
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
マッカーサーは朝鮮戦争で多くの判断を誤りました。
中国の本格的介入は無いと判断した事。また、中国軍、ソ連軍が介入しても空軍で阻止できると判断した事。
中国の海上封鎖と、中国本土への攻撃、台湾の国民政府軍の大陸反攻と、国民政府軍の朝鮮半島への参戦が無ければ朝鮮半島は失われると判断した事。(どれも実現しませんでしたが、朝鮮半島は失われませんでした)
他にも色々です。
北朝鮮に攻め入った時は、補給線の構築に失敗し韓国軍は11月になっても冬服は支給されませんでした。さらに拙い進撃で戦線の構築に失敗し中国軍の浸透を許し、反対の声もあった元山上陸作戦では、地上部隊が先に元山を占領し、2週間遅れで部隊は上陸。その間一個軍団が完全な遊兵化。そして前線では兵力不足に陥るという酷さ。他にも多々あります。
朝鮮戦争は悪い指揮の見本市みたいなものですが、その原因は全てマッカーサーと言えるでしょう。
一方のトルーマン大統領の中国への攻撃禁止の判断は誤りとは言えないでしょう。
当時、中国とソ連は「中ソ友好同盟相互援助条約」を結んでおり、中国本土が攻撃された場合、ソ連も参戦してくる可能性がありました。
第二次大戦後、アメリカ軍は縮小されていました。830万人いた陸軍は朝鮮戦争が始まる時には59万人になっていました。
海軍も空軍も同様に削減されていました。そのため兵力不足に陥っていました。
後に動員がかけられ軍は増強されますが、すぐに部隊が整うというものでもありません。
朝鮮に充分な部隊をすぐに送れないどころか、日本の防備についても不十分でソ連の脅威に対しどう対処するか常に問題になっていました。
それはアジアだけの問題ではありませんでした。
ヨーロッパで対峙しているソ連軍と西側諸国の師団数は125対14で圧倒的に西側諸国の不利であり、ソ連軍の侵略の脅威を防いでいる唯一の要因が原爆であり、在来軍では侵略を阻止できない事について西側諸国は、ほぼ見解が一致している情勢でした。なお原爆の存在はソ連の侵略を防いでいるが、一端戦争となればソ連の侵略は防ぎ切れないという判断もありました。
また、アメリカの核備蓄が充分ではない可能性と、ソ連が原爆実験に成功した事から、核兵器における優位が揺らいできているという問題もありました。
だからトルーマン大統領は朝鮮戦争に中国が介入した後の1950年12月16日に「国家非常事態」を宣言し、その演説の中で「我々の直面する危機は朝鮮だけにあるのではない・・」と述べ、大規模な軍拡に入ったのです。
この当時のアメリカ軍はとても第三次世界大戦を戦い勝ち抜く態勢にはありませんでした。
だからトルーマン大統領は第三次世界大戦の危機を回避するため中国本土への攻撃は避けました。
マッカーサーは目先の事しか見えておらず、洞察力が充分あるとは言い難い軍人という他ありません。
ところで根本的に「トルーマン大統領が北朝鮮の侵略阻止を目的にした」という話には賛成できません。
朝鮮戦争においてマッカーサーが仁川上陸作戦を成功させた後、ワシントンはマッカーサーに北朝鮮軍撃滅のために38度線を越える許可を出しています。ただし、ソ連、中国の国境地帯は韓国軍のみの活動を許可するという制約を付けました。
また、その一ヵ月後には国連の本会議において、統一された朝鮮で民主的な政府を樹立するために国連が選挙が行う事が議決されています。
イギリスの外相なども「もはや南北朝鮮はありえない」と発言しました。
また仁川上陸作戦から1ヶ月ほど後にウェーキ島でトルーマン大統領とマッカーサーが会談していますが、感謝祭(11月23日)までに朝鮮での戦いは終わるとマッカーサーが発言しています。
つまり、朝鮮戦争のこの時点では、北朝鮮だけが相手の場合、トルーマン大統領は北朝鮮の侵略阻止ではなく、朝鮮の統一を視野に入れていました。
単なる侵略阻止なら38度線を越えて中ソ国境への進撃を許可したり、国連での統一朝鮮での選挙などの話は出てきません。
さらにマッカーサーもこの時点では中国本土への攻撃は求めていません。
その構想が狂ったのは中国軍の参戦です。
中国参戦後のトルーマン大統領は朝鮮統一を諦め、また北朝鮮の侵略阻止を目的にしたというよりも、第三次世界大戦の危機を回避するため中国との和平交渉を進めるための戦略に終始したと言うべきでしょう。
回答ありがとうございました。歴史の実相に切り込んだ解説で、読んで納得する事ばかりでした。とても参考になりました。私も自分でもっと勉強しなくちゃいけないなあと思いました。
No.4
- 回答日時:
不遜ですが皆さんのご回答に勇気付けられ。
