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どうしたらいいですか?病気とたたかってるひとはすごいなとおもいます

A 回答 (5件)

こんにちは。



健康に留意することが第一です。ガンや成人病で死を迎える場合には多大な苦痛を伴います。そうではなく、寿命を迎えてポックリと、眠ったように逝くためにはその時期を迎えるまで健康に過ごす必要があります。とても素晴らしいことだと思いますよ。夜眠りについて、そのまま翌朝起きることなく楽に逝くというのが人生の終わりの迎え方として理想だと思います。
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私は苦しみながらでも、自分で堪えて死にたいです。


残した・残された家族に迷惑をかけて死ぬほうが嫌です。

自分が苦しみながら死ぬ方がましだと思えませんか?誰かに迷惑をかけて最後死んでいくのと比べてどうですか?
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一言で言えば、私も嫌ですよ。

たぶん世の中の多くの人は出来れば、苦しまずに死にたいでしょうね。それが人の本能であり、人に限らず多くの生き物に感情があるとすれば、願うことでしょう。

どうしたらいいかは、ご自身で考えて結論を出しましょう。
ネット上に全ての答えがあるわけではありません。これは、各々が自分の生き方において獲得するものです。まあ、自生論かな。

ちなみに、ある人は親になってから、子供が病気になったときにこの子の代わりになれるなら、私が変わりたいと願いました。ある人は、親になり子供が成長する過程で、病気にかかり苦しんでも生きたいと願いました。

苦しみながら死ぬのか、苦しんでも生きるのか?
質問者様は、どちらが素晴らしいと思いますか?自分に置き換えたとして、苦しみとは体の痛みなのでしょうか?それとも愛する人や家族と別れるつらさでしょうか?それとも、だらしのない人を心配する気持ちでしょうか?
病気という質問から読む限り、痛みや死の恐怖が中心のようですが、若い方ならもっと経験を重ねればもっともっと沢山の苦しみを知り、同様に幸せも感じることでしょう。そのときに、きっと死のあり方も変わることでしょう。お年を召している方なら、もっと多くの人と接し、今からでももっともっと多くの人とコミュニケーションを取りましょう。文学(本)や映画などを見て、涙を流しても良いでしょう。人や自分をもっと知るべきでしょう。

人は、生まれる瞬間において最後に選ぶ死の方法を決められません。強いて言えば、最後の手前で命が消える瞬間やその間際に第六感的に、もしかするとそろそろかと感じるぐらいでしょう。
死は決して最後の苦しみではありません。常に存在する苦しみの終わりというべきでしょうか?ただし、その死に方によっては、苦しみはさらに長引くかもしれません。例えば、自ら命を絶てば、悔しさや、虚脱感を持ったまま死を迎えます。それは、苦しみでしかないでしょう。

ずっとずっとがんばり苦しみ抜いて最後に、自分は頑張ったと思えるなら、その苦しみは頑張った結果です。何かをし終えた後に質問者様はどう感じますか、だっるいなと思うか、それともやった終わったと達成感を持つか?最後に苦しみを感じない方法は、この後者です。

人が苦しみを低減する最大の方法は2つです。
1つは、必ず誰かに愛され信頼されていること。看取る人がいるわけではなく、先に亡くなられていても誰かと共に生きた証があれば、人は最後を幸せに死ねるでしょう。
もう一つは、必ずそれを達成することです。それというのは、決まった何かではありません。最後の苦しみを逃げずに耐えることかもしれませんし、誰かを助けることかもしれません。とにかく、逃げずに立ち向かうことです。最後の瞬間にそれを達すれば、苦しみは軽減されることでしょう。

人の体には、ある種の麻薬も存在します。体を興奮させたり、喜んだり、悲しんだり、これらを意識的または無意識にコントロールします。最後を幸せにしたいなら、その最後の事象から、逃げず背を向けないことです。そうすると、最後は意識の薄れる中で、体が自ら安らぎを与えてくれる可能性が高くなります。

逆に、単に恐れ死にとりつかれると、最後まで興奮し苦しみを感じ続けることでしょう。
それは痛みとは限らず、精神的なものも含まれるかもしれません。

これはとても簡単なことであり、とても難しいことです。ただ、必ずしも凄いことでもないのです。むしろそれは当たり前であるべき姿です。人が最後まで生きることは、人の命が持つ本来の力ですからね。それを最後まで発揮するようにすれば、自ずと最後の苦しみは減るのではないでしょうか?
まあ、私は今生きていますから、あくまで私がこれまでに考えた死生観に基づくものです。

この回答への補足

嫌です
死にたくないです
わたしは死にたくない

補足日時:2010/12/30 02:30
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凍死でしょうか?



寒さはありますが、苦しくはないかと。

ただ、誰もがそんな苦しさがあっての人生では?苦しさ、痛みを知らない人間はいない。だから、最後時に、苦しみを当たられるのかと思います。

ちなみに先日祖母が他界。
一瞬の痛みの後亡くなったのでは?ということでした。
家族が異変に気づいたのは、死後数時間たっていたので。

親などは「苦しまずに死んだ」とそれは「幸いなことだ」と言っておりましたが、それでも一瞬の痛みがあったはずなので、全く幸いでもなんでもなく、祖母は、一瞬激しい痛みを感じたわけで。
苦しまずに死んだ
には当てはまらないかと思います。

まぁーものは考えようでしょうけれど。

あと、この猛暑の夏に、多くの一人暮らしの高齢者なり高齢者のみの世帯で死亡事故がありましたよね。
エアコンのない家で・・・とか、生活が苦しく、更に猛暑続きで体力が。

彼らは、眠るようになくなったでしょうが。「エアコンのない部屋での暑さ」「食事がろくに食べられない空腹感」とうの苦しみは逢ったわけで。

人間、いつかは苦しみあるので、おそらく、生きているうちに苦労が多かった人は、あの世へ呼ばれる際は、苦しみが少ないかもしれませんね。
ってどこかの僧侶のようなこと言ってしまいましたが。
でもそうかと思います。
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仏はそのために仏法を説きました。



そのとき神や霊魂の話しをしてはいけないと戒められましたが、現在全ての仏教宗派が神を祭ったりしていますので僧侶でも成仏せず苦しんで死んでいっています。

苦しまずに死ぬ方法はひとつ、既成の宗教、仏教を捨て仏法に帰依することです。
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