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共感すると相手の立場に立って考えるの違いとはなんでしょうか?
一言で言うと実感の有無でしょうか?


辞書によると
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きょう‐かん【共感】[名](スル)
他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。
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と出てきました。これって論理で考えた事とは区別しているという事ですよね。
多くの一般人にとっては葬式は雰囲気が重かったという話には共感できる、しかし、原爆の苦しみには相手の立場になって考える事しか出来ない・・・ということでしょうか。
心理学的にはどうなのでしょうか。また生物学的にはこれとは別で同じ脳の働きなんでしょうか。

A 回答 (4件)

心理学的な共感というのは、「その通りだ」と感じること、または相手と同じ気持ちになるということとはちょっと違い、「今こういう気持ちなんだ」と<知る>ことだと聞いたことがあります。




例えば人の話を聞いているとしますでしょ?
たわいも無い話で終わらない。
ああだ こうだ とずっと言っている。

「そう大変だったね 」「そりゃ災難だ」とか言っても「そうなのよぉ」と言って話がおわりゃしない。

「私の子供の頃なんて」とか「おーい どこまでさかのぼるんだ 話はまだ続くのかぁ~っ」て感じ。

で、よっこいしょって本腰を入れて相手の心を見るんです。

いろいろな伏線が話の中にある。

「悔しいね」と言ったとたん、相手は今まで怒りだった表情が一転変わり、ポロポロ泣き出してしまう。

「がんばったね」というと うんうん とうなづく。

もう相手は話を続行しない。
<完> って感じ?



あるとき、夫婦が喧嘩をした。
奥さんが「子供の育児が大変だ、あなたはいいわね 営業だから 出歩いて好きなときに喫茶店とか入れて」 と夫に訴え、夫は「じゃあ 日曜は俺が子供の面倒をみるよ。その間友達と遊びに行ってくればいい」と言うが、奥さんの攻撃はやまない。

「いったいどうすればお前は満足なんだ」と譲歩を続けるが、やまない。

で、男友達と同席してもらい奥さんの話を聞くが1時間たっても、折り合いがつかない。

そして男友達は妻を呼び出し、もう一度奥さんの話を聞いてもらったところ、5分聞いて「わかった」となった。

「要するにね、奥さんはもう少し育児に参加してって言っているのではないのよ、だんなさんが朝から晩まで働いていて疲れているのはよくわかっているのよ。 さらに育児もしろって言っているのではないのよ。自分も同じ朝から夜中まで育児やって疲れているが、それでも弱音を吐かずがんばっていることを認めてほしがっているのよ 大変なのによくやってくれているって言って欲しいのよ」

すると奥さん「そうなのよ それをさっきから言っているのに どうして二人ともわからないのかしら」って。

うーーん、、、言葉の中に「私が頑張っていることを褒めて」という言葉は無い。

でも心はそれだった。



気持ちがわかった(掌握した)というのが共感。

同じ気持ちになるのは同感。 実感に近いが疑似体験ですよね。

カウンセリングで共感が大事って言いますが、話を聞いて相手の本当の心を掌握するのが共感。
「今 こういう気持ちなんだ」と理解することが共感。


これができないと、大きな溝が両者の間にあり、いっくら話を聞いても、相手の心がわからなわけです。
相手の言う言葉はわかっても、相手の心がわからないわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
分かる事が共感なんですね。
そうすると 考える → 共感 にそのままつながりますね。

お礼日時:2010/12/26 11:23

相手の立場に立って・・・という事でございますが、立場でございますからポジション・立ち位置が同じという事でございます。

ポジション・立ち位置・立場、それが全く同じになるというのが相手の立場に立つ・・・という事の意味でございます。

つまり、原爆を受けた立場、原爆に苦しんでいる立場、そのものでございます。

相手の立場になって考えるというのは、その立場になってみてそこから始まる考えという事でございますね。

共感するというのは、立場を同じくした時に出てくる感情の事でございますね。立場が同じですので、感じている事が共有できます。それが共感でございます。逆に、相手の立場になれませんのに、一体どうして感情の共有が出来るというのでしょうか?

立場が同じにならずして、共感は有り得ません。共感している・・・様に錯覚している事でしたら起こり得ます。

如何でございましょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
別ではなくて同じ流れにあるということでしょうか。

相手の立場に立って考える → 共感という感情 ?

お礼日時:2010/12/26 11:20

心理カウンセラーを目指し、講座に通っていました。


試験は受けませんでしたが、勉強したことからの回答になります。

心理カウンセリングをする時、自分の価値観を一時的に外に出し、相談者が言ったことに対し「共感」します。

自分が経験したかのように相談者に伝えたり、同じような感情であると伝えたりして、相談者の鏡となりカウンセリングを進めていきます。

ですから「相手の立場になって考える」とゆうこととは異なります。

相談者の考えてることを、想像しなくてはならないので、カウンセラー自身の価値観が入ってしまうからです。


上記は心理学としての回答になりますが、1人の人間として考えると、「共感」は自分が経験したりして気持ちを察することができることだと思います。

「相手の気持ちになって考える」とゆうのは、自分の経験のないことを想像しないといけないので、お葬式と原爆の例えは、私も同じだと思います。

脳の働きとゆうか、脳の使い方が違うと思います。

余談ですが、世の中は自己中心者か、弱いもの同士の「共感」で成り立ってる気がします。

「相手の立場に立って考える」ことができる人が増えれば、うつ病の人も減ると思いますし、犯罪なども減る気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

すいませんが、最初の『共感』について具体的にどのようなことなのかが分かりませんでした。

お礼日時:2010/12/26 11:18

>多くの一般人にとっては葬式は雰囲気が重かったという話には共感できる、しかし、原爆の苦しみには相手の立場になって考える事しか出来ない・・・ということでしょうか。



そうとも言えると思います。

例えば…

「原爆を経験した人はさぞや苦しいだろうな。私は予想もしなかった大きな火災で家族の大半を亡くし、生き残った家族は後遺症に苦しんでいるが、原爆の苦しみは、その1000倍くらいかなあ。なんとなく気持ちを共有できるような気がするよ」
=共感。

「エノラ・ゲイを操縦していたこの人は、原爆が戦争終結を早めたと思っているのだな。私はずっと広島で暮らしてきたから、その意見に賛成はできないが、あんなに大きな使命を負った以上は、自分が正しいと信じたいだろうし、原爆に関する詳細な情報を知らされていなければ、そう考えても仕方がない面はあるのかもしれないな。私が操縦士なら、そう考えてしまうかもしれない」
=相手の立場になって考える

…という感じだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
かなり難しいですね。
ぱっと見て前者は共感でもあり相手の立場に立って考えている事だとも思えます。

ここで考えると

相手の立場に立って気持ちを考える → 共感
相手の立場に立って合理性を考える →一般的に人の立場にたって考えるという行動

という区別を思いつきました。
そう考えると共感とは心の働きではなくて、論理の働きに過ぎないと考える事も出来ますね。
大体自分は相手でないのだから同じ心を読む事は不可能・・・。

お礼日時:2010/12/26 11:17

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