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学校で習ったことは役に立たない、社会で通用しないと、大学を出た人ですら言ってますよね。
私もそう思うんですが、一つ疑問があります。

じゃあ、なぜ役に立つ知識に教科書の内容を変えないんでしょうか?
基本的な四則計算とか歴史とかは役に立つので分かります。
「こんなの使わないよ」というのがあるんですよね?
それらを現代社会で生活していくうえで必要な知識となぜ入れ替えない?

法律とか政治の見方とか。

役に立たないなんて言われているのは、ここ数年の話ではないですよね?
何十年も前から言われているし、その頃の人たちの中には国の偉い立場になってたりもするでしょう。
そういう人たちは、なぜ無駄を変えていかないのでしょう?
教科書に書いてある内容って、何が目的で載せられているんですか?

A 回答 (37件中1~10件)

A No.13,20,29のKulesです。



昔かなりにぎわった回答が議論とみなされてもろとも消されてしまったことを思い出しました。ってそんなことはどうでもいいか。

さて、これまで一つの観点から私の主張を回答させていただきましたが、前回のお礼を見るとどうもお気に召さなかったようなので(笑)
原点に戻ろう、ということで質問文の中から質問と思われる箇所に絞って、できるだけシンプルに回答したいと思います。
一部私の若干の偏見も入ります。

>教科書に書いてある内容って、何が目的で載せられているんですか?
役に立つからです。ただ、それを役に立てられるかどうかは、環境や、機会や、その人の意識などいろいろなものに依ります。

>役に立たないなんて言われているのは、ここ数年の話ではないですよね?
そもそもこれを私自身周りの人が言ってるの聞いたことないんで実感ないんですよね。テレビやなんやのメディアでも聞かないですし…
私自身は学校で勉強したことは役に立つと思ってるし、事実仕事にも役立っています。
個人的には「学校で習ったことなんて…」と言ってる人は、学生時代勉強ができなかったり、それが役に立つ仕事に就いてなかったり、役に立つ機会に恵まれなかったりしている人だと思うんですよね。言い方は悪いですけど負け犬の遠吠えというか。
ただ、確かに今学校で教えている内容は「将来役に立つであろう期待」を持たせられにくいものではあるので、「役に立たない」と言う人の考えも思いも何となくは想像できます。

>そういう人たちは、なぜ無駄を変えていかないのでしょう?
他の人が書かれているように、
「自分は変えたところでもう一度学生を経験するわけでもないし、どうでもいい」
というものかも知れない。また、私が前回や前々回に書いたように
「変えるとなると、ものすごい労力と、金と、時間がかかる。しかもそれだけつぎ込んで、本当にいいものが出来てくるとは限らない。こんなハイリスクローリターンは割に合わない」
かも知れない。あるいは、あまりこうであってほしくはないですが、
「お偉いさんたちは少なくとも学校で学ぶことが役に立たないとは思っていない。また、教育に携わっている人も「自分たちが教えているものが役に立たない」とは口が裂けても言えない。(例え本当は役に立たないと思っていても。個人的にはこんなこと思っている人には教壇に立って欲しくないんですが)だから、そういった教育がらみのことを決める場所(おそらく文部科学省でしょうか)の人は、そういった声があること自体に気づいていない。」
かも知れませんね。

「シンプルに」と書きながら結局長文になってしまいました。

参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

そういうお話ならまだ納得できます。
勉強できない人間が負け惜しみで無駄だと言ってるのもあるだろうし、その分野を仕事にしてる人たちが職を失うのを恐れてなど、しっかりと回答になっていますし、私も以前の回答ではそれを認めていますよ。
なぜ変えないのか?であって、何がいらないのか?の話はしてないんですよ。
まあ、でも自分が受けるわけでないから真面目に考える人は少ないというのは確かなんでしょう。
現にここでの回答も、質問を無視して自分に役に立ったことを延々と語り出すものが多いですし。
そういう博識気取りのオタクたちが、それなりの地位についてることもあるんでしょう。

