人ってなんで苦を求めるんだと思いますか?
生きる理由なんて考えてもでるわけ無いのに考えたり
答えの出ない問題に悩み苦しみ
今を生きてるのに 死ぬ事を恐れ永遠を望んだり
(生をあたえられて死をあたえられるのを拒む?) 
ものを区別して勝手に名前を決めたり それの用途を勝手に決めたり それによって自分を束縛し 自分でつくった鎖で自分をがんじがらめにしてる感じかな?
総ては ただ流れてるだけで 自分っていうのは ただの流れなだけなのに
ただ そこに存在してるだけで 死を意識して苦しむ事の理由が知りたいです
誰かが言った言葉でも良いし あなたの意見でも良いので教えてください

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A 回答 (11件中1~10件)

uglyelさんのご回答で,宗教に対してのお考えは良くわかりました.私もいままで宗教にはにいろいろ考えてきました. 人によっては「心≠魂」と思われるでしょうから,私は「心=魂」と解釈して欲しいために、「こころ--魂」と表現したのです.普通「魂」というと「死んだ人の霊の魂」と考えてしまいますので,人によってはこれを信じない方もいるでしょう。

uglyelさんのはそのように取られたと思いまし,それはそれでいい思います.(4.)については,宗教は「いいことをしたら,あなたにいいことが返ってくる」あるいは「天国へいける」といわなければ,「ごりやく」がなければ,信じないでしょうね。これは人間の欲の現れですから,一概に宗教が悪いともいえません.また,このようにいわないと悪くてもいいではないかとなり,社会の秩序にも影響がでてきますよね.「人殺ししても天国」では「殺された人は」たまりませんよね.uglyelさんのご回答の(4)で「人間がそれ....国は裕福なままなのが嫌」と書かれました。アメリカでuglyelさんがお好きでないキリスト教のモルモン教徒ではなかったと思いますが,多分クェ―カ―教徒は、現代の機械文明の生活を拒否して,1つの村を作り,生活をしていることをだぶむかしに.だいぶ昔に知りました.このようなことをご存じでしょうか.私にはできそうではありません.世界中がたすあって飢餓や戦争のなく、たの生き物と共存できる世界がありたいと思います.
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この回答へのお礼

ありがとうございます
私は宗教は悪くないと思ってます
というより 悪も善も 醜も美も 正も否も ないというか (ジャンヌダルクや 日本では昔の美人が太っている)
それは変わり続ける物で 社会のニーズなどで 
変化し大事なのはそれに流されづ 自分を持つ事だと思ってますから  
総ては自分がどう思えるかで 総てを評価するのは自分しかいないけど 人は弱いもので 自分が人から どう思われるか 人の事をどう思うか だけどその基準を自分では決められない 決めて非難されることへの恐れかとも思いますがよくわかりません 
私は キリスト教は断片的なことしか知らないけど
クェーカ教徒っていい感じだけとおもいます 
機械文明がくれたのは
1.人レベルの安定(100年やそこら)
2・生きるための労働ではなく 楽をするための労働 
3.人を欺くき より楽に利益をあげる事 etc...

世界中で飢餓や戦争がなくなるのは悲しいけど無理だと感じました
言葉で書き表しにくいので長いけど良かったら読んでみてください。
これは あくまで地球レベルでの話なんで人が生きてる範囲です 
私にとっては この世は流れでの現象でしかないと思ってます 

まず、人は貴い生き物ではなく 他の生物と何もかわらず
知識により自分がすばらしい生き物と錯覚してるだけで
このすばらしい地球と一緒に生きて死んでいく
恐竜が地球とともにあり 滅んだのは 地球の流れで
人類も それで滅びるかもしれません 
それで、地球としての飢餓は その滅んだみたいな感じだと思ってます
でも、人がつくりだした飢餓は 一部の人が (裕福な国、現在の人)が楽をし 一部の人(貧しい国、未来の人) が苦労をする ように出来ていて それは、目先の利益を追う人間らしいありかただと思います 楽を覚えたぶん 苦労を体験した事がないから それに対する勝手に恐怖を膨らましてるでけかもしれません 
それに、飢餓をなくすには人口が増えすぎてますし
そうするとこれ以上 自然を蹂躙し 未来を考えないか
 人はシェルターの中で クローンで作られた食べ物で
今と変わらないけど
つくられた味 つくられた刺激で 自分が面白くない楽としらずに それを総てと思い 知らぬが仏で生きるかぐらいだけど 人はそれを求めてない 現在でも自分で自分を束縛したり 外からの束縛からの自由を求める心を美徳と感じたり 

だから、インディアンやアイヌのように 総てのものに感謝すれば 自然との共存が出来て 生き物の無謀な乱獲を抑える事が出来 地球が人類を滅ぼすまで 生きれるし
病は 文明病(コレラとか)のように大量に死ぬことないし
人類も 動物たちのように 均衡を保てるし
悲しくても、今まで総てのものに生かされ 自分も地球のために死ねると考えれるし
人が人を信じれば 気持ち悪くわないし 誰に対しても 気持ちよくいられるし

戦争は 小学生でもやってる 古すぎだけど ガキ大将どうしの領地争いみたいなのがあるし
猿から進化した事がよくわかる それにとんでもない殺傷能力の高い武器をもっただけだと思います
力のありすぎる 喧嘩 確か人類は 地球を5回ぐらい破壊する力があるらしいです。

ふぅ~ かいたなぁ~ 何書いてるか忘れちゃった
書きたい事を表現するってやっぱりむづかしいなぁ~
思ってること全部書けなかった
リンカーンやヒトラーとかみたく とんでもない 表現する才能とかないし難しいなぁ~
もし、読んでくれてたら嬉しいです

お礼日時:2001/05/25 23:24

uglyelさんの御回答ありがとうございます.


