教えていただきたいことがあります。
 「自然に」と「自然と」のニュアンスの違いなのですが、普段は目にする分には
あまり気にしてはいないのですが、いざ自分で使うとなると、どっちがベターなの
かと・・・。
 細かいこととは存じますが、お分かりの方いらっしゃいましたら教えていただけ
ないでしょうか。
 よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

自然(じねん):「中世以前では「ひとりでに、おのずから」の意の時は「じねん」と読むことが普通で、「万一、ひょっとしたら」の意の時は「しぜん」と読み分けていたという。

」(小学館「国語大辞典」)

このように使い分けられてもいた頃から、更に呉音「じねん」では仏教用語色が強まり、一方幕末明治での外来語の訳語としての漢音「しぜん」が主流となっていった。
そして今では名詞以外では形容動詞として定着しているとするならば、その連用形の副詞的用法である「自然に」が一番無難であり「自然」なのだと思われます。

自然に:故意にするわけでなく、おのずから、そうであるさま。また、ひとりでに、そうなるさま。
「自然にその戸が開いた。」「心の傷もやがて自然に癒されていた。」

自然と:ひとりでに、そうなるさまから転じて、比較の基準の意味合いを増し、あることがらが誰にも抵抗なく受け入れられるさまや、行為や態度がわざとらしくないさま、といった判断性のトーンが混じる。
「サイドを引いていなかったせいか、車が自然と動き出した。」「けんかの後なので、自然と口数が減ってきた。」
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この回答へのお礼

kine-oreさん

 ご回答いただきありがとうございました。
 (お礼がおくれ申しわけございませんでした。)

お礼日時:2010/12/26 16:40

「野山の雪がとけ、自然に春になった・・・。


「野山の雪がとけ、自然と春になった・・・。」

専門家ではありませんが、考えてみました。

「自然と」を使うと、「当たり前のコト」 みたいなニュアンスが入り込む感じがします。
(他人も そう思う・・が前提。)

「自然に」ならば それにとってフツーの成り行きの結果・・・という感じでしょうか?
(それによってのみのコトなので、他人には『不自然』でも知ったことではない。)

つまり、「自然に」は、自らの発動によるもの・・みたいな?


「自然にしてろ」・・・自分のありのママでいろ。
「自然としてろ」・・・ヒトの目から見て、「自然にしてる」ようにしてろ。



ああ、なんんだかワカラナイ!!
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この回答へのお礼

tomajuuさん

 ご回答いただきありがとうございました。
 (お礼がおくれ申しわけございませんでした。)

お礼日時:2010/12/26 16:39

に :(格助詞)として、転化の結果を示すときに使います。


例  大臣 に なる。
と としても良い   例 大臣 と なる。 が、その転化が自然に受け取られるような時に に を使う傾向がある と「岩波国語辞典 4版」にはあります。
 
この場合、まさしく自然な転化の例であり、
私は  どちらでもいいときは ”自然「に」”を使います。そのほうが発声としても「自然」のような気がします。
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この回答へのお礼

 ご回答いただきありがとうございました。
 (お礼がおくれ申しわけございませんでした。)

お礼日時:2010/12/26 16:40

「と」の方が注意を喚起する響きなので、


ニュアンスが動的です。
つまり
「に」は安定した状態を示し
「と」は変化を追うという感じになります。
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この回答へのお礼

sumimimiさん

 ご回答いただきありがとうございました。
 (お礼がおくれ申しわけございませんでした。)

お礼日時:2010/12/26 16:41

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 また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>日本語の「執着」は何だか一途な、ストーカーっぽいニュアンスで、ほとんど貶す時しか使わないような気がします。

ニュアンス的には、この認識が妥当です。用法としては、「金銭に執着する」等が挙げられます。

「作者が光、真理、愛への追求にとても執着していることに深く感銘を受けた」

ご質問の趣旨から外れますが、「深く感銘を受けた」という表現が最大の賛辞なので、あえて「執着」に類する誉め言葉を加えない方が簡潔な文になると思います。
例えば、「作者が光、真理、愛を追求していることに深い感銘を受けた」です。
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Q【よ】の用法について。「述べよ」は自然で、「選べよ」はなぜ不自然か。

