最近考えるほどわからない問題があります。
環境破壊はなぜいけないのでしょうか。
様々な回答があると思いますが、
哲学方面から、それに答えを出せるでしょうか。
(というより哲学からの回答しか意味がないと思っています)

エコロジズムは21世紀の倫理となりうるのでしょうか。
哲学の応用問題だと思いますが、よろしくお願いします。

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A 回答 (30件中21~30件)

 うひゃあ、このネタもけっこうモメるんですよね。

このサイトでも議論があります。下記参考URLをご参照ください。「教育」>「理系の学問」>「環境&エコロジー」にあります(まだ締め切られていません)。

 とりあえず手に入りやすい参考図書を紹介します。
 一つ。『環境倫理学のすすめ』加藤尚武・著 丸善ライブラリー
 もう一つ。『生物の保護はなぜ必要か』ウォルター・リード&ケントン・ミラー著 ダイヤモンド社
 前者は「哲学から見た環境問題」に関する入門書とでも言うべき性格のものです。著者のウィットが随所に見られ、わかりやすく面白く読めます。
 後者は自然科学寄りのものです。自然界に「善悪」を論じることはナンセンスですが、生態系にとって「正義」と呼べるものがあるとすれば、それは「多様性」である、ということを具体的な事例を挙げつつ結論付けています。
 はやりの問題…というか、どうしたって考えざるをえない、避けられない問題ですから、この他にもたくさん本は出ています。具体的なデータを盛り込んだものや、温室効果、オゾン破壊、森林破壊など、具体的な諸問題の原因・背景を探り、解説するものが多いようです。それに比べると「環境倫理」関係の書籍は、まだそれほどありません。(大学や研究所発行のものはけっこうあるのですが、一般向けのものは。)

 で、「なぜいけないの?」の本題に入ります。
 「世代間倫理」という考え方があります。ハンス・ヨーナスという倫理学者が提唱したものです。内容的には、Charlie24さんが述べておられる「子孫への配慮」というのと同じことです。すなわち、「現在世代による不必要な資源浪費や環境破壊は、未来世代の生存可能性を奪う」のでいけない、ということです。Charlie24さんは最初「自殺」と表現しておられましたが、もう少しはっきり言ってしまうと「現在世代による未来世代の殺害」にあたる行為が環境破壊であるから避けねばならない、ということになります。
 まあその、これを通俗的なキャッチフレーズのような形に言い換えれば「子どもたちに、美しい地球を残そう」みたいなことです。

 さてしかし、ヨーナスの「世代間倫理」という考え方は、旧来の伝統的倫理観を乗り越えて初めて成り立っています。この「旧倫理観」の内容、およびその乗り越えは、回答No.3のkeronyanさん宛てのコメントに見える「人間だけが他の生物のことに配慮しなければいけませんか?」というgattoさんの疑問にも関わるものです。
 「旧倫理観」の前提を押さえます。この前提は「倫理・道徳の基盤は、主体の相互性にある」ということです。…どうもすいません、言葉が固くて。噛み砕いて言うと「自分がやってほしくないことを、他の人にしちゃだめだよ」っていう、誰もがずいぶん昔に誰かから言われたことのあるのと同じことです。これの基盤には「私と他者の相互性」があります。「自分がやってほしくないことを…」というのは、さらに分析すれば「私はあなたに、あなたの好まないことはしない、だから、あなたも私に、私の好まないことはしないでくれ」ということです。「契約」というほど明示的ではないものの、こうした相互の承認が土台となって倫理・道徳は成り立ちます。はい、これが「前提」です。
 この「相互の承認」が、「現在世代」と「未来世代」との間に成り立たないということは容易に見て取ることができようかと思います。何と言っても、「未来の世代」は今現在存在していない人々なのですから、「相互」承認などできるはずがありません。「旧倫理観」は、実は「同時代に存在する」人々の相互承認という前提をも持っていたわけです。

