生きるとは何か? 何を目的に生きているのか?
お腹がすくから、ご飯を食べます。ご飯を食べるために、働きます。
こういうコトはわかります。
自分が今、存在している原因は、父母がいるから。こういうコトもわかります。

自分の遺伝子を残すために恋いをして子供を作ることが、生きる主たる目的だと自分なりに結論を出しました、が、・・・
遺伝子を残すために生きているのだとしたら、遺伝子の伝達が完了した後(子供が無事成人した後)の、存在理由は?
人より感情が少なく、子供にもあまり興味がない人(私)の存在理由は何なんでしょう。
あなたは今、何を目的に生きているのか?もし良ければ教えてください。

別に、自殺を考えているわけではありません。
参考: http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=16986

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (29件中1~10件)

夢をかなえるためですね べたですが

    • good
    • 0

人間に存在理由も目的もありません。


欲望の充足のために生まれたのです。その欲望とは『貪瞋癡』です。

貪 =欲望(性欲・物欲・金銭欲・自己顕示欲)
瞋 =怒り・恨み・嫉妬・不満など
癡 =無知(空を知らない・十二因縁を知らない)

これらの欲望のため、色々な苦しみや寿命の短いこの人間世界に生まれたのです。仏陀やイエスキリストは、死後は再びこの世界に生まれないように、欲望を滅する修行をして行きなさいといいます。

仏教では『十不善業』の滅尽です。
**********************************************
■十不善業
1.殺生=昆虫から人に至るまで、殺さないこと。
2.盗偸=盗まないこと。人から与えられないものを取らないこと(不与取)
3.邪淫=女を犯さないこと。不倫をしないこと。
4.妄語=嘘を言わないこと。
5.両舌=相対する人によって違うことを言わないこと。
6.悪口=人の悪口を言わないこと。汚い言葉を使わないこと。
7.綺語=意味のない言葉やふさわしくない言葉を言わないこと。
8.貪欲=情欲・物欲・金銭欲などの欲望を持たないこと。
9.瞋恚=怒り・恨み・憎しみ・嫉妬などを起こさないこと。
10.邪見=この世を実在と見る一般的なものの見方。この世を幻と観る者の見方を正見という。
(阿含経より)  
**********************************************

キリスト教では次の戒めです。
**************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
**************************************

これらの戒めを守ることによって、再びこの世に生まれることなく永遠の命である天界に生まれることが出来るのです。
    • good
    • 0

存在理由という言葉には二つの別の意味があると思います。

一つは自分が存在する基盤です。もう一つは自分の目的です。自分が存在するということは両親が存在している(いた)ということと自分には何ができるかということだと思います。後者は前者と違って簡単ではありません。普通は親と同じことをすることで後者を前者と同一のものにしているのではないでしょうか。人の親になることで貴方の存在理由は完成されているのではないでしょうか。
    • good
    • 0

存在理由の故事付けこそが、全人類の存在目的です。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう!
(*^_^*)

お礼日時:2011/02/19 11:33

何を目的に生きているか.



保留になっていたものを進めるため.
    • good
    • 0

同じ小学校5年生のとき


先生にクラスの全員に質問した.

一番偉い人になれるととしたらなんになりたい?

その結果についてはそれぞれには聞かなかったが
それぞれが何かを思ったのだろうな.

最近そのことを思い出す.
運命はある時期自分が決めているのかも知れない.と
運命というものに気が付くまで生きているかいないかの運不運は別にして.
    • good
    • 0

小学校の5年生のとき


知能テストで迷路で時間内に何処まで進めるかというのがあった.
僕は暫く出発点からそのままに鉛筆を進めていったのだけれど,迷路は逆進の方が早いというのを思い出して,いきなりここまではいけそうだというところまで飛んで逆進した.
途中,さっきの繋がる所までいかなければ全ては水の泡になると思いながら.
結果は無事繋がって,再度逆進開始地点まで戻って,その後は以外にまだ時間はあったなと思いながらも,そのまま鉛筆を進めた.
逆進のときの必死さとは別に,残った時間.余生のようなものに感じた.

