痔になりやすい生活習慣とは?

日本が九州上陸作戦が終結するまで降伏していなければどうなっていたでしょうか?
さらに、更なる原爆投下の可能性やソ連軍の満州、朝鮮制圧作戦などもどうなっていたと思われますか?

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A 回答 (4件)

8月に終戦しないのですから、まず日本は本土決戦の準備を続行し、アメリカ軍もダウンフォール作戦の準備を続行したでしょう。


その間、アメリカ機動部隊と戦略爆撃部隊による本土空襲が激化したでしょう。
9月に威力の強い枕崎台風が鹿児島より上陸し日本列島を直撃します。死者・行方不明者3千人以上という犠牲者が出たほどの台風ですから、日本軍の本土決戦準備にも多少の被害と遅れが出るものと思われます。
10月には阿久根台風が枕崎台風と同じようなコースで上陸します。規模は枕崎台風より小さいですが、やはり死者・行方不明者4百人以上が出るほどの被害でしたから、やはりこれも日本軍の本土決戦準備に多少の被害をもたらしたかもしれません。
ただし、この阿久根台風は沖縄においてアメリカ艦隊にも被害をもたらしました。当時、中城湾に停泊中だった輸送・揚陸艦部隊がこの台風に襲われ10隻以上が沈没、200隻以上が座礁、多数の補給品を喪失するという被害をもたらしています。終戦でダウンフォール作戦が中止になっていてこの被害なのですから、ダウンフォール作戦の準備が進んでいれば、もっと多くの艦艇が集結し、そして台風の被害にあったと思われます。
おそらく11月1日に開始される筈だったオリンピック作戦は多少の遅れが生じたかもしれません。
しかし、当初の予定通り1945年中に九州南部を制圧するのではないかと思われます。
九州南部を守る日本軍第40軍の2個師団と1個旅団に対しアメリカ軍3個師団、同じく南部を守る日本軍第57軍の3個師団と4個旅団に対しアメリカ軍6個師団が上陸、という兵力差では日本軍は広い海岸線を守りきれないでしょう。
兵力を集中し制空権をとったアメリカ軍が有利であり、まず上陸作戦は成功するでしょう。
九州北部から日本軍の増援が送られるでしょうが、アメリカ軍にも予備兵力に余裕があるので、まずアメリカ軍有利は動かないと思います。
それに九州の戦局の推移によってはアメリカ第20航空軍による九州への原爆投下も考慮されていたので、たとえアメリカ軍が苦戦しても最終的には九州の日本軍はアメリカ軍に壊滅させられたでしょう。

満州は終戦時、兵力の半分がまだ戦闘に参加していませんでした。東部と北部では敢闘している部隊が幾つもあり、主力を投じての決戦はこれからでした。また、8月の終わりになっても国境の防衛部隊の中には戦い続けていた部隊がありました。
西部ではソ連軍機甲部隊の進撃が始めは順調でしたが、燃料不足により進撃が停止し遅くなりました。日本軍と殆ど交戦していないのにです。これは準備不足にも関わらず開戦した事と、予想以上の悪路で、燃料消費量の予想が外れた事が原因です。
8月に終戦しなかったとなれば、日本軍は当初の予定どおり、北部・東部の一部の部隊を犠牲にしつつ、満州・朝鮮国境の山岳地帯に防衛ラインをひき、持久作戦に入った事でしょう。
ソ連軍は8月中旬から9月にかけて満州の平野部・都市を押さえ、後方に残る未だ抵抗する日本軍の拠点を潰しにかかったでしょう。また問題のある補給ラインの再構築も行ったでしょう。
そして満州・朝鮮国境の山岳地帯を攻略にかかりますが、大規模な機甲部隊が運用できる地ではなく、ソ連軍もその長所を生かせず、日本軍も激しく抵抗するでしょうから激戦になると思います。この地は早ければ10月には雪が降るので、ソ連軍は大軍の冬装備を用意しなければなりません。元々満州攻略のために100万人がヨーロッパ方面から送られて来た事を考慮すると、その準備と輸送は大変であり、ソ連軍の攻撃も多少は鈍るかもしれません。
九州での戦いが集結した頃だと、冬の北朝鮮山岳地帯でジリジリと日本軍が朝鮮半島を南に追いやられている状態ではないかと思います。
朝鮮半島に直接侵入してきたソ連軍は数が少ないので、増援を受けた第17軍が成興付近で必死に食い止めている状況でしょう。

北方領土はソ連軍の侵攻は遅れると思います。元々満州の進捗状況を見ながら行われる筈だったものが、日本の終戦であわてて占領の既成事実を作るため、準備・兵力不足で行われた作戦です。満州の大半が制圧された9月頃に行われるかもしれません。

中国大陸の支那派遣軍の増援部隊が非常にうまくいけば、満州と日本本土に到着したかもしれません。
ソ連軍の満州侵攻により支那派遣軍は第6軍2個師団を満州に送ろうとしますが、終戦でできませんでした。
また支那派遣軍直轄の5個師団を本土・満州に送る計画もありましたが、これも終戦でできませんでした。
制海権がとられているので難しいですが、幸運にめぐまれればあるいは到着したかもしれません。
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アメリカが戦争不能になります。



