にずいぶんお読みになっているようですが・・。
これだよみなさん。彼等の常套手段です。今度こう言ってみて下さい。「聖書は読みました。知ってます。でもなんとも思いませんでした。」十中八九こう彼等は返してくるでしょう。「神様教えて下さいと祈りながら」「求めながら」「少なくてもいいから毎日」「砕かれた心で」読んで下さい。など言ってきます。聖書を読んでもキリストを信じない者は等しくこうあだ名されるのです。「表面的にずいぶんお読みになっている」
はっきり言いますがそのようなレベルの話しではありません。役不足を感じます。
>なぜ、そこまでこの事にこだわるのですか?
 この事のために、必要にエネルギーを使っているように思いますが・・・。

あなたは、恋に悩むもの、必死のアスリート、破れはしたが再起をかけて減量するチャンピオンに「なぜ、そこまでこの事にこだわるのですか?
 この事のために、必要にエネルギーを使っているように思いますが・・・。 」
などと言う言葉を投げかけるのですか?一心な者はみなそうです。あなたの言葉は彼等への愚弄にも繋がります。再考してください。

ひとこと。私は心が広くありません。ひやかしや、回答なき質問を続けるなら御遠慮ねがいたい。

お礼日時:2001/04/15 22:16

こんにちは。

私も、いちクリスチャンとして、この議論の輪の中に入らせてもらいたいと思います。
冒頭でも言ったように、私はクリスチャンではありますが、キリスト教の教義や、自分も含めたキリスト教徒の生き方については、完全な信頼を置いてはおりません。歴史的に見ても、キリスト教と権威が結びついて、悲しい事件を起こしたことも多々ありますし、実際教会に通っていて、クリスチャン同士で行われている不毛な権威争いも見てきました。一般の地域社会よりも遥かに、教会の中での人間関係がギスギスしている、というようなケースも少なくありません(勿論そうでないところもあります)。自分がクリスチャンである、と名乗ることによって、そしてただそれだけで、自分が心の美しい、神に許された存在である、と変な自己満足をしている人々も非常に多いのです。
このような経験を得て、数年前に初めて、自分がクリスチャンである、とは一体どういうことなのか、と考え込みました。そのこては、キリスト教に対する懐疑に他なりません。しかし否定するものでないことも確かです。言うなれば、自分なりの宗教的・哲学的考察をキリスト教を参考に考え直してみよう、ということです。何分未熟者ですから、それぞれの考察の過程が十分ではありませんでしょうが、その考察の現時点での結果はこういうことです。
「私は"神"を信じる」――では神とは何なのか
「万全な回答は与え得ないが、この世のあらゆる存在に対する、一種の"働きかけ"なのではないか。そしてそれこそがこの世を司っているのではないか。その意味において、その働きかけは人知を超えている。そしてその存在を信じることこそが、クリスチャンではないのか(回答No.5でyukio-nさんがクリスチャンの定義をしていらっしゃいますが、それはこのことを端的に述べているのではないでしょうか)」――神の存在の保証はあるのか、また、証明しうるのか
「そのような保証や証明する方法などは無い。しかし、そのことをもってキリスト教は非科学的だと断じ、笑う者はその行為を考え直さなければならない。そもそも科学とは、ある命題に対して極めて蓋然性の高い結果を提供する方法論である。従って、キリスト教が非科学的だと言うには、神が存在しないことを証明しなければならない。しかしその神が存在しないことの証明もまた不可能なのである。だから私も信じていられるのだ、というのではないが、神の存在の否定可能性が無いということに、神を信じ得る余地は十分有るのである」
大体、こんなところでしょうか。最後にちょっと強調しておきたいのは、クリスチャンと自分で名乗る人々を、一括りにとらえるのではなく、異なる考えを持つ人間同士だと、捉えるべきだということです。私自身、クリスチャンと名乗っていながら、キリスト教及びクリスチャンを疑っているのですから。
kierkeさん、拙い文章ですいません。また、自分の考えが未熟で、詰めるべき所も沢山あるかと思います。長くなってしまいましてごめんなさい。

