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シニアの大先輩に質問です。
死ぬのは怖いですか?

私は歳をとると、死の恐怖感が薄まると思っていましたが、
人生の折り返しのいい歳になった今でも 変らず死は怖いままです。

もしかして60を超えても70を超えても怖いのでしょうか?
80を超えたら達観できるのでしょうか?

もしかして死ぬ直前まで、怖いままなのでしょうか?

最近は痴呆(ボケ)は、死の恐怖を忘れる必要な事であり、
(本人にとっては)幸せな事かも? と思いはじめました。

死の恐怖の克服について教えて下さい。

A 回答 (15件中1~10件)

20代の頃、大切な人も守るべき人もいない頃は


若気の至りってヤツなのかもしれませんが、
死に関しては何も恐怖を感じることはありませんでした。
飛行機に乗れば落ちるのを楽しみにしていたりしました。。。

それが結婚もして子供もでき、久しぶり飛行機に乗った時、
もしも飛行機が落ちたら・・・家族との別れが・・・
と考えた時、ものすごい恐怖感に襲われたのを覚えています。

それ以来、まだ30代ですがいまはとても死が怖く感じます。

死が怖いと感じるのは、年齢よりも今が充実しているか、充実していないかによっても変わるのではないかな・・・と今は思っています。

死が怖いと感じられるのは幸せなことではないでしょうか。

参考にならないかもしれませんが30代の意見でした。
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死については古今東西あらゆる検討がなされています。


死を恐れるのはヒトだけのようです。
死の恐怖プログラムを解除する認識の仕方も最近は充実してきました。
ただ単にそれを知れば死の恐怖もひとつの洗脳であることがしだいに明確になり、克服も可能かと思います。
ただし、この洗脳をなにか他の洗脳に置き換えるという方法が巷にあふれていますので、これにひっかからないようにだけ気をつける必要があります。

犬も猫もその他動植物鉱物は立派に死んでいきます。
万物の霊長たるヒトもまた動物であり、自然、宇宙の一部とすれば例外なく同じように逝けるはずですし、偏在するエネルギーとしてまた流転できるとおもいませんか?
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怖くありません


かと言って死に急ぐわけではありませんので
死は必然であり、自分でコントロールできません
受け入れるしか無いものを怖がるのはナンセンス、時間の無駄
死を怖がって何か変わりますか? 変わらないでしょ
一方、痴呆は病気だから誤解しないようにです
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死が怖いのは本能なので当然です。



ただ、40も過ぎれば死を身近に体験することが何度かあるでしょうから、それは日常になります。
なので漠然とした怖さはなくなると思いますが。

>死の恐怖の克服について教えて下さい。

克服しなくても困らないですよね。
単に忘れていればいいわけで。
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はじめまして。



大先輩ではありませんが、思うことを書いてみます。

死は怖い。
みんなそうです。
どうすれば死が怖くなくなるか。

私は、宗教をよすがとする方向でいま考えています。
天国や浄土を信じるのです。
魂は生き続け、天国や浄土で永遠の生を得ることが出来る。

そう信じています。

そして、善行を積むことです。
布施を施すことです。
見返りを求めない行為です。
他者のために尽くす気持ちが大事です。

そうすることによって心の平安が得られると信じます。

精一杯生きること。
自他ともに幸福になることを願う。
まだまだ私たちは、本当の意味で「生きる」ということが出来ていないのではないか。

そんなことを思う今日このごろです。
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>シニアの大先輩に質問です。


>死ぬのは怖いですか?

大先輩でもありませんが…(還暦目前)
個人的には、死ぬのは、ちっとも怖くありません。
というか、ダラダラ生きるほうが怖い。

ただ、苦痛が怖いだけです。
ですから、1日も早く法律で安楽死を認めて欲しいと思っています。

>死の恐怖の克服について教えて下さい。

「男も女も、金持ちも貧乏人も、善人も悪人も、賢人も愚か者も、この世の誰一人避けて通ることの出来ない道、それが『死』である」
と思ってはいかがでしょう?

