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はじめまして。

鎌倉執権北条氏と、戦国時代の後北条氏は、同じ「北条」でも血のつながりがあるとは言えないと聞きました。
それなのに、どうして家紋が同じ三つ鱗なのでしょうか?

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A 回答 (2件)

ただ単に後北条の始祖伊勢早雲が自家の繁栄を願って北条と名乗ったのです。


つまり家紋もそれにあやかったんだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど!早雲は元々が北条という名前ではなかったのですね!
ありがとうございました!

しかし、苗字とか家紋とかホイホイ変えられちゃう時代だったんですね

お礼日時:2011/02/03 02:17

言い方を変えれば



「伝統ある北条家である」
と、名乗りたいから。ブランドとして使いたいから北条家と名乗ったのです。
だったら、三つ鱗にしないほうがおかしい。

家紋は結構、上位者が褒賞として下位者に利用許可を与える場合が多い。
http://www.oyakatasama.com/oda/kamon.html
拝領というやつ
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Q戦国時代の北条早雲って鎌倉幕府の北条氏の子孫ですか?

鎌倉幕府の北条氏は室町幕府に倒されたと思いますが、戦国時代に出てくる北条氏はどんな関係なのでしょうか?
子孫?親戚?無関係?

どなたか教えてください。

Aベストアンサー

戦国時代の幕開けに関東の覇者となった戦国大名の北条早雲が初めて歴史に登場するのは、文明10年(1478)、駿河の守護大名である今川家の内紛の調停役としてでした。
彼の姉か妹かが今川家の側室の一人であったということらしいです。
この頃、早雲は四十六歳、まだ伊勢新九郎長氏(ながうじ)と称していました。出自については諸説いろいろあります。
その後、伊豆の韮山に北条氏の末裔がおり、そこの主が亡くなって未亡人が1人となったところに婿養子として入り、北条の名を継ぐようになりました。もっとも早雲自身は最後まで伊勢氏を名乗り、北条姓に変わるのは2代の北条氏綱からですが。
この改姓は非常に重要な意味を持ちます。つまり鎌倉幕府の実質上の主であったあの名門、北条氏の流れを汲む者であると名乗れることは、大きなハクがつくことになるからです。このような権威付けは当時では非常に重要なことと思われます。由緒ある家柄だということは、支配者としての「資格」のあることを意味するからです。もちろん資格があっても実力がなければすぐに亡ぼされてしまいますが、実力があっても資格がないと、人々は支配者としてなかなか認めたくはない。室町幕府の権威が低下し、実力の世となっても、人心の変化は、まだまだそういった古くからの権威をあがめ、由緒を尊ぶ気風は十分に残っていました。戦国時代、下克上の三羽烏とも言われる北条早雲、斎藤道三、松永久秀のうち、道三と久秀はまもなく滅んでしまったのも、このあたりに原因の一つがあるのではないでしょうか。

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