この回答への補足

真摯な回答に感謝します。
>端的に述べているのではないでしょうか?
については第一にすべきことですね。そこからが新しくなるのですから。でも新しくされたけれど、古い性質は信じていない人と同じように持ちあわせているから、罪を犯す。けれども、赦されているから。なんて一種の甘えではないでしょうか。
”求道者”という言葉をいろいろな所で、また教会でも聞かれたことはありませんか?そりゃ人間は楽な方へ楽な方へ向かいます。完全に律した生活を送れる人は本当に少ない。それはどんな立場にあっても同じです。失敗も犯します。おそらく誰もが今となっては狂気の沙汰と思うjmkeynseさんが言われる歴史的事実もそう言った中の一つです。あのような狂人達(悔いたか悔いていないかは解りませんが)をも赦される神をjmkeynseさんは天にて狂人達とともに讃美されるでしょう。しかし、狂人達に蹂躙された多くの者はそこにはいない。自分の事のみ考えれば、関係ないことでしょう。自分に語られる事を行えば良いのですから。私もちろんキリスト教的殺人(すでに犯したのと同じと言うあれですね)を犯していますので狂人達と同様でしょう。もちろん蹂躙された人々も同様でしょう。でもこれらを本当に胸をはって同様ですと言えますか?クリスチャンの一部(多くのと書いても、ある方々と書いても前後の回答をみればどう反応が返ってくるか予想できますね?だからあえて一部と言うあいまい表現を使います)は等しく神に立ち返る機会はあったはずだと言い、「同様です。」と堂々言うでしょう。解せないですね。求道するならここにいたくない。jmkeynseさんは疑問を持っていると言われるのでこのへんは少しいじわるでしたね。ごめんなさい。
私も真摯に答えたいと思います。ただ”科学”に対する考え方はjmkeynseさんの例題と同じ意見です。その上で森羅万象の不思議や精密さを科学をもって神を証明しようとしている輩もいることは忘れないで下さい。
私は否定する。創造はされたでしょう。然し今は死んだ。いない。それ故造られたシステムは残っているかも知れない。存在したら私は地獄。しかしこれにかける。それが哲の道です。
神が本当にいなければクリスチャンは100%大嘘つきとなるでしょう。逆にクリスチャンが嘘つきなら神の存在の50~100%は疑われても仕方ないと思います。
ながなが読んで下さっていたら感謝。

補足日時:2001/04/15 21:06
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補足を読みました。



宗教の勧誘は教義を理解してから行って欲しいものですね。

いわゆる伝道活動はキリスト教の歴史と切っても切れないものですが、本来は神父さんや牧師さん並の知識と実績を持った方がするべき事です。
歴史の浅い宗派では知識の浅い信者に伝道活動をさせる傾向があり、これが誤解を生むのでしょう。

どの宗派でも“それなり”に立派な教義を掲げているはずなので「どう考えてもおかしい事」を言っている場合は無視した方が良いでしょう。
私の場合は「貴方は伝導活動をするのはまだ早い。勉強して出なおして来い」とはっきり伝えます。

多分、キリスト教に問題があるのではなく伝導活動を行う個人に問題があるのでしょう(それ以上にその程度の人に伝導させる宗派に問題があるんですが…)。
知識が足りないのか、言葉が足りないのか。

15年ほど前(名前は出せませんが)ある新興宗派の伝導の人を論破したらその人の上が出てきてその人を論破したらその上が…。
結局14時間に渡って5人と話して最後には「頑固やね」といわれたことがあります。
知識ではなく感情で訴えてたんですね。
私程度の未熟者さえ納得させられない責任者を置いている宗派もあるのでやっぱりちゃんとした教会の牧師さんとか神父さん(+近い知識を持っている人)以外は声を掛けて欲しくないです。

