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いまさらのような疑問ですが、
さきたま古墳群の中にある、日本最大級といわれる円墳、丸墓山は古い過去では前方後円墳といわれていたことがあったと記憶しています。推定軸長180~200m 大田天神山や舟塚山級の関東最大クラスの前方後円墳ということになります。
以前は稲荷山も円墳とされていたので円墳丸墓山が不自然ではありませんでした。
しかし当の稲荷山はいまは前方後円墳として再生されているし、むしろ現在の方が丸墓山のみが円墳であることに奇異を感じます。
丸墓山は円墳と断定されたのでしょうか。また丸墓山のみ円墳である背景というものは解明されているのでしょうか。

A 回答 (1件)

現状で前方後円墳の痕跡が見当たらないからだと思います。



>以前は稲荷山も円墳とされていたので
それは間違いです。
稲荷山古墳の前方部は昭和12年まであり、干拓工事のために土取りされて消滅していただけです。
前方部の写る古写真も現存していますし、周溝が復原される前は、前方部がソイルマークとして見える顕著な例としても有名でした。

>古い過去では前方後円墳といわれていたことがあった
これは鉄砲山古墳の東にある浅間塚古墳のことではありませんか?
浅間塚古墳は現状は円墳ですが、新編武蔵国風土記稿には前方後円とする記述があり、現地の案内板にもそうなっているそうですから。

>丸墓山のみが円墳であること
現状の大型古墳だけみるとそうなりますが、周辺には円墳が多数存在していたようです
また、前方後円墳ではないが、丸墓山古墳のみに葺石が使われている可能性が高いということは墳形以外に重点が置かれた、とも考えられます。

いずれにせよ前方部の痕跡が見つかっていないので現状では円墳と考えるしかないかと思われます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
>以前は稲荷山も円墳とされていたので
当方の認識不足でした。もともと稲荷山は前方後円墳だったのですよね。自分が以前見た写真では円墳のようでした。
>古い過去では前方後円墳といわれていたことがあった
表現が適切ではありませんでした。それ程古いものではありません。
20年位前の雑誌(アカデミックなものではないが、超古代史ものでもない)などにも“前方後円墳としての復元想定長‥云々”などと記載されているものがいくつかあったと記憶しています。
10数年前までは丸墓山を前方後円墳と見る説もあったように思います。
>丸墓山のみが円墳であること
これも認識不足でした。小さな円墳痕(倍塚?)は今でも数箇所残っているようですね。同じ県内には他にも大きな円墳が現存していることもわかりました。もともと関東には同一古墳群の中に色々な形の墳墓が存在するところが多いみたいです。
いずれにしても墳形とは別の差別化を見ていく必要もあるのですね。

お礼日時:2010/12/15 21:07

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