オリンピック作戦の部隊がサイパン・ウルシーに集結(上陸・降下部隊・輸送船団・上陸舟艇)する予定が9月上旬です。集結中に枕崎台風が集結地点の近くで発生しています。

昭和3大台風と呼ばれる台風の直撃を戦時急造艦が直撃されれば木っ端微塵です。

次にけん制部隊が10月に沖縄から上海に向かいますが、その作戦中にまたまた大きな台風が沖縄を直撃します。

上海けん制部隊は航空機の支援もなく上海に進撃し、まず全滅でしょう。

上陸Xデーである11月1日に宮崎県日南海岸に米第6軍が上陸、空挺部隊第一陣が降下します。その翌日、九州に大型台風が上陸します。

支援物資を積んだ輸送船団及び上陸舟艇は台風に耐えられず、多数が沈没し、沖縄から出撃した空挺部隊第二陣や支援物資を積んだ輸送機は台風で沖縄に戻るか巻き込まれて壊滅です。

上陸した部隊は食糧も弾薬もなく、戦車は日本のあぜ道が走れず立ち往生(戦後、自衛隊が米軍の戦車を運用したら横転して爆発しました)します。

日本の反撃部隊は台風なんてへの河童ですので、夜襲が繰り返されて空挺部隊はほぼ全滅でしょう。上陸部隊も3日後には弾薬が尽きて降伏するしかありません。

冗談w
ありえないw
と、言いたいかもしれませんが、昭和20年の台風はこの3つが日本を襲っています。

笑えませんが、神風が吹くんですw
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>日本が九州上陸作戦が終結するまで降伏していなければどうなっていたでしょうか?



連合国に、分割統治されていたでしよう。(アメリカ公文書より)
北海道・東北は、ソビエト連邦統治。
関東・東海・甲信越・北陸は、アメリカ統治。
近畿・福井県は、アメリカ・中国共同統治。
四国は、中国統治。
中国・九州(沖縄含む)は、イギリス統治。
東京(区部)は、アメリカ・イギリス・ソビエト・中国の共同統治。

19××年頃には、独立を果たします。が、ソ連・中国が統治する地域では、独立が弾圧されているでしよう。
チェチェン共和国・チベット自治区・新疆ウイグル自治区などと、同じですね。
北海道・東北は、「ロシア特別ジャポネスク州」として存在しているでしよう。
四国は、仙石官房長官が目指している「中国・日本人自治区」になっているでしよう。
もしかすると、朝鮮戦争のように日本戦争が起きているかも?

>更なる原爆投下の可能性やソ連軍の満州、朝鮮制圧作戦などもどうなっていたと思われますか?

今まで、天皇の判断で「終戦が決まった」事になっていましたね。
しかし、最近の資料では「皇室は、戦争継続を望んでいた」フシがあります。
例えば、レイテ湾での敗北。「朕は、軍の撤収は納得できない」と述べています。
この一言で、軍部は「道路も無く戦略上も無意味な、ニューギニア戦線に軍を大量派兵」します。
日本兵は、戦闘で亡くなるよりも「餓死・マラリヤ」で大半が亡くなっています。
広島・長崎に原爆が投下されても、政府・軍・皇室は「国体維持」の確約を連合国に求めています。

何故、政府・軍・皇室は「強気」なのか?
実は、日本でも原爆の研究を理化学研究所・陸軍航空研究所で行っています。(マルニ計画)
既に完成間近かだったようで、ドイツのUボートがウラン・プルトニュームを積んで2隻が日本に向けて出航しています。(1隻は、降伏。1席は、拿捕されています)
諜報機関の情報(ゼロ戦搭載可能な超小型原爆)を信じていなかった米軍は、焦ったようですね。
1945年、福島県の山村にB29一機が来襲。爆撃を行っています。
戦後の公開資料では、この山でウラン鉱石を学徒動員で採掘していたようです。
時間稼ぎ?だったのでしようか。

「国体維持の確約」に対して、連合国は「日本人が決める事だ」と回答しています。
これが、憲法の「天皇の地位は、国民の総意による」との条文になっています。
同時に、最後通告も行ったようです。
「今度は、関東の重要拠点が原爆投下目標か?」との情報が入り、即刻ポツダム宣言受諾になっています。
もう少し決断が早ければね。
1945年8月15日。午前8時頃にも、特別攻撃隊が出動」しています。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」ポツダム宣言を受諾しています。

歴史に「もし」は、ありません。
事実を公表する事も、重要な時代ですね。
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歴史にIF(もしも)はありません。

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Q日本が降伏していなかったら

日本が降伏していなかったら、次はどこが攻撃されていたのでしょうか?
長崎後、次の計画はあったと思うのですが、、。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

ソ連が千島列島側から北海道、本州北部を逐次上陸・占領されていた可能性があります。

日本では太平洋戦争の終結を8月15日と教えていますが、ソ連を除く国々が日本がポツダム宣言を受諾した事で休戦したに過ぎず、正式に太平洋戦争が終結したのは9月2日に東京湾で降伏調印された時点です。

そのためソ連は8月15日を過ぎても停戦せず千島列島北端の占守島を8月18日に攻撃し上陸占領、8月28日には択捉島を占領します。
最終的には北海道の占領を狙っていたと言われています。

ソ連はマッカーサーに対して北海道北部の分割統治を要求し、アメリカのトルーマン大統領も支持しますが、マッカーサーはソ連の要求を拒否。
軍事行動をちらつかせて譲歩を要求するソ連に対しても、毅然とした態度で望み北海道の分割を阻止したのです。

