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偽善者と思われるかもしれませんが、本当に分からないので教えていただけると助かります。

献血を定期的に行ったり、骨髄バンクに登録されている人って意外と少ないと思うのですが、どうしてみなさん行わないのでしょうか?

私にとって、献血も骨髄バンクも大したコストもかからないので、少ないコストで人が助かるのならば提供したいと思っています。もちろん献血マニアだとか、注射が好きだとか、お菓子目当ての食いしん坊だとか、そんなことは全くないです。むしろ注射が大嫌いで、目を一生懸命つぶって献血しています。

多くのみなさんも痛いから行わないと思うのですが、私と献血を行わない人との違いは何なんでしょうか?なぜ私はメリット(人が助かる)という方を、自分の痛みよりも大きく評価しているのでしょうか?

意外に思われるかも知れませんが、私自身は「良いことをしている!」などといった正義感のようなものから、幸せを感じているわけでもなさそうです。

なぜこんなことを考えているかというと、「自分1人が死ぬことで100人助かるならどうする?」という話を友人としていて、死ぬという極端なことまで考えなくても、「自分の犠牲で人が助かることが確かなのに、なぜみんな行動しないのか?」という疑問が浮かんだからです。

やっぱり利他的個人なんてのは、存在しないのでしょうか?しかし私は何故こんなに便益の方を評価しているのでしょうか?

体験談などを含めて、色々な価値観を教えていただきたいです。

A 回答 (15件中1~10件)

私は生まれつき持病があって献血が禁止されています。

知人でも貧血や病気などで献血が出来ない人もいます。ですので
『献血しない=自己中心的』
という前提がそもそも間違っているのかもしれません。献血したくても出来なくて涙を飲んでいる人は相当数いると思います。

また、もし私自身、献血の出来る体と仮定します。その時、献血による施しよりも献血以外の施しを選ぶでしょう。人間、色々な人がいます。社会貢献として献血に向く人、ゴミ拾いに向く人、こちらで回答するのに向く人……。
『献血=ボランティア』
という前提もやや独善的なのかもしれません。

だいぶ厳しい文面ですみませんでした。嫌な文章だったでしょうが読んでくださって有難うございました。
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余計なお世話だったらごめんなさい。


最初に回答する前からこの質問が気になっていて、他の回答者の方の意見や、質問者さまのお礼文をいろいろ拝読していまして、もう一つ意見させて頂こうと思いました。

まず、結論から言って、今現時点で献血などのボランティアを考えていない人に、献血してもらうには、という質問に対しての答えは、そんなの一人の人間の呼びかけくらいでは殆ど無理だと思います。

例えばホームページを立ち上げたり、いろんな掲示板に書き込みをしたり、知り合いを手当たり次第に当たって声をかけても、そのページを見ない人は見ないし見てもなんとも思わない人だっているし、掲示板や知り合いだって、話半分で聞く人だっているし、みんないろんな事情を持つ自分史があるのだから、触れられたくないことを言ってしまうことになるの『かも』しれません。あくまで予想です。
けれど、ここでのあなたの質問文を読んで、心の中で変化が起きて、今度献血車を見たときの気持ちが変わる人だって居てる『かも』しれません。
ただ、決定的に確実に『今現時点で献血を考えていない人に考えてもらう方法』なんて、一個人には無いのだと思います。また、個人に限らず、何かの働きかけで『強制的に』ボランティアに参加する、というのは、それはもうボランティアではありませんし、人の思考を無理に(無理というかやんわりでも)変えさせるというのは、相手の思考の自由を侵すことになるのではないでしょうか。

人の思考は自由で様々だし、自分史だって様々。質問者さまだって、過去の自分の体験が無ければ献血に向かっていなかったかもしれない。そしてその『かも』の世界で献血に行かなかった質問者さまを責める謂われは誰にもないのだと思います。

ただ、自分が行いたいから行う。と、シンプルに考えてみると、あなたが行っている行為に賛同した人が、『その人の意志で』あなたのあとを追って、ボランティアへ向かうかもしれません。

ボランティアを呼びかけることって、そういうシンプルで地道な、もしかしたら独りよがりな、だけど一個人の精一杯の善意の積み重ねを続けていくことなんじゃないかな、と思います。

あなたにできることは、今までと変わらず、自分の行動を続けていくことなのではないでしょうか。
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私は、献血をする為に出かけたということはないです。

出かけた先で、ご協力をと言われて時間があれば、という感じです。

私は、注射はもちろん好きではないですが、それほど苦ではないので「自分を犠牲にして」という感情はありません。
自分が献血した血が誰かに輸血されることになれば、誰かを助けることになるのでしょうが、実感がないというか、想像が働かないというか、ともかく献血していて「誰かを助けてる」という感情になったこともありません。自分が輸血を受けることになるかもしれないですし。

