前回の問い立ては拙かった。
出直しです。
インターネットの普及と絡めて返信お願い。


http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=63784
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=63784
http://www.okweb.ne.jp/iwedding/kotaeru.php3?q_i …

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A 回答 (8件)

 インターネットであれ本であれ、情報は「相手方が使って欲しい、と思って発信


されるもの」です。この「使って欲しい」という要求にどのように答えるか、その
取捨選択の判断を下すものが「知識」です。
 ですから、「知識ある情報」として発信しても、「知識」を持たない方は、これ
を「判断」=「認識」の枠外において扱うことになります。
 子どもと大人が違う受け取り方をする、そういった状況と同じことが発生するの
です。
 インターネットをどのように扱うか、扱う前に、「知識」ある行動が試されてい
るのかも知れません。
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【追加】


短い質問なのに見落としてました。・・・インターネットとの絡み。

ぼくは情報から知識に”昇格(?)”するのに、ネットが役立つことを期待してます。とくにその口火となりそうなのが、このOKWebのような「知恵市場」です。チャットや掲示板なんかもその可能性を秘めていると思います。つまりいろんな人の意見がぶつかり合って、スパークすること。なにしろ距離・時間に関係ありませんからね。すごく参加が自由です。
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この回答へのお礼

>ぼくは情報から知識に”昇格(?)”するのに、ネットが役立つことを期待してます。

あんたはえらい!(笑)
ご意見はともかく(笑)

情報でなく知識を、インターネットで即向目的的に活用する際、
情報を情報としてでなく知識として知るためには、自分で考えて知らねばならんと
僕は言うのだが、そうして自分で考えて知った知識を、もう一度
情報として世の中に発信して、受け取った人々がそれぞれ自分で考えて、それを知識として知ることが出来るなら世の中みんなが進歩することになるわけだ。

お礼日時:2001/04/16 19:15

お利口さんの意味を考えると悩みますが、


「情報を得る」はある人にとっては即知識、ないしは紙屑。
そのある人の知識は別の人にとっては紙屑、ないしは情報。
インターネットと言う道具を如何に生かすかは個人の能力に因ると思います。
しかし、普及=お利口さんにはなりません。知恵を得るか否かこそ人によるからです。得たいと思わない者にとっては情報も知識も紙屑であると思うからです。

この回答への補足

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

補足日時:2001/04/15 23:08
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しかし、インターネットでビジネスをしだすと、仮に膨大な借金をしたとしても、何か数字だけが動いて、現実感が薄れてしまいそうなきもします。


コワイコワイなぁ~。と思います。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
これからもよろしく。

お礼日時:2001/04/16 23:40

情報を暗記したのが知識です。



インターネットが普及しても別に大丈夫だと思う。なぜならインターネットを自ら使えるようになるためにはある程度の学力が必要ですよね。その学力をつけてる段階で基本的な思考回路とか形成されてそうだから情報の暗記だけで考えないということは起きないと思う。
ていうか書いてて気づいたんだけど、インターネットって本とたいして変わらないですよね。あるいは調べやすい辞書。本とか辞書を見ることって悪いこととは思えないんだけど。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:13

まったくの私見です。



「情報」ーは下の方もおっしゃっているように、断片的なもので、頭の中で整理されておらず(時間順、分野別などに)脳に定着していない、従って必要な時に、さっと脳から引き出すことができないものと考えています。

これに対して「知識」は頭の中で、あらゆる方面からの沢山の「情報」が整理され、きちんと定着しているものを指し、必要に応じて、削除、訂正、淘汰、レベルアップが図られているものーと考えています。

一言でいってしまえば(ちょっと乱暴ですが)
「知識」はそれ同士、有機的つながりを持つのに対し、「情報」はそれがないーということがいえるのではないか?と思います。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:14

「情報」と「知識」の違いについて、ぼくはこう理解してます。



情報はつぎつぎと外部から脳に入ります。しかしそれは断片的です。ある脈絡を持った情報もありますが、それだけです。しかし人間が、それらを結びつけ、編集し、意味づけすると、知識になります。またその過程で連想が働いて、情報がなくても新しい知識に発展することも、あると思います。知識は情報が集積されたものいわれる所以です。

ですから知識は情報から生まれるものですが、これが数人のあいだでやりとりされると、他人の情報や知識が自分の脳に入って、さらに新しい知識が生み出されます。

さらに、ちょっとキザな表現ですが、知識に心が入ると知恵になると思います。またそれが、心の奥深く沈殿されると納得になったり、悟りになるのだとおもいます。

ただ以上は脳生理学的には解明されてません。心理学者や認知科学者などの知見をまとめますと、こう言えるようです。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:15

いろいろな情報が脳を刻んでいますが、それらすべてを集めたものの内、理性で操れる範囲が知識だと思っております。

ですから、「知識」はあくまで個人の所有であり、情報については、個人の所有にも、外部の物にもなりえると考えます。また、我々は、脳にある、煮崩れた原石のような情報を、何かの偶然でアイデアとして知識に引きずり出す(拾い上げる)ことが時々できたり、未だ経験したことのないものを、その知識から編み出す事ができます。また、その編み出したものを、「情報」として外部に表現する場合があります。
インターネットであれ、大学の講義であれ、未開地の冒険であれ、予想外の事故であれ、全ての時から新しい情報が、脳にかかわります。そしてその一部が知識として保存され、一部は体験として刻まれ、一部は、思い出として脳の深く広い場所に沈んでゆきます。
 この場の私の意見で重要な事は、知識は個人が形成し、所有し、使用するもので、また日に日に形を作りかえることが可能だということです。

ですから、やはり私は、インターネットは人類をオリコウにするとおもいます。なぜなら、合理的であるからです。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:16

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Qステロイドについて

さまざまな疾患でステロイドを内服されている方がいますが、恥ずかしい話し、ステロイドって???
きっと奥が深く、一言ではいえない薬だと思うのですが、知識をつけたく質問しました。
特にステロイドの薬効が知りたいです。
変な質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは.