皆が通る道であれば、貴方も通らざるをえません。
心安らかに通っても、恐怖に戦きながら通っても、同じことなんです。
行く先は同じですから(笑

あまり恐れることはありませんよ。
それよりも、虚しく死ぬことをこそ恐れて下さい。
やりたいことをやって、満足して死にましょう^^
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例えば、超高齢者に、強盗が、金を出さねば殺す! と言った時


「私は、もう十分に生きたから殺して下さい。」

大きな地震が来た時、「私は、もう十分に生きたからこの儘で良いです。」
とは、絶対に言わ無いと思います。
死ぬ時はほんの一瞬で有ったとしても、未知の世界への旅立ちは恐怖そのものだから…

人生に於いて諦めは有っても、達観なんて有りません。
高僧などが達観した振りを見せますが、色や欲への執着は並の人間と少しも変わりません。

死の恐怖への克服は、人生を諦めた時、諸々の絆を諦めた時。

死への恐怖が有るから人は生きているのです。

国家が老人は邪魔だから、60歳を過ぎたら皆しんで貰いますと、おふれを出したら60歳のひとは、70歳からにしてくれと言う、70歳にと決めたら、80歳からにしてくれと言い80歳にしたら90歳に…
100歳の人でも110歳からにして欲しいと言うでしょう。

安楽死は、本人が望まなければ、国家が決める冪では無いと思う。
--
呆けたら本当に死に対しての恐怖心が無くなるのでしょうか、
呆け老人の首を絞めたら、恐らく、
たすけて~と、命乞いの声をあげると思います。
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60代、男子。



死に就いては、日に一二度は何となく考える今日この頃です。 でも結論は出ていません。

死に対する恐怖は、本能的なものなので死にそうになれば恐怖を感じ、その危険性を避けようとするのは脳が機能している限り当然のことで、克服というのは難しいことだろうと思います。

本能ですから、人間に限ったことではなく、どの動物(もしかしたら植物も)も死の恐怖(或いはそれに似たもの)はあるものと思います。 何故なら喪失を避ける行為がなされなかったなら、今その動物の種は存在しないからです。

日常何の危険性がないのに、死の恐怖に襲われるのはある種の異常で、自分自身もその類です。所謂パニック障害というやつです。頭ではこれは感覚だけなのだと判っているのに、生理は死の恐怖に晒されるのですから、本当に「嫌な感じ」です。ただ、30分以上は続かないのが救いです。

ボケれば死の恐怖は感じないということは聞きますが、ボケたくはないと思うのも本音です。データでは70歳で10%がボケるそうですが、意外と少ないようです。

今までの死に関する経験では、死に対する恐怖は「死ぬまで」治らないと思っています。ある意味それが生きている証拠だからです。 死んだ父は死ぬ直前に、ある宗教の信者から死後の国に就いて語るのを聞いていました。 多分、少しでも恐怖を紛らわせたかったのだと思います。
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死ぬのが怖いし、避けられないので、


生きているあいだは、女房子供と幸せな生活を送ろう、
と心がけています。

精一杯、家族と楽しい生活したな、って、死ぬときに思えたらよいですね。
いつそうなるか分からないわけですから。
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60歳代です。


時々考えますがどうしようもないですね。生きている間は時間の経過に身を任せるしかありませんね。私は健康に生きることしか考えていません。
死は精神と肉体からの開放ですから今悩んでいることあるいは病気があればそれから開放されます。私の父は癌で死ぬとき楽にしてくれといって延命治療を拒否しました。
達観とかその様な次元の高い話ではなく、ただ今の苦痛から逃れたいために拒否したのだと思います。死ねば灰になってこの世から消滅します。土に返ります。でもそのことは本人にはわからないことですから、恐らく苦痛とか恐怖は何にもないと思います。戦争でどれだけ多くの人がこの世に未練を残して死んで行ったか解かりませんがそのことは今生きている人が想像するしかない世界ですね。自分が死んだとき、自分のことを考えてくれる子供がいる。そのことが救いのような気がします。
回答になっていませんがどうしようもないと言うのが私の意見です。
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