今僕は余生のための準備をしているとも思える.
それが平穏なものになるか
波乱に満ちたものになるかは今のところ解らない.
今僕が選ぼうとする道は二つある.
舞台や形態は違っても道は同じものを目指している.
    • good
    • 0

理由というのは、考えるものだから、存在を前提としているでしょ。

だから、存在理由というのは矛盾した言葉だと思います。
    • good
    • 0

実は人間の存在理由はあります。

それは自分自身にあるのではなくて両親にあるのです。あなたの御両親はあなたに生まれてきて欲しかったのではないのでしょうか。そこにはあなたの御両親のあなたに対する精一杯の愛情があると思います。自信はありません。
しかし生きる目的となるともっと難しいですね。URLを参考にして下さい。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=47318
    • good
    • 0

>自分が今、存在している原因は、父母がいるから。


>自分の遺伝子を残すために~
というのは、どちらかといえばフィジカルな存在理由ですよね。
>あなたは今、何を目的に生きているのか?
というのは、どちらかといえばメタ・フィジカルな存在理由を問うものですよね。

ご質問の主旨はメタ・フィジカル(形而上学)な存在理由を問うものだと判断します。

多くの方がすでに回答されているように
私も存在そのものに(原因はあっても)理由(もしくは根拠)はないと思います。
存在は存在として、まず在るのだと思います。
そのとき、肉体は本能的に、遺伝子プログラム的に
存在を維持しようとすると思います。
その過程において、(少なくとも)人は心を育んで行くものだと思います。
肉体は実存的に無目的に存在していくのに対して
心は必ずしも無目的でいられないから
ついつい理由を求めてしまうのではないでしょうか?
このとき理由は、本人がその時々に応じて納得できものであれば
何でもいいのではないでしょうか?
少なくとも「自分はなぜ生きているのか」その答えの
解明を人生の目的とすれば
生きていくモチベーションとしては長持ちしますよね。
理由は何でもいい、というと道徳や倫理の問題が絡んできそうですが
それはまた別次元の問題だと思います。
少なくとも「人は●●のために生きている/生かされている」といった
目的論や運命論的な考え方には、私は反対です。

で、私は今、何を目的に生きているか?
別にありません。
まだ死にたくないから生きています。
死んでしまうより、生き続けている方が
楽しそうだな、ぐらいの気持ちが本音かしら。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q手作りマヨネーズがバター状になってしまう理由を教えてください。

手作りマヨネーズがバター状になってしまう理由を教えてください。

材料は、塩 卵黄 を先に混ぜ合わせ、その後酢を入れ混ぜる
そしてその後油を数滴ずついれて混ぜていく。(手混ぜてで作っています)
方法です。

しかし、乳化するのですが、バター状になってしまうのです。

油の中に水が入る乳化の状態になっているような感じです。


どうしてそうなるのか教えてください。

また、手作りの場合、こうならないようにするにはどうするかを教えてください。

Aベストアンサー

マヨネーズがバター場になるのは、乳化の相転移現象によるものです。そしてその原因は油の加え過ぎと撹拌不足です。

「水と油の様に」と言う様に、水と油は溶け合いません。この溶け合わない水と油を混ぜ合わせる事を乳化と言います。水か油かのどちらかが他方の中に微細な粒になって浮いている状態が乳化です。
マヨネーズは水相の中に油相が浮いている水中油型の乳化、バターは油相の中に水相が浮いている油中水型の乳化です。

マヨネーズは、水相(実際には卵と食酢)の中に油相が浮いているにも拘わらず、油の方が量が多い特殊な状態です。その状態によってあの硬さを出しています。しかし油相が多いので極めて不安定で、条件が悪いと分散させたはずの油相がつながってしまって、その中に水相が分散するバターと同じ油中水型に相変化してしまいます。これが御質問の現象です。

これを防ぐために、水相である卵と食酢を良く混合し、ここに油を少しずつ加えながら強撹拌を行います。これがポイントです。もし撹拌が弱く、撹拌に見合わない速度で油を加えると、大きな油の粒の周りに分散していた油が集まって来て油の相が反転し、一気に相転移が発生してしまいます。
もちろん油の入れ過ぎは決定的に相転移を起こします。

ご家庭での撹拌機はせいぜい泡立て器程度ですから、強い撹拌力は出せません。おそらく油の粒子の大きさは数十μm程度だと思います。市販のマヨネーズは極めて強い力が出せるマヨネーズ専用の特殊な乳化機を使って、油の粒子が1μm程度の大きさまで均一に細かくして、安定な状態にしています。
ですから過程で作ったマヨネーズは物理的な意味での保存性がありません。保存中に相転移を起こし易いです。