ステロイドとはステロイド骨格という構造を持った物質のことです.
人間が産生するホルモンの一部(全部ではありません)には,この構造を持っているものがあり,それらをステロイドホルモンとも呼んだりします.ちなみに血糖値を上げるグルカゴン,下げるインシュリンはホルモンですがステロイド骨格を持っていません.

体内で生合成されるステロイドの代表としては,コレステロール(これがホルモンの材料になります),性ホルモン(男性及び女性ホルモン),副腎皮質で産生されるホルモンのすべて(副腎皮質ホルモン)です.

ご質問のステロイドとは副腎皮質ホルモンを指していると思いますので,副腎皮質ホルモンに限定して書き込みたいと思います.

副腎皮質ホルモンの作用には,電解質,糖質,タンパクの代謝にかかわる作用,抗炎症作用,抗リウマチ作用,抗アレルギー作用などがあり,いろいろある副腎皮質ホルモン(コルチゾン,ヒドロコルチゾン,コルチコステロンなど)によってどの作用が強いか微妙に違います.
中でも,抗炎症作用,抗リウマチ作用,抗アレルギー作用は非常に強力ですが,体内で生合成される量には限界がありますので,これらの効果を期待して人工的に大量に合成して医薬品として用いるわけです.
また,医薬品には,生合成される副腎皮質ホルモンの構造を少し替えたものを合成ステロイドとして用いています.

薬効は非常にすばらしいのですが,使用するにあたっていくつかの注意点があります.
数年前,環境ホルモンという言葉が世間をにぎわし,ダイオキシン問題がクローズアップされました.ステロイドを使用するということは,人間の体としてはホルモンを体内に入れるわけですから,ホルモンバランスを崩すおそれがあります.
このことに関連して,副腎皮質ホルモンを服用すると,副腎自体が萎縮し働きが抑制されてしまうため,副腎機能を回復する治療が必要になります(脱ステロイドの問題といわれるのはこれです).また,消化管障害(潰瘍など)が誘発されることもあるようです.これらの副作用は,外用として皮膚に少量塗る分には発現しにくいとされていますが,塗るのをやめるとまた症状が現れることがあります.

ステロイドをやめると症状がぶり返すアトピー性皮膚炎,関節リウマチ,喘息の場合,治療に用いるステロイドは表面的な炎症などを抑えるだけで,疾患の根本的な治療に用いていないことがご理解いただけるでしょうか.

このように,ステロイドは強力な作用を持つ反面,副作用も強力なため諸刃の剣のような存在です.ですから「炎症を抑えるにはステロイドしかない」という最後の手段的な薬物と思われます.

こんにちは.

ステロイドとはステロイド骨格という構造を持った物質のことです.
人間が産生するホルモンの一部(全部ではありません)には,この構造を持っているものがあり,それらをステロイドホルモンとも呼んだりします.ちなみに血糖値を上げるグルカゴン,下げるインシュリンはホルモンですがステロイド骨格を持っていません.

体内で生合成されるステロイドの代表としては,コレステロール(これがホルモンの材料になります),性ホルモン(男性及び女性ホルモン),副腎皮質で産生されるホルモン...続きを読む

Q <A HREF="HTTP://OKWAVE.JP/qa/q5660955.html">色に関するこの理解について</A><A HREF="http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.html">osiete1.goo.ne.jp/</A>質問番号5660955は色に関する理解として適切と判断しました。この主観は適切か否か、適切かつ否か、適切でもなく否でもないか、これら以外なのかフィロの点から御回答ください。リンクはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.htmlです
レンダリングテクストもコピーペーストしておきます。
よろしくおねがいします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

色の三原色と光の三原色|加色混合と原色混合|波長と色|・・・ここまでひ

色の三原色と光の三原色|加色混合と原色混合|波長と色|・・・ここまでひとりブレインストーミング|
||
|色相は色温度であり周波数である(これを一とする)
||
|明度は光の波の振幅の大きさである(これをニとする)
||
|彩度は光の波の波形(これを三とする)
||
|色彩学としてこのような理解を素人なりにしてみました|
||
|誤解や誤りや理解不足があれば矯正ご指導ご鞭撻おねがいします:||

投稿日時 - 2010-02-09 03:47:55
通報する

QNo.5660955

7KISARAGI

困ってます
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<A HREF="HTTP://OKWAVE.JP/qa/q5660955.html">色に関するこの理解について</A><A HREF="http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.html">osiete1.goo.ne.jp/</A>質問番号5660955は色に関する理解として適切と判断しました。この主観は適切か否か、適切かつ否か、適切でもなく否でもないか、これら以外なのかフィロの点から御回答ください。リンクはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5660955.htmlです
レンダリングテクストもコピーペーストしておきます。
よろしくおねがいします。

ーーー...
続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

答えは知らないんですが、
この分析の方向性は大好きですねー。ちょっと似てるかも・・

で、本題が、僕もさっぱりです、すまんです。
参考と言うことでいいですか?