献血しても、人助けをしたという気持ちにはなりませんし、人を助けていないのですから自己犠牲による自己満足も得られません。
「自分が献血しないことで誰かが死ぬことになる」という思いもないので、献血に行かなくても大きな罪悪感を感じることもありません。
私が自ら進んで献血に行くということをしないのは、献血をしても献血に行かなくても、特別な感情を抱かないからだと思います。

病院の待合室で「~型の方いませんか!血液が足りません!協力してください!」と呼びかけられたとしたら「人助け」だと考えると思います。
私にもっと人を思いやる心があれば、あるいは、私自身が輸血を受けたことがあれば「献血=人助け」と感じることができるのかも知れませんが、私にとって、献血は「人助け」ではなく「協力」です。
「輸血が必要になった時の為に、みんなで協力して血を貯えておきましょう。」という声に、自ら進んで協力している人は素晴らしいと思います。
私も見習わなければいけないと思いながらも、なかなか行動に移せないのは「自分が輸血が必要になったら。その時もし血が足りなかったら。」そういうことを真剣に考えることができないからかも知れません。


骨髄バンクには登録していますが、登録したのは何年も前なので、登録した時どんな気持ちだったか・・・
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献血前に血液の比重を測りますが、この測り方が数年前に器械になってからは


比重が微妙にに足りずに、最近は献血は出来ていません。
以前は、溶液に血液を垂らすだけでしたが、その頃は結構出来ました。

それに、健康診断をする医師が余りにも厳しい方やいい加減な方が見え、
持病を持っているので、ことごとく断られる事が多いです。
本当は人の役に立ちたいのですが、私の血では役に立たないようで。

骨髄バンクの関しては、何日も休まなくてはいけないし、
最終の時ごく稀に問題が起きていると聞いていますので、
家族の事を考え、躊躇しています。
持病が有るので、登録をしてもまず無理だと感じますし。

なので、何気ない事で人のためになれるような事を
いつも心がけるように、知らない人が困ってみえる時や
学校でのボランティアはずっとやっています。

こんな自分でも、人のためになれるなら少しでもお役に立ちたいです。
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献血は20数回ありますが、その中には献血直後めまいで倒れたことが何度かありました。

そうまでして献血したのは自分が他人の為に何か役に立つからとの思いだけです。その点、質問者さんと同じです。ただ、そのような考えの人は現在少なく、なってきており、他の回答者のように、人の考えは様々です。決して強制はできないし、かといって全く自由では献血する人がいなくなってしまいます。ですから、血液検査や菓子類の提供はそのためでしょう。
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<br /> まぁ、世界中で災害等があれば募金が始まりますが、世界より、まず日本で色々な支援を願う人たちへのそういった募金も大々

のに・・と思う部分は僕の中ではあります。

メーカーが販売を、時期的に売り上げを伸ばしたいと、これを買うと恵まれない世界の地域へ・・・
とキャンペーンしますが、要はこれも買わせる材料にしかありませんしね。

ボランティアをする人は、大なり小なり全てのボランティアをしなければ、極悪人になるんでしょうか?
お金を使うことが誠意なのでしょうか? 

自分に出来るボランティアをすれば良いだけの話ですよね。

その中で、比較的コスト(誰もが比較的参加しやすいボランティア)も掛からない献血をしないのは何故でしょうって言うことで宜しいのではないのですか?
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私は100回までは行っていないけれど80回は越しました。

でも今では成分献血が出来て100回なんて大したものではないですね。

現役のときは放射能を扱っていた企業にいたため、二月に一回は検査に行かなければならず、その帰りに寄ったものです。あの頃は年に6回しか出来ないため、10年でも60回までです。

もし検査なんてなかったらしてないでしょうね。それは日赤が私の行動範囲から1時間も車を飛ばさなければならないからです。また今の時期、雪がすごいだろうなと想像する地域にあるからです。

たまに献血車が回ってきますが、気がついたら「昨日だった」なんてざらで、チャンスがないですね。
近くの量販店などの一角に常駐してくれればいいのですがね。
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これと同じ質問を、今はやりのタイガーマスクから問われたら、と考えてみたら?



児童施設へのランドセル寄付をなぜしないのか
寄付を定期的に行ったり、可哀想な施設の児童たちに援助している人って意外と少ないと思うのですが、どうしてみなさん行わないのでしょうか。
大したコストもかかりません。大人なら2,3回飲みに行くか、趣味のDVDを2,3本買うくらいの費用です。
金が惜しいから? 私とランドセル寄付を行わない人との違いは何?
自分の犠牲で人が助かることが確かなのに、なぜみんな行動しない。
年に1回くらいでもしようとは思わないのか。
寄付することで自分にリターンがないからやらないという理解でよいか。
思いやりなんて持てないものなんでしょうか。