どちらも正しくどちらも間違っていた。
中国、ソ連との冷戦という対立の構図を選択したのと、それらを温存したのと。
マッカーサーのが必ず第三次大戦になったかどうか、当時の中国やソ連の国力などからすれば米国と西欧は圧倒できたであろう。
しかしそれがよかったかどうかは不明です。
半島の分断は無論、仮、一時の措置でしかないのが継続してしまった。
やはり同じように、中国と北朝鮮には親西欧的政権は樹立しておいて欲しかった。
無論、その場合日本の国際的(対米的)立場は更にに価値が低下していたでしょうが。
マッカーサーのでいっても第三次大戦にいくことはなかったはずである。原爆投下は問題であるが。
現場感覚の希薄なトルーマンの判断ミスだと存じます。
そして日本の軍備は更にに早められ、アメリカ軍(国連軍)の先陣に使われていくことになったでしょう。
そして反日の教育と宣伝のあり方の性格と内容が多少変わり、いまのような手の付けられない溝にはならなかったと存じます。
そういうことが平和の理念から遠いか近いかは別の話になります。私はトルーマンの間違いだと存じます。
No.3
- 回答日時:
まったく揃いも揃って身も蓋もない回答になりますが、歴史というのはどの視点に立つかによって判断は全く変わるので誤りもなにも絶対の正解はありませんし、また史実と違った判断をしたとしてもその先がどうなっていたかなんてのは想像するしかないので「違う判断をしていればどうなったか」を正確に検証することもできません。
「歴史にIFはない」といわれる一因ではあります。ただ、マッカーサーは軍人として判断し(軍人の役割は軍事的に勝利すること)、トルーマンは政治家として判断した(ソ連やヨーロッパ情勢も含めた全世界的な外交判断と、国内の政治事情や経済の問題など総合的な判断)ということだと思います。
仮に朝鮮戦争が韓国側の勝利で終わっていたとしても、毛沢東にとって親米反共産主義国家が国境を直接接する(しかも鴨緑江は場所によっては歩いて渡れる程度の深さ)ところに誕生するのはとても受け入れられない(当時の中国は対日戦と内戦によって疲弊しとてつもなく経済的に貧しい国でした)ものでしたし(だからこそ国家成立間もなくで余裕がなかったにも関わらず朝鮮戦争に介入したわけです)、ソ連にとっても極東の軍事拠点ウラジオストックの目と鼻の先に反ソ国家があるだなんて受け入れられなかったでしょう(かつて大韓航空機がオホーツク海でソ連軍に撃墜されたことを忘れてはいけません)。
もし金日成が敗北したなら、他の人物を擁立して韓国に共産ゲリラを送っていたでしょうから、第二次朝鮮戦争とか、長引くゲリラ戦争などが起きていた可能性は大いにあったと思います。80年代までは韓国も軍事政権で、北朝鮮からのゲリラ工作だけではなく、光州事件などもあって政情は不安定でした。私なんか、子供の頃は韓国は「怖い国」って印象でしたよ(戒厳令が敷かれていましたし、今の北朝鮮なみに報道統制をされていたので)。
回答ありがとうございました。本当に仰る通りだと思います。
「マッカーサーは軍人として判断し、トルーマンは政治家として判断した」
これに尽きるのかなと思います。回答に書いてある事は含蓄に富んでおり、非常に勉強になりました。ご意見ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
補足説明のお願いです。
質問者は、当然ながらD.ハルバースタムの遺著『ザ コールデスト ウォー 朝鮮戦争』を読まれてのご質問だと思います。高名なジャーナリストが10年をかけて執筆した大著であり、朝鮮、東京、ワシントンの動きを精査している点でご質問にもっとも近く、また話題にもなった著作です。マッカーサーやトルーマンの主張が、そんなに簡単に色分けできないことが委細をつくして論じられています。
http://hakuzou.at.webry.info/201001/article_2.html
というわけで、本書の結論をどう評価するかご意見を述べて、改めてご質問いただくのではいかがですか。さもなければ、単なる水掛け論で終わってしまいます。
回答ありがとうございます。正直、私は歴史に関して断片的な知識しか持っていないので、歴史に詳しい方の個人的な見解や評価でいいから御意見をお聞かせ頂ければと思って質問しました。
ただ、私の断片的な知識で知る限り、マッカーサーは中共の介入はないと判断し、トルーマンにそう報告してしまったのはやはりマッカーサーの大誤算以外の何物でもないと認識しているのですが…。
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