1.私は「心=魂」と考えています.uglyelさんは「心≠魂」ですね.ところで「魂」を「霊魂」と解釈されているのでしょうか.それでしたら,わかります.
2.「神」を信じないとのことですが,(1)超越したものとしての「神」なのか,(2)宗教家がいう「その宗教の神」という事でしょうか.「ネイティブインディアンやアイヌの人が信じる神」の存在をuglyelさんはお認めになるのてしょうか。「神は偉大な存在という先入観があります」は (1)のお考えでしょうか.
3.「感動したときの胸が熱くなるとかは 脳がそういう指令を出して体が反応してるだけだと」というと熱を測ることができるという事ですね,科学的にはそのようになりますが,私は感動したら,胸の辺りが科学的に熱くて胸の辺りを冷やしたことはありませんが,風邪をひいて熱を持つときは、脳がそういう指令を出して体が反応してるだけだといえますね.--この問題は科学的に解決されているならば,お教え頂ければ,ありがたいと思います.
4.いいコトしたら,その人に必ず返ってくるという言葉は信じません.「神」はそのような見返りの約束はしないと思います.また前世で悪いことをしたから,いまこうなるといういい方も神は言わないと思います。いまこの世でよいことをしたら,あの世は極楽とは神は言わないと思います。普通言われていることに対していっています.前世,来世を信じない方には関係がありませんが
5.日本も戦前はのうのうと暮らしていたのではありません.貧しくて,人を売るという事もあったのです.みんなが努力してきたのですから,ただ,日本さえ良ければできてしまったのが,いけなかつたのでしょうね。 
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この回答へのお礼

ありがとうございました
遅れてすいませんでした
1、やっぱり 魂と霊魂って違うんですか 勘違いしててすいませんでした
2、神のやつは キリスト教なんですけど それがどうしても頭から離れなくて 偉大な存在と思ってそれはいないと主ってました 総てを救うとか
「インディアンやアイヌ」は、神(自然)との共存で 神は、人に恵みをくれ それを人間は感謝し 
試練を与え そしてまた、神に落ち度があれば 神を責める事も出来た それは、ものの考え方で 感謝する心があり 人が自然とあるところと総ての命が平等であるところが良い感じでいいと思ってるだけかもしれません
3、体が反応するんじゃなくて そういうような現象が起きてる気になるだけ 手をつねられて 痛いのは手ではなく それを感じ取ってる脳が 危険(痛み)から逃れるためにそう感じさせてるだけかな? よくはしらないけど
4、ごめんなさい言葉が足りませんでした 
自然の事を言ってて 自然は人間にとってやっぱり大きくて とても長い時間をかけて 今の形があったのに
人間がそれを100年やそこらで 急激に変えれば無理が出てその反動が出る事を言ってました
その、今時点で出ているつけが 一部の人や動物に襲い掛かって 裕福な国は裕福なままなのが嫌で書きました
5、私は、そう思ってます 苦労した時代を踏みにじるような生き方や 現在の楽も それによって どこかで 確かに苦が生まれてるし(飢餓とか) それは、あまりいい感じじゃないので 苦しいです 本当の私にとってのいい感じの楽がほしいみたいな感じです
意見をくださってありがとうございます  

お礼日時:2001/05/23 23:47

すみませんが、わたしは神を信じないという方がいるあなたのにお尋ねしたいので,考えをお聞かせください。

「私は魂とかまったく信じないから、根底の考え方が違うので 理解は出来ないのですが 」。わたしは宗教家でもありません。
ある宗教に入っているだけが,信仰でもありません。と思っています。
ところであなたは人の「心」もないとお考えでしょうか。それならば,信じないのでしょうか。魂もないという事に納得します。 
「心」なんて体を解剖しても見つかりませんが,「心」ってないと思っている人は本当にいるのでしょうか。「心」が「脳」にあるならば, 「恋」や何かに「感動」したら,「なぜ胸が熱く」なるのでしょうか。「脳」が熱くはなった事はありませんね。またあの人と「気」が合うっていう事をいいますが,それもまったく信じないのでしょうか。「占い」は私は信じませんが,好きな人はいますが,あなたは信じているのでしょうか。それはあなたは信じないならば,わかりますが。どの民族も「神」の存在を否定していないでしょう。太古からいまの遊びに近い「占い」とは違う「神に占う」事をしてきたのですから,それは宗教ではないでしょう。本当に困ったときに「神」を頭に思っていませんか。本当の「無神論者」を知りたいのです。社会主義の教育を受けた人でも,どうにもならないときに「神ー神でなくても,それに代る物であればいい-」を頭に浮かぶ人もいます。 さらに科学が発達すればするほど「なんでこんな仕組みになっているのか,うまくできているのか」という不思議さに感動するのではないでしょうか。「それは誰が一体どうしてつくたのか」そのときの答えはなんでしょうか。決して人間ではとは答えられませんね。どこへ答えを持っていくのでしょうか。「愛」という言葉も信じないのでしょうか。「愛」なんてどこにも見えません。 「愛」という物はそのものはありません。「電波」は見えませんが,それを見る「装置や機械」があるから,あるということでしょう。もし、その「装置や機械」なければ、ないとお考えるのでしょうか。 これらの疑問にお答え頂きませんか。神信じるか、信じないかは自由てすが,
敢えて,本当の「無神論者」の方のご意見をお聞きしたいです。
   