 この前提の乗り越えのためにヨーナスが持ち出したのが「責任原理」です。「自分がどう行為するか」について、主観的な動機や意志の在り方・持ち方を規定しようとするのが「心情倫理」ならば(カントのものなど)、行為の客観的な結果から生じる「責任」を根源として、そこから「いま、自分はどう行為するか」という決定を導こうとするものです。
 この考え方に立ちますと、「予期しうる未来における結果」について「今の私には責任がある」ということが導けるわけです。これで「未来世代との相互承認」という要素はクリアできることになりました。

 さぁて、「他の生物」につなげますよ。ヨーナスからは離れますけどね、ちょっとした応用です。
 上記のごとく、未来世代の人間は今現在存在しておりません。当たり前ですね。存在していない以上、道徳的倫理的行為の「主体」ではありえません。「武士は相身互い、助け合おうではないか」などと未来の人が言ってくれて、われわれに何かしてくれるはずはない(タイムマシンでも発明してくれりゃ別ですが)。
 にもかかわらず、現在世代には未来世代に対しての「責任」がある。すると、その責任から現在世代のわれわれに課せられてくる行為の基盤は何になるか? それは、現在世代による、未来世代に対する、一方的な「配慮」ということになるのです。相手が何をしてくれるかということを顧慮せずに、こちらから一方的に配慮する必要があるということです。なんつーか、あの、「アガペー」つーやつでしょうか。
 それでですね、生物です。人間以外の。
 人間の歴史の中でも、自由や権利の範囲は拡大してきました。奴隷の廃止、市民権の確立、黒人奴隷解放、公民権獲得、女性の権利、子どもの権利、その他少数民族などなど。被抑圧者は、時に膨大な血を流すことも厭わず、「自ら戦って」権利を獲得してきました。これは、彼らが人間であり従って「主体」でありうるからです。「同時代の相互承認」の枠に割り込むために(というと語弊はありますが)、彼らは自らの意志で戦ったのです。
 もうおわかりでしょうが、動物や植物にはこれができません。そりゃまあ、猫は腹がすけば「みゃあぁぁ~(エサくれぇ~)」と鳴きますが、別にそれは「エサ獲得権要求」ではないです。腹がくちくなれば要求はやむ。
 人間以外の生物は「主体」たりえない。だからこそ、いちおう唯一「主体」たりうる人間が「配慮」してやる必要がある。そういうことです。

 ただ、生物に関しては「相手が何もしてくれないにも関わらず」という項は外せます。役に立つんですよ、生物は。
 「人間が他の生物を勝手に利用するのはよくない」という考え方もあるにはあります。いわゆる「反・人間中心主義」というやつです。でも、私はこれを、あんまり支持していません。人間でありながら人間の利益を顧慮しないで生きていくということが、具体的にどの程度できることなのか、疑問に思っています。
 ですからここは「人間中心主義」の枠の中で話を進めます。他の生物は人間の役に立つ。だから「持続的に利用可能なように」保護すべきである、と。言い換えれば、彼らの生存持続について、人間として「配慮」すべきである、ということです。

 誤解があっては困りますので、もう一つ申し添えます。「今、さしあたって有用でない生物は滅ぼしてもいい」ということではありません。前掲書『生物の保護はなぜ必要か』を読めば書いてありますが、あらゆる生物種は、それが棲息する生態系の中で、時として人間の予測を超える大きな役割を果たしている場合がある、というのが理由の一つです。役に立っていないからと言って駆除してしまうと、しっぺ返しがくる。
 それから、今さしあたって有用でなくとも、遺伝子資源として確保しておくべきでもあります。野菜の品種改良では、希少な原生種との交配などによって有用な種を作り出せることがあります。そのためには遺伝子が必要です。遺伝子を保存するには、冷凍保存という方法もありますが、いちばん効率の良い保存の方法は、やはりその生物を生きた姿のままにしておくことなのです(アメリカの種苗企業などは、これに多大な費用と労力を費やしています)。

 いつもながら長くなってしまいました。とりあえずこんなところで。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=26916

