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日本各地に姥捨ての伝説がありますが、これは実際に行われたものなのでしょうか?

江戸時代は、儒教の教えが行き渡っていましたので、このようなことが行われていたとは思えないのですが。
江戸時代の飢饉の資料にも姥捨ては出てきません。
(子供を間引く話はよくあります)

信州の姥捨山が有名ですが、伝説だけで、姥捨ての実体はなかったという話を聞きました。
遠野のデンデラ野も、平地で老人の共同生活をするもので、畑を耕していたと聞きました。
民話の「うば捨て山」も、老人の知恵にスポットが当てられ、老人を神聖視するのが主眼となっています。
「楢山節考」は完全なフィクションですよね。

伝説は、老人を大切にせよと教育する目的で作り出されたものなのか?あるいはそのような風習があった名残なのか?

確実な文献か証拠で「姥捨て」が存在としたというものがありますか?
よろしくおねがいします。

A 回答 (2件)

近所にあります。


「捨てる」というか.老人だけの生活施設で.水を入手するのに1km程度歩く必要があります。このような場所に老人を住まわせますので.自分で1km歩いて水をくみに行けなくなると.脱水で死亡します。水くみ場に食料を置いておきますので.この食料が取りにこられなくなったらば.死体を処分しに(つまり.建物ごと火をつけて燃す。主に伝染病患者が対象)行きます。

近年では.らい病患者の収容施設が同様な取り扱いをしていました。
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Googleで検索すると上位に出てくる、参考URLはごらんになったかと思いますが、よくまとめられているというか、姥捨て山のあり得ないことを論考しています。


姥捨て山の話ではありませんが、歴史人口学関係の書籍を見る限りでは、私も、姥捨て山は無かったと推測します。
http://homepage1.nifty.com/hamano/hd/hd_books.htm
上記の参考文献で、鬼頭さんの物は、長野の過去帳を丹念に分析しているのですが、参考URLにあるように、老人は労働源と、農作業におけるノウハウの固まりとして、結構長寿であったようです。
なお、農村部に儒教が行き渡っていた・・・というのは、聞いたことがありません。私の実家は新潟なのですが、新潟や北陸などは浄土真宗が行き渡っており、浄土真宗が間引きを禁じていたので、余剰人口が江戸への移民となり「越後三助に越中女中」などが多かったとは聞いたことがあります。

参考URL:http://village.infoweb.ne.jp/~fwiz1547/pastessay …
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