文章の長さを問わず的を射たご回答なら大歓迎ですよ。

お礼日時:2011/02/15 07:51

「質疑応答のマナー」というのを義務教育過程の必須科目として、これを身につけない者は社会に出さないのが良いね。

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この回答へのお礼

必須科目になってなくてよかったですね。
あなたのようにマナーのなってない人間でも回答できる。
マナー以前にサイトのルールも理解できない人間が語りなさんな。

お礼日時:2011/02/15 09:34

前回回答したものです。


私はあなたの質問文を読み返しても、やはりあの時の回答が私の精いっぱいの回答でした。
この質問の答えは、人によって異なるでしょう。

以下のリンクは、一般人から大学教授、国家公務員等の知識人が、同じことを考えたものです。
(リンク貼りがいけなかったらすみません。)

http://user.numazu-ct.ac.jp/~sato.kenji/hitorigo …
http://bakabonn.web.fc2.com/iori/hobo/ho4/co2030 …
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/trueth/educat …
http://ameblo.jp/kenniewakwak/entry-10744355383. …
http://blog.goo.ne.jp/madographos/e/50a513208614 …
http://www.fujitsubame.jp/kyouiku101.html
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/01/shutod …
http://www.motokawa.bio.titech.ac.jp/professor.h …
http://yasukane.seesaa.net/article/11859594.html
http://www.asahi.com/edu/university/zennyu/TKY20 …

とりあえず、一通り読んでみてください。
いろいろな価値観を持った人が、それぞれの思いで書いているので、あなたの思ったとおりの意見がないかもしれません。

たくさん回答がついていて、これでも納得いく回答がないなら、ご自身で図書館とか、書店に足を運んで、その類の専門書を読んでみてくださいよ。教育、社会などのカテゴリにこの質問は含まれる筈ですから。

せっかく回答してあげたのに、「質問を読み直してください」だけじゃ、こっちの立場がありませんよ…

それでも不満なら、自分で努力して、探してくださいよ…
ここで質問だけして、回答者に「質問を読み直せ」じゃ、失礼極まりないですよ。
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この回答へのお礼

読みましたが、共通してるのは無駄だという認識の人が多いということですよね。
そのうえで、なんとか良いところを見つけようと論じていたり、それでもその分野の良さを説明しているに終わっていて、それがもっと必要な最低限の知識より大切なことなのかは説明できてないように見えます。
またそういう意見も少数で、そのリンクのほとんどは無駄であることを肯定しているように見えます。
ただ、私の質問は無駄なら無駄でなぜ変えないのか?であって、学問の善し悪しのことではないんですよ。

ところで質問者は常に回答者にへりくだった態度を取らなければならないとでも思われてるのでしょうか?
ちょっとした疑問でも気軽に質問できるのが、こういうサイトの良いところでしょう?
図書館に行くだの専門書を読むだの、そこまで専門的に勉強したいなら最初からこういうサイトは利用しませんよ。
自分で勉強しろとか余計なお世話だし、運営者でもないあなたが勝手にサイトの利用方法を決めないでください。

あなたの態度を見て、そういうところが学校にもあるのかなと感じました。
学校の本来のあり方は単純なものなのに、高尚なものにしようとしてわざわざ難しくしている。

質問に沿った回答ができないばかりか、リンクを張って終了の回答をしてくるような人に、「回答してあげた」などと上から目線で物を言われる筋合いなんでありませんよ。

お礼日時:2011/02/15 09:32

何度質問を読み返しても



「勉強は役に立たないと聞いたけど私もそう思います、当然みんなもそう思うはずです」
しか読みとれません。
最初から根拠が不明で、結論も自分勝手です。

誰がどの程度の知見でそう言っているのかを合わせて再度質問をお願いします。
責任を持って言葉を尽くして質問してください。
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この回答へのお礼

うん、じゃああなたの国語力では対処できない質問なんだから回答しなければ良いんじゃないですか?
こちらは別にあなたを指定して質問してる訳じゃないですし、回答者には答えないという権利もあるんですよ。
読んだからといって回答する義務はないでしょ?そもそも回答になってないし。
自分こそ責任もって書き込んでくださいよ。せめて「回答」という形にして。

お礼日時:2011/02/11 23:56

皆さんは質問を良く読んだ結果、各々反応しているのですよ。

世の中貴方のような考え方をしている人ばかりではないと言うことが、今回の遣り取りで学習できたとしたら、今回の貴方の質問に十分に意義があったことになりませんか。何で皆は私の言うことが解ってくれないのだろう、皆のどこがおかしいのだろう、あるいは、私の意見のどこがおかしいのだろう、と考える大変良い機会ですね。まさか、皆さんは自分に比べて単なる馬鹿じゃない筈ですからね。そして、貴方も皆さんに比べて単なる馬鹿である筈がない。では、これはどう言うことなのだろうと考えてみたらどうですか。

