前回の問い立ては拙かった。
出直しです。
インターネットの普及と絡めて返信お願い。


http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=63784
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=63784
http://www.okweb.ne.jp/iwedding/kotaeru.php3?q_i …

A 回答 (8件)

 インターネットであれ本であれ、情報は「相手方が使って欲しい、と思って発信


されるもの」です。この「使って欲しい」という要求にどのように答えるか、その
取捨選択の判断を下すものが「知識」です。
 ですから、「知識ある情報」として発信しても、「知識」を持たない方は、これ
を「判断」=「認識」の枠外において扱うことになります。
 子どもと大人が違う受け取り方をする、そういった状況と同じことが発生するの
です。
 インターネットをどのように扱うか、扱う前に、「知識」ある行動が試されてい
るのかも知れません。
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【追加】


短い質問なのに見落としてました。・・・インターネットとの絡み。

ぼくは情報から知識に”昇格(?)”するのに、ネットが役立つことを期待してます。とくにその口火となりそうなのが、このOKWebのような「知恵市場」です。チャットや掲示板なんかもその可能性を秘めていると思います。つまりいろんな人の意見がぶつかり合って、スパークすること。なにしろ距離・時間に関係ありませんからね。すごく参加が自由です。
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この回答へのお礼

>ぼくは情報から知識に”昇格(?)”するのに、ネットが役立つことを期待してます。

あんたはえらい!(笑)
ご意見はともかく(笑)

情報でなく知識を、インターネットで即向目的的に活用する際、
情報を情報としてでなく知識として知るためには、自分で考えて知らねばならんと
僕は言うのだが、そうして自分で考えて知った知識を、もう一度
情報として世の中に発信して、受け取った人々がそれぞれ自分で考えて、それを知識として知ることが出来るなら世の中みんなが進歩することになるわけだ。

お礼日時:2001/04/16 19:15

お利口さんの意味を考えると悩みますが、


「情報を得る」はある人にとっては即知識、ないしは紙屑。
そのある人の知識は別の人にとっては紙屑、ないしは情報。
インターネットと言う道具を如何に生かすかは個人の能力に因ると思います。
しかし、普及=お利口さんにはなりません。知恵を得るか否かこそ人によるからです。得たいと思わない者にとっては情報も知識も紙屑であると思うからです。

この回答への補足

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

補足日時:2001/04/15 23:08
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しかし、インターネットでビジネスをしだすと、仮に膨大な借金をしたとしても、何か数字だけが動いて、現実感が薄れてしまいそうなきもします。


コワイコワイなぁ~。と思います。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
これからもよろしく。

お礼日時:2001/04/16 23:40

情報を暗記したのが知識です。



インターネットが普及しても別に大丈夫だと思う。なぜならインターネットを自ら使えるようになるためにはある程度の学力が必要ですよね。その学力をつけてる段階で基本的な思考回路とか形成されてそうだから情報の暗記だけで考えないということは起きないと思う。
ていうか書いてて気づいたんだけど、インターネットって本とたいして変わらないですよね。あるいは調べやすい辞書。本とか辞書を見ることって悪いこととは思えないんだけど。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:13

まったくの私見です。



「情報」ーは下の方もおっしゃっているように、断片的なもので、頭の中で整理されておらず(時間順、分野別などに)脳に定着していない、従って必要な時に、さっと脳から引き出すことができないものと考えています。

これに対して「知識」は頭の中で、あらゆる方面からの沢山の「情報」が整理され、きちんと定着しているものを指し、必要に応じて、削除、訂正、淘汰、レベルアップが図られているものーと考えています。

一言でいってしまえば(ちょっと乱暴ですが)
「知識」はそれ同士、有機的つながりを持つのに対し、「情報」はそれがないーということがいえるのではないか?と思います。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:14

「情報」と「知識」の違いについて、ぼくはこう理解してます。



情報はつぎつぎと外部から脳に入ります。しかしそれは断片的です。ある脈絡を持った情報もありますが、それだけです。しかし人間が、それらを結びつけ、編集し、意味づけすると、知識になります。またその過程で連想が働いて、情報がなくても新しい知識に発展することも、あると思います。知識は情報が集積されたものいわれる所以です。

ですから知識は情報から生まれるものですが、これが数人のあいだでやりとりされると、他人の情報や知識が自分の脳に入って、さらに新しい知識が生み出されます。

さらに、ちょっとキザな表現ですが、知識に心が入ると知恵になると思います。またそれが、心の奥深く沈殿されると納得になったり、悟りになるのだとおもいます。

ただ以上は脳生理学的には解明されてません。心理学者や認知科学者などの知見をまとめますと、こう言えるようです。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:15

いろいろな情報が脳を刻んでいますが、それらすべてを集めたものの内、理性で操れる範囲が知識だと思っております。

ですから、「知識」はあくまで個人の所有であり、情報については、個人の所有にも、外部の物にもなりえると考えます。また、我々は、脳にある、煮崩れた原石のような情報を、何かの偶然でアイデアとして知識に引きずり出す(拾い上げる)ことが時々できたり、未だ経験したことのないものを、その知識から編み出す事ができます。また、その編み出したものを、「情報」として外部に表現する場合があります。
インターネットであれ、大学の講義であれ、未開地の冒険であれ、予想外の事故であれ、全ての時から新しい情報が、脳にかかわります。そしてその一部が知識として保存され、一部は体験として刻まれ、一部は、思い出として脳の深く広い場所に沈んでゆきます。
 この場の私の意見で重要な事は、知識は個人が形成し、所有し、使用するもので、また日に日に形を作りかえることが可能だということです。

ですから、やはり私は、インターネットは人類をオリコウにするとおもいます。なぜなら、合理的であるからです。
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この回答へのお礼

返信どうもありがとう。
また回答の方よろしく。

お礼日時:2001/04/15 23:16

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