   
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この回答へのお礼

遅れてすいませんでした
心はあるけど 魂はないと思ってます
感動したときの胸が熱くなるとかは 脳がそういう指令を出して体が反応してるだけだと思ってます
占いも信じないし 神も信じない
もし、神がいるとしたら 今の世の中をどうかしてたくなるでしょう 世界中では飢餓で3,6秒に一人しに
それは日本人の無理な輸入とかでなってて
日本や韓国 アメリカ 台湾などのせいなのに
裕福な国ではなににも感謝せず ただのうのうと生きてるし 向こうの国の人は「何故、捨てるのに輸入するの?」
って思ってるらしいです
人なんか死のうがどうしようがどうでもいいけど 人間の罪を一部の人が背負っているのはむかつくし
それをみて、私たちにつけがこないのが不思議でならないし
でも、もうすぐ 地球は面白い事になるだろうけど 
ネイティブインディアンやアイヌの人たちが 総てのものに神がいると考えたのは すばらしい考えだと思います
それは人間が自然のなかでしか生きていけない事を感じてたのかも知れなしって思ってます
「愛」とかは自己陶酔かなとか・・・すいません
私は、人を信じられないので 恋をするのを怖がってるのかもしれません 
考えを書くと やっぱり脳からの刺激で麻薬物質が出るとかでないとか
自分にとって 神は偉大な存在という先入観があります
でも、とっても小さい 
そして、人もまた小さい 自分のアイデンティティーを外に求めたり
自分がやってる事が100%正しいというのが怖いので
批判されたり 道を見失ったり 
心に盾をつくって 防御してるぐらいかな
楽しいは自分で見出すもの でも、自分がホモだったら
いいにくいとか 他から自分がどう思われてるかがどうしても気になるらしいし

お礼日時:2001/05/22 23:10

caballeroさんのいうこれは、ひとつの解釈にすぎません。


>「ちゃうやん!ブッダが言うとうやろ。「苦行はあほや、しんどいだけで意味もないわ」って!」

この解釈が間違いであるという人もいます。
だって、これが正けりゃなんで禅の系統の宗派では
禅を中心にして修行荒行が行われるの?
ってことになります。
密教系も同様です。

これが正解という解釈はありません。
なにせ2000年以上も前の話ですから、どれに尾ひれがついているのか
判断のしようがないからです。
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この回答へのお礼

遅れてすいません
いろいろあって いろいろありました(笑)
もう、忘れてるよね
自分が正しいと思えることおやる事が一番気持ちいいことと思うようになったので ある意味自分の中で勝手に解決しました すいません 本心はみんないい人とか勝手に人の事を 十人十色なんてないとか思ってました
人それぞれいるから
ありがとうございました

お礼日時:2001/05/22 22:47

>人ってなんで苦を求めるんだと思いますか?


あなたは映画マトリックスをごらんにはなりましたか?
映画の中で人の感じる現実とは脳髄に配線されたインパルスによって創り出された
仮想世界で、人間はマザーマトリックスによって生態エネルギーを得るために管理
栽培される原料だというものです。
真実はこれに近いものです。

あなたは野球やサッカーはお好きでしょうか?
では、あなたは一度終了した試合をビデオなどでもう一度見て大きな興奮を得ら
れるでしょうか?おそらく否でしょう。
なぜなら、意識はもう知ってしまったことに対して価値を感じなくなって行くから
です。「わたし」はこうありたい、これからどうなるだろうか、という意識の元で
必死になって現実に対応する状態において本当のマザーが求めるエネルギーが
あります。それには安定した状態からさらに高みを望もうとするよりは、苦痛から
逃れようとする時のほうがより必死になる、つまり高エネルギーが得られます。

>生きる理由なんて考えてもでるわけ無いのに考えたり ・・・

人が生きる理由を考えようとするのはエネルギーを得るための不安定さを導出
しようとするためです。人が感じる対象、(経済的な成功、美しい伴侶、社会的
成功)に本来の価値はありません。これは物理学において等速運動する物体に
エネルギーが無いのと同じです。力は加速度運動にこそ内在しましたね。
本当の生態エネルギーは同じく、意識の感じる可能性の変化率にあります。

>答えの出ない問題に悩み苦しみ今を生きてるのに 死ぬ事を恐れ永遠を望ん
>だり(生をあたえられて死をあたえられるのを拒む?)

苦痛にあえぐ意識ほど高エネルギーを出します。もちろん、絶望してしまっては
ダメですね。助かったと思っては奈落の絶望を感じ、そしてまた希望を感じ始め
るレベルが必要です。その状態にこそ変化率があるわけですから。

>総ては ただ流れてるだけで 自分っていうのは ただの流れなだけなのに
>ただ そこに存在してるだけで 死を意識して苦しむ事の理由が知りたいです
あなたは現在お幾つでしょうか?
ひとは年齢を経て経験を経る毎に、状況の先を読む習慣がついてきます。
アガサクリスティの小説の筋書きが初め読んだだけでわかるとか、およそ5、60
年の生を経ることでそうした老廃物がでてきます。ここには変化率を感じるエネ
ルギー生産の効率が悪くなるということです。
その証拠として子供時代のあなたと現在のあなたを比較して時間の過ぎるのが
速くなってきているように感じませんか?これは変化率に対しての免疫生を示し
ています。生産効率の悪い意識は、卵を産まない鶏と同じで速やかに廃棄される
ようプログラムされています。

>誰かが言った言葉でも良いし あなたの意見でも良いので教えてください。

あなたが6の目しかないサイコロで双六をやって興奮するとか、子供時代より
現在のほうが時間がたつのが遅く感じられるようでしたら、あなたは意識の特殊
形態です。マーザーマトリックスからの呼出があるでしょう。

現実世界へようこそ。
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この回答へのお礼

マトリックスとりあえづはみたんですが
あまり面白くなかったので 覚えてません
そういうものだったんですね(笑)
多分私の考え方とあなたの考え方は基礎が違うので
ちょっと理解しがたいんですが そういう考えもあるととらしてもらいます
すいません でも、面白い考えだと思います
野球やサッカーの例えとか確かにそーだな~って思うし
歳は10代後半って事はまだまだこの歳ではわからない
面白い事がまだあるかもしれないってことがわかってよかったです
サイコロとかですがどちらかというとおもわないですね~
っていうか昔から ゲームとか面白いって思わないんですよ~
結果はゴールしかないし 
外で遊ぶほうが面白かったなぁ~ 
予想外のハプニングこそが面白いし 

お礼日時:2001/04/19 21:16

死ぬことをわかってきて生まれてくることに不合理とは思いませんか.それと「苦労すれば報われる」とは必ずしも思いません.苦労しても報われずに死んでいくこともあると思います.だけどそう思うことのほうがよいでしょうね。