人間は嫌な思いをしたときにだけ学習ができ、成長ができるのです。今回はそんな有り難い貴重な機会を手に入れたのではありませんか。
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この回答へのお礼

よく読んだ結果、的外れな回答をしているかもしれないとは思えないんですかね?
それぞれの学問が立派とかの話は、本当分かるんですよ。言いたいこともね。
ただ、それでも無駄だと感じてる人が多い現実があるんだから、対策が必要でしょと言ってるんです。
職に就けていない人間が、やれ給料が低いだの福利厚生がしっかりしていないだのと選り好みしてたらおかしいと思うでしょう?
みなさんが言ってるのは、あくまで最低限のことを教えてからの話なんですよ。そこが足りないと言ってるのに、それをさておいて話を進めるからおかしなことになる。
文字を書けないのに、小説の書き方を語るようなもんです。

お礼日時:2011/02/11 23:54

ご自分に都合のいい回答が来ないようで。


質問者さんももう少し落ち着いて考えられるといいでしょう。



>それらを現代社会で生活していくうえで必要な知識となぜ入れ替えない?

現行制度にありうべき教育を上乗せするのではなくて、現行制度を否定して抹消することを主張するから混乱してしまうのでしょう。
別にあなたが思うほど現行制度上の科目がムダというわけではありませんから。




別に貴方の想い・感想なんて回答者はどうでもいいのですよ。
ムダと思い、しないのは貴方の勝手ですが、それを声を上げて主張し他人を巻き込むのは社会的に悪だと思いますがどうでしょうか。
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この回答へのお礼

質問を読み直せ

お礼日時:2011/02/11 22:55

>カオスなんて高尚な物を持ち出さなくても、たとえばライフルを撃つ時、手元で1mmずれれば数百m先では数十cmずれるという説明の方が分かり易いと思います。



成る程ね。貴方は一生懸命に考えている真面目な方である事が良く判る。だからこそ、頓珍漢に見える今の教育を何とかしたいと皆に問題を提起していますからね。しかし、木造大工さんのところにも書いて置いたけど、想像力のところで躓いているようですね。でも、このように積極的に問いを立てて、皆からいろいろな指摘をされ、あれって、反省できることが大切なんですよね。だって、人間は失敗した時だけ学び、そしてその時だけ成長できるのですから。

上の貴方の文章を読むと、何故貴方が教育の理解の仕方に対して的が外れてしまっているのか、その原因が判って来ました。貴方は、学問の深みや人間の営みの深みが未だ理解できていないようですね。人間て結構頭が良いんですよ。上の貴方の文章でもし解ってしまうのでしたら、近年のカオスの理論の発見で学者さん達が何でこうまで興奮して大騒ぎをし、世界中の国の文科省があれだけの予算をカオスを研究している人達に出しているのか、全く理解できなくなってしまいますね。だから、貴方は上のような結論を出したときに、何か変だとは思いませんでしたか。もし、何も変だと思わなかったとしたら、その辺りに貴方の教育観に関する認識不足の原因が重なっているのだと思います。

上の話しに関しては、貴方の世界認識の中に「非線形」というキーワードが完全に欠落していますね。貴方の射撃の例は典型的な線形現象と呼ばれているもので、誤差が距離の1次に比例して増大する現象です。1次曲線は直線なので、それを線形現象と言います。線形現象を理解する数学は19世紀には完全に完成しております。線形現象の最も重要な特徴は、精度さえ上げて行けば、未来が完全に予測できることです。だから、前もって一つに目標を絞り、その認識に対する誤差を無限に小さくしさえすれば、その未来に何が起こるか完全に解る。だからこちらで努力するには、例えば教育では、先ず未来を幾つかに設定し、今やっている子供達の理解の誤解を出来るだけ小さくするようにしさえすれば良いことになる。20世紀中葉まで、人類はこの完成した線形数学さえ理解していれば、それを上手に現実問題に応用して、世界が認識できると考えて来ました。事実、産業革命以降の目覚ましい人類の進歩は、圧倒的にこの線形数学の応用のなせる技だったのです。だから、自然科学や技術ばかりでなく、経済、政治、教育などの社会現象を理解するにも線形数学で何とかなると思われていたのです。