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「次の3つの中から選べよ」とは言いません。

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しかし、「述べよ」の場合は自然になるわけで、この「よ」はどういう役割かと考えるとわからなくなりました。
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部下に向かって男性の上司などが、
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これとは別に、試験などの設問表現に限定してお答え頂ければと思います。

Aベストアンサー

五段とそれ以外の動詞の成り立ちの違い、としかいえない気がします。

このことは、当例の命令形だけではなく、終止、連体、仮定の各形にも表れます。
厳密にいうと、五段(つまり語幹が子音で終わるもの)の「選ぶ」はerab(語幹)+u(活用語尾)になります。このように子音語幹の動詞は、a/o、i、u、e、eという母音を付けて動詞として自立します。しかし、上一段や下一段他の語幹自体が母音で終わる動詞は、古来よりそれだけでは自立できていないのです。
「述べ(る)」の場合、その活用は、
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因みに、子音語幹動詞は四段、ナ変、ラ変由来(つまり現在の五段)、子音語幹動詞はその他の活用由来です。

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五段とそれ以外の動詞の成り立ちの違い、としかいえない気がします。

このことは、当例の命令形だけではなく、終止、連体、仮定の各形にも表れます。
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Qいただ「け」ますようorいただ「き」ますよう

質問です。ビジネス文書を作成する際に、いままで
「ご参加いただけますよう」と私は書いておりました。先輩は「ご参加いただきますよう」だと直します。一体どちらが正しいのでしょうか?
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ご回答、お願いいたします。

Aベストアンサー

私なりの考え方を述べさせていただきます。

まず「いただけますよう」と「いただきますよう」ですが、主体の違いによるだけで、結局どちらでも良いと思います。

「いただけますか?」と「いただきますか?」というフレーズを考えてみてください。前者の主体は相手ですが後者の主体が自分である事がわかるでしょうか?「○○していただけますか?」というのは「○○してもらえますか?」という意味で相手にそれが可能かどうか尋ねています。一方「○○していただきますか?」というと「○○してもらいましょうか?」ということです。つまり自分に対して「相手にしてもらおうかどうか」を尋ねています。

ここで最初のご質問に目を移しましょう。「していただけますようお願いします」は「(私が)相手に○○していただけること」を「私がお願いする」です。「していただきますようお願いします」は「私が(あなたに)○○していただくこと」を「私がお願いする」ということです。言っている事は同じですし、どちらも間違いとは思いません。

次に「お伺いいたします」ですが、確かに2重敬語です。ただおっしゃる通り現在ではごく普通に使われる表現で、違和感は感じません。私の考えでは正しい日本語としても良いと思います。

ただし「とんでもございません」は不自然です。これは2重敬語でもなんでもなく、明らかに誤った語法です。「とんでもない」という言葉の「ない」は「有る無し」の「無い」とは全く関係無いのでその一部を取って「ございません」とはできません。「あぶない」を「あぶございません」とか、「ゆるせない」を「ゆるせございません」と言えないのと全く同じ理屈で、不自然極まりない表現です。2重敬語の「お伺いいたします」の問題とは全く関連のない引き合いだと思いました。

私なりの考え方を述べさせていただきます。

まず「いただけますよう」と「いただきますよう」ですが、主体の違いによるだけで、結局どちらでも良いと思います。

「いただけますか?」と「いただきますか?」というフレーズを考えてみてください。前者の主体は相手ですが後者の主体が自分である事がわかるでしょうか?「○○していただけますか?」というのは「○○してもらえますか?」という意味で相手にそれが可能かどうか尋ねています。一方「○○していただきますか?」というと「○○してもらいましょうか?」...続きを読む

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と、いうことで「ベター」を引きずらなくても、一番良いものは素直に「ベスト」「最善」「最良」「最高」などと書けばいいと思います。

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