わたしは「こころ--魂」を信じます.この世に生まれ出てくることは,「心の修行」のためであると信じています.この世で一生懸命に神から与えられた人生(何が与えられたかはわかりませんが)のいろいろなことを乗り越えてこそを使命を果たすと思っていますし、悟りを(というと大げさですが)知るという事ではないでしょうか.その苦というより使命は人に世って違うと思います. 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
だめです、ごめんなさい 私は魂とかまったく信じないから
根底の考え方が違うので 理解は出来ないのですが
回答してくれた事は感謝します
魂とかを信じてる人がどのような意見をもっているかとかも知りたかったし
信じないわけを言うと
もし、神がいたとしてもその神が存在する理由とか
わからなくなって その神の存在理由が地球とか人とか
いうものだとしても、 神の自己満足のために生きるのは私的には気持ち悪くむかむかするからです
キリスト教とか 嫌いか好きかで言うと嫌いですね
あてつけがましくて 恩着せがましくて
キリストの死とか
まぁ~ 人それぞれ意見があるから面白い世の中だから
気にしないでください

お礼日時:2001/04/19 20:12

お釈迦様によると、早い話が煩悩にだまされているのだそうです。



煩悩とは心が刺激を求める働きです。普通の人は視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚
および意識からの刺激に振り回されています。五感の刺激はわかると思いますので
省略しますが、五感を遮断して静かにしていたり、言葉や動作の反復で五感の刺激
が平坦化すると、こんどは意識が刺激を求めて神仏や霊とかの幻覚・幻聴が見えた
り聴こえたりするものです。

そういうわけで心が刺激を求める働きは際限がないので、普通の人はとりあえず
乗りきる努力をして生きています。でもそれは冷静に考えると、uglyelさんの
言うように「なんで?」と言うことになるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
おぉ~ すげ~(笑)
まったくその通りですね。
確かに、「なんで?」っていうのは、人間としてや社会で生きていく上で とんでもなく必要ないですもんね
あぁ~ そうだわ~ お釈迦様ですか~
面白いですね~
宗教とか 永遠に対する憧れとか 自分の弱さを無理やりな考え方で自己洗脳で うみゃうみゃうみゃ~
見たいなものかと思ってました。
輪廻転生とかとくに 記憶がなければ 生まれ変わっても
しかたないし ある意味クローン人間とも変わらないし
あなどってました(笑)
結構面白そうなものですね ちょっと調べてみます

お礼日時:2001/04/19 20:03

「苦労すれば報われる」といったような意識が、私の周りの年輩の方々にはおおくありました。

彼等はまた、権威主義ではないというが、実質的には権威主義的だったので、「ちゃうやん!ブッダが言うとうやろ。「苦行はあほや、しんどいだけで意味もないわ」って!」と私が言うと、いつもなら、なんや文句をいうのに、ブッダの名前を出しただけで、態度をなかったことのようにとりました。苦労人だからでしょうか?苦労を強いられるている状態というのはとても苦しいはずです。すすんで苦労するのはまだましでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
うぅ~ん 進んでする苦労っていうのは
自己満足だと思ってます
って言うか、人間は自己満足以上には生きれないって思ってるからだけど
でも、死で悩むのは答えが出ない以上 自己満足にもならないから 苦しいみたいな・・・??
余談ですが
ブッタってそういう考えの人だったんですか
興味なかったから知らなかったけど 面白そうな人だから調べてます

お礼日時:2001/04/19 19:56

うまれたとき死をはたして知っているでしょうか。


子供は夢が豊富にあります。
大人:「大きくなってなにになるの?」
子供:「電車の運転手!」
大人:「それから次は?」
子供:「~ちゃんと結婚するの!」
大人:「それから?」
子供:「う~ん?」
で止まります。
しかし、ある日おじいさんが居なくなってみんなが泣いているのを見、また事故や病床の人を見、死の恐怖を知ります。
そして、「う~ん?」のあとに「死ぬの」が入ってきます。悲しい事です。
でも夢は捨てられません。また悲しさを紛らわしたい。生きている実感が欲しい。生きていた証が欲しい。

だから、苦しくともがんばります。死が訪れた時に
自分で自分を「良くやった」と誉める為にはがんばる
しかないのです。
生きた証が欲しい人は名を残す為(みんながそうでは
ありませんが)苦行もいといません。また、お金を残
す事によって子から感謝されるためにもがんばりま
す。
誰かに「君は良くやった。楽にしていいよ」と言われ
たい人は自分より強大なもの(と思われるもの、宗
教)にすがります。

死が全てを奪う。故に人は意識し苦しむのでしょう。
然し死を死として受け入れれば悩みません。
死よりもっと苦しく悩むものはあります。死は一種の
希望です。(決して自殺推薦じゃないですよ!!)

ですから、
>人ってなんで苦を求めるんだと思いますか?
については
夢を持ち、がんばったと言われたい、言いたい、忘れられたく無い。から苦を求めるのだと思います。
また、ただ単に楽をもとめようとしても何が苦かを知らなければ判断できません。それ故苦はつきものです。
私は哲学的な意味のエピキュリアン好きですよ。

>ものを区別して勝手に名前を決めたり それの用途を勝手に決めたり それによって自分を束縛し 自分でつくった鎖で自分をがんじがらめにしてる感じかな?
これ少し解りませんでした。束縛されていると名前のあるもの私自身が感じた事が無いので。
またよければ教えて下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
犬とかは死を恐れないのと同じみたいな事ですよね。
死を知らなければ死を感じれないですもんね~
私には人生がありません。私は一つの現象
 だから死は結果ではないみたいな考え方してます。
だから、生まれてる事に恐怖しないのと同じで
死にもあまり恐怖しません
それに、楽しいときとかは、間違えなく楽しいです
だから、あまり人生苦しくないけど
う~ん でも、苦を知らないわけではないしなぁ~
確かにそう考える事もできるなぁ~

