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お世話になります
こちらのカテゴリーであっているのか、ちょっと微妙なところですが、
新田義貞が鎌倉攻めの際に稲村ガ崎に投じたという剣(太刀)についての質問です

この剣の由緒・由来、あるいは海に投じた後どのようになったのか?

鎌倉の市立図書館やネットで調べてみましたが、
なかなか情報を得る事ができませんでした
当然史実ではなく伝承、という事にになるのでしょうが、
ご存知の方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします

A 回答 (2件)

>しかし伝承・伝説の類になるのでしょうから、このエピソードだけ、という可能性もありますね。


→太平記では描かれてるシーンですね。

後世の小説家や、歴史家の創作の可能性も高いと思われます。
・質問者は黄金造りの太刀をご存知のようですが、NHKの大河ドラマなんかでは何の変哲もない小太刀で
見た覚えがあります。

・私は自分の持っていた脇差をそのまま差し出したっていうのを聞いてました。

>この剣の由緒・由来、あるいは海に投じた後どのようになったのか?
→その後を調べること自体が残念ながらナンセンスかと・・・。
 捧げ物になったワケですから、何も知らない人が拾ったのならともかく、
 その場に居合わせた部下が取るとも思えません。

あとですが、鎌倉時代から新田氏と足利氏の因縁はあるんですが、
裕福な足利の庄と貧乏な新田の庄で比較されてるのですが、
鎌倉幕府に取り入って足利氏が交換させて裕福な新田の庄を新田氏から奪ってます。
(その後庄の名前も変わったんで地名と家の名前が一致しないということがないんで
不思議には思われないかもしれませんが)
ですので新田氏は源氏として武家の名門の家柄ではありますが、
言われのある高価な脇差をお供えものとしてでも差し出せるかも少々疑問です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
お礼が遅くなり申し訳ありません

確かに稲村ガ崎越えの進軍自体、真偽が取りざたされている位ですから、
剣を投じた、というエピソードが単なる伝承、後世の創作である可能性は
充分にあると認識しています
ただ歴史ロマン的なところで、その剣が「こういった謂れのある名剣」とか
「後にどこそこの神社で神宝として奉られている」といった尾鰭が
ついている事はないのだろうか?
などと考えたわけです
(源氏宗家の証だという「鬼切丸」みたいな感じですね)

特段、そのような伝承がある気配はない、という事で了解いたしました
ありがとうございます

お礼日時:2011/01/12 19:02

海を鎮めるように使用した脇差でしょうか?(この時代に脇差が明確にあったのかは


僕は知りませんが・・・。)

>この剣の由緒・由来、あるいは海に投じた後どのようになったのか?
→特段の名刀でもない限り、海に投じたもので済まされるんではないでしょうか?
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この回答へのお礼

早速ご回答いただきましてありがとうございます

伝承では黄金造の剣(太刀?)とありますので、それなりの品なのであろうと思います
しかも海を引かせ軍勢を通すといった霊験あらたかな剣ですから、なにか他の逸話が残ってはいないかと思いまして・・・

しかし伝承・伝説の類になるのでしょうから、このエピソードだけ、という可能性もありますね。

お礼日時:2011/01/11 12:42

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