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江戸時代の隠密同心について色々調べているのですが、資料がみつからなくて困っています。
隠密同心は密偵ですから、変装して仕事していたようですが家は他の同心と同じく八丁堀にあったのでしょうか?それとも変装したまま町の方に住んでいたのでしょうか?

ご存知の方がおりましたら、回答お願いします。

A 回答 (5件)

隠密同心はテレビ東京が作った「大江戸捜査網 アンタッチャブル」の空想の役職です。


隠密は存在しましたが、隠密同心は実際には存在しません。

なので資料もありません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/01/21 00:53

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸時代の隠密同心について色々調べているのですが、資料がみつからなくて困っています。

秘密捜査員 隠密同心たちが、変装、潜入、囮など様々な手段を駆使しながら探索、事件の裏にはびこる江戸の悪を斬り捨てていく痛快時代劇。隠密同心とは松平定信が極秘に作った組織で、彼の命を受けた幕臣が、隠密支配となって統括している。その正体は、町方に町人として職を持ち、町人と同じ暮らしをしているが、町内の地蔵の合図を元に集結して、指令を受ける。メンバーは皆、隠密支配から承った証の懐剣を所持している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F% …
これは、日活映画が製作した「大江戸捜査網」という架空の登場人物です。

では、まったくの「架空」??

いえいえ、モデルはちゃんとありました。

それは「お庭番」です。

八代将軍吉宗が紀州から江戸城へ入ったとき、供をしてきた者の内17名が将軍じきじきの命令で働く役目を仰せつかった。普段は平凡な武士の姿で(八丁堀には住まず)、誰が「お庭番」かは見分けがつかないようにした。他の役人とはいっさい交際を禁じられており、世襲制で結婚も同じお庭番同士の家柄で結ばれた。将軍より指令を受けると、帰宅せずにそのまま大丸呉服店の奥の一室で指令の内容に応じた変装をして出発した。そして、半年も一年も帰らないことがあったという。もちろん、忍術の心得を持っていた。また、旅先で死んだり怪我をするようなことがあっても、ご公儀からは何の保護も与えられなかった。いわば、使い捨てということらしい。さらには、時には旗本連中の陰口などを直接公方さまに上申したりもしたので、旗本連中も
「あの男はお庭番に違いない、滅多なことは口にすまいぞ、それ来た、油断するでない」
と敬遠したという。

この「お庭番」の町民バージョンが「大江戸捜査網」の「隠密同心」です。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。お庭版のエピソード、すごくありがたいです!呉服屋の一室で変装していたんですね。なんとも興味深いです。

お礼日時:2011/01/21 01:02

たしか


越後屋呉服店で、着替えたはず。
通常は、番町に住んでいたはず。

上記は大目付配下で、各大名家の情報収集者の場合
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!番町…はじめて聞きました。しらべてみます!

お礼日時:2011/01/21 01:04

 追加になりますが。


 お庭番には大きく二つの任務がありました。江戸周辺のいわば関八州で、日常生活を装いながら幕府の評判(風評)を聞いて報告するものと、もう一つは遠国(おんごく)めぐりで、日本全国を旅します。まず指示を受けると、大店の奥のアジトで打ち合わせをしました。その店の主は、侍の身分を落として商人になった者が仕切り、運営していますが、同時にさまざまな旅装束などの関連資材も保管しています。
 さらに打ち合わせに基づいて、指令を受けた武士(つまりお庭番筋の侍)の手足となる部下も密かに集まり、打ち合わせの後出発します。その際に符牒を決めておいて、街道沿いや宿場町の旅館でこっそり集まっては、情報交換などをして、最後に江戸へ戻って報告します。
 この時の報告書は、縦書きですので右下に名前を書いたあと提出し、取り次ぎの家老が名前の部分をカットして、殿様の手文庫に入れておきます。
 なお、遠国出発前に、近所にいる引退した同じく、お庭番筋の親類に出発の報告と同時にアドバイスをもらいます。それと、旅装束は、当時は階級別に言葉が違っているくらい立ち振る舞いの違いが分かるので、武士はあまり変装せずに、部下がいろいろな姿に身をやつしたようです。ちなみに、関所を通りやすい、芸人(将棋さし)やおもちゃの行商姿(でんでん太鼓を売る)が多かったらしい。
 調べるのでしたら、時代考証をやっている人たちの本を探されるとよろしいかと思います。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございます。自分はまったくの歴史素人ですので、本当に助かります。色々エピソードがありますね。

お礼日時:2011/01/21 01:08

御尋ねの「隠密同心」は町奉行配下の隠密廻り同心の


ことと思います。町方向きですね。
江戸町奉行所には大勢の同心がおりますが、町方の治安
犯罪には、三廻り同心と言われる、隠密廻り、定町廻り、
臨時廻りの同心が主として担当しました。
このうち隠密廻り同心は他の与力配下でなく、奉行直属で
すぐれた同心が選ばれました。同心が住む八丁掘に住み
町人の姿で奉行の特命事項や一般の探索や聞き込みを
行いました。昔の特高(秘密警察)のようなものです。
但し容疑者を縛ることはせず、捕縛は他の同心の仕事で、
探索専門でした。
ただ実際の成果は秘密の役柄のためか、ほとんど判って
いません。

この他、前答にある「隠密御用」の者は諸藩や武家方の
探索が仕事で、徒士、同心、御小人が務めたと言われて
います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。三廻りのことまでは調べられたのですが、細かいことが結局わからず、途方にくれていましたがまさにこういうことが知りたかったんです!確かに秘密の役柄ですので、資料があまり残されていないんでしょうね。助かりました!!

お礼日時:2011/01/21 01:13

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