社会で 鉛筆の使い道は 字を書くとか決められた事しか出来ないけど
鉛筆でご飯も食べれるし 眼科検診のとき間違いなく片方の目をふさぐ事もできるし 鉛筆の芯を抜けばストローにもなるし 出来る事しか出来ないけど 間違いなく
無駄に束縛して まぁ~ ふにゃふにゃふにゃ~
って感じですよ 社会としての常識にとらわれて
自分を押さえつけてるみたいな ??
ごめんなさい 書いてるうち意味わかんなくなりました
でも、これで投稿します(笑)

お礼日時:2001/04/19 19:49

> 生きる理由なんて考えてもでるわけ無いのに考えたり


> 答えの出ない問題に悩み苦しみ
> 今を生きてるのに 死ぬ事を恐れ永遠を望んだり

それは受け入れられないからではないですか?
理由も分からずこの世に投げ込まれ、理由も分からないままこの世から
投げ出される、そういう事実が受け入れられないから、苦しむのだと
思います(ハイデガーですね...)。

でも、ある偉い人が言うには、人生何のためにあるのか? って答えは、
「楽しむため」なんだそうですよ。

すべて快のうちに悟るべし。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
面白い考え方ですね。
あたりまえの事だけど見失ってました。
あたりまえである事ほど見えにくくなってるなぁ~
「楽しむため」って言うのは、私もそう思います
それ以外内ですもんね 苦しんで苦しんで死ぬって言うのしんどいですもんね
社会ではやりたい事は制限されても
人間としては何をやっても自分がよければいいと思うし
人殺しも自殺も慈善活動もボランティアも
それを苦しんでやらない限り 私的にはOKだと思ってます
でも、私的には殺人とか嫌だと思う事は
は嫌いだから 許せませんね

お礼日時:2001/04/19 19:31

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Qこの世の人間には自由意思は一切存在せず、決められた筋書きに従って生きているだけということはありえますか

夢を見ている時、自分の意思で動いているわけではないのに自分の意思で動いているような気がするのと一緒で
この世の人間にも自由意思は一切存在せず、決められた筋書きに従って生きているだけ

ということはありえますか

Aベストアンサー

自由意思と哲学的概念は私には解りません。

ですが、興味あり、私なりの考えがあるのでお読みいただければ幸いです。また、こういうことを考えさせられるきっかけを与えてくれてありがとうございます。

人間は、他の人の考えや意見、行動を理解、感じることができます。

つまり、認識できるということ

認識=行動ではありません。

つまり、他の人とは別の行動をする。

別の行動をするところに自分の意思がある。

これを自由意思というなら、

この判断力や考え方によって運命を決めていくことができると思います。


世の中、奇跡や大不幸というものがあります。さらに、解りやすく言うと、「予期せぬ出来ごと」です。

人は、いろいろ考えても、予期せぬことが生じます。

私がセンスがある人っていうのは予期せぬことに対応し、おおむね、目標を達成できる人だと思っています。余談ですね。

「いろいろ考えても」という点がポイントで、
考え方に個性や経験が反映されると思います。

つまり、自分の中で考えや選択肢がいくつかあっても、最終的に1つしか選べません。選ばない、選べないというのも、結果的にとった選択肢(行動)の1つです。

他の意見に流されないという点から見れば、自由意思で、運命は、変えていける。

しかし、自分が、ある時に、ある考え方をし、ある悩み方をし、最終的に答えを出すのは、決まっていないように見えて、決まっていると思います。

ドラマや漫画などで、
「あいつだったらそうする」というのがありますよね。

そういう点で見れば、意思という決定は決まっていると思います。つまり、意思によって生じる運命は変えられない。

ただ、それでも自由意思と思い込むのは、自己のなかから生じているということの意識が足りないからだと思います。
冷静な気持ちとわがままな気持ちの2つに気づけば解ると思います。

不眠、絶食をすれば、おだかやな人間、親切な人間でいたいと思っても、いられなくなるのを想像すれば解ると思います。


意思に繋がり、環境もさまざまな因縁や時空の流れでその状態になっていると思います。

結局、この世の人間にも自由意思は一切存在せず、決められた筋書きに従って生きているだけだと思います。

それは、
 その時はそうする、
 その時は、それしかできない
からです。

でも、未来が解らないので、決まっているとは認識しにくいです。
私は認識していても、その時に悔いを残さない生き方をすれば、つまる生き方にはなります。後は、その結果を待つだけって感じです。

まあ、いたたまれない苦痛や恐怖、恥などが先読みすることあれば、決まっていないと思いこみたいというのも事実です。
まあ、先読みしても、未来を予知しているとは別ですから。
思った通りになるとばかり考えていると、未来は決まっていないと思いたいものなのかもしれません。

自由意思と哲学的概念は私には解りません。

ですが、興味あり、私なりの考えがあるのでお読みいただければ幸いです。また、こういうことを考えさせられるきっかけを与えてくれてありがとうございます。

人間は、他の人の考えや意見、行動を理解、感じることができます。

つまり、認識できるということ

認識=行動ではありません。

つまり、他の人とは別の行動をする。

別の行動をするところに自分の意思がある。

これを自由意思というなら、

この判断力や考え方によって運命を決めていく...続きを読む

Q【1人で働いて生きて何か意味があるんですか?】1人で自分1人が生きるために、老後に生きるために働く。

【1人で働いて生きて何か意味があるんですか?】1人で自分1人が生きるために、老後に生きるために働く。そして死んでいく。

なら今、死んでも同じことなのでは?

老後に遊ぶために今、若いうちに頑張ってお金を貯めているんだという人がいますが、若いうちに遊んで年取ってヨボヨボになってから老後に遊ぶのはどう考えても非効率ではないですか?

最後に遊んで死ぬなら、若い今、遊んで老後の貯蓄も病気の心配もなく自分で命を絶つ方が独身者にとっては効率が良い死に方だと思いますがどう思いますか?