相転移してしまったマヨネーズを通常の状態に戻す事はとても難しいでしょう。もし直すには一度卵と酸を混ぜたものを多量に(おそらく今の量の2倍以上)加えて強く撹拌して再度水中油型に転移させた後、もう一度油をやはり最初の2倍程度弱の量をゆっくりと加えて行くしかありません。

マヨネーズがバター場になるのは、乳化の相転移現象によるものです。そしてその原因は油の加え過ぎと撹拌不足です。

「水と油の様に」と言う様に、水と油は溶け合いません。この溶け合わない水と油を混ぜ合わせる事を乳化と言います。水か油かのどちらかが他方の中に微細な粒になって浮いている状態が乳化です。
マヨネーズは水相の中に油相が浮いている水中油型の乳化、バターは油相の中に水相が浮いている油中水型の乳化です。

マヨネーズは、水相(実際には卵と食酢)の中に油相が浮いているにも拘わらず、油の...続きを読む

Q【あなたは何を目的に生きて、何を目的に死までの道を突き進んでいますか?】目的もなしに生きて、目的もな

【あなたは何を目的に生きて、何を目的に死までの道を突き進んでいますか?】目的もなしに生きて、目的もなしに死んでいくつもりですか?

それとももうちゃんと目的を持って日々を生きて、死へのゴールまでの目的設定を作っていますか?

Aベストアンサー

かつて、神様が幅をきかせていた時代には、
人間にはそんな悩みはありませんでした。

神様の言う通りに生きていれば、良かったからです。

しかし、神が死んだ現在、生きる目的云々は
人間が決めてよいことになりました。

目的など無くてもよい、あってもよい、欲しければ
自分で創ればよい、となりました。

目的などあろうが無かろうが、人間は死ぬのです。

何の意味があるというのでしょうか。

そこにあるのは、自己満足だけです。

Q【化学】マヨネーズはカロリーハーフマヨネーズより普通のマヨネーズの方が身体に良いってどういうことです

【化学】マヨネーズはカロリーハーフマヨネーズより普通のマヨネーズの方が身体に良いってどういうことですか?


カロリーハーフマヨネーズは糖質が加えられているので普通のノーマルマヨネーズより健康に良くないと言う。

カロリーハーフの方が体に悪いって信じられないんですが標準マヨネーズの方の方が糖質多いのでは?

どういうことですか?

Aベストアンサー

マヨネーズの味(普通のマヨネーズ)に近づけるため 糖質由来の乳化剤やその他にも化学物質で味を調える
何も添加しない物とはやはり危険性が増える
体に良くないでなく 危険性が増えると考えるベキ
ドレッシングもノンオイルドレッシングそう
添加が多く含まれる食品は注意が必要。

カロリーが高いだけで 健康に悪いのでは無く 自分の食生活で摂取量を加減すれば良いだけで
それを添加剤で補うのが 危険デス
脂質・糖質は三大栄養素デス。

Q存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛 分かる人?

存在が目的、存在が価値、存在が意味であり、存在が正義、存在を求めることが愛

この意味が分かる人居ますか?腕に覚える人は見抜いて下さい。

端的に書き表してください。

Aベストアンサー

私が何に悩んでいたかが分かりました。

この「存在性理論」は、「空間」というものがすでに
あるものということだけでなく、「存在」というもの
もすでにあるものという前提での理論であると思いま
した。

それならば、例えば「人間」という存在に「物質」面
と「精神」面が備わっているということや、子供が生
まれることも、進化してゆくことも、この理論で説明
できそうです。
唯物論と唯心論をまとめる、新しい理論であるとおっ
しゃることも分からないではないです。

しかし、私が悩んだのは、№12で申し上げた、宇宙の
元初の状態から「存在」が生じるということについて
は、この理論では説明できないだろうということでし
た。
その部分は「真理」ということで「未知」ということ
でよろしいのですね?
尤もこれが分かったら、えらいことですが‥‥

Qマヨネーズが濃いという言い方

ポテトサラダなどで、マヨネーズの量をたくさん入れたものを、僕はマヨネーズが濃い、マヨネーズが効いてるなどの言葉を使っています。

逆にマヨネーズの量をあまり入れないポテトサラダなどを、マヨネーズが薄い。などと言います。「ポテトサラダ作るなら、あんまりマヨネーズ入れないでね。やマヨネーズ薄めにね。」など。

ここで質問なのですが、僕の言葉使い、別に変じゃないですよね。

この間、知り合い(男)が、コーンマヨネーズパン?を食べてるときに、マヨネーズ濃い?と聞いたところ、えっ?みたいな感じをされて不愉快だったので、質問させていただきました。元々神経質なので、気にしなくていいことを気にしてしまうので…

治したいんですが、なかなか…

話が若干逸れてしまいましたが、回答よろしくお願いします!