何週間か前、僕も光の性質について考えてたんですが、ほんとにさーっぱり。
明ー暗についてははっきりしても、他の無限の色は一体何なんだろう??みたいな・・。
今この辺りに関係する問題を解けないものか、いろいろ四苦八苦です。
なんかでも、いい結論出たら聞いてみたいですねー。
以下考察・・


で、
周波数の違いが、色の違いに対応。それは、客観と主観の対応。
色相が周波数なのはそうですよね。色相は関係性。時間変化。

明度は、光の強さ。存在の大小。空間存在。

彩度は、ビビッドさ、リアリティーの含有量。色が乗る乗らないのことで、モノクロの世界かカラーの世界かを決める。現実感。セピアの写真じゃリアリティーないし。

大体、哲学でも、メインに3要素が出てくるような概念は、時間空間リアリティーの3要素と関係在ることがとても多いので、参考に。


今考えて、こういう分析です・・というか分析じゃないか・・

なんか不思議調の題と質問文につられて、なにもまとめず書きました。というかまだ分析しきれないから。

こんにちは。

答えは知らないんですが、
この分析の方向性は大好きですねー。ちょっと似てるかも・・

で、本題が、僕もさっぱりです、すまんです。
参考と言うことでいいですか?


何週間か前、僕も光の性質について考えてたんですが、ほんとにさーっぱり。
明ー暗についてははっきりしても、他の無限の色は一体何なんだろう??みたいな・・。
今この辺りに関係する問題を解けないものか、いろいろ四苦八苦です。
なんかでも、いい結論出たら聞いてみたいですねー。
以下考察・・


で、
周...続きを読む

Qステロイド剤ってからだにどういう影響があるの?

アレルギーがひどく、フケ症です。最近症状が悪化して、かゆみがひどすぎるため病院にいきました。エクラーローションというステロイド剤らしいものを処方してもらったのですが、いろいろなサイトでみてステロイド剤はからだによくないと知りました。かゆみはこの薬のおかげで少し治まった気がしています。が、ステロイド剤についての知識が少なく少々不安です。どういうものなのか、教えていただけないでしょうか・・・。

Aベストアンサー

NHKためしてガッテンのアトピー特集で詳しく説明がありました。そちらのHPで読まれるとわかります。

息子はやはりアトピーでステロイド入りの軟膏を極わずかながら塗っていました。ここ最近はちょっと悪かったです。
それとは全く関係なくイボを切除し、縫合したのですが、1週間後の抜糸の際、再度傷口が開いてしまいました。ステロイドの副作用により皮膚の再生能力が弱くなっていたからだそうです。
患部に塗ったものが皮膚を通して、全身に回ります。アトピーの患部と傷口は直接近くなくても、このような事が起こります。
使用を止めれば、副作用も収まってきます。

怖いかも知れませんが、アトピーを治すには有効な薬なので、使い方を守ればこんなに心強いものは有りません。お医者様と良く話し合って下さい。(手術を受ける事があった際には気をつけて下さいね)

参考URL:http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2003q2/20030521.html

Qhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa5582485

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5582485.htmlの回答番号#2について の素朴な疑問です 
 
この修羅の巷で幸せの奪い合いと不幸の擦りあいを行う メッシュのノードとして それに加担し続けることハ 迷惑ではないのでしょうか 
 
あなたの幸せは他人の不幸の上に成り立っているのに 

Aベストアンサー

織物のnode、濃度、農奴。
結節点からこぼれる人間もいないし、織物の張力から外れて一つの存在であるような人間もいません。
それ自体が時には、くだらなく、悲しく、重いかもしれないが、
煩わしい、迷惑だ、そういう気持ちもまた、どこにもやり場がありません。
逃げ場もなければ廃棄場もありません。
だから逃げないし棄てないことが、たぶん望ましいのでしょう。
それ以上のことを望みすぎかもしれませんね。

Qニキビ治療で ステロイド を処方されてしまった(怖)

ニキビ治療目的で皮膚科を訪れ、処方箋をもらいました。
処方箋の欄をチェックしたら、
「パルデス軟膏0.05% ステロイドホルモン剤」と書いてありました。
ステロイドという名前を聞いただけで、何か怖いイメージです。
副作用が強いとか酷いとか、使うの止めたらもっと酷くなるとか‥‥
アトピーの方の怖い体験談や噂を沢山聞きます。
それを聞くと、ステロイドって怖いというイメージがあります。

処方箋を貰っても、まだ薬局に行ってません(汗)。

でも‥‥ただの噂話?どこまで本当の話?という正確な情報が分かりません。
ステロイドについてちゃんとした知識がほしいです。

Aベストアンサー

ステロイド薬には軟膏の他に喘息を治療する吸入薬、全身のアレルギー疾患を治療する経口薬(飲み薬)などもあり、ステロイドの濃度、強さはさまざまです。
あなたの場合、ニキビによる皮膚の炎症が激しいため、すぐに確実に治療するステロイド系の軟膏を処方されたようですね。医師が処方しているのであればそう間違った選択はされてないと思いますが、炎症が治まっているようであれば使用する必要はありません。普段から洗顔を心がけ、食事も改善すればニキビはかなり軽減できます。
ステロイドを使用して皮膚炎がより悪くなる事は考えられません。使用方法を誤れば別ですが。また普段から清潔な環境を維持するようにしてください。あなたのおっしゃるアトピー性皮膚炎の怖い体験談の話、本当であればどこに掲載されているのか教えてください。
ステロイドについての誤解を解いていただくために参考URLをご一読ください。
どうしても心配であれば、もう一度医師に相談し、非ステロイド系の薬を処方いただくか、正しい薬の使い方についてきちんと説明を受けるといいでしょう。

