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先日、天皇の件で投稿させて頂きました、
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6438939.html

ご回答有難うございます。

再度投稿させていただきます。


日本に文字が存在したのはいつ頃からでしょうか?

そして日本最古の書物は「日本書記」でしょうか?


天皇のはじめの数代については文字がない時代だから
初代天皇:神武天皇も信憑性にかける、という説を聞いたことがあります。

質問としましては

(1)
何故いきなり天皇という巨大な権力をもつものが現れたのか?

(2)
初代:神武天皇の親は天照大神なのですか?

(3)
元は朝鮮半島から来た人物が天皇になっているので結局、
ネイティブ(まったくの日本人)ではないということでしょうか?

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A 回答 (7件)

日本に正式に文字が伝えられたのは日本書紀によれば応神天皇の時(5世紀位)と言う事になっています。

百済王の命令で王仁が「論語」「千字文」を天皇に献上したとあります。
ただ、千字文は6世紀に出来た物で、これがこの時に伝わったと言う話には疑問もあります。
しかし、5世紀後半には倭王武の上表文と言うのが宋書に載っていますから5世紀頃には漢字が伝わっていた事は確実でしょう。

(1)何故いきなり天皇という巨大な権力をもつものが現れたのか?

魏志倭人伝などにも戦いの続いた後、30ケ国により卑弥呼が共立されて女王になったと記されています。その後も狗奴国との戦いが起きたとか、集合離散を繰り返しながら、次第に大きな国となって行ったと思われます。6世紀の継体天皇の時代でも対半島政策を巡って九州と対立してか、戦争が起きています。強大な権力をもつ中央集権国家が生まれたのは奈良時代になってからでしょう。

(2)初代:神武天皇の親は天照大神なのですか?

そもそも神武天皇から変わることなく天皇家の家系が続いてきたと言う話には信憑性がありません。神武天皇は実在せず、崇神天皇と同一人物ではないか。あるいは応神天皇と同一人物ではないか。神武、崇神、応神がすべて同じではないかと言う説もあります。

(3)元は朝鮮半島から来た人物が天皇になっているので結局、
ネイティブ(まったくの日本人)ではないということでしょうか?

 何時までに日本に来た人をネイティブと言うかがはっきりしませんね。
旧石器時代に日本に住んでいた人は一万人をこさなかったと言われています。
縄文時代には数万から15万人以内の人口が増えますが、縄文人は地球温暖化の時期に南方からやって来たと思われます。
 旧石器時代の人はこの縄文人に飲み込まれてしまっているでしょう。
次の弥生時代ですが、弥生時代の末には人口は60万人から100万人くらいに増えたと推測されます。自然増でこれほど急に人口が増える事も考えに記ですから、当然何処からかやって来たと思われます。
 前の方が稲の遺伝子の話をされていますが、日本にある稲遺伝子は2つです。対する韓国は8つです。日本の2つの遺伝子に韓国にはない遺伝子もあるのです。中国には9つの遺伝子があり、日本の稲遺伝子全ての物があるので、中国から直接来たと考えた方が良いでしょう。
魏志倭人伝には倭人たちは中国南部の風俗を持っていたとの記述もあり、倭人、稲作を日本に齎したのは中国南部と言うのに信憑性があります。
 次に古墳時代から奈良時代までですが、奈良時代の終わりには人口が800万人位になっています。この人口増加も自然増だけでは起こり得ない数字ですので、かなり沢山の人が大陸からやって来たであろうと思われます。人口増加の3分の1位はいわゆる渡来人でしょう。
 この渡来人の中から天皇家が生まれたかどうかは解らない、としか言いようがありません。 ただ、遺伝学者の一人は日本人の65%は弥生時代以降にやって来た人の遺伝子を持っていると言っています。
 それからモンゴロイド特有の下戸遺伝子は日本人の40%に有って、縄文人には無かったと言われています。そして下戸遺伝子は現在関西地方を中心に分布しているのです。関西地方に大陸からの渡来人が多くいると言う事でしょうから、考慮しておくべきかと思います。
 
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(0)文字の存在について



漢字以前では、神代文字があります。しかし、これは存在自体が怪しいと考えられています。

ペトログラフも文字だとするとかなり昔から文字があったことになります。

何を持って文字とするか?という事にもよるでしょうが、卑弥呼の時代には亀の甲羅を焼いて割れ目を読んで占いを行ったそうです。この割れ目を読む行為を文字の成立と同一視できる、または、同時期に文字があった事と大きな相関関係があると考えられます。