Aベストアンサー

 個人的な受け取り方でよろしいでしょうか。

>マヨネーズが濃い

 マヨネーズ自体の味が濃いかどうか訊かれているように受け取ります。具体的には、全卵を使ったマヨネーズ(海外に多い)は薄いし、国内のほとんどのマヨネーズは卵黄を使っており、味が濃いです。

 また、カロリーを控えた物は、おおむねマヨネーズとしては、味が薄いように感じます。

>マヨネーズが効いてる

 使われているマヨネーズの量が多いとい受け取りますが、「濃さ」との兼ね合いにもなります。「薄い」マヨネーズを多めに使うより、「濃い」マヨネーズを少な目に使ったほうが「効く」ことがあります。

 マヨネーズが「濃い」「薄い」の意味は、どちらかと言えば共通認識は高くなく、「効いている」「効かせる」のほうはマヨネーズ以外にも風味一般の強さに使われる表現であるため、他人に通じやすいように思います。

Q【1人で働いて生きて何か意味があるんですか?】1人で自分1人が生きるために、老後に生きるために働く。

【1人で働いて生きて何か意味があるんですか?】1人で自分1人が生きるために、老後に生きるために働く。そして死んでいく。

なら今、死んでも同じことなのでは?

老後に遊ぶために今、若いうちに頑張ってお金を貯めているんだという人がいますが、若いうちに遊んで年取ってヨボヨボになってから老後に遊ぶのはどう考えても非効率ではないですか?

最後に遊んで死ぬなら、若い今、遊んで老後の貯蓄も病気の心配もなく自分で命を絶つ方が独身者にとっては効率が良い死に方だと思いますがどう思いますか?

若いうちにお金を貯めて足も体も若い頃より衰えてから遊んでも仕方がないと思います。

これは一生独身者を貫く現代の若者の人生設計の話です。

Aベストアンサー

今死にたい奴は老後も死にたい。今楽しい奴は老後も楽しい。効率ではなく本質の問題。
ま、今が楽しければひとりでは居れないが。

Q大阪(なんば)で、お好み焼きにマヨネーズをかけることが多いのはなぜ?

早速ですが本題です。
大阪(なんば)でお好み焼きを食べるとき、マヨネーズをかける人が多いのはなぜなのでしょう?

吉本新喜劇目的で大阪旅行に行くと、なんば付近を行動することが多いので、お好み焼きを食べる機会が多いのですが、ほぼすべての店で「マヨネーズをかけますか?」と聞かれます。
しかし私は、粉もの(お好み焼き、たこ焼き、焼きそば(?))にマヨネーズをかけるのは大嫌いなので、必ず「マヨ抜き」で注文するのですが、周囲の方は、ほぼ全員マヨネーズをかけています。

マヨネーズを少しでもかけると、
・マヨネーズの味だけしかしなくなってしまう=全部同じ味になる
という私からすると、
「ソースだけで十分美味しいのに、マヨネーズをかけて台無しにしている」
ようにしか思えません。

それとも、実は、マヨネーズと抜群に相性の良いタネになっているのでしょうか?

Aベストアンサー

粉物に、マヨネーズは美味しいと思っている人が多いからでしょう。(私もそう思います)
ですが好みの問題なので、堂々と『マヨ抜きで!』とおっしゃって下さい。
ちなみに、たこ焼き発祥の店とされる玉出の会津屋では、マヨネーズはおろか、ソースすらかかってませんが、美味しいです。

Q生きる意味、目的、生きる糧、など

ご自身にとってのそれは、何だと考えていますか?

死ぬまで揺らぐことのないものだと思いますか?