若いうちにお金を貯めて足も体も若い頃より衰えてから遊んでも仕方がないと思います。

これは一生独身者を貫く現代の若者の人生設計の話です。

Aベストアンサー

今死にたい奴は老後も死にたい。今楽しい奴は老後も楽しい。効率ではなく本質の問題。
ま、今が楽しければひとりでは居れないが。

Qガンジーの言葉について。…明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。

ガンジーの言葉に

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」

というものがあります。もし私が明日死ぬと自分が言われたとしたら、預金をすべておろして「いつかしたい」と思っていたことをし、「いつか欲しい」と思っていたものを買うでしょう。しかし、ガンジーはそんなことを言っているのではない気がします。どう解釈するのが正しいのでしょうか?

また、前半部を私のように解釈すれば、後半部の「永遠に生きると思って学びなさい」と矛盾することになりますよね。

結局全体としてどうとらえればいいのか、私はよくわからないのです。わかる方、教えて頂けないでしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは。
私も初めて聞きましたがすてきな言葉ですね。

勝手ながらお若い方と推察いたします。もしそうならば、この言葉を簡単には理解しなくとも、この言葉を目に留めて、ご自身の疑問を提起されたこと自体、大変に有意義で、価値ある感性をお持ちの方と思っております。
その上で、さて、次のようなアドバイスではいかがでしょう。

ポイントは次の2つで、少々言い換えてみましょう。
(1) 「明日死ぬ」ではなく「家族との夕食中に15分後に死ぬとしたら」・・・
(2) ある事項を学ぶ機会に恵まれたとき(例えば、数学のより高度な方程式を大変わかりやすく、無料で教えてくれる先生に出会えた)、でもただちに「私には関係ないから」(数学なんてうんざり・・・)と思ったならば、なぜ瞬間的にそう言い切れるのでしょう・・・

「明日には死ぬ・・・」。なかなかあり得ない状況ですが、この前提では「無茶をしてでも好きなことをする」と思う方は少なくないと思います。貯金をおろすどころか、迷惑をかける家族がいないなら強盗や強姦をしてもかまわないかも知れません。(パニック映画でよくあるパターン)
しかし、今回の語句は、「残された時間が大変に短い」という前提で考えてみると良いでしょう。楽しむ時間さえもない・・・
この場合、「無茶をしてでも好きな・・・」と考える方々は急速に減るでしょうが、ではどのように?

私なら、(きっと)死を受け入れる(覚悟する)努力をするとともに、心を落ち着け、家族に感謝し、生きてきた中の良かったところだけを想い出そうとし、そして、ちょっとだけ、「もしその危機を乗り越えることができればこんなチャレンジもしてみたいのに」との夢を描く・・・という感じですね。まあ、「良い死」をみずから作ろうとするのでしょう
現実には死は目前にはありません。でも、あれっ?「感謝」や「チャレンジ」は「死を目前にしてから考えるべき」ものではないですよね・・・・

また、「学ぶ」機会」に対して、こんな例はどうでしょう。
例えば、「中学生での数学は何のためにあるの?こんな方程式は生活では使わないのに。」との典型的な答えは、「中学生にとっては、将来、どんな職業につくことになるかわからない。どんなチャンスがある(あるいはないかもしれない)かわからないし、自分の好みも変わっていくので、広く基礎知識を持っておくことで、与えられたチャンスをみすみす失うような状況を減らしておきたい。」というものがあるでしょう。

しかし、逆に、この理論はある程度職業が定まると(例えば八百屋さんになったら)数学は不要なものになります。そうなれば、数学の大家のお話を聞くなんて、何の役にも立たないと言い切れるため、たいていは「私には関係ない」と言い切ることになるでしょう。

しかし、これだけだと見落としになるのはお気づきでしょう。思わぬ学問が思いもかけないところで必要(あるいはその知識を持っている者に負ける)になることもあり、また、周辺知識(数学の知識から発見者の人生模様へ・・など)への広がりも重要で、何より、常に学ぼうとする人の姿は美しく、細かな感動を重ねており、総じて優しく、尊敬も集める傾向も強くなります。
(反して、学ぶことから何か理由をつけて逃げるようでは、テレビのお笑いくらしか見ず(真面目にお笑いをやっておられる方ごめんなさい!)、刺激を求めても自分が工夫が出来ないのでお金や他人への攻撃で楽しませてもらうしかほう方がなく、何かにつけ不満が多く・・・とまあ私もその一人ですが)

そこで、「もう生活の道が決まっていて他に役に立つ可能性がないのだから、こんな勉強は無駄」とばかり考えず、「無限に命があるのなら、いつでも、どんな可能性でもある。そのくらいの気持ちでいろんなことを勉強してみましょう」というのはご納得いただけませんでしょうか。
(ちなみに、私は、英語が好きでもなく、使うはずもない職場に就職したはずでしたが、職場の都合で容赦なく英文を扱う羽目になり、何も考えずに暗記した受験用英単語に今更感謝しています)

いささかの勝手な先入観を許していただき、少々口の悪いことを承知で申し上げれば、この言葉を理解し、そこにちょっとした感動を覚えるためには、少なくとも自分のことだけで精一杯という年代では困難で、ある程度の年齢と、多少の恥ずかしい・悲しい経験の積み重ねが必要とは思います。

特に、「明日死ぬと思って・・・」「永遠に生きると思って・・・」のくだりは、ご指摘のように明確な矛盾です。
これをかみ砕くためには、まず、「単純なミスや幼稚なウソやいちいちあげ足をとらずに笑って許せる寛容(優しさ。たくさんの小さな矛盾に出会った経験)」と、「あえて矛盾をあげて目を留めさせ、小さな感動を誘発するテクニックに感心する感性(自分で言う言葉で相手がウケる・感心するような多くの小さな工夫を現に行ったことのある経験)」が必要です。

それでも、質問者さんがこの言葉に目を向けられたこと自体、ある程度の人生経験の証であり、大変に良いことだと思います。

ずいぶん長くなってしまいましたがさてさて、いかがでしょうか
お役に立てば幸いです。
(おかげで、私にとっても一つ勉強になり、ガンジーの業績についてもういちど何か読んでみたくなりました。)