(1)
いきなりじゃないのではなかろうかと。
(2)
父は彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、母は玉依姫命(たまよりひめのみこと)。※wikiより
(3)
神話の話でしたら、生粋の日本人です。
実際の話としたら、天皇家が中国大陸方面から来た可能性は否定できませんが、
そもそも日本の民族は北方、南方、西方からやってきた民族のごった煮民族です。
朝鮮半島の方角からやってきたとして、生粋の日本人でない、とするならば、すべての日本人はDNAレベルで生粋の日本人ではなくなってしまいます。
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・ 日本にいつから文字が存在したかはよくわかっていませんが、


 3世紀初め頃に土器に墨で字を書いたのが、平成になってから三重県で発掘されました。3世紀というと卑弥呼のころですね。
 これは、中国などの外国で書かれたり刻まれたりした字ではなく、日本国内で書かれた文字だと今のところ判断されています。これが日本最古の文字資料みたいです。
 また、4世紀前半に同じく土器に墨で字を書いたのがやはり三重県で発掘されてます。松阪市だったか?
 また、5世紀半ば~後期に日本で刻まれた文字で稲荷山古墳出土鉄剣の115文字という有名なのもありますね。これは現埼玉県にいた豪族の名前とかが金で刻まれていて、明らかに日本国内で記した文字です。
 卑弥呼と同じ頃の時代だなんて、相当に古い時代から日本では文字が使われていたんですね。
 もっといろいろ発掘とかされてわかってくるといいですね。

・ 現存する日本最古の歴史書は『古事記』ですが、
  現存する日本最古の「書物」は聖徳太子が書いた『三経義疏』という本らしいですよ。今も聖徳太子直筆とされてるのと写筆のとがあって内容がわかるそうです。仏教書らしいです。615年頃の本です。

  他にも、現存しませんが『帝紀』・『旧辞』(きゅうじ、私は高校の日本史の時間にこれを「くじ」と読むと習いましたが・・・)・『天皇記』『国記』などの書物があったことがわかっています。でも、こちらは現在に伝わってないのであったということ以外は内容があまりよくわからないそうです。
  『帝紀』『天皇記』などは天皇ごとの歴史が書いてあったと考えられてます。これらの記述を踏まえて『古事記』『日本書紀』が書かれたと考えられてます。どこかの遺跡からひょっこり発掘されたりしたら大発見ですね。

3、 「元は朝鮮半島から来た人物が天皇になってるので」、それはどの天皇さんですか?それは歴史的に証明されてるんですか?
   単に想像や「こうじゃないかなぁ~。」「こうだったらいいなぁ~。」を日本の歴史学では歴史的事実と見なしません。証拠資料をこれでもか、これでもかっと積み上げて初めて、歴史的事実であろうと認められます。
   1945年以降の日本の歴史学はもっと厳しいものです。
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>そして日本最古の書物は「日本書記」でしょうか?



古事記だと思いますが。

(1)、(2)についてはNo1様が回答して頂いているので省きます。


>元は朝鮮半島から来た人物が天皇になっているので結局、ネイティブ(まったくの日本人)ではないということでしょうか?

まず、天皇(弥生人)が半島からの渡来人という説は、現在では否定されています。
日本が大陸と繋がっていた頃に、複数の経路から民族が流入して混血し、今の日本人の原種になったことは確かだと思います。
しかし、大陸と離れ島国なった後、半島から海を渡ってきた民族が、日本を征服したという説は否定されています。

その理由ですが
1:半島とはDNA的に関係が薄い(日本人はむしろチベット・台湾と近い)

弥生人がもたらしたと言われている稲作についても、
2:日本の稲作の遺跡には、朝鮮半島より古いものが発見されている。
  日本では縄文時代から稲作が行われていた可能性がある。
3:朝鮮半島の稲のDNAは2種類あるが、日本は1種類である。
片方のみが選択的に伝わったとは考えられない。
よって、稲作の伝播は、半島→日本ではなく、中国&日本→半島と思われる。

文化・政治的には
4:日本の前方後円墳が韓国でも見つかっている。(日本の方が古い)
5:百済は日本の属国だった。(代々の百済王は日本人であった)