もし戦争を続けていれば、ソ連が日本北東部を実効支配し、朝鮮半島や旧・東西ドイツのように日本は分割されていたでしょう。

Q原爆が落とされず本土決戦になっていたとしたら

「原爆を落とさなければ日本は降伏せず、本土決戦で壮絶な抵抗にあっていただろう。」ということを紹介した記事がありました。
http://www.asahi.com/column/wakamiya/TKY200507260325.html

終戦当時はすでに武器やガソリンもろくになかったので、大した抵抗はできなかったと思うのですが、どうでしょうか?
組織的な抵抗としては、やはり万歳突撃でしょうか?
特攻隊の飛行機はまだありましたか?
日本の考えていた本土決戦の青写真を教えてください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 存在しましたね、『日本本土ゲリラ作戦』というのが。

 戦後、太平洋戦争で日本は情報戦に完敗したとの神話が定着しましたが、これは戦後、アメリカのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(情報操作工作)が成功したからです。

 日本陸軍の情報能力は総合力で互角、しかも状況予測については部分的にアメリカの分析を凌駕していました。当時のインテリジェンス機能の中枢を担っていた参謀本部第二部(情報担当)で第五課がソ連、第六課が欧米、第七課が中国、第八課が宣伝・謀略を担当していたのですが、真珠湾奇襲が行われた翌月、1942年1月ドイツ・イタリアを集中的に調査分析する第16課が新設されました。
 
 第16課には陸軍中野学校出身者も配置され、冷静な眼で徹底的な分析が行われることになります。その結果、ドイツ・イタリアは敗北するという結論に達し、ドイツの勝利を前提に組み立てていた日本の戦略的見通しは成り立たず、米軍の日本本土上陸は必至との結論に至りました。
 
 第16課は1943年10月に廃止され、その後は米軍の本土上陸作戦に関する予測とゲリラ戦の準備に日本陸軍のインテリジェンスは精力を傾注したのです。

 そうした日本の予測が正確であったことを戦後知ったアメリカは驚き、米軍から情報漏れがあったのではないかと徹底的な調査を行います。この点については、参謀本部第二部で米軍情報の分析に当たり、戦後自衛隊の統幕第二室長(情報担当)や西独防衛駐在武官を務めた堀氏の証言が興味深いです。
 
 『戦史を繙(ひもと)いても、敵情判断が寸分の違いも無く的中した例はそうザラにあるものではない。それが、リンガエン(フィリピン・ルソン島)南九州、関東地方への米軍の上陸判断は確かに的中したから、反対に米軍の方が自軍の情報漏れを疑い出した。』米軍からの情報漏れがあったわけではありません。参謀本部の情報将校達は、公開情報、無線盗聴情報、さらにスペイン・ポルトガル・スイス・スウェーデンなどの中立国に張り巡らしたインテリジェンス網
を通じて収集した情報を、言わば職人芸で総合的に判断したのです。

 米軍上陸を織り込んで、陸軍中野学校は本格的に組織を改編し、1944年8月にゲリラ戦士を養成する『二俣分校』を開設しました。中野学校本校では、語学教育に大きなウエイトを置いていましたが、本土決戦までの時間が限られるので二俣分校では語学教育は割愛し、爆発物の製造・取り扱いや地下ネットワークの作り方などゲリラ戦に特化した教育を行いました。(フィリピン・ルバング島で1974年まで戦後30年間、残置諜者の任務を遂行した小野田寛郎氏は二俣分校出身)

 戦後、この情報を知って陸軍中野学校、外務省、陸軍省関係者が逮捕され、7ヶ月間巣鴨プリズンに拘留されましたが、嫌疑不十分で釈放されました。しかし、中野学校がある種の秘密工作に関与していたことは間違いなくイギリス情報機関も強い関心を持ち調査していました。戦後ずいぶん経って分かったことは、占領軍により皇統が断絶される危機に備えて、600万円(現在の貨幣価値で7億円)を用意して『幻の日本本土ゲリラ作戦』を準備していたということです。

 元中野学校出身者は次のように語っています。『陸軍中野学校でも、日本が占領されるのは必至と見て、アメリカ・イギリスの占領政策、植民政策の研究を行っていた。傀儡日本政府の官僚として中野学校出身者を送り込む計画も立てていた。そして占領軍と傀儡日本政府が日本の国体を危うくする時には、中野学校が張り巡らしたネットワークを用いて遊撃戦の展開を傀儡政府内部から手助けすることになっていた。結局、国体は護持されたからこの作戦は実行されなかったが。』

 優れたインテリジェンス工作はその姿が見えません。従って、何もやらなかった時と工作が成功した時が表面上同じにみえます。陸軍中野学校が準備していた『日本本土ゲリラ作戦』は『なかったこと』として処理されました。
 
 しかし、状況証拠からアメリカは日本にゲリラ戦を行う専門的訓練を受けた集団が存在することを掴みました。ゲリラ戦をする能力はあるのだから、あとはそれに意思が加われば実行されます。その決断のスイッチは、日本の国体が占領軍によって護持されなくなる危機が生じた時に入る。アメリカ人はこのことを正確に認識し、ゲリラ戦の能力を持った人々を叩き潰すよりも懐柔することにしたのです。
 『天皇制の維持』を明確にすることによって。