参考URL:http://www.atopymanual.com/steroid/

ステロイド薬には軟膏の他に喘息を治療する吸入薬、全身のアレルギー疾患を治療する経口薬(飲み薬)などもあり、ステロイドの濃度、強さはさまざまです。
あなたの場合、ニキビによる皮膚の炎症が激しいため、すぐに確実に治療するステロイド系の軟膏を処方されたようですね。医師が処方しているのであればそう間違った選択はされてないと思いますが、炎症が治まっているようであれば使用する必要はありません。普段から洗顔を心がけ、食事も改善すればニキビはかなり軽減できます。
ステロイドを使用して皮膚炎...続きを読む

Q「時計の歴史」に関する酷く拙い愚問です。

『デジタル時計』の登場が『アナログ時計』を駆逐し得かったのは、【桁溢れ】への違和感のせいなのでしょうか?

補数の計算方法の発想の由来を考えていた際に、気になりましたから、畏れ入りますが、教えて頂けますでしょうか?

Aベストアンサー

デジタル時計にもアナログ時計にも一長一短があると言うだけのことではないですか。

人間が自分の囲まれた世界を認識する方法は一つだけではありません。多次元的に認識していますね。デジタル時計では情報が、例えば12:45と一旦数と言う、ここでは左から右に並ぶ時系列的な言語に翻訳され、それを脳味噌が時間として認識する過程を経ます。

一方、アナログ時計では、針の位置という幾何学的な情報を空間的に一瞬の間に認識して、それを脳味噌が時間として認識する過程を経ます。

さて、我々の脳味噌はどちらの認識法が楽なのでしょうか。多分、どちらとも言えないと思います。それをどちらかに統一してしまうのは、あたかも、自分の国の軍隊は陸軍が強いから、空軍や海軍を廃止してしまうと言っているようなものだと思います。脳味噌も、必要に応じて与えられた全ての可能な認識法を臨機応変に駆使しながら、世界を認識しているのだと思います。

Q水溶性ステロイドの効き目及び副作用をどなたか教えてください

水溶性ステロイドの効き目及び副作用をどなたか教えてください
私はステロイドで散々酷い目にあってきたので正直怖いのです、
副作用がないと聞いたのですが本当でしょうか?
私は今脱ステロイド・脱保湿をやっています大変辛いのですが
ネットで見たhaseさんの言葉を信じてトライしてます、まだ
1月ぐらいですがもうしばらくやってみるつもりですが
色々な情報を知りたいので知識のある方はよろしくお願いします。

Aベストアンサー

病気になったら医者の治療、薬は必要ですが、
ただ、医者任せ、薬に頼るのはいかがなものでしょうか?

体を治すのは、3つ!
食事、運動、ストレスだそうです
健康を維持するにも、病気になるのも、この3つのバランスだそうです。
特に食事のバランス、内容に気を使ったほうが良いと思いますよ。
風邪薬ですら、風邪は治してません!症状を抑えてるだけで、
治しているのは自分の免疫力だそうです。
薬の使い過ぎは薬害の素だと私は思ってます。

ステロイドは、確かに効きますが、使っていくうちに、薬が効かなくなり
段々と強い薬になっていくそうです。
体内に入ったステロイドの薬害は酷くなるようです。

薬をやめる(ストレスがかかる)のではなく、治療、お薬を使用しながらも、同時に食生活の改善等で自ら免疫力を高めて、
病気を治すことをすれば、薬もいらなくなるはずですよ。(自分の体験より)

詳しくは、お医者さんの出してる本を読まれると良いと思います。
お勧めの本

三笠書房 なぜ粗食が体にいいのか
講談社  免疫革命(現代医学はなぜ病気を治せないのか) 新潟大 安保徹(アポ トオル)

参考にしてください。

病気になったら医者の治療、薬は必要ですが、
ただ、医者任せ、薬に頼るのはいかがなものでしょうか?

体を治すのは、3つ!
食事、運動、ストレスだそうです
健康を維持するにも、病気になるのも、この3つのバランスだそうです。
特に食事のバランス、内容に気を使ったほうが良いと思いますよ。
風邪薬ですら、風邪は治してません!症状を抑えてるだけで、
治しているのは自分の免疫力だそうです。
薬の使い過ぎは薬害の素だと私は思ってます。

ステロイドは、確かに効きますが、使っていくうちに、薬が効かなく...続きを読む

Q自己の死についての酷く拙い愚問です。

自分自身の死を自力で認識する事は阿羅耶識によっても為され得ない、と思われますが、たとえ腐敗していましても、その遺体が見付からなければ、当事者は行方不明の扱いを受けますので、矢張り自分自身の死は「【シュレディンガーの猫】の様に他者によって認識された時」にしか確定されないのでしょうか?