これらについてのお考えがあれば是非是非お聞きしたいですので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.12,13,19,22,23です

難しくて申し訳ないです。

>>> No.23 お礼欄
「わたし」は「総体」とは切り離し不可能な存在である。
<<<
ここは良いです。

>>> No.23 お礼欄
また、「この・わたし・こころ・魂」の境界は無い。
<<<
ここは異なりますが、「そう考えてもいい」ということになります。

大別すると
1:「全体の内部にいて、それぞれの個として中心があって、境界があり、個々に影響しあって存在しているという時」
という状況と
2:「境界が消え去り、全体・総体の内部に特定できない情態で含まれている時」
という状況になるでしょう。
1の場合に「死後もそうである」と捉えるのかどうかの差異があっても、基本的には「全体の内部」での変化になるということです。

また、1の場合で「生きている」状況下においても、自分自身という境界は、想定の仕方によって移動すると言うことです。

魂を想定し、魂以外の身体は「本質的に交換可能だ」と想定する人もいれば、
脳に本質を求め、脳以外の身体は「本質的に交換可能だ」と想定する人もいる。
また、身体の境界を「私」とし、所有物や自身の言動による影響に頓着しない人もいる。
あるいは、身体の境界を越えて、自身にとって好ましい所有物や言動の一定範囲について「私」ないし「私の範疇」を想定し、自身から排除したいものや言動を「私以外」と想定する人もいる。
さらには、自身の意志にて決定される集団、都市、国を自身の境界同様に扱い、独裁的に振る舞う人もいる。

>>> No.23 お礼欄
よって「魂」も「総体」とは切り離し不可能なものである。=皆の魂は元来ひとつのものである。
<<<
ここも若干異なります。「そう考えてもいい」ということになります。

「元来」という言葉ですが、外部・全体・総体から「分離・独立」しているように思い込む状態(主として、生きている状態)を「元来」とする見方もあり得ます。

逆に、そうではなく、境界が消え去ったと思われる状況を持って「元来」と考える立場もあるでしょう。

随分以前に繰り返し記述した文章になります。直接的に記述した部分がありました。
こちらの方が判りやすいかも知れません。

>>> 総体(全体)と個と。。。 http://jinen.exblog.jp/1714917
(2005.01.15 01:15、文字装飾変更)

あらゆるものが全体から派生したという概念は、非常に重要な静的かつ共通の概念になろうかと思います。

「意思・自我」というものが、「産んでくれとは頼まなかった」なんて捨て台詞を叫ぶときですら、「産んでもらった」という意識はあるわけです。
(中略)
魂と呼ばれる類のあらゆる精神活動や心という概念(「主体」という概念にもなる)は物質(「対象」という概念にもなる)と切り離されない以上、また、「生きている」という概念と「わたし」という概念が身体性(物質)を介していることで認識される以上、あらゆるものが全体から派生したという概念が成り立ちうると思うわけです。
もし、魂だけが別世界から送り込まれたという概念を持ったとしても、「送り込まれた」段階で「この世界」と「別世界」とは繋がっているわけなので、その別世界を含めた全体を一塊として想定することができます。

『「あらゆるものが全体から派生した」という概念がある』ということは、すなわち『「あらゆるものが全体から派生した」という概念が全体から派生した全ての存在(生命体を含む)に共通かつ静的な概念である』ということと全く同じことになるわけです。

繰り返しますが、この「共通かつ静的な概念」の存在は、あらゆる問題を考える上で、基本的な概念になろうかと思うわけです。

人々が「自我」を得て、「自由に考える」という「自由意志の存在」を強く信じたとしても、その「自由意志」は、全体から切り離されて存在することはない。瞑想という状況下にて、「知的」(幻想的)に切り離し可能であるが、そういう状況を作り出すという環境との切り離しはできないでしょう。
いかなる状態であっても、常に「ともし火」と「わたし」が対峙するように、全体(ないし全体の一部)と私とが対峙している。
まさに「知的切断」の限界をあらわしていると思います。
(後略)
<<<

>>> 因果関係と包含関係と。。。 http://jinen.exblog.jp/1725562
「全体から個が派生するという概念」をあげるまえに、
「個と全体が並列するという概念」をまずあげるべきだったかもしれません。
いや、
「個と個が並列するという概念」の方が先だったかもしれない。。。

「卵が先か鶏が先か」
。。。
どの概念の話を先にするか?ということではないです。
この「たとえ話」は、関連する2項の内、どちらが原因で、どちらが結果か分からない状態を意味します。複雑な因子によって構成される疾患などで、よく話題にされるものでもあります。

