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飲み会を楽しめる=コミュ二ケーション能力が高い、という定式は成り立ちますか? こないだ大学の飲み会に久しぶりに参加して、そのあまりのつまらなさに驚愕しました。というか、怒りさえ覚えました。
話に割って入ってきて面白くもない無茶ぶりをしてくる奴、大声をあげてワンパターンな白け笑いを何度も誘う奴、人としゃべっている最中にいきなり他の集団に茶々を入れる奴、雑なイジリで盛り上がってる奴、凡庸な人生論を一方通行でだらだら語りかけてくる奴。今までも飲み会に何度か参加しましたがこんなんばっかです(今回は特にひどかった)。で、そういう連中が場を仕切っている。いつもなじめないので観察に徹するしかないのですが、どうも、飲み会というのは話題が非常に流動的で、一定しない(敢えてさせないようにしている?)場のようです。ゆえに文脈のある笑いが生まれない。だから一発芸とかに頼っちゃう。
飲み会に溶け込める人間が「コミュニケーション能力の高い奴、面白い奴」みたいな認識が世間にはあるように感じるのですが、正直、「つまんない奴がウケ狙って大声張り上げてるな」くらいにしか感じませんでした。だいたい、他人の話を妨害するようなやつがコミュ力高いと言えるんですか?
社会はいま「コミュ力」「コミュ力」とバカみたいに唱えていますが、それって一体何を指すのかわかりません。飲み会で大声張り上げてつまんないギャグで笑う能力は社会で必要とされますか? 社会人の方、意見をおねがいします。

A 回答 (5件)

私見ではありますが・・・



>飲み会で大声張り上げてつまんないギャグで笑う能力は社会で必要とされますか?

今はわかりませんが、以前は必要とされた職もあります。例えば「営業」の仕事。
今でこそ「接待」なるものはだいぶ減ってきたようですが、以前は会社のお偉いさんを相手に商談をまとめる際に、そういった飲み会や「つまんないギャグで笑う能力」によって契約がとれるかどうかが分かれる、といったこともありました。

>話に割って入ってきて面白くもない無茶ぶりをしてくる奴、大声をあげてワンパターンな白け笑いを何度も誘う奴、人としゃべっている最中にいきなり他の集団に茶々を入れる奴、雑なイジリで盛り上がってる奴、凡庸な人生論を一方通行でだらだら語りかけてくる奴。

そういった人間は今も昔も変わらずいますね。そういう人たちとつきあわないのもひとつの手ではありますが、そういった雑多な人間を許すことのできる人になれるかどうか、ということは、その後の社会生活でのコミュニケーション力に関わってくるかと思います。
「こんな馬鹿な人たち」と見下すことは簡単です。でも飲み会だけならともかく、仕事上で人を見下す人は、個人の能力がいくら高くても、他人を活かすことは下手なことが多いです。

「飲み会を楽しめる=コミュ二ケーション能力が高い」
の定説があるとすれば、それは「人間に対する許容範囲が広い」という意味かと思います。たいていの仕事はひとりではできませんし、究極的には人間と人間のつながりで社会が廻っていくのです(少なくともこれまでの社会ではそうでした)。閉じた人間よりも開いた人間に多くの情報は集まり、結果、仕事ができる、ということになります。

絶対に楽しまなくてはいけない、ということではありませんが、「無駄なこと」と切り捨てるだけのものかは、本人次第かと思います。

参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

人間に対する許容範囲、ですか。確かに私はそういう意味で非常に「閉じた人間」であるような気がします。自分と波長のあわない人でも仕事上尊重してうまくやっていくのは大変そうですが、社会生活を送るうえでは自分のためにもすごく重要なことなのでしょうね。ただ、飲み会でバカ騒ぎしてた彼らも、個人的に話すぶんにはそこまで気に食わないわけではないんですよね。なぜあんなに豹変するのか謎です。現時点で私は資格を考えていますが、仮に就職するにしても営業は出来る限り避けたいと思います。つまらないことで盛り上がるのは私には無理です。

お礼日時:2011/02/07 14:50

sogoromo5 さん、こんにちは。



うーん、こういう話を聞くと、何のためにコミュニケーション力というのは
必要なのだろうかと思ってしまったりしますが。。。

sogoromo5 さんが何となく違和感を感じているあたりに
正解があるような気がします。

飲み会は基本的に誰かが不愉快になる場でもないし、
まあ、普通に話していれば楽しいですよね。

建設的に自己主張をしたり、相手の気持ちをくみ取って
前向きに進める力とか、こういった心の状態が備わっている人なのかなと
思います。

飲み会で面白い人は、面白い人なのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>建設的に自己主張をしたり、相手の気持ちをくみ取って前向きに進める力とか、こういった心の状態が備わっている人
うーん、曖昧ですねー。自分にはこの能力がある、と言い切れるひとってどれくらいいるのでしょうか。もうコミュ力なんて言葉は使わないほうがいいんじゃないかという気が私にはしています。

>飲み会で面白い人は、面白い人なのです。
もちろん「飲み会で中心となる人」がみんな「声でかいだけのつまんない奴」とレッテル貼る気はありません。本当に面白い人もいるかとは思います。が、ふだんから特に面白くもない奴らがなんで飲み会になると急にがんばっちゃうのかと。ユーモアの抜けたバラエティ番組みたいなものです。残るのは騒がしさだけ。