 参謀本部将校が、優秀だったことを語る話として、10年前の湾岸戦争の時、瀬島龍三氏が『○月○日総理は外遊するそうですが、その日は、アメリカ軍が攻撃を仕掛けると思われるので、一国の首相として、その日は日本にいたほうがいいと思います。』と忠告したことからも分かります。氏は、この時80歳前後の一般人(国鉄解体の仕事には従事していましたが)で、この情報はオープン・ソース(新聞・テレビなど誰でも手に入るもの)を分析したものでした。

 存在しましたね、『日本本土ゲリラ作戦』というのが。

 戦後、太平洋戦争で日本は情報戦に完敗したとの神話が定着しましたが、これは戦後、アメリカのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(情報操作工作)が成功したからです。

 日本陸軍の情報能力は総合力で互角、しかも状況予測については部分的にアメリカの分析を凌駕していました。当時のインテリジェンス機能の中枢を担っていた参謀本部第二部(情報担当)で第五課がソ連、第六課が欧米、第七課が中国、第八課が宣伝・謀略を担当して...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Q日本はなぜ8月14日に降伏したのですか?

言い換えれば、ミッドウェー海戦で負けたとき、すでに敗色濃厚となったとき、ポツダム宣言が発表されたとき、等で何故降伏しなかったのか。
また、本土決戦、一億玉砕とか言われてたのにしなかったのはなぜかということです。
今のところ
首都東京に原爆を落とすと威嚇されたから
天皇の命と国体維持が保障されたから
のような話を聞いたことがありますが、実際のところはどうなんでしょう。

Aベストアンサー

私見ですが、数点あげさせていただきます。
まず「ミッドウェー海戦で負けたとき」は、講和するにしても日本が不利になりますから、おそらく困難だったでしょう。シンガポール、マニラを落とした時であれば「日本有利」な条件で講和に持ち込むことができたかもしれませんが。(ただ、戦後の資料が示しているように、アメリカの意思は、「日本を徹底的に壊滅させる」ですから、どの時点であれ講和には応じなかった、と思います)

その他、日本側の問題点として
1)軍指導者に良識的戦争指導(合理的判断)のできる者がいなかった。
開戦する以上は、いつ・どのような条件で・どのようにして講和に持ち込むか、明確な見通しを持っていなかった。すなわち「干戈をおさめる」発想を持たなかった。特に、日米生産力比から、2年を超える戦争継続は「ジリ貧」になるとわかっていながら開戦する以上は、限界をしっかり確認しておくことが絶対必要でしょう。(その点で「日中戦争」(支那事変)の泥沼化が全く教訓化されていない)

2)敗色濃厚になってからも、軍人として降伏を口にすること(合理的判断)はタブーであったと思います。国民に対しては「勝った勝った」で誤魔化してるわけですから、突然「降伏」といっても、国民の方が納得しなかった可能性もあります。敗戦必死の良識派や、天皇周辺からすれば、陸軍強硬派によるクーデタ=2・26事件再現への恐れも影響したかと思います。

3)最終的には、天皇の地位・天皇制の護持、が最大の理由であったと思います。第一次世界大戦で敗北したドイツ帝国では、帝政が崩壊し共和政に移行しました。一部指導者の間では、このことを日本で再現させてはならない、というのは至上課題でした。〔8月14日の御前会議での昭和天皇の「自分の身はどうなろうとも・・・」という言葉は、この間の事情を物語っています〕
実際、「ポツダム宣言が発表されたとき」、宣言の中には天皇・国体については条項がありませんでした。(アメリカ内部では、天皇・国体は維持する、意見もあったみたいです)したがって、日本は「黙殺」するわけですが、英訳では「拒否」とみなされます。

>本土決戦、一億玉砕とか言われてたのにしなかったのはなぜかということです。
上述した「天皇の聖断」によって、実際は行われませんでした。しかし、軍の一部には「「玉音放送阻止」などクーデタの動きもあり、阿南陸軍大臣は最後まで抵抗し、最後は割腹自殺します。(このあたりの流れは、邦画『日本の一番長い日』に詳しいですね)

ほかは他の回答者の方たちのご意見を伺いたいと思います。

私見ですが、数点あげさせていただきます。
まず「ミッドウェー海戦で負けたとき」は、講和するにしても日本が不利になりますから、おそらく困難だったでしょう。シンガポール、マニラを落とした時であれば「日本有利」な条件で講和に持ち込むことができたかもしれませんが。(ただ、戦後の資料が示しているように、アメリカの意思は、「日本を徹底的に壊滅させる」ですから、どの時点であれ講和には応じなかった、と思います)

その他、日本側の問題点として
1)軍指導者に良識的戦争指導(合理的判断)の...続きを読む

Qもし昭和天皇が戦犯として処刑されていたら。

もし、昭和天皇が戦犯として処刑され皇族も追放されていたら、その後の日本はどのような状態になったでしょうか。
イラクのような内戦状態でしょうか。或いはGHQの占領政策を従容と受け入れていたでしょうか。

Aベストアンサー

昭和天皇自身、自らの処刑も覚悟してポツダム宣言受諾の意思を示したようです。実際、ソ連(一週間戦争で莫大な戦勝果実を得ただけ)は昭和天皇を侵略の責任者として処刑することを主張したようですし、「昭和天皇処刑、天皇制廃止」は十分ありえたでしょう。むしろ、「戦力を完全に失って降伏した国の王様が、天寿を全うするまで王位にあり続けた」ことの方が、歴史上稀なことです。