こんにちは。
私も初めて聞きましたがすてきな言葉ですね。

勝手ながらお若い方と推察いたします。もしそうならば、この言葉を簡単には理解しなくとも、この言葉を目に留めて、ご自身の疑問を提起されたこと自体、大変に有意義で、価値ある感性をお持ちの方と思っております。
その上で、さて、次のようなアドバイスではいかがでしょう。

ポイントは次の2つで、少々言い換えてみましょう。
(1) 「明日死ぬ」ではなく「家族との夕食中に15分後に死ぬとしたら」・・・
(2) ある事項を学ぶ機会に恵まれ...続きを読む

Q【あなたは何を目的に生きて、何を目的に死までの道を突き進んでいますか?】目的もなしに生きて、目的もな

【あなたは何を目的に生きて、何を目的に死までの道を突き進んでいますか?】目的もなしに生きて、目的もなしに死んでいくつもりですか?

それとももうちゃんと目的を持って日々を生きて、死へのゴールまでの目的設定を作っていますか?

Aベストアンサー

かつて、神様が幅をきかせていた時代には、
人間にはそんな悩みはありませんでした。

神様の言う通りに生きていれば、良かったからです。

しかし、神が死んだ現在、生きる目的云々は
人間が決めてよいことになりました。

目的など無くてもよい、あってもよい、欲しければ
自分で創ればよい、となりました。

目的などあろうが無かろうが、人間は死ぬのです。

何の意味があるというのでしょうか。

そこにあるのは、自己満足だけです。

Q「ただ現在を生きろ」?

※このカテゴリでよいのか自分では判断がつきかねますので、もし何かお気づきでしたらご指摘ください。
 
「覚えていられないようなものは価値がない。どんどん忘れなさい。」
これは某ベストセラー本にある一節です。(文面は変えてありますが。)
これが私には至極ひっかかってしまうのです。

―「忘れてしまった、または忘れてしまっている、ようなもの」は自分の人生という大きなものさしの上では(長期的にみれば)価値がないものだ―
私はこのように解釈しました。つまり自分の記憶というものにも重要度に応じて
淘汰が起こりうるということでしょう。実際脳内神経のしくみからも、使われない回路(シナプス)はだんだんと消えていくのだそうですが。

しかし私は、単に電気信号が伝わらなくなったニューロン=自分にとって全く無価値であるが為、というのは当てはまらないと思うのです。本当は自分の求めている真理に触れているような大事な記憶であるのに、ただそれを永久保持するのが機能的に不可能なだけであって、一時期他のことに傾倒したばっかりに忘れてしまったことというのもあるはずではないのでしょうか?もしくはそういうことを考慮にいれてもやはり忘れたものはしかたがない、のでしょうか?
それは個々の意思次第ともいえるでしょう。しかし、例えば義務的強迫的に覚えさせられたものの割合が高い人はこれに当てはまらないでしょう。

長文で申し訳ありませんが私にとってとても大きな命題なので意識してまわりくどく表してみたつもりです。こんな私の疑問にじっくり付き合ってくれる方の意見ぜひおまちしています。

※このカテゴリでよいのか自分では判断がつきかねますので、もし何かお気づきでしたらご指摘ください。
 
「覚えていられないようなものは価値がない。どんどん忘れなさい。」
これは某ベストセラー本にある一節です。(文面は変えてありますが。)
これが私には至極ひっかかってしまうのです。

―「忘れてしまった、または忘れてしまっている、ようなもの」は自分の人生という大きなものさしの上では(長期的にみれば)価値がないものだ―
私はこのように解釈しました。つまり自分の記憶というものにも重要...続きを読む

Aベストアンサー

 
  「現在を生きる」というこの意味が、どうもわたしの考えていることとはかなり違っているように思えます。また、貴方が若いからかも知れませんが、何を問題にして、何を問いかけているのか、どうも明確に分かりません。大脳の記憶のメカニズムなど、極端に言えば、この場合、どうでもよいことだとも言えます。
  
  西欧中世のような世界であると、或る特殊な場や人々、時期を除いて、概ね、社会の変動は非常に緩慢で、文化や技術や知識や流通情報や流通物品なども、ほとんど数十年とか、数世紀という単位で緩やかに変化はしたが、あまり急激な変動というものはなかったのです。このような世界では、何を学ぶべきか、何を習得すべきか、何を覚えるべきか、何を心に刻めばよいか、何を価値あるものとすべきか、こう言ったことは、ほぼ自明的で、人生の生き方の技術というものは、大体、定まっていたと言うか、有効なモデルがあって、それに準拠して生きていればよかったのです。
  
  しかし、現代のように、社会も文化も技術も流通物品も、流通情報も、知識も、世界観も価値観も倫理観も、何もかもが急速に変動し、状況が時々刻々変わって行く世界になると、良く生きるための技術とか智慧とか、モデルとかいうものは有効なものがなくなってしまうとも言えるのです。というより、実は、本質的に重要なものは、時代の状況や変動を超えて存在しているのですが、それが何か、見えなくなるし、分からなくなるのです。こういう世界では、処世の術は、くるくる変化し変動する状況に合わせて、次々に自分のありようを変えて行くというのが一つの方法としてあるでしょう。昨日有効であった知識や技術は、今日もう有効ではない。昨日そのやりかたでうまく商取引できたやりかたが、一夜にして崩れ、会社は倒産する。製造メーカーもどこにバグがあるのか分からない、というより、欠陥だらけのOSが、何百万と販売される。マニュアルを読みつつ覚えた操作方法や、機能や手順の名称が、新商品が発売になると、あっというまに別のものに変わり、また、新しいマニュアルを読まねばならないし、新しい用語や機能を覚えねばならない。印刷すると、千ページを越すマニュアルでも説明しきれない機能が付いたソフトが、多数販売され、それらが数年の内に別のものに次々に変化して行く。これはコンピュータの話ですが、ことはコンピュータのOSやアプリケーションだけではなく、大衆消費社会のなかで、作為的に過剰な情報を捏造し、商品を差別化と称して、くるくると入れ替わり立ち替わり消費者の前に提示し、欲望をかき立て、社会・経済・政治・技術・科学・情報の世界において、無数の明日になればすぐ別のものと取り替えられる物品や知識で溢れかえっているのです。そもそもこんな情報や物品、システムの氾濫などに人間は適用するようにはできていないのです。このような「空しい変化の氾濫する世界」で生きようとすれば、新しい情報や状況を受け入れるため、次々に過去の知識やスキルや規準や対応指針を絶え間なく変更させ、状況に空しくも追随し順応しなければならないでしょう。しかも、その順応も適応もすでに述べたように、一夜明けると通用しなくなって行くのです。従前の知識やノウハウでは把握できない新商品・新状況が、意図的に操作して作り出されているからです。
  