お礼日時:2011/02/07 15:07

社会人20年強の女です。



コミュニケーション力にも色々あります。
初対面の人とでもすぐ仲良くなれる力、自分の考えを適切に説明できる力、相手の感情を敏感に汲み取れる力、相手から本当の要望を聞き出す力、自分も楽しみ人も楽しませる力、などですね。
すべてをひっくるめて「コミュニケーション力」と言うのでしょうけれど、互いの相性もありますし、すべてに長ける人は少ないと思います。

そして飲み会にも色々あります。
違う立場の人が顔つなぎをするための場、気の置けない仲間とストレス発散のための場、職場では言いにくい本音を語り合うための場、などです。

なので、単純に「飲み会を楽しめる」=「コミュニケーション能力がある」とは言えません。その飲み会の目的に合ったコミュニケーション能力があるかどうかです。

質問者様の場合、行った飲み会の目的は何だったのでしょう?ストレス発散のためか飲んで騒ぐことが目的だったのではありませんか?
だとすれば、そこで「話をしよう」と考える事自体が見当違いですね。その飲み会では「コミュニケーション能力」はあまり必要とされていません。強いて言うなら「楽しむ力」でしょうか。
社会人でもストレス発散のための飲み会はありますから、一発芸を披露できる力や、それを笑ったり楽しむ力はあっても損はしません。職業によっては必要となります。

ご質問の内容とは少しズレますが、社会人になってからの飲み会には、その人の人間性や趣味を見抜き、日頃の付き合いに役立てるという点もあります。
質問者様が「くだらない」「つまらない」と思うならば、行く必要はありません。ただ、その飲み会に他人を観察している人がいた場合、質問者様は「ノることもできないのに、飲み会には来て場を白けさせる人」と見られてしまっている可能性もありますよ。
ご自身の目的に合った会に参加しましょう。でなければ、感性の合う人たちとの飲み会をご自身で企画することです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ノることもできないのに、飲み会には来て場を白けさせる人
まさにぼくがこれですね。というかぼくなりにノろうとしたら話の腰をボッキリ折られ、やる気をなくしたといったほうが正確かと思いますが。それにノったうえで白けさせてる人もいるのでどっちもどっちです。

それと、コミュ力にも色々ある、とおっしゃいましたが、この「色々ある」のに全部「コミュ力」とかいうワンフレーズで済ませちゃってるのが問題だと思うんですよね。「情報伝達力」「洞察力」「ユーモアセンス」云々とちゃんと個別的に指し示せばいいのに、なぜ社会は「コミュ力がないとダメです!」などとのたまっただけで何か言い終えた気になっているのでしょうね。ka28mi様もおっしゃるように全てに長けた人など少ないのだから、そんな曖昧な言葉を使われたら各々勝手に定義した「コミュ力」という言葉で相手や自分を攻撃する事態になるのは当然でしょう。そんなこともわからず「この職業にはコミュ力が必要です」なんて言っている企業とかを見ると、アンタも「情報伝達能力」という意味での「コミュ力」が足りてねえよ、とツッコミたくなるのですが。

話が大きくなってしまいましたが、とりあえず飲み会はもうしばらく遠慮したいと思います。やっぱり自分と波長のあう人と飲み会すべきですね。

お礼日時:2011/02/07 03:30

漱石の「坊ちゃん」にそういった愚劣な飲み会の描写があります。

日本人は昔からそういったくだらないことを延々と繰り返してきたのですね。漱石も呆れて嫌悪していたのでしょう。
>飲み会で大声張り上げてつまんないギャグで笑う能力は社会で必要とされますか?
そんなことはまったくありません。早めに抜けてお寝みするのが賢明です。私はそうして通してました。
もちろんそれを楽しめるひとは楽しんでもらってもいいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね、楽しめるひとたちは楽しんでいればいいと思います。ただ私には理解できない感性ですけどね。夏目漱石の「坊ちゃん」、読んでみたいと思います。

お礼日時:2011/02/07 02:13

私は居酒屋でバイトしているので、団体さんの新年会とか受け持ちすることがあります。


会社みたいな上下がある団体の場合、上司の人って浮いちゃうんですよ。
話しやすい人だけで固まると、上司だけぽつんと上座に取り残されたりして。お皿を下げに入ったバイトの私に少し話しかけてきたりしてね。
そういう時、ビールを持って「まあまあ部長、おひとつどうぞ」みたいに話し相手をかって出れる人って、それは昔式の宴会ルールなのかもしれませんが、私は好感を感じます。大人の礼儀ってやつですね。
酔った振りしながらも、さりげなくそれができるのがコミュ力があるってことでは。
「社会に出てから」と心配するなら、話したくもない人と話をする練習だと思って気配りしてみたらどうですか。

そういう義理のない飲み会でも、みんなの話がバカらしくて呆れているぐらいなら、あなたはニコリともせずに、つまらなそうな顔して一人で座っていたんでしょ。それでは飲み会に参加している意味がないです。永久に参加しなければいいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

気配りの練習の場、ですか。確かに浮いてしまっている人に話しかける気配りができるというのは、すごいことだと思います。ただ、私は今完全に「浮いてしまっている」側なので、周りに変に気を使わせないためにも参加しない方がいいのでしょうね。もしまた飲み会に参加する(せざるをえない)状況になって、しかも奇跡的に場になじめたときには、溶け込めていない人をフォローする側にまわれればいいな、とは思いました。可能性はとても低そうですが。

お礼日時:2011/02/07 02:03

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