昭和20年の日本は、米軍の圧倒的な戦力によって全てを粉砕されて降伏したわけですので、占領軍(米軍)に立ち向かう気力はありませんでした。米軍に立ち向かう武器も民間には皆無でした。また、近代武器を持っていた日本軍をごく少ない損害で殲滅した米軍に、仮に天皇処刑に憤った民間人が竹槍を作って立ち向かったとしても「日本側全員射殺、米軍損害ゼロ」以外の結果はありえないと当時の日本人は骨身に染みて分かっていました。

昭和20年当時の米軍は、都市絨毯爆撃で非戦闘員を焼き殺し、非戦闘員を機銃掃射し、民間人を満載した商船を無警告撃沈する、今よりずっと「怖い」軍隊です。今のように「誤爆で民間人が3人死んだ」などということを問題にする欧米マスコミもありません。占領軍に竹槍で歯向かった日本人が全員射殺されるのは、当時の常識では当たり前です。
(現在、イラクやアフガンの内戦が容易に収束しないのは「21世紀の常識では、占領軍や政府軍に歯向かう民間人をみだりに射殺できない」からです)

昭和天皇は処刑に際し「敗戦の全責任は朕にある。国民は、朕の死を聞いて軽挙妄動せず、新日本の建設に尽くして欲しい」といったことをいい、占領軍はそれを宣伝したでしょう。これも、日本人を抑止する大きな力となったはずです。

昭和天皇自身、自らの処刑も覚悟してポツダム宣言受諾の意思を示したようです。実際、ソ連(一週間戦争で莫大な戦勝果実を得ただけ)は昭和天皇を侵略の責任者として処刑することを主張したようですし、「昭和天皇処刑、天皇制廃止」は十分ありえたでしょう。むしろ、「戦力を完全に失って降伏した国の王様が、天寿を全うするまで王位にあり続けた」ことの方が、歴史上稀なことです。

昭和20年の日本は、米軍の圧倒的な戦力によって全てを粉砕されて降伏したわけですので、占領軍(米軍)に立ち向かう気力はあり...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Qソ連が崩壊した理由を教えて下さい

ソ連が共産主義国家として、もしくは共産主義国家として成功する前に崩壊してしまった理由を教えて下さい。

Aベストアンサー

 大きく分けて2つの理由があります。理論と実際の矛盾面からと国際競争の面からです。


1.理論と実際の矛盾
 マルクスの共産主義理論によると、資本家が労働者を搾取して資本の蓄積を行い、労働者に還元しないため、労働者が革命を起こし共産化するのです。
 そして、新たに生まれる共産主義社会は、資本主義社会が労働者を搾取して作り上げた資本蓄積を引き継いで発展することになっています。
 ところが、実際には資本主義の進んだ国では修正資本主義(資本主義によって得られた利益を、労働者にも分配することによって、資本家と労働者がお互いに妥協点を見出し、革命を起こさない。)が一般化しました。
 そして、実際に共産主義革命が起こったのは、農業国から工業国になりかけた、資本家が経営者として未熟で労働者を搾取することしか知らない、資本の蓄積のまだ進んでいない国でした。

 これらの国では工業化に際し、農民・労働者を国家が搾取して資本の蓄積を行なうしか方法がありませんでした。ですから、社会が豊かになってくると、労働者が資本家に対してではなく国家や共産党に対して革命を起こす事となりました。(中国はソ連の失敗を見て、経済の資本主義化に方向転換しました。)

2.国際競争
 社会主義体制をとった共産主義諸国は、自由主義体制の資本主義諸国と競争することとなりました。しかし、人口・資源・生産力・市場など、経済力は世界の4分の1程度でした。ところが、軍事・技術においては対等の競争を余儀なくされ、共産主義国は無理を重ねました。
 社会主義国の盟主であったソ連は、無理を重ねたことで社会に矛盾が蓄積し、経済力がこの競争を支えきれなくなって、崩壊に至りました。

 大きく分けて2つの理由があります。理論と実際の矛盾面からと国際競争の面からです。


1.理論と実際の矛盾
 マルクスの共産主義理論によると、資本家が労働者を搾取して資本の蓄積を行い、労働者に還元しないため、労働者が革命を起こし共産化するのです。
 そして、新たに生まれる共産主義社会は、資本主義社会が労働者を搾取して作り上げた資本蓄積を引き継いで発展することになっています。
 ところが、実際には資本主義の進んだ国では修正資本主義(資本主義によって得られた利益を、労働者に...続きを読む

Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

関東軍の暴走や、5.15事件、2.26事件…。
真珠湾攻撃の前には既に南方で勝手に戦端が開かれていたとか。
それから、敗戦時にも玉音放送を中止させようと陸軍のクーデターが起こるなど、なぜ戦前の日本では、軍事がコントロール不能になってしまったのですか?

当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?