Aベストアンサー

二度も書いてしまってごめんなさい。

他の回答者の書き込みの中で、あ、面白いぞ、って思ったものがあったので。
というか、質問者さんの書いた補足が面白かった。 回答より判り易いものも
あったので。

主観の消失は何時どこでどうやって、と主観で認識しようと思うこと自体が
尻尾を食べる蛇みたいなものですよね。

私は異なるアプローチをお勧めします。

現在、全ての前提となっている「主観」の切り崩し作業です。

考えてみれば、自分が生み出したものではないものの巨大な集合体が自分です。
そもそもオリジナルなものなんて含まれているのか、判らなくなるでしょう?
多分、まるっきり私達のオリジナルな片鱗さえ、存在しないと思うんですよ。
DNAですら解読できたのは解体新書並みの単語の一部。「顔の真ん中で
盛り上がってるもの」というレベルでさえ、判明していません。
部分的に特定の酵素やアミノ酸を再現できるにとどまっていますし、脳にしても
新皮質上である機能による反応領域を特定出来ているに過ぎません。
回路構造や情報処理のOSのI/Oレベルのコード構造さえわかっていません。
脳神経回路の論理動作機序さえ想像の域を出ないのです。

我々は、様々な意見が増えただけで、相変わらずアリストテレス時代と
変わらない思考システムを使って少しづつ少しづつ考えを積み上げているのです。
まるで、カタツムリの歩みのようです。

さて、「自分」、まあ主観でもクオリアでも何でも良いのですが、この脳の
中にある、自分の一部と規定されるものをどんどんどんどん取り払っていくと
丁度退行催眠のように「自分と思い込んでいるものの大部分が周りから
与えられたものに過ぎない」ことに気付きます。 先天的なものも所詮は
遺伝子に組み込まれて後で稼動するように仕組まれた途方も無い条件反射系です。

思考ルーチンを外され、言語を外され、視覚的・聴覚的・触覚的・・全ての
感覚や知覚機能は生まれた後で両親に育てられる過程で遺伝子のプログラムに
よって発芽・形成されたものです。

例えば、色一つ取っても、各々の色は周囲の環境にある重要な要素がその色を
持つことによる、先天的な認識機能の発展のための準備です。
赤は焼けた大地、夕焼け、緑は植物、青は空や海。黄色は太陽、群青は夜明け。
いずれも空間識と時間識、敵味方判別、食餌機能の動作に不可欠の「キーワード」。

海の中の鯨や白銀のアザラシなど、生活の全てが異なれば、彼らの目に映る色は、
全く異なる色を見ているでしょう。 異なる波長のスペクトル域に色相がシフト
している、という意味だけではなくて、ある特定の色自体、彼らに必要がなければ
彼らの意識に存在しないだろう、という意味です。 例えばアザラシの脳の中で
緑色のかなりの部分が認識さえ出来ないものであるだろう、ということです。

逆に、昆虫などは色自体2,3種類しか判別できないなどと言われますが、
アリ塚の暗闇の中で彼らの目は赤外線の波長領域を数種類の色として識別して
いるのかも知れません。

いずれにせよ、自分だと思っている感覚・自我・思考・記憶・感情・生理。
その殆ど全てが自分という主観的な絶対者が様々な試行錯誤の末に獲得した
オリジナルなものではなくて、無数の引き出しを持つ遺伝子や脳神経が
そもそも持っている環境への順応性---可塑性、或いは鋳型的なコピー機能。
そういったオートマトンの発現に過ぎないのです。

自分とは何かを探るには、これらをとにかく取り払っていかなければなりません。
たまねぎの皮をむくように小さくなるかといえば、寧ろ逆で、誰もが持っている
「汎」でしかなく、それゆえに個性はどんどん無意味化し、相対的に群として
しか捕らえられなかった私達の集合体・・・社会でも国家でも、或いは家庭や
夫婦・恋人同士に置き換えても同じ視点は成り立ちますが、そもそも個体の
オリジナルな「実在性」などは実は存在していないんじゃないか、という
立脚点から議論を広げてみるのが良いような気がするのです。
未成熟な全体構造の一部がある条件付で単独動作しているように見えるのが
生命の個体の自我なり主観なりではないのか、ということです。

あるシチュエーションでの、例えば進化の試行錯誤のためとか、何らかの
意味生成のプロセスの中で、その場、その時、その条件でのプログラミングの
ために擬似的に生成されているのが「自我」ではないのか、という考えです。

もうお気づきかと思いますが、生死を考える思考の前提となる「個」という
視点を破壊してしまうと、生死そのものの意味が変質します。
壊されて捨てられたマリオネットはゴミになり、意味が消失しますが
そのマリオネットが演じた台本も、人形に魂を込めた演者も、その舞台を
見た観客の記憶も、全ては失われず、流動的に再現したり変質したりを
繰り返しながら別な人形、或いは別な役者によって何度でも再現される。
勿論、全く同じものは二度と出来ませんが、ユニーク、つまり唯一性は
殆ど意味を成しません。 受け継がれ、拡散し、再生産され、再分化、
或いは部分品として再構成されながら一情報として流れていく。

そういうシステムの中にあって、生死とは絶対唯一無二のユニークな存在が
集合に融合して消失することなく永遠性を獲得する、というロマンチックな
メロドラマに過ぎないのではないか、というのが私の思考ルーチンで
導かれた一般解です。

すなわち、巨大な集合の一部の偏りの生成と消失という、意味的な機序を
別にすれば、他者、と区分独立した絶対者ですらない、境界の明確でない
雲のような集合体、あたかも霧のような、そんなものが見ている夢のような
ものが我々「個体」という錯覚、と言えるのではないか、そう思っています。

