この世界はこれからどうなっていくのでしょうか
コンピューターが日常にかなり入ってきているこの頃
そんな事をよく考えてしまいます。

あなたが考える「IT技術がもたらす世界の素晴らしさ」を教えてください。又は
「ITなんかじゃ、この世は幸せにはならん!このようにすれば、このように変えれば世界は素晴らしくなるんじゃい」
っと言うような革命的な意見も募集します 絵空事でもOKです

思想という物を実体化したときに世の中はこんなに変わるんじゃ
というものを私に見せつけて下さい。。よろしくお願いします

A 回答 (5件)

ITって言ったって所詮虚の世界だろ?



虚が現実世界に影響を与えるには
虚空におこる蝶の羽ばたきよって起こる風というのがある
この不確定性の時代には特に有効とか.

鎖国よりはずっと可能性がありそうだね.
いくら発想に乏しいからってこんなところで募集会.
    • good
    • 0

むかしのアニメで、人造人間キャシャ―ンってあったのしってますか?


ロボットが人間社会をのっとっちゃうお話。鉄腕アトムなんかもアニメのタッチが柔らかいから深刻に考えずに見れてしまうのかもしれない。コンピュ-タ-が、一般家庭にこんなにも普及する前からあったことにちょっと作者の偉大さに驚かされます。絵空事に思えることでも時間の経過で現実になる。いい面もあるだろうけど、逆に機械技術の進歩に力を注ぎすぎることで、なんでもかんでも機械にたよってしまいそう。もうすでに依存しているよね?パソコンより手軽で安価の携帯電話の普及みただけでも驚いちゃう。携帯電話持ってるのがあたりまえになってきたよね?いまどき携帯電話持っていないと持っていないほうが『何で?』と不信がられる。持ってないことはいけないことなのかなぁ~と、逆に思わせる空気があったりするよ。パソコンの設定でもテレビの設定でも機械って取扱説明書をよく読んで書かれてある通りに進めていけば、間違いなく設定ができる。こう機械に依存しつつある環境にもっと人がおかれていくと、そのうち人も多様な考えができなくなるんじゃないのかな?・・・・・・その先にあるもの破壊・・・・戦争・・・・人造人間キャシャ―ンの世界もまんざら絵空事ではないような気がする。やだ、やだ、
    • good
    • 0

IT がもたらす世界の素晴らしさ・・・・。



直接民主制 on the internet。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

森さん考えもしてないでしょうね。。

お礼日時:2001/04/15 00:39

ITは世界を幸せにはしない。

と思います。
その一番の懸念は、経済のグローバル化でしょう。ITを含む情報化社会も、そのグローバリズムの一環です。

そうしたITがもたらす直近の弊害は、「情報格差」です。
日本の誇るべき森喜朗が、ある国際会議でこの情報格差の是正に対し素晴らしい提言をしました。
「アフリカやアジアの最貧国では、ITの恩恵にあずかれない。ならば、i-modeを用いて、そうした人びとに携帯電話を渡せば解決する」

経済のグローバル化を推し進める先進国の発想も、モリ君のそれとあまり変わりません。なぜなら、市場経済の効率化は、すでに南米を麻薬漬けにし、東南アジアの自給自足体制を崩壊させ、結果として地球上の全人口の1/3が一日1ドル以下の生活を強いられ、世界の富の90%をわずか0.5%の人間が占有するという状況を招いています。

ITは、そうした貧富の二極化を打破するという期待も寄せられていましたが、i-modeを頼りにしている時点でほぼ無理な話なのでしょう。

先のタリバーンの仏像破壊も、裏ではアメリカ主導の市場経済押し付けにより、飢餓と貧困でにっちもさっちもいかなくなったが為の暴挙であるとは、CNNもル・モンドも伝えません。

IMFが、WTOが、どんな悪行を繰り広げてきたか、知らないうちは、ITに踊らされているのも又、一興でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ITの様に日常に入りこんで影響の強いもの
IT以外でそんなものを新しく作るのって。。。無理かな

様に日常生活に入りこんで、意識されなくなってき
ているレベルにまでなってる物。
こりゃ避けられないものかもしれませんね。。

お礼日時:2001/04/15 00:17

はじめまして。



うーん。これはよい問いだと思います。
夢のインターネット時代の幕開けなんだそうですな。

{画期的なインタラクティビティがもたらす相互理解。
地球規模でのインターネット化により、情報が万人に平等に開かれ、受け手が即送り手となることが可能な社会。
この二つがもたらす恩恵は例えば家庭においては買い物や娯楽、様様なサービスの享受、企業にとってはこれで他でもないビジネスチャンス。
多量で多種な情報を、個人のレベルで相互に交換しあうことで全体が大きく発展してゆく。我々の社会、人類の未来には途方もない可能性が開かれる・・・}