ところが、20世紀中葉に、物理学と数学の世界で非線形現象に関して画期的な進歩があったのです。その結果、非線形現象の世界では、先ず、現在持っている情報の誤差をどんなに小さくしても、本質的に未来の予測が不可能であり、だから直感とは反対に、誤差と言う偶然が決定的な役割をしていると言う、誰も想像できなかったことが明らかにされたのです。更に、この世界の圧倒的に多くの現象は線形現象ではなくて非線形現象であることも同時に明らかになったのです。この二つの発見が、カオスの理論の発見の最も重要な意味です。また、#21で紹介した生命現象や社会現象の理解に本質的な散逸構造の概念も、人類が20世紀中葉になってやっと手に入れた非線形数学の成果として発見されたのです。

線形な世界では、例えば貴方の出した射撃の例のように、誤差に伴った偶然は未来予測に関する単なる邪魔でしかなかったのですが、非線形な世界では、その偶然が世の中の構造を安定して存在させるために積極的な役割を演じているという、線形現象とは全く異質で反直感的なことが、この散逸構造の理論で明らかにされたのです。だから、皆はカオスの理論や散逸構造の理論の発見で興奮しているのです。

だから、教育に関する認識も今までのように、線形現象の発想で未来の予測を立てながら目標なり目的を幾つかに設定して、出来るだけ偶然に翻弄されないように対処して行くようなアプローチで何とかなる物ではない、積極的この偶然の役割を利用できるような非線形的なアプローチをしなくてはならないと言うことが、論理的にも明らかになって来たのです。勿論、過去の優れた教育者達は経験でそれとなくそのことに気が付いていたのですが、その論理的な裏付けが近年の自然科学の進歩で得られたのです。

貴方を見て危なっかしいと思えたのは、一見分り易い筋の通った論理で納得してしまう所にありそうです。人類史で線形数学がはじめに発達したのも、この分かり易さからでした。しかし、人類はやっと最近になって、非線形現象が本質的であり一筋縄では行かない人間の複雑さを論理的に認識し始めたようです。
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この回答へのお礼

質問を読み直して出直してください。

お礼日時:2011/02/11 20:14

無駄なことは何一つとして、ないのでは?



あなたが、役に立つと思うものが、他者にとっては役に立たなかったり…
役に立つ、立たないという二者択一で、学校で習うことを決めて、果たしてそれでいいのですか?
「これは役に立つ、あれは役に立たない」と、誰かが決めていいこと?
無駄を削り、効率重視の勉強じゃ、息苦しくありません?

結局、誰にもその答えは出せません。あなたが、役に立つものを、自ら探せばいいと思います。
仮に、私がえらい立場になって、、私の考える役に立つ知識だけ学校の教育に取り入れ、それ以外はすべて排除したとしても、それが他者に役に立つという保証はどこにもないです。

あらゆる知識を、総括的に、かつ易しく、広く浅く義務教育で教えてあげることで、自分の「役に立つ」知識を判断できます。たとえ役に立たなくても、自分の知らない知識を得ることは、大変有意義なものです。
そして、義務教育を終えたら、大学では自分が好きな科目を選んで自ら勉強します。
社会では学校で習ったことが通用しないって、それがどうしたって話です。役立つことを全て教えてもらうなんて、甘すぎます。蜜より甘い。というか無理。自分で試行錯誤して探す!これに尽きます。

長くなりましたが、要するに私が言いたいことは、「役に立つ」or「役に立たない」の二元論で決めてほしくないのです。可能性を狭めてしまうから。

与えられた「知識」を、役に立てるのは、私たちです。
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この回答へのお礼

私個人の我を通させろとは言ってないんですよ。
もう一度質問を読み直してください。

お礼日時:2011/02/11 20:13

A No.13,20のKulesです。



>ただ、それが許されるのは他に教えるべきことがない場合だと思うんですよね。
なるほど。まあ「他にもっと教えるべきことがあるんだったらそっちを教えろよ」というのは同意できますね。

>世の中には年金の計算方法どころか、自分の給料から引かれている税金や社会保険料の計算方法すら知らない人が多くいるわけです。
正直私もあんまり知りません(笑)高校の現代社会の資料集に載っていたのはかすかに覚えているんですが、詳しい内容までは…

>就職一つにしたって、初任給や平均賃金ばかりに目がいって、昇給カーブが一番重要ってことを知らない人も多いんですよ。
>こういう最低限必要なことから教えていくものではないかなというのが私の意見なんです。

少し雲行きが怪しいですね。
「初任給や平均賃金ではなく、昇給カーブが一番重要である」ということが学校で教育を受けている人の100%が必要としている情報となぜ言えるんでしょうか?
もちろんほとんどの人には重要でしょう。その知識を使う場面に遭遇する確率は、微分積分を使う場面に遭遇する確率なんかよりはるかに高いと思います。でも100%ではない。