※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む

Q第二次大戦中に現代の自衛隊を投入したら

くだらない質問ですが、気になったので書いてみます。

第二次世界大戦末期の1945年1月1日時点に、現在の最新鋭の自衛隊(航空・海上・陸上)の全戦力を日本本土に投入したら、日本軍は勝てるのでしょうか?兵器の生産設備などは投入しないものとします。

いくら最新鋭の戦力を持っていても核と資源がないのでアメリカが多大な犠牲を出しながらも勝つだろうという見方もできるし、当時の日本はインドネシアを占領していたので資源不足を克服し日本の勝利という考え方もあると思います。

Aベストアンサー

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、護衛空母17隻を含む大艦隊を出撃させてきており、このうちの正規空母12隻、護衛空母4隻が日本近海に現れ本土空襲を行っています。これを狙います。ちなみに、この当時の米艦隊の正規空母の数は14隻ですから全部撃沈できれば、後がかなり楽になります。
F2攻撃機、約80機を中心とする対艦ミサイル攻撃で、空母を撃破します。現代の対艦ミサイルを当時の米軍艦艇がそれほど迎撃できるとは思えないので、うまくいけばかなりの空母を撃破できるのではないかと・・・
また、B29への迎撃にもF15を出撃させます。最大で4発のミサイルを別々の目標に連続発射できるF15の戦闘力に、B29の部隊は大打撃を受けるのではないかと・・・
さらに海上自衛隊の潜水艦部隊によるハワイの真珠湾攻撃を行います。ハープーン対艦ミサイルは対地攻撃にも転用可能とという事なので、ハープーンで真珠湾の燃料施設や艦艇補修設備などに攻撃を行い、打撃を加えます。
要は自衛隊の進んでいる兵器を一挙に出して大打撃を加えるとともに、米軍にショックを与えます。
これでうまくいけば、アメリカは空母艦隊とB29の部隊とハワイの後方施設に大打撃を受け、直ぐには大きな作戦をできなくなるのではないかと思います。

その後は、まずシーレーンの確保です。九州から中国沿岸、そして台湾海峡を通ってシンガポールへの海上交通路の守備に海上自衛隊のP3C対潜哨戒機の部隊や、一部航空自衛隊の戦闘機部隊を派遣します。輸送船団には海上自衛隊の護衛艦隊も付けます。航空部隊の根拠地の設営は大変でしょうが、部隊が稼動すれば米潜水艦隊の脅威へ大きな力になると思います。日本の輸送船の撃沈された半数は、米潜水艦隊の通商破壊戦によるものだそうですが、当時の旧式な潜水艦なら現代の対潜哨戒機と護衛艦でかなりの確率で防ぎ、逆に戦果をあげられるのではないかと思います。
日本本土の防空は航空自衛隊の戦闘機とPAC3ミサイル部隊と、陸上自衛隊の高射特科団(改良ホーク地対空ミサイル部隊)が守ります。
攻撃には海上自衛隊の16隻の潜水艦部隊を使います。潜水艦隊で通商破壊戦を行います。第二次大戦末期のドイツで建造されたUボート21型は連合軍の対戦哨戒部隊にも察知されにくかったそうです。それよりさらに技術の発展している現代の潜水艦なら数は少なくとも大きな戦果を期待できると思います。
未だフィリピンの日本軍の抵抗は続いており、米陸軍20万人が投入されている時点で、米空母艦隊が大打撃を受け、さらに通商破壊戦を仕掛けられたら・・・米軍は楽勝とはいかなくなるでしょう。

米軍としてはこうした進んだ技術の兵器対策に苦慮する筈です。簡単には有効な対抗策は出てこないのではないかと思います。まずは打撃を受けた艦隊の再編と、戦略爆撃部隊の戦術の見直し、フィリピンへの海上補給路の守備を固め、真珠湾の設備の再建をしなければなりません。
建造中のエセックス級空母の建造を急いでも、半年以内に戦闘に参加させる事ができるのは5隻です。
大西洋から部隊を回す必要も出てくるかもしれません。

一方、自衛隊を除く日本の連合艦隊の状態はよくありません。
戦闘可能な空母は小型の鳳翔1隻ですし、戦艦は2隻、巡洋艦も数隻、駆逐艦も二十数隻というありさまです。
南方から資源が入ってきたら、まずは艦隊の増強が急務でしょう。まずは空母で建造途中の伊吹、天城や損傷状態の龍鳳、準鷹、葛城を戦闘可能な状態にしなければなりません。
他にも損傷を受けている戦闘艦艇があるので、大至急修理が必要です。
また、輸送艦の建造も急務です。1945年1月から終戦時までに約180隻の輸送船が建造されています。
しかし、同じ期間に実に700隻が沈められているのです。
まあ、自衛隊の参戦で、その数は減るでしょうが、しかし、1944年だけでも約970隻の輸送船が撃沈されています。
日本の造船所はとにかくフル稼働しなくてはならないでしょう。
また、航空機パイロットの育成や、戦闘機などの生産も必要でしょう。
時間は幾らあっても足りないくらいです。

こうした中で、日本の潜水艦隊がどれだけアメリカに打撃を加えられるかが重要だと思います。
そしてフィリピンの米軍を孤立させ、ハワイを孤立させる事ができれば、新たな展望が開けるかもしれません。
時間が立てば、連合艦隊の戦力もある程度は回復してきます。そうなれば、新たな作戦を立てる事も可能となるでしょう。

なお、そのうち満州にソ連軍が侵攻してくるでしょうが、これについては航空自衛隊の支援を受け、東満山地で持久戦を行えば、かなりの機間、持ち堪える事ができるのではないかと思います。

戦争に「絶対」は無いですから必ず勝てるとは言いませんが、面白い勝負にはなるでしょう。

近代軍では補給が重要な要素を占めるので、どれだけの弾薬や燃料、整備、補給品を保持しているかで、戦い方も変わってきます。自衛隊のそうした物資の正確な保有量が不明なので、推測するのは困難なのですが、とりあえず・・・

1945年1月の時点なら、できるかどうかは分かりませんが、まずは自衛隊の戦力を秘匿します。
2月の米軍による硫黄島攻略あたりで航空自衛隊の全力出撃です。
この次期、米艦隊は正規空母12隻、...続きを読む

Q真珠湾攻撃で空母を大破していたら?