こんなところでしょう。とあるセミナーで興奮気味のおっさん(結構エライヒト)が叫んでいました。

現実は・・・
中高年管理職に対する過酷なリストラハラスメント。
会社に限った話じゃない。情報のグローバル化で情報を持てる者、持たざる者との格差が消失してしまったため能動的に情報に関わり生かしていく姿勢でなければ競争に生き残れない。

聞いた話と見た世界じゃこんなに差がある。明るい未来といっておきながらなんだかあんまり夢でも明るくもないみたいだよ。みんな殺気だっていよいよ大慌てって感じだね。

僕もpigさんと同じく誰かに答えてもらいたいな。
なぜ情報がそんなに大事かな?
みんな何の為に何してるのかな?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

未来はSFでありがちな情報に踊らされる人の群れって感じなんですかね
未来はいつでも何処でも携帯で映画とか見れたりとコンテンツまみれ
の薔薇色(?)の生活。。。?

インタラクティビティってのも曲者だと思うんです。。
インタラクティブアートと言われる物のほとんどは主観を排除してるし
後、インタラクティブって責任という視点から見たら、かなり曖昧な気が
これからロボット増えるでしょうけど。。自立型ロボの責任って
誰が取るんでしょ?

!あっ。。お礼の欄だった。。すいません回答ありがとうございます
未来って明るくなりそぅ。。。。..

お礼日時:2001/04/15 00:35

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q老荘思想とはどんな思想ですか

老荘思想とはどんな思想ですか

バカでもわかるようにやわらかくお教えください。
例え話なんかも助かります。

Aベストアンサー

老荘思想とは、老子や荘子という人物によって創始された思想です。老子と荘子は別に知り合いでも何でもありませんが、考え方がほぼ同じなので両者の思想をひとまとめにして老荘思想と呼ばれています。蛇足ですが、荘子とされる人物は複数(少なくとも3人)おり、老子も含めそれぞれ生まれた時代が異なります。

孔子の儒教が「人はこう生きねばならぬ」「物事はこうでなくてはならぬ」というガチガチに固められた道徳体系であるのに対し、老荘思想は「物事の善し悪しなんて考え方次第なんだから、気楽にあるがままでいいんだよ」という自由奔放さが特徴です。

自然を崇拝し、無私無我を理想とし、自然にあるがままにいるのを善しとします。
世の中に絶対的なものや、絶対的な価値観など存在せず、すべては相対的であると考えます。

たとえば・・・
・長生きすることは良いことだとされていますが、長生きするということはそれだけたくさんつらい思いや恥ずかしい思いをすることでもあるので、必ずしも良いというわけではない。
・ある人が60歳で死んでしまったとする。60年という寿命は春に生まれ秋に死んでしまう虫に比べればとても長いが、800年生きた仙人から比べればとても短い。その仙人の寿命だって、1万年生きる亀に比べればとても短い。長い短いなんて何と比べるかによって変わるもので、長い短いを決める絶対的な尺度なんかない。
・美人は多くの人に好かれるので良いとされる。でも、美人は悪党にも好かれてしまうし、妬みを買うこともある。神様への生贄にされたり暴君へ献上されたりすることもある。美人であるということが良いこととは限らない。
・大きいけど脆いヒョウタンがあった。大きいからたくさん水が入るが、脆いのでたくさん水を入れると自重で割れてしまう。なので水を入れるためのヒョウタンなのに使い物にならないと捨てられた。でも、そんなヒョウタンでもたくさん集めてつなげて水に浮かせば筏の材料になる。役に立つ立たない、有用か無用かは使い方次第だ。
・仁や義は美徳とされているけど、ヤクザも仁義を大事にしている。戦争になれば仁や義を名分に虐殺が行われたりする。世の中の悪行の多くが仁義を名分に行われていることを考えると、仁や義も絶対的に良いものというわけではない。
・あるところに染物を生業にしている一族がいた。一族は染めた布を冷たい川の水に晒しているので、アカギレやシモヤケの薬を愛用していた。一族の一人は領主である武将に献上し、武将はその薬を大量生産して兵に配った。おかげで武将の軍勢は冬の寒さにも耐えて敵を圧倒し、勝利することができた。薬を献上したものは褒美をもらって豊かになったが、ほかの一族はそれまでどおりの生活を続けた。同じ薬でも使い方次第で成功することもできる。
・知識人は知識をたくさんため込むけど、その知識の多さゆえに常識にとらわれて何もできなくなってしまう。知識は大事だけど知識に閉じこもるのではなく、知識を超えなければ意味はない。
・本には知識がたくさん詰め込んである。でも何かをするコツとか経験とか、文字にできないものこそ本当に大事なのであって、どれだけ文章を読んでも言外の知を読み取れなければ結局何も学べない。だが、知識人は本をたくさん読んで知識をたくさんもって、何もできないのに知った風な気分になって尊大な態度をとる。読書人の読書知らず・・・