この回答への補足

補足です。
遅くなって申し訳ないです。
自分の考えをまだ体系化できていないので、それが以下にもあらわれる
かもしれませんが、ご容赦ください。

以下では、人間全体を、「人間」とひとくくりにして述べることを
とりあえず受け入れて展開してます。

>(被抑圧者は)、「自ら戦って」権利を獲得してきました。これは、彼らが人間であり従って「主体」でありうるからです。「同時代の相互承認」の枠に割り込むために(というと語弊はありますが)、彼らは自らの意志で戦ったのです。
> もうおわかりでしょうが、動物や植物にはこれができません。・・・
>人間以外の生物は「主体」たりえない。だからこそ、いちおう唯一「主体」たりうる人間が「配慮」してやる必要がある。

そんな必要ないと思うのですが。
たとえば野生動物には、快適に生存する「権利」があったのですか?
そんなものないと思います。
権利とは人間(被抑圧者とか)が発明したものではないですか?

人間以外の外部、たとえば生物に対して、人間と同等の権利をみとめることは
できないのでは。

ですから、

>「人間中心主義」の枠の中で

>人間として「配慮」すべきである

のならわかります。

間違えて人間以外の生物に権利を認めてしまうと、
狩猟はおろか農業もできなくなります。
環境に対して影響を与えることはすべて否定されてしまうので
息もせずに止まっているしかありませんよね。
ということは権利は人と人との関係でしか想定できないもの
といえるかと思います。

人間は生存競争の中の一主体(プレイヤー)にすぎないのであって、その中の
1プレイヤーが、相手に「権利」や「存在意義」を認めたところで、
それはプレイヤーが自分の思考の中で考える「相手」に
取り付ける概念装置でしかなく、その「権利」や「存在意義」は
すべて自分の方を向いています。

だから相互的でない。相互に同意しえない。

倫理が相互性にもとづくならば、
他の生物と人間との間に倫理は想定できない

だから倫理は「人間中心主義」の視点でしか考えられない。

(さらに言えば、人間同士に倫理が仮定できるのは相手も同じように考える
 可能性を仮定しているからだと思います。)

ただ、物理的な行為の相互性はあると思います。
だから、自然は人間の開発行為にときに復讐したりする。
いや、生存のための活動が人間にとって復讐に思えたりするだけでしょうけど。


上記の文脈から離れて、
人間にとって自然は有益であり、その点で、現在の技術で
自然を超克して有益な物理的体系を築きあげることはできないので
自然を保護すべきである。なるべく多様性を維持し、不用意な破壊は避けるべきである。
とする考えはいいとおもいます。
私もその立場です。

補足日時:2001/04/18 13:56
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

補足を考え中なので、先にお礼だけ申し上げます。

環境&エコロジーのURLありがとうございます。
読ませていただきました。

お礼日時:2001/04/17 15:12

どうして哲学からしか意味がないのかしら?


環境破壊がいけないのは、地球の環境が悪くなると、食べるものが無くなってお腹が減ったり、病気になったりして困ってしまうからです。
難しい言葉で考えなくても、サラダにするレタスの上にダイオキシンが降ってきたり、原子力発電所が爆発して灰が降ってきたりしたら、誰もそれを食べたくないでしょ?病気になっちゃうから。
空気が悪いところにいて、ゴホゴホ咳が出るのイヤですねえ。
そんなイヤな思いをしたくないから、みんなで協力して汚くしないようにするんです。そうしたらおいしいものが食べられたり、病院に行ったりしないで良くなるんです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>どうして哲学からしか意味がないのかしら?
では、他の分野から、「環境破壊はいけない、環境保護しなければならない」
といえますか?
価値について考えるのは、哲学(とか倫理)の役目だと僕個人としては思っているからです。

>難しい言葉で考えなくても、サラダにするレタスの上にダイオキシンが降ってきたり、
>原子力発電所が爆発して灰が降ってきたりしたら、誰もそれを食べたくないでしょ?