また、それを言ったら、アフリカに住んでいるアフリカ系民族以外はネイティブではないことになります。
ちなみに、今の朝鮮半島に住んでいる方々は、元は大陸でモンゴル人に追われて、半島に逃げてきたエベンギ族です。
その時彼らが百済を滅ぼして建てたのが新羅です。しかし、その後も侵略を受け続けて、エベンギ族としての遺伝子もズタズタになっています。ということで、ネイティブどころか民族として認めてよいかどうかすら危ういレベルです。
以上から、仮に日本人や天皇のルーツが半島であったとしても、今の朝鮮とは全く関係ありません。
中国も、王朝交代毎で支配民族が変わるごとに大虐殺が起こっているので、現在は純粋な漢民族など存在しません。

かの国の人達のいう事を真に受けていたら、常識と腹筋がいくらあっても足りませんよ。

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●日本最古の書物は「日本書紀」でしょうか?


○「現存では最古」ですが、それ以前に「天皇記」や「国記」その他無名の書物が存在していたと考えられています。

●いきなり天皇という巨大な権力
○伝説ではそうですが、史実では村落から徐々に精力が拡大されていきました。

●神武天皇の親
○紀記では「ヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト」「玉依姫」です。

●元は朝鮮半島から来た
○日本人はすべて大陸から来た人の子孫です。
騎馬民族征服王朝説というのは現段階では仮設のひとつで実証されていません。
また、弥生時代に半島から移民があり混血も進みました。
いわゆる日本文化成立以降を「ネイティブな日本人」というなら天皇はネイティブですし、そうでないならネイティブな日本人そのものが存在しません。
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文字と権力は関係ない


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3% …
インカ帝国は無文字文化

1)
巨大な権力というのが不明です。
巨大な権力というか国家権力を多数の人間に戦争に行け!(死んじゃうかもね)というように考えると、天智天皇のあたりからじゃないかなと思う

2)
さぁわかりません

3)
No1の方も書いていますが、日本列島の土地に人間がはえて来たわけでないので。
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この回答へのお礼

有難うございます。

そういわれれば確かに
3)
No1の方も書いていますが、日本列島の土地に人間がはえて来たわけでないので。

日本人もどこかの大陸からの集まりであるのは当たり前ですね。

お礼日時:2011/01/12 13:37

天皇の権力はもともと「巨大」でもなんでもない. 「豪族のまとめやく」という立場だったはず. でもって, 神武天皇の「親」が天照大神でないことも調べればすぐわかる (天照大神の 5世孫が神武天皇).


最後は完全に「ネイティブ」の意味の問題. 考え方によっては「全ての『日本人』がネイティブではない」ということもできる.
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この回答へのお礼

有難うございます。

調べました、確かに「天照大神」は親ではなく先代ですね、
でも血統があることになりますね。

お礼日時:2011/01/12 13:35

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現存する書物であれば古事記か日本書紀でしょうが、いまは消滅してしまったものを含めるとすれば不明としかいえません。日本書紀や古事記のもとになったような書物もあったはずですがどういうものかはわかりません。
歴史に名前が残っているものであれば蘇我氏の滅亡時に消失したという「天皇記」「国記」くらいでしょうか。

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邪馬台国が北九州にあったのなら疑問はないのですが、もし畿内にあった場合は
当時、奈良か大阪にいた天皇勢力とはどんな関係だったのでしょうか?
当時の天皇勢力の範囲も限られていたため、邪馬台国とは共栄共存という感じでしょうか?

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また魏志倭人伝にある通り、邪馬台国の領袖は女であり、狗奴国の領袖は男(天皇)でした。

両者は国境を接して小競り合いを続け、対立を繰り返し、決して友好な関係ではありませんでした。しかし、邪馬台国が魏朝と晋朝の冊封体制下にある間は、中華皇帝の威光を背景とする邪馬台国の勢力が優っておりました。

武帝が死去して恵帝の時代になると晋朝の内部崩壊が始まり、八王の乱に至って晋朝の権威は地に堕ちました。中華皇帝の威光の凋落は日本にも大きな影響を与えました。邪馬台国の勢力は弱体化し、この時期に原大和朝廷が邪馬台国を制して西日本の統一へ動き出したと見られます。(第八代孝元天皇から第十代崇神天皇のころ)

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あと英国 エリザベス女王は国民からの信頼が絶大ですが何故、
これまで絶大されるるのでしょうか?

