あなたの習慣について教えてください!!

日本古代史の中で 石渡信一郎&林順治氏の 『倭韓交差王朝説』は
きわめて理論的な説であると思いますが、どうして、異端説 扱いなのでしょうか?
(注:私は石渡教授&林先生と呼びます)

『倭韓交差王朝説』とは
(1)崇神は加羅から渡来し、九州のヤマタイ国を滅ぼし、350頃、纏向に第1倭国『加羅(南加羅))』を建て、箸墓に眠る。
(2)5世紀の中国に遣使した倭国王『讃珍済興』は 崇神の子孫になる。大きな前方後円噴に眠る。
(3)昆支と余紀は百済の蓋鹵王の弟。ともに崇神王家の済(ホムタマワカ)に入婿。昆支は応神になる。余紀は継体になる。
(4)応神は倭国王武として宋に遣使。491年に第2倭国『大東加羅(あすから=飛鳥ら)」を建てた。八幡大名神になった。
(5)継体は仁徳陵に眠る。仁徳から武烈の間は架空天皇。継体の息子の娘の石姫は欽明との間に敏達を生む。
(6)欽明は応神の息子で 531年継体の息子を討つ(辛亥の役)。ワカタケル大王となる。蘇我稲目と同一人物。
(7)蘇我馬子と用明と聖徳太子の3名は同一人物で、欽明の息子。隋に遣使したアメノタリシホコのこと。
(8)蘇我蝦夷はアメノタリシホコと敏達の娘の貝蛸(フツ)姫との息子。子の入鹿とともに天皇。崇峻、推古、舒明、皇極は架空天皇。 
(9)馬子に殺された物部守屋は敏達の息子の押坂彦人大兄と同一人物。その息子が天皇になれなかった田村皇子。
(10)天智も天武も田村皇子の息子。但し、異母兄弟。天武の母は馬子(聖徳天皇)の娘で 天武は古人大兄と同一人物。

以上 10個は私の子供(小5)はウソだウソだと言っており、確かに、驚くべき説で、
内容も難しく、すぐには理解できないもの(特に記紀信者には)ですが、
石渡教授が論理的に証明された真実です。

ただちに、石渡教授は東大か京大の日本古代史の教授に推挙されるべきです。
そしてこの『倭韓交差王朝説』で 日本史の教科書は書きかえられるべきです。
私の子共もウソをマークシートしなければいけない不幸をだれか救ってください
どうして、当たり前のことが、できないのでしょうか??

A 回答 (4件)

demonistさん。



> それに「信用ならない」と言いながら「記紀」の記述について散々論じています。
> 「徹頭徹尾信用に値しない」と考えているのなら完全に無視するべきなのに

「徹頭徹尾信用に値しない」とは私の著作のどこに書いてあるのでしょうか?
私はそのようなことを書いた記憶はありませんが、もし書いてあるならどの著作の何ページに書いてあるのか教えて下さい。
私は「『記紀』を徹頭徹尾信用に値しない」などとはもちろん考えておりません。
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たまたま石渡氏の「聖徳太子はいなかった」を昨日購入しました。


簡単に言うと「文献の解釈が恣意的且つ支離滅裂だから」です。
実例を挙げると切りがないので省略しますが、幾つか。

河出文庫版P23~24に「古代日本語は朝鮮語だった」という項目があります。
しかし、古代(特に新羅の半島統一以前)には「朝鮮語」なるものは未だ存在していないはずです。
そして、その時代に半島の人間が話していた言語は日本や支那の文献に散見される人名や地名が殆んどなのです。
それこそ諺文が考案されるまで、漢文で記された朝鮮語がどう読まれていたのか正確には不明なのです。
現代朝鮮語を古代日本の文献解釈に使うのは歴史的な順逆を無視した暴論です。

それに「信用ならない」と言いながら「記紀」の記述について散々論じています。
「徹頭徹尾信用に値しない」と考えているのなら完全に無視するべきなのに、特定の人物や事件などを採用している。
「人物Aと人物Bが同一人物である」との主張を展開する際「実在したのはAであり、Bはその別名・分身である」と仮に断じる根拠が実に曖昧です。
「何故Bが実在したという『反対の可能性』」を検証しないのでしょう。

また、本当に天武朝前後の時期に半島が先進地域であったなら「天皇家のルーツは百済である」というような「事実」を隠蔽する動機は奈辺にあったと言うのでしょう。
「天皇」という称号は天武帝と同時代人である唐の高宗に倣ったとも言われていますから、既に滅亡した友好国百済(唐との間に位置し油断のならない新羅ではなく)の血統を隠蔽する必要がどこにあったのか理解不能です。
蘇我宗家滅亡の頃に高名だったと記されている旻が既に直接隋に留学したことになっているのですよ。

結局憶測を博識で無理矢理納得させようとしているだけの議論です。
考古学的な問題は別として、文献解釈は滅茶苦茶で妄想だらけとしか評価しようがない。
そもそもあの文章が「論理的」だなどとはとても思えません。
証明されていない仮説を根拠に新たな仮説を繰り広げるのは正気の議論なのでしょうか?
同じ河出文庫でも海音寺潮五郎「大化の改新」の方が(随分昔の著作ですが)まだ読む価値がある。

石渡氏は「古史古伝」や聖書の「創世記」にムキになって反論を加えるような人々や古田武彦氏のような「常識を否定して『真説』を唱える」変人と同類ですよ。
都立高校の教諭をしていたとのことですが、その経歴自体個人的には驚きです。

こんな与太話を教科書に載せるくらいなら遠山美都男氏の所説の方が千倍もそれに値するでしょう。

結論としては「真面目に検討する価値のある所説だとはとても評価出来ない」からです。
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私は石渡氏の著書の愛読者にして支持者にしか過ぎませんが、間違ったことは言わないと思いますので。



その答えは、「皇国史観」が、いまだ根強い主流であるからです。皇国史観とは「万世一系の神格を有する天皇を中心とする国家」というような思想で日本国民に特に明治時代に強く押し付けられてきた思想です。根拠は古事記日本書紀です。
それらが江上波夫氏や石渡信一郎氏、林順治氏の考古学的研究を否定・攻撃し、ひいては教科書さえもが曖昧にしている要因です。

そういう事情も全てご子息にお教えになるのがよろしいのではないでしょうか。
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ウソではなく、不都合な真実、不都合な見解が存在します。


これを変えてしまうと国家の成り立ちから否定され、社会にも甚大な影響を与えます。
人間は可謬的存在ですし、このムダに豊穣な近代や文明は誤謬から生じました。
間違っているからこそ豊かだという見方もあります。
真実はつねにシンプルで、あまりにそっけなく厳しいものです。
どうせ人間家業を続けるならもっと振れ幅を楽しむのも一興かと存じます。
以上私見でした。
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