私達は、実は、自分が存在していると確信する機能を持たされた(集合からの
期間的な断絶によってそう反応する、つまり人生という有限の間、単独に
なることで)マリオネットだと言えます。 その人形は、たまたま自分の
顔、姿かたちをしているだけで、海面の泡がある瞬間もっともらしい形を
為した、と言うほどに意味の乏しいものであろうか、とも。

であるならば、元々の母集合から切り取られた私たち、一滴の神の雫は
母集合の根本的な構造を、極めて疎ではあれ、縮小した形で保存している。
つまり、母集合の雛形です。 あるシチュエーション用に抽出された「系」の
マイクロ・モデル。 逆に言えば、何かに相対することによって、初めて
性質なり構造なり、つまり人格、と言うことですが、それが対生成のように
生み出されるのではないか、というミラーリングの仕組みも含んでいます。

ハードディスクのRAIDなどは、原理的な構造にこういった形を含んで
いるではありませんか。

私達は自分であって自分ではなく、自分は全ての人であり、誰でもない。
私達はどこにも存在しておらず、ゆえに、全存在に遍く分布し、流動している。

自分と他者、という概念の枷を取り外してしまえば、もはや生死にさえ
究極的な意義など無くなってしまうのではないでしょうか。

ちょっと今夜の猫は酔ってしまいました。

二度も書いてしまってごめんなさい。

他の回答者の書き込みの中で、あ、面白いぞ、って思ったものがあったので。
というか、質問者さんの書いた補足が面白かった。 回答より判り易いものも
あったので。

主観の消失は何時どこでどうやって、と主観で認識しようと思うこと自体が
尻尾を食べる蛇みたいなものですよね。

私は異なるアプローチをお勧めします。

現在、全ての前提となっている「主観」の切り崩し作業です。

考えてみれば、自分が生み出したものではないものの巨大な集合体が自分です。
そもそも...続きを読む

Q漢方薬とステロイド

どなたか正確な知識を教えてください。わたしの息子です。
30歳の今日まで20年間ステロイド治療(皮膚炎)の後、あまりのステロイド副作用(外皮がなくなりました)のあと、民間の温泉療法を8年間続けて(効果はありませんでした)、2週間まえから漢方薬治療を始めました。もちろん外見的な効果は出ていませんが、かゆみが若干軽減したようです。長年のステロイド治療によるステロイドの副作用に苦しんできたため、上記漢方治療のわずかながらの効果が、<ステロイド混入疑惑>をうみました。漢方薬(外用塗り薬と内服薬)には、本当にステロイドは入っていないのでしょうか?。
処方された漢方は、黄柏(オウバク)、黄連(オウレン)、苦参(クジン)、黄ごん(オウゴン)、甘草(カンゾウ)、七葉一枝花(シチヨウイッシカ)、野菊(ノギク)、淮山(ワイサン)、女貞子(ジョテイシ)、薄荷(ハッカ)、などとのことです。ステロイド(副腎ホルモン)は動物性ホルモンと思いますので、植物(薬草)からは発生しないのではと素人判断ですが、自信がありません。
個人的に現物の持ち込み検査をしてくれる機関をご存知でしたら教えてください。この治療法に確信が持てたら、同じ苦しみのかたがたに教えてあげたいと思っております。重症患者にとってはほんの少しの症状の軽減が どれほどか精神的救いになるのです。
ステロイドさえ入っていなければ。

どなたか正確な知識を教えてください。わたしの息子です。
30歳の今日まで20年間ステロイド治療(皮膚炎)の後、あまりのステロイド副作用(外皮がなくなりました)のあと、民間の温泉療法を8年間続けて(効果はありませんでした)、2週間まえから漢方薬治療を始めました。もちろん外見的な効果は出ていませんが、かゆみが若干軽減したようです。長年のステロイド治療によるステロイドの副作用に苦しんできたため、上記漢方治療のわずかながらの効果が、<ステロイド混入疑惑>をうみました。漢方薬(外用...続きを読む

Aベストアンサー

■ステロイドを長期間使用すると表皮層が薄くなりますのでそれを「外皮がなくなった」と思われたのでしょう。

■さて漢方薬ですが、お書きになった成分の中にはステロイドは含まれていません。皮膚炎などの炎症にはステロイドの作用のうち「抗炎症作用」を期待して用いたわけです。漢方薬にもその「抗炎症作用」を持つ成分が含まれているものがあります。化学構造は明記されていませんがステロイドに類似した作用を持つ成分もあります。それらを含めて「ステロイド類似の成分が無い」ことを証明するのは医学的発見に匹敵しますのでこれは無理というものです。

■その漢方薬が「混ぜ物」であれば論外なのですが、お書きになった成分だけ、あるいはいわゆるメーカー品の漢方薬であればまずステロイドの混入はありません。

■けれども、漢方薬というとどうも「現代科学では解明できない作用」というのを期待して中国製品に手を出す方々が多いわけですが、少なくとも日本に輸入されている中国製の漢方薬は精製が不十分だったり成分にばらつきがあったりでやはり信用できません。正規に処方されたものを服用することがよいでしょう。

■お書きになった成分は一般的なものですので、きちんとした医療機関から処方されたものであればステロイドが加えられていることはありません。けれども、自称「漢方を知っている」薬局が勝手に処方したものだと、早い効果を出すために抗生物質やステロイドを混ぜることが実際にあるようですので、これは信用できませんし薬事法に抵触するものがあります。