真珠湾攻撃の日に空母3隻は湾にはおらず打ち漏らした事は良く聞きますが、この3隻を大破していたら歴史は変わったのでしょうか? 3年8ヶ月の太平洋戦争が4年になったのでしょうか?? 大勢には影響しなかったと思いますが、実際はどうでしょうか? 歴史にたら、ればで論じても仕方のないことですが、こうなった事には変わりないくらいのコメントでも頂けると参考になります。

Aベストアンサー

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられますが)、それと空母に所属する飛行隊も壊滅したと仮定しますが・・・
まず、最初の日本軍の真珠湾攻撃において空母を大破させたなら、日本軍は史実では行われなかった第二撃を行う可能性もあるかと。第二次攻撃を行わなかった理由の一つが敵空母の所在不明です。それが真珠湾で大破し、ましてや史実での戦果予測ではハワイの敵航空部隊も壊滅に追い込んでいる状況です。特に日本側の水平爆撃隊は損失機0でもありました。第二次攻撃を行いさらなる戦果を得たかもしれません。
それはともかく、当然、米国としては空母を大西洋から回すと考えます。

当時、大西洋には就役したばかりで訓練中のホーネット(1942年2月より任務開始)、レンジャー、ワスプ、ヨークタウンの4隻の大型空母がいました。
ただし、レンジャーは防御に問題のある艦であり、史実でも太平洋での戦闘は無理だと判断され主に大西洋で輸送、護衛、訓練、上陸支援などの任務につきました。1942年10月の南太平洋海戦で米国は無傷の大型空母が0隻となる「アメリカ史上最悪の海軍記念日」と米国側が言うほどの最悪の状況だったにも関わらず、レンジャーが太平洋に投入される事はなかった事から、真珠湾で空母3隻が大破してもレンジャーだけは大西洋で任務につくかと考えます。
なお、ワスプは史実では1942年に太平洋艦隊に編入されるまでは、マルタ島への戦闘機輸送任務を数回従事するなどしており、日本との開戦後、すぐに太平洋に投入するとすれば、その分、マルタ島の航空戦力が低下し、地中海を通る北アフリカ戦線のドイツ軍への補給路への攻撃がその分、和らぎ、ドイツ軍に多少有利な状況になるかもしれません。

そんなわけで、おそらくワスプ、ホーネット、ヨークタウンが太平洋に回されると考えます。
そして、ミッドウェー海戦までは史実と同じような展開になるのではないかと考えます。
そして珊瑚海海戦でも史実と同じように米国空母1隻が撃沈され、1隻が中破となり、ミッドウェー海戦になるかと思いますが、ここで仮定の上に推測でしかありませんが、真珠湾で大破した空母が修理を完了し戦線復帰。
米国は無傷の空母1隻に復帰した3隻の計4隻の空母で日本艦隊を迎え撃ちますが、問題は空母の航空部隊です。
史実では、ミッドウェー海戦での米空母部隊は訓練が完了していないパイロットまで作戦に参加させるほど切迫した状況でした。
今回はハワイ攻撃時に3隻の空母の航空部隊は打撃を受けているので、なおさら酷い状況かと思います。空母は戦線復帰しても技量の未熟なパイロットを多数使う事になり、この点において、日本側は非常に有利になるかと思います。

ただし戦争に絶対はありませんから、日本が史実通りミッドウェーで敗北する可能性も充分あります。
その場合は、やはり史実通りの展開となり敗戦の道を辿っていくかもしれません。

しかし、ミッドウェー海戦で勝利した場合は戦局が大きく動くかもしれません。
まず、ミッドウェーで米国側がパイロットの低い技量が災いして敗北し、空母が全滅したとして、日本軍が次に狙うのはハワイです。
これは史実でもミッドウェー海戦前に、9月以降を目処にしてハワイ攻略戦の準備命令が陸軍では既に出されています。
ですが、その前にインド洋が焦点になります。
史実では6月に北アフリカ要衝のトブルク要塞を陥落させたドイツ軍が勢いに乗っており、ドイツとイタリアからインド洋での通商破壊強化と有力な艦隊派遣の要請が来ていました。
この状況に日本もインド洋で潜水艦隊や水上艦部隊を派遣する命令を出し準備していましたが、ガダルカナルの戦いが生じ、インド洋での作戦は極少数の部隊に任される事になりました。
しかし、ミッドウェーで勝利すれば米国はハワイの防備強化と航空部隊、艦隊再建に忙しく、ガダルカナルへの反攻は行わないでしょうから、日本は史実で予定されていた通りか、それ以上の戦力をインド洋に投入して通商破壊戦を行うかと思います。