  このような状況では、有効な知識は記憶に残っている、そうでない過去のものは、どんどん忘れて行くべきだ、ともなるでしょう。
  
  人が自己の人生にとって何が重要か、生きる智慧とは何か、それらを、冷静に緩やかな過程で反省し、自己の心の課題とするのは、何か夢のような話にもなってしまっているのです。「人生の教訓」「生きる智慧」「何を支えとするか」「幸福を得るにはどうするか」「いま見直される仏法の真理」とか、出版社の営利目的としか思えない、それらしき低俗な本がまた氾濫し、「生きることの真の真実」の光を、氾濫する情報のなかに埋もれさせているとも言えるでしょう。
  
  真に重要な価値ある「生の宝石の智慧」はどこにあるのか。それは限りなく探し求める「今の過程」のそのなかにあるのです。真に重要な、実存を生きる智慧は、暗黒の悩みと光への憧憬のあいだで、人の心の奥底に常に存在して消えることはないのです。それは、忘れるというより、未だ知っていないし、永遠に知ることもない知識・智慧であるのです。ソークラテースは「魂を気遣え」と言いました。また「汝自身を知れ」という言葉をいまに伝えました。人の実存にとって、真に重要なこと・生きる智慧・人生の宝石の結晶は、そんな簡単に忘却できたりするものではないのです。それは、暗黒の意識・無意識のなかで燦然と輝いているのです。その光は、時折のなにかの感動や、発見や、驚異において垣間見られるでしょう。そしてそのような「垣間見た」経験を忘却するとしても、また違う形で、あるいは記憶の想起という形で、心に甦って来るでしょう。そしてまた「現在に生きる」とは、最高次元の生き方であるという智慧もまた理解されるでしょう。「現在に生きる」とは、作為的営利的ランダムに絶え間なく変動してやまない状況に刻々と順応して、不要なものは棄てるという生き方ではなく、人生の過去も未来も、貴方自身も他者も、無数の異国の人々も、地球上の生き物も、そしてこの銀河なる宇宙がすべて、いまこの時、貴方において、生成し生き、躍動しているといういま=現在の生の謂いなのです。このような「現在に生きる」とは、何なのか、人は見出せないし、見失っているでしょう。しかし、このような「いま現在の生の全体性・充熟性」というものは、日々の多忙さや、変転してやまない状況のなかでも、心のなかに、ある時は微かな光を発する星として、ある時は、華麗なる宝石の花として、貴方の魂に生きてあるのです。貴方は、この星・宝石の花の或る意味で、かりそめの夢でもあるのです。人は遂に自己の心の星=宝石の光を実感しないままに、空しくも死んで行く存在かも知れないでしょう。しかし、だからこそ、「魂を気遣え」とソークラテースは言ったのです。多くの人は、複雑な修辞や難しい議論や、あきれるような膨大な知識を誇っている、情報や社会の変動は、それに順応できない人間を進歩の敗者として扱う。されども、そのようなプラグマティックな有益性・利益性・社会順応のための知識や技術とは、所詮、「知」を僭称する人間の傲慢に過ぎない。いま、生きてあることは驚異ではないか。この銀河の宇宙は神秘であり驚異ではないか。誰か、世界の創造の真実を知るのか、誰が我々がいずこより来たりいずこに行くのか知るのか。わたしは「故郷」を忘却した「無知」なる者にしかない。されど、空しき情報と風のごとき消え去るこの現代の喧噪と無意味の氾濫は、「知」にもっとも縁遠いものであろう。「永遠」そして「真理」というのは、この「いま」に生成しているものなのです。それに気づくか、気づかないかの違いでしょう。また気づいたとて、人は幸福を得るものではないのです。
  
  わたしは、なお迷妄の世界を彷徨っている空しき旅人であるでしょう。わたしの旅は、心の、そして魂の旅でもあったと言えるでしょう。そしてなお迷妄にあるのです。『旧約聖書』伝道の書で、コーヘレトは言いました。「若者よ、汝の若い時に神を知れ」。そう、「神を知る」とは、貴方が「無知」であるということを知るということでしょう。そして「魂への気遣い」が心にある限り、何を忘れようと、真に重要なことは、幾らでも、この永遠のいまにあって、泉のように甦って来るでしょう。「求めよ」とイエスは言ったのです。「求めよ」、そうその時、永遠の命の泉の扉は、いつでも、このいまに開かれるでしょう。
  

 
  「現在を生きる」というこの意味が、どうもわたしの考えていることとはかなり違っているように思えます。また、貴方が若いからかも知れませんが、何を問題にして、何を問いかけているのか、どうも明確に分かりません。大脳の記憶のメカニズムなど、極端に言えば、この場合、どうでもよいことだとも言えます。
  
  西欧中世のような世界であると、或る特殊な場や人々、時期を除いて、概ね、社会の変動は非常に緩慢で、文化や技術や知識や流通情報や流通物品なども、ほとんど数十年とか、数世紀とい...続きを読む


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