駄文が続きましたが最後にもう一言だけ。
宗派自体が「罪はいくら犯しても悔い改めたら救われるからオッケー!」といっているならその宗派は異端です。

この回答への補足

ありがとうございます。でも宗派攻撃は止めて下さい。
別の反応で削除されそう。回答者間の討論禁止と規約に
あってもこういう問題微妙ですから。

私は神を信じていない。彼等がどう思っているのか
知りたいだけですから。

補足日時:2001/04/15 00:46
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この回答へのお礼

ありがとうございます。順番に書きますので又後で
補足入れます。

お礼日時:2001/04/14 23:14

あなたがキリスト信仰に対してどういう思いがあるのかは、知りませんが、


かなり批判的な感じを受けましたので、
なぜそういう思いがあるのか知りたいと正直思いました。(←知ったところで何かできるわけではないかもしれませんが・・・。)

さて、”イエス・キリストが十字架に架かって死に、三日目に復活された。”
この事を信じているのがクリスチャンの定義です。
信じる事によって、今までの罪、これから犯す罪、すべて赦され、天国にいけると、
聖書に書いてあります。


さて、
>本気で今、罪犯してもいいと思ってるんですか。
それは間違いです。しかも、信じたばかりのクリスチャンがそう考えてしまいやすいと思います。

聖書の中のローマ人への手紙でこのように書かれています。
〔それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、わたしたちは罪の中にとどまるべきでしょうか。絶対にそんなことはありません。〕

クリスチャンは、罪赦されたからといって、罪を犯しつづけるのは間違いだといっています。
しかし、人間は罪を犯したいという性質を持っているので、つい罪を犯してしまうわけなのです。
(<私はクリスチャンになってから一度も罪は犯していません>などといったら、
うそつきの偽善者です。)

しかし、その中にも喜びがあるのです。

それは、こんな罪を犯す愚かな者をも愛してくださって、罪赦され天国に行ける!
だから感謝!

この喜びです。

ですから、今、罪犯してもいいと思うのではなく、罪赦されているから感謝と思うのがベストなわけです。
信じていたら、自然と罪を犯さなくなってくるような気もしますが。。。

>あなたたちの大好きな日曜にもね。
あなたは、クリスチャンの行動をある程度知っていますね(笑)?
日曜日には、クリスチャンが集まって日曜礼拝をするのです。
日曜礼拝では、主を賛美し、感謝の祈りをささげます。

下のURLはあくまでも、参考ですが、招き(あなたはこの事をしんじますか~?という事)がありますので、それを布教と思うのでしたら、見ないほうがよろしいかと。。。

”仕方がないから見てやろう”と思うのでしたら見てください(笑)。

参考URL:http://www.f2.dion.ne.jp/~yukio-n/zinonaihon.htm

この回答への補足

ありがとうございます。
ところで、「”仕方がないから見てやろう”と思うので
したら見てください(笑)。」なんてとんでもありませ
ん。真摯に拝見いたしました。証はyukio-nさんのもの
ですか?多分そうかなとは、URLや口調から想像してま
すが違ったらごめんなさい。

また、『誤字、脱字、意味不解などありましたら、一報ください。できる範囲で訂正いたします。』
とありましたので、遠慮なく(ここはホントに良心から)ただ、ページが違う箇所なので良いかどうかとは
思ってるんですが。
つみ~によ~ごれ~♪の字のない絵本。「取税人な名」
でなく「取税人の名」ですね。あとここはと思うのは
最後の<(1)コリント15:3-4>(1)ですね。機種依存
文字といって万人には見えないんです。ここは<第一>と
漢字で書いた方が良いかと思います。
また、「また、聖書の事、神様の事がきになった場合は
気軽に訪れてください。」とありましたね。しっかり観
ました。
yukio-nさんは(笑)などと文字を使われていますので
御希望に答えて言っておきましょう。「仕方がないから見てやった。」
で?満足した?
「(笑)」俗悪ですね。なにが面白いんですか?
行動をしってたら面白いんでしょうか?
個人的には非難します。でもyukio-nさんに会わせ
て矛はおさめます。私は第一テモテに出てくるような
あなたがたの言う腐った知識系の人かも知れませんよ。
「避けなさい」とも聖書は記してますね。ですから
「(笑)」など止めましょうね。(こう書いたら書く人いるんだこれが)
私も下らない話はここで止めておきます。哀れな人だ
と思って以後回答下さらないならそれでも良いですが。