あなたの論理でいけば、まだランドセル寄付をやってないあなたは大変な極悪人ということになります。
急いで明日一番にランドセル寄付をしに行かないといけません。
でも、そういう問題ですか?
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献血は何回かトライしてるのですが、血液比重が低いので検査の段階でお断りされてしまいます。


それでも「今日はいけるかもしれない」と時間のある時はチャレンジしてみてはいるんですが、そろそろ検査時間を取らせるだけ無駄かなと感じてきてます。

骨髄バンクやドナー登録については機会があれば登録してみようと思いつつ、不勉強なので詳しい内容を把握出来てないし、そんなんだから家族の理解を得るのも難しいかなと二の足を踏んでます。
いつかは臍帯血を…と思いつつ、妊娠・出産の予定も全く無く…。
方向性は違いますが地域のゴミ拾いに参加したりくらいのボランティア活動しか出来てません。

骨髄バンクやドナー登録についてですが、登録自体はしようと思えばいつでも出来ると思ってます。
ただ「実際に適合者が現れた時」のことを考えると躊躇いが生まれます。
骨髄の提供の際に万が一のことがあったらどうしようとか、脳死の状態に陥って家族に辛い選択をさせなきゃいけなくなったらどうしようとか。
「自分の犠牲で見知らぬ誰かを救う尊さ」より、「自分の犠牲で身近な誰かを悲しませる可能性」を気にしてしまいます。
エゴなのはわかってますが「姿のわからない100人」より「目の前の1人」の方が大切です。
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自分に関係のない・・・寧ろあんまり考えていないのだと思いますよ。



極端な話、災害や事件などで、道端に人が続々と倒れている中、
「今すぐ血液が欲しいです献血をお願いします」って言われて、それでしようと思う人も居れば、
絶対に嫌だと思って、口ずさむ人も居ると思います。

そこで、親族や知人などが負傷していても嫌だと思ったり、献血はしても良いけど
特定の 家族や知人の為だけに使うならって言い張る人も出てくると思います。

話が変わりますが、知人で お店の「車椅子専用駐車スペース」に、別に良いじゃん、いつ来ても
車椅子の人なんて見たこともないし・・・と言う人がいました。

自分が、足を悪くして手術をした後に、「車椅子専用駐車スペース」に普通の人が止めてて
改めて その場所のありがたみを感じたそうで、そこからは使わないようにされたりとかです。


実際に自分が手術で血液を提供してもらっても、ごくそれが当たり前の事で、だから献血しようとは思わないんだと思います。
極端に言えばその人の意識のある中、この人を助けるために今すぐ献血お願いしますと言われて、初めてありがたみを感じるのではないのでしょうか。 献血する人がいなかったら自分は死ぬんだな・・・の瀬戸際で実感したりするのかと。

「自分1人が死ぬことで100人助かるならどうする?」ってのは、自分が可愛い人には通用しないんだと僕は思います。

自分が献血しなくたって、別に問題ないでしょってのが頭の中にあるのかなって思います。
献血車が目の前にあって、休みで買い物中でも、買い物しなくちゃって思うんでしょうしね。


ありえない話ですが、 献血をしていない人は、している人よりも手術の時に、血液をもらえにくいとか、献血をしていない人は、手術時他人の血液を貰えないから、元気な時に自分の分はストックしておく・・・ みたいなルールだと、自分の為に献血するんじゃないかなって思います。
↑ありえない話しで、極端な例え話です。

 
と言って献血をしない人を僕は何でだろうとは思いませんしね。

出来る人が出来ることをすれば良いって思っています。

40歳 献血65回  骨髄バンク登録 家族が嫌だと言いましたが登録しています。
ドナー登録は、両親が泣いて反対するんですよね・・・・


「自分1人が死ぬことで100人助かるならどうする?」
ですが、 話がずれるかと思いますが、強盗や殺人現場に居合わせて、包丁や拳銃を持ってても
僕は倒せる自身だけはありますので、立ち向かいます。 そこで死んでも別に良いやって思ってます。
それで100人助かるのならってね。 

立ち向かい方法は知っているんですが、下手して死んでも良いかなと言う感じですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。みなさんの意見を読みながら、頭が整理されてきます。

もう一歩踏み込んだ話ですが、では現時点であまり考えられていない人には、考えてもらうことというのは難しいと思いますか。

コメントを読みながら、色々と自分の歴史等を振り返って考えてみました。確かに医療のお世話になった経験というのは、献血に向かわせる動力となることは確かですね。

ただ思い返してみると、医療のお世話になる前からも、私は献血に行っていました。この頃は、不順な動機もあったようにも思えますが・・・献血をしたからといって、誰からもほめられることなどありませんでした。まだよく私自身のことすら分かりません。

あと車椅子駐車スペースについては、友人に手足が不自由な子がいますので、その子のことを考えると駐車なんてできませんね。これも想像力や経験の力によるものだと思います。

お礼日時:2011/01/24 03:26

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