■お書きになった成分はツムラやカネボウなどのメーカー品の組み合わせでも可能な調合に見えますのでそれらを医者から処方してもらうのもひとつの方法です。

■薬の成分検査は大変高額な費用と手間がかかります。一口にステロイドと言っても何十種類もありますので、一つのステロイドが陰性でも確証にはなりません。現在の漢方薬にステロイドが入っているかどうかを確かめるのではなく、現在の処方内容を「ステロイドの入っていない製品」で再現して服用するほうが現実的と考えます。

■ステロイドを長期間使用すると表皮層が薄くなりますのでそれを「外皮がなくなった」と思われたのでしょう。

■さて漢方薬ですが、お書きになった成分の中にはステロイドは含まれていません。皮膚炎などの炎症にはステロイドの作用のうち「抗炎症作用」を期待して用いたわけです。漢方薬にもその「抗炎症作用」を持つ成分が含まれているものがあります。化学構造は明記されていませんがステロイドに類似した作用を持つ成分もあります。それらを含めて「ステロイド類似の成分が無い」ことを証明するのは医学的発...続きを読む

Q偶然=必然=運命???

ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。
まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。
・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること
・必然・・・必ずそうなると決まっている事
・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運

個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。

1:こういった場合あなたなら、(生死に関わらず)その原因は「偶然・必然・運命」のどれに当てはまると思われますか?お答え頂けるのであれば、なぜ、そう思われますか?
2:「世の中に偶然はない」という言葉を信じますか?
  具体的に、そう思った出来事などはありますか?

私は、「偶然・必然・運命」というのは、言葉やそれぞれの意味は違っても、もしかして同じ事なのかなぁと思い始めています。偶然が世の中になければ、全ての出来事は「必然的」に起こっている事になりますよね?その「必然的」に起こっている事柄の中にいつもいる私達は、それが「運命」なのでしょうか・・・。
この辺りで、頭がぐるぐる状態です(-_-;)

上手く伝えられないのですが、皆様の考えや意見をお教え下さい。私は哲学の専門家でも何でもありませんので、直感的な回答でも構いません。色々な意見を聞きたいです。

ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。
まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。
・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること
・必然・・・必ずそうなると決まっている事
・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運

個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。

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Aベストアンサー

 
存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。

詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。ここで、「偶然」「必然」「運命」というような、法則概念の前提に、「主体の自由意志」という概念が重要な意味を持つのです。

原始人や幼児がそうである、そうであったと考えられるのですが、初期には、主体の自由意志の発動というものは意識されていないのです。世界の事象の生起は、舞台の劇を見ているように勝手に流れているのであって、自分もその劇に登場していても、自分が何かをしようとして、話やできごとが進行するのではないのです。

こういう捉え方は、偶然でも必然でも運命でもないのです。そこに世界が自分も含めてあって、展開しているという状態です。原始偶然とも、原始必然とも、原始運命とも呼べるのです。

ところが、主体が主体的に、何かを希望し意志し、そのように世界の事象や自己に関係ある何かの状態を、希望の方向へ、形へと展開を望んだとき、展開を意志した時、ここから偶然とか必然という「概念」が成立するというか、主体精神に把握されてくるのです。

「必然」という概念は、比較的、後になって把握されてきます。「自由な志向意志」に対する「抵抗」として、「偶然」と「運命」が把握されるのです。

さいころを投げて、特定の目が出るように意志しても、自由に出る目を決めることができないのです。また、狩猟にでかけて今日は大きな獲物が欲しいと思っても、希望や意志の通りにことが運ぶとは限らないのです。有名大学に入学したいと希望しても、意志の思い通りにはなりません。

このような希望や意志の思い通りにならない世界の事象の生起の法則というか、ありようを体験すると、これを把握・解釈するのに、最初に「偶然」という観念ができるのだとも言えます。入試が成功するかしないかは偶然だと考えるのです。

しかし、意志に抵抗する偶然の事象生起について、そういうことが起こるという事実に意味を見出そうとすると、偶然であるが、それは「意味あることなのだ」とすると、これは「運命」なのだ、ということになります。戦争に勝つも負けるも時の「運」だという把握です。神が偶然のさいころを振って決めているのかも知れないが、それは我々には「運命」であるという把握です。

しかし、事象の起こり方を色々経験し観察もしていると、偶然だと思ったことが、実は、規則性があるということが分かります。例えば、温度や風の具合によって、獲物の収獲に違いが出てくることが分かると、獲物とする動物の行動に、ある規則性があることが分かります。熟練の狩猟者は、こういう規則性を利用して、自己の希望や意志を実現するのです。技術的応用とも言います。

また雨や晴れや暴風などは、偶然に、でたらめに起こったり止んだりすると最初は考えるのですが、そこにまた規則性が発見されます。世界はでたらめに生起しているのではない、という考えが出てきます。起源がよく分からないが、ある「必然」で動いているように思える、という把握をしたとき、「必然」の概念が生まれるのです。

必然は、意志や希望に抵抗することもあるのですが、必然の規則性を利用して、意志や希望を実現することもできるのです。ある季節のある時刻頃には、大風が吹くというのは、必然で、意志では、この風を止めたり、遅らせたりできないとしても、この風を利用して、狩りを有利に行い、獲物を獲得できるというようなことが可能になるのです。

大学の入試は、テストがあって、それである一定の点数を獲得しないと合格できないのです。これは意志に抵抗する必然条件だとも言えます。幾ら祈祷したり、神に祈ったり、「必勝祈願」だとか考えても、必然条件に合わないと、入試には落ちます。