さて本題ですが、他の回答を下さった方への返答を
観ていただければある程度は理解いただけると思います。
そこで回答下さい。yukio-nさんが殺人を犯したとします。もちろん救われてから。手に掛けた人は未信者。
感謝できますか?天国にいけること。敬虔な方々と共に
天にて讃美。恥じ入るとは思えませんか?
>信じていたら、自然と罪を犯さなくなってくるような気もしますが。。。
とは言えませんよね。罪の性質がある限り。ダビデ。姦淫するは殺すは。もし犯したら?
「みことばには力がある」とクリスチャンは言いますが
”それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、わたしたちは罪の中にとどまるべきでしょうか。絶対にそんなことはありません。”これに限り力が無いのでしょうか?こうあっても人は変わらないんでしょ?
また折角の参考URLを下さったので。「創造した」は説明十分してありましたね。では「今も生きている」については?証にもなかったのですが。(別に証を批判しているんじゃないですよ。救いは個対個だそうですね。だから。)
回答待ってます。

補足日時:2001/04/15 00:38
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Q他国への布教はキリストの意思でしょうか?

キリスト教の教会が日本全国にありますが、疑問点があります。

キリストは自分の死後にキリスト教が根付いていない国に出向き、布教もしくは改修させよと弟子達に言い残したりしたのでしょうか?

Aベストアンサー

例えば
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」マタイ28:19-20
のように、布教するように言い残したと伝わっています。

この部分はイエス復活後の部分ですが、生きている間にも、例えばマタイ10章のように布教を指示する場面があります。

Q信仰を布教活動、儀式行事、信徒名簿、礼拝施設にすり替えてしまった文部科学省の罪は途方も無く重い

文部科学省によると宗教および宗教団体とはコレだそうである。
   ↓
宗教団体の要件
○教義をひろめる 宗教なら、当然、教義があるはずです。また、単にあればいい
というのではなく、それを人々にひろめる活動をしていなけれ
ばなりません。
○儀式行事を行う 宗教活動の一環として、日頃から儀式行事が行われていなけれ
ばなりません。
○信者を教化育成
する
教義の宣布によって門信徒の教化が行われ、門徒名簿等も備わ
っていなければなりません。
○礼拝の施設を備
える
邸内施設ではなく、公開性を有する礼拝の施設がなければなり
ません。

http://johobako.hongwanji.or.jp/management/pdf/kanriunyou_02.pdf

本来の信仰は個人的な精神活動であり「布教活動」とは無縁なものです。
また信仰は「儀式行事」でもありません。
また信仰は神についての真理を探求する行いであり、礼拝することではなく、「礼拝施設」など必要ないはずです。
このように「布教活動」、「儀式行事」、「信徒名簿」、「礼拝施設」によって宗教および宗教団体を定めた結果、オウム真理教が出来上がり、宗教法人として堂々と東京都の認定を受けたうえで地下鉄サリン事件を引き起こしました。
本来は純粋であるべき信仰を「布教活動」、「儀式行事」、「信徒名簿」、「礼拝施設」にすり替えてしまった文部科学省と宗教法人法の罪は途方も無く重いのではないでしょうか。