インド洋は連合軍にとって、北アフリカ戦線、ソ連へのレンドリース(ソ連への軍事援助で全体の約3割がインド洋を通りました)、ビルマ戦線、中国戦線への補給路であるばかりか、インドからイギリスへ戦略物資を運ぶ海上交通路でもありました。
もし、この海上交通路が阻害されれば、各戦線は崩れるかもしれませんし、イギリスは戦争遂行に大きく響くでしょう。
特にイギリスは1942年にはドイツのUボートの通商破壊戦により、穀物などの輸入量が低下し消費量が輸入量を上回り備蓄で何とか凌いでいました。また貯蔵していた商船の燃料も3ヶ月分を切っている危険な状況でした。これにインド洋でさらに大きな被害を被ればイギリスは持ち堪える事ができないかもしれません。
元々日本には政府上層部の言う「通商破壊戦により英国の死命を制し米国の態度を変える」「英米連合軍の弱点は英国にあると考えられる。海上交通を断ち英国を餓死せしめて英国を屈服せしむること最も捷径なり」「英国の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしめる」という、まず英国を叩き、それにより米国との講和へ持ち込もうと言う戦略がありました。これが実際に成功するかどうかはともかく、英国の死命は海上交通路にあり、もしインド洋を日本が制すれば、前述した各戦線に致命的であり、英国にも大打撃だった事でしょう。

また、日本の潜水艦隊は開戦時に南方とハワイ方面に大きく二分され作戦しており、ミッドウェーで勝利した場合も当然、インド洋だけでなくハワイ~米本土、オーストラリア~米本土間で通商破壊戦に全力をあげる事になるかと思います。
史実では大戦初期は日本の潜水艦も遠く米本土沿岸で暴れ周りましたが、戦局の推移とともにそれもできなくなりました。しかし、ミッドウェーで勝利し米国の大型戦闘艦艇も多くを沈めたとなれば太平洋で通商破壊戦に力を入れる事も可能になるかと思います。
そうなれば、米軍も大西洋にばかり護衛艦を投入するわけにもいかず、その分、大西洋のUボートが楽になり戦果を拡大し英国を一層苦しめる事になるかもしれません。

そして、太平洋ではハワイ攻略戦となりますが、日本の潜水艦の通商破壊戦がうまくいけば、ハワイの防備も思うようには進まないかもしれません。
攻略自体は制海権、制空権をとれれば可能かと思います。あまり陸軍の大兵力を投入できないでしょうが制海権、制空権を握れば圧倒的有利になります。フィリピン攻略戦やマレー攻略戦、ジャワ攻略戦でも日本軍は連合軍より兵力が少ないにも関わらず勝利したのは、そうした要素において勝っていたからです。

ハワイの失陥は米国にとり大きな衝撃となるでしょう。
そもそも開戦前の米国の新聞には「日本は我々を攻撃する事はできない。軍事的にも不可能な事だ。ハワイの基地にしろ日本艦隊の有効攻撃圏の外にある」と載っていたくらいです。
おそらく、ここで活気付くのが米国内の黒人などの有色人種です。
開戦時、米国は一つに纏まっていたかのように言われますが、実はそうでもありません。
第一次世界大戦で黒人は待遇改善、地位向上を目指し、戦争に積極的に協力しましたが終わってみれば何も実りはなく失望だけが残りました。その経験から第二次世界大戦に米国が参戦した時も、有色人種の間では冷ややかに戦争を見ている部分がありました。
また、大戦を勝ち抜くため軍の増強と軍需産業での人員確保に黒人も組み込まれますが、黒人のこれまでの不満を和らげ、また人手不足を解消するために、これまで働けなかった職場や地位に黒人が就きました。
それに反発したのが白人労働者で職場放棄や暴動を起こしています。黒人側も歴史的に差別されている事から当然不満と反発がありました。1943年だけでも全米47都市で100以上もの人種暴動が発生しています。これにより、軍需産業の生産にも影響が出ています。デトロイトの暴動では黒人が軍の武器庫に突入しようとしました。軍内部でも黒人対白人の暴動が発生しています。
暴動で逮捕された黒人指導者の中には「黒人は米国内の日本軍だ」「東条首相に日本の勝利を祈る」と言い放った人もいました。
日本の勝利がこうした米国内の不満分子である有色人種を刺激し、より一層、反政府運動を大きくするかもしれません。
もしそれが広がれば米国内は酷い紛争状態となり兵器や物資の生産は遅れ、生活用品の流通にも影響を及ぼし、市民の不満を更に募らせるかもしれません。ただでさえ戦争で食肉やバター、ガソリンや暖房用燃料等色々な物が配給で不足気味なのです。それが更に悪化したら・・・
そうなれば、米国は日本と戦うより先に国内問題を解決しなければならず、日本に有利な状況で講和という事になるかもしれません。

史実では、前述した1942年10月の「アメリカ史上最悪の海軍記念日」の後に、米国では上下両院議員選挙が行われましたがルーズベルトの民主党は51議席も減らしました。ミッドウェーで負け、ハワイも攻略されたら民主党はもっと大敗し、ルーズベルト政権ももたないかもしれません。

>歴史は変わったのでしょうか?

その可能性はあります。
日本の勝算は上がったでしょう。

真珠湾攻撃の時、太平洋にはアメリカの大型空母3隻がいました。
エンタープライズはオアフ島西約200浬に位置し、レキシントンはミッドウェー島南東約420浬に位置し、サラトガは本土のサンディエゴで整備中でした。
これが全て真珠湾で大破し(大破の状況にもよりますが・・・複数の魚雷を受け大きな損傷負って修理に手間取り戦線復帰に半年もかかるとか、そこまでの損傷ではなく2~3カ月で復帰するとか、色々考えられます...続きを読む


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