しかし、逆に、試験問題を調べ、その種類の問題を解く練習を繰り返し行い、大学受験塾などで、入試試験問題に対し十分に準備すると、試験で一定の点数を取ることができ、合格できます。点数で合否が決まるという必然法則に対し、意志の技術的応用で、必然があるので、それに準拠して、成功の方法が分かるということになります。

しかし、入試は、合格最低点数があると共に、獲得点数の上位から200人とかを合格にしてゆくという必然システムもあり、ある年度の入試では、獲得点数で合格できたのが、同じ獲得点数の実力なのに、もっと点数を取る受験生がなぜか、入試に加わって、200人の外に押し出されて不合格ということも起こるのです。

入試システムの必然に応じて、可能な準備をして、入試に臨んでも、合格するかどうかは、ときの運、あるいはその年度の偶然によるという事態も生じるのです。

こうして、世界の事象の生起について、「自由意志」への抵抗として、「偶然」と「必然」があり、偶然と必然を技術的に利用して、意志の希望を実現しようとする人間の知恵の展望には、実は、「未来の成り行きの先取りヴィジョン」というものがあるのです。

システムの「必然性」は、未来のヴィジョンを築くのに有効なのです。こうすれば、こうなるという必然法則・因果法則があれば、未来がどうなるか予測できるのです。しかし、偶然という要素が、予測を不完全にします。偶然はさいころを投げるようなことで、結果がわからないのです。

ここで、未来のヴィジョンを前もって展開できるという人間の未来展望能力から、「未来と時間経過の結果」についての、「背後に隠れている構造」を構想した結果の「把握態度・構想態度」という精神の態度が出てくるのです。できごとの生起について、「楽観的」か「悲観的」かというような態度がありえるでしょう。

結局、あらゆる知力、知識を尽くして、未来を予測しようとして予測できないとき、未来に対し、「すでに定まっている」という把握態度を取るか、「定まっていない」という把握態度を取るかです。これは、知識を超越した次元での世界の隠れている構造要素・原理が問題となっているのです。

この把握態度と、「意志の能動性の態度位相」というものが交錯すると、未来展望に幾つかのヴァリエーションが出てくるのです。「既定+能動意志」の場合、能動意志を含めてすでに決まっている運命である(積極的運命従属)。「未定+能動意志」の場合は、決まっていない未来を、意志で切り開こう(積極的運命開拓)。「既定+消極意志」では、運命の前、なすすべもない(消極的運命従属)。「未定+消極意志」では、未来は分からないので、なるようになるしかない(意志放棄運命従属)。

>個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。

1)「巻き込まれた」という限りは、「偶然に巻き込まれた」のであるが、巻き込まれた事実において、それは「必然」である。ただし、予見でき回避できた場合は、「必然」とは言えないでしょう。回避しようと思ったが、偶然巻き込まれたか、回避の努力も空しく巻き込まれた、という場合、「必然」ではないでしょう。巻き込まれざるを得なかった場合、必然です。

それを、「運命」とするかしないかは、或る意味、意味のない問いとも言え、未来が既定の場合も、未定の場合も,両方とも、そういう運命だという把握は可能なのです。「運命などない」というのは、意志によって運命を切り開けるというヴィジョンです。

従って、この問いの場合、それは「運命」であった、ということになります。人生のあらゆるできごとは、偶然も必然も含めて、運命だと言えるからです。

2)「世のなかに偶然はない」ということはありません。偶然が一杯あります。さいころの例になりますが、さいころを振って出てくる目が、何であるか、神か悪魔か天使が、一々決めているとは考えがたいので、偶然で決まっているとするのが自然でしょう。

ただし、人生のヴィジョンにおいて、人間の意志や知恵や策謀を超えた彼方で、何ものか人知を超えた法則で、人生の運命は決まっているという展望をした場合、「世のなかに偶然はない」ということになります。これは、そういう事実・事態が「ある」というより、人間の側の認識・把握の問題です。

「世のなかに偶然はない」ので、それゆえ、何を試みても無駄だという考えにもなれば、そうであるが故、運命を切り開いて、未来を切り開くのだ、という考えにもなるのです。

「偶然はない」ので、意志しても、定まった運命は変わらないとも感じられれば、「偶然はない」ので、意志すれば必ず道は開かれる、失敗した場合は、努力が足りなかったのだ、と両方出てくるのです。

人生について、偶然、必然、運命というようなことを考えると、先に述べたように、予測・予見できない次元でのありようが問題になってきて、それをどのように見積もり、意志的に展望するかで、偶然、必然、運命というのはぐるぐる回って行くのです。

一切は必然だと展望すると、そのように展望した世界の運命は、何ものかの気まぐれによる偶然に支配されているとも考えられ、更に、そのような何ものかの気まぐれも、また必然で、偶然ではないのだ、という風に、幾らでも、予見できない次元の決定項について、偶然と必然を入れることができるのです。

わたしは、「運命を切り開くことのできる人間」というヴィジョンが好きです。わたし個人は、力尽きて倒れようと、人類は、その運命を切り開き、星々の未来へと到達するであろうと、展望しています。逆に言えば、経験として、わたし自身について、自己の運命を切り開くのは難しいと痛感しているということです。

しかし、どこまでも希望と意志は持ち続けて行きたいと思っているのです。
 

 
存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。

詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。ここで、「偶然」「必然」「運命」というよう...続きを読む


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