で、この「たとえ話」で取り扱いうるのは、「個対個」です。
けっして「全対個」にはならない。

「そんなことはない、全体があるが故に、個が存在するんだ」
とか
「いや、個があるが故に、全体が存在するんだ」
とか、
いえるようにも思えます。

個と全体の話をするうえで、切っても切れないものがあります。
それは「そう考える私(個)」です。
私が全体から切り離し可能だという仮定のもとでは、上記論争は意味を持ちます。
そのときには、
「私を除く全体があるが故に、私が存在するんだ」
「私があるが故に、私を除く全体が存在するんだ」
ともいえますし、もう一歩引いて
「(これを考えている私を除く)全体が存在するが故に、個が存在するんだ」
「個があるが故に、(これを考えている私を除く)全体が存在するんだ」
ともいえます。
で、奇妙なことに、「そう考える私」を切り離そうとすると、「全体」が「部分」にしかならなくなる。
すなわち「因果関係」として記述可能なのは、「切り離し可能(性の非常に高い)事象)」同士に限られるわけです。
で、どうしても「全体」を相手にしたければ、「わたし」を含めた「全体」でなければならないため、もはやそこには「因果関係」というより「包含関係」しか存在し得ない。(このことは、二元論を主張し続けようとすると、量子の存在としての粒子性と存在としての波動性の説明において矛盾が生じるということにも相当します)

「全体」という概念を上記のように認識すると、全体が変化することで、包含されている「わたし」が生まれるという概念が、自然と生まれてくる。
あえて因果関係を求めるならば、「全体」ではなく「全体の変化」(という全体の一部)が「わたし」を生じせしめているということになろうかと思う。

ようするに「卵が先か鶏が先か」は不明でも「卵も鶏も全体から生じた」ということは言えるわけです。

したがって「個は全体から派生する」という概念が生まれてくるわけです。
<<<

>>> 個にして全、全にして個。。。 http://jinen.exblog.jp/1755946/
前回、

あえて因果関係を求めるならば、「全体」ではなく「全体の変化」(という全体の一部)が「わたし」を生じせしめているということになろうかと思う。
ですが、
「生じせしめている」
というより
「そのもの」か。。。
すなわち
「全体の変化」=「わたし」
ということになろうかと思う。

(中略)
わたしの境界」の認識は、「わたしの知的切断面」に依存する。
それは、あたかも「多義図形・だまし絵」における「静的概念の認識」に似る。。。


そうして、そういった一元論的認識もまた、「わたしの知的切断面」であるがゆえ、「わたしの境界」として「多義図形・だまし絵」に立ち表れる一つの静的概念に相当するに過ぎない。。。

「全体の変化」=「わたし」
としたとき
「全体の変化」=「あなた」
となる。
変化の内容は決して同一にはなりえない。
それゆえ「わたし」≠「あなた」である。
にもかかわらず、「あらゆるものは全体から派生する」という静的な概念を、知的幻想的に共有可能だとするならば、「全体の変化」=「個」という概念も、知的幻想的に共有可能になる。

「全体の変化」が、「局所の変化」として認識されたとしても、「全体」とは一つのつながりを持っていて切り離し不可能ということ(これは定義でもある)から、「個」は時間軸を無視したときに「全体」と区別がつかなくなる。
すなわち、「わたし」と「あなた」との境界は時間軸を無視したときに消滅し「わたし」=「全体」=「あなた」という概念にまで拡張される。。。

これは、すなわち、水面に落ちるそれぞれの雨粒の波紋が、ある時刻という切断面では境界を持つにもかかわらず、互いに包含し合い、全体にまで広がっていく様に似る。。。

全体から派生したものは全体へと帰っていく。。。
---
同時に、
派生した個は、個として全体に対峙している。。。
あたかも、風の谷のナウシカ、全7巻が提示したごとくに。。。
(後略)
<<<

No.12,13,19,22,23です

難しくて申し訳ないです。

>>> No.23 お礼欄
「わたし」は「総体」とは切り離し不可能な存在である。
<<<
ここは良いです。

>>> No.23 お礼欄
また、「この・わたし・こころ・魂」の境界は無い。
<<<
ここは異なりますが、「そう考えてもいい」ということになります。

大別すると
1:「全体の内部にいて、それぞれの個として中心があって、境界があり、個々に影響しあって存在しているという時」
という状況と
2:「境界が消え去り、全体・総体の内部に特定できない情態で含まれて...続きを読む