同じように考えると、数学の微分積分や、行列なんてものは将来役に立つことはほとんどない。人によってはそれが活用される場面に遭遇する確率は1%以下かも知れない。でも0%ではない。

100%なら、教えなければならないでしょう。0%なら、教える意味はありません。でも全ての人にとって100%とか、全ての人にとって0%というのはあり得ない。

「誰しもが100%避けられず遭遇する出来事」と言ったら自らの死ぐらいしかありませんよね。結婚しない人も、子供をつくらない人も、就職しない人だっている。
そういう意味では、例え中学生や高校生であっても、「自らの死」というものに向き合う教育は必要かもしれません。
もしこういう主張をする人がいれば、私は全面的に賛成するかも知れない(内容如何は別にして、そういう観点から教えるべきものを決めよう、という姿勢に同意します。)

他のものはそう簡単にはいかない。「より役に立つ場面に遭遇する確率が高いもの」というあいまいな議論でしかなくなります。
じゃあ○○が役に立つ確率は~~で、△△が役に立つ確率は☆☆で…という話になります。
ただ、そうなってもどれを教えるか選ぶのは容易ではありません。先の回答でも言った通り、確率というのは役に立つか役に立たないかの割合のことを言っているのではなく、それが役に立つ場面に遭遇するかどうかの割合です。じゃあ役に立つ場面に遭遇する確率が1%だったら教えなくていいのかってなるとそうでもなくて、その1%に遭遇した場合それを知らなかったら命を落とすことだってあるかも知れない(例えば私が中学生の時、保健体育には着衣泳についての記述があり、実践もしました。これは非常に役に立つことではありますが、それを活用する場面に遭遇する確率は極めて低い。しかし、知らなければ命が危険にさらされます)

このように考えていくと、「何を教えれば将来の役に立つ可能性が高いか」を考えるのは簡単でも、「教えても将来の役に立たないし、必要ないものは何か」を決めるのは非常に難しいと感じます。先の回答で書いた「必要ないと判定されたものをかつて教えていた人」の反発も出てくるでしょう。そこを議論していると、私が先の回答で書いたとおり、結局何も決まらずとんちんかんなマニュアルができてくるでしょう。
じゃあ今のままでいいんじゃないの?となりますね。アキラメと言われればその通りです。

もうひとつ言えるのは、「じゃあ本当に役に立つことを教えたとして、それを学生は将来本当に役立てられるの?」ということです。例えば中学の家庭科では包丁の握り方から手の添え方、お米の研ぎ方、さまざまな食材の切り方などを学ぶと思いますが、これを覚えている若者はどれだけいるんだって思います。数学や理科が将来全く必要ないと思う人は多くても、家庭科が全く必要ないと思う人はそんなにいないはず。でも事実、覚えてない人が大勢います。

そうなってくると、「しっかりいろいろ考えて、将来の役に立つ(であろう)カリキュラムを組んだところで、結局生徒の心には響かないんじゃね?今のままやってりゃいいんじゃね?(笑)」
ってなるんじゃないかな~とも思ってしまいます。

たびたびの長文失礼しました。参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

細かい内容を論ずるつもりはないですよ。
ただ、多くの人が学校で覚えたことは役に立たないと言っている事実がすべてだと思います。
それに対して、あれこれごねて動かないのはどういうことなのかというのが今回の質問です。

お礼日時:2011/02/11 20:12

そうですね。

だんだんとオタク化していく感じですね。高校卒業もしくは大学卒業までの期間に芽吹いた少数のエリートオタクによって専門職が構成され、芽吹かなかった大多数が一般職になるんですね。ただ、私は小学校だけで良いとは思いませんよ。だって芽吹く時期がわかりませんからね。それに少数でいいとはいえ母集団の数が多ければ多いほどエリートオタクは増えますし。
それに、身体的にも精神的にも未熟で論理的思考もままならない子供を社会に放り出すのもいろいろと良くないですから。
要するに、学校教育ってのは可能性を植えつけるものであり、期限までに芽吹かなかった子供のために、社会に適応するテンプレートを作ってるものでもあるんじゃないしょうか。
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この回答へのお礼

使い方を教えず道具だけを渡している感じですね。
意味も分からず持たされて、負担にはなっても役に立たない。
エリートと呼ばれる人たちがそうなってしまうと、本当に勿体ないと思います。

お礼日時:2011/02/11 20:06
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