老荘思想とは、老子や荘子という人物によって創始された思想です。老子と荘子は別に知り合いでも何でもありませんが、考え方がほぼ同じなので両者の思想をひとまとめにして老荘思想と呼ばれています。蛇足ですが、荘子とされる人物は複数(少なくとも3人)おり、老子も含めそれぞれ生まれた時代が異なります。

孔子の儒教が「人はこう生きねばならぬ」「物事はこうでなくてはならぬ」というガチガチに固められた道徳体系であるのに対し、老荘思想は「物事の善し悪しなんて考え方次第なんだから、気楽にあるがまま...続きを読む

Q空海の思想は、梵我一如思想と一線を画していたのでしょうか

私は秋月龍珉氏の「誤解された仏教」を先日読了しました。
その中に
「空海の思想は釈迦の縁起、無我思想にまだ近かったが、以後の真言宗の思想家はみな梵我一如思想に接近してしまった。」
とありました。
空海自身の思想は、梵我一如思想から一線を画していたとは、どういうことでしょうか?私は空海思想がよくわらないので、どなたか教えていただけないでしょうか。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

このご質問に正確にお答えできるのは、仏教思想の専門の方がふさわしいように思います。
素人の私の感想になりますが・・・

mmkyさんが簡潔におっしゃられているように、空海という人物は桁外れの天才だったのでしょう。
最澄という学問肌の天才とはまた違って、実修を重んじ、実証さえ示す事のできた稀有の天才だったようです。

仏教思想の極至とも言われるその教えが、広く一般に受け入れられてこなかったのには、事相とも言われる実修面での複雑さが影響しているように思われます。
また、教相とも言われる教理面においても、あくまで実修を通してのみ確かな理解が可能のようにも思えます。
一般人が近ずけるのは、実証であるところの現世利益の面に限られてきてしまったように思えます。
学者からの目においても、遠巻きに論じられてきた感があります。
>空海の思想・・・云々・・・と言っても、果たしてそれが正鵠を射たものなのかどうか、疑問があります。
遠巻きの論評を参考にして、空海の思想の本質を探る事には無理があるのではないでしょうか(失礼ながら・・・)

少し大げさな表現かもしれませんが・・・
釈迦と空海は仏教史においての超弩級的な存在のようにも思えます。
空海の般若心経秘鍵に書かれていますが
釈迦が祇園精舎において、天人や菩薩に対して般若菩薩の印、真言、曼荼羅の法を説いたとあります。
これは釈迦が在世中に、既に密教の法を説いたという事にもなってしまいます。
この表現に対して仏教学者は一言も解釈をしていません。
解釈のしようが無いのでしょう、下手な解釈を下せば仏教思想の上で大変な事になってしまうからです。
空海が釈迦に等しい境地を得たことを現したもののようには思いますが
言い切ったところが凄いと思います。

この事一つをとってみても、空海の思想というものは
論評するのは自由だとしても、確かな解釈を下しずらいものだと思います。
しかし、その思想の本質の核そのものについては、一般人でも受け入れられる面があるようにも思えます。

加とは如来の大悲をいう
持とは衆生の信心をいう

空海の教えはこの言葉に尽きているとも言われます。
如来の大慈悲心を信じるという事ならば、我々一般人でも受け入れ易い教えになります。
加持というものを、ある方はこのように分かり易く言われたのを覚えています。
・・・真心で祈る・・・と
仏の大慈悲心を信じて、純粋な気持ちで祈るという事なのでしょう。

学ぶだけではなくて、祈る、というところに空海、お大師様の教えの本領があると思います。
そのあたりの事を念頭において学ばれる事をお勧めいたします。
ご参考になれば幸いです。

このご質問に正確にお答えできるのは、仏教思想の専門の方がふさわしいように思います。
素人の私の感想になりますが・・・

mmkyさんが簡潔におっしゃられているように、空海という人物は桁外れの天才だったのでしょう。
最澄という学問肌の天才とはまた違って、実修を重んじ、実証さえ示す事のできた稀有の天才だったようです。

仏教思想の極至とも言われるその教えが、広く一般に受け入れられてこなかったのには、事相とも言われる実修面での複雑さが影響しているように思われます。
また、教相とも言...続きを読む

Q思想としてのゴロツキやチンピラがのさばるのは ふつうにまともな人が亜流の思想を追い求めるからでは?

1. 思想としてのゴロツキやチンピラがのさばるのは ふつうにまともな人たちが 一般に
亜流の思想を追い求めているからではないか?