文部科学省によると宗教および宗教団体とはコレだそうである。
   ↓
宗教団体の要件
○教義をひろめる 宗教なら、当然、教義があるはずです。また、単にあればいい
というのではなく、それを人々にひろめる活動をしていなけれ
ばなりません。
○儀式行事を行う 宗教活動の一環として、日頃から儀式行事が行われていなけれ
ばなりません。
○信者を教化育成
する
教義の宣布によって門信徒の教化が行われ、門徒名簿等も備わ
っていなければなりません。
○礼拝の施設を備
える
邸内施設ではなく、公開...続きを読む

Aベストアンサー

オオ、良いことをいいますね。

文科省がそう定めているのは、宗教団体に
法人格を与えて、法律行為などをやりやすく
するため、及び、公益法人とすることによって
儲けた金に税金を掛けないようにするためです。

そういう特典を与えるにふさわしい宗教団体
であるためには、そういう宗教であることが
必要だとしているのです。

このようにきちんと定義しないと、誰でもが
免税団体になりかねません。

勿論、その背後には、宗教団体を大票田としている
政党が存在しているわけです。

つまり、本来の宗教が政治力学によって歪められて
いるのです。

結果、宗教団体も堕落し、葬式仏教になり、
政治結社になったりしている訳です。

宗教団体も、他の団体と同じように、儲けに課税
すれば済むことです。

Q【沈黙】見て キリスト教布教が悪い訳でもないけど やはり 異国の仏教に立ち入る側も 悪い訳で。 そも

【沈黙】見て キリスト教布教が悪い訳でもないけど やはり 異国の仏教に立ち入る側も 悪い訳で。 そもそも キリスト教 仏教 イスラム教 て 何も悪い訳でなく 何が違いますか??

Aベストアンサー

まさしく、どんな宗教も、宗教それ自体が悪いわけではない、と監督は言いたかったそうです。おそらくは原作者の遠藤周作もそれは同じでしょう。

ただ、昔は情報がありませんでしたから、キリスト教国で育った若き宣教師らは、キリスト教こそが人々を救う絶対のものだと信じていたでしょうし、一方で、異国に行ったことがない仏僧は、仏教こそが絶対だと信じていたのだと思います。

それが実は違っているのかもしれないと気づいたときの心の揺れこそが、どんな拷問にも増して身震いするほどのものだったのではないでしょうか。

Q布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないのか

人間の世の中で嫌われるのは、自分の意思を相手に押しつけようとする人です。
小説やドラマ、漫画でも、悪役は、それをしようとするから、嫌われます。
犯罪も、基本的に同じ事で、それが相手の許容範囲を超えるから、犯罪になります。

ところで、宗教団体の布教活動とは、まさに、自分の意思を相手に押しつける活動といって良いでしょう。
活発に布教活動を行う宗教団体とは、悪そのものでは無いでしょうか。

他人を折伏しようとしている宗教者は、自分が悪だという自覚が本当に無いのでしょうか?
例えば、水戸黄門を見ると、悪代官を憎たらしく感じますが、それは、悪代官が自分の意思を相手に無理矢理押しつけようとするからです。
布教活動をしている人でも、水戸黄門を見ると悪代官を憎むと思います。(たぶん)
それなのに、自分が本質的に悪代官と同じ事をしているという事に、どうして気付けないのでしょうか。

それが不思議でなりません。

無理に勢力拡大を図る宗教団体を、悪の団体として、法律で取り締まるように出来ないのでしょうか。
信教の自由といいますが、そんな宗教団体は逆に、他人の信教の自由を著しく損ねているとしか思えません。

布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?