そうですね。いやです。
では、
「私の国は貧しい。経済発展して、自分と国民を豊かにしたい。
そのためには、環境保護よりもとりあえず原生林を切って日本に輸出して
外貨を獲得しなければならない。野生動物が何種類か絶滅しようが仕方ない」
という発展途上国の人には、なんと言えばよいのでしょうか。

補足日時:2001/04/17 15:28
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gattoさんにはどこかでお目にかかったような気がします・・



それはさておき、ご質問なさっていることを
「環境破壊がいけない(すなわち悪)とするならばその価値観の根拠は何か」
と書き換えてもよろしいでしょうか。

この回答への補足

こんにちは。いつもお世話になります(笑)

>gattoさんにはどこかでお目にかかったような気がします・・
数学あたりではないですか?(この前の、ポイント付けときました。
その節はどうも。)

>「環境破壊がいけない(すなわち悪)とするならばその価値観の根拠は何か」
はい、結構です。
よろしくお願いします。

補足日時:2001/04/16 23:34
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返答です。



> たとえば、「あなた」が「守られる」必要があるのは、
> せいぜい「あなた」が寿命を迎えるまでではないでしょうか?
> それまでどうにか環境が維持できれば、その後はどうなっても
> いい、といえるのではないでしょうか。
> 「あなた」はどうして「人間全体」のことを配慮するのですか?

エゴで考えれば、確かに自分が死んだあとはどうなってもいいというのも
ないことはないです。ただ、先日、母親と話をした時、「とりあえず
自分の知っている人(子供、孫など)は、自分が死んだあとでも、
そういった環境問題とかエネルギー問題で困らないでいて欲しい。」
と母親が言ったんです。僕自身は子供どころか結婚もしてませんので、
子供のことをいわれるとなんとも...という感じなのですが、
実際に子供がいたことを考えたら、そう思うのではとも思います。
未来の人間全体の中の一人に自分の子供や孫がいるのであるから、
エゴの延長で未来の人間のために地球を守ろう(この考えは確かに
おこがましいけど)という考えはどうでしょうか?

あと、環境問題の中には被害が急性のものもあるから、自分の身に
降りかかるものもありますよ。

この回答への補足

>エゴの延長で未来の人間のために地球を守ろう(この考えは確かに
>おこがましいけど)という考えはどうでしょうか?

環境保護という思想は、人間のエゴのためだ、と認めてしまうことが
一つの方法だろうと僕も思います。
そのうえで、人間のために環境を保護する、これなら納得できます。

でも、どうして一人一人(地球全部で60億くらい)を「人間」とひとくくりにして、
人間のため、というが可能なのでしょうか。この点がちょっと
わからないのです。たとえば(誤解をまねくかもしれませんが)
「遠くの人間より自分ちの犬」という価値観の人がいてもいいとはいえませんか?

>環境問題の中には被害が急性のものもあるから、自分の身に
>降りかかるものもありますよ

「自分にどういう影響が及ぼうが俺は今を楽しむんだ!」
という人にはどういえばいいのでしょうか?

補足日時:2001/04/17 15:44
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私の考えでは、


>環境破壊はなぜいけないのでしょうか。
いけないとは思いません・・なんていうとめちゃくちゃに聞こえますが、
「地球に優しく」なんて良く言いますが、人間ごときが地球様にむかって
やさしくなどとおこがましいです・・keronyanさんのおっしゃっている事に近いかも知れませんが長い歴史の中ではオゾンホールの破壊等と比べ物にならない程の劇的な変化がいっぱいあったわけですよね。そのたび生き残れないものは絶滅してきた..。こんどはその対象に人間がなるかも知れないので、
「損をするのは自分達(他の動物含め)だからやめましょう」という、考えようによってはわりと身勝手な言い分なのかもしれません。今の程度の環境破壊なんて地球にとっては痛くも痒くも無いかも知れません。だから「地球に優しく」はほんとうは「人に優しく」なのじゃないですか?皆長生きしたいので
環境破壊しないほうが長生きできる確率が高くなる・・という。
生物は皆「自分を守る」以外にも「自分の種族全体を守る」プログラムがある(という話を聞いた事がある)ので狭義の身勝手は種族全体を守れないです。
私言っている事質問とずれてます?

