人ってなんで苦を求めるんだと思いますか?
生きる理由なんて考えてもでるわけ無いのに考えたり
答えの出ない問題に悩み苦しみ
今を生きてるのに 死ぬ事を恐れ永遠を望んだり
(生をあたえられて死をあたえられるのを拒む?) 
ものを区別して勝手に名前を決めたり それの用途を勝手に決めたり それによって自分を束縛し 自分でつくった鎖で自分をがんじがらめにしてる感じかな?
総ては ただ流れてるだけで 自分っていうのは ただの流れなだけなのに
ただ そこに存在してるだけで 死を意識して苦しむ事の理由が知りたいです
誰かが言った言葉でも良いし あなたの意見でも良いので教えてください

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A 回答 (11件中11~11件)

死を恐れるのは本能です。

頭で考えるかどうかとは別に、生命を脅かすものには体が条件反射します。恐怖心というのも得体のしれない危険から身を守ろうとする作用です。痛みを感じる事も生命を守ろうとする信号です。驚いた時に体に力が入り目を見開くのも防衛本能が働いている為です。
つまり、人に限らず死はすべての生命が最も忌み嫌うもので、人に特徴的なのは、そのメカニズムに関心をもって考察を試みる、という事だと思います。生に執着する本能に、考える、という知性が加わっているわけです。だからといって、他の生命と比較して人にだけ特別な生命の意味というものがあるとは、私は思いません。生命の歴史のなかで、他の生命と同じく一つの役割を担っているに過ぎないと思います。
死を意識して苦しむ理由、というのは、おそらく人だけが「自分も必ず死ぬ」ということを知っているからでしょう。自分の必ずくる死、というものを知らなければ、死の瞬間まで本能に従って生きる事に専念できますよね。
必ず来る死を意識してしまうと、自分がなくなるという不安はもちろん、自分が存在している意味、とか、死後の事とかを考えずにはいられなくなるのでしょう。どうせ死ぬんだから生きていても意味がない、と考えてしまっては生きる事に執着する本能とぶつかって、根源的に納得できないわけで、生きる意味を求めるのだと思います。
自分を束縛する、ということについては、人が社会をつくる動物である、ということにかかわりが深いと思います。社会の中で平穏に暮らす為には本能のおもむくまま、というのではよろしくないという事を学習して知っているからです。
自分を厳しく律する求道者、というのは事情が違いますが、これは自己を極限に追い詰める事で真理を見い出そうとする真理探究の手法の一つだと考えますが、精神的に行き詰まった一般の人が求道者のような苦行を自らに課したりするのは救済を求める方法の一つだと思います。救われる為の段取りとしてやっているわけです。
人は本能の他に優れた知恵を与えられましたが、この知恵(精神)は案外もろく、自立する強さを持ち合わせていないのではないでしょうか。他の人の考え(精神)や、先人の知恵(宗教等)と関わっていないと破綻してしまうくらい、脆弱にできてるように感じます。
誰とも会話せず、読書もせず、メディアとも関わらず、といった状況に人はどれほど耐える事ができるでしょうか。
長くなりましたが、死ぬまで色々考えるのが人間の特徴、という事ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
大変ためになる答えでした。
わかりやすかったし
この答えいいと思います。
メディアを必要とするのは人間としての私じゃなくて
社会としての私ですもんね~
社会を作る生物って 確かにその通りだな~
とか納得させられました。
虹って7色って言われてるけどどう見たって
色と色の間の微妙な色とかぼやけててそんな違いがわからないときとか 人間としての私は許せないけど(笑)
社会としての私はその通りですもんね

お礼日時:2001/04/19 19:24

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