ショッカーは、世界征服を企む悪の秘密結社である。
オウムは、マジで日本征服を企んだため、悪の烙印を押された。
ほかにも日本征服を企む宗教団体がいくつかあるようですね。

人間の世の中で嫌われるのは、自分の意思を相手に押しつけようとする人です。
小説やドラマ、漫画でも、悪役は、それをしようとするから、嫌われます。
犯罪も、基本的に同じ事で、それが相手の許容範囲を超えるから、犯罪になります。

ところで、宗教団体の布教活動とは、まさに、自分の意思を相手に押しつける活動といって良いでしょう。
活発に布教活動を行う宗教団体とは、悪そのものでは無いでしょうか。

他人を折伏しようとしている宗教者は、自分が悪だという自覚が本当に無いのでしょうか?
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Aベストアンサー

『布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?』というご質問ですが、必ずしもそうではない と思います。その宗教を正しいと確信し、人のためになると考えた人は他者のために布教すると思います。布教活動のなかでは 大なり小なり迷惑を他者にかけているわけですから そこでは議論なり喧嘩なり 緊張関係が生じると思います。ですから そのような接触を好まない人のため 布教ルール(法律など)は必要と思います。が

大きな問題は布教活動よりも その宗教団体がどのような目的でどのような活動をしその活動をどのように修正しているか を何時でもどこででも誰でも理解でき、容易に観ることが出来るかということです。その上でその宗教が信じ得るかどうか判断したらいいかとおもうのです。

日本の多くの宗教法人の場合、宗教活動収入に対する納税が免除されており その金の動き 活動内容が開示されていません。そのような法人の教えを信じろといっても相当無理があるとおもいます。

また、特に排他的宗教団体の中心部分は狂信的であり よくよく監視出来るシステムになっていないとオームのような殺人集団になるということでしょう。

要は わけがわからん団体の布教活動は×ですが 理解できる団体の布教活動はルールは必要ですが OKではないかと思うのです。もちろんその教えを信じるかどうかは よくよく考えた上で決断するべきですが。

『布教活動をする宗教団体とは、悪そのものではないですか?』というご質問ですが、必ずしもそうではない と思います。その宗教を正しいと確信し、人のためになると考えた人は他者のために布教すると思います。布教活動のなかでは 大なり小なり迷惑を他者にかけているわけですから そこでは議論なり喧嘩なり 緊張関係が生じると思います。ですから そのような接触を好まない人のため 布教ルール(法律など)は必要と思います。が

大きな問題は布教活動よりも その宗教団体がどのような目的でどのような活...続きを読む

Q仏教と他教(キリスト教など)との布教の違い

私は仏教徒の家に育ちましたが、
仏教が本当に最高の教えなのか疑問を持ち、
自分の意志で自分に最もふさわしい信仰を選び取りたいと考えています。

さまざまな信仰者、また宗教にお詳しい方のお話を伺いたいです。

一つ、問題提起をさせていただきたい。

私は仏教の特徴として、
イスラム教やキリスト教などの他宗に比べて、
仏法は「比較的」平和裏に布教されたと教えられました。

それは歴史的に見て、事実なのでしょうか。

仏教の布教のあり方が比較的平和裏だとの論拠としての具体例、
もしくは反証としての具体例をうかがいたいです。

ここで言う平和裏とは、武力、権力、経済力などの
ハードパワーをさし、
対極としての平和裏とは対話、改宗者の精神的自発性を
さすものとします。

仏教徒以外の方からのご意見も大歓迎。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

私は家は仏教でしたが、就学前からキリスト教の環境で育ちました。
中学で洗礼を受け、聖書研究部に属していましたが次第に疑問を持ち、自分ながらの信仰を見つけようとしています。
仏教に関しては特に習ったわけではありませんが、数少ない勉強の中で「カースト制度に疑問を持った事から始まった」と習いました。
仏教はたまたま世界進出に躍起だった国の宗教でなかったことから歴史的にもあまり好戦的でない思想に止まっているだけだと思います。
インド周辺ではどうだったか判りません。
でも、日本に渡ってからは神道派との確執、一向一揆など政治と絡んだ争いは無いわけではありません。

でもその宗教でも、そんな「宗教を利用した政治」を考えていたら、その宗教の真の主旨を知る事は出来ません。あくまでも真の主旨を考えてから、それを利しようとする考え方を否定するべきだと考えています。
そして、真の教えを研究すれば、どの宗教も行き着くところは一つだとも思っています。


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