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間違いなく日本です。
天皇が君主かどうかは現在も多くの議論がされてますが元首と言っても問題ないと思います。
首相というのは天皇が任命書を渡して政治を委任してるんですよ。
立場的には天皇が上。天皇は政治の実務権がないだけです(この点で一般的な元首とは異なりますが)。
「天皇が日本の象徴」ということは「日本国家そのもの」ということです。
天皇は海外では日本の皇帝だと認識されてます。
天皇家が途絶えることなく続いている日本が一番長いですよ。

かつて元首は総理か天皇かの質問がありましたよ↓

参考URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211455817

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

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Q文字を必要とした理由は何ですか。

文字をもたなかった民族もあれば、紀元前の昔から文字を使用している民族もあります。
最初、何を記録、あるいは伝達するために文字を必要としたのでしょうか。
想像したところ、ヒエログリフは王の業績を、マヤの絵文字は天体観測の記録を、漢字は亀甲占いの結果を残しておくために文字を発明したのではないかな、と思っています。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「シュメール人」と呼ばれる人々が作った
楔型文字が最古だといわれています。

メソポタミアでは、灌漑農業が非常に発達しました。
メソポタミアでは種をまいた量の80倍もの収穫量がありました。
現在のヨーロッパが15倍程度で、アメリカでも20倍程度なので、
80倍というのはとても大きなものです。

この非常に高い生産力で、自分たちが食べる以上の物ができました。
そこで、それらの作物を記録する必要が出てきました。
また、人に売って、自分たちにとって必要なものを
手に入れるようになりました。
大事な麦を保存したり売買するための記録として、
文字が発明されたという説が有力です。

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
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めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

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人類が言葉を持つようになったのはいつごろですか?
鳥や動物も,鳴き声などで言葉らしいものを持つとされていますが,
もう少しレベルの高い合図の域を越えた言葉(会話など)を持つようなったのはいつごろとされているのでしょうか。

Aベストアンサー

言葉とは辞書には、「人の音声のまとまりで、その社会に
認められた意味を持っているもの。  感情や思想が音声
によって表現されたもの。   言語。」
とありますが、ここでは少し原始的な意味で言語で表現
します。
人類の言語能力の発達については、化石の研究からかなり
解ってきました。

馬場悠男著 「ホモサピエンスはどこから来たか」河出書房
によると
イスラエルで見つかった約6万年前のネアンデルタール人の
舌の骨で現代人と全く変わらず、言語発声能力ありと判断
された。(ケバラ舌骨)
ネアンデルタール人は約20~3万年前に生息したあと絶滅
したが、現代人の祖先のクロマニョン人もほぼ同じ時代に生き
同様と推定される。
その前の後期原人(約100~30万年前)は化石の咽頭の
スペースから本当の意味の言語はしゃべれなかったと解る。

発声と言語の違い。  動物でも発声で合図や指令は出来る。
これが進歩し、簡単な単語を発声してもそれだけでは言語
とは言えない。  単語と単語をつないで簡単な文法が
でき、語彙もある程度ふえないと言語とは言えない。
単語発声能力を得ても、言語能力に達するには、脳の発達と
学習が不可避である。
脳では化石からその大きさがわかり、以上を勘案し原人では
言語能力はなかったと判断される。

クロマニョン人は3~5万年時代は、装飾品を作り、葬儀も
行っていたので、好き、嫌い、嬉しい、悲しいといった
感情表現を、態度や行動で示していたと思われる原人と違い
音声で表現したと思われ、これが言語能力である。

ただその時代は長く、いつ頃の年代に言語能力を得たかは
不明で特定は難しい。  脳力だけでなく、学習が必要。

私は大移動が始まった10万年前代に初期言語能力を得たと
思います。  個人意見で定説はありません。

人類の情報伝達。
「初めに言葉ありき」 由来は違いますが真理でしょう。
言葉、文字、マスコミ(印刷、ネット)と進みましたがこの
先どうなるか。  個人の脳から直接他人の脳へ情報伝達。
これは逆行ですね。
最近脳の小さい小人族の化石が見つかり、彼らが言語能力を
持っていたとすると、経験、学習を積むことで可能になった
との考えも出来ます。

言葉とは辞書には、「人の音声のまとまりで、その社会に
認められた意味を持っているもの。  感情や思想が音声
によって表現されたもの。   言語。」
とありますが、ここでは少し原始的な意味で言語で表現
します。
人類の言語能力の発達については、化石の研究からかなり
解ってきました。