Qマヨネーズが濃いという言い方について2

「マヨネーズが濃いという言い方について」で質問した者ですが、文書に間違いがあり、僕が伝えたいことが、伝わりづらい文章だったのでもう一度質問させていただきます。前の質問に回答を下さった方は、今回の文で判断し、回答をお願いしたいと思います。

僕は小さい時からマヨネーズが苦手で、親がポテトサラダを作る時など「マヨネーズあんまり効かせないでね」や「マヨネーズ薄くしてね」などとい言っていました。

昨年ぐらいに、知り合いがコーンマヨネーズパン?を食べている時に、「マヨネーズの味する?」と聞きました。

以下、会話

私「マヨネーズの味する?」

知「マヨネーズパンだから当たり前じゃん」

私「そういう意味じゃなくて、マヨネーズ濃い?」

知「マヨネーズに濃いとかあんの?」

私「え~と、マヨネーズ効いてる?」

知「まぁ、マヨネーズパンだからあたりまえじゃね?」

以上が、会話のないようです。

ここで質問ですが、「濃い」という使い方は、どうなのでしょうか。やはり、少し意味が違う言い方ですかね…

僕としては、「マヨネーズの味が強いのかな~?ポテトサラダもそうだし、マヨネーズパンにも、マヨネーズが効いててマヨネーズの味が強いものや、逆もあるよな~」、と思ったのでそういう意味で「濃い」と使いましたが…

「濃い」という言葉が間違っていた場合、やはり、「効いてる」や「強い」という言い方なのでしょうか。

二人とも高校生の男で、僕は料理が結構好きなのですが、向こうはそうでもないです。

質問するほどでもないのでしょうが、小さいことを気にしてしまう性格なので、(それに今、自律神経失調症?)なので、はっきりさせておきたい、正しい言葉を知りたかったので、質問させていただきました。

乱文ですみませんが、回答お願いします。

「マヨネーズが濃いという言い方について」で質問した者ですが、文書に間違いがあり、僕が伝えたいことが、伝わりづらい文章だったのでもう一度質問させていただきます。前の質問に回答を下さった方は、今回の文で判断し、回答をお願いしたいと思います。

僕は小さい時からマヨネーズが苦手で、親がポテトサラダを作る時など「マヨネーズあんまり効かせないでね」や「マヨネーズ薄くしてね」などとい言っていました。

昨年ぐらいに、知り合いがコーンマヨネーズパン?を食べている時に、「マヨネーズの味する?...続きを読む

Aベストアンサー

前の質問見てないけど
その場合私なら多く入ってる?って聞くかな
もしくはマヨネーズ味濃い?って味もしくは風味を入れる

ちなみに私はマヨネーズに濃いも薄いもあると思うが

Q資本主義、社会主義、存在主義。存在こそが第一義の目的・価値なのでは?

資本主義とか言ってますが 資本のために人間が首を括っています

お金がないと何も出来ない、お金を持ってない人なんか誰も相手にしない程

社会主義も 何で人より社会が偉いんだ?

存在こそ全て 存在イズオール 人間存在を守るために社会も資本もある。

存在主義を打ち立てようではありませんか。

存在しない事には話にもなりません、誰も救われません。

人間は存在を求める、永遠に。

如何ですか?存在主義で人間存在を守りませんか?

Aベストアンサー

「存在主義」
わかりやすくて、良いと思います。
まあ、当たり前と言えば当たり前なんですが、当たり前のことを忘れてしまうところから、あらゆる誤謬が始まるわけですしね。
◎資本主義、社会主義、存在主義◎
このように比較提示した点が haru27 さんの功績じゃないでしょうか。
単に「存在」だけだと当たり前と言われてしまうが、このように比較することで、「そうだ、存在こそが大事だったんだ」と(改めて)気づかせる効果はある。

ただ、資本主義でもなく社会主義でもない良さを発揮するためには、「(自分だけの)存在主義」であってはならないはず。
「存在主義」は、我にも彼にも適用可能なのでしょうから、「自我としてのこの我」という避けて通れぬ自己主張をどのように解決していくか、という道筋も同時に示さないと腰の弱い主義になってしまいそうな気はします。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報