 2. ゴロツキ等というのは 経験合理性にもとづいてものごとの認識や判断をみちびくこと
をしないその状態を言います。

 3. 亜流の思想というのは そのままでもありますが 特には 個人の信仰がクリスチアニ
ズムという宗教となった思潮を言います。

 4. あるいはまた そもそもブディズムは無神論としての信仰であるはずなのにこれをああ
たらこうたらいじくりまわしたその結果としての思潮を言います。

 5. クリスチアニズム一般は 非思考の場としての個人の信仰が 教義を信じるという矛盾
をかかえた組織宗教となった場合であり あるいは単に道徳規範としてしまいこれを抱き続ける
ということに変身した場合を言います。

 6. 教義は 思考するものであり 信じるものではありません。倫理規範も考えるものであ
り 信じるものではなく その実践ということもそれだけでは 信仰そのものとは直截の関係が
なくなっています。

 6-1. 神の言葉が街を歩いているとか その言葉に逆らった思想がやはり街にのさばって
いるとかとは 直截に判定することは無理です。後者であってもそれは 人間の下す判断である
に過ぎず 神の言葉とまるまる関係しているとは見ないはずです。

 7. ブディズムについては ひとつだけその亜流の特徴を挙げれば:
 さとりが いま・ここなるわたしを離れたところにあると思っていることです。
 
 8. このへだたり・この時間差が 亜流であり チンピラの振る舞いと何ら変わらないと見
なされることになります。少しづつだんだんさとりに近づくというのなら ゴロツキの成仏と変
わらないということになるからです。

 ご見解ご批判をお寄せください。

1. 思想としてのゴロツキやチンピラがのさばるのは ふつうにまともな人たちが 一般に
亜流の思想を追い求めているからではないか?

 2. ゴロツキ等というのは 経験合理性にもとづいてものごとの認識や判断をみちびくこと
をしないその状態を言います。

 3. 亜流の思想というのは そのままでもありますが 特には 個人の信仰がクリスチアニ
ズムという宗教となった思潮を言います。

 4. あるいはまた そもそもブディズムは無神論としての信仰であるはずなのにこれをああ
たらこ...続きを読む

Aベストアンサー

No.3です。
「21.そうですか。それは ちょっと困りました」
→大丈夫ですよ。
その程度なら、あまり大きな弊害は生みません。
「22.ほんとうに《すくわれる》のですか? 一時的ではないですか?」
→それで救われている人がいるのも事実です。
私の家は代々浄土真宗、学校はプロテスタント、現在は地元神社の総代をしています。
神社への祈願は神様に救いのお願いをするのではなく、今困難に立ち向かっている自分を元気付け、心を落ち着かせるためだといい伝える活動をしています。

Q最近僕は神なんじゃないかと思うんですがここで言う神ってのは世界の中心とかそういう感じのやつです まぁ

最近僕は神なんじゃないかと思うんですがここで言う神ってのは世界の中心とかそういう感じのやつです
まぁ世界の核ですね俺中心に世界は回ってる的な

中学2年生のときの現代文の最初のページに
夕焼けの色は見る生物によって変わる。生物が死滅したら夕焼けの色も死滅する
とかそんなようなことが書いてありました

僕は思いました
じゃあこの世界を観測する人が死滅すればこの世界もまた死滅する、と
つまり自分が死んでしまったらこの世界は死滅する、と

お前が死んでも別の人間が観測するだろあほと言われるかもしれませんが
僕は観測者というのは自身しかいないと思っています
もしどっかの知らないおっさんが何かを観測したところでそのおっさんの
話を聞かなければ(自身が観測しなければ)それは僕にとって観測されてない
と言えませんか
自分以外の観測者というのは結局自分にとっての観測対象または経由点であり
やはり観測者は自分しかいないと

僕は本当に神なんでしょうか?

Aベストアンサー

世界一の天才、という人に聞いてみて下さい。

Q【哲学】世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界が存在している。自分が死んだ時点で世界が終

【哲学】世界の中に自分がいるのではなく、自分の中に世界が存在している。

自分が死んだ時点で世界が終わる。

世界は己自身の中にあり、世界は内と外に存在する。

これらの言葉の解釈を発見した者は死を経験しないだろう

やっと気付いた「自分が世界に存在する」ではなく「世界の正体が自分」な件
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4900063.html

どう思いますか?

Aベストアンサー

自分が死んだ時点で世界が終わる。

この考えだと死を悟った者の中に不届き者がいて、運悪く核兵器のボタンを握っていたとしたら他の皆も運命共同体であの世行き。

それに近い人は過去に居たはずですが、今のところそこまでの愚か者は居ない。死ぬ間際は案外「自分が世界に存在する」に寄って亡くなる方が多いと考えます。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報