馬場悠男著 「ホモサピエンスはどこから来たか」河出書房
によると
イスラエルで見つかった約6万年前のネアンデルタール人の
舌の骨で現代人と全く変わらず、言語発声能力ありと判断
された。(ケバラ舌骨)
ネアン...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
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 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q宮内庁はなぜ日本史の解明に非協力的なのか

よく宮内庁は皇室の歴史が明かされるのを嫌う傾向にあると聞きます。
仁徳天皇陵は全く調査をすることが許可されてないのでしょうか。
(社会科の先生からはこう聞きました)

日本は今や世界屈指の近代国家です。
しかし、日本の天皇の由来は全く混沌としています。

ならば、なおさら古代日本史の解明は国家の義務なのではないでしょうか。
その機関たる宮内庁が非協力的というのはどういう態度なのでしょう。
その理由が宗教上にあるというのなら、次に繋がるかどうかは別として
今回は一応納得します。

Aベストアンサー

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしまいます。

で、そういう立場からすると、過去の「作られた歴史」が暴かれてしまうことは権威の根拠に関わってしまいます。例えば、天皇家というのは実は朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族の末裔ではないかという話があります。倭国(日本)は百済の支援をして当時の倭国としては大軍事力を半島に派遣して白村江の戦いで敗れてしまいます。なぜ倭国が百済に過大なまでの支援をしたのか、単なる同盟関係であっただけではなく、実は百済が天皇家からみると「本家」で、倭国は百済の分家ではないのかという話があります。
日本ではその後いわゆる壬申の乱が起きて天武天皇が即位するんですが、大友皇子と大海人皇子の関係とかどうも日本書紀を読んだだけではよくわからんことが多いのです。そのへんについて日本書紀が改竄というか捏造というかそういうことをしたことは間違いないのですが、どのへんを歴史を書き換えたのかはよくわかりません。
もし仮に「皇室はかつて朝鮮半島からやってきた渡来一族の末裔である」ということが明らかになってしまったらどうなるでしょうか。嫌韓のネット右翼がなんと言い出すかどうか考えただけでも恐ろしいですね。今のところ皇室半島渡来説は荒唐無稽で根拠のない話ということになっています。なぜなら、日本書紀にも古事記にもそんなことは書いていないからです。しかし、日本書紀も古事記も時の権力者にとっての「大本営発表」なので歴史の削除、捏造、針小棒大などは当然あるわけです。あるけど、ないことになっている。それが我が国の古代史に対する学会の立場です。古代史は天皇家についてはアンタッチャブルの領域なのです。

また、皇室は一応ずーっと続いているということになっていますが、南北朝で相当ヤバいことになっています。血統の正当性という立場からいえば、南朝が正当です。しかし、北朝は時の権力者足利尊氏によって成立しており、最終的に南朝が北朝に吸収される形で再統一されています。このときの北朝系の血筋がね、どうなんだよってところなんです。私もその時代はそんなに詳しくないのですけれど。
で、戦後すぐに「我こそは南朝の末裔であり、正当な皇室の血筋である」と名乗り出た人がいたのです。世間でいわれるところの熊沢天皇事件というものなんですけどね。単なる気が狂ったおっさんが「わしは天皇である」といっただけならこんな歴史には残らないです。熊沢天皇事件が戦後事件史のひとつとして残っているのは「そういわれると、そうかもしれない」というのがあったからなのです。熊沢天皇は「北朝(現皇室)は南朝から帝位を簒奪し不法に即位している」と訴えたのですが、「そういわれりゃあ、そうだよな」ってところはあるんですよ。熊沢天皇は結局のところ南朝の末裔であることを証明することができなかったので最終的には「自称南朝の末裔」ということになったのですけどね。一時的であれ宮内庁は頭を抱えたのですよ。GHQは熊沢天皇に興味を持っていて、場合によっては昭和天皇を退位させて熊沢天皇を(GHQの手先として)即位させるんじゃないかと警戒したのですね。

宮内庁の仕事は、現在の皇室の伝統を次代に繋げることです。皇室にはなんとかの儀、かんとかの儀、と年がら年中しきたりだらけなのですが、それを続けることが最も重要なんですね。伝統の継続というものの頂点にある存在といってもいいでしょう。「歴史的に見て正しい」かどうかはむしろ邪魔なんですよ。まあ宮内庁関連の人といったら公家の末裔とか松平家の末裔とか父は貴族院議員とかそんな人たちばっかりですからね。しもじもの者が入りたいといっても入れてはくれません。

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしま...続きを読む


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