この回答への補足

ご回答ありがとうございます

>「地球に優しく」なんて良く言いますが、人間ごときが地球様にむかって
>やさしくなどとおこがましいです

僕もそう思います。「何様よ」ってなもんで。

>「損をするのは自分達(他の動物含め)だからやめましょう」という、
>考えようによってはわりと身勝手な言い分なのかもしれません。

まさにそうですよね。
もっと言えば、他の動物にしても人間に温情をかけられる筋合いはない
だろうと思います。ただ静かに復讐するだけでしょう。
自然と対話できる不思議少女じゃあるまいし。

>今の程度の環境破壊なんて地球にとっては痛くも痒くも無いかも知れません。

人間の独り相撲、ってかんじだと思います。

>だから「地球に優しく」はほんとうは「人に優しく」なのじゃないですか?

要はエゴですよね。

>生物は皆「自分を守る」以外にも「自分の種族全体を守る」プログラムがある
この部分、より詳しく知っていたら、是非教えてください。
母親が子供の危機に際して命を賭してこれに立ち向かう、などというのはそれに
あたるのかもしれませんね。また、増えすぎたネズミが集団入水自殺するとか
いうのもそのメカニズムなのでしょうか。
そうなると、世界の人口が増えすぎて、食料難になり、戦争がおこり、結果的に
人口が減少するとかいうのもそうなのでしょうか。戦争、殺戮、飢餓、伝染病
は、これをなくさなければいけない、という根拠は結局なんなんでしょう?

ところで、自分の種族全体を守るプログラムがあるのなら、それより下位レベルにある「人間個人」がどうふるまおうが(身勝手をしようが)、そのプログラム
に制御されている以上、その枠をはみ出すということにはならないのではないでしょうか。そういうプログラムがあるから、なにやっても大丈夫だ、ということに
なりますよね。

種族というカテゴライズで語ることがどこまで有効かわかりませんが、
「有機生命体」というカテゴリ、「動物」「植物」というカテゴリ、
「人間」「犬」「昆虫」「被子植物」・・・というカテゴリ(「種族」
でかんがえるのはこれに該当するのでしょうか)など、分類のレベルによって
考え方が変わってしまうように思えます。
さらに人間に限っても、「人種」、「国家」、「共同体」、「家族」など、
それぞれのレベルで、身内をひいきし他を排除するメカニズムが
働いているわけですから、その中で
「人間である」という同一性だけを偏重することに説得力があるでしょうか?
自分たちが大事であるという考え方なら、「社員を養うために廃棄物処理に
金や手間はかけない企業」とか、「自国の経済成長を妨げないために、
二酸化炭素排出規制の基準を設けた京都議定書を批准しないアメリカ」
の言い分は否定できません。

アメリカの例で言えば
「そんなに他国への迷惑を顧みないつもりならミサイルかますぞ」などと脅して
(もちろん武力は非現実的ですが)国際協調にこぎ着けるという、
「エゴ同士のバランス」にしか可能性を求め得ないのでしょうか。

とすればそんなもの倫理ではないとおもいませんか?

やはり西洋的な「神様」より日本的な「世間様」なのでしょうか。
どうおもいます?

補足日時:2001/04/16 22:42
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哲学で「答え」をだすのはむずかしいなぁ。


 「自然環境破壊」が最近嫌われるのは、より多くの人たちが「自然大好き!」になってきたからだと思います。
自然がある状況のほうが、自分にとって好ましいと考える人が先進国に多く増えてきたからかな。
 きっと倫理になると、もうなりかけていると思います。そのため、「自然環境破壊」はいまや悪と言われます。だから「×」なのです。
しかし、人の行動は倫理と矛盾する事が多々あり、この前も、ある人が言いました。
「タバコはだめでしょう~。環境破壊ですよ、カ・ン・キョ・ウ・ハ・カ・イ!」
と言って、ランドクルーザーで出かけていきました。「あんたの車が60キロで3分走っただけで60本のタバコが灰になるぜ!っ!」と、遠くで言いました。
いったい誰のための「環境」が破壊されるというのでしょうね。みんな、自分勝手なもんです。自然環境を守っているわけではないのです。自分にとって何がより好ましいかを主張するだけです。それが、今回は「自然」に一致する部分があるというだけでしょう。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

>自然がある状況のほうが、自分にとって好ましいと考える人が
>先進国に多く増えてきたから
そうですか?
環境破壊の上になりたつ繁栄を謳歌して、さらに無い物ねだりで
自然に価値を見いだし始めた、というのなら納得かも。

>いったい誰のための「環境」が破壊されるというのでしょうね。みんな、
>自分勝手なもんです。自然環境を守っているわけではないのです。自分に
>とって何がより好ましいかを主張するだけです。それが、今回は「自然」
>に一致する部分があるというだけでしょう。

そのとおりですね。
たとえば、あなたがブラジルの畜産業者だったとして、ファーストフード
チェーンから、食肉のオファーが高額できたら、原生林(熱帯雨林)を買って
そこを拓いて牧場にするでしょう?

補足日時:2001/04/16 22:33
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> というのも、自分のことを自分で決定して何が悪いのか、という考え方が


> あると思うからです。

うーん、困った。実は私もよくわからないんです。
ただ、自殺、自傷と同じだと考えるほうが、答えが近くなると思ったから。

Charlie24さんの考え方だと、親殺し、隣人殺しでもあるわけですか...
なるほど。
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環境破壊と言うことはどういう事か考えないといけませんね。


自分たちの生存に適するように環境を変えていくと言うことが広義に有ると思います。
狭義では自分たちの利益のために環境を変えてしまうことになります。

誰が最初に環境破壊を行ったかというと、植物なんですね。(新井素子さんのSFで出てきました。)
光合成の能力を得た物が地球の環境を酸素が含まれる環境にしました。
そのおかげで、それまでいた嫌気性の生物は表舞台から消えてしまいました。

今の質問の良いか悪いかというのは人間にとって良いのか悪いのか。
立花さんが言っていたように宇宙船地球号に乗っている生物はみんなクルーです。
人間はその地球の人間が生存に叶わなくなるぐらいの環境破壊をやっています。
はっきり言って愚かなという行動になりますね。しかも他のかなりの生物を道連れにしてしまう可能性があります。

しかし、自然全体から考えると、昔そう言う生物がいてそう言う環境になってしまったと言うぐらいの意味しかないでしょう。
(誰がそれを思うかは判りませんが。)

この回答への補足

>人間はその地球の人間が生存に叶わなくなるぐらいの環境破壊をやっています。
そうですね。

>はっきり言って愚かなという行動になりますね。
愚かな行動でしょうか?一人一人についてみれば、環境を破壊しようという意図があっての結果ではないでしょう。結果が愚かなものに見えるだけだと思います。
しかし「愚か」とは何でしょうか。自分だけのことを考える(エゴ)ということが
哲学的にいけないと言うことを示さないといけないと思います。
この点で私は躓いているのです。

>しかも他のかなりの生物を道連れにしてしまう可能性があります。
人間だけが他の生物のことに配慮しなければいけませんか?

>しかし、自然全体から考えると、昔そう言う生物がいてそう言う環境になってしまったと言うぐらいの意味しかないでしょう。
そういう意味しかなければ、環境を守ろうという呼びかけの根拠がなくなってしまいますが・・・

ご意見を再びお聞かせください。

補足日時:2001/04/16 18:17
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じゃあQ2kiraiさんの考えにのっかって。



僕は自殺というよりは親殺しではないかと思います。
つまり”地球に優しく”なんてキャッチフレーズがあったりしますけど
実際のところ環境とか地球に人間は守られ、依存して生活しているのですから。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
「人間」と大きくひとくくりにしてしまうと、
論点がぼやけてしまうような気がするので、
この点を細かくみるべきだ、と思っています。
たとえば、「あなた」が「守られる」必要があるのは、
せいぜい「あなた」が寿命を迎えるまでではないでしょうか?
それまでどうにか環境が維持できれば、その後はどうなっても
いい、といえるのではないでしょうか。
「あなた」はどうして「人間全体」のことを配慮するのですか?

補足日時:2001/04/16 18:24
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「自殺、自傷はなぜいけないのか」と、同じ答えをあてはめればいかがでしょう?



私は環境破壊と自殺、自傷は同じようなものだと思います。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
では、自殺、自傷はなぜいけないのでしょうか。
実はこの点についても、わかりません。
というのも、自分のことを自分で決定して何が悪いのか、という考え方が
あると思うからです。
たとえばたばこを吸うという行為がありますが、
これは健康に良くないことを承知ですっているわけですから、
自殺、自傷と同類であると思いますが、人がたばこをすっていても
無理矢理やめさせると言うことはしませんよね。
(愚行権ということばもありますね)
できましたらもうすこし詳しく論じていただけないでしょうか・・・

補足日時:2001/04/16 17:33
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Q哲学・倫理学の初心者向けの書物

 哲学初心者です。
少し前から、哲学と倫理学に興味を持ちはじめました。
それで、哲学・倫理学の有名な学者とその学者の考え方などが分かりやすく書かれている書物を探しています。
 いちから勉強することになるので、初心者でもわかりやすい・読みやすい本があったら、教えてください。
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著者:バートランド・ラッセル
出版社:新潮社、筑摩書房

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著者:矢代梓
出版社:講談社

社会思想史
著者:木崎喜代治、反上考、筒井清忠
出版社:有斐閣

ソフィーの世界
著者:ヨースタイン・ゴルデル
出版社:日本放送出版協会

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倫理は論理的思考で成り立っています。
ということは論理能力が秀でているのか?
 

それとも先天的な能力なのか?

Aベストアンサー

推測でお答えします。

逆境と、検証する姿勢ではないでしょうか。

Q哲学・倫理学を専攻可能な通信制大学はありますか?

当方22歳の社会人(高卒)です。

仕事をする上で必要な知識を体系的にちゃんとした形で深めたいと思い、哲学か倫理学を通信制大学で学びたいと考えています。

しかし、調べてみたのですが哲学が専攻可能な通信制大学は慶應義塾大学と日本大学のみで、倫理学にいたってはゼロでした。

他にも通信制で専攻可能な大学をご存知の方がいらっしゃれば教えて頂けないかと思います。

Aベストアンサー

補足に対して追記させて頂きます。

(1)西洋文化における哲学史
⇒ギリシャなど哲学の萌芽からキリスト教の発展、イスラム教の流入、科学技術と思想などでしょうか。
 ニーチェとかハイデガーとか、特に学びたい人物がいるわけでなければ、この辺は大学で追究せずとも、読書で補えるかも知れません。

ただし、

(2)二者択一の環境下において人はどのような価値判断を行い行動するのか?
 ⇒これを学ばれるのでしたら、最適なのはギリシャ系列かと思われます。(デカルト以前という意味で)
 プラトンの『国家』はお読みになりましたでしょうか。善悪の二者択一ならキリスト教も必要ですが、そうでない二者択一(生か死か、統治者か国民か、など必ずしも答えのない二者の比較の場合は)ソクラテスあたりを専攻なさるとよいように思われます。

(3)なぜそのような価値が当人の中で発生したのか?
(幼少の経験?本人の資質?、等)
 ⇒児童心理学、教育学など、人間の成長に関わる分野ですので、精神医学・心理学基礎の本などをお読みになると、なぜ価値基準の比較や判断を質問者様ご自身が目指しておられるのか、明るくなるかと存じます。(すでに明るいのでしたら蛇足です)
 たとえばジュディス・L・ハーマン女史の『心的外傷と回復』などで、あえて傷ついた精神を学ぶことにより健全な精神の志向を見いだすこともありえます。これに関しては専攻というより、多読をおすすめしたいところです。

「すぐに日常生活にて応用可能な哲学・倫理学を主に学びたい」とのことでしたので、大学以外の側面からお答えしてみました。
ご参考にならずすみません。

補足に対して追記させて頂きます。

(1)西洋文化における哲学史
⇒ギリシャなど哲学の萌芽からキリスト教の発展、イスラム教の流入、科学技術と思想などでしょうか。
 ニーチェとかハイデガーとか、特に学びたい人物がいるわけでなければ、この辺は大学で追究せずとも、読書で補えるかも知れません。

ただし、

(2)二者択一の環境下において人はどのような価値判断を行い行動するのか?
 ⇒これを学ばれるのでしたら、最適なのはギリシャ系列